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今回は、オクラとホウセンカをポットから掘りおこし、体全体を観察する。グループ(4人組)でオクラとホウセンカをそれぞれ1つずつ掘りおこすように指示する。しかし、だれのものを掘りおこすか、なかなか決まらない。なかにはケンカして、泣き出す子どもも。せっかく育てたものを掘りおこしたくないのだろう。(ビデオを見て気づいたことだが、この時点で私は「掘りおこし方」や「もどし方」、そして、「もどした後のこと」を説明していない。子どもたちが不安になるのも当然である。)掘りおこす途中も、掘りおこし方が問題になる。「だめだよ」や「切れちゃうよ」という声が飛び交う。なかには「根を壊さないというイメージが大切なんだよ」という発言も。途中「根の長さを測るんですか」と質問された。「長かったら測っていいよ」と答えるが、この「あいまいな」私の返事が次のようなかかわり合いを生む。「私の長くないから、測らなくてもいい。」「私の、引っ張ってみると(土から出てきて)どんどん長くなるよ。」「えっ、私のも長いの?」ある程度、スケッチが終わったところで、気づきを発表させる。「根がものすごくいっぱいある」と発表されるなかで、一つの班では次のようなことが話題になる。「これ、全部つながっているの?」「つながっているよ。」「いや、(閉じた手を下に向け、指を広げながら)こうなっているんだよ。」「それ、つながってるよ。」「あっ、つながっていることはつながっているよ。」「こうなっている」と言ったこどもは、根の付き方を説明していたのだろう。その子どもは、その後「太さが違うんだよね・・・」とつぶやいていた。教室中が泥だらけになり、大変な45分だった・・・。
2007.07.01
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5月から育ててきたモンシロチョウ。数名の子どもたちのさなぎが羽化し、成虫になった。しかし、すべての子どものモンシロチョウが順調に成長しているわけではない。寄生虫にやられるなど、再度卵から育てている子どもも多く、一斉に成虫を観察をすることができない。そこで、子どもたちに「モンシロチョウ成長図かん」をつくることを提案する。これまでの、そして、これからの成長の様子を1枚の画用紙にまとめようというものだ。「えー?」という声があがるものの、どんなことを書こうかと話し合いがはじまる。子どもたちが書きたいもの、これから詳しく観察して書きたいものとして、次のようなものが発表された。○さなぎから成虫が出てくるところ○成虫が出てくるちょっと前のさなぎの様子○さなぎの色の変化○さなぎになるとき、糸をかける様子○成虫のからだ○幼虫からさなぎになるところ○卵から幼虫が出てくるところ○幼虫が脱皮するところ「卵から幼虫が出てくるところ」「幼虫が脱皮するところ」は、これまで1度観察したはずである。しかしながら、再度卵から育てている子どももいるため、もう一度見てみたいと思ったのだろう。結果的に、くり返しかかわることになるのかもしれない・・・。
2007.07.01
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「オクラは1,2,3,4で、ホウセンカは2,4,6,8,10だ」。子どもたちから声があがった。そこで、どうしてこのように違うのか話し合わせる。「ホウセンカは、2枚ずつ出てきて、オクラは1枚ずつ出てくる?」「オクラは育ちが遅いから1枚ずつ何じゃない?」「ホウセンカは、丸くいっしょにはえてくる。オクラは場所が違う。」しばらくすると、いくつかの班で「手首をそろえて両手を広げる」動作が見られるようになる。その様子を確認し「何が分かるのかな?」と問うた。「葉のはえ方じゃないかな。」「交互に広がりながら、こうやってはえるんじゃない?」「まず、子葉が出て、次に葉が出て・・・。」「ホウセンカは、2枚いっしょにはえてくる。」「でも、オクラの子葉も2枚いっしょに出てきたよ。」「オクラは、上から見ると三角になってる。」「オクラの葉は一枚ずつ、ホウセンカは2枚ずつはえる。」子どもたちは、これまでの観察カードも見直しながら、納得した様子であった。ビデオには、次のような気づきも残されていた。「だから、向き合っているホウセンカの葉は、高さ(横から見た位置)が同じなんだ。」すごい発見である。
2007.07.01
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「子葉は落ちて枚数が減る、では葉はどうなっていますか」。子葉の変化を確認したあとに問う。子どもたちからは「ピンピンしている」「増えている」「どんどん大きくなっている」という答えが返ってきた。続けて、オクラとホウセンカ、それぞれ何枚葉があるのかを数えさせる。子どもたちは、次のようなことをつぶやきながら数えていた。「1,2,3,4,5,6・・・、分からない。」「ちっちゃいのは?」「ちっちゃいのもあわせて・・・・。」「ちっちゃいの」とは、あらたしく出てきている葉のことであろう。(ビデオを見て気づいたことだが、この「ちっちゃいの」が正確に数えることを難しくしていた。)子どもたちが発表した数を黒板に書く。多くの子どもたちが「ホウセンカの方が数が多い」と発表する。なかには「一の位が、一の位が・・・」とつぶやくいている子どもも。そこで、よく出てくる数に赤で囲む。オクラは「1,2,3,4,5」、ホウセンカは「18,20,22,24」である。すると、ある子どもが次のように声を挙げる。「あっ、2,4,6,8,10だ。」ホウセンカの葉の数が「2の倍数」になっているということであろう。気づいてほしいと思っていたことに「やっと気づいてもらえた」という思いである。
2007.07.01
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オクラとホウセンカを観察する。前回の観察から、5日ほどしか経っていないのだが、子どもたちがそだてているオクラとホウセンカの子葉には変化が見らた。そこで、まず「前回と比べて、子葉はどうなっていますか」と問うと、次のような答えが返ってくる。「黄色になっている。」「枯れて落ちた。」「全部落ちている。」「オクラも落ちた。」前回の観察の時は、数名「ピンピンしている」子葉もあったのだが、今回は、すべての子どもの子葉に色が変わったり枯れたりするという変化が見られる。授業後、観察カードを見てみると、次のように気づきがかき込まれていた。「子葉は、みんななくなるんだなと思った。」また、そのカードには、落ちた子葉がテープで貼り付けられている。この子どもにとって、前回までの学習が「やっと」つながったのであろう。
2007.07.01
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「オクラをそだてよう~その7」を振り返る。○子どもが直面する課題を解決しようとしない私 今回の授業の中で、ある事件が起こる。それは、ある子どものホウセンカに「虫」がついていたのである。ビデオを見ていると、その子どもは「取って、採って」と連呼している。また、同じ班の子どもも、私に「先生、何かの幼虫がいます」と知らせてくれている。私も、その声に答えて「虫」のそばまで行っている。しかし、そのときに私が発した言葉は、次のようなものであった。「ほんとだね。何かの幼虫だね。何かが、どこかに卵を産みつけたんでしょうね。それ、あとから取って、逃がしてやった方がいいよ。」 この発言によって、子どもたちの活動は「解決」には全く向かない。むしろ「何という虫の幼虫なのか」「どこから入ってきたのか」「どこに卵を産みつけたのか」と、話は他の班まで広がっていく。そんな間にも、自分のホウセンカに「虫」がいる子どもは「取って、取って」と、その後もくり返し訴えているのである。どうして、そのとき「虫」を取ってやらなかったのか。または、そのとき同じ班の子どもたちといっしょに取って逃がすように指示しなかったのだろうか。自分のホウセンカに苦手な「虫」がいること。もしかしたら、その「虫」が自分のホウセンカを食べてしまうのではないかとも考えたかもしれない。そんな中で「どうして子葉が落ちるのか」という疑問に集中できるはずがない。その子どもにとっての一番大きな課題だったにもかかわらず、そのことが見取れなかったのであろう。もちろん、「虫」は今回の授業には関係のないことである。しかし、子どもにとって、この「虫」こそが、まず解決しなければならない課題であって、解決なしに次の活動に移れるはずがないのである。ビデオの中で、「虫」のそばまで近づいている私がいる。どうして、とってやらなかったのだろう・・・。子どもとの大きな「ズレ」である。
2007.07.01
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「オクラをそだてよう~その7」を振り返る。○思いがけない発言ほど子どもたちのかかわり合いを活性化する 授業の中盤まで、子どもたちが本当に混沌としている様子がわかる。途中「落ちたところから新しい葉が出る」「新しい子葉が出ようとしている」という2つの発言を取りあげたものの、反対や批判だけで終わってしまい、この混沌とした状況は変わらない。そんな中、「歯のようにはえかわる」という発言によって、子どもたちは解決の方向に動き出す。「歯のようにはえかわる」。私もそうだが、子どもたちもすぐには理解できなかったであろう。しかし、その「意外性」や「理解できないこと」が子どもたちの耳を傾けさせたのではないか。その発言の「良し悪し」よりも、「何を言っているのだろう」というふうに子どもたちは身がまえたと考える。 このことが、「異なる視点」に立つことなのかどうかはわからないが、教師自身も「理解できないから切り捨てる」のではなく、「理解できないから、より耳を傾ける」ことが、授業の中で重要である。 ただ、「理解できないから耳を傾ける」ことができるクラスに少しづつ近ずいていることをうれしく思う。○ トーンを上げて、授業を引っ張ろうとする私 「歯のようにはえかわる」という発言の後。「子どもの歯は、オクラやホウセンカでは何にあたりますか?大人の歯は、オクラやホウセンカでは、何にあたるでしょうか?」と問うて、「子どもの歯は『子葉』で、大人の歯は『葉』」と大きな声で教室の中のつぶやきを取りあげている。自分でビデオを見ても、トーンが高い。ここが授業の「山場」だと感じたのだろう。もちろん、これまで、この「山場」で盛り上がるような授業を目指していた。しかし、ビデオに映っていたグループは、「子葉が落ちたところから葉が出てくるのか」ということを話し合っている途中であった。それは、授業の中盤で、子葉が落ちたところから何か出てくるのかということが話題になり、また、「歯」は抜けたところから新しい歯が生えてくることから、そういう話題になったのであろう。むしろ、このことが話題になることが自然である。しかし、「子どもの歯は『子葉』で、大人の歯は『葉』」というつぶやきにとびついてまとめてしまった私。「これで授業が『上手く』いく」と感じた瞬間、声のトーンを上げてしまったのだろう。「しっとりとした教室」を目指すといいながら、まだまだである・・・。(つづく)
2007.07.01
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授業後、リフレクションする中で、次のようなことが「見えて」きた。○授業中に発せられる「ことば」が共有されていない。 今回の実践の中で、いくつかの「ことば」がキーワードとなる。この「ことば」を取りあげることで、よりくわしく観察することを促すことができると考えているのだが、授業の中で、特に子どもたち同士のかかわり合いの中で、この「ことば」が共有されていない部分が目立つ。共有されていないと強く感じたのは、「子葉」と「葉」、そして、「葉」と「歯」である。ビデオを見ていても、一人一人の子どもが、どちらの意味で使っているのかよくわからない場面が多くあった。 「子葉」と「葉」については、これまでの学習の中での認識と定着が不十分であったのだろう。もちろん、これまでの指導にも問題があったのだろう。しかし、今回の授業の中で、その実態を把握しながらも、「ていねいに」対応していない私の姿勢の方が大きな問題である。授業の前半、テンポが速い。この1時間で「子葉が落ちるわけを考えること」と「オクラとホウセンカをスケッチすること」を事前に計画しており、それを「こなそう」としようとする意識の方が、子どもに「細やかに、ていねいに」対応しようとすることよりも強かったのである。 また、「葉」と「歯」に関しては、授業の中で、私も混乱している。特に「子どもの『は』」「大人の『は』」というときには、子どもたちの発言が「葉」と「歯」のどちらを指しているのか、ほとんどわからない。せっかく板書したのだから、しっかり整理する必要があった。(「やったつもり」だったのだろう・・・・。) 子どもたち同士のかかわり合いを重視しようとしている今、もっと「ことば」にこだわり「細やかに、ていねいに」対応していかなければならない。(つづく)
2007.07.01
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「どうして子葉は落ちるのだろうか」。授業も終盤、話し合いに大きな進展もなく重い雰囲気の空気が教室の中を漂う。そんな中,一人の子どもが次のように発表する。「歯のようにはえかわる。」多くの子どもから「えー?」「何それ?」という声があがる中,「なんとなくわかるけど・・」というつぶやきも聞こえる。そこで,「歯に例えたこと」と「はえかわる」という言葉がキーワードになりそうだということを整理し,話し合いを再開した。「子どもの歯がとれたら,大人の歯が出てくるから?」「子どもの歯は子葉で,大人の歯は葉?」「新しい葉がどんどん出てくるから。」「だから、人間の歯のようにグラグラするようになったら黄色になって・・・。」「あっ、そうだね。グラグラするようになったら黄色になって、ぬけたら茶色になって、また生まれ変わる。」「子葉は一番古い葉だから,一番先に落ちて次の葉に交代するんじゃないかな。」「他の葉にバトンタッチするというか・・・。」「子葉の役目が終わったからだと思う。」「最初は体が小さくて子葉が必要だったけれど,大きくなったから・・・。」ここで,「子葉の役目は何か」と問う。すると,ある子どもが次のように発表する。子葉は,栄養がなくなって落ちたんじゃないかな。」「子葉の役目は,ほかの葉に栄養を送ること?」と問い返すが,ここが子どもたちの限界である。休み時間に図書館で調べてみるように促し,授業を終えた。次の時間のはじめには,「子葉は『養分をたくわえて,植物の成長に使われる』と書いてあった」と多くの子どもたちが発表した。
2007.07.01
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子葉の「色の変化」に着目した子どもたち。その子どもたちが考える「子葉が落ちるわけ」にも変化が見えはじめる。そこで、「みんなのオクラもホウセンカも、何か育て方が悪くて落ちたのではないようですね」と整理し、その後の話し合いをするように促す。「新しい葉がどんどんはえてくるから。」「だんだん落ちていって、それで、だんだん新しい葉がまた・・・・。」「また、3か月ぐらいしたら、はえてくるんじゃない?新しいかっこいいのが。」「新しい葉・・・。」「栄養が、なんか・・・。」「もしかしたら、葉がいっぱい栄養をとって、子葉があんまり栄養をとっていないから枯れるんじゃない? 」しばらくすると 次のような2つの考えが出される。「落ちたところから新しい葉が出る。」「新しい子葉が出ようとしている。」もちろん,この考えに対して反対する声があがる。「子葉は2枚しかない」ことや「落ちたところからは,何もでてきていない」ことが理由として発表される。「子葉は、一番最初に出てくる葉だから、たぶん出てこないと思いう。」「だって、葉がはえたあとに、また子葉がばぁーって出てきたらおかしいよね。」「葉がはえてきて、また、子葉がはえるのは、おかしいね。」「葉がはえて、子葉が出てきたらおかしくなるよね。」そこで、2つの考えの問題点を確認するとともに、「どうして新しい何かが出てくるって考えたんですか?なんか、子葉が落ちる理由と関係ないかな?」と問う。しかし、しばらくの間進展もなく、重い雰囲気の空気が教室の中を漂う・・・。
2007.07.01
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前回の観察から1週間が経った。前回の学習の中で「子葉が1個しかない」と発言した子どもの思いに寄りそうために、もう一度前時の中でのやりとりを振り返り、「どうして子葉は落ちるのだろうか」ということを問題にする。グループでお互いのオクラとホウセンカを見合いながら話し合いをはじめたが、成長に差があり、子葉が落ちていないもの、子葉が「元気」なものいくつかあり、次のような会話が聞かれた。「弱っているからじゃないの。」「わたしのも、なんか弱ってる。」「子葉を触ると、すごく固くなっているよ。」「なんだか黄色いね。」「子葉が、前よりちっちゃいような・・・。」「落ちた子葉を開いてみるね。」「前はかっこよくはえていたのに。」「オラはちゃんとはえてるのに。」「ねえ、オクラって落ちた人いる?」「えっ、オクラも落ちたよ。」「わたしのも、オクラがない。」「水をやらなかったから・・・・。」「だから、だんだん弱くなっていったんだよね。」「こんな風に枯れていってるんだよ。だんだんこんな風にね。これ、前落ちたやつ。だんだんちっちゃくなってない?これ。」前回よりも多くの子どもたちにとって、「子葉が落ちる」ことが切実な問題になっていることがわかる。そして、子葉が落ちる「理由(原因)」を「弱っているから」と考えている。「子葉が弱っている」「ホウセンカそのものが弱っている」と、前回はじめに「子葉が1個しかない」と発言した子どもと同じ不安を感じたようだ。また、「枯れていないのに落ちてた」というつぶやきも聞かれる中、ある子どもが、次のように発言した。「ぼくのホウセンカが、子葉が半分なんか・・・・。落ちたときの茶色くなっていくので、もうちょっと茎の方までその色になって、茎まで枯れてから落ちるんじゃないかなと思いました。」子葉の変化に着目した発言であるが、他の子どもたちは、はじめあまり反応しない。しかし、しばらくすると一人の子どもが声をあげる。「あっ、黄色くなって、茶色になってから、枯れて落ちる。」すると、多く子どもたちが自分が育てているオクラやホウセンカの子葉の「色の変化」を見直す。「じゃあ、○○さんのはやばいじゃん。黄色ばっかりだから。」「わたしのも、黄色くなっている・・・。」「もうすぐこれも落ちるのかな?」「何で、子葉はばんばん落ちるの?」まだ子葉が落ちていない子ども多くいたのだが、その子葉の「色」を見てみると、ほとんどの子どもが「黄色」になっている。また、ホウセンカだけではなくオクラも子葉が落ちることも話題になってきた。「植物の世話」が悪いと考えていた子どもたち。少しずつ「成長の規則性」に気づきはじめているということであろう。
2007.07.01
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