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群よう子著。群よう子さん。嫌いな作家さんではない。むしろ好き。というか以前好きだった。しかし、彼女の本に触れるのは実に10年ぶりくらいであろう。なぜかと言えば。小学校高学年あたりから中学校にかけて、私は母や姉のお気に入りのひとりであった群さんの本をしょちゅう読んでました。無印シリーズとか。群さん、面白い作家さんだけれど、中学生あたりが一生懸命読む本かと言えばそうでもない。読んでもいいけど、この頃にはもっと一生懸命読むべき本がたくさんあると思う。それらを一通り読んだ上で、群さんの本を読むのがベストな楽しみ方ではないかと。なんていうか読みやすいんですな、この方の本は。おかゆみないなもんで、それほど噛まなくても飲み込める。柔らかいものは柔らかいものなりの面白さがあるけれども、柔らかいものばかり食べているとカタイものを噛めなくなる。大は小をかね、カタイものは柔らかいものをもかねるわけで、カタイものに慣れておけば柔らかいものだって楽しめる。しかし、阿呆で怠惰な私は柔らかいもの柔らかいものへと流れていったわけで。後から気が付いたって遅いのですよね。群さん、面白いけれど私にとっては苦い後悔の作家さんの代表でもあり。10年ぶりに読んだ群さん『東洋ごろごろ膝栗毛』。彼女が台湾に旅行した時のエッセイ。一緒に旅行した面々として関川夏央さんや松山巌さんが出てくる。この方々は私の好きな須賀敦子さんの本の解説を手がけている人々。大真面目に素敵でかっこいい須賀さんの評伝(『豪雨の前兆』中にあります)を書いていた関川夏央さんがやたら人の幸せにジェラシーを感じてぷんぷんしちる様子とか、みんなで来られなかった編集さん(男性)の乳毛の話でバカ笑いしているのとかが面白かった。人の側面て、いろいろ。
2006.08.31
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椎名誠/著。椎名さんと言えば、数年前までだったか数十年前までだったか、モンゴルのような場所で原住民の子供から「シーナサン、シーナサンヨッホ!」(私にはそう聞こえました。)と呼びかけられているCMのイメージが強い。頭がぼさぼさで白髪交じりで色が黒いおっさん。ちょっと小泉首相に風貌が似通っているところがある、などと言ったらぶっとばされるだろうか。ま、今まで一度も読んだことがなかった。宝島や小笠原諸島や硫黄島など、日本の僻地でもある島々を巡る紀行。島の人々の熱い交流を楽しんでいながらも、いつか島から出ていかなければならない子供のことを心配もするシーナさん。出てくる魚をはじめとする食べ物やお酒が美味しそうで美味しそうで、野宿上等の島の治安がうらやましくって、出かけたくなりますよ、旅に。
2006.08.30
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塩野七生著。実は(実はってほどのことでもないのですが)、塩野七生さん、これまで読んだことがありませんでした。何回か読むことになる機会はあったような気もしますが、その度になんとなくスルーすることになってきた作家さん。須賀敦子さんの大ファンなだけに、イタリアって言えば須賀敦子さん!みたいな気持ちもあったようなないような。圧倒的に多作なのは塩野さんで、書いてきた年数が長いのも塩野さんでしょう(比べることじゃないのですが)。読んだことはないにしても、何度かちらちらっと文庫をめくったことはありました。その際の印象は「なんだか堅そう」。私はあんまり、というか全く世界史にしろ日本史にしろ歴史関係が得意ではなくて、それも何というか、小学校中学校時代によくいるような歴史マニアの男の子が持つ壮大な歴史に対する好奇心みたいなものがちょっと欠けている人間。人物名だの、地名だの、つらつらっと言われても全く頭に入ってきません。それで敬遠していたのもあるのかも。人に勧められなければ読んでみるのがもっと遅くなっていたかも知れません、塩野七生さん。読んだら収穫がある人なんだろな、と思いつつも怠惰も手伝って手を出すことをためらっていた塩野七生さん。と、前書きはひとまずここいらで。内容。本書にも何度か名前が挙がっていますが塩野さんの本領は『コンスタンティノーブルの陥落』『ロードス島攻防記』などのイタリア史考証本。『イタリア遺聞』は、塩野さんがそれらを調べ研究するうちに気が付いたら蓄積されていたエッセイというところ。エッセイだけれど、気持ち良く歴史の細かなエピソードが頭に入ってきます。15××年に○○貿易のために結ばれた××条約が元で両国の間に闘いが起こった…なんていう話よりも、海賊に連れてこられたトルコのハーレムでフランスの金髪美女が王の寵愛を受けて…などなどのゴシップ的井戸端会議的週間女性的な話題の方が断然興味を持ちやすいスノッブな私でも、楽しめる話があちらこちらに。ところどこでで見せる塩野さんの自分の仕事に対する自信も読んでいてスカっとします。かっこいい女性だなあ。娼婦から落下傘部隊の軍曹、果てはローマ法王まで登場します。塩野さんが直接言葉を交わした人達として。特別に取材を申し込んだわけでもなく、自ら会おうと努力したわけでもないのに、こういった多種多様な人々と巡り会える機会のあることこそ、彼女の仕事が一本筋の通ったものであることの証明なのでは、と。きっと長生きしてまだまだ次々に作品を出してくれそうな作家さんです。好きな女性作家さんは短命な傾向があるので、エネルギッシュな塩野さんは頼もしいかぎり。
2006.08.28
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西川美和監督『ゆれる』公式ホームページ■あらすじ■東京で活躍するカメラマンの猛(オダギリジョー)が法事のため故郷に帰ってきた。兄の稔(香川照之)は家業を継いでガソリンスタンドで働いている。翌日、幼なじみの智恵子(真木よう子)を誘って渓谷に出かけるが、その渓谷で智恵子が橋から転落してしまう……。■結構ネタバレを含む感想■物語のポイントとなる、部屋で洗濯物をたたんでいる稔に帰ってきた猛が話しかけるシーン。猛はこの直前に智恵子と寝ている。それを稔に悟られないために「飲み屋を探したけれどなかなか見つからなくってそれでお遅くなった」というようなことを言う。正座をして洗濯物をたたみつづけている兄がポツリと言う。「結構しつこいだろう、智恵ちゃん」猛は答えることが出来ない。次の稔の言葉を聞くまで。「飲み始めるとしつこいんだよな」猛ははじめの言葉で兄がセックスのことを言っていると勘違いしかけていることが見ている側にはわかるのだけれど、この時の香川照之演じる稔の後ろ姿の恐ろしいこと恐ろしいこと。ホラーですよ。もの凄い緊迫感と、寸分狂いのない間。この場面だけでこの映画を見る価値があると思う。言葉を使わずに説明すること。昔、『萌の朱雀』(河瀬直美監督)を見た時に、晴れた田舎道、下校途中の兄(確か中学生か高校生くらい)が、前を歩いている義母(父の再婚相手)と義妹(3才くらい)を見つけ立ち止まってじっと見つめる描写だけで、その兄が義母に恋をしていることが伝わってくるシーンがあって、印象的でよく覚えている。すごいな、どうしてわからせることができるんだろう。『ゆれる』、私としてはラストの辺りの猛の心の急激な変化に少しだけついていけなかったりもしたのだけれど、これは映画の雰囲気と進行が私が想像していたものとまるで違っていたことによるのだと思う。けれども、うーん。智恵子さんの死がなんだかほっとかれているように思うのは私だけだろか。猛、兄ちゃんのこともいいけどもうちょっと思い出してやりなさいよ、という感じ。惚れられてたんだからさ。まあ、テーマがずれるので仕方ないのかもしれないけれど。智恵子はもうすぐ29才という設定らしいけれど、真木よう子さんはどう多目に見てもその年には見えない。実際、撮影時は21,2才。それだけに、智恵子の「わたしも東京に行けば良かった、もう人生はこの狭い田舎の中だけで終わってしまう…」という後悔がそこまで悲痛さを感じなくって。だってかわいいんだもの、21,2才にしか見えないし。とはいえ、やっぱりすんごく面白い邦画でした。わざわざレイトショーで見に行って良かった。
2006.08.27
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E・L・カニグズバーグ作金原瑞人/小島希里訳中学生以上を対象とした児童文学です。食後のデザートを食べながらふと食卓脇にあった本を手に取ったらば思わず引き込まれて読んでしまいましたー。■あらすじ■それぞれ家庭に事情を抱える4人の6年生が、車椅子に乗った担任の先生と一緒に心を一つにして知識を競う「博学選手権」に挑む。簡単に言えばそれだけ。それぞれの子の心の旅がさわやかでくどくなく感動的です。■引用■セイディーおばあちゃんが、「よく、同じ曲を何回も何回もひいてられるわねえ」と言うと、ネイトおじいちゃんは、「よく同じ女を何回も何回もだけるもんねえ、とは言わないくせに」と答えた。児童文学でこういうのアリなんですな!アメリカはポルノ規制は厳しいけれど、こういうウィットはOK。日本と逆な気がしました。私が読んだ訳本は05年4月に出た改訂で、上に挙げてある画像は改訂前の訳本のものです。どうやらはじめに出た訳本がえらく悪評だったよう。アマゾンレビューはひどい書かれっぷりでした。『ティーパーティの謎』アマゾンレビュー改訳したのが金原瑞人さん。よく知られているように芥川賞作家の金原ひとみさんのお父さん。名訳で知られる金原訳を私はとても面白く思いながら読んだわけですが、そこまでひどく言われていると、改訳前も読みたくなるのが、人間。ちょっと気になります。
2006.08.26
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ウッディアレン監督作品。スカーレット・ヨハンソンが出てます。彼女のルックスがとても好きなので見たんですが、なんだか前の方が良かったなあ。完璧に大人の女になっちゃったって感じで。それはそれでいいんだと思いますが。あらすじロンドン。野心家の元プロ・テニスプレイヤー、クリスは 大金持ちのトムの妹と結婚し、イギリス上流階級の仲間入りを果たす。夢に描いていた生活を手に入れるが、トムの婚約者にどうしようもなく惹きつけられ、関係をもってしまう―愛欲と野望の狭間、想いは激しく揺れ動き、とんでもない結末に…息つく暇なく“運”に導かれる、スリリングで魅惑的サスペンス!(恵比寿ガーデンシネマHPより)トムの婚約者のノラ役がスカーレット・ヨハンソンです。クリス役のジョナサン・リース・メイヤーズもかっちょいいです。二人の魅力に惹き付けられているうちに物語はトトトンと進みます。ちょっとあれれ~と思ったことと言えば。映画の中での進行では、はじめから終わりまでで大体1年半~2年くらいの時間が経っているはずなのですが、主要登場人物の一人として髪型などの外見に一切変化がないことに違和感。時間がぽーんと飛ぶところがいくつかあるんですが、季節の移り変わりなどの描写も全くないので、しばらくしてから「あー、そんなに時間経ったんだー」という感じ。とはいえ。最後の仕掛けは、なかなかやっぱりいい。びっくりする、というタイプのものではないけれど、いろいろと考えさせられる。皮肉。そこまでの課程で映画の常套手段を辿りまくっているだけに。こんなもんなんじゃないだろか、現実も。それから。上流階級は結局上流階級。あいつらったら最後まで無傷。滑稽なのに。そんなもんなんだろか、現実も。
2006.08.24
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米原万里著。なんか。違うんです、別にちょいと小粋な笑い話を仕入れたくて読んだんじゃありません、口下手を気にしてるんじゃありません、米原さんのファンなだけなんです、あうあう。本にカバーをかけないで持ち歩く派なのですが、でも一応なんとなくいつも周りからタイトルを見られないように気をつかっているのですが(誰も気にしちゃいないんだろーけどさ)、この本は特に必死にかくしました、タイトルを。米原万里さんのこと知らない人からしてみたら、なんか『合コンモテ技これで決まり!』とか『上手い!スピーチの方法』とかと大差なく見えるんじゃないかと。いえ、いいんですけど、合コンモテ技を本で学ぼうとスピーチをコツコツと履修しようといいんですけど、なんていうかあの、人にウケる話をこっそり必死に調べている20代女性ってちょっと悲しくないですか。芸人でもないのに。男の人だったら「あははー、あの人も大変だねー」と笑い飛ばせるけど、女性だと何というか突っ込めない感じじゃないですか。いや、これも一つの偏見なんでしょうか。むぅ。と、ここまで書いてきて「違うの、人をくすりと笑わせられるような話術を学びたかったわけじゃないの」と必死にアピールしようとしている私ですが、『必笑小咄のテクニック』の内容と言いますと、ズバリ「どうやって話せば面白いか」であります。または、「面白い話とはなんぞや」。米原さんお得意の理論的かつ毒舌かつ鋭い分析ふんだんな下ネタでもって、古今東西のめくるめく小咄が披露されていきます。笑いのツボは人それぞれなので、全部が全部大爆笑ってわけではなかったのですが、それでもやっぱり7,8割は面白くてそして「う~ん、上手いなあ」と思わせてくれました。気に入ったもののうち、写すのに疲れない程度の短さのものを引用します。■病院の予約をしようとする男に受付係が。「申し訳ありませんが、二週間先まで予約でいっぱいです。それ以降なら受け付けますが……」「ああ、それまでにわたしの寿命がもたないかもしれない」「大丈夫ですよ。その場合は、ご家族の方がその旨ご連絡くだされば、予約は取り消せますから」■母親と息子がピロシキを立ち食いしている。道が凍っているものだから、息子がピロシキ片手に面白がって滑っている。その息子に向かって母親が怒鳴りつける。「調子に乗ってひっくり返るんじゃないよ! 頭蓋骨かち割って脳みそがはみ出してごらん、あたしの食欲が台なしだ!」後者は米原さんが実際にロシアの街中で遭遇して、感動すら覚えた光景なのだとか。そんでもって、もちろん下ネッタ系小咄もふんだんです。■男は女を優しく抱きしめて尋ねた。「僕は君にとって最初の男ってことになるのかな」女はハッとしてしばし黙ったまま男を見つめていたが、何か腑に落ちたかのように、うれしそうに叫んだ。「あーあ、やっぱりそうだったんだわ。どこかで逢ったことがあるような気がしてたのよ」そしてさらにさらに各章の最後には次のような問題があります。■次の文章の情報提供の順序を変えることによって、小咄を創ってみてほしい■「当館の訪問者数はあまりにも少ない。世界的にも希有な歴史的遺構や遺物を数多く展示しているというのにもったいないことです」それじゃあ、もったいぶって反転でお答え。「この博物館にも大変貴重な、希有ともいえる歴史的遺構や遺物の宝庫ですよね。なかでも珍しいのは何ですか?」「訪問者ですね」頭の体操になりますー。こりゃこりゃ。この他にも、思わず考えさせられるような某首相への猛烈な批判があったり。面白いです。頭の体操になる割りにはさくっと読めます。どうぞどうぞ。私としましては、笑わすよりも笑わされたいですけどね。男性といる時は。
2006.08.23
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俵万智が集めた恋の短歌百首の解釈鑑賞本。ふと買って読んでみたらば、「あれ?これ、いつか読んだことがあるような…?」。奥を見ましたらば1995年4月から1997年3月まで朝日新聞日曜版に連載されていたとありました。95~97年と言えば、私が中学3年から高校2年まで。そーいえば、毎週欠かさず読んでました、コレ。なつかすぅ。正直言いますと、百首が並べられた目次を見て「人の恋愛なんてひけらかされてもあんまり面白いもんじゃないなぁ」と思った。さわやかな恋の始まりを楽しんでいる歌にしても、不倫の恋にもだえ苦しむ歌にしても、フラれた相手に意地を張ってみている歌にしても、一人でやってください、という感じ。本文中に「歌を詠むということは結局は全て自己肯定につながってしまうから…」という言葉があったが、つまりは自分に酔いしれていなければ自分の恋愛を世界に投げかける歌など作れないのである、よね。そんなこんなであ~、読む気なくなっちゃったな、どうしよっかなとペラペラとページをめくること14,5分、あれれ、不思議と。なぜだか、俵万智さんの解釈を読むと素直に人様の恋愛短歌が美しいものに思えてくる。自分でも驚いたのですが、俵さんの解釈を読んではじめてそれぞれの歌の奥行きがみしりと。自分の鑑賞能力の低さにがっくり。例えばこんな歌。「たった今全部すててもいいけれどあたしぼっちの女でも好き?」 渡邉志保かぎかっこも含めて一首です。自分一人で読んだ時は、勝手にしやがれの極地だと思った。勝手に全部すててください、「わたし」じゃなくって「あたし」っていう女がそもそも嫌い、そういう舌ったらずな言い方で男に媚びないでください、プン!これが俵さんの鑑賞だと、次のように。(略)自分が恋愛する場合、相手の何に惹かれているのだろうか?と考えはじめると、なかなか明確には答えられない(略)掲出歌も、立場は逆だが、同様の問題提起をしている。あなたは私の何に惹かれたの?私の持っている外見、声、肉体、服装のセンス、お金、車、教養、性格、家庭環境……。私はあなたのためなら、どんなものでも捨てる覚悟がある。でも、何もかも捨てた私そのものを、あなたは愛してくれる?「あたしぼっちの女」という表現が、若い作者らしい。「私そのもの」に、ちょっと謙虚な感じと、いたずらっぽいニュアンスが加わった(結句が「いい?」だと、卑屈になる。「好き?」の甘え加減がいいのだ)。もちろん、外見や性格など、捨てようと思っても捨てられないものも多いけれど、相手が自分の何に惹かれているのかを知りたい気持ちが、一首にはあふれている。むぅ、そうか。「あたしぼっちの女」をバカっぽいとしか思えない私はまだ若いんでしょうか。それとも心が狭いんでしょうか。いつかふたりになるためのひとりやがてひとりになるためのふたり 浅井和代これも何だか感傷的過ぎるなあと思っていた。俵さんが書いていることによると、この歌の読み方は俵さん自身でも変化したらしく、連載していた32,3の頃はこの歌を恋人同士の歌だとだけ思っていたのだそうだけれど、十年たって文庫本を出すにあたって読み返してみれば、これは母親と子の歌だと思うのだそうである。そういえば、何年か前にワイドショーで「俵万智さん、未婚の母に!」っていうのを見た。インターフォンごしに突撃取材を受けている俵さんは本当に驚いているようだった(余談)。未婚の母、と言えば俵万智さんは相当に情熱的な人だ。朝日新聞に連載というのに、毎回のように自分の過去の恋愛談を盛り込んでいるし、鑑賞の節々にもそれが見える。例えば、次のような。赦せよと請うことなかれ赦すとはひまわりの花の枯れるさびしさ 松実啓子裏切った人間を、ゆるすのとゆるさないのと、どちらが愛情が深いだろうか。一般的にはゆるすほうが相手を理解し、心を優しく広くもった結果だと考えられるだろう。家族的な愛や友情においては、そうかもしれない。が、恋愛においては、思いが深ければ深いほど、ゆるすことはできないのではないかと思う。つまり、もし「ゆるす」という気持ちになれたとしたら、それは何かをあきらめ、何かが終わったということなのだ。(略)ゆるすよりもゆるさないほうが、愛をあきらめるよりも愛しつづけるほうが、多くのエネルギーを必要とするだろう。傷つくことや疲れることを恐れていては、恋愛はできない。自分で言っている通り、俵さんは「恋愛ミーハー」で多分に乙女チックなのだけれど、恋愛にかける人並み外れたパワーは最早、一つの「才能」と言っていいのではないかと思う。そしてその恋愛に命を賭けることも厭わない姿勢が、彼女の名を世に広く知らしめたものかも知れないと思う。ところで、連載当時に読み、恐らく強いインパクトを受けて現在まで記憶に残っていた歌が二首ある。タッチアップなどわかっているのか神宮で原を見つめる君のまばたき 黒岩剛仁馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ 塚本邦雄前者はいつか起こるかもしれない理想として、後者は頭で思い描くだけで充分な、高校生の頃の自分の考える恋愛だったのだと思う。タッチアップを部活動で教えてもらって「面白いルールだなぁ~」と思っていたということもきっとある。他に良いなぁ、面白いと思った歌をいくつか。新妻の笑顔に送られ出でくれば中より鍵を掛ける音する 久松洋一氷河期より四国一花は残るといふほのかなり君がふるさとの白 米川千花子体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ 穂村弘トレーラーに千個の南瓜と妻を積み霧に濡れつつ野をもどりきぬ 時田則雄われら鬱憂の時代を生きて恋せしと碑銘に書かむ世紀更けたり 山中智恵子白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう 齋藤史
2006.08.12
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綾辻行人原作、佐々木倫子漫画。上巻を読んでからずっと楽しみにしてましたがようやく出ました。佐々木倫子は『動物のお医者さん』では獣医志望の学生、『おたんこナース』では看護婦さん、『HEVEN』ではフランス料理店の裏側を描いてそれぞれ大人気の漫画家さん。たぶん絵を描くことと同じくらい取材することが好きな人なのではないかと。一つの隙も許さない考証の行き届いた絵は、最新作になるにつれその緻密さが高まってきていると思います。そしてこのこまっけえ絵が、この度の推理漫画にぴったり。室内の絵のどこに犯人を暴く仕掛けが隠されているのか、誰しも思わず探したくなってしまうのでは。はぁ。精巧ですなぁ。
2006.08.09
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公開当時、見に行きたいな~と思っていたのですが、もっと万人受けのアニメを想像していた。なんか「サイボーグの純愛」をメインに広告していた気がするし。深いですな。なんちうか、監督の世界観を読者の理解度・許容度おかまいなしで打ち出している映画だと思います。優しくないね。かっこいいけど。途中で何回か登場し、キーワードになっている漢詩「生死去来 棚頭傀儡 一線断時 落落磊磊」が気になりました。以下、「個人的な押井守監督のページ」より引用させていただいております(む、無断で…)。生死去来、棚頭傀儡、一線断時、落落磊磊「生死去来、棚頭傀儡、一線断時、落落磊磊」押井守監督の映画「イノセンス」では台詞に多数の引用を使っています。その中でも度々画面に登場するのがこの「生死去来~」という言葉です。以下はその引用となった世阿弥の書いた『花鏡』の第14条「万能綰一心事」とその訳です。「生死去来、棚頭傀儡、一線断時、落落磊々」。是は、生死に輪廻する人間の有様をたとへ也。棚の上の作り物のあやつり、色々に見ゆれ共、まことに動く物にあらず。あやつりたる糸のわざ也。此糸切れん時は落ち崩れなんとの心也。申楽も、色々の物まねは作り物なり。これを持つ心はなり。此心をば、人に見ゆべからず。もし見えば、あやつりの糸の見えんがごとし。返々、心を糸にして、人に知らせずして、万能を綰ぐべし。如此ならば、能の命あるべし。 惣じて、即座に限るべからず。日々夜々、行住座臥にこの心を忘れずして、定心に綰ぐべし。かように油断なく工夫せば、能いや増しになるべし<訳>「生と死が去ってまた来る、棚から吊った操り人形が、その糸を切るやいなや、ガラガラと崩れ落ちるように」。これは生と死の輪に巡らされる人間の有様を、たとえたものだ。棚の上の操り人形はあくまで作り物であり、さまざまに動くけれど、本当に生きているのではない。操りの糸のせいだ。この糸が切れたならば、崩れ落ちるだろうとの意味である。猿楽の劇の演技も、いろいろの物真似は本来、意識的模倣にすぎない。これを保つのは内面である。この内面の気構えを、他人に悟られてはならない。もし見せてしまえば、操りの糸が見えるようなものだ。絶対に、内面を糸にして、見物にはしらせず、すべての芸の部分を統率せよ。このようにできるならば猿楽の劇の役者として本物であり、演技も生きるだろう。 大体その舞台上には限らない。毎日毎夜、歩くときも座るときも寝るときも、この心得を忘れず、日常のものとせよ。このように油断なく工夫するならば、能の演技は向上し続けるだろう。『花鏡』世阿弥むぅ、かっこいい。サイボーグは感情を持たない操り人形か。生身の人間だって神が創った運命にただ操られているだけなのではないのか。
2006.08.07
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