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「おおひら歴史民俗資料館と白石家戸長屋敷」『おおひら歴史民俗資料館』は 栃木県栃木市大平町西山田898ー1。『大中寺』の側にある、資料館なんだ。 大平町周辺の発掘品や、遺跡について展示してんだけんど。 中でも、『下野七廻り鏡塚古墳』から出土した、『舟形木棺』は、圧巻だど。 全長5.5m。幅1.03m。高さ42cm。 一階の部屋を占領するほど、でっかいど。 一見すると、丸太をくりぬいてこさえた船みたいな形さ、してんだ。 ほぼ完全な形で出土したものでな。貴重品なんだ。 資料館の隣には『白石家戸長屋敷』がある。 これは正面の『長屋門』。 あ、ここは入場料さかかるかんな。 見学すっときは、隣の資料館で、入場料さはらっとこれね。 でもな。心配すっほど高くねえど。 隣の資料館とあわせて、200円だかんな。 歴史的建造物の保存料にしちゃ~、安いべ~。 これが『母屋』『戸長屋敷』は江戸時代に大庄屋をつとめていた『白石家』の屋敷を移築したもんなんだ。『母屋の裏側』 表は藁葺き屋根だったんだけど。こっちは板葺きみたい。 こっちの景観も、よいね。 石庭、かな? 整備作業中だったんで、よくみてこなかったんだけど。 みほれっちゃうような石が、みっちりだっぺ。 もう少し近くから、みたかったっぺ~。 奥には『蔵』もあったど。 それから、映画の撮影に使えそうな『奥座敷』。 全部で6棟ほどの建物が再現されてるど。『母屋』では、毎月イベントも行われてるみたいだから、 近くさ行ったら、覗いてみとこれね。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.28
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「伽藍」 これは、『大中寺』の裏にあったお堂だど。 石垣もいいけど。建物もいいべ。 お寺さんだな~って感じだど。 こういう建物を『伽藍』っていうんだと。『伽藍』っていうのはな。 お寺にある修行する建物の、総称なんだけど。 元々は『僧伽藍摩(そうぎゃらんま)』『僧伽藍』っていうんだって。 これが縮まって、『伽藍』て呼ぶようになったんだと。 本堂や山門も、『伽藍』の一部ってことになるみたい。 一般的な構造に『七堂伽藍』ってのがあんだけど。 これは『金堂』『塔』『講堂』『鐘楼』『経蔵』『僧坊』 と、七つの建物が基本になってんだよ。 ただ、これらの建物は、宗派や時代によって名前さかわっから、 あくまでも、基本の形ってことだけどな。 んでな。『大中寺』の『伽藍』なんだけど。 ひとつ、おもしろい話さあんだ。 前に、荒れ放題の『大中寺』を、『天領呑補』が再興したって書いたけど。 もう一人、再興に力を添えた人物がいたんだ。 それが、『上杉謙信』だど。 時代さ、ちょっとわかんないんだけど。『大中寺』の『伽藍』を寄贈したとか、整備に力を貸したって話が、残ってんだって。 んじゃ何で『上杉謙信』が『大中寺』の再建に手を貸したかっていうとな。『天領呑補』の師匠『快叟良慶』が、謙信の叔父にあたる人だったから、らしいべ。 庭の中央近くにあった、お堂。これも『伽藍』になんのかな。 中にはお地蔵さまがあるみたい。 旗には、『延命地蔵菩薩』って書いてあんな。 これも、謙信が寄贈した建物なんかな。 隅のほうに、古そうなお堂もあった。 正面の額には『太平山』って、かすかな文字がみえたけど。『太平山』の山を信仰してんのかな。 ここのお堂の前には、かわいい狛犬さまのいらしたど。 右側の狛犬さま。 左側の狛犬さま。 どっちも、古いもんみたい。 お顔や体が、摩滅しちまってな。 かろうじて狛犬さまだ、って解る状態だべ。 大きさは、抱えられるぐらい、ちっさい。 でも、堂々とした態度が、力強い感じでな。好きだな~。 持って帰ったら・・・罰があたんべな~。 これも、謙信がいた頃の狛犬さまなんだべか。 もしかしたら、『上杉謙信』も、狛犬さま、見た? 狛犬さまさ、しゃべれたら・・・ どんな話さ、聞けたんだろう・・・な。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.27
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「大中寺のかいだん」『大中寺』には『七不思議』って言われる、怪談話があんだよ。 昨日、ちょこっと書いた、本堂のやつは『枕返しの間』って話だべ。 旅人が本堂さ泊めてもらったんだけど。 うっかり本尊のほうさ、足を向けて寝ちまった。 ところが、朝んなってみたら、頭は本尊のほうさ向いてたっていう話だべ。 だどもな。正直に言っちゃうとな。 あんまし、興味さ、ないんだな~。 たとえば、これ。『東山一口拍子木』ってやつ。 本堂の右のほう。 ハイキングコースの入り口近くの、空き地みたいなとこなんだけど。 大中寺に異変が起こるとき、山の奥から、一言、拍子木が聞こえる場所なんだ。 ただし、音は住職にしか聞こえないとか。 で、まあ。 大抵の人は、上のほうさある説明文さ読んで、 怖々と、森の奥さ覗いたりすんじゃないけ? けんどな~。違うんだな~。 そりゃ、不思議な現象さ、興味はあっけどな。 もっと興味深いもんがあんだな。 どこにあんだ?ってか? 下だど、下。足元んとこ。 茶色い小さな石っこさ、あんべ。 これだべな。 あ、一応言っとくけんど。 この石っこは、史跡じゃ~ない、たぶん。 ただの石っこ。だども、なんかいわくありげに、並んでないけ? それから、こんなんもある。 広場から上に上がる、石階段。 石の色がいいべ~w。 ちょっと急で、曲がりくねってっけど。 そこんとこが、いんだっぺ。 こっちは、横から上がってくる階段。 新しいものだべな。 幅が広くて登りやすいど。 あ、だども、この『七不思議』は興味あんな。『油坂』 本堂の灯明から油を盗んだ学僧が、石段から転げて亡くなっちまった。 その後、この石段さ上り下りすっと、災いに合うらしい。 現在も、通行止めさなってんだ。 上からみた眺め・・・おお、こわっ! これじゃ~学僧じゃなくっても、転げっちゃ~べ。 ふと気がついたんだけど。 これって石段、だべな? だども、昔話のタイトルは『油坂』。 坂になってんど。 油階段とか、油石段って言うのが、正しいんじゃないんかな~? なんで、変わってんのかな~? まさか! これが、ほんとの怪談話、だったりしてなw。 お後がよろしいようで。・・・ポチッとしとこれね。 にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.26
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「大中寺の歴史2」 脇の石段さ登って、頂上まできたっぺ。 ここが、『大中寺』の本堂だべな。 こったら近くまで来ると、全景を写真さ収めんのは、至難の業だど。 なんつったって、すぐ横は崖だかんな。 こんなん、なってんだ。 下の広場が全部見える。 わわわ。おっかね~。 さてと。 お寺さん参りは、初心者なんで、な。 どうやったらいいんかな~。 本堂の前さ、うろうろしてたっくれ、賽銭箱さみっけた。 さっそく、賽銭さいれて、なむなむ・・・ 自己流の祈願をおえて、上さ見上げたら、びっくらこいたべな! 梁んとこに、見事な彫刻さ乗ってたんだ。 白くてぼやけてんのは、彫刻を保護するために、網が釣ってあっから。 保護は大事だな。だども、ちょっと、彫刻が見づらいべ~。 象、だべか? 長い牙さはえてる。 す~っと伸びた長い牙。折れないんかな? だいじかな? さらに、奥にも細かい細工物があったんだけど。 む~ん。よぐみえない。 目が悪りいって、こういうとき、損だべな~。 次は、オペラグラス、持参しなくっちゃなんねえな。 彫刻も堪能したし。 あとは、お寺の中さ、みたいな~。 だども、正面は障子で閉ざされてて、中さ見れないようになってる。 どっかないかな~、っとじっくり見直したら、 あった、一カ所だけ、障子さ開いてた。 なんであそこだけ開いてんかな? 怪しい感じさしたんでな。 そろそろと、用心しながら近寄ってみたら。『大中寺』名物の『七不思議』だったっぺ。 脇に解説が、書いてあったんだけど。 擦れてて、読めないべ。 ま、いいや。目的は七不思議じゃ~、ないかんな。『太平山城の謙信平』んとこにも書いたけど。 この『大中寺』はな。 永禄11年(1568)に、『上杉謙信』と『北条氏康』が、和議を結んだ場所なんだ。 当時の大中寺住職『虎渓和尚(こけいおしょう)』が間に入って、 仲介したって噂だど。 だもんでな。 どんな場所で話合いさしたんか、見たかったんだ。 そ~っとのぞき窓から覗いてみると、かすかに中の様子さ見れた。 っつうのも、窓の位置が高くてな~。 中さ、よ~ぐ、め~なかったんだ。 身長が低いもんにゃ~、つれぇっぺ~。 おまけに、ガラスさ光が反射して・・・霞さかかっちゃって。 広い畳式ってことぐらいしか、わかんなかった。 だどもな。その分想像力さ発揮して、楽しむことさできたっぺ。 がたいのがっしりした、立派な武将がな。 立派な僧侶を挟んで、話あってる姿なんか、想像しちゃってなw。 霞さかかってたぶんだけよけいに、幻想的になっちまったっぺw。 ああ~。たのしかった~w。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.25
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「大中寺の歴史」『大中寺』はな。 久寿元年(1154)に、真言宗の寺として建てられたものなんだ。 だども、衰退しちまってな。 延徳元年(1489)に、『小山成長』が『快庵妙慶』を招いて再興させたんだと。 16世紀半ばには、跡継ぎ問題がこじれて、寺は2つに分かれちゃったんだと。 一人は『無学宗ふん(「ふん」は「林」の下に「分」)』。 『小山高朝』がこさえた『大中寺(現在の大平町榎本)』へ移った。 さっきも小山氏の名前さ出てきたけんど。 昔はこの辺りを、小山氏一族が納めてたんかな?『太平山城』が皆川氏の支城だったって聞いたから。 てっきり、皆川氏関連のお寺だと思ってたんだけんどな。 違うんだな。 さてと。 もう一人は『快叟良慶』。 この人はそのまま今の『大中寺』さ、残ったんだけど。 なんか問題でも起こったんだべか? どんどんと、衰退しちまったそうだっぺ。 そんだから『大中寺』は、、ちょこっと寂しい感じさすんのかな。 さてさて。『山門』をくぐって、中さはいると お。ここは明るいな。 境内は木が茂ってないかんな。 しかし、本堂までたどり着くには、ちと、険しい道のりがまってだ。 階段だっぺ。 山ん中のお寺だかんな。しゃ~ないな。 ここの階段は表面が風化しちゃったんかな。 ぼこぼこしてて、登りにくいべ。 おまけに、幅させまぐねえけ? ころげっちゃいそうだっぺ。 そろそろと登って、背後さ振り返ってみた。『山門』が、低い~。 さらに階段さ登って、やっと姿さ現したんがこれ。『大中寺』の本堂だど。 だども、まだ、上にあんな~。 上さ登る階段は、どこだんべ? 16世紀にいったん衰退しちまった『大中寺』だけんど。 永禄5年(1562)『快叟良慶』の弟子『天嶺呑補』が、再興したんだと。 この人が、また、えらい人に繋がってくんだけど。 それは、また明日、な。ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.24
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「大中寺の山門」 7月18日(水)に、『大中寺』さ行ってきた。 そんときのことを、書いてみんべ。『大中寺』は 栃木県栃木市大平町西山田252 にある古いお寺でな。 歴史も、いっぱいあんだど。 町名は違うけど。 ここは、こないだ行った『太平山』の、南裾にあたる場所でな。 車だと、ぐるっと山沿いを回ってこなくちゃ、なんないんだ。 けどもな。『太平山の謙信平』あたりから、『大中寺』まで ハイキングコースが設定してあってな。 歩いてこられるみたいだべ。 ちと、道が険しいらしいけど。 体力に自信のある人は、チャレンジしてみんのも、いいかもな。 入り口の右側と 左っ側。 お地蔵さまかな。仏さまかな。 石仏が並んでる。 この奥に、専用の広い無料駐車場さあっから、そこへ車を止めて。 さあ、お寺散歩、開始! だべ! あ、そうそう。 駐車場の脇は、小さな公園になっててな。 お手洗いもあっから、長距離ドライブしてきたかたは、 ここで、一息ついてから、いくといいど。 正面の門が、見えてきたっぺ。 ここはあじさいの名所でな。満開になっと、きれいなんだと。 だども、なんか。 雰囲気が、あやし~な~。 道の感じが、古めかしいせいかな。 それとも、天気のせい? じめ~っとしてんだけど。 石の階段も、見た目より急な感じさして、な。 なんか、先に進みづらいな~。 正面の『山門』さ、ついたべな。 特に変わった彫刻は、ない。 作りも地味だし。真っ黒け。 おもしろみが、ないかもしんないけんど。 実は、この門を見に、『大中寺』さ、来たようなもんでな。 ちと、変わった謂われがあんだよ。 元和2年(1616)に、『皆川城』から移築してきた『搦手門』なんだって。『皆川城』は、『大中寺』からだと、『太平山』を挟んで北っ側に、約4km行ったあたりにあるんだ。 あ、『唐沢山城』よりも、近いっぺ。『太平山城』が、噂どおり皆川氏の支城だとすっと。『皆川城』は、本拠地って感じになんだべな。 そうすっと。『大中寺』の歴史ん中にも、皆川氏が関わってくんだべか。 今時点じゃ~、なんもわかんないんで、先さ進むど。『山門』さ、近づいてみた。 なんか額さかかってっけど・・・なんだべな。 難しくて、読めないんだけんど。 これは、移築してからのもんだべな。 それにしてもな~。古いべ~。 あ、言い伝えさ本当だったら、この『山門』は、 400年以上前のもんなんだな。 そんじゃ~古くて、あたり前かw。 400年・・・どんだけの人が、この下さ通ったんだべな。 しみじみと、見上げながら門の下さ通る。 黒光りする木も、400年前のもんだって考えると、 そんだけで、背筋さぞくぞく~って、してくんな。 ランキング参加中~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.23
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「謎の僧の墓」『謙信平』を出て、車道を下る。 後はみっとこないし、のんびりあじさいさ見ながら、歩ってた。 車道の横に、ピンクのあじさいが、咲いてたど。 変わった色だべな。 さらに、ぽてぽてと道さ下っていったらな。 こんな木の立て札さ、みっけたど。 半分ぐらい垣根の木に埋まっちゃってて、危うく見落とすとこだったけんど。 なんか古くて、曰くありそうだど。 え~と。なんて書いてあんのかな。 文字の位置が高いうえに、擦れっちゃってて、読めないべ。 あ、でも『慈』って書いてあんな。あと『寺』かな。 『僧』って文字もみえるような。 それから、『の墓 入り口』 え? お墓の入り口? 立て札さみっけた場所は、こんなとこ。 ここは『県立大平少年自然の家』の駐車場。 手前の垣根みたいなとこに、立て札が埋まってたんだっぺ。 墓跡って聞くと、普段は通り過ぎちゃうんだけど。 なんだか気になって、駐車場の奥さいってみたんだ。 そこには石碑が並んでてな。 こんなんが、あった。 ああ。達筆過ぎて読めない。 ただでさえ、石碑の文字さ読むの、苦手なのに。 さっぱし、わがんないべ。 かろうじて『墓』と『入り口』ってとこだけは、わかったんだけどな。 上のほうに書いてあんのは、お防さまの名前かな~? で、入り口ってどこだべな~? なんてうろうろしてたら・・・ ひゃ~!いきなり、ご対面! お墓だべ。 たぶん、表の立て札は、これのことさ、言ってたんだべな。 だって、他に道もないし。 石碑もないし。 これは、どこをどうみても、お墓だし。 お墓があったのは、駐車場脇の林んなかだど。 上の写真の右っぱしんとこに、黒い影になってっとこさ、あんべ。 あんなかに、あった。 暗い場所だったんで、どきっとしちゃったけんど。 落ち着いてよく見ると、怖い気配は感じなかった。 たまに、あんだよね。 こう、見ただけで寒気がしてくるような、おっかないやつが。 だがら、なるべく知らないお墓さ、近寄らないようにしてんだけど。 でも、このお墓は違うみたい。ほっとしたど。 それに、お墓の周りはな。 きれいに草さ、刈ってあるみたいだべ。 誰か手入れしてくれる人が、いるんかもしんないな。 どなたのお墓なんだべな。 徳の高いお防さまなんだべか。 そだ。『六角堂』ブログんとこに、ちょこっと書いたけど。 駐車場の上んとこ、今の『大平少年自然の家』があっとこは、 一時的に『六角堂』が移転した場所だったんだ。(『六角堂』のブログは、こちら) もしかしたら、 その頃に、お寺に仕えていたお坊さまのお墓かも、しんないな。 軽く、ご挨拶して、帰ってきたべ。 さてっと。 こんどこそ、見るもんは、ないべな~。 車道に沿って、のんびりペースで下ってくと。『あじさい坂』近くに出る。 さあ~。長かった『太平山城』散歩も、終いだべ。 ちと名残おしいけど。 いろんな歴史さみられて、おもしろかったっぺ。 おつかれさんでした~。ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.22
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「謙信平 3 水戸天狗党鎮魂碑」『謙信平』の展望台から、ちょこっと上の広場んとこに、池がある。 なんの変哲もない、池だべな。 これには・・・なんの謂われもない(たぶん)。 観光用の池だべなw。 池の辺りは、広場になっててな。 休憩できるように、椅子やテーブルがあんだけど。 その奥のほうに『水戸天狗党鎮魂碑』ってもんが、あったらしい。 あ、紛らわしい書き方、しちゃったな。『水戸天狗党鎮魂碑』は今も、広場にあんだけど。 見逃しちゃったんで、はっきりここだよ、って写真がない、 って言いたかったんだ。 だけんど。広場の奥の崖近くにな。 ばかでっかい石碑があったから、たぶん、あれだと思うど。 (これは、同じ広場に咲いていた、あじさい) 『水戸天狗党鎮魂碑』はな。 明治14年(1881)6月。 日向国(現・宮崎県)高鍋藩主の世子・秋月種樹(あきつき たねたつ)が、 栃木県さ来たんだけど。 地元の有志と、太平山さ回遊したときに立てた石碑、って言われてんだって。 『水戸天狗党』について、あんまし知らないんで、書かないけど。 栃木県内でも、いろいろ事件を起こしているみたいだな。 他にも、『大平寺』に、天狗党関連の霊位があるらしいべ。『大平寺』ってのは、『太平山』の入り口んとこにある寺なんだけど。『水戸天狗党』のうち3人が、宇都宮の遊女を誘拐した罪で、処刑されたんだと。 その3人を弔うためのものだ、と言われてるみたい。 ほんとかどうか、わかんないけんど。『天狗党』に興味がある人は、調べてみとこれね。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.21
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「謙信平 2 上杉謙信」 緩やかな車道を下っていくと、展望台があんだ。 ここが、『謙信平(けんしんだいら)』だど。 展望台さ登ってみたんだけど。 正直、景色はいまいちだべな。木が邪魔っけで、よくみえない。 さっきの休憩場のほうが、広々として、遠くまで見えたど。 ところでな。 この場所が『謙信平』って呼ばれんのは、理由があんだ。 戦国時代の、話なんだけどな。『越後の上杉謙信』と『小田原の北条氏康』が、戦をしていたんだけど。 この辺りでも、戦があったみたいでな。『太平山城』にも、攻め込んできたことが、あったらしい。 栃木県では珍しく、石垣が残っている『唐沢山城』は、 上杉軍、北条軍の標的にされ、攻め込まれたことが、何度もあるんだけど。『太平山城』から西に8kmぐらいしか、離れてないんだ。『太平山城』の記録は、残ってないらしいから、はっきりしないんだけど。『唐沢山城』同様、『太平山城』も、 越後と小田原の通過点にあたる場所さあっかんな。 かなりの激戦さ、あったんじゃ~ないかな。 そんで。 永禄11年(1568)9月のこと。『上杉謙信』と『北条氏康』は、和議を結ぶことになった。 場所は、『謙信平』の真下にあたる場所にある『大中寺』。 当時の大中寺住職『虎渓和尚(こけいおしょう)』の斡旋があったとか。 この『大中寺』。じつは『上杉謙信』と、ちと関わりが深い寺なんだけど。 まあ、長くなっちゃうから、詳しくはまたこんどな。 和議を結んだその後。『上杉謙信』は『太平山』に登り、兵馬の訓練をしたんだ。 そんときに、この場所から、下の景色を眺めて、 あまりの絶景に目を見張った、とか。 そんでこの場所を『謙信平』って呼ぶようになったんだと。 そっけ~? 絶景っていうけど、なんか、物足りない景色だったな~。 ぶつぶつと、つぶやきながら、展望台さ降りる。 さらに道を下っていくと、駐車場に出でた。 ここは『太平山城』の『腰曲輪』跡って、言われてるみたいだけど。 む~ん。に駐車場にしか、め~ないな。 駐車場から振り向くと、さっきの展望台が上のほうに見えた。 あじさいの崖の、うえ~のほうに見えたんだけど。 写真じゃ~、わかんないな。 ここのあじさいは、まだ、咲き始めでな。 こんときは、少ししか咲いてなかったんだけど。 満開になっと、崖一面があじさいでいっぱいんなって、きれいなんだど。 駐車場から、の眺め。 ちょうど曇っちゃって、影になっちゃってっけど。 山の形が、いいべ~。 そうそう。 ホームページとかで紹介されている、霧がかかった『謙信平』は、 こっから撮ったもんだとか。 ほほう。たしかに。こっちの景色は、平野が広々としてて、 遠くまでみわたせんな。 こっから見た夕日の景色も、また絶品だ!って 通りかかった人が話してたど。 そうすっと、もしかしたら、『上杉謙信』が絶景!っていったのは、 こっちの景色かもしんないべ。 今は、この辺全部をさして、『謙信平』っていってるみたいだから、 さて、どれが『謙信』が、感動した景色なんか。 探してみんのも、おもしろいべな。 ランキング参加中だべ~! にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.20
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「謙信平 1 山本有三」 休憩場を出て。車道沿いに道を下っていくと、細長い広場にでんだ。 この辺も『腰曲輪』だったんじゃないか、って言われてんだけど。 今は面影一つ残ってないべ。 道の山側は、お土産屋さんが並んでて、反対側の広場で、 休憩しながら食べられるようになってるんだ。 ここでは、太平山名物の『お団子』や、『卵焼き』、『焼き鳥』が食べられるんだけど。 この3つが名物になったのには、理由さあんだよ。 昔の人は、夜に鳴く鶏を、災難を招く不吉な動物と思ったらしくてな。『太平山』に奉納する、っていう習慣さ、あったんだっと。 んで、奉納された鶏の卵から『卵焼き』さ作って。 鶏の肉から、『焼き鳥』さ作って。 災難をよい物に変わるように、作りかえたんだと。 功徳ってやつらしいな。 それが『卵焼き』と『焼き鳥』が作られるようになった、きっかけみたいだべ。 んで『お団子』のほうはな。『太平山神社』に五穀豊穣を願って、毎年たくさんの穀物が奉納されててな。 それを分けてもらって、こさえたのが、始まりみたいだべ。 これも、功徳ってことになんのかな。 功徳になんなら、足さとめて、食べてくればよかったかな。 あんまし、食に関する欲ってもんが、ないもんだから、 食べ物屋さんは、いつも通り過ぎちゃうんだよな~。 んで、食べ物屋さ通り越して、どこいったかっていうと。 休憩場の、ちょっと奥まったとこにある公園。 この辺はあんまし人さ、来ないんかな。 草が、わさわさしてたっぺ。 足下も、ちと歩きにくい。 でもな。この奥に、見てもらいたいもんがあんだ。 それが、これ。『山本有三文学碑』『山本有三』って人はな。 栃木県生まれの文豪で、『路傍の石』を書いた人。 昭和35年(1960)に、栃木県名誉市民に推挙されたんだけど。 そんときの記念に、こさえたものなんだって。 昭和38年(1963)の除幕式には、『山本有三』本人も、出席したんだと。『山本有三文学碑』は『路傍の石』の一節が、刻まれているんだ。『たったひとりしかない自分を たった一度しかない一生を ほんとうに生かさなかったら 人間うまれてきたかいが ないじゃないか』(文学碑から、引用しました)『路傍の石』は、読んだことがないんだけど。 この文章は、こう、考えさせるもんがあんべ。 明日から、いんや、今からでも。 なにか、やってみよう、って気分になるべ。 ちょっと文学的な、気分にひたって歩いていると。 変わったあじさいだな~。きれいだべ。 そういや、ずっと『石垣』ば~り、目がいってて。 肝心のあじさいさ、見てなかったど。『あじさい祭り』さ見にきたんだから、あじさいも見なぐっちゃ! う~ん。文豪家気分も、薄まっちまったな。 私には、文学よりも、あじさいのほうが、似合いみたいだべw。ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.19
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「太平山の雑談話」 ちょこっと、耳寄りな情報さ、みっけたんだけど。 今降りてきた坂な。『眉嶮坂(ひけんさか)』っていうらしいど。 んで、聞いた話だと、この坂の途中に、『古戦場跡』があるみたい。 昨日のブログさのせた『石垣』のことかな? 他に怪しい場所さ見なかったから、可能性は高そう。 ほんとかな? さて、真実はちと不明なんで、先さ進むべ。 鳥居を2つくぐれば、『太平山神社』の出入り口に到着するんだけど。 鳥居と鳥居の間に、こんな岩があったっぺ。『天狗の投石』って書いてある。 天狗が投げた、とかいうもんだと思うけど。 解説板さ、あったかな? 見のがしちゃったっぺ。 で、ネットで検索したっくれな。『天狗の投石・大谷町』とか『天狗の投石・庚申山』とかでてきたべ。 どっちも栃木県なんだけど。『天狗の投石』って、たくさんあんだね。 全国規模で見たっくれ、どんだけあんだべな。 天狗さま、どんだけ、岩っこ投げたんだい? で結局。『天狗の投石・太平山』は、どんな由来かわかんなっかったど。 行ってきたよ~、って報告ばっかしだった。 ってことで、先さ進む。 出入り口んとこには、『お店と休憩所・あづま屋』さんがある。 奥は、駐車場になってるみたいでな。 もしかしたら、曲輪の後かな~、なんて覗いてみたんだけっと。 証拠になりそうな跡は、ないみたい。 は~、疲れっちゃったっぺ。 休憩場で、一休み。 こっからの景色が、また、すごいんだ。 休憩場の左っ側から、見ていく。 んで、次。真ん中あたり。 小さな山が、島みたい。 奥に見える町並みは、『大平町』だど。 あ、町の名前んときは、『太』じゃなくって『大』って書くんだど。 打ち間違いじゃ~、ないかんね。 どっちも『おおひら』って読むんだけど。 これには、ちょこっと、理由さあんだ。 昭和36年(1961)に『富山村』『瑞穂村』『水代村』が合併して、『おおひら村』になるときにな。『太』の字さ使うと、4画で演技が悪りい、って話さなって。『大』の字さ使うことに、なったんだと。 だども、『太平山』は昔っからの地名だから、変更無し。 ややこしいな~。 さて、右っ側の端。 こっからは、『新宿のビル群』や、『スカイツリー』が見えんだと。 む~? ちょこっと、ビルの姿が、見えた・・・かな? さらに天気がいいと、富士山も見えるとか。 こっちはよっぽど運がいい人か、目がいい人じゃないと、見えないべな。 今度は望遠鏡さ、持ってかないと、だめだべな~。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.18
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「参道の石垣」 帰り道は、『あじさい坂』と別の道さ通って、帰るべ。 何故ってな。 『あじさい坂』は、急階段なんだ。 足さ滑らしたら、一気に下まで落ちちゃいそうな、いきおいなんだど。 前にも、落っこちそうになったし。 こっちの裏道も、雰囲気いいんだど。 距離と時間は、『あじさい坂』よりも、かかっちまうけどな。 みどころポイントも、いくつかあっから、 ほげほげ~っと、行ってみっぺ。『太平山神社』さでたら、本殿奥にある社務所さ、いく。 そのまんま、前を通って、さらに奥へ進むと 階段だべな。ここさ、下っていくんだど。 あじさい、きれいだべ~。 階段の脇には、『大文字草』も咲いてるど。『太平山』は、水気が多いみたいでな。 あっちこっちの道端で、『大文字草』の群生をみかけたど。 よ~くみっと、花が『大の字』にみえるから『大文字草』っていうんだと。 ここのは、赤みがかかった種類でな。 とっても、涼しげ~。 道の左側は、崖になってる。 目をこらすと・・・下~のほうに、ちらちらと、人影がみえた。『あじさい坂』さ下って、帰る人たちだべな。 むむ。かなり高低差があんな。ビルの3階分は、あんべかな。 見なきゃよかったっぺ。怖~! この先は、ゆるい下り坂。 だもんで。安心して、周りの景色さみながら、ぽけ~っと歩いていたら、『鳥居』だべ。そろそろ、終点かな~。 あれ? いまなんか、見逃した? そんな気がして振り返ってみると、 『石垣』だ~。 それも、道端に沿うように、築かれた長方形に見えるんだけど。 さらに近寄って見ると、わ!古そう。 一気にテンションさ、上がったど~! ほげほげ気分、返上! さあ~!集中して、観察すんど。『あじさい坂』でみた石垣よりも、古い? ・・・も、もしかして。 これこそ『城跡の石垣』け! だとすると、『横矢』とか『櫓台』の跡かもしんないな。『石垣』の位置も、今歩いてきた参道を見張るような形に、 こさえてあるように、みえんもんな。 十分、可能性はあんど。 すると・・・あの上に、皆川軍の兵が、ずらりと並んでた可能性も? あんの、かな? 坂を下りながら、なんども振り返る。 やっぱし、どうみても、見張り台に見えるんだけど。 実際はどうなんだろ。 知りたいような、知りたくないような・・・複雑な気分だべ。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.17
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「太平山城と奥宮」『太平山城』は、皆川氏の支城って言われてな。 鎌倉時代から室町時代ごろに、こさえられたらしい。 ただな。城に関する資料のほとんどが、 天正13年(1585)の戦火で、寺や神社と一緒に焼失しちゃってな。 詳しいことさ、わかんないんだ。 ちなみに天正13年の大事件といえば。 羽柴秀吉が、関白になった年らしい。 あ、なんか、年代だけじゃなくって、大御所の名前さでてくると、 あの頃の話か~。って、イメージしやすいな。 もっと古い話かな、って思ってたっぺ。 そうそう。天正13年に『太平山』で、戦があったって話も、聞いたど。 小田原の北条氏が、『太平山城』に攻め込んできたんだと。 攻め込まれた皆川氏側は、奮戦するけど、負けちまったらしい。 寺や神社さ焼けちまったってのは、こんときの戦なんだべか。 で、な。そんときの戦の跡らしい場所が、残ってるんだと。 城好きさんは、うずうず、すんじゃないけ? どっからいけるか、っていうとな。 まずは、いったん『太平山神社』まで、もどるんだ。 んで。昨日のブログさ載せた、岩壁んとこにある、小さな神社までいくんだど。 これが『愛宕神社』と『八幡神社』『愛宕神社』は『火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)』をお祀りしてて、 火防・盗難 にご利益があるんだと。 んで。『八幡神社』は、勝負運にご利益さあんだと。『誉田別尊(ほむだわけのみこと)『比売神(ひめがみ)』『神功皇后(じんぐうこうごう)』 が、文明の発展を。『八幡神(はちまんのかみ)』が、武運・勝負運を 守護してる神様なんだって。 この横にな。岩壁さ登るように、ハイキングコースさあんんだけど。 こっから、いくんだべ。 登りはじめは、こんな階段道。『あじさい坂』よりも急でな。登りづらいけど、ま、なんとか登れんな。 よいせっ、よいせっ、と登っていったら、道がこんなんさ、なってた。 あ、一応いっとくけど。これは横の壁じゃ~ないど。 道の真ん中。 ここは・・・う~む。登れっかな~。 でもな~。ここで帰ったら、後悔すんだべな~。 ってことで。登っちゃったど! ま、まあ、なんとか。どこらせっと、木の根っこさ乗り越えて。 山をぐるっと回り込むように、坂道さ上がってく。 やっとこ道が、広く、歩きやすくなってきた。 ええと、この辺に、怪しい広場さあったんだ。 写真さ撮ったと思ってたら、なかったんだけど。 小さな広場でな。『櫓跡』らしい、っていわれてる場所なんだって。 ちょうど、岩壁の真上あたりに出んのかな。 だとしたら、見張り台にちょうどいい場所だべな。 さらに、わっせ、わっせ、と歩いて行くと、やっと到着!『奥宮』だっぺ!『太平山神社奥宮(おおひらさんじんじゃおくのみや)』は、『天目一大神(あめのまひとつのおおかみ)』をお祀りしてて、 天下太平・製鉄関係の産業発展・諸願成就に、御利益があるんだと。 ここも、小さな広場になっててな。 昔は曲輪だったかも? って話だど。 だども、狭くてな。物置ぐらいしか、建てられそうにないな。 さて。こっから、さらに奥に向かうハイキングコースさたどっていくと、『本丸跡』っていわれる、『浅間神社』さ、着くんだけど。 残念ながら、今回はここで、リタイヤしちゃったっぺ。 う~ん。ここまで2~5分ぐらい、歩いてきたんだけど。 調べた道のりよりも、険しく感じたんだ。 帰り道もあるし、さっきの木の根っこも、 もっかい、乗り越えなくっちゃなんないし、な。 残念だけど、また、次の機会ってことで、あきらめた。 ちなみに、こっから先は20分ぐらい山ん中を歩くらしいど。 いくつか、険しい道を乗り越えて行くと、『石垣』とか、『虎口』とか、『本丸跡』の広場があるらしい。 『浅間神社』には、城跡に関する案内板もあるそうだから、 興味と体力さある人は、足下さ気をつけて、行ってみとこれね。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.16
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「太平山」 今度は山の下も、みてみんべ。 ふわ~ぁ!びっくりしたべ~! 木、ばっかしだど~。 今まで歩いてきた道が、さっぱし、め~ない。 方向は神社から向かって、東側。『あじさい坂』が、ある方向なんだけど。 石の鳥居さ、みえたがら、 そこさ歩いてきたんだな~、って かろうじて解ったぐらい、深い森だっぺ。『太平山』は、標高約345メートルの山でな。『太平山神社』は頂上より、ちょこっと低いとこにあんだけど。 こったら景色、滅多にみれないんじゃ~ないけ? 右の端っこに写ってんのは、神主さんの家じゃ~ないかな。 それ以外は、背伸びしても、角度さ変えても、ぜ~んぶ、緑なんだ。 あんなにでっかくて、感動した石垣も、ぜんぜん、みえない。『随神門』も『六角堂』も、ぜんぜんみえない。 ・・・ちと、寂しいな。『太平山』は、な。 昭和30年(1955)に、『太平山自然公園』に指定された区画の中に、あってな。 栃木市・下都賀郡大平町・岩舟町の間に広がる、 面積1,067ヘクタールもある、自然公園なんだ。『太平山神社』から見える景色は、自然公園の東側でな。 あの辺は、栃木市になんだべな。 この辺は市と町の境目が、山のぎりぎりんとこにあってな。 わかりにくいんだ。 神社からの景色さ、堪能したら、今度は右のほうさ、いってみんべ。 神社の横の岩壁を眺めながら、もっと奥さいくんだど。 しかし、この岩壁も、すげ~な! 人がこさえた石垣も、見応えあっけどな。 自然がこさえた、石の壁ってのも、ほれぼれしっちゃうど。 触ってみたいけど、触っちゃいけないみたいな。 崩れそうで、崩れない、力強さと緊迫感。 ぞく~っと、しちゃうどw。 石壁のパワーに、ノックアウト!だべ。 んで、足下ふらふらで、たどり着いた先は、休憩所だった。 太平山名物のお団子とお茶が、楽しめるんだ。 おお~!すごい眺め~! お手洗いさ、探してたんだけど、端っこにいってみたら、崖になっててな。 下の景色が、よ~く見えたんだ。 方向から推測すると、栃木市市内の町並みだべな。 もう一枚。 わかっかな? 地上にくっきりと黒い影があんね? 雲の影だど。 この日は、晴れたり曇ったり、時々風も吹いたりしてたんだ。 だから、上空に雲が浮かんでてな。その影が、地上さ落ちてるってわけだ。 や~、こんなん、初めてみたど。 まるで航空写真、みてるみたいだべ。 頭ん中、空っぽ。 今まで見てきた石垣とか、神社とか、み~んな吹っ飛んじゃった。 そんぐらい、感動すっから、ぜひ、みにいっとこれね。 晴れた日は、最高~!だど!! あ、ちなみに、お手洗いは、この展望台の下にあったっぺ。 階段さおりていくと、小さな駐車城さあって、隅んとこにあった。 きれいなお手洗いでな。ぽっと、安心できるど。ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.15
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「太平山神社」 やっと頂上さ、ついたど。『太平山神社』だべな。 『太平山神社』はな。 第53代・淳和天皇が、風水害や疫病に苦しむ人々に心を痛め、「下野国の霊峰三輪山に転化太平を祈る社を造営せよ」 と言われたのが、きっかけらしいべ。 さらに、『太平山』の歴史は、古くってな。 周辺からは、古い時代の祭祀遺跡や祭祀遺物も、出土してんだと。 昔っから、山に対する信仰さ、あつかったことが、わかってんだ。 祀られている神様は 日の神であり・太陽のように命を育む『天照皇大御神(あまてらすおおみかみ』 月のように人々に安らぎを与える『豊受姫大神(とようけひめのおおみかみ)』 星のように人生の道案内をしてくださる『瓊瓊杵命(ににぎのみこと)』 この三人の神様を中心に、たくさんの神様がおられるんだど。 本殿の下には3つの鈴が下げてある。 神様に由来してんのかな。 正面にある石は『撫で石』。 撫でると、災厄を祓い、霊験を得るっていわれてんだと。 左に狛犬さま。 右にも狛犬さま。 ここの狛犬さまは、角が生えてたど。 平安時代や鎌倉時代ごろの、古い狛犬さまはな。 獅子さまと狛犬さまが、左右を見張っていたんだけど。 狛犬さまのほうには、角さ生えてたって聞いたべな。 んで、獅子さまのほうは、巻き毛が特徴、とか。 ほ~う。角さ生えてる狛犬さまさ、はじめてみたけど、 ちと、怖い。近寄りがたいな。 これは『交通安全神社』。 お祀りされているのは、『猿田彦命(さるたひこのみこと)』 よ~くみっと、奥に小さな狛犬さまらしき姿がw。 それに、左右に鶴の置物があんだけど。 この鶴にも、なんか謂われさ、あんのかな。 ここは『福神社』。『天之受売命(あめのうずめのみこと)』『恵比寿神(えびすのかみ)』『大国主命(おおくにぬしのみこと)』 が、祀られてな。 芸能上達・縁結び・商売繁昌・五穀豊作に、御利益があんだって。 なるほどな~。だから、ここの正面には 狛犬さまじゃ~ないんだな。大黒さまかな? 恵比寿さまかな? 七副神の神様が、おられるど。『星宮神社』。『磐裂根裂神(いわさくねさくのかみ)』『天之加々背男命(あめのかがせおのみこと)』 を、お祀りしてある。 学問成就・雷除け・豊作・芸能上達・子受・安産にご利益さあって、 さらに、女性の守護神でもあんだって。 真っ赤な建物は、外から見るだけでも、圧巻だけど。 中もすごいらしいべ~。 龍の絵や、狛犬さまもおられたみたい。 あんまし神社さ多いんで、素通りしちゃったんだけど。 今度いったら、覗いてみたいべな。 左から『太平山稲荷神社』『三輪神社』『足尾神社』 え~と、向こうのは、なんだっけ。 いろんな神様のおられる、長屋みたいな神社だべ。 こんなかで、おもしろかったのは『足尾神社』かな。 大きな草履さ祀ってあってな。不思議な光景だったど。 足腰の健康に関する神社でな。 ここさお参りして、足のけがや病気さ治った人が、 新しい履き物を、奉納してるんだと。 これでも、目立つとこだけ、ざ~っと見てきたんだけど。 は~、まいったべ~。 こったらたくさん、神様さ、おられたら、 どちらさまに、お祈りしたらいいんか、わがんねぐなっちゃうど。 悩んだあげく、代表して、本殿の神様さ拝んできた。 お賽銭も、合同で。ちょこっと多めに、入れといた。 え~と、神様たち、怒ったりしないべな? だって、全部まわってたら、日がくれっちゃうもの。 だいじだよね? だども、なんで、こったらたくさん、神様さ集まってんだろう。 そういや、他の神社でも、たくさんの神様が、一緒に祀られてたりするよね。 神様みんな、賑やかなんが、好きなんかな。 《参考》 太平山神社のホームページ ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.14
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「三光神社の鳥居」 神社の入り口、鳥居が見えてきたど。 一息ついて見上げると、鳥居に『三光神社』って書いてある。 おんや? 違うとこさ、きちまったかな? だども、道はまっつぐで、間違いようは、ないんだどもな。 ええ~とな。『太平山神社』はな。 明治維新のころまで、『三光神社太平山権現』っつってな。 月、日、星の三光天子を祭神として、お祀りしてたらしいんだ。 鳥居に『三光神社』ってあんのは、そんころの名残らしいど。 や~、いかったな~。 ここまで来て、迷ったんかと、びっくりしたど~。 なんか、変な汗っこ、出てきたよw。 汗っこ、拭き拭き、目をやると、右側に、石垣w。 お~う! これも古いべな~。 そんでもって、なが~い。 横が細道になってんだけど、ず~っと石垣になってるみたい。 どこまで続いてんだべな~。 この道は『太平山城』の、曲輪と曲輪をつなぐ道だったっていう、噂だど。 ほんとかどうかは、知らないけんど。 階段の左のほうに、広場があんのは確かだべ。 神社の敷地みたいなんで、いかなかったけどな。 んじゃ~。右側は、なにさあんのかな~。 石垣さ、たどっていきたい衝動さ、沸き起こってきたんだけど。 ぎゅっとおさえて、鳥居の奥さ前進! 頭は興奮してるせいか、元気いっぱいなんだけど。 体はな。もう、ばてばて。休まなきゃ、へばる~、っていってんだ。『太平山神社』さ上がれば、ベンチさあったはずだから。 ひとまず、そこさ、座んべな。 これが、神社の前。『神門』っていうんかな。 なんか、ちょっと変わった格好さしてんだ。 それとも、下んとこさ、コンクリートで固めて、補強さしてあっから、 変にみえるんかな。 門は、古いな。いつのもんだろ? 正面の板は、擦れっちゃってて、なんも見えない。 昔は、絵か文字さ、書いてあったんだべな。 門の奥に、ちらっと。『太平山神社』の一部さ見えた。 あともう一息。目の前の階段さあがれば、ゴールだど! 一歩一歩、慎重に。 最後の最後でこけちゃったら、神様さ、笑われっちゃ~どw。 さあ、最後の一歩。 いつ来ても、最後の一歩は、なんか、どきどき、するべ~。 神様の領域さ、入るせいかな。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.13
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「太平山神社前の石垣」 階段さ、登るなんて、退屈だな~、なんて、ぼーっとしてっと こっからさきのお楽しみさ、みのがすど! 足下さしっかり、支えながら、目ん玉みひらいて ついてきとこれね。 まずは、これ。 登り初めて、真っ先に目に入った、不思議な光景。 石でできた土台のようなもんが、4つほど。 階段脇さ、こさえられてんだ。 反対側も、おんなじだど。 右と左に、4つずつ。全部で8つ。 最初は石灯籠さ、支える土台かな~、って考えたんだけどもな。 上の平らな部分が、広すぎんだよ。 上からみたっとこ。わかっかな? 周りの石っこが、石垣んとこな。 石灯籠さ、真ん中に、おいてあっけど、そんでもスペースさ余ってっぺ。 畳で、3畳分ぐらい、あんじゃ~ないかな。 左右におんなしもんがあるってとこも、ポイントだな。 う~ん。なんかの建物の支柱さあったかな? 鳥居とか。 それとも、大砲の砲台とか? 前んとこのブログで、『天狗党』が籠城してたって書いたんべ。 だもんで ここんとこに、大砲さすえたら、強固な守りになんじゃ~ないかな、なんてな。 考えちゃった訳だっぺ。 なんだべな~、って悩みながら歩いていると、 古そうな石垣と、大きな岩の塊がおいてある。 なんか、書いてあんね。『綾川五郎次 受け止めの石』だって。『綾川五郎次』っつうのはな。江戸時代に、活躍した力士でな。 2代目の、横綱になった人だど。 少年時代から、強力で有名だったんだけど。 太平山で修行をしていたとき、崖の上から大きな岩さ、落ちてきてな。 それを、わっしと、受けとめた。 そんときの岩が、階段脇に置いてある『受け止めの石』なんだ。『綾川五郎次』は、人気力士だったみたいでな。 他にも大宮市の薬師寺堂境内に、『綾川地蔵』さ、寄進したって話だべ。 (『綾川五郎次』について、くわしく知りたいかたはこちら) ちなみに、初代の横綱『明石志賀之助』は、宇都宮藩の生まれでな。 やっぱし、子供んときから、怪力で有名だったんだって。 どちらの力士も人気物になって、江戸で名をあげたんだ。 すごいね。2代続けて、栃木に縁さある人が、横綱さ、なったんだど。 こりゃ、自慢しても、いいかなw。 どんどん登ってくと、こんな『石垣』も、あったっぺ。 2段さなってるように、見えるけど。 城跡かな~。それとも、神社の守りかな~。 草に埋もれてっとこさみると、かなり昔のもんに見えるけど。 復元したら、どんな状態さなんだべな。 ああ、妄想さ、広がるど~。ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.12
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「随神門の狛犬」 よし。疲れもとれたし、出発すんべ! っと、その前に。『随神門』の裏っかわって、どうなんてんだんべな? 変なとこさきになって、振り返ってみたら、 あらま? 狛犬さま! おしりのあたりさ、欠けてるみたいだけど。 たしかに、狛犬さま。 こったらとこで、なにしてんの? 右の隅にも、おられる! こっちは、おしりが、ほとんどない。 地震のせいかな? それとも、自然の風化? 誰か、ぼっこしたんじゃ~、あんめな。 罰さ、あたっど~! だども、一番の疑問は、狛犬さまのおられる場所だべな。 門と階段の崖の間。もう、狛犬さまだけでいっぱいいっぱい、っつう、 せまいばしょさ、押し込まれてたんだ。 そのせいか、誰も気づかず、通り過ぎてく。 もったいないな~。だってな。ここの狛犬さま。 崩れてっけど、よ~くみっと、変わった形さしてんだよ。 まずは、足だべ。 おしりを持ち上げて、前足さたおして。 悪りことすっと、飛びかかっと~! って、威嚇のポーズさ、してる。 『かまえ型』っていう形の狛犬さま、なんだと。 そして、注目は、頭。 よ~く、みとこれね。なんかに、似てないけ? そ、なんだ! カッパだど。カッパの頭さ、似てんだっぺ。 ま~るく丸めた感じと、周りの毛。 あ、ザビエルさんにも、似てるべなw。 ほら、キリスト教さ伝来させた、ザビエルさんw。 もしかして、狛犬さま。 キリスト教さ、宗旨替えしたのかな? んと、最後んとこは、冗談だけどw。 どんな由来さ、あんのかな? こりゃ、ますます、狛犬さまから、目さ離せなくなっちゃったど。 ど~すんべ。 ずるずると。なんとか、狛犬さまから、離れて、階段さ登る。 振り返ると、もう、狛犬さまは、崖と木に隠れて見えない。 名残惜しいけど、しゃ~ないな~。まだ、上さいかなくっちゃ。 見たいとこも、あっしな。 ここの階段は、『あじさい坂』と違って、段差が急だど。 頂上さ、近づいてっかんな。山の斜面自体が、急なんだ。 さ、今度こそ、最後の階段だど! 気合いさ、入れてこ~! 《栃木弁 注: ぼっこす(ぼっこわす)= 壊す。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.11
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「随神門」『あじさい坂』の頂上さ、到着~! ごくろうさまでした。 さて、頂上でお出迎えしてくれるのは、真っ赤に彩られた門。『随神門』だど。 だども、『あじさい坂』と『随神門』の間には、車道さあっかんな。 飛び出すと危ねえぞ。 ここまで登ってきて、足も腰も痛いだろうけど。 慌てずに、安全さ確認してから、渡っとこれね。 車道に沿って、『随神門』の右に進んでいくと『大曲り』って名前さついた、駐車場があるんだ。 だもんで、車が結構頻繁に、通るんだよ。 名前から、『曲輪跡』かな? って、連想したけど。 今回は、体力の都合もあんので、いかなかった。 どんなんだろうね。 さて、『随神門』の話だべな。 『随神門』は、享保8年(1723)。 徳川8代将軍・徳川吉宗公によって、建築されたんだって。 表には『左大臣と右大臣』が、裏には、『仁王像』が配されてるそうだど。 『左大臣と右大臣』が、門の奥にある神社に、 邪悪なもんが入り込まないように、警備している。 これが、『随身』っていう役目でな。 『随身』を納めた門ってことで、『随神門(随身門)』っていうんだと。 ここの『随身門』の場合は、『仁王像』も一緒に、おさまってんだけど。 神仏分離令さ出る前は、神社とお寺さ、上にあったから。 そんときの、名残なんだって。『随神門』の前は、疲れた観光客の方たちが、腰を下ろして休んでる。 一緒に、一休みしながらな。『随神門』さ、みあげてたら 首っこ痛くなっちゃったよw。 中に入ってみると、天井に、絵らしき跡があった。 帰ってきてから調べてみたら、『五楽院法眼等随』の筆で描かれた、龍の絵らしいんだけど。 影も形も、ありません。もったいない。 っつうか。保存さ悪くて、罰当たりそうだよ。 だいじかい?『五楽院(法眼)等随』って人は、本名を『秀融』っつってな。 宝暦元年(1751)生まれ。天保13年(1842)、91才で亡くなった。 どういう人だったか、わからないんだけど。 刀匠から、彫工に転向した『磯部家』って家系の出らしいど。 う~ん。彫刻の世界も、広くてな。 素人にゃ、難しな~。 だども、栃木県や茨城県の周辺に、作品がたくさんあるみたいだど。 もしかすっと、今まで歩いた神社やお寺にも、『磯部家』がこさえた彫刻さ、あったかもしれないね。 こわごわと、絵の真下を通り過ぎると はい。また、階段だど。 『太平山神社』さ、向かう階段だよ。 あじさい見物に来た観光客さんは、ここで引き返しちゃう人が多いんだ。 でもな。せっかくここまで登ったんだから。 もちっと、がんばって、登んべな~。 ぽちっと、お願いします だべ。にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.10
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「石垣と天狗党」『石垣』ば~りみてたから、気づくのが遅れたけど。 広場の真ん中に、立て札さ、あったど。 拡大してみっと『水戸天狗党本陣跡』って書いてあるべ。 『天狗党』ってのはな。 元治元年(1864)。筑波山付近で蜂起した、水戸藩の尊王攘夷派のことだど。 この辺の歴史は、さっぱしわかんないんで、詳しい出来事は、知らないんだけど。 日光参拝を済ませた『天狗党』の一行が、周辺の警備をさけ、 一時、『太平山』に拠点さ、かまえてたらしいんだ。 そんとき、こもった『連祥院別当所』の跡が、ここらしいど。 あ!じゃあ。ここの『石垣』って、『城跡』じゃなくって お寺の石垣跡なの? うわ~! ショック! でもでも、やっぱし、『城跡の石垣』みたいなんだけど。 ちがうんけ? あ、そだ! 話さ変わっけど。『あじさい坂』の下にあった『六角堂』、な。 正式名称は『連祥院六角堂』って言うんだと。 んで、『連祥院』のご本堂でも、あんだって。 つまり、『石垣』の上には、下の『六角堂』の別当所さ、 あったってことなんだな。 だども、ここの広場は、建物さ建てられるほど、広く見えないんだけんど。『天狗党』は、大砲とか持ち込んで、警備さ強化したって聞いたけど。 ここは、見張り台みたいな場所だったんじゃ~ないかな。 そこで、ふと、思い出したんだけど。 ここからちょこっと、上がったとこに、な。 不気味な門が、あったんだよな。 これだど。 みたとこ、そったら昔のもんじゃ~、ないみたいだけんど。 なんか奥にありそうな、感じなんだ。 案内所でもらった、地図によると。 近くに『旧学問所』ってとこが、あるみたい。「栃木県の学校発祥地で、水戸の天狗党が旗揚げしました(パンフから引用)」 って書いてあっと。 う~ん。でも、場所がちょこっと、違うかな。『旧学問所』跡は、階段から右の奥にある、 ハイキングコースの近くにあんみたいだど。 階段沿いじゃ、ないみたいだべ。 そんじゃ~ もしかして。 こっちの門の奥が、ほんとの『連祥院別当所』跡なんじゃないけ? な~んで、考えちゃったよ。 んで、下の『石垣』は、『城跡の石垣』! (まだ、こだわってる) あいにくと、門は閉まってて、奥さ見れないし。 詳しい状況さ書いた、案内板はないし。 資料も手に入いんない状態なんで、想像なんだけど、な。 しゃ~ない。 考えてても、わかんないんで、後は研究者のかたにおまかせすんべ。 階段は、まだまだ、続くかんな。 はい。階段は、こんな感じだど。 だども、上に赤い門が、みえんね。 あれは『随神門』。 あそこが『あじさい坂』の終点だど。 さ~もう一踏ん張り。いくど~! だども、油断しちゃいけね~べ。 こっから先も、みっとこいっぱいあんだかんな。 階段の両脇に、ある『石灯籠』。 これも、古そうだべな。 そして、『石灯籠』の奥の、謎の石垣。 さらに、森の奥に目をやれば・・・わあ~お!石垣! 暗くて写真じゃわかんないけど、肉眼だったら、みえるかんな。 じ~っと森の奥さ、探ってみとこれね。『城跡』だったとしても、『寺跡』だったとしても。 こったら大きな規模の、石垣の跡さ残ってるって、すごいと思うんだ。 山全体に、石垣さこさえてあるみたいに、みえんだもんな。 そして、上には、まだまだ、歴史的な建物が、たぐさんあんだ。 多すぎてなにがなんだか。わがんねくなっちまうよ~w。 さて。 今日はどっちの、ぽちっと、押してみる? にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.09
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「石垣 2 上っ側」『石垣』に沿って、階段さ上がってくと、杉の大木が現れた。 ちょうど、『石垣』も、カーブになってっとこだど。 この大木さ、避けるために、石垣さ曲げたんかな~。 それにしても、ぶっとい杉だど。 これも、歴史がある木なんだべか。 道は坂になってるんで、だんだんと石垣の上にでるような、道順さなってる。 んで、先さ、気になったんだけど。 大木と石垣の両方に、目を奪われちゃってな。 ゆっくりと、左右をみながら、上がっていったっぺ。 やっと、『石垣』の上が、見えてきたど。 おんや? あの先は? 2段構えになってるべ。 さらに近づくと、手前の石垣と、後ろの石垣の間に、 空間があんのが、はっきりわかった。 ここは、奥へ通じる道なんかな。 よく見ると、奥のほうに、広場みたいな空間がみえたんだ。 いってみっかな? って思ったんだけど。 足下さ危ういんで、あきらめた。 草と木が、みっちり茂ってっかんな。ちと、危ないって気がしたんだ。 でもな。もし、木とか草とかがなかったら。 前の石垣んとこまで、空間さ広がってたかもしんなど。 すくなくとも、こっからだと、つながってるように、見えたから。 もしかして、広い曲輪だったんかもしんないな。 これは、入り口んとこの、石垣部分。 すてきな角っこ! 草の生えたとこも、すてきだべ。 しかし、よく、こったらぴったりと、石っこさ、くっついてるもんだべな。 みんな、形も大きさも、違うのに。 長い間、ここさあっても、崩れないんだもんな。 もちろん、セメントなんか、使ってないんだど! 手で押したぐらいじゃ~、びくともしない。 昔の人の技術って、すごいべな~。 そんでもって、今まで残ってるって事実も、すげ~べな。 もう。全部ひっくるめて、最高だど! 登ってきた甲斐さ、あったっぺ♪ ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.08
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「石垣 1 前面部分」 振り返って、発見したもんは、これだど。『石垣』だべな♪ それも、でっかいべ~。 高さは、たぶん3mは、ある。と思うけど。 いんや~! 凄すぎて、よくわかんないやw。 広さは、どんぐらい? 階段の奥まで、続いてるど~。 これって、『城跡の石垣』だよね? だども、不思議なことに、入口でもらったパンフには なんにも、説明さ書いてないんだ。 おまけに、ホームページで調べても、どこにも載ってないの。 おかしいべ~。こったらすごいもんみたら、 城好きさんなら、写真撮りまくりじゃ~ないんけ? なんで、載ってないんかな? 城跡じゃないの? ちと、不安。 だども、写真はみっちり、撮って来たべw。 近づいて、みあげっと、はっきりわかるど。 尖った角っこ。 よいね、よいね~♪ こんなの、本でしかみたことない! だから、ほんもんかどうか、さっぱしわかんないけど。 ぞくぞくしてきた~w。 足元に注意しながら、もう一枚! 奥の曲がり角なんか、最高だっぺ~! や~、ここまでの疲れさ、ぶっとんじまったどw。 でも、資料がないんだよな~。 だから、これがなんなのか、さっぱしわかんない。 城跡じゃないんなら、それでもいんだけど。 だったら、これは、こういうもんなんだよ~って 案内板、立ててくんないかな。 振り返って、もう一枚。 これって、いつごろ築いた石垣なんだべか。 組みかたとか、どう? 戦国時代とかの組みかたけ? もし、ほんとに、『城の石垣』だったら、『唐沢山城の石垣』より、絶対、凄いど。 っていうか。 栃木県じゃ、『石垣』の残ってる城跡なんて、滅多にないから。 大騒ぎになんじゃ~ないけ。 どう思う? ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.07
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「神橋と子易地蔵」 出発前に、ちょっと、振り返ってみた。 今まで登って来た「あじさい坂」が、よく見える。 ちょうど、お日様がさしたところだったんで、ず~っと先まで、はっきりみえたど。 よぐ登ってきたな~。 ここら辺で、半分ちょっと、ってとこかなw。 あ、画面の端っこに、ちょこっと見えるのは、なにかの建物らしいんだけど。 解説が読めなくて、な。 だども、『吉宗公』の名前がみえたから、興味のある人は、じっくりみとこれね。 さて、先進! 鳥居の横さ回って、石段を進むど! だども、まだまだ、ず~っと、石段さ続く・・・ ふと、坂の横に目をやると、 綺麗な水が流れる、水路さ、あった。 なごむべ~。 よくみっと、水路の石もおもしろい。 茶色っぽい色してっけど、これは昔のもんかな? それとも、道の整備んとき、こさえたもんだべか。 水路と水の流れる涼やかな音に、癒されながら歩いていくと、 赤い橋が現れた。『新橋』っつってな。 昔の参道は、この橋の上を通ってたみたいだべ。『新橋』の下は、水が流れてる。 さっきの水路の水は、ここから流れてたんだべな。 ちと、傷みがはげしくて、色さ禿げちまってんのが、残念だな。 橋の下と周辺の石垣は、いい感じに残ってるw。 他の観光客たちの目を気にしながら、遠くから、じっくりと鑑賞。 あれ? 橋の土台と、手前に見える石垣は、な~んか違う? 作られた年代が、違うんかな? いや~。目が悪いんで、そったらふうに見えただけかも、知んないけど。 どうだんべ? そうそう。ここにはもう一つ、見どころがあんだよ。『子易地蔵(こやすじぞう)』っつってな。 春日局が、将軍の世嗣誕生を祈願した、って言い伝えのある、地蔵さまなんだ。 この辺りの崖の上にあるっていうんだけど。 どこだべか? ちらっと、地蔵さまのお姿を、拝見したような気もすんだけど。 いや~。石垣ば~しみてたからw。 ちと、気付かなかったっぺ。 この辺にあっことは、確かだから、探してみとこれね。『新橋』を過ぎると、横っちょに、『水屋』がある。 水は飲めるんか、わかんないけど、手が洗えるど。 並んで順番さ待つ間に、周りに積まれた石たちを眺める。 形が整ってるし、積まれた形跡もあっし。 これは、自然のもんじゃないど。 城跡かな? どんなふうに、使われてたんだろ? 謎だっぺ。 さっぱりしたとこで、先に進む・・・んだけど。 前方の景色に、目を見張るもんが、で~んと構えてた。 ひゃ~、びっくりだべな。 こったら、すごいもんだったっけ? 何に、驚いたのかって? 長くなっちゃったんで、それは、また明日な! 《参考》 太平山神社のホームページランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.06
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「大平山神社の入口」 茶店をすぎて、さらに上さあがる。 と、大きな鳥居さ出現したど。 ここが、昔の『大平山神社』の入口なんだ。 写真さ見て欲しかったんだけど、光の関係で、写ってない。 こめんね~。 だども、 ここで、ちと足さ止めて、鳥居さみとこれね。 よくみると、なんか、今までの鳥居と、違うんだ。 この鳥居。道からちょっと、離れてて、そっぽ向いてるべW。 これは、昔の参道が、左側寄りに、こさえられてたからなんだ。 鳥居の下さ通ってな。奥へ登ってくみたいなんだけど。 今は通れないみたいだべ。 もう一つは、ここ。ここさ、みとこれね。 鳥居の足元に、文字さ刻んであっと!『浅草・材木町』 大平山と、どんなつながりだい? 調べてみたど。 江戸時代の話なんだけど。江戸~栃木間は、河川を通じて 商船が頻繁に行き来してだんだ。 だもんで。『太平山神社』には、『蔵稲荷(くらいなり)』っていう、 両国あたりの商家に信仰されてた、お稲荷さまも、祀られてんだと。『太平山神社』も、江戸・浅草の商人たちに信仰されててな。 そったら縁で、『浅草・材木町』の人びとが、『太平山神社』に奉納したものが、この鳥居なんだと。 さらに、も一つ。 鳥居の上に掛かっている文字だけど。『太平宮』って書いてあんだ。 この文字は当時老中を務めていた、松平忠信・筆と伝えられているとか。 そうなんだ。知らなかったな。 眩しくて、あんましよく、みえなかったから、 今度いったら、じっくりみてみっぺ。 それから、忘れちゃなんねぇ~、かわいいやつら。狛犬さま。 鳥居の足元には、狛犬さまもおられるべ。 右っ側の狛犬さま。 んで、左っ側の、狛犬さま。 お尻に苔さ生えちゃってるよW。 2頭の狛犬さまは、なんか中腰みたいに見える。 今にも立ち上がりそうな。ちょっと中途半端な姿勢。 疲れないんかな~? だども、もじもじした腰つきが、愛嬌さあんなw。 頭さ、なでなで、したくなっちゃったど。 狛犬さまも、堪能したし、次いくべ。 だども、その前に。 ここにはトイレもあっからな。 しっかり用足しして、体調さ、整えとこれ。 こっから上は、今までの『あじさい坂』と雰囲気が、かわっかんな。 歴史好きなかたには、こっからが楽しみポイントなんだけどw。 ってことで。 準備さできたらはりきって、先さ、いってみよ! 《参考》 太平山神社のホームページランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.05
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「窟神社の周辺の空き地」 さてと。『窟神社』のお参りも終わったし、『あじさい坂』さ戻っかな。 で、振り向いたら、入って来た方向の石垣が目に入った。 こっちから見た石垣も、見物だな~。 堀んとこの継ぎ目さ、わかっかな? この辺、ちと、ただもんじゃ~ないな。 さらに、反対側の出口。 『堀神社』さ背を向けて、右手側は、こんな感じ。 こっちも、侮れない、景色だど。 こっから上に行くには、 急な坂道に、こさえられた石段を、 あがんなくっちゃ~なんない。 向こう側から入った時には、少し坂かな? ってぐらいだったんだけど。 こっち側は、高低差が、激しいど。なんでだろ? だども、階段の横さ見える石垣は、引き込まれっちゃうな~。 石段の横にある、沢水を引いてあるらしい、堀も、古そうな石積みだし。 なにか、ありそうな予感さすっと。 だから、 とっこら、よっこら、上がって行ったべ。 すると、上は広場になってた。 つってもな。 人の手が、ほとんど入ってないみたいでな。 草はないけど、地面はでこぼこ。 左手奥に、東屋みたいな休憩所があったけど、 ちと、ぼろぼろ。 あれ? あそこはさっき『窟神社』さ入るとき、 通った石垣の、上じゃないけ? それによくみっと、向こうの石垣付近は、一段高くなってるみたい。 ここって、いったい、なんだべな。ただの広場じゃ、ないど。『あじさい坂』の途中には、 小さな物置小屋が、建てられるぐらいの広場が、いくつかあったんだけど。 ここの広場は、規模が違うど。 う~ん。一軒家ぐらい、建てられっかな。 さらに、広場の右手側を見て、びっくり! なんて、素敵な石垣! これは、もう、絶対に、城跡だべな! ちょっと足元が危うかったんで、近寄れなかったんだどもな。 やっぱし、ここは、なんかあったんだ~、って思える跡だど。 もしかして・・・曲輪け? で、ふと考えた。 ここって、水飲み場だったんじゃないかな? 洞窟内に、水はたんまりあるし。沢の水も、引いてあるし。 山城で、水の確保は、死活問題になんべ? こったら、なみなみとした水場を、ほっておくなんて、もったいないど。 広場に建物さこさえて、兵の詰所さつくれるし。 あ、武器庫、とか倉庫でも、可能だべな。 な~んてことさ考えながら、右側の石垣さ見上げると 上は休憩所を兼ねた、茶店になってる。 すると、あそこにも、曲輪が、あったんだべか? 上の場所まで、曲輪の敷地に含めたら、いったい、どうなんだべ。 どんな、施設さ、こさえられんだべか? 素人には、さっぱし、わかりません。 ああ、くやし~。専門家のかた、ぜひ発掘調査してください! こっち側の出口にも、小さめの石の鳥居さあった。 ぼげっとしてたら、ぶつかりそうになっちまったよ。 広大な景色と空想に、酔っちまったんだべな。 や~、楽しい空想散歩だったべな。 満足、満足。ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.04
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「窟神社と弁財天」『あじさい坂』を登ってくと、道の脇に小さな石の鳥居さあった。『窟神社』っていうらしい。 以前は通り過ぎちゃったんだけど。 今回は、ちょこっと、おじゃましてみた。 初めての場所なんで、緊張すんな~。 山の中のあるのかな、と思ったら、 おおう。石垣! お城に関係する石垣かな? 違うかな? かなり、古そうだど。 さらに奥へ侵入すっと・・・階段だ! まさか。ここさ、登れって、言わないよな~? 急だと!それに、なんか、途中で途切れてないけ? 左手に、洞窟が見えた! あそこが『窟神社』だ~。 ああ~、よかった。階段の上じゃなくって。 あんなとこ、登れないもんな。 って、安心すんのは、まだ早いべ! 手前に、深い堀さあっから、気ぃつけないと、危ないべ。 だども、横の石垣、いいな~♪ 堀の石積みも、なんか、歴史がありそうで、興味さそそるな~♪ って、見惚れてる場合じゃ~ない。 地面に傾斜かあんのかな。 ほんとに、気をつけないと、落っこちる。 そろそろと、橋を渡って、やっとこ到着。『窟神社』だべ。 実際の距離は、『あじさい坂』から2分もかかんない近場だど。 んでな。『窟神社』は、巨石の下が池になっててな。 奥には『銭洗弁天』が、お祭りされているらしい。 残念ながら、水が濁ってってな。 おまけに水嵩も増してて、奥まで覗けなかったかんだけど。 入口んとこに、白い弁天さまらしい御姿が、祀られてるんで、 こちらに、お参りしてきたべ。 弁天さまの後ろに、変な物体さ、発見! なんだべな? なんだか、鬼瓦みたいな形さしてんど。 横に木の札さあって、なんか書いてあんだけど。 ・・・読めん。 ええ~とな。 入口でもらった『太平山マップ』によると。 この辺りに鎌倉時代の『坂碑』というもんがあるらしい。 これ? じゃ~ないよな。 ん~? じゃ、これも神さまなのかな? よくわからないけど、悪いもんじゃ~ないべ。 一緒に拝んどこっと。なむなむ。 ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.03
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「あじさい坂」 さて。今度こそ、『あじさい坂』さ登っと。『六角堂』付近から、坂の上の様子さ窺うけんど、先さ見えないな。 『あじさい坂』は何度か来てっから、わかってたんだけど。 一歩踏み出込むまでは、勇気さいるな~。 この辺は、ちょっと階段が違うど。 段差があっけど、苦になるほどじゃないから、安心して歩いてだいじだど。 ただ、雨っこさ降ると、滑りやすいから、気ぃつけとこれね。『あじさい坂』は、昭和49年(1974)に、 地元の『ライオンズクラブ』の人たちが植樹したもんでな。 太平山神社表参道の両側に、約2,500株のあじさいが植えられてんだと。 種類は、西洋あじさい、額あじさい、山あじさい、だって。 すごいべ~? 全部が満開になったら・・・参道は、あじさいだらけだな。 坂を覆ってる石段は、『太平山』て産出する石を使ってこさえられてんだど。 積みかたも、ちょこっと変わっててな。『のづら積』っていうらしいべ。 へえ~。味があって、茶色い風格なんかが、山のイメージとぴったりだべ。 同じ山ん中にあった石だから、うんまい具合に、調和してんかもしんないね。 石段とあじさいを、じっくりと眺めながら、ゆっくりと登っていこう。 頂上は、まだまだ、遠いぞ~!《参考》 栃木市観光協会のホームページ ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.02
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「虚空蔵菩薩と六角堂」 ええと。昨日、書き忘れちゃったんだけど。 一番下の第一駐車場の横には、トイレと観光案内所があるんだ。 そんでな。案内書には、太平山全体の地図や、ハイキングコース、近隣の神社やお寺など、見どころ案内が載ってる地図が、置いてあんだ。 山ん中さ踏み込んだりしなければ、迷うことはないけんど。 初めて太平山さ来た人は、案内所で地図を入手しとくといいど。 では、準備さ整ったら、出発!『あじさい坂』の入口を飾る、鳥居を潜ると・・・ 赤い旗さ、たなびく場所がある。 最初の見学ポイント『六角堂』だど! 屋根が六角形さしてっから、間違いようもないべ。 変わった屋根が複雑に折り重なって、不思議だな~。 どうやって、こさえたんだべな。 正面にまわる。 上には竜の彫刻があったんだ。 すげ~な~ って、写真さとったんだけど。 太陽の位置関係で、写ってなかったよ~。 残念。みんなに見せたかったのに。ごめんな~。 さて。この『六角堂』だどもな。 昔は、山頂近くの『太平山神社境内』に、あったんだと。 天長2年(825)。比叡山延暦寺の天台座主・慈覚大師って人が、開創したらしい。 そんでな。御本尊の『虚空蔵菩薩』は、慈覚大師がこさえた、って言い伝えでな。 平成2年(1990)。栃木県内で、最も古い木造彫刻として、 県指定有形文化財(彫刻)になったんだと。 へ~。そったらすごい菩薩さまなんだ。知んなかったな。 だったら、もっとじっくり見とけば、よかったど。 んで、『太平山神社境内』から、今の場所に移った経緯はな。 まず、明治元年(1868)の『神仏分離令』で、最初のお引越。『太平山神社境内』から『太平山の旭岳(現在は太平少年自然の家)』の仮堂に、移された。『旭岳』は、現在の場所より、南の方向に車道を上がっていくと、あるよ。 ところが。 明治35年(1902)。暴風雨で仮堂の堂宇が崩壊。 信徒有志の浄財により、現在の場所へ、お引越し。 京都頂法寺の六角堂を模して建立されたため、『六角堂』っていうんだと。 平成6年(1994)。市指定有形文化財(建築)になったらしい。 案外、最近のものなんだ。だから、古びた感じさないんだね。 こっちがほんとの正面入り口。『あじさい坂』から、分かれた道を通ると、入ってこれるど。 あ、狛犬さま、発見! 最近、神社やお寺さ行くと、狛犬さまさ見るのが、楽しみになっちゃってな♪ うきうきするな~。 だども、ここの狛犬さん、ちょこっと、小さい。 う~ん、小型犬ぐらいかな。 抱き上げたら、腕の中に納まっちゃいそうだど。 右側の狛犬さま。 たしか、足元に、子狛犬ちゃんがいたような。 左っ側の狛犬さま。 こっちは足の下に、玉。 なんか古そうだけど。 これは昔っからのものを、移転したのかな。 細かいとこまで欠けもせず、しっかり残ってるよ。 天長2年ごろからのものだったら、すごいべな。 狛犬さまも、菩薩さまも、大事にされてんだな~。 狭い敷地なんで、ちらっと見ただけでも、全体さ見通せちゃうけど。 ここは少し時間をさいて、じっくり見学してほしいな。 《参考》 栃木市観光協会のホームページ ランキング参加中! ぽちっと 押しとこれ~!にほんブログ村にほんブログ村
2012.07.01
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