2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全6件 (6件中 1-6件目)
1
イイノホールで 飯野海運で 犬養 並木という連想は 座布団一枚です。談志師匠のタニマチに そちら関係の方が多いんでしょうね。立川流の上納金制度を思いついたのも その筋の方のアドバイスだそうでそれにしても 飯野海運といえば 下記が思い出されますがhttp://www.fukushokai.or.jp/fukusho/148/index12.html造船疑惑で 有名になった方の後輩に凄い方がいますhttp://www.fukusyo.com/fukusyo/hist/hist002/hist002.htm。その頃すでに、藤野隆助先生が初代の東京支部長であったと考えられる。大先輩2回の出光興産社主・出光佐三氏、7回の東京瓦斯杜長の高田五郎氏14回飯野海運会長の俣野健輔氏をはじめ、あの右翼の児玉誉士夫の右腕といわれた通称彦ちゃん・28回の吉田裕彦氏もすべて引受けられたとのこと。さて 造船疑惑の際に問題になった指揮権発動については ちょっと面白い噺がありますhttp://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2001/ronbun/08-r2.html捜査の手は、自由党幹事長佐藤栄作に迫った。検察側は、四月十七日、国会に佐藤の逮捕許諾を求める決議をし、法務省にその意向を伝えた。しかし、四月二十一日、法務大臣犬養健から佐藤藤佐検事総長に対し「別途指示があるまで逮捕請求を差し控えるように」との、いわゆる指揮権発動がなされた。 捜査には機というものがあるようだ。 造船疑獄事件の捜査は、この指揮権発動によって一気に萎んでしまい、佐藤栄作は逮捕を免れ、造船業界から四千万円を超える献金を受領しながら会計帳簿に適正に記入しなかったという政治資金規正法で起訴され有罪となったが、いわゆる国連恩赦で、昭和五十六年、免訴となった。 特捜部は、指揮権発動による造船疑獄捜査が頓挫した後、長い冬の時代を迎える。 犬養は、指揮権発動の責任を取って法務大臣を辞任し、二度と政界に復帰することはなかった。 2、検察庁法第一二条には「法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮監督することができる。但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる」と規定する。指揮権の根拠である。造船疑獄事件以前には発動されず、それ以後も発動されていない。この眠れる条文に息を吹きかけたのは誰か。犬養にその発動を迫ったのは誰か。 松本清張は、その著『日本の黒い霧』(文春文庫、一九七四年七月)の中で、それは総理吉田茂と副総理緒方竹虎であるとし、ただしその裏には、法律に素人のこの二人に検察庁法第一四条の存在を知らせた人物がいなければならないとして、「それは約九名の人達から成る法律関係の連中だった」としている。だが、約九名の人物が誰であったかは書かれていない。 謎の人物をめぐる論争は跡を絶たない。 比較的最近の例では、一九九九年十二月二十七日の毎日新聞の特集「検察が政治に屈した日」がある。その中で、当時佐藤幹事長の弁護士だった元法相で昭和十六年から検事総長を経験し、検察庁法の立法作業にも関与した人物しかいない、という牧内節男元同紙社会部長の談話を掲げている。それに該当する人物といえば、松阪廣政しかいない。 児玉の関与を指摘する関係者もいる。 犬養は、指揮権発動で失脚し、翌年、療養を兼ねて箱根・芦ノ湖湖畔にある箱根ホテルに滞在したが、その手配一切を行ったのが児玉であり、犬養はこれを感謝し、厚い謝意と自分の不遇を綿々と綴った手紙を児玉に出しているとのことである。そこから直ちに指揮権発動の黒幕として児玉を推定することは無理であるにせよ、児玉の影が見え隠れするのは否めない。 児玉が関与したとすると 本来ならば 児玉は 造船疑惑で 吉田政権を刺す立場なんですが ここでは 佐藤栄作に恩を売り 貸しを作る立場になっているようにも見えます。これがあるからこそ 保全経済会事件と造船疑惑で 刺し会いに持ち込めたのかもしれません次回は この松坂さん周辺と 児玉と司法関係者とのつながりをみてみましょう
2008年09月23日
コメント(6)
今の落語協会会長の馬風師匠が、昔 キックボクシングの呼び出しをやっていた時期がありまして(ここのキックボクシングという点に注目) その時期に独演会をやったことがありますそのときの噺です。不思議な独演会外回りの仕事(キックボクシングの前にはキャバレーの司会 ここも注目)の話ばっかりみたいだけど 二つ目になってだいぶたった頃 昭和45年くらいかな 霞ヶ関のイイノホールで独演会をやったことがあります。これもキッカケは談志さんがある日 あたしに勧めててくれたんです。 もうそろそろ真打ちだろ 何年噺家やってんだ。十五年近くか そんならパッとやんなよ。イイノホールなんかどうだい 独演会をやれば上の人も見てくれるし 名を上げる意味でもいいんじゃないの じゃあ それでやってみますよ ということで こっちは 言われりゃすぐ動く(笑い) このとき お祝いに送られた花輪がイイノホールのロビーに並びきれなかったんです。ホールの入り口からロビーに並びきれなかったんです。ホールの入り口からロビー 客席の両サイド 舞台までピッシリ花輪 あんなに凄い花輪は見たこともないと 今でも言われます この花輪の元は 汲木量次郎( 注 たぶん 並木でしょ)という ある建設会社(たぶん 間組)の顧問をやっていた先生で 独演会をしますと 報告したら どうする ご祝儀がいいか 花輪がいいか ときかれたんですここで ご祝儀と言ったら 腹ァ見られちゃうと思うから できればお花をと返事をしたら そうかい じゃあ オレの顔で集めるだけ集めるからてえことになった汲木先生の一言で もの凄い数の花輪と天井から垂れんばかりのくす玉がズラッと並んだ。くれたのはみんな 見栄はる世界の人達だから あの頃で一つ二万五千円くらいする高い花輪ばっかりで 平塚の七夕みたい(笑) 会が終わってから2~3日してから まだ結婚式前だった神さんと二人 花なんかじゃなくて 現金で貰っとけばよかったと思わず悔やんだね 一万六千円のアパートにいた時代だから くす玉一個で家賃が出ちゃう あれだけの数の花輪分 現金で貰ってたら 家が建ったかもしれないスよ また この会のゲストは凄かった 小さん 三平 談志 圓楽 圓蔵( 当時 円鏡) 毒蝮 色物が小鉄師匠 前方の顔ぶれはすばらしい(笑)(まじで 凄い顔ぶれです) それで 小さん師匠以下 ゲストの面々は花輪を見て すごいえねえ かゑる(馬風師匠のふたつ目当時の名前)はさすがだねえと感心してたけれど 客席の扉あけて中を覗いたら 客席七百五十のホールに 客が百五十人しかいない(笑) 切符は全部 売れているんですよ 買ってくれたのは その筋の人ばっかりですけど だけど 一番 偉い人たちが真ん中あたりに座っているもんだから 若い衆なんかはホールまでは来ても あんなところで笑ったら 指何本あっても足らねえと 客席を覗いて みんな帰っちゃった それでバラバラ ゲストのメンバーには大受けで みんな高座にあがると その話が枕で 楽屋でも それを聞いて みんなでゲラゲラ笑っている 楽屋の笑い声がまだらな客席にガンガン響いたという 前代未聞の独演会でしたね会長への道 鈴乃舎馬風 小学館より
2008年09月19日
コメント(0)
http://homepage3.nifty.com/inumaru/newpage2008.01.17.html2008年5月9日(金)「小泉信三展」を観る○ 三田の慶應義塾大学旧図書館で開かれている「生誕百二十年記念 小泉信三展」を観た。 小泉信三は、私達慶應出身者からすれば、仰ぎ見る巨峰である。我が家にも全集があり、戦死した愛息を悼んだ「海軍主計大尉小泉信吉」は、何度読んだか知れない。その文才は秋山加代・小泉妙の二人のお嬢さんに引き継がれ、小泉家の周囲を語るエッセイは、我が愛読書の一つである。 昭和51年から、慶應では「小泉信三賞 全国高校生小論文コンテスト」を設け、現在まで続いている。実は、私事なのだが、昭和52年、高校三年の時、私はこの賞の次席の栄に浴した。その時の審査員のひとりが、戸板康二だったのだ。早速御礼の葉書を書いたところ、懇篤な返信を頂いたのを忘れない。当時から歌舞伎が好きだったが、まさか後年劇評を書くとは思ってもいなかった。その後戸板とは遂に会話を交わす機会がなく(正確には劇場の食堂で自己紹介をしたら、丁度ご飯を口に入れたところでモゴモゴ、それっきりになってしまった)、今思えばもっとお付き合いを深めておけばよかった。 さて、「小泉信三展」。 皇太子教育掛としての、ヴァイニング夫人との書簡、吉田茂書簡、田島道治日記など、展示資料が充実している。中でも、御贔屓の店・銀座「はち巻岡田」所蔵の「銀座復興」切り抜き帖などは珍しい。 「銀座復興」の作者水上滝太郎(阿部章蔵)は小泉の義兄弟(富夫人の兄)であり、阿部優蔵氏の父である。久保田万太郎によって劇化され、戦後まもなく六代目菊五郎によって演じられたのはご承知の通り。 ?ちょうど会場に小泉妙さんがおられた。妙さんには「思い出す顔」をお贈りしているので、戸板康二の思い出で花が咲いた。「先月の仁左衛門の弁慶、良かったですね」と目を輝かす妙さん。小泉家は本当に芝居好きなのだ。「小泉信三若き日の日記」(慶應義塾大学出版会)を是非読んで欲しい。歌舞伎、義太夫から自由劇場まで、小泉が一流の鑑賞眼を持っていることが良く分かる。 久保田万太郎の支援者で、林彦三郎という実業家がいる。いまは更地になってしまったが、日比谷の三信ビルの社長である。この人のことがずっと気になっていたので、思い切って妙さんに伺ってみた。「良く存じ上げていますよ。だって志ん生の家って林さんの持家だったんです」。 小泉信三は、志ん生を大の贔屓にし、彼が歌う「大津絵」に涙した。 先週か先々週かの週刊文春のグラビアで、小泉・志ん生の横に、何故か若き宮澤喜一が写っていた。その謎がやっと解けた。林は重光葵(戦後、林は万太郎同様、重光に鎌倉材木座のモリソン屋敷を提供した)のあと、宮澤を支援していたのである。つまり、全て「林彦三郎つながり」だった訳だ。 発見の多い一日だった。久保田万太郎の弟子筋にあたるのが 川口松太郎で 小泉信三の先代からの縁 また親戚の松本蒸治の縁で 白洲次郎のようですが もしかして 正子さんのおねえさんを 悪の道に誘い込んだのは ジロさんだったりして。このへんが夜の蝶の舞台裏のひとつの風景ですが川口松太郎の大映の親分が 永田雅一 その仲間が児玉誉士夫 北炭の萩原吉太郎林彦三郎も 三井不動産にいろんなかたちで絡んだ方ですが そのラインに 江戸英雄 京成の川崎千春 国際興業の小佐野賢治 朝日土地興業の丹沢善利がおりますちなみに 重光さんをつくと 当時出てくるのは 豊田一夫の殉国青年隊で この親分が三浦義一になりますジローさんも あやしい人ですが 宮澤喜一も ずいぶん怪しいところから 金を引いていたことになります。なお これで一区切り次は 白洲次郎とその時代 いよいよ児玉先生も登場させましょう
2008年09月09日
コメント(4)
児玉誉士夫さま今度 東京にて オリンピックを開催することになりましたが つつがなく おこないためにも なにとぞ ご協力お願いします河野一郎田中清玄 三上卓さま建設の利権を 河野一派に握られる傾向が 五輪の成功ともに ますものかと思いますわが社は どうもそれに対応しきれていないのが なんとも遺憾なところです東北でのごたごたも それが原因なのでしょうか四元義隆田岡一雄さま以前から 相談されていました 関東への進出の件ですが 例の児玉の構想ですが あれは五輪対策の一環として考えられたほうがいいように思われますので 今の時期に行われれば 確かに反発はあるかと思いますが 今の時期を逃すと さらに反発を増すかと思われますさらに 五輪と平行して 東京湾埋め立て事業が振興しており 今の時期を逃しては 利権に入り込むことはできないと思われます田中清玄野村秋介さま断あるのみハマの愚連隊か 新右翼の教祖になれるか断あるのみ三上卓宮沢弘さま関西系の土建屋を参加させるようにという件 なんとかなるかと思いますが その代わりといっては なんですが 例の船橋の土地の件 なんとかならないものでしょうか小佐野賢治 川合千春 江戸英雄さんに相談はしているのですがここの件がきまれば 例の件にも対応できるかと思います丹沢善利白洲次郎さまふつつか者の兄貴ですが やはり官僚時代とはちがい あのとおりの性格ですから 苦労しているようです私も苦労していますが つきましては 例の件で 正力さんに ご尽力いただけないかと思いますが いかがでしょうかご無理を承知でお願いします宮沢弘正力松太郎さま船橋のオートレース場の件 ご尽力 感謝いたしております来年にも 取締役就任の件 ご返答できるかと思います白洲次郎
2008年09月06日
コメント(4)
http://en.wikipedia.org/wiki/Lionel_Nathan_de_Rothschild上記にあげた方が 下記のかたのようです私の手元に 1938年6月29日 ロスチャイルド家から英国外務省に送られたメモがある。作成したのはリオネル ド ロスチャイルド、ロンドンで銀行部門を統括する一族の重鎮だ。日本銀行幹部から入手した情報として 彼はこう記述した。日本政府は 日銀保有の金には手をつけていないが 他の在庫から5億円相当の金を輸出している 彼らは満州で犯したミステイクに気がつき同じことを中国では繰り返したくない意向だ。(中略) この戦争は永遠に続けられず いずれ集結させねばならないと考えている英国機密ファイルの昭和天皇 徳本栄一郎著新潮社よりhttp://en.wikipedia.org/wiki/Edmund_Leopold_de_RothschildAn aggressive business developer, during his career Edmund de Rothschild flew the Atlantic Ocean more than four hundred times playing a key role in developing British interests in postwar Japan and was a significant part of the Rothschild syndicate that formed the Britishこの方が 上記の方の息子で 野村証券と組んで 日本株で成果をあげた方で 野村との橋渡しが ジローさんなんでしょうかね?野村証券と ジローさんの関係で注意したいポイントは三つ 財閥解体で 野村証券初め いくつかの証券会社が 株が散財しないように影で動いた形跡がある点 次に 日本テレビで 株を買いあつめて 正力の独裁に力を貸した点があげられます。ジローさんが 取締役で入り込んだのも そのへんかな そして 日本株 そして債券を欧州に売り込むのに手を貸した点 ソニー トヨタの重役が ジローさんに頭があがらないのは これが原因ですかね。反日感情がまだ残る 欧州で 貴族サークルに入り込めて 営業ができる人間というと 高度成長前は ジローさん以外に誰がいたんでしょうか半分は仮説ですが どうでしょうか
2008年09月02日
コメント(5)
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2006/00005/contents/0113.htm白洲正子さんとも 接点があったのが 広島のモーターボートのドン 岩田幸雄で そこの関連で 山村さんという方がいます。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E6%94%BF%E4%BC%9Aいわずとしれた 広島の仁義なき戦いの方々の親分さんです。日本財団のページというのは 街の有志のみなさんと堅気の方々の交流が随所に描かれていて たいへん面白いのですがさて映画の中で金子信雄さんが演じたのが この方になります。ねこさんが 昔 その筋の方々と 新幹線ですれちがったさいに おいおまえたち ワシ等の親分さん じゃけん 挨拶しーやと声をかけられたとかそんな噺があります。一昔前に 東映でさかんに制作されていた極道映画は特にお気に入りでした。古い映画なので夜中に放映されることが多く 時々見逃してしまうこともあり 極道映画みたさに 古いテレビが壊れたのを機にビデオ付きのテレビに買い換えるほどでした。次郎と正子 牧山桂子 新潮社とありまして 娘さんは 母さんは物好きなんだからとありますが おそめを介してのおつきあいが 三浦義一 秀のひものあの方 山段芳春 ボンノほか 関西の親分衆親友の犬養健の私設秘書が 並木量次郎 犬養の中国での工作活動のスポンサーがあの里見 親友の今を介しては 田中清玄 児玉誉士夫 近衛 細川 孫つながりで 四元義隆 東宝を介しては 岡村吾一 小佐野岩田幸雄で 共政会ですが ここのお仲間に広島グループの総会屋 小川薫という方もいます。ジローさんの裏の顔を考えるのには 考慮すべき男たちであります。白洲正子にとっては、だいたい 昔の映画には 顔なじみがすくなくとも出ているんで ふつうの人とはちがった楽しみができるわけですね。ほんものを知っているわけですね。桂子さんには 物好きなかあさんなんでしょうがね
2008年09月01日
コメント(5)
全6件 (6件中 1-6件目)
1
![]()
![]()
