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http://209.85.175.104/search?q=cache:kY3tHCMsA9UJ:2006530.blog69.fc2.com/page-1.html+%E7%99%BD%E6%B4%B2%E9%80%80%E8%94%B5%E3%80%80%E6%97%A5%E9%8A%80&hl=ja&ct=clnk&cd=3&gl=jp&lr=lang_ja明治14年の政変で佐野大蔵卿が辞職、代わって内務卿・松方正義が大蔵卿に就任したのは14年10月21日であった。フランスから帰国後、不換紙幣の整理を急ぎ、そのために海外からの正貨吸収を必要と考えた松方は、その実行に当たって横浜正金を利用せんとし、従来の管理官を廃し、代わりに特選取締役を任命することなどを示達した。特選取締役は政府持株に関して政府を代表する者で、大蔵卿が任命する民間人を充てたが、これは官吏たる管理官が管理するよりも、民間適任者を選んで業務を任せた方が時宜に適すると松方が考えたからである。松方が大蔵卿に就いた14年の末から翌年にかけ、商況は激変して貿易関係業者の倒産が増加した。横浜正金の得意先にも破産が増えたが、中村頭取の経営は放漫に流れ、15年上半期の決算は彌縫策を講じて配当を据え置きとした。これを憂慮した松方の追及で、中村頭取は7月10日の総会で引責辞任し、副頭取小野光景が頭取に就任、任期満了で副頭取を退いていた小泉信吉が副頭取に復活した。特選取締役には河瀬秀治、村田一郎が選任されていたが、河瀬は6月に辞任、これに代わって摂津三田藩(藩主・九鬼隆義)の儒官で藩の大参事もした白洲退蔵が、三田藩顧問・福沢諭吉の推薦により、8月に取締役に特選され、直ちに副頭取に就いた。しかしながら、小野新頭取は中村時代の隠蔽体質を継承して彌縫策に走り、官民分離論あるいは平穏解散論を唱えて株主間に宣伝したから、株主間でも不穏な動きが広がり、小泉も職権の発揮を保証されないとして早々に副頭取を辞した。松方大蔵卿の意向は、同行の改革のため、白洲退蔵を頭取、深沢勝興を副頭取に任じ、深沢の手腕で改革を断行させることにあった。そこで福沢は、頭取含みの特選取締役として、松方に白洲退蔵を推薦したのである。しかし深沢は病身で、16年1月の定時総会では頭取に白洲、副頭取に小泉が就き、深沢は取締役に再選されたものの2月1日に病死する。計画が頓挫した松方は、止む無く3月22日、第百国立銀行の原六郎を特選取締役に任命し、頭取に就けた。白洲と小泉は辞任し、小泉は古巣の大蔵省に戻り、白洲は19年になって岐阜県大参事に就く。引用元がうーんなところなんで どうかなと思うのですが 白洲退蔵さんの話ですhttp://d-arch.ide.go.jp/je_archive/society/wp_unu_jpn86.htmlさらに こちらです。頭が痛くなるような事情があったようです
2008年06月22日
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http://ameblo.jp/panqueque8/entry-10069217295.html#cbox広島のモーターボート利権のドンだった幻ちゃんこと 岩田幸雄について まとめたページです。児玉誉士夫より 年上ですね明大中退とありますが 吉田彦太郎 関山義人 三浦朝雄とか右翼の筋の方で 明大系の方は多いですね。児玉軍団の中核は明大の愚連隊のようでもあります。経歴をみた限りでは いわゆる獄中13年というのは何回かに分けてなんですね。大化会にもいたようですが wikiの説明では ちょっとちがっていて会長の岩田幸雄が死んだあとに 一度 解散してから 現在の大化会ができています。日本の地下人脈 岩川隆 何も知らなかった日本人 畠山清行 両方とも祥伝社文庫を読むと いわゆる児玉機関というものは オーバーに解釈されがちであるというのが出ています。白洲正子が 心に残る人々 講談社学芸文庫でも 岩田のことに 書いていますが児玉機関で 活躍していた 岩田のことについて書いていますが 児玉誉士夫の機関とはしていませんし いわゆる児玉四天王というのも 人によって 当てはまる人がちがうんですね。日本財団のページを見ますと 岩田幸雄のところで 女優の小暮サンの噺がでていますが 児玉機関が乗っ取った形の 水田機関の水田光義の兄弟の和田日出吉で この人が 小暮の旦那とありますが ただ 小暮の評伝には これはでていません。ネットで検索すると 原子爆弾と岩田幸雄のことがでていますが これも航空塗料として使っていた ラジウムの噺が どこかで ウラニウムになって だれかがこしらえた噺にも思えます。児玉や 岩田も よく日本にもどってきたようで 実際に 上海で 差配していたのが 副機関長の吉田彦太郎ということは 児玉誉士夫の役割というのは オーバーに解釈されがちのようです
2008年06月21日
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http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=23534&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=5416&DPAGE=1&DTOTAL=6&DPOS=6&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=23681私は特に吉田首相にお伺いしたのであります。新亜通商株式会社というものがありまして、これは昭和二十四年のことでありますが、そのもくろみ書には、発起人が第一回打合会を本年六月二日首相官邸において開き、とあります。新亜通商株式会社というものの文書の中に、こういうことが書いてある。はたして事実とするならば、首相官邸はそういうことに使われるべきものであるか、これを一点伺いたい。さらに第二には、この発起人の顔ぶれが小畑忠良、これは情報局の総裁であり、また翼賛会の幹事もやり、その前には住友本社の理事もやつた人で、現在私の聞くところによれば追放されている人である。発起人の中で柳田という人が、戰争犯罪人として追放されないという確証があるほかは、全部その疑いがあり、現にかかつておる人であります。こういう人々が、打合会という以上、柳田一人ではできません。やはり何人か集まるとするならば、この中の人が集まつた。一体そういう人が首相官邸に出入りしていいものかどうか、これをはつきり御答弁願いたいのであります。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/006/0488/00611190488008a.html○梨木委員 この密輸事件に関連いたしまして、特に今度逮捕された人々は、この以外にも相当多額の密輸を計画し、また実際成功しておるということをわれわれは聞いておるのでありますが、この点について、検察庁はどういうような捜査をし、どのように事実が判明しておるか、これを伺いたいと思います。○高橋(一)政府委員 その点につきましては、現地の検察庁でもおそらくそうであろうと思いますが、法務府といたしましては、ただいま申し上げたことのほかには事情を知つておりません。○梨木委員 この事件で逮捕された三上卓、これは御承知のように五・一五事件の関係者であります。こういう人がこの密輸に関係しておる。そうして彼が逮捕されて語つたところによると、この密輸によつてもうけた金で、かねての志を実現しようと考えておつたということは、とりもなおさず軍国主義的な、国家主義的な計画を実行しようということだと思うのであります。そうすると、こういうような人々が計画的に、つまり軍国主義的な計画を実行するために、軍資金を集めるための運動がなされておつたということが、これによつて明白であります。そこで特に最近いろいろと原因不明の奇怪な事件が起つておる。たとえば下山事件だとか、あるいは今度の三鷹事件だとか、松川事件だとか、これらは現在検察庁が手を入れたところによると、何か共産党と関係があるようなことが宣伝されておるのでありますが、たとえば去る十月二十九日に、国鉄信濃川送電線が何者かによつて妨害された。このために東京地方においても、幾らかの間停電しておつたという事実があるのでありますが、この事件の犯人として検挙された上村達雄という人間がおります。この上村達雄という人間は、過般の国会の本会議におきまして、問題となりました新亜通商、これは大体われわれの調べたところによりますと、密貿易を主として目的としてつくられた会社のように思われる節があるのでありますが、この新亜通商の中心人物であるところの今成拓三という人の分家にあたる今成クミという人の家に身を寄せて、お世話になつておつたということが判明しておるのであります。この人間がこういう信濃川の送電線の妨害をやつておる。しかもこれは現在捜査の進められておる段階におきまして、この事件が起ると同時に、やはりこれは共産党がやつたのじやないかということで、いろいろとそういう調査が進められておるのであります。しかしこれは上村という人間がつかまつたので、右翼系統の人間がやつたものだということがほぼ明らかになつたようでありますが、下山事件にいたしましても、すべてまだ明確になつておりません。そうすると、こういう密貿易から、地下組織を通じていろいろな軍資金が出て、その軍資金におどらされて、いろいろな原因不明の事故や事件が引起されるということが歴然としておると思うのであります。しかもこの新亜通商の立役者と言われておるところの今成は、こういうことを言つております。現在いろいろ原因不明の事件が起つておる。これはわれわれの聞いたところによりますと、どうもこういう地下組織の連中のやりそうなことだという趣旨のことを言つておる事実があるのであります。そうしますと、これは非常に重大な問題だと思うのであります。でありまするから、この点についてまず私が伺いたいのは、この信濃川送電線妨害事件の犯人の上村達雄と今成拓三との関係を、どういうふうに調べられておるか。この点を伺いたいと思います。○高橋(一)政府委員 ただいまの点につきましては、ただいま手元に資料を持つておりませんので、お答えができません。○ 梨木委員 それではその次に、新亜通商というのは、実は中国との貿易で、約四億円ばかりの砂糖の密貿易に成功しておるということも、われわれは聞いておるのであります。こういう点について、法務府には一体どういう報告が入つておるか。検察庁はどうい捜査を進めておるか。これを伺いたいと思います。http://www.mekong.ne.jp/directory/history/bamawjapanbomei.htm吉田茂がどの段階で登場するか 注目してくださいhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%8F%8B%E5%95%86%E4%BA%8B住友商事といえば 戦前からあった会社のように思えるのですが 実は戦後スタートした会社であることに注目http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E8%85%B0%E5%81%A5%E9%80%A0住友商事設立の功労者の一人なんですが この方が どういうわけか閨閥として 吉田茂につながるわけですが 新亜通商の発起人も 住友系の方ですが 捜査が進まないわけです。海烈号事件でも 資金と流通ルートをもっている会社が後ろにいないと 密貿易なんかできないわけですが なるほど商社と 怪しい人脈というのはこういうかんじでつながるのですね
2008年06月19日
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http://en.wikipedia.org/wiki/Zayed_bin_Sultan_Al_NahyanBCCI ScandalIn 1972, Agha Hasan Abedi, a Pakistani banker who had set up a new bank called Bank of Credit and Commerce International, approached Sheikh Zayed for investment capital. Abedi had previously set up the United Bank of Pakistan in 1959, which later became a leading nationalized bank in 1971. With this new project at hand, Sheikh Zayed became responsible for fronting the majority of the investment, also partnering with Bank of America (25%) and, allegedly, the CIA. It is claimed that the CIA were seeking a funding route for the mujahideen in Afghanistan, similar to the Investors Overseas Service and the Nugen Hand Bank in the 1960s.By 1977, the bank was almost certainly insolvent, using cash from deposits to fund operating expenses, rather than making investments, taking on the attributes of a Ponzi scheme. Within another eight years, the bank reported assets of over $4 billion with over 150 branches in 46 countries. Bank of America reduced its share in the bank, with Abu Dhabi's holdings companies taking on a controlling block.In 1990, a Price Waterhouse audit of BCCI revealed an unaccountable loss of hundreds of millions of dollars. The bank approached Sheikh Zayed, who made good the loss in exchange for an increased shareholding of 78% of the bank.In December 1991, further investigation found layers of criminal activity taking place through the bank. Around this point in time, U.S. law enforcement was able to legally establish BCCI as an organized crime syndicate. Though Sheikh Zayed's name was not directly mentioned during interrogations, numerous family members were implicated in criminal activity tied to the bank. The investigation found evidence of bribery, money laundering, arms trafficking, prostitution, and support of terrorism. (http://www.fas.org/irp/congress/1992_rpt/bcci/04crime.htm)田中清玄の知り合いのアラブの王様が かって インチキ銀行に関与していたという件についての引用です。このBCCIについては かって国会で 日本興業銀行との付き合いが問題になったことがありましたが、あれも中山素平の時代からと考えれば 納得もできます。なにが呪縛だなるほど アラブの王様のインチキ銀行の用心棒 パリで豪遊できたわけだし 金融債買って貰える王様の代理人といえば 中山素平も葬式にはでるわな
2008年06月16日
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この安藤(明)といっしょになって動いていたのが やはりGHQの工事を請け負いボロ儲けをしていた神中組の田中清玄であった。のちに神中組は三幸建設に 改組されている。田中清玄もまた松前重義の信奉者だった。安藤たちはポスト幣原内閣として GHQに働きかけ 松前首班を打ち出していた。ところが 肝心 の松前が公職追放をかけられ 工作は頓挫した。怒った安藤と田中清玄の二人は 楢橋渡内閣書記官長のところへ 早朝 殴りこみをかけた事実もある。黒の機 関 森詠 祥伝社文庫よりhttp://tech.heteml.jp/2006/11/post_836.html安藤明についての説明はこちらを参考 にしてください。現在 出ている本では 宮崎学著の不逞者に 安藤明のことがでています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%89%8D%E9%87%8D%E7%BE%A9松前重義については こちらを参考にしてください。追放直前は 逓信院の総裁でこの経歴をみる範囲では、清玄も 若干 かかわりのある玄洋社系の方と親しかったようですが たしかにこの方は熊本出で 安藤明の葬式に出た わずかの政治家の一人が 西郷吉之助さんです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%A2%E6%A9%8B%E6%B8%A1楢橋渡については こちらを松前重義が 反東条で南方に流されたいたときに 知り合ったのが 水野成夫のようですが、どうも この松前 水野 安藤のラインで 官僚時代の 佐藤栄作 池田勇人と結びついたような状況です。最初から 吉田系ではなかったようで、この松前重義との結びつきがあるので 意外に 社会党系にも 顔が利いたらしいことへの謎が解けました。電源防衛について、下山事件 最後の証言の中で 清玄が 主流のラインとちがう立場にいたのも 戦前までの逓信省ラインから 電力の利権が 商工省ラインに取られてしまったように見えることと 大きな関係があるのかもしれません。しかし このようにみると 反岸という立場の根本がわかります安藤明は 戦時中に、朝鮮人の手配師からはじめて 土建屋業で 一時期 大成功を収めたようですが 清玄もその引きで 土建屋で 成功したようですがなにも隠すほどのことではないと思うのですが、自伝では まったくといっていいほど 触れられていないところが面白いです。
2008年06月15日
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白洲次郎のお父さんの文平さんのことを調べてみると 一般的には どういうわけか 綿貿易の貿易商という見方もあるのですが。かならずしもまちがえているわけではないが 弟の長平さんが 大正の相場師 高倉父子のダミー役を引き受けたり この高倉父子が 白洲の仲買店で 相場で損をしたとある以上 文平さんの本業は 確かに現物も扱うが 先物の相場で ヘッジをかける以上の取引をしていたのに間違いはないように思う。そして場合によっては 先物以外の株も 自分だけでなく 一般の客も相手にしていたんだろうと思われます。また文平さんのお爺さんとも 付き合いのあったのが keswick家で 退蔵さんが 頭取をやった 横浜正銀も keswick家と関係の深い 香港上海銀行の協力を創設から受けているわけです。吉田茂の養父もkeswick家と関連が深いわけですが 白洲家も同様なわけです。文平氏も 綿貿易の世界に入っていった段階で まだ大阪には 取引所はないわけですが 私には こういった面でも 後援者の一人に まちがいなく keswick家がいるのではないか?と思うのですが。次郎さんが 白洲商店破産後に 横浜にでてきたのですが この当時 横浜にあったのが 生糸の先物の取引所とマセソン商会の支店です。ジャパンアドバタイザー時代からの知り合いだったはずですが 日本蓄音機商会の三保さんという方がいます。次郎さんが 高給に引かれて セール フレザー商会に転職するわけですが セール フレーザ商会というのは ネットでみた範囲内では 確かに商社のようにおもうのですが 債券の引き受けをしたり 投資をしたりする会社する面もあったようです。また商社としては 日本蓄音機の代理店のような仕事もしています蓄音機の販売にいそしむ 次郎さんちょっと似合いかもしれない?セールフレーザ商会から 日本食糧工業への転職も 満州事変で 業績が低迷して 閉めたというところのようで 水産物の件で いろいろ付き合いのあった 日水の田村社長の誘い(蟹や 鯨油うってくれ)というのは あくまでも表向きの理由あの若さで あの給料 そんなわけないじゃない日水グループは バンバン新規に投資をしていた点で そのための資金調達係でもあり 親分の鮎川義介も 満州進出の際の 外資導入を企画していたので 海外にも 顔の広い 正子さんの顔で 宮中にも顔が効く 次郎さんが 抜擢されたわけでは?このさいに 満州への外資導入のさいに 走りまわっていたのが 鮎川義介の懐刀の この三保幹太郎さんで このへんの引きかなとおもうのですがなんで隠すのかな?
2008年06月11日
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http://en.wikipedia.org/wiki/Keswick_family#John_.22the_younger.22_KeswickWilliam Johnstone "Tony" Keswick"Tony" Keswick arrived in the far east in 1926. He and his brother remained Directors of the firm after they had left the Far East. He was in charge of the Shanghai office (at that time the Head Office in the Far East) from 1935 until 1941. He was also Chairman of the Shanghai Municipal Council during the crises leading to the Pacific War. He was shot in the arm by a Japanese at a Municipal Election Meeting held on the Shanghai Racecourse in 1941. The company's chinese business interests were looted by occupying Japanese forces.After the war he took over as Managing Director of Matheson & Co. Ltd, in London. Amongst his other business activities, he was Governor of the Hudson's Bay Company, Director of the Bank of England, Vice-Chairman of Alliance Assurance, and Director of British Petroleum.[edit] John "the younger" KeswickJohn followed his brother to the far east in 1929, and replaced him in Shanghai after the shooting incident. He fled the city when the Japanese took the city. He escaped to Ceylon (Sri Lanka) and served during the war with Admiral Earl Mountbatten's staff.John Keswick returned to Shanghai after the war to organize in the rebuilding of Jardine's office and to reestablish the firm's trading links throughout China and Asia. In 1949, after the communist party's takeover of China. Jardine's head office was moved to Hong Kong. Despite attempting to work with the communists business conditions became worse operations were closed in 1954 with the effective nationalisation of the companies interests and a $20m loss.John Keswick became a member of the Hong Kong Executive Council in 1952. He retired as Tai-pan in 1953 and joined Matheson & Co in 1956. While in England he and his brother financed the buy-out and then public floatation of Jardine Matheson.下の方のジョンさんが 白洲次郎さんと友人だったかたです。徳本栄一郎さんが 去年 文藝春秋に出したレポートの中では この上の方の ウイリアムさんを 吉田茂の養父の上司としていますが これは別人のようです。中共と取引をしようとしたみたいですが 失敗しているというのが 興味深いです。
2008年06月07日
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室町将軍 三浦義一の語る 戦前の白洲次郎白洲さんの爺様の付き合いに、寺島宗則という外交官がいるんだがこの人が 英国に渡るときに、世話になったのが かのマセソン商会だな。白洲文平という次郎さんの親爺が、一旗 あげたときに 世話になったのが マセソン商会で この頃 シナに綿花の工場をつくったときに、インドから 綿花を持ってくるのが 足りなくなって アメリカ周りからの綿花に 輸入に絡ませたのが 白洲文平さんだな。白洲家のご主人の九鬼隆義の娘が嫁いでいた 松方家とか 同じ仲間というか 藩内では 格下の小寺家から支援を受けたのは、間違いないんだろうが なにせ 小寺の場合は 元々 白洲家よりも 格下だったにも関わらず 3人の兄弟の嫁が 海軍大将と 三井の縁者からときては 文平さんとしては見返したいつもりがあったのだろうな最初は 綿花の輸入業者だったらしいんだが、誰しも儲けたいとなれば商品先物の世界が日本でも 拡大してくれば 現物だけでなく 先物もやる。人が足らなくなれば 身内をどんどん引き入れる 森村組にいた弟の長平を 外国にだし、藤本清兵衛の藤本ビルブローカー銀行 いまでいうところの大和證券だなで修行させ 自分の店で 働かせる最初の内はいいんだが さらに 筋の悪いところと 絡む弟の修行先の絡みで 相場師の高倉籐平 為三の線に絡む 口座を貸す 伝を辿って 十五銀行からの融資に絡むそれが 為三が 潰れて 信用をなくして どんどん左前になる破産したのも 世界恐慌の影響もあるが、信用をなくしたこと、綿花の流通自体の流れに 個人商社では 対応できなかったこともあるんだろうね。ここからは 次郎さんの噺だが 別に島流しで イギリスにいったわけではなく、親なりにおもうところもあったのだろうねそれで家が 破産だ。世界恐慌で破産する前から 家が左前になっていたのに なんであんな巨額の仕送りができたか 野暮な噺だよな仕送りも大変だから 稼げるところで 働かないといかんわな。そこで マセソン商会と目と鼻の先の 横浜のジャパンアドバタイザーという英字新聞で 働いたが俺とは その頃からの付き合いかな?ただ当時は 新聞記者というよりは 横浜の先物屋と思っていたがねそのあと 樺山の姫の正子さんと結婚だ。樺山の殿様も次郎さんの親爺さんを知っているだけに 印象がよくない。一方は陛下の信厚きお方で 一方はいまでいう闇の紳士で 破産者もっとも 正子さんの兄貴にしても、樺山の殿様にしても 真面目はいいんだが 線が細いし ひ弱だ。姉さんは あんな事件を起こすくらいだからね 華族社会でも変わり者の部類にはいるが どうもあの家は女の方が強いね戦前の日本っているのは 階級社会で 天皇陛下バンザイの国だ 皇室財産というものが しっかりあり 貴族院議員というものがあったわけだが その貴族院議員といっても、ふたつある 一つは華族からと それ以外だ。それ以外の選定というのは、当然 陛下の信厚いお方が なされるわけだし 皇室財産にかかわることでも 決定のかなりの部分が 陛下の信あつきお方がされるわけで 当然 樺山のとのさまも それに関わるわけだが まあ 議員になりたいだの 皇室財産との絡みで いろんなことがあるわけで 内内に処理できないことがいろいろあるわけだな。そこで 前々から 次郎さんのような人を 実は 必要としていたのが樺山の殿様が 結婚を許した本音のようだったようで。もっとも 次郎さんは 勅選を売っていたということで 評判を落としていた面もあるようだが それにはこんな背景があるようだな。旧友からの紹介で セール フレーザー商会 そして 今の日本水産にはいるわけだが 最初は 先物の仲買い人じゃないかとおもったくらいで 肩書きだけみるといろいろかわったような気もするが 本質的には 情報屋 金融屋 交渉屋だね。樺山家との絡みで 偉い線に顔が売れていたし 正子さんの友達が なんていったって 秩父宮妃だぜ 資金を集めて 海軍にもコネを作りたい また外資の導入もしたい鮎川義介あたりの案で 日水に入ったのが 本当のところだろうね。カニや クジラだけだったら 若造にあんな金だすかよ。ただ 日水は辞めて よかったね。いくら ヨハンセンといったって 鮎川義介にあれだけむすびついていたら 戦後の公職追放免れなかったとおもうけどね近衛さんところに 引っ張られたのも 樺山家とのからみもあるけど なにせ 秘書が 凶状もちの四元だから あの人の物好きもあっただろうね武相荘 いったね いいところだよ 俺の熱海の別荘からも近いし 秩父宮が静養された箱根からもすぐ 細川の殿様の別宅が同じ 鶴川 いいところだよね
2008年06月01日
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