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「オクラをそだてよう~その6」を振り返る。○観察の中で「葛藤を起こそうとしていない」私 今回の授業を、たまたま鹿毛雅治先生(慶應義塾大学)に見ていただいた。(校内の研究会の講師としてお越しいただいた。)授業後、鹿毛先生からいくつかのことを指摘される。その一つは「葛藤は起きていたか、葛藤を起こす種はまいてあるか」ということであった。ビデオを見てみると、確かに葛藤どころか、疑問さえ感じさせることができていないように感じる。授業のはじめに整理した「視点」に沿って子どもたちは観察し、私が気づいて欲しいことに気づいている。しかし、スムーズに進みすぎているのである。「いい授業」を求めているわけではない。ただ、今年の研究のキーワードを「葛藤」といいながら、子どもたちが観察する場面では、「観察すればいい」「観察すれば分かる」という意識があるのである。その証拠に、葛藤を起こすための「種」をまいていない。 鹿毛先生は「観察カードの交流はあるのか」という質問もされた。私自身、全く意識していなかったことである。あらためて子どもたちの観察カードを見てみると、そこには一人一人の子どもの思いやこだわりが表れている。例えば、今回「葉が多くてかくのが難しい」といった子どものカードには「葉は前より多くなっていた」とだけかかれているし、「子葉が1枚しかない」といった子どものカードにも「子葉が1枚しかない」とだけ大きく書かれている。これらのことを交流するだけでも「葛藤」が起こる可能性はある。もちろん、お互いの観察カードを見ていないわけではない。4人でグループをつくり、自分のオクラとホウセンカを観察する。その中で必然的に観察カードの交流が起こる何かが必要なのである。生物分野での観察で「葛藤を起こそうとしていない」私。この単元における「ねがい」を一から見直さなければならない。(つづく)
2007.05.31
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オクラとホウセンカの観察を続ける。そんな中、あるグループでは、次のような話しをしている。「ぼくのホウセンカは、子葉が1枚しかない。」「食べられたんじゃないの?」「えっ、食べられないよ。」「子葉は落ちたかもしれない。」この会話を取り上げ、「みんなのオクラやホウセンカは、子葉が2枚ありますか」と尋ねる。すると「はい」と「いいえ」の両方の返事が聞こえたきたので、自分の子葉をみるように促す。すると、次のようなつぶやきが聞こえてくる。「あっ、1枚しかない。」「オクラはあるけれど・・・。」「ぼくのは1枚もない!」まだ、子葉がない方が多いこともあり、グループを離れて「子葉がない」オクラとホウセンカを見て回るように指示する。子どもたちは、けっこう子葉が落ちていることに驚いている様子。そんな中、一人の子どもが次のような声が挙げる。「子葉がありました。」近づいて見てみると、ポットの中に子葉が落ちている。他の子どもたちにも、見つけた子葉を見せ「子葉はどうなったかな」と問うと、「きれている」「枯れて落ちた」と答えた。そこで、「みんなの子葉は、どうなっていますか」と自分のオクラとホウセンカを調べてみるように伝える。「ぼくのもあった。」「私も見つけた。」「あっ、落ちていないけど枯れてる。」「今、さわっていたら落ちた。」「その落ちた子葉は黄色だ。」「枯れたから落ちたんだ。」子どもたちは、「子葉は『枯れた』から落ちた」ととらえているのであろう。その後、観察を続ける中「落ちた子葉はテープで観察カードに貼ってもいいよ」と声をかけたところ、次のような出来事が起こる。(この「出来事」は、授業を参観していただいた先生に教えていただいたことであり、実際には私自身は見ていない。)ある一人の子どもが、はじめに「子葉が1枚しかない」ことに気づいた子どものところにいき、観察カードのある場所を指さし「ここに貼ればいいよ」と声をかける。その場所とは、ホウセンカのスケッチの落ちた子葉がもともとあったところ。声をかけられた子どもは、うれしそうに「ありがとう」といい、その場所に「落ちた子葉」をテープで貼った。最後に前回観察したときの違いを発表させると「葉の数が大きくなった」「草たけや葉が大きくなった」などの発表した。「子葉の数は?」と問うと、「同じ」と大きな声で答える中で、「少なくなった・・・」という声が聞こえた。
2007.05.30
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もう一度「子葉」と「葉」のちがいを確認したあと、前回(2週間前)との違いを発表させる。「私の葉いっぱい。」「ホウセンカの葉は、4枚しかなかったけれど16枚になった。」「色も変わった?」「葉も大きくなったよね。」これらの発表をもとに「葉の大きさ」「葉の数」「草たけ」「茎の太さ」「色」などの「視点」をまとめ、観察をはじめる。しかし、しばらくすると、なかなかスケッチできない子どもたちの姿が目に入ってくる。オクラもホウセンカも大きくなり、スケッチするのも難しいのであろう。その中には、「なかなかかきだせない」ことを気にしている子どももいる。そこで、一人の子どもに「どうしてかき出せないの?」と尋ねる。すると、うれしそうに「ホウセンカが難しいから」と答えた。この「うれしそうな表情」は、私にとって意外なものであった。そこで、他の子どもたちにもこのことを伝え「どうして、ホウセンカをかくのが難しいんだろう」と問う。すると、数名の子どもが次のように答えた。「ホウセンカは葉がいっぱいあってかきにくいから。」はじめに「難しい」と答えた子どもも、この発言を聞き「そう、葉がいっぱいあってかきにくい」とうなずいている。(このときは分からなかったが、ビデオで振り返る中で、なんとなく「うれしそうな表情」の意味が分かったような気がする。)私も、「前回はホウセンカがかきやすかったのに、今回はものすごくかきにくくなったね」と話し、観察を再開させる。結果的にホウセンカの葉の数の変化に着目させることができたということであろう。その後の観察の途中に「私もホウセンカの葉がたくさん出てきた」「何枚出てきたかな?」というつぶやきを聞くことができた。(つづく)
2007.05.30
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種まきから5週間。あたたかい(むし暑い?)日も続き、どんどん「葉」も成長している。今回は、前回の観察で学習した「子葉」と「葉」に着目し、それぞれの成長を調べる。まず、「子葉」と「葉」の違いを確認する。「前回、2つの葉っぱ、『子葉』と・・・」と言いかける。本当は、「『子葉』と『葉』」といいたかったのだが、子どもたちの「ふたば!」という大きな声にさえぎられる。(このとき、「前回の『子葉とふたばは同じ』ということが印象深かったのだろう」と思っていたのだが、そうではないことが後で思い知らされる。)しきり直して「『子葉』と『葉』のちがいは何か」と問うと、一人の子どもが「ホウセンカの子葉と葉は形が違う、子葉は丸っこくて、葉はトゲトゲ?ギザギザしている」と発言した。しかし、この発言を聞いた他の子どもたちは、あまり反応しない。当たり前だと思っているのだろうか。もう少し話し合わせることにした。「形が違うね。」「ぐちゃぐちゃになっている?」「手触りが違うね。」「線がない。」「え?ぼくのは線あるよ。」「見せて、見せて。」「オクラはあるよ。」「でも、ホウセンカはちょっと・・・。」「1本だけしかない。1本だけしかない。」「オクラは、真ん中に2,3本あって・・・。」(この様子は、ビデオに映っていたのだが、少なくとも「子葉と葉」のちがいではなく、「オクラとホウセンカ」のちがいを話し合っている・・・。)しばらく時間をおき、「子葉と葉は形が違うといったけれど、前回○○くんが『口みたいのが出てきた』といっていたけれど『口みたいの』ってどれですか」と問う。多くの子どもたちが「葉」と答えた。(後からビデオでみてみると「すべて」の子どもではなかった。)続けて「どうして葉なのか」と尋ねると、次のように発言する。「(手首をそろえて、両手のひらを広げて)こうなっているから。」「後から出てきたから。」「最初に出てくるのが子葉でしょ。」そこで、「さっき発表してくれた『ギザギザしている』のと関係しているかな」と問う。すると、子どもたちは「葉がギザギザしているのが『歯』に見えるから」と答えた。しばらくして、次のようなつぶやきが挙がっていた。(これも、授業後に参観していた先生に教えていただいて分かったことだが。)「あつ、そうか。あとからはえてくるから『歯』っていうんだ。」赤ちゃんのときは歯がなく、あとからはえてくる。また、乳歯が抜けたあとに大人の歯がはえてくる。葉が出ることを「歯がはえる」ことにたとえたのだろう。最近、子どもがもつメタファが問題になるが、この例えはおもしろい。今回、授業の導入で「子葉」と「葉」のちがいをあらためて確認にしようとして「口みたいなもの」という前回の発言を取り上げたのだが、「口みたい」という例えから、このようなおもしろい発展があった。ただし、次の活動で、写真を提示し「子葉と葉はどれか」と尋ねたところ、けっこう多くの子どもたちが「子葉」と「葉」を逆に答えた・・・。(つづく)
2007.05.30
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モンシロチョウのたまご採りをして5日。週末に出てきた幼虫を観察する。スケッチの途中、一人の子どもが次のように声を上げる。「幼虫が、糸を吐いている。」「ぼくのも糸みたいのがついている」と数名の子どもが答えた。そこで、次のように説明した。「透明な糸のように見えるものは、幼虫が脱皮した皮です。幼虫の皮はやわらかく、ストッキングを脱ぐときのように脱げていくので、脱いだ皮は細い糸のように見えます。また、皮を脱ぐ前は、しばらくの間動きません。」すると、数名の子どもたちが「だから、ぼくの幼虫は動かないんだ」というつぶやいた。最後に「これから観察したいこと」を発表させる。「どうやって皮を脱ぐのかみてみたい。」「何回脱皮するのか。」やはり「皮を脱ぐ」ことに関するものが多かった。ここで授業は終わったのだが、ビデオには、授業後の次のような子どもたちの会話が残されていた。「どうして緑色になったのかな?」「敵に見つかって食べられないようにだよ。」どこで、何が起こるか分からない・・・。
2007.05.29
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モンシロチョウのたまご採りをして5日。週末、それぞれの家庭に「連れて帰っている」間に、ほとんどのたまごから幼虫が出てきていた。今回は、その幼虫を観察する。はじめに、たまごから出てきてすぐの幼虫と比べて、どのように変化しているか話し合う。子どもたちからは「大きくなった」「色が違う」「食べる量が多くなった」「フンも大きくなった?」などの声が上がる。これらのことを板書するとともに、これらのことに気をつけながら観察することを伝える。すると、子どもたちは次のようなことを話し(話し合い)ながら、スケッチをしていた。「すじがたくさんあるね。」「なぜ、しま模様があるのだろう。」「体の色が緑色になってきた。」「フンも緑色をしているね。」「すごく活発に動いているよ。」「葉をもりもり食べている。」「食べるのがはやいな。」「動くとき、ウニウニしている。」「でも、ぼくのは動いていないよ。」「糸を出している?」「クモが糸をかけた?」「さなぎになろうとしてるんじゃないの?」「落ちないようにしているんだよ。」「下痢じゃないの?」この会話もおもしろいのだが、そんな中、一人の子どもが次のように発言した。「フンを食べている?」幼虫がフンに頭をつけてモゾモゾしており、確かに幼虫がフンを食べているように見える。「え?フンをしているんじゃないの?」「こっちは、頭じゃなくておしりだよ。」「どっちが頭?おしり?」「図書館で調べてみる?」「幼虫は後ろには動かないから、進んでいる方が前だよ。」子どもたちは、子どもたち同士のかかわり合いの中で、幼虫のからだを「見る視点」を獲得したということであろう。(つづく)
2007.05.29
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今回、モンシロチョウがたまごを産みつけるところを観察し、一人一個のたまごを採る。モンシロチョウのたまごは、学級園のそばにある理科教材園のキャベツに産みつけられてる。また、2,3組のモンシロチョウが飛んでいて、たまごを産み付けるところも見ることができる。子どもたちはに「モンシロチョウは何をしているのかな」と尋ねると、「エサを食べているのかな?」とつぶやきながら、じっと見つめる。しばらくすると、「今、たまごをうんだよ」という声があちこちから聞こえてくるようになる。この理科教材園は、そんなに広くはなく、8株ほどのキャベツしかないが、あっという間に40個のたまごを見つけることができた。そんなにたくさんのたまごがあるとは思っていなかったのであろう。子どもたちは、その数の多さに驚いている様子であった。そんな中、一人の子どもが次のように声を上げる。「モンシロチョウはそんなにたくさんいないのに。」「どうしてだろう」と疑問をもつものの、このとき解決することができなかった。しかし、次の日「一匹の成虫は、約300個の卵を産む」ことを調べてきた子どももがいた。採ったたまごは、小さなタッパの中で育てている。タッパといっしょに一人1個の虫眼鏡を配ったところ、首から下げてうれしそうに観察する子どもの姿を見ることができた。週末の休みには、このたまごが入ったタッパと虫眼鏡をそれぞれの家庭の持ち帰ることになる。
2007.05.23
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「オクラをそだてよう~その5」のリフレクションの続きである。○「知っているはずのこと」を知らないと怒りだす自分。 今回の授業の中で、ある子どもの「口みたいのが出てきた」という発言を取り上げたときのことである。この「口みたいなもの」は「葉」であるが、「子葉」と「ふたば」という「ことば」が出てきたときに議論がはじまった。「子葉じゃないよ、ふたばだよ」というようなことを、子どもたちは連発する。実は、子どもたちは「ふたば」を知らなかった(もしくは覚えていなかった)わけであるが、このやりとりの間、「どうして分からないのか」と私自身とまどってしまう。 このビデオを見ているとき、いっしょにビデオを見てくれていた同僚の先生が「いつ、子どもたちが『ふたば』を知らないと気づいたのか」と尋ねられた。私自身「いつ気づいたのか」分からない。そのときのことを、よく覚えていないのだ。しかし、ビデオを見ると「いつ気づいた」のかが分かる。そこで私の表情や声のトーンが変わるのである。その「気づいたとき」を基準に考えると、その後は落ちつて子どもたちの声かけをしているにもかかわらず、その前は「怒って」いる。「どうして分からないのか」とイライラしているのである。(当たり前かもしれないが)「知っているはずのこと」を知らないと怒りだす自分に気づくことができた。本年度は「子どもの姿」から学習をスタートさせようといっているにもかかわらず、まだまだこのような私がいる・・・。
2007.05.17
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「オクラをそだてよう~その5」を振り返る。○オクラとホウセンカの葉の数の違いを、葉の出方の違いではなく成長の差としてとらえている。 今回の授業の中で、私自身「もっと手応え(子どもたちの反応)が欲しかった」と感じたのは、出ている葉の数がオクラの葉は1枚でホウセンカは2枚、もしくは4枚だということを確認したときである。観察のはじめに「オクラは1枚、ホウセンカは2枚」というつぶやきが聞こえたこともあって、この違いに着目するであろうと考えたのだが、実際の授業の中では、そうではなかった。 この私が飛びついた「オクラは1枚、ホウセンカは2枚」というつぶやきも、ビデオでよく見てみると「オクラは1枚ずつ出てくる、ホウセンカは2枚ずつ出てくる」という声ではなく、「今までに出た葉の数は、オクラは1枚でホウセンカは2枚」といっているのである。つまり、子どもたちは葉の数の違いを「オクラは1枚ずつ、ホウセンカは2枚ずつ出てくる」と「葉の出方のちがい」ではなく、「オクラは1枚しか出ていない、ホウセンカは2枚も出ている」と「成長の差」としてとらえたのである。 このことは、むしろ当然である。このことは中学校で学習する「互生・対生」のことであり、そのことに観察だけで気づけというのは難易度が高いことであったのだろう。このことに着目させるためには、なんらかの手だてが必要である。○スケッチしながら話し合うことができない。 ビデオを見る中で一番気になったのが、「スケッチを消す」子どもの姿である。真剣に取り組んでいるものの「かいては消す」をくり返していて、なかなかスケッチが先に進まないのである。原因としては「スケッチの仕方が分からない」ことと「話し合いながらスケッチしていること」が考えられる。4月、はじめてスケッチするときに「スケッチの仕方」については説明しているものの、きちんと身についていない。また、4人組のグループをつくって、気づきを話し合いながらスケッチしているため、スケッチに集中できない子どもがいた。 スケッチの仕方の指導を行うとともに、グループ活動の中でも、ある程度はスケッチに集中できるようにしてあげなければならない。(つづく)
2007.05.16
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ホウセンカとオクラの観察。「子葉」と「葉」について知ったところで、その「子葉」と「葉」の違いを話し合わせる。「大きさが違う。」「形が違う。」「葉にはギザギザがある。」「葉は柔らかい。」そんな中、「1枚と2枚」とつぶやく声が聞こえる。そのつぶやきを取り上げようとし、つぶやいた子どもを指名するものの「見た目が違う」と、先ほどと異なったことを発表する。「1枚と2枚っていっていたよね」といって「1枚と2枚って何?」と他の子どもに問い、「オクラとホウセンカの葉の数」と答えるものの葉の出方はあまり問題にならない。ここで、オクラは葉が1枚ずつ出て、ホウセンカは2枚ずつ出ることに気づかせたかったのだが、子どもたちは続けて次のように発言する。「ぼくの葉は4枚。」「私のも4枚だよ。」「もっと出てきそうだよ。」そこで、これから楽しみなことを発表させる。「草たけを調べてみたい。」「葉は子葉みたいに大きくなるのかな。」「いっぱい出てくると思うよ。」「葉が出てくるの?」「じやあ、子葉はどうなるの?」「2枚のままだと思うよ。」「子葉は大きくなるのかな。」「葉が何枚ずつ出てくるのか」が問題にならないまま授業を終える。授業中に何度か聞かれた「1枚と2枚」というつぶやき。どうして上手く取り上げることができなかったのだろうと反省ばかりが残った。
2007.05.15
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「『前回(1週間前の観察)との違い』に着目してオクラとホウセンカを観察しよう。」子どもたちは、1週間の成長に驚きながら、観察カードに書き込んでいる。そんな中、ある子どもが次のようにつぶやいた。「口みたいのが出てきた。」ホウセンカの葉の特徴をとらえた発言である。そこで、他の子どもたちに「○○くんがいっている『口みたいなもの』って何ですか」と問う。「ホウセンカから出てきた新しい葉っぱです」という答えを期待していたのだが、子どもたちから発せられたものは、全く違っていた。「子葉だ。」「え、ふたばじゃないの?」「たぶん、ふたばだよ。」子どもたちに大きな戸惑いはないものの、私自身、子どもたちの発言の「意図」が分からない。何が起こっているのか状況が把握できないのだ。このことが、あまり話題にならない班もあることとあわせて、どんどん私自身苛立ってくるのが分かった。しかし、いくつかの班の話し合いに入っている間に、子どもたちが「ふたばが何か分かっていない」ことに気づく。当然、分かっているものの考えていたのだが、多くの子どもたちが「知らない」(もしくは「覚えていない」)のである。そこで、ホウセンカの図を板書し「ふたばはどれですか」と問う。一人の子どもが、はじめに出てきた2枚の葉っぱ、ふたばを赤色のチョークで丸く囲む。すると、他の子どもが「ハイ」と手を挙げて、次のように発言した。「それは、子葉です。最初に出てきた葉っぱは、子どもの葉だから、子葉といいます。だから、ふたばは新しく出てきた葉っぱです。」教科書を読んできたのだろう。もしくは、どこかで教えてもらっていたのかもしれない。「子葉だ」という答えは間違いではない。しかし、この発言に多くの子どもが納得してしまう。ここで、次のように説明する。「はじめに出てきた2枚の葉っぱをふたばといいます。」多くの子どもから「えー!」とどよめきの声が上がる。続けて説明する。「ふたばの正しい名前を『子葉』といいます。」このときの子どもたちの反応がおもしろい。「忘れてた、最初に出てきた葉っぱがふたばだっていってたじゃん。」「どっちもあってたんだね。」「じゃあ、真ん中は何?」「『真ん中』とは」と尋ねると「新しく出てきた葉」のことを指さす。この「新しく出てきた葉っぱ」を「葉」と呼ぶことを説明し、観察カードのスケッチに「子葉」と「葉」とかき込ませた。(つづく)
2007.05.15
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前回の観察から1週間。再びオクラとホウセンカの観察をする。オクラとホウセンカのポットを机の上に置き、前回の観察のときとの違いを話し合わせる。「葉っぱが増えている。」「前回より、葉っぱが葉らしくなっている。」「だんだん丸くなっている?」「毛が短くなっている。」「感触が違う?」いろいろなことをつぶやいている。(ビデオを見て分かったことだが、このとき「オクラが1枚でホウセンカが2枚」と発言している子どもがいた。ぜひ取り上げたかった発言だった。)発表させてみると「葉っぱが新しくなった」「新しい葉っぱが増えた」と発言する。すると、一人子どもが次のようにつぶやいた。「何枚か出ている。」このつぶやきを思わず取り上げる。このとき、私はオクラとホウセンカの葉の出方の違いに着目させることができると考えたのである。オクラは1枚、ホウセンカは2枚、もしくは4枚の新しい葉が出ている。しかし、子どもたちはこのことに関心を示さなかった。「葉っぱが大きくなった」「茎の長さがちがう」など、他の気づきを発表する。仕方なく、先ほど発表された「茎の長さ」のことを「草たけ」と呼ぶことを知らせ「『前回との違い』に着目して観察しよう」と次の活動に移る。すると、スケッチをはじめてすぐに「すごい」という声が上がる。その子どもをみると、葉に定規を当てている。そこで、「長さを測ると、大きくなっていることが分かるね」と声をかけ、観察カードにも記録するように指示した。(そのときあまり気づかなかったが、ビデオには「すごい」という声に続けて「2cmが4cmになった」という声が残されていた。)オクラとホウセンカの「葉の出方」の違いには着目しなかったものの、1週間の成長、特に草丈や葉の大きさの変化に驚きながら観察することができた。(つづく)
2007.05.15
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オクラとホウセンカの種まきから、2週間。おおむね「芽」が出そろう。今回、その「芽」を観察する。まず、それぞれのポットを教室の机の上に置き、オクラとホウセンカの「芽」の共通点と相違点を話し合う。実際には、グループをつくらせ「オクラとホウセンカの『芽』を比べて、同じところと違うところを3つずつ見つけなさい」と指示をした。すると、いろいろなことを話し合いはじめる。あるグループでは、次のように話し合っていた。「色が違う。」「ホウセンカはつるつるしているね。」「オクラは毛が出ているよ。」「ホウセンカも短い毛があるよ。」「ホウセンカには模様がない。」「でもよく見ると、うすい線が一本だけあるよ。」「オクラは赤くなっていない。」「どちらとも、葉っぱが2枚あるね。」「『ふたば』が開く?」「『ふたば』の間から毛虫みたいのが生えているよ。」「葉っぱの裏を見てみようよ。」「裏は、1本ずつしか線が入っていない。」「えっ、たくさん入っているよ。」「丸い形をしているね。」「形が違う。」5分ぐらいの時間であった。その後、カードを配り、スケッチさせる。授業の最後に、一人の子どもが次のようにつぶやいた。「ぼくのオクラのポットから、ホウセンカが出ている。」おそらく、種まきのときホウセンカの種がオクラのポットにこぼれたのだろう。しかし、この子どもは、それぞれの特徴をしっかりと捉え、「区別」することができたのである。最後に、この発言を取り上げ、次のように問うて授業を終えた。「どうして、オクラのポットからホウセンカの『芽』が出ていることが分かったのでしょう。」
2007.05.08
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このblogにも書いたが、授業を振り返るときに「リフレクションシート」を活用するようにしている。(といっても、まだ何度しか行っていないのだが。)今回は、その「リフレクションシート」を紹介する。鹿毛雅治氏(慶應義塾大学)は、この「リフレクションシート」について「子どもの姿に学ぶ教師」のなかで次のように述べている。 ・・・・ ここでは、筆者も関わって共同開発した「リフレクションシート」(表3ー5)について取り上げてみたい。リフレクションシートとは、藤沢市教育文化センター教育実践臨床研究部会によって、とくに以下の三点に留意しながら開発された授業リフレクションを促すためのツールである。 ○授業中の教師の内面過程や評価的思考に注目する ○授業リフレクションを行う祭の手がかりを残す ○授業の構造を明らかにする 表3ー5に示すように、リフレクションシートは五つの欄から成っており、授業者が授業中に何を見取り、何を考え、どのようにふるまったかなど「行為に埋め込まれたリフレクション」を可視化する。このツールは「対話リフレクション」の形態で使用されることが前提である。すなわち授業者は、授業者は、プロンター(授業者の振り返りを促す役割の人)とともにこのシートを記入していくことを通して、気づきを得たり、認識を新しくしたりする。 ・・・・なお、具体的なシートの使い方は、次のように示されている。 ・・・・・(1)シートの準備 授業者は授業を行う前に「本時の目標・ねがい」と「当初Plan」の欄を記入する。(2)授業の実践 授業者はプロンターの参観、またはVTR収録を伴って授業を実施する。(3)シートの記入 授業終了後、授業者一人で「See」「修正Plan」「Do」の欄を記入する。(4)授業リフレクション:シートの追加記入 授業者はプロンターとともに授業を振り返り、新たな発見や気づきがあれば「See」「修正Plan」「Do」の欄に追加記入を行う。(5)シートの確認 授業者は追加記入の済んだシートを見返して、授業リフレクションを行う前と後での授業に対する印象の違い、次時の授業Plan等を確かめる。 ・・・・・もちろん、まだ私自身も十分に説明することができるわけではないのだが、この数週間のうちに「リフレクションシート」が「授業リフレクションを行う祭の手がかり」になることを実感することができた。できれば、このblogでも、授業リフレクション後のシートそのものも紹介していきたい。(なお、写真は私がかき込んだシートである。)
2007.05.07
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「チョウをそだてよう~その1」を振り返って、次のようなことが見えてきた。(前回のリフレクションのときとは違って、「教科の分かり方」というよりも、「教師の子どもの見方」に関することだろう。)○友だちの話をよく「聴き」、よく考えている子どもは、手を挙げる暇がない。 モンシロチョウの卵の「形」が話題になったときである。「立っている」という発言に対して「よく考える子ども」は、その「立っている」様子を懸命に「ことば」や「ジェスチャー」で何とか表現しようとしていたのである。にもかかわらず、クラスの約半数の子どもたちは、「別の気づき」を発表しようと次々と手を挙げ「ハイ、ハイ!」と大きな声を出す。ビデオを見て気づいたのだが、その表情に、「思考している」そぶりはは全くない。先ほど上げた「何とか表現しようとしている」子どもとは、全く雰囲気が違うのである。今後の学習に対して疑問や調べてみたいことを発表させたときも、同じである。「ハイ、ハイ」とどんどん発表しようとしている子どもの陰に、一つ一つの発言にしっかりと耳を傾け、何かぼそぼそとつぶやいている子どもがいるのである。この子どもは、友だちの発表を「よく聴く」ことで、手を挙げる暇がないのである。ビデオの中で同じ画面に写っていても、その子どものまわりだけ、なんだか「しっとりとした空気」が流れているように見えた。これまで、私たち教師は、自分の考えをしっかりともち、意欲的に手を挙げハキハキと発表する子どもを求めてきた。しかし、このように振り返ってみると、本当に「学んでいる」のは、どちらの子どもだろうか。私の未熟な授業の中にも、手を挙げる暇もないほど友だちの発言を聴き考える子どもがいる。このような子どもの姿を大切にしていきたい。
2007.05.02
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モンシロチョウの卵の観察が一通り終わり、「卵」と「成虫」の絵を黒板の両端に描く。子どもたちにノートに写させ、その成長の過程をグループで話し合わせる。(しかし、なかなかグループでの話し合いを看取ることができない。ただ単に、うろうろ動き回っているだけだからだろう。ここで紹介するかかわり合いも、ビデオから起こしたものである。)「幼虫から脱皮してさなぎになる。そして、さなぎになる。あっ、羽化もする。」「羽化して、幼虫になるんでしょ。」「そう、そう。」このグループの「成長の過程」に関する話し合いは、ここで終わってしまう。「羽化」という言葉をきちんと理解しないまま使っていることも気になるが、ここで、話が止まったことが問題である。ビデオには、その2つの原因が写されていた。一つ目は、「絵」にこだわり、「絵」そのものが問題になっているのである。例えば、その後「脱皮している様子をかくのって、難しいよね」というような声が多く聞こえてくる。二つ目は、「絵」で説明することができない子どもが多いのである。(よく考えれば、3年生の子どもにとってできないのは当たり前である。)何度も、かいては消すをくり返しているのである。しかし、もっと話し合いを深める方法はあったのではないか。「脱皮がよくかけない。」このこと一つをとっても、「よく見たことがないのでかけないのか、かくのが難しいからかけないのか」と問うだけでも授業の展開は変わっていただろう。ここで、疑問に思うことを発表させる。「出てきた幼虫が、どうやって緑色になるのかな。」「最初はオレンジ色だよね。」「キャベツを食べるから?」「なぜ、4回皮を脱ぐのだろうか。」「大きくなってさなぎになるから?」「さなぎは、電柱にいるよ。ヘビの抜け殻みたい。」「じゃあ、どうして皮を脱いだら大きくなるの。」最後に、調べてみたいことを発表させる。「どうやって大きくなるか見てみたい。」「どうやって、皮ができていくのだろう。」「卵をうむところも見てみたいな。」「あ~、ぼくも見てみたい。」「幼虫は、どうやってさなぎになるんだろう。」「だんだん大きくなって羽がでてくるの?」「どれくらいの時間で成虫になるのかな。」「3ヶ月?、7ヶ月?」「幼虫が卵を食べるところも見てみたい。」「えっ、卵を食べるの?」ここで、チャイムが鳴り時間オーバーである。予定していた「成長の過程」に着目させることはできたようだが、一人一人の「既有の知識」の「差」も感じた1時間であった。この「差」を大切にするといいながら、なかなか上手くいかない。
2007.05.01
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子どもたちに、班に1個のモンシロチョウの卵と2人に1個の虫眼鏡を配る。もちろん、どの子どもも勢いよく観察をはじめた。頭をぶつけながらも「すごい」と声を上げる子どもたち。中には、女子に虫眼鏡を取り上げられた男子も。(ビデオで見てみると、虫眼鏡を取り上げられた男子は、卵を入れたケースのふたで遊びはじめている・・・。)虫眼鏡の使い方を説明した後に、気づきを話し合わせた。すると、一人の子どもが次のように発表する。「卵は立っている。」今思えば、この子どもは、縦に細長い形のことをいいたかったのだろう。しかし、うまく取り上げることができず、「他にはありませんか」と問い、他の気づきを発表しようとしていた他の子どもを指名してしまう。(ビデオでは、この発言の後、多くの子どもたちがうなずいている様子が写っていた。中には、両手を合わせて「こういうふうに立っている」と友だちに話している子どももいた。)「何か埋まっている、食い込んでいる」「先っちょに白いのが見える」「模様がある」などが、次々と発表されるものの、なんだか「言わせっぱなし」である。そんな中、「僕たちの班の卵は、色が違う」と発表した。よく見てみると、班に一つずつ卵を配ったつもりだったのだが、たまたまその班の葉にだけ2つの卵がついていたのである。「一つは白、一つはオレンジ」という発言をもとに、他の班の卵を観察させることにした。「赤くなっているから、もうすぐ生まれるかも」という声が聞こえるものの、話題は「色」から次々と移り変わっていってしまう。あるグループでは、「模様」が話題になる。「何か模様がある。」「たてがいっぱいあって・・・。」「ある、ある。」これも、ビデオで見つけた子どもの会話である。続きが聞きたかったのだが、他の子どもの「次にいこう」の一言で終わってしまう。次の話題は、次の通りである。「たおれている?」「生きているのかな。」「たてになって出てくるのかな。」この「たおれている」ことは他の班でも話題になっていた。「なんだか丸くなっていない?」「っていうか、たおれているよ。」「横になっているよ。お昼寝しているのかな。」「出てきそう。」「立っている」「たおれている」という発言は、私にとって思いがけないものであった。しかし、これらは子どもたちが何かを説明しようと必然的に出てきた「ことば」であり、友だちと共有された「ことば」であろう。(つづく)
2007.05.01
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3年生では、オクラとホウセンカの観察と並行して、モンシロチョウを飼育し観察する。今回は、その導入の授業である。子どもたちに、モンシロチョウを育て観察することに対して、見通しをもたせたい。また、事前の調査から、多くの「虫嫌い」の子どもがいることが分かった。そこで、モンシロチョウそのものにも興味・関心をもってもらいたい。まず、教科書を開きモンシロチョウの成虫の写真を見る。成虫とともに、葉についている卵にも気づく。(ビデオを見て気づいたことだが、別のページの幼虫の写真を見て「モンシロチョウだ」といっている子どももいた。)そこで、「モンシロチョウは、何をしているのかな」と問う。すると、「卵をうんでいる」と多くの子どもが声を上げる。(ビデオには、「葉っぱについているから、タマゴをうんでいるんだよ」と「理由」を説明している子どももいた。もっと、このような「声」を取り上げることができるようになりたい。しかし実際には、「えっ、卵を食べているんじゃないの?」という声かけしかできなかった。)ここで、キャベツ畑から私が採ってきたモンシロチョウの卵を、グループに一つずつ配る。思っていたよりすぐに卵を見つけ、「小さいな」とつぶやく。この「小さい」という発言に「教科書に実際の大きさが書いてあるよ」と答える子どももいた。そんな中、一つのグループが、一人の子どもがもっていた虫眼鏡で観察している。このグループの様子を取り上げ、「虫眼鏡があると、観察しやすいね」と他の子どもたちに虫眼鏡を配る。後でビデオを見て分かったことだが、そのグループでは次のようなかかわり合いが生まれていた。「あった、あった。」「小さいね。」「触ったらつぶれるよ。」「虫眼鏡が欲しいな。」「あっ、あるよ。私もってる。」「貸して貸して。」実は、はじめは私が虫眼鏡を配り、くわしく卵を観察するようにと指示するつもりであった。しかし、そんな私を子どもたちははるかに超えていたということであろう。(つづく)
2007.05.01
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