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http://www.kanejyou.com/minwa29.html宇久須ですが 鴻池財閥というよりも 住友がメインで開発した鉱山のようです 運営の主体が 北海道の人間のようです 地下工場の建設とありますが 単純に考えて 鉱山の朝鮮人や中国人監視の労務屋というのが 当時の神中組の本質ではないかと思います終戦になり 前渡しされていた 資金を横取りしたが あとで うまくごまかしたというのが 本当のところのようです
2008年11月30日
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国税局査察部 児玉誉士夫のダイヤモンド 立石勝規 徳間書店田中清玄の世界の行 大須賀瑞夫よりの要約1 1944年夏 神中組を ムショ仲間数人と 母親の遺産を元手にして 設立2 終戦直前に 鴻池財閥の宇久須鉱山の地下工事の仕事を行う3 終戦後のその支払いを過剰に受け取り 膨大な利益を上げる(だれかが 後ろにいたんでしょうか)4 終戦時に 当時の金で五百万の金を神中組は所有5 三島の海軍工作学校等から 建築用機材の払い下げ等の便宜を得る6 この点が問題になり 占領軍から取り調べを受ける(これについては 田岡一雄の自伝に触れてる箇所あり)7 旧軍の施設関係の人間が大量に入社する8 羽鳥ダムの入札で 鹿島 間組に競り勝つ9 その資金調達のために 顧問の富田健治に 当時 住友銀行の安藤太郎 安藤太郎から 日本興業銀行の中山素平を紹介してもらう10 電力再編がひと段落した時期に増資を行う 11 それと同時期に 萩原吉太郎経由で 沖縄の仕事を 米軍から受ける12 沖縄への進出がうまくいかず 清玄は 三幸建設工業を追い出される13 松永のコネで タイのオイルシェール事業に参加するずいぶんちがった 清玄が見えてきます
2008年11月29日
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http://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/200811230000/#commentマックグレゴー自体は、船舶用の計測機器(メーター)を 仕入れ販売および船舶への取付けをする会社です。 今はこちらに統合。http://www.nakata-mac.co.jp/sochi.html かなり良いところに自社ビル持ってます。 本社ではなく東京支社、なぜかHPに記載なし。 (本社は尾道にあるようです)http://www.housing.co.jp/ir/pdf/20060830.pdf 自社使用より賃貸用途が主目的の様です。http://mytown.asahi.com/hiroshima/news.php?k_id=35000430809300001 「海事都市」としてまちづくりを進める尾道市。造船業が盛んな土地柄で、戦前から操業を続ける尾道造船(本社・神戸市)の尾道造船所は地元を代表する老舗(しにせ)企業だ。近年は途上国の経済成長を反映して受注が次々に舞い込む一方、材料の鉄鋼の値上がりが響く環境の中、難しいかじ取りを迫られている。創業以来の道のりや今後の経営見通しを三谷正紀所長(60)に聞いた。(大野正昭) ――尾道で創業以来、65年になりますね 愛媛県の弓削島出身で、海運業を営んでいた濱根岸太郎が、1918年に向島に向島船渠(せん・きょ)を創立したのが造船業の始まりです。太平洋戦争時、大阪鉄工所(現・日立造船)と合併し、造船業は事実上途絶えたため、43年に新たに神戸に本社を設立し、尾道市山波町で操業を始めました。http://plaza.rakuten.co.jp/junksai/diary/200802020000/ここにでてくる 隆正さんが 先にでてきた 岸太郎さんの婿養子になります尾道造船と日立造船の関係が この文章ではよくわかりませんが 推察するに 日立の尾道の造船所を、浜根汽船で引き継いだようにも思えます。造船疑惑のときに 日立造船からの裏金を池田勇人(この人も広島出)に回すのに 四元義隆 西郷吉之助 西郷隆秀が動くのも この縁からでしょう。清玄と 港湾事業についての関係が 自伝のほうでは 藤木孝太郎のと田岡一雄との関わりでしか触れていませんが まずは四元と知り合い、児玉がいうところの 玄洋社 黒龍会人脈と結びつくことにより 最初は 人夫出しの造船 港湾まわりの事業から 土木建設業として 神中組 三幸建設を発展させたとみるべきではないかと
2008年11月25日
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http://www.chuo-shokogyo.jp/kougyouren/kogyo_info/kamei_info/kameidantai_list09.html■特定非営利活動法人 地域の防災と町づくりを研究する会会社法人番号:0199-05-012798 創 立:平成20年3月21日 連絡所:中央区築地4-6-5 築地会館6F 三幸建設工業(株)内 電 話:03-3541-5971 FAX:03-3541-5975 Eメール:t-eig@sanko-const.com●プロフィール中央区内に本店、支店、営業所を置く総合建設業の会社により構成されているNPO法人です。 区内業者の技術力の向上や親睦を図るために7~8社で結成して以来、年々業者数を増やしてきましたが、平成のバブル崩壊により、平成12年の40社を境に減少に転じ、現在の会員は36社になっています。●沿革・昭和37年(1962年)築地会(会の前身)結成・昭和44年(1969年)中央建設協力会に改組・平成4年(1992年)中央建設業協会に改称・平成20年(2008年)NPO法人 地域の防災と町づくりを研究する会を設立http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/040/0106/04003130106015c.html○勝澤委員 私は、この議事録を見ると大へんおもしろく思うのは、何か雲野個人で金を借りることについて理事会が承認を天然スレートに与えているわけです。このやり方が、責任の所在がどうなるか、内認可というのは、実際には内認可でないわけです。聞けば聞くほどこれは実はわからない。 そこで次にもう一つ問題をお尋ねしたいのですが、築地会館というのがあります。これは総裁の前に関係をしていた極東何とか何とかという会社のものなんですね。それを東北開発に貸した、こういうことになるのですか。○渡邊参考人 築地会館を借り入れますときの事情は、よく山本理事が御承知であります。それも、いろいろ大蔵省等の折衝によって、どうしても君たち、自己資金でやり得るならばそれはいいけれども、あるいは他に金融の方法があるならよろしいけれども――政府としては容易に認めなかったのでございます。その以前に、約一年半以上、私どもはごく狭いところに、机もなしにやっておったものですから、どうしても事務所を他に移転しなければならぬ、人間も多くなって参りますし、二カ所も三カ所もに分かれていては事務取り扱い上非常に不便だというので、どうしても部屋が一つにまとまったものがほしい、こういうことで、いろいろ政府の方にもお願いしておったのでございますが、そのときに、自分で金融といいますか自己資金と申しますか、その事情はよく山本理事が承知なんでございますが、それが金がないというので、結局、それならば私が認可を得てやっておりました極東マックグレゴー株式会社というのから二千万円貸してあったのでございます。そしていろいろな賃貸借に対する保証金を入れるとかいろいろなことをやりました。その事情は山本理事が詳しゅうございます。○山本参考人 今の総裁のお答えは、大体いいのですがちょっと食い違いがございますので、私から御説明申し上げます。 実は、東北興業というものが破産的な会社で、自由になる金が一文もない。私どもも実は二カ年間机もなかったくらいの会社でございます。事務所もとても狭くて、来た人は病気をするというくらいな状態でありました。それが、なかなか政府からは事務所も認められなかった。たまたまその話が出て、認めることになったが、セメントが生産を開始するまではお前の方は四億円もの資金不足があるなら、それを早く返せ、それまでは事務所を認めるわけにはいかぬということで、そういうことでしたが、事務上どうしてもそこに移らなければならぬ事情にもなった。ところが自己資金が一つもない。もし自己資金が借りに行けるならば流用金の補てんを先にやらなければならぬ。そんなことから、金はなし、事務所は確保しなければならぬし、私としては、一体国策会社でこんな会社があるだろうかと実は考えた。私も約二カ年間机がなかったのでございます。机がなくてもまあ頭でわれわれ仕事ができますからいいのですけれども、職員はそうはいかない。結局それで移ることになりました結果、そのときでもなおかつ自己資金がなかった。金を借りてもそれは流用金の補てんに入れなければならなかった。それでは何でそれを出すかということになったので、私は、将来台ノ原の土地というものを――これは台ノ原の問題はちょっとおわかりにならぬと思いますが、それは流用金の補てんのために約二億円をもうける見込みで売った、私ども政府に出した予算以上にもうけた。それで、やがてそれを入れるということで、とりあえずそのつなぎとしてやるには個人的にだれか――政府は認めないし、だからといって事務所もやらないわけにいかぬ。個人的の顔でやってはどうかということで、総裁等は当面の大責任者でありますから、財界人でもあるし、その顔で一つ金を出してくれ、その敷金は国策会社の総裁である総裁個人が、個人的な義侠と申しますか、それで出すといういきさつでございます。それがその後だいぶ資金が余ったので振りかえました。振りかえまして、現在はないと思います。その後それを返したと思っております。○勝澤委員 そうすると、極東マックグレゴー株式会社から二千万円を渡邊さん個人名で借りた、そしてそれを副総裁の加藤さんが保証した、こういうことですか。○山本参考人 それは当時雲野理事の名前でマックから借りたのです。渡邊さんは借りたのではない、貸し方です。雲野の名前で借りましたところが、これがまた問題となりまして、雲野がけしからぬことをしている、つまりあそこで何か権利でもうけておるのじゃないかというので、だいぶ投書がございまして、非常にやかましい事件でした。それで、これは敷地も何もなくて、金がなくて犠牲的にやったものをたたかれる手はないということで、この際は雲野という名前は誤解を受けるから、むしろ副総裁の名前をとった方が公明である――当時加藤さんの名前を出すということは公明でございまして、雲野さんでは不公明ですから、全部疑惑の人なんですから、だめなんです。極端なことを申して、雲野さんではこれはまずい、やはり世間の誤解というものは大へんだから、加藤さんが借りるんだったら、だれも心配しないのじゃないかというので、加藤さんに当時お願いしましてやったことを私は記憶しております。○勝澤委員 そうすると、築地会館というのは、築地産業株式会社のものなのですね。http://www.macgregorservices.com/home.htmlマックというのは 港湾関係の会社のようですが本社は外国のようで たぶん関連で 上記のような石油関連の会社もあります東北開発の利権に 興業銀行 当時はセメントを手がけていたジローさん 東北で建設現場を手がけていた 四元センセイ また 四元センセイの友人の三上卓の 弟子の野村秋介に 家を焼かれる 河野一郎センセイをはじめ いろんな方がからみ また三幸建設工業の創業と 清玄の石油フィクサーとしてのスタートも見えてきます
2008年11月23日
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その点 朝日は西原借款で三井の利害と対立していたとみられる寺内内閣期に 白虹事件という打撃を受けたものの、そこから立ち直る過程で 玄洋社人脈をバックにもち 一種のフィクサー的な能力を持っていた緒方竹虎が台頭してくる。また その影になりがちではあるけれども 陸軍長州閥を継いだ同郷の宇垣一成と親しい関係を持つことに成功した美土路昌一も徐徐に頭をもたげてくる緒方は 戦時体制の強まりに伴って激しくなった社内抗争に一度は破れ 失脚する。しかし 敗戦後の東久邇内閣の国務相兼内閣書記官長として 自分の朝日人脈 米内光政や 高木惣吉といった 政治能力に長けた海軍提督らとの人脈 そして 新聞人としては ほとんど他の追随を許さないほどのものだったとみられる右翼人脈をフルに活用して 自由党の結成資金の調達 吉田茂の自由党総裁就任を意図的であるかどうかは別にして(意図的だったら 恐るべきフィクサーである)間接的に援助し、発言権を確保するそして 本論では触れる余裕がなかったが、公職追放解除後は いきなり吉田に次ぐ自由党のナンバー2の実力者として政界に復帰し 一種のクーデター的な手法によってだが(緒方クーデターともいわれる) 自由党における吉田の後継総裁となり 緒方とともに朝日の両翼といわれた石井光次郎を幹事長として党運営を行う一方 鳩山一郎の民主党との保守合同を果たして 五十五年体制を築き上げるが 首相の座を目前に急死する。しかし緒方はそれまでの過程で 朝日を 吉田茂から 現在の宮澤喜一にいたる 保守本流に決定に結びつけたと思われる。三井の大御所 江戸英雄の三井と歩んだ70年 朝日文庫 1994年によると (江戸の三井不動産常務時代から 社長時代にあたる1951年から59年頃 GHQ指令や商法に反して同社が秘密に所有していた自社株をめぐるスキャンダル(三井不動産事件)江戸は この事件が戦後最大の疑獄事件であり もし当局の捜査対象になれば(中略)三井の重大な恥となったであろうとしている )に 緒方竹虎と真藤慎太郎の玄洋社コンビ 池田勇人の女婿の父で 金融業近藤商事社長の近藤荒樹 大平正芳 野村証券社長奥村綱雄 児玉誉士夫 三菱の加藤武男 重光葵らが加わっていたという大新聞社 その人脈 金脈の研究 駄場裕司 はまの出版若干 クビをひねる面がないこともないが 児玉と朝日新聞の関係は 児玉の例のダイヤを運んだのが 朝日新聞の飛行機だったとか そもそも 児玉機関といっても 実質的な笹川機関であり その笹川のバックにいたのが 黒龍会(玄洋社の海外センター)また 児玉が 資金の処分を相談したのが米内というポイントから考えると 児玉と緒方になんらかの接点をみることも十分可能だと思います。造船疑惑のあとに 犬養を児玉が一時 かくまうことがあったのも こういう接点もあったのでしょう。特に 首相を前に死去したりすると 悲劇な人物みたいに持ち上げられて 意外に 詳細な研究がされないでリベラルとか 進歩的とか 言われるのですが 内閣調査室の原型を作ったとか 玄洋社の人脈を受け継いだ方であるという面がスルーされてくる(自分のみたい面しか見えてない)そんな評価が緒方竹虎の評価にもまちがいなくあります。田中清玄との関係でみると 清玄が顧問的な立場で入っていた 間組が 松永の爺さんの子分格とか その松永が頭山満と親しかったとか神中組の創設の時期が 微妙に 緒方の政界入りの時期と重なるなんて 事情もあるようですこのへんについて もうすこし資料ないのかなとおもうのですが
2008年11月09日
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昭和22年の暮れ 登志子姉が玄峰老師の仲立ちで 河野正孝と結婚した。父の同僚 菊池盛登氏の甥で 学生時代に龍沢寺に長く参禅したことのある人であった、父が拘留中ということで結婚式はつつましかったが、式には相手方の親戚に交じって かっての武装共産党の親玉 戦後は右翼の黒幕的存在と目されている田中清玄氏が龍沢寺時代の友人として参列していた安倍基雄 ある政治家の独白 ブレジデント社さらつと読めば それだけの話ですが、ここにでてくる父というのが 特高の鬼と言われた 安倍源基で この人は児玉誉士夫や 岸信介と親しく 河野一郎と同志の重政誠之とは 妻が姉妹という縁戚にあたる方です。清玄が三幸建設を追い出されたりとか 海外へどさまわりにいくはめになるのも 四元が若い頃だったら 河野の奴殺してやるということも 明らかに ここのラインとの対立からだろうと思うのですがなんで 結婚式にでているのか また和尚も安倍源基と親しいようで 清玄自伝の自己演出というやつなんでしょうか
2008年11月06日
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