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まとめのようなことですが 悪い奴ほどよく眠るということなんじゃないですか。総裁の周囲の人間ならば 当然 知っていた噺が意外に表にでていない。当時の国鉄内部のどろどろした噺が あったはずなんですから。たとえば 総裁の奥さんにしてみれば 当然 知っていたことを 警察にいった方が得か 損か当然 考えるはずです。死んだ亭主のことを考えるか 子供と自分のことを考えるか 答えはあきらかと思います。わざと曖昧にして 謀略とされたのか?蓋をあけたら 吉田政権はもたなかったはずです。汚職事件で 人が死ぬ よくあることなのかもしれませんがね。
2008年03月27日
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http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/006/1458/00611251458001c.html第十四條は、両替商に関する規定で、将来外客の来住が激しくなるにつれて、その携帯する外貨の交換の便宜を図るため、その必要に応ずるために備えたものであります。例えば只今では交通公社がその両替業務に該当する仕事をしております今のJTBが当時は 両替をやっていたという噺ですが なるほどという気もしますが 交通公社とか 鉄道弘済会に怪しい人たちが うごめいたいた状況を思うと ここで資金洗浄が行われていたのかなという気がしますがいかがでしょうか 意外に 下山事件の闇は深いように思えます。
2008年03月26日
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http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/016/0106/01607280106020c.html杉村委員 そうすると、交通公社に昭和二十五年の六月までに四億円という代売代金が滞つておつたことを知つておりますかどうか、簡単にお答え願います。○加賀山参考人 正確な額はただいま記憶しておりませんが、今言われた程度の額はたまつておつたと承知しております。○杉村委員 かくのごとくして、昭和二十五年分六月までにすでに四億円という金が滞つており、さらに昭和二十五年の六月に一億三千四十五万三千二百五十八円、さらに七月に一億七千四百四万九千四百十三円、続いてこういうようにたくさんの代売代金を二月も三月も納めささないで、結局昭和二十六年の十一月までには十数億円にも上る滞納ができたのであります。この交通公社の昭和二十六年三月三十一日の資産状態というものは、わずかに二百二十万八千五百十二円しかない。これつぽつちしかないところの会社に、かような莫大な金を無利息でただ貸しておくということは、非常な下都合であつた。あなたは先ほどアメリカ本々ということを言つたが、そういうようなことをさしておいたのは、アメリカのさしずがあつてさようなことをさしておつたと聞いてよろしいのですか。○加賀山参考人 アメリカのさしずというのは、当時国鉄から切符を売らせてもその手数料を払うな、かようなさしずでありまして、われわれといたしましては、やむなくそのさしずに従つたということを申し上げた次第であります。○杉村委員 かように国鉄の財政というものは非常に紊乱しておつたと言つてもいいようにわれわれには思われる。わずか二百万円くらいの財産しかないところの交通公社に十数億の金をただ貸しておく、無利息で貸しておくというのであります。全国農民の今年の凍霜害でも、あれだけの凍霜害があつたが、これに対して国会で大騒ぎをしてわずかに五億九千万円、そのうちの三分の一が国家、三分の一が県負担であつて、実際の農民に対する補助はわずかに二億円足らずであります。しかるにもかかわらず、国鉄のこのような莫大な本数億の金を、半年から一年の間、二百万円の資産しか持つておらないところの交通公社にただ貸しておくというがごときことは、いかにアメリカのさしずがあつたかしりませんが、そのようなことはどうも納得することができない。そこで私は伺いたいのでありますが、あなたは下山総裁のあとを受けて国鉄の総裁になられたのでありますが、下山総裁の死去は、当時他殺であるということを報道せられたのであります。しかもそれは共産党がやつたというようなことが宣伝せられておつたのでありますが、共産党でないということはある程度まで立証されたようであるが、われわれは爾来国鉄の財政問題を検討し、かつ近くは株式会社鉄道会館の問題等を研究いたしますと、国鉄にからんでの利権というものは、非常に大きな利権が行われておるのではあるまいかと思うのだが、下山総裁の死はこれらの利権にからんで死を遂げられたのではあるまいかと私どもは想像するのであるが、あなたは下山総裁のあとを受けて総裁となられて、下山総裁の死について、その後さらに御検討御研究になられたことはございますか。○加賀山参考人 あれ以来私の頭を離れることができませんが、残念ながら私の頭の中で考える程度では、あの真相についてはここで申し上げるような結論を出すわけには行かない。ただ私はいまだに、これは私の個人的な観察でありますが、他殺であつたということは確信を持つて申し上げることができるというふうに思います。ただその死が利権に関係がなかつたかという点につきましては、私は断じてかかることはない。もちろんこういう大きな経済体でありまするので、つくろうと思えば各所に利権があり得ると思います。しかしいかにしてこの利権を押えようかということが国鉄の従来の念願であつたということだけを申し上げておきたいと思います。下山事件から だいぶたった後の 国会議事録ですが この頃から 下山事件は 利権がらみであったのではないかという噂はあったようです。交通公社の噺ですが 本来 国鉄にまわさなければいけない金が アメリカサンの指示で(うそつけ)で内部に残っていて それがロマンス社とかいう 満州ゴロのあつまりみたいな出版社に回されていたというオチ(当然 こげつき)もあったようです。この日本交通公社の初代会長の猪俣忠次の息子が 猪俣功で おやじのコネで 運輸省に入りこむわけですが 下山総裁が運輸省次官だったときに 取引を切られてしまう。猪俣は 田中清玄が 下山総裁を殺してやるといったようなことを 下山事件 最後の証言の中で 語っているようですが 本人もその心境だったと思いますし それくらい できる人間が周囲にいたようにも思えます。また 総裁は 独自で 情報を集めていたように見えますが 当時 左派では 幹部の不正摘発のための委員会が設けられていたようで 私の推測では そのあたりの情報が 下山総裁経由で 国会議員に流れていたんではないかと思いますが いかがでしょうか 単なる 労務対策なら 内密にする必然はないはずです。
2008年03月24日
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下山事件に 浮かびあがってきている田中清玄ですが田中清玄が 自伝では一時 沖縄にいたことがあるといっていましたが 自伝では土木工事といっていましたが 裏ではいろんなことをしていたようでhttp://www.commirai.org/journal/0059/0059-4.htm一方、こうしたスクラップ・ブームに対して米占領軍は、去った沖縄戦における日米両軍の戦闘で破損散乱していた戦闘機や戦車、大砲、トラックに軍艦、それに日本側の民間商船、漁船など約250万トンのおびただしい残骸スクラップを、米国の「戦利財産」であるとして、住民が持ち去るのを禁止していたが、そこへスクラップ密輸業者が暗躍し、住民の間にスクラップ・ブームを煽った動きに手をやいた米軍司令部が、沖縄全域のスクラップ撤去を決めて、国際入札にかけたのが、この時期であった。 ところで、ここで注目されたのはこの入札に、まだ日本の「施政権」が及ばなかった沖縄へ、国益や外聞も忘れた本土企業の住友金属、八幡製鉄、日本鋼管、富士製鉄などが公然と加わっている事だった。だけど入札の結果は米軍との利権絡みで、陸上スクラップの撤去は外国業者に。そして海上スクラップは大手企業以外の国内業者が落札していた。ただ、米占領軍のこうしたスクラップ一掃の裏には、単にスクラップ闇業者を排除する意図だけでなく、実はその後、米軍の新たな軍用地の強制土地接収で障害物となる鉄クズ残骸のスクラップを、早期に除去する軍事的打算があっての撤去作業だったということだ。そういえば 平和相銀の創業者も屑鉄拾いで 一山当てた方のようで 屑鉄をもってきたついでにいろんなことを考える人がいますが星井真澄という右翼の方が 密貿易で甘草という漢方薬の原料を集めてきたようですが その時期に 中国 北朝鮮ぐらいでしか 取れない 甘草を原料にした漢方薬をネタに 製薬会社をたちあげたのが 宇都宮徳馬 この方は田中清玄とも親しく 三上卓の親戚です。佐藤栄作の次男の 佐藤信二は政治家になるまでは 日本鋼管にいた時期があります。http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/040/0082/04003160082013c.html横路委員 総理、今、賠償部長から経過についてお話がございましたように、タイは何も初めから九十六億円は無償でもらうのだと言っていないのです。今明らかになったように、タイ側と日本側と両方から話が出て、石油精製所について、今お話しのように、開発公社の債券ですか、それを引き受けるというのです、九十六億円。ところが、総理、これは初めはこういうことでいったのです。それがなぜつぶれたかというと、この石油精製所については日本鋼管並びに丸善石油が関連をしておるわけです。日本鋼管並びに丸善石油はだれをたよっていったかというと、これはピブン総理をたよる。そのピブン元帥の下にサリット元帥とパオといういわゆる警視総監というのですか、警保局長というのですか、警察関係の警察大臣、このパオにたよったのです。そのパオにたよったのが、今お話しのように、三十二年の九月の十六日ですか、これはサリット元帥のクーデターによってピブンが倒れ、パオはいち早く逃亡せざるを得ないという状態なんです。だから、そこで、ピブンがやっていたその日本鋼管並びに丸善石油の九十六億はだめだ、こうなったわけです。何も初めから九十六億はただなんて言っていないのです。これは私が申し上げるまでもなく総理はよく承知なんです。これはそういうことなんです。今賠償部長のお話しの通り、これは初めから石油精製工場で九十六億をこの第二条のこの条件に従って話を進めていたのです。そこで、これは、ピブン元帥、パオをたよった日本鋼管並びに丸善石油が思惑違いというか、こういうタイの国内事情、タイのいわゆる政権の争奪、勢力争い、こういうものから生まれ出ているのであって、何も九十六億円が初めから向こうは間違っていた、全額もらうんだなんということにはなっていないはずなんです。 次、通産省の人、だれか来てますか。――それじゃお尋ねしますが、そこで。この時期 田中清玄は 一時 タイにいたこともありまして ちょうど その時期に タイに渡ったのが 大山総裁ですがなんで 日本鋼管がでてきたのが わからなかったのですが なるほどねーえ そういえば 国鉄関係で 戦後の屑鉄の利権って どうしていたんでしょうか? 空襲で やられて 廃棄したいものはかなり あったはずなんですが
2008年03月22日
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下山事件 最後の証言のなかで三菱というキーワードがでてきますが 岩崎の係累に 川崎財閥があります。ここの財産管理会社が かの川崎定徳になります。平和相互銀行の一連の事件で有名になった 川崎定徳社長の 佐藤 闇世界の日銀の法皇 茂サンですが てっきり そっちの世界の方だとおもっていたんですが 最初は国鉄の民同にいて そのあと 米軍で仕事をして 畳屋サンをやっていたときに川崎定徳にスカウトされたそうです。畳屋サンあがりのフィクサーというのはずいぶん粋だなとおもいますがさて http://miduho.sakura.ne.jp/tkk/i/ti/3.htm話変わって合併の話。 当時、目黒蒲田電鉄の専務だった五島慶太氏が、池上電気鉄道の株の過半数を川崎財閥から受け、昭和9年10月1日に吸収合併することとなりました。その後玉川電気鉄道(玉電、世田谷線など)を吸収合併させていた姉妹会社の東京横浜電鉄と昭和14年10月1日に合併。同月16日には商号を東京横浜電鉄と一時的に名乗り、翌年の昭和15年1月に商号変更で東京急行電鉄と名乗ることになるのです。これが今のほぼ原型となるわけですね。資料からなどの勘ぐりモードなのですが、何かでライバルとなってしまった五島慶太氏率いる田園都市株式会社陣営は、計画順位としては大井町線が先であったのに、池上電気鉄道側とルートでもめ、目蒲線の免許も元鉄道省の役人という五島氏のパイプを使って先に免許を受けている池上線の競合路線にもかかわらず免許を受け、財力にモノをいわせながらなかば強引に目蒲線を建設、開業してしまった、という見方もできるのではと思っています。池上側は路線となるルートの土地買収も進んでいたはずで、これを道路や宅地として処分したかどうかはわからないのですが、なんにせよ、痛手になったことは間違えなさそうです。池上電気鉄道の代表は、当時京成電気軌道を主業としていた後藤国彦氏。それに池上線沿線の有力者などがお金を出し合って設立。しかし資金難で計画が危うくなり、川崎財閥の支援を得て計画続行。そして、五反田への計画変更、建設費がかかった大崎広小路~五反田間の高架線は、川崎財閥(日本火災保険社長 川崎肇氏)という資金力あっての全線開通だったのでしょう。 このように、雪が谷大塚から先の開業と複線化分の資金のほとんどが川崎財閥からのモノと仮定すると、川崎氏が持つ株式は半数以上だったのでしょう。それを五島氏が譲り受け、臨時株主総会を開く。東急のバックには川崎財閥がいたということになります。また 矢板玄のお友達にも ここつながりの方がいます。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E8%8D%98%E5%9B%9B%E9%83%8E%E5%BD%A6古荘四郎彦出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』古荘 四郎彦(ふるしょう しろひこ、男性、1884年(明治17年)7月18日 - 1967年(昭和42年)10月24日)は、日本の銀行家。初代千葉銀行頭取。熊本県熊本市出身。陸軍大将の古荘幹郎は兄。[編集] 来歴第五高等学校 (旧制)を経て、1912年東京帝国大学独法科を卒業、帝国商業銀行に入行する。支配人まで昇進したのち、1923年川崎銀行の営業局長代理に転進。1925年には川崎系の房州銀行と安房銀行が合併して発足した安房合同銀行の常務に就任する。以後千葉合同銀行頭取を経て、1943年千葉合同、第九十八、小見川農商の各行の合併で発足した千葉銀行の初代頭取に就任する。当初は堅実な融資態度で「堅物頭取」として有名だったと伝えられるが、次第にワンマン的な姿勢へと変質していった。数多くの政治家絡みの情実融資を独断専行で乱発したほか、横井英樹の白木屋乗っ取りにおいて横井側への資金提供で関与したとされる。1958年、銀座のクラブ「レインボー」マダムの坂内ミノブへの10数億円もの不正融資が問題となり頭取を退任、特別背任罪で起訴され、1961年東京地裁は懲役3年・執行猶予3年の判決を下し確定する。千葉の闇の世界の根元はこんなところにあるようで
2008年03月20日
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http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/005/1294/00509131294036c.html○神山委員 もう一つお尋ねしますが、終戰直後の物資をいろいろの形で引継がれたと思いますが、それの模様をひとつ聞きたいのですか。○小倉証人 それは運輸省でありますか。○神山委員 そう。○小倉証人 運輸省が陸軍か海軍か軍の物資を引継いだことにつきましては、私承知しておりません。○神山委員 これはあなたは知らないとおつしやれば、あえて聞きませんが、堀木さんはこの前ここへ来て、事務的に処理したというふうなことを言つておりますが、この特殊物件をとるために相当骨を折つておられたようですが、これが後に起つて來る運輸省のいろいろな不当拂下げの根本原因になつて来るわけです。これは委員長が後に重大な関心を持たれるように希望しておきます。 さらにあなたが先ほど來委員長の質問に対して澁つておられる点を、私ももう一点聞いておきたい。委員長は速記録を読まれましたから、私はあえてこまかな速記などは引用しませんが、堀木証人がここに来て述べたところによると、あなたが先ほど忘れていたように、あなたを含めて、委員長は会長、副会長は資材局長で、國鉄整理品委員会ができた。小委員会ができた。堀木さん以下の理事がこれを担当した。この場合予備交渉はもちろん、一番大きな役割をやつたのはあなただということを、さつきも委員長がくどく言つておられるのですが、いまだあなたは思い出しませんか。○小倉証人 堀木証人の言つたことも、この問題の最初のきつかかりは私である、こういう意味だつたと思います。その点につきましては先ほどから、最初に私が弘済会の担当理事として運輸省と話し合つておつたということは、申し上げたのであります。それで当時運輸省が相当な死退藏品を持つているということも、周知の事実でありましたし、また私の方でそれを利用したいということも考えておりましたので、私さいわい運輸省には始終参りますから、その方面の関係者に拂下げをして欲しいということは、こちらからも申出ておりました。但し運輸省でその方針がきまつて、初めて私の方に正式な通告があつてお受けした次第であります。○神山委員 いずれにせよ実際の中心はあなただつたということだけは明らかなので、この点はよいのです。あなたにもう一つお尋ねしますが、弘済会の理事をやつていらつしやいましたときの給料はいくらでしたか。○小倉証人 一万五、六千円程度だつたと思います。○神山委員 それは手取りですか、税込みですか。○小倉証人 税込みであります。○神山委員 一万五千円税込みだとおつしやればそれでよいのですが、それが手取りになれば二万円前後のことで、非常にあなた方の生活は苦しかつたと思う。私がここでさつき指摘したように堀木君が二万円、あなたが一万五、六千円、これだけの收入で実際にあなた方は生活ができたのかどうか。この問題と、この前堀木君たちの場合にはつきりした宴会費その他が非常にたくさん使われておるということと関連すると思うのです。まさかあなたのような口のかたい人だから、この給料の方はどうだつたか聞いても言われないと思うけれども、この点に大きな疑惑が残つておる。弘済会と國鉄の幹部が結びついていて、弘済会はがつちりと古いあなた方でかためられている。さらに弘済会から外へ外へといろいろな手づるを停つて出ておる。旧軍の物資については大蔵省扱いになっていたような気がしますが大人の事情で 運輸省扱いになってしまった物がかなりあったようで それにかなり 給料の安い お偉いサンとか 上海あたりで物資の調達をしていた方とか 山梨の禿頭の闇屋などがむらがっていたというのが 下山事件前の国鉄の情けない姿のようです。
2008年03月18日
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佐藤栄作が 一時期 左遷されていたことがあったようですがhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%A0%84%E4%BD%9C^ 『正伝 佐藤栄作(上)』、96-102頁 - 大阪鉄道局長は地方局としては最高のポストでも本省の局長の転任先ではなく、いわば“左遷”であった。業務上の立場から陸軍と対立したためとする説がある^ 『忍魁・佐藤栄作研究』 65頁 - 長男・龍太郎は「親父が左遷されたのは省内の派閥抗争もさることながら鉄道大臣だった五島慶太にニラまれたのだと思う。親父はああいう性格なので、官僚的に事務処理をする。五島慶太からみれば“石アタマのあのバカ、消してしまえ”ということではなかったか…」と述べているhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%B3%B6%E6%85%B6%E5%A4%AAその後、1941年(昭和16年)に陸上交通事業調整法に基づく帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が成立した。後の総理大臣で、当時鉄道省総務課長だった佐藤栄作は、「私鉄二社の無駄な競争をやめさせ、営団に一本化すべき」と主張。皮肉にも五島は今まで競合相手を合併する際に用いてきた口実を逆に使われた。両社の株式は営団債に振り替えられたが、五島は債券と化した株券の山を見て人知れず号泣したとも言われている。この債券は戦後のインフレで紙屑同然になった。人事のことなんて 一般人でもわからないところがあるのですから えらいさんではなおわかりませんがさて 東急には 戦後 しばらくは 小林中が 社長をやっていましたが これって にらみということなんでしょうか吉田茂 佐藤栄作ラインにしてみると 小林一三(阪急) 村上義一(近鉄) 小林中(東急)を総裁にするよりも 下山は自分の色がつけやすいし 施設局 資材局の 五島慶太 堀木鎌三ラインのおいしいところにも食い込みやすいということなのかもしれません下山総裁が 最初から消される可能性があったという見方もありますが それと反対の見方も当然できるわけですね。どっちなんでしょうか
2008年03月16日
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なぜ吉次利二という方がいました 下山事件直前の資材局局長の方だったのですが、東急車輛とか 東急電鉄 シロキ金属工業(元白木屋の子会社としてスタート)の重役にもなった方ですがこの方の経歴をみると 妙に 引っかかるところがあります。http://members.ytv.home.ne.jp/shimoyamania/194907050848.html「白木屋でもいい」なぜ、総裁は三越ゆきをやめて白木屋百貨店に行こうとしたのか?松 本清張は「日本の黒い霧」の中で点と線とを結びつける。「白木屋でもいい」という言葉が「三越でも白木屋でも用が足りるという意味らしい」と前置きした上 で、2つのデパートが地下鉄でつながっていることを指摘している。白木屋のある日本橋駅からは三越前駅まで地下鉄銀座線でひと駅だ。清張はその行為を「運 転手への気配り」つまり情報提供者との三越での接触を秘匿する目的があったとしている。いっぽう自殺説論者では、この言葉に一歩踏み込んだ見解を入れている者はいない。それは、失踪の手段として日本橋駅を利用するか三越前駅を利用するかの違いに過ぎないと判断したからだろう。http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=20094&SAVED_RID=4&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=6342&DPAGE=1&DTOTAL=3&DPOS=3&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=20614○ 横田委員 一、この報告書はきわめて不徹底である。国有国営の形をとりながら、資材拂下げ、資材購入等に関して、国鉄を食いつぶしている鉄道弘済会以外の 十三の外郭団体その他に対して調査が行われていない。二、国鉄官僚、特に資材局と弘済会との人的、物的関係に対する、もつと十分な調査がなされなければな らない。さらにこれに関連しで、国鉄内部の官僚閥関係に対しても、メスを振わなければならない。戦前よりの閥関係は依然として根を張り、しかも外郭団体と いう各会社に退職とともに入り重職についている。これらの徹底的な糾明なくしては国鉄の民主化と明朗化はあり得ない。三、鉄道弘済会についても、当初の設 立の目的にはずれて、ボス幹部が資材局と結託してかつてに牛耳り、末端職員を無視して利益をむさぼつている経営状態である点なども見のがされている。四、 大阪の放出用品庫の非鉄金属を初め、仙台、千葉等においても莫大な物件が不当に処分され、または放置されているという事実が提起されていながら、これらに 対して調査がなされていない。五、国鉄が不用品を購入したり、重要品を拂下げたりしている不正に対して、調査がきわめて不十分である。六、国営事業たる国 鉄が不当拂下げ、不当購入を行い、さらにこれによつて外郭団体と称する営利団体が利益をむさぼり、反面独立採算制の名のもとに運賃値上げ、首切り、労働強 化等が行われているという本件の根本的調査が行われていない、きわめて不十分な調査報告書である。この点を指摘して賛意を表する。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%80%A5%E8%BB%8A%E8%BC%9B%E8%A3%BD%E9%80%A0#.E6.AD.B4.E5.8F.B2.E3.81.A8.E6.A6.82.E8.A6.81第 二次世界大戦終戦後、東京急行電鉄は横浜市金沢区の旧海軍工廠跡地に「東急横浜製作所」(註 創業は1948年)を開設し、鉄道車両の製造・修理改造事業 を開始した。東京急行電鉄向けだけではなく、旧日本国有鉄道・JR各社、私鉄・公営企業向けに新幹線電車、在来線電車・ディーゼルカー・客車などを製造、 供給しており、日本国外への輸出実績もある。2007年時点では、関東地方に工場を持つ唯一の鉄道車両メーカーである。下記の製造車両実績の通り、関東の 主要な鉄道事業者で、東急車輛製造製の車両を導入していない会社はないといっても過言ではないほどである。この方が 裏で 何をしていたのか?なんとなくみえてきますが いかがでしょうか?
2008年03月15日
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http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/005/1294/00509131294036a.html ○小倉証人 業務局長をいたしておりまする前には、帝都高速度交通営團の理事をいたしておりました。 ○神山委員 業務局長から弘済会に移られたわけですね。 ○小倉証人 さようであります。 ○神山委員 これはどういう事情でおかわりになりましたか。 ○小倉証人 業務局長は昭和十九 年の四月になりまして、終戦と同時に退官の手続きをいたしまして、お許しを願つたのであります。八月の中ごろでありまするが、このときに運輸省といたしま しては、次官、長官、その他局長も大部分退職いたしました。そのときに私も退職して、しばらく遊んでおりましたが、年を明けましてから、ときの理事長の堀 木鎌三氏(注 東急の五島慶太と仲良し)が、私にも弘済会に入つて手助けをしろ、こういうことで弘済会に入会いたしました。 ○神山委員 堀木君は前には総務局長をやつておられましたか。 ○小倉証人 そうであります。 ○神山委員 そうするとあなたは堀木さんと一緒におやめになりましたか。 ○小倉証人 そうであります。 ○神山委員 そのときに加賀山君たちはやめませんでしたか。 ○小倉証人 やめませんでした。 ○神山委員 あなたがおやめにな つた事情を一つはつきり言つていただきたい。堀木君はこの前こちらに参られまして、病身でやめたというふうに証言されておりますが、それも一つの理由かも しれませんが、それよりももつと大きな問題は、彼が当時鉄道の戰闘隊の隊長であつたということや、また戰時中に非常に従業員を酷使した、こういうふうなも のに対して恐れてやめた、このような見方をしている人もある。あなたたちの場合は世間でいわゆる堀木閥、また対立する閥もありますが、これが一緒になつて やめて、一緒になつて弘済会に入つた。そこで第一に聞きたいことは、やめたあなたのほんとりの心境、あなたは堀木君の子分、と言つては失礼ですが、その指 導を受けられて、その後も堀木さんと非常に緊密な連絡を持つておられるかいなか、この面をひとつ聞いておきたいと思います。 ○小倉証人 私業務局へ入りまし てから、ちようど戰争の末期でありまして、海上輸送が全部陸上輸送に轉化しまして、非常に国鉄が重荷を負つたときであります。そのときには私が業務局に入 りましてから早々に水害もありましたし、それから暮れには東海道の地震もありましたし、青森の雪害もありまして、輸送が思う通りに参りませんでした。それ で私は業務局長としましていつも責任を痛感いたしておつた次第であります。在職中にも、私のような者が業務局長をいたしておつてはなかなか國鉄の輸送が満 足に行かないということで、二度ほど辞表を出しかけたこともありますが、そのたびに慰留されまして、終戦を迎えたような次第であります。それでありますか ら私は終戦と同時に、まことに戰時中の輸送に対して相済まなかつた、こう思いまして辞表を出しました。それが私の心境であります。 ○神山委員 鉄道の閥というと語 弊があるかもしれませんが、このことは堀木君自身もここで認めて来たのですが、国鉄の首脳部が固く結びついているばかりでなく、十四ばかりの外廓團休を持 つている。その中で弘済会は一番有力なものですが、その弘済会の中にやはり一つの大きな閥ができている。これの一番責任者が十河君、これは名儀上で、実質 的には堀木君が牛耳つているわけですね。そうじやないですか。 ○小倉証人 私は鉄道には閥はな いように考えております。それは、鉄道は現業官廳でありまして、その適不適、能力というものが割合にはつきりわかる、こういうことで、上の人は有能な人を どんどん抜擢するということで、外部から見れば閥のように見えるのではないかと考えております。 ○神山委員 それではお尋ねしますが、ここで委員長に特に了解を願いたい。これは今言つた、世間で閥があるとかないとかいうことを解くための鍵で、決して私のことをあばくというような意味ではないのですから、お許し願います。加賀山君(註 加賀山之雄 下山事件当時の副総裁)の奥さんはどこから来ているのですか。 ○小倉証人 十河信二(第四代総裁)さんです。 ○神山委員 おつしやる通りです。媒酌人はたれかご存じですか。 ○小倉証人 存じません。 ○神山委員 これは堀木君が媒酌 人です、こうした例をあげれば、まだほかにもいくらもあります。こういうことは言いたくないのですが、あなたのおつしやる有能な人によつて鉄道の首脳部が 形成されているというのには、あまりに親密な関係ができているということも客観的に言えるじやありませんか。加賀山君の奥さんを堀木君が媒酌している。そ うして一方では國鉄を牛耳り、一方では弘済会で根を張つている。これはどうですか。まだあげれば、ほかにもこういう例はいくらもある。從つて、こういう問 題を單に有能か無能かというような問題で言つても、これは何も偽証だというわけではないが、問題の本質をずらしてしまう。 それで次にまたお尋ねしますが、あなたが弘済会をおやめになつた事情はどういうわけですか。 ○小倉証人 私は弘済会に入りま して営業の面を担当いたしましたが、弘済会の営業と申しますと、物の仕入れ、販賣等が主でありますが、私は商賣が下手でありまして、物の賣り買いは上手で ない方であります。それで私は営業の方面を他の理事に譲りまして、経理の方に移りました。そのときに岡田五郎君が入つて來まして、この人は私よりも経理関 係ではよほど有能な人でありまするので、後進を開くという意味もございましたし、当時先輩から参議院の運輸交通専門員に就任しないか、こういうふうなたつ てのお話もございましたので、弘済会をやめて、参議院の方の専門員になつた次第であります。 ○神山委員 世間の一部ではあなたが弘済会をおやめになつたのは、弘済会の一部不当貸付けをされて、その責任を負つてやめた、こういうことも言われております。これはどうでしよう。 ○ 小 倉証人 これは先ほども申しましたように、商賣が下手なので、はなはだ私の不名誉とするところでありまするが、当時物を買います場合に、前渡金を拂うとい うことがちよいちよいあつたわけであります。当時前渡金が拂われないと物が入らないということで、私のときに前渡金を拂つて物を買うというようなことで、 その前渡金がとれませんでして、私はそれにつきまして非常に弘済会に対して相済まないと思つた事実はございます。 当時の国鉄の利権の派閥を表した文章で ある意味 加賀山之雄という方の位置がわかる文章であります。 問題は下山総裁がどこにいたのかですが
2008年03月14日
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一連の拉致問題から 安倍おろしも、視点を変えてみると 旧田中派と 旧岸派の大陸利権の分捕り合戦のように見えてきますし、60年安保も、池田派と 岸派の院外団同士の決闘のようにも見えます。下山事件も 確かに 反共に利用された面もありますが 問題はありますが 下山事件前後の 国鉄利権をめぐる争奪戦を考慮にいれないといけないものだと思います。http://www.tokyo-kurenaidan.com/shimoyama2.htm<成田屋> (2005/3/26:追加) 下山総裁に懇意にしている女性がおり、その女性が新川で割烹料理屋 成田屋をやっていました。「… 成田屋のある新川は、総裁が失踪した日本橋三越に近い。一・五キロほどだ。国鉄副総裁の加賀山は一貫して他殺論者だったが、捜査員に対し森田のぶの関係で 脅迫されて殺されたのではないか、と自分の推理を述べている。…… 警察も当初、森田のぶに容疑を抱いた。しかしこの日の、森田のぶのアリバイが明らかに なった。午前中は所用で神奈川県の平塚まで出掛けていたことが立証されたし、夜は北海道に帰る知人を見送りに上野駅に出掛けたことも明らかになった。それ に彼女は下山に好意を寄せてこそすれ、恨みを抱く筋はなく、動機も見出せなかった。…」。下山総裁は女性に対しては疎いとおもわれていましたが、この女性 とはかなり昔から懇意にしていたようです。「… のぶは下山より二歳年下、事件当時四十五歳だったが、二人が知り合ったのは二十年近くも前にさかのぼる。そのころ下山は新橋駅に勤務していたが、仲間ら二 十人ほどと、先輩から近くの鳥料理屋に招かれたことがある。その宴席にのぶも酌婦として呼ばれ、顔を合わせたのが最初である。下山に気に入られたのか、そ の後四、五回待合に呼ばれたりした。下山の転勤などもあって、いったん音信は途絶えたが、終戦後の昭和二十二年ごろ、のぶは京橋のすき焼き屋で仲居をして いたが、客で来ていた鉄道関係の者から、下山が偉くなっていると聞き、会いたさが込み上げた。口をきいてくれる者がいて再会を果たし、何度か料理屋などで 会う機会を重ねた。このころ、のぶには、すでに夫がおり、夫婦と手伝い一人で料理屋をやっていた。それが成田屋である。下山はこの成田屋にもかなり頻繁 に、顔を見せるようになった。…」。この女性のアリバイはありましたが、そう単純ではないとおもうのですが、私だけでしょうか。三越、日本橋からはすぐの 所です。秘密会談には丁度いいとおもうのですが。下山事件関連の本を見ると この愛人関連の噺は意外に 書かれていないのですが 最近で も 住友銀行の一連の事件でも、磯田の娘がとか グリコ事件でも 身内の恥が表にでるのはということで なかなか真相が外部に出なかったということがあっ たようですが、この愛人ねたで 脅されて 選挙に出たときには 不利になるから それで というのはあり得ない噺ではないような気もしますが 妾持つのは あたりまえの時代だったこともあり そこまで気にするか?という気がします。情報を集めていたとか いろいろ金を使っていたというのも これを考慮に入れると がらっと変って見えてきます。問題は どのようにして死を選んだか 選ばされたかですが?
2008年03月13日
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一応 一区切りとして 白洲次郎を知るための本を10冊リストアップしてみました。持丸長者 広瀬隆著 ダイヤモンド社次郎サンの周囲にした人たちが どんな人たちだったか 次郎サンが どんな階級の人たちだったのか わかりますおそめ 伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生 石井妙子 洋泉社次郎サンの銀座での顔がわかる本です。こういうのを無粋という人いますが 人間には昼と夜の顔があっての当然かと次郎と正子 娘が語る素顔の白洲家 牧山桂子著 新潮社意義に拾いものです。遺族の本というのは ヨイショ本になりやすいのですが、 自分の両親をある程度 距離をおいててえがいているのが おもしろいです。裏読みができれば おもしろいです日本テレビとCIA 発掘された正力ファイル 有馬哲夫 新潮社日本テレビの社外取締役だった 白洲次郎ですが 日本テレビが どのようにできたかを知ると なぜ彼ガそこにいたかが 推測できます。会社甦生 高杉良 講談社文庫大沢商会の再建時の状況を 小説にしたもの あやうく 自己破産になりかけた 会長だった次郎サンもでてきます。東宝との関わりも深いはずですが ヨイショ本は そのへんはスルー。だから 東宝と関係のあった大沢商会の件もスルー下山事件 最後の証言 完全版柴田哲孝 祥伝社文庫私はこれで 白洲次郎という人間を初めてしりました。ただ題材を消化しきれていないか あえてしていないのか わかりませんが 英国機密ファイルの昭和天皇 徳本栄一郎 新潮社怪しいタイトルですが 次郎さんが 海外でなにをしていたのか よくわかる本です。この方には きちんとした形で白洲次郎伝を書いてほしいです。日本の右翼 猪野健治 筑摩文庫三井の大番頭で吉田茂の経済顧問だった池田成彬が 裏舞台に引っ込んだあとに 右翼筋との連絡役の一人が 次郎サンだったのでしょうか表舞台裏舞台 福本邦雄回顧録講談社次郎サンの友人で 水野成夫の部下だった 怪しい画商が語る 戦後の財界や政治の人物たちの流れです。ここが頭にはいっているか いないかで戦後史の見方がちがってきます。戦後の日本を知っていますか?占領軍の日本支配と教化 百瀬孝監修 昭和研究グループ著 はまの出版戦後の混乱期 日本の財産を外国資本に売り飛ばそうと暗躍した英語屋白洲次郎のような売国奴もいれば 闇米を拒否して餓死した山口良忠判事もいた あの時代 そのすべてに迫りますという帯がインパクトすぎますが 私たちの祖父母父母が生きた時代です。その風景をよくえがけています。どれとはいわないが、これまで書かれたものはあまりにも口承や伝承に頼りすぎていた。つまり、文書や資料に基づくのではなく、関係者の談話や伝聞に基づき、そこに企業PRのために、読み物として面白みを出すために、脚色を加えて物語にしていた。たしかに関係者の自慢話やゴシップを談話としてとり、その面白い部分だけを張り合わせ、なおかつフィクションの彩りを加えれば読み物としては面白くなる。だが、それは「歴史」を志す筆者の意図するところではない。歴史は重い。多くの人々が関わり、その人々の生死や毀誉褒貶に関わっている。あだやおろそかに単純化し、読み物にはできない。また歴史は決して単純なものではない。Aは悪玉で、Bは善玉で、Aは間違っていて、Bは正しいと単純化していえない。Aが悪玉かどうかは、誰から見て悪玉なのか、悪玉の基準はなにか、いつの時点でその判断をするのかによる。上記は 有馬氏のサイトより引用しましたが ミーハー的に白洲次郎を語るのはかまわないんですが 真面目に語る方は みんな この有馬さんの指摘したとおりなんですね。それに陥らないように この10冊読んでもらいたいものです。
2008年03月08日
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http://www.23ch.info/test/read.cgi/history2/1132414394/76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 21:37:29 ID:w6f9LqLr0【質問】白洲次郎は天皇制廃止論者だった? スーパージャンプに掲載されている「王様の仕立て屋」という漫画で、有名な昭和天皇 からマッカーサーへの贈り物のシーンで「白洲自身は天皇制廃止論者だったが、公私を混 同せず、昭和天皇の面子を守った」との一文がありました。 白洲次郎について書かれた、また彼自身が書いた本を読む限り、昭和天皇の退位、女性 天皇容認という考えは分かるのですが、天皇制廃止論者という点が伺える資料が見つかり ません。漫画の資料提供には武相荘とあり、見当外れの資料に当たっているという訳でも ないようなので、何かそのような資料があるのでしょうか?177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/03(月) 23:39:31 ID:AO6nychfO確か友人だった河上徹太郎が白洲が廃止論を唱えていたと書いているが 河上が退位と廃止を勘違いした、あるいは書き間違えたってとこじゃないかな。 廃止論なんて本当に言ったら吉田が黙っていないはず。178 :176:2006/04/03(月) 23:44:12 ID:w6f9LqLr0 ありがとうございます。 直ぐには手が回りませんが、河上徹太郎についても本を読んでみようと思います。179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/04(火) 00:17:47 ID:9Q88ozXNO追記 河上はそのマッカーサーを叱りつけた話を書いていて それによってこのエピソードが有名になった部分もある。 そこに廃止論だったとさらっと書いてある。 その漫画の作者も多分それみたんだろうが、 それ以外に廃止論のソース俺は知らないから やはり河上の勘違いだと思う。ジローさんが天皇制否定論者だといわれる方がいますが 私も上記のように たぶん間違いだとおもいます。正子サンと 昭和天皇の弟の秩父宮の姫殿下は 小さい頃からのご学友でもあり 鶴川から 一直線で 当時 秩父宮が 病気療養されていた 箱根にいけるんですね。徳本栄一郎氏は その秩父宮の連絡係を担当していたと指摘しておりますが、姫殿下との交流は 戦後も継続しているんですね。正子サンの実家の樺山家は 明治天皇を玉として 維新を成し遂げた家でもあり 華族サークルの中心でもあった家です。天皇制というと イデオロギーの面でしか見えていない方がいますがファミリーの核ということなんですね。特にいくつかの お偉いサンたちの系図をみると 天皇家との接点が いまだに家格に影響しているようなんですねほんとのところは ジローさんに聞いてみないとわかりませんが ジローさんは まちがいなく 戦前から 戦後の特権階級の中にいて それを巧みに利用した人といえます。
2008年03月05日
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http://m79s420.hp.infoseek.co.jp/keizu-yamasitataro.htmhttp://kingendaikeizu.net/sirasuzirou.htmジローさんの 系図です。ここに出ている 水野惣平さんが 開発銀行とか 小林中事務所にもいた方で 石油利権のキーマンだった方で ジローさんの子分の永山時雄とか 大堀弘が 石油業界に天下りしていましたが ジローさんと水野は この図を見ると 友人でもあり 親戚でありますが この流れでみると 彼らが一つのグループを形成していたようにみえます。ジローさんのお兄さんの奥さんの父が橋本圭三郎という方で この方が戦前から 戦時中の石油業界のドンで ジローさんが 石油業界の陰のドンだったのでしょう。 一方で 通産省の反白洲派は かなり退官後は 富士とか 八幡に天下りをしているんですな。また永野重雄自体は 池田勇人支持ですが 周辺の系図とか 人脈をみると かならずしも重ならないし ジローさんの人脈と見事に重ならない。 反白洲派を いろいろと説明する向きもありますが ある時期まで 通産省の次官は外務省からきていたようで エスボワールの決闘と絡めて ジローさんが 裏のフィクサーになった理由も はっきりいえば ある筋から 恨まれていたので 表に出られなくなったというのが ほんとのところかも東宝との関係は ワーバーグ家が アグファというフィルム会社をバックアップしていて それにモルガン銀行が絡んでというのがあるようですがモルガン家と親戚だったのが ジャパンロビーでかならず出てくる クルーという駐日大使樺山家はクルー家と家族くるみの付き合いでしたが。モルガン銀行東京支店顧問と 東宝取締役のジローさんだったのが 正子兄ですがそれにプラスして 松尾臣善という方の縁につながるのが 東宝争議の時期に 社長になったのが 渡辺サンという方で この渡辺サンの前が 大沢サンという方で 大沢商会の一族です。戦後の有名な争議といえば 読売ですが それに絡んだのが ジローさん 東宝にも絡んだのでしょうか。また二宮サンという日本興業銀行の理事だった方もいますが 一時期 小林中の下にいたのが 昭和の鞍馬天狗 中山素平で 日本興業銀行のドンだった方です。ジローさんは 正子サン経由で 財閥の顔役サンたちとも親しく 総裁の河上弘一の回顧録が 正子さんの蔵書にありました。このグループのパシリだったのが田中清玄だったのでしょうかまた 東宝の渡辺社長は 今日出海と 後年 アジア反共連盟という組織をつくっていますジローさんの周辺は 右翼というか男塾な方々いっぱいいるんですがジローサンは右翼嫌いとか 天皇制を否定していたというおもしろいことを言う人がいますが 戦後も遠くなったものです
2008年03月03日
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娘さんの 本を読んでの感じたことと 私なりの推定なんですが1 当時の白洲家 妻 正子 子ども3人2 家政婦 これは 間違いなくいたでしょうし それを思わせる記述もあります。娘の桂子さんは1940年生まれで 50年代前半は 間違いなく 世話をする人がいたはずですし 正子さんは 本人の自伝や 桂子さんの回顧録を読んでも そういうことができる人ではございません。3 作男 現在の武相荘には 農地はありませんが 50年代前半までは 農地があったようですが 間違いなく正子さんはそういうことをするタイプではなく できる タイプでもありませんし ジローさんは 農業をやっていたようですが 週4日官邸に閉じこもりとか 海外旅行とか 東北電力でのお仕事 そして銀座でのお 遊びとくれば 果たして 農作業はどれほど されていたのか? 作男いない方が可笑しいです。4 セカンドハウス 50年代に軽井沢に別荘 滋賀高原や蔵王にロッジを持ち 昭和30年代には 赤坂にタウンハウスを所有していたとあります また 三浦義一とともに 青山に 部屋を所有していたとあります。 愛人宅とはいいませんが 鶴川に常に帰宅していたのか? 都内に 個人事務所はあったはずです。5 秘書 個人秘書はいなかったという説もありますが 桂子さんの回顧録を 読んでも 仕事を家に持ち帰った印象も持ちませんし 武相荘にジローさんの書斎がないようなんですね。展示されていないだけかもしれませんが6 家計管理 これは ジローさん自身がしていたようです。 だからこそ 5がいた可能性を思うのですが7 海外旅行 いろんな理由で海外に 早い時期から 戦後も行かれて 桂子さんも留学をされているようです。 8 こうげい 正子さん自身のお店ですが 1970年まで 正子さんが所有で ジローさん自身の都合で 他人に譲ったようですあくまでも推定ですが 月数百万の収入がないと 維持できない生活をしていたはずですが このへん 皆さんスルーですね?ジローさん 霞を食って生きていたと皆さん かんじているのでしょうね。
2008年03月01日
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