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今日は、午前中は「関西ぱずる会」の会誌の編集に取り掛かりの作業をし、午後は、神戸大丸で開催されている「ミロ展」を見に行き、そのあと、介護ホームに義母を見舞った。「関西ぱずる会」の会誌の編集は、会員有志の持ち回りで、何年かに一回担当が回ってくる。今回の会誌は5月末の締め切りで例会2回分の記録や送付された原稿を集めて編集するのである。まだまだ間があるが、できるときに少しずつでも仕上げて行きたいと思っている。ミロ(1893-1983)はスペインの画家。ミロの絵はこれまでにもたくさん見ていて、ミロ展も何度か見たと思うが、今回の「ジョアン・ミロ展」は、通常の制作年代順の展示と異なり、特異な展示方法であることが特徴だった。ミロの絵はなにか抽象画のようで、色彩はきれいだが何を描いているのかわからないというのが一般の感想だと思う。今回の展示会では、「ミロの絵は記号(シンボル)で成り立っている」という見方をもって整理したもの。70点の作品が次のように分類されていた。Prade1 性 男、女をあらわす独自の記号Prade2 天体 星、花、三本線などをあらわす記号Prade3 地球 梯子、円、太陽、月、目、流れ星などをあらわす記号Prade4 無限なる彼方 鳥、無、点と線などをあらわす記号それぞれは、簡単な記号であるがそれを組み合わせて絵を作っていることが分った。画像は、パンフレットより。女と鳥たち、希望の星を取り囲む鳥たち、月の前の女、人物、黒の亡命者、太陽の女(右端の彫刻)
2009.03.31
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今日は、午前中は、郵趣仲間から頼まれた「緑寿記念切手方陣」を作成を行い、その結果を送付した。午後から、高島屋で開催されている「上村松園、松篁、敦之三代展」を見に行った。帰りに大丸で開催されている「ムーミン展」を覗いた。緑寿というのは、数え年66歳(満65歳)の賀寿で日本百貨店組合が2002年に提唱したそうだ。上村三代展は見応えがあった。これまで、松園(1875-1949)、松篁(1902-2001)の作品はときどき少しずつ見て来たが、このようにたくさんの作品を並べて見ることはなかったので大変珍しく、また、敦之(1933-)の作品も殆ど見たことはなかったので、大変興味深かった。三代の3人とも非常に優れた日本画家であるが、3人のテーマや絵の特徴は少しずつ違う。松園は美人画、松篁は自然の動植物(花鳥風月)、敦之は鳥を題材として描いている。しかし、3人とも日本画の本質を守って描いており、最近では少なくなった本来の日本画のよさをよく伝えていると思う。展覧会には、松園の作品37点、松篁の作品15点、敦之の作品17点が展示されていた。敦之は鳥専門に絵を描いているが、自宅には263種1600羽の鳥を飼っているというから驚く。画像は、パンフレット、絵はがきなどより。鼓の音、春の野図、花がたみ、伊勢大輔、今日美人の図、楊貴妃(いずれも上村松園)熱帯花鳥、月夜、芥子(以上上村松篁)、花の水辺、晨、舞う(以上上村淳之)ムーミンは、フィンランドの女流童話作家トーベ・ヤンソン(1914-1995)が1939年に発表した童話の主人公で、生涯に9つのムーミン童話を書いた。ストーリと挿絵の両方を一人でこなすユニークな作家である。展示会では、挿絵原画170点と立体模型数点が展示されていた。彼女の絵は殆どがインク画で細い線で書かれている。大きさは大きいものではがき大、多くは名刺大の小さなもの。だが、非常に細かく書かれているので、小さくても迫力はある。失敗のできないインク画でよく描いたものだと思った。画像はパンフレットなどより。
2009.03.30
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今日は、昔の職場仲間6人で、大阪城へ花見に行った。生憎桜はまだ2分咲きくらいで、気温も寒かったが、いい天気に恵まれ、楽しい一日を過ごすことができた。11時に京橋に集合、下記のコースで、12時ちょうど、大阪城西の丸庭園に着き桜の下で昼食場所を確保した。 京阪京橋駅→連絡歩道橋→OBP→大阪城ホール(美術展)→青屋門→梅園 →空堀の南側→西の丸庭園(昼食)歓談しながらゆっくりと昼食を済ませて、13時30分、午後の部に出発し、下記のコースで京橋に帰った。 西の丸庭園→豊国神社(巨石の庭)→桜門→大阪城(池、B29による被弾の 大阪城石垣、石の刻印、 秀頼自刃地碑)→極楽橋→青屋門→桃園→ 砲兵工廠跡→大阪橋歩道橋→川崎橋(大川沿いの桜並木、造幣局)→ 大阪市公館→藤田邸跡公園→太閤園庭園→京橋京橋には4時10分に着いたが、駅近くの喫茶店で、休憩・歓談をし、5時に解散した。写真は、青空と桜、桜の下での昼食、桜と大阪城、大阪城をバックに、ハトと戯れる、たまたま見かけた水陸両用車、砲兵工廠と大阪城をバックに、太閤園庭園。今日はほとんどを私が案内したが、豊国神社の巨石庭園、桃園、太閤園庭園などは、大阪に詳しい人でも知らなかったもので、大変好評だった。そのほか、ここには書かないが珍しいハプニングもあり(Sさん失礼)、最後まで大いに盛り上がった一日だった。今日は、あちこち歩いたので、万歩計は17900歩を示していた。
2009.03.29
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今日は、午前中は先日の句会のまとめをしたり俳句王国を見たりして過し、午後は、明日の花見の下調べを兼ねて大阪城の桜の開花状況を見に行った。大川の桜も、大阪城の桜もまだ1分咲きくらい。中には満開に近いくらい花を付けている木もあるが、その木の下だけは花見の宴を張る人で一杯になっていた。寒いので人出はあまりないが、その少ない花見客が花の多い木を求めて集まっているのだ。写真は、花の多い桜とその下の花見客。大阪城西の丸庭園内とその付近及び大川。あまり珍しくはないが、大阪城公園で出合った鳥の写真。ヒヨドリ、コサギ、スズメ?、頭が黒くなったユリカモメ。帰りに大阪城ホールの前を通ったら、「大阪城ホール館蔵美術品展覧会ー描かれた水都大阪」という展覧会を行っていた。覗くと、難波名所図屏風を拡大して綴れ織にしたタペストリーや小出卓二という洋画家(1904-1978)の作品などが展示されていた。このタペストリーは15年前に制作されたもので、ホール内の壁に飾られている。大きさは高さ1.7メートル、横巾7.8メートルのもの2枚である。そばで見るとその迫力に圧倒されそうだ。大阪の町の様子が北から南にかけて詳細に描かれていて、大阪の洛中洛外図のようだ。作者は不明とのこと。小出卓二は、大阪で結成された行動美術協会の設立会員で、油絵・デッサンをたくさん残している。他の作品は、祢宜吉子、鎌苅登代子、木村光佑、後藤隆平、羽紫小枝子、宮本順三などであった。どの絵も大阪の風景を描いたもので親しみが持てる。上:難波名所図屏風を原画としたタペストリー「難波の賑い」、下左:上の部分、下中:小出卓二「大阪港」、鎌刈登代子「萌える」今日の万歩計の数値は15200歩。
2009.03.28
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今日は、一日中在宅で、昨日、一昨日の資料や写真の整理をしたあと、月曜日の句会のまとめをしたりして過した。句会のまとめはまだ未完成。今日は、外出しなかったんで、一昨日、昨日見かけたいろいろな桜の写真を貼ることにする。写真上:大阪帝国ホテル前のヨウコウ桜、下:京都六角堂の枝垂桜写真上:大川の桜、下:吹田市の旧家の庭の八重桜(紅白が混じり珍しい)
2009.03.27
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今日は、「あひる会」主催の史跡探訪のイベントで、「旧吹田村の寺社・名家を訪ねて」のハイキングに参加した。私は会のメンバーではないが、あひるの会会長のH氏がいきいき俳句の会会長であることから、誘われて参加したもの。少し肌寒い日だったが、お天気はよく、あちこちで春の花を楽しみながら、盛りだくさんの内容で吹田の昔を偲ぶ散策を楽しんだ。9時30分、阪急吹田駅に集合したのは、総勢39名。会長のH氏から、挨拶とともに、今日は俳句の塩川雄三先生も参加されていることの紹介があり、続いて幹事のK氏から今日のスケジュールの説明があった。午前中は3つの寺社巡りと西尾家住宅の見学、昼食を「神戸屋ベーカリー」でとり、午後は、浜屋敷などを見たあとアサヒビールの見学・試飲という内容である。先ずは、駅のすぐ近くの泉殿(いずどの)宮からスタート。昔、旱魃のとき、泉が湧き出したところからその名がついたそうだ。次いで、常光円満寺を拝観した。真言宗の寺で本尊は聖観音菩薩。本堂の外壁には木彫で立派な絵が彫られている。また、本堂の回りには西国三十三所の観音さまの代替像が置かれ、手軽に三十三所巡りができるようになっている。続いて訪れたのは、本願寺派の寺で光徳寺をいう寺。親鸞上人の銅像があり、立派な鐘楼があったが、本堂は閉じられていた。シモクレンの花がきれいに咲いていた。写真は、塩川先生を紹介するH会長、泉殿宮鳥居、泉殿宮本殿、常光円満寺本堂、涅槃像の彫刻、三十三所の観音像、光徳寺本堂、親鸞上人像、鐘楼。次いで、本日の主要見学先である西尾家住宅を訪れた。西尾家は旧仙洞御料庄屋を務め、1400坪の敷地に数百坪の建物を建てている。主要家屋は明治28年の建築である。ここでは、ボランティアガイドの方から50分にわたって、詳しい説明を聞きながら見学することができた。外観は和風だが内部はステンドグラスもある洋間、何部屋も続く広い座敷、籠が横付けできる二間巾の玄関、二間巾の廊下、お寺の塔の心礎を使った庭の敷石、5つある茶室、お互いに目線の合わない椅子のある東屋、配電盤のある台所、桂離宮式の釘隠し等など、見所が多くかった。写真は、西尾家住宅の門、丸窓、茶室、座敷、欄間、釘隠し、配電盤、心礎の踏み石、卍椅子の東屋。昼食は、神戸屋ベーカリーでハンバーグランチだった。出来立てのパンがお代り自由。4個食べたら腹いっぱいになった。午後は、まず浜屋敷を訪れた。こちらも旧庄屋の家。たくさんん部屋があり、土間には釜が5つ焚けるくどが残されていた。部屋は、玄関の間、次の間、座敷、仏間、茶の間、勘定の間などそれぞれ役割が決まっていたようだ。この家の蔵には地車が保管されていてそれも見せてもらった。木彫がふんだんに取り入れられすばらしいものだった。次いで、南町道標のところで旧吹田街道に入り旧吹田市役所跡碑、高浜神社、建前地蔵などを見ながら、JR東海道線のガードをくぐり、今日最後の訪問先、アサヒビールに到着した。アサヒビールでは、始めに映像で説明を見た後、40分かけて工場見学をした。そのあと、待望のビールの試飲となった。試飲時間は30分、ビールは3杯までということで、おつまみもあり、これでハイキングの疲れが全部ふっとんだ感じだ。しかし、制限時間になって追い出されたあと、まだ飲み足りない者9人が残って、吹田の駅ビルの下で、二次会となった。店に入ったときは4時だったが、よほど話がはずんだのか、出て来たら7時になっていた。写真は、神戸屋ベーカリー、広い部屋、地車、南町道標、旧吹田市役所跡碑、高浜神社、アサヒビール社製ビン部門発祥の地碑、試飲会場、二次会の様子。
2009.03.26
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今日は、朝は、午前7時からの大阪城早朝探鳥会に参加し、その後、会社OB会主催の大阪ドーム、阪神なんば線見学と「落語家と行くなにわ探検クルーズ」に乗るイベントに参加した。午前中は、京セラドーム大阪に隣接するビルの15階から、ドームや周辺の空き地状況を見たあと、ドーム大阪周辺の開発計画などの話を聞き、ドーム内レストランで昼食をとった。このレストランは試合を見ながら食事をすることができ、この日は試合はなかったが、グラウンドを見ながら食事をした。写真は、ドーム全景、ドームに隣接してさら地、岩崎橋付近、ドーム正面、ドーム内レストラン、グランウド、内野、スコアボードのオリックスと阪神のロゴ、安室奈美恵の手形。写真は、ドーム前駅南側、出入口、あちこちに阪神のPR看板、同、改札階の赤煉瓦壁、ホーム階の赤煉瓦壁、ドーム前駅版、ホームに入る電車。午後は、20日にオーブンになった阪神なんば線のドーム前駅を見学し、難波駅まで2駅間を試乗したあと、湊町リバープレイスから「落語家と行くなにわ探検クルーズ」に乗船した。阪神なんば線のドーム前駅は線が地下鉄鶴見緑地線の下を通るため、ホームは地下35メートルのところにある。長いエスカレータを降りると改札口があり、さらにエスカレータを2回乗り継いでやっとホームに着く。改札までの通路やホーム内の内装は赤レンガが張られている。この地が、大阪の近代産業発展の礎となった大阪ガス発祥の地であり、創業時この地に建てられた工場がレンガ造りであったことを示しているそうだ。写真は、湊町リバープレイス、クルーズの船、船内、水門を通過、天井の窓は開けたり閉めたりする、ドーム、大川の桜、落語家=桂ちょうば、グリコの看板を水面から見上げる。なにわ探検クルーズは、大阪の町を船上から見て回るというもので、湊町乗船場から、道頓堀川を西進、道頓堀川水門で水面を海のレベルに合わせたあと、木津川を北上、ドームを左に見ながら、堂島川に入り東進、天満橋を過ぎ、大川に入り、帝国ホテルのところでUターンし、天神橋を過ぎたところで、東横堀川水門で再び運河の水面に合わせあと、東横堀川に入り南進、突き当たりを右折して道頓堀川に入り、グリコの看板を見ながら、湊町に帰ってくるという1時間45分の船旅である。船内にには落語家が乗り、乗船の間中、ずっと船外に見える建物や街の説明をしてくれる。ほとんど沈黙の時間がないので、隣りの人と話をすることもなく、ずっと耳は落語家に預けっぱなし。やはり、普通のまじめな説明とは違って面白い。アドリブもあり退屈することはない。こうしてみると大阪にもいろいろな名所があるということを気付かされる。ただ、東横堀川は上を高速道路が通っているので、回りn景色も見にくい。ここでは、落語やクイスで楽しませてくれる。あっという間に過ぎた1時間45分だった。写真は、落語家の桂ちょうぼは、桂米朝門下の桂ざこばの弟子。米朝の「ちょう」とざこばの「ば」を取った命名。歯切れのよいうまい話振りだと思った。
2009.03.25
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今日は、朝は、午前7時からの大阪城早朝探鳥会に参加し、その後、会社OB会主催の大阪ドーム、阪神なんば線見学と「落語家と行くなにわ探検クルーズ」に乗るイベントに参加した。朝は、雨の予報だったが、一滴も降ることはなく、いい探鳥日和だった。今日はいつもの元山先生が休みで杉田さんが臨時にインストラクターを務めた。今日はシロハラ、シジュウカラ、ジョウビタキなどが見られたが、シロハラ以外はあまり珍しい鳥は見られなかった。今日見た鳥は、上記のほか次のとおり。ヤマガラ、メジロ、ウグイス、キジバト、キンクロハジロ、ホシハジロ、カワウ、ヒヨドリ、ムクドリ、スズメ、ハシバソガラス、ハシブトガラス写真は、シロハラ、カラスの巣、キジバト、シジュウカラ、桜と大阪城、大阪城桃園。往復の道中で見た大阪城公園や大川沿いの桜もかなり開いて来ており、今週末には見頃になるものと思われる。
2009.03.25
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今日は、ジパング倶楽部の企画で「六角堂と革堂を訪ねる」イベントに参加した。西国18番と19番の札所で、両寺とも、現在ご本尊が開帳されていていて、それを拝観するのが大きな目的であるが、六角堂では、寺と生花の話があり、両寺拝観のあとは、京都の造り酒屋の見学・試飲も体験できた。集合は源氏に9時と非常の早い。梅田を8時10分発の快速急行で8時45分に四条烏丸に着き、現地には9時少し前に到着した。スケジュールの最初は、池坊会館2階ホールでの特別講義。「六角堂と池坊」と題して池坊中央学院教授から40分の話を聞いた。六角堂の歴史、池坊という言葉の由来、生花の発展史などを資料を引用しながら説明され、実際の生花のうち立花の理論にのっとった生け方を実際の花を使って、見せてくれた。ほんと10分ほどの間に、見事な作品ができあがった。続いて、いけばな資料館を、これも説明付きで見学した。代々の池坊家元の残した技術書や絵、道具などが展示されていた。その後、ご本尊の如意輪観音を拝観、続いて、ボランティアガイドの案内で、六角堂の境内を見学。一人で来ては分らない見所などをいろいろ教えてもらった。境内の。名物の地上すれすれまで枝をのばした柳が青い目を出し始めていて、枝垂れ桜もほぼ満開だった。写真は、2階ホールから見た六角堂、花を活けながらの講義、先代の立花の複製、六角堂、六角堂の大提灯、16羅漢と満開の枝垂桜、池と太子堂と白鳥、六角堂前の柳、へそ石10時45分、六角堂を出て、革堂(こうどう)に向った。革堂は北東へ約1キロほどだが、途中の史跡の説明を聞きながら歩いたので、35分ほど係り、11時20分に着いた。ここでも、ご本尊の千手観音を拝観。本堂や境内の建物などを見て、11時35分、最後の訪問先、キンシ正宗へ向った。革堂から西南へ数百メートルのところである。キンシ正宗 堀野記念館には11時50分に着いた。ここでは、今は清酒を作っていないが、酒作りの道具や建物が残っていて展示されている。また、井戸は現在も使われている。隣接する住居は、京町家で、こちらもきちんと保存されていて、見学することが出来た。見学のあとは、別の場所で作っているキンシ正宗の大吟醸、吟醸、地ビールなどを試飲させてもらった。革堂、革堂の大提灯、加茂大明神、キンシ正宗正面、天明時代からの酒蔵、桃の井、酒蔵と町家、町家の中、展示・即売・試飲ルーム。ここで、12時40分となり、一応解散。その後は、御所へ行くものもあったが、、殆どの者は一緒に錦市場の方に向って歩いた。私は、三条で食事をし、四条まで散策してから帰阪した。12500歩。
2009.03.24
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今日は句会、今日も直前まで句ができず、今日になってなんとか5句を作った始末。前回もぎりぎりになって作ったためか成績は悪く、先生から一句も選ばれなかった。今日も、いい成績を期待できないことを覚悟して句会にのぞんだ。句会の結果は、やはり悪く、仲間からは1票しか入らなかった。参加者17名各5句ずつ出句した85句の中から、一人が各7句ずつを選ぶので、1句平均1.4票、一人平均7票入るはずなのに、それがたった1票なのである。この時点ではかなり落ち込んでいた。ところが、最後に先生選の21句うち特選数句が読み上げられると、私の句が3句入り、なんとそのうちの2句が特選となったのだ。嬉しかったが、先生だけに受け、仲間には受けない俳句がいいのかどうか悩んでいる。先生から選ばれた句は次の3句。 ◎代々の家に 代々燕の巣(先生特選ほか1票) ◎豊公の 見守る句碑や 誓子の忌(先生特選) 春の海 漁船のあとを 追ふ鴎(先生)誰からも選ばれなかったのは次の句。 お目当ては 風車の丘の チューリップ 彼岸道 亡き父母の顔 目に浮べ今日の特選句は上掲のほか次の句。 ◎野遊びの 妻に戻りし 日暮時 哲子(先生特選ほか1票)今日の最高得点句は次の句。 ふるさとに 知らぬ人増え 彼岸寒 昇一(先生ほか7票)今日の先生の句で一番人気だったのは次の句。 誓子忌の 師に笑はるる ことはせず 塩川雄三先生(7票)写真は句会風景。句会のあとは、恒例の反省会となった。話が盛り上がり過ぎて、写真は撮り忘れた。
2009.03.23
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今日は、淀川探鳥会の日、天気予報では一日中雨の予報だったが、雨天決行なので、覚悟して参加した。ところが、出かけるとき少し降っていた雨も、集合時刻の9時にはすっかり止み、その後、探鳥会が終る12時まで、雨は雨は一滴も降らず、明るい曇り空が続き、鳥を見るには、逆光にならないので、絶好の日和となった。参加者はインストラター4人を入れて9人と少なかったが、鳥は41種見られた。特に、コガモ、イソシギ、オオバン、オオジュリン、シジュウカラ、ハシビロガモ、などは近いところに長時間いてくれたので、見飽きるほと見ることができた。今日参加した人は、天気にも恵まれ鳥にも恵まれ、本当にラッキーな体験をした。鴨の数は少なくなったが、春鳥がほとんどやって来ており、すっかり春の気配であった。鳥の種類が多かったのは、冬鳥と春鳥の共存する時期だからである。淀川では見ることの少ない、ハシビロガモやシジュウカラが見られたことも収穫だった。逆光が弱いのでいい写真もたくさん撮ることができた。写真は、着水するユリカモメ、ハシビロガモ、コガモ、オオジュリン、シジュウカラ1、シジュウカラ2、イソシギ、オオバン、コサギ。オオジュリンコガモシジュウカラ今日見た鳥は、前出のほか、次の通り。カワウ、カンムリカイツブリ、マガモ、カルガモ、オカヨシガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、スズガモ、カモメ、ウミネコ、セグロカモメ、コチドリ、ケリ、タシギ、チュウヒ、ヒバリ、キジバト、ハクセキレイ、ヒヨドリ、モズ、ツグミ、ウグイス、セッカ、メジロ、アオジ、カワラヒワ、ツバメ、ムクドリ、スズメ、ハシブロガラス、ハシボソガラス、シロハラ(41種)ユリカモメの中には、早くも頭が黒い夏羽になっているものもいた。ケリは盛んに鳴きながら降りるべき干潟を探していたが降りられずに飛び回っていた。イソシギは干潟がないので川原の草の上や係留中の船の上に止まっているものもいた。探鳥会は12時過ぎに終わり、一旦帰宅して昼食を済ませたあと、天満橋OMMビルで開催されている「関西スタンプショウ」を見に行った。今年のテーマ「花」を用いた力作7点のほか、JAPEX(日本切手展)での受賞作品9点のほか関西支部員の作品26点が、部屋一杯に展示されていた。それぞれに個性豊かな作品だった。こうした展示会を見るたび、切手の楽しみ方の世界は広いといつも思う。写真は、関西スタンプ照の模様。中央は、記念タトウ。
2009.03.22
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今日は、緑懇会の例会で、彩都の新開発地と未開発地とを歩くハイキングに参加した。彩都は、北摂丘陵に新たに開発が進められているニュータウンで箕面市と茨木市にまたがる。昭和57年に大阪府、箕面市、茨木市の3者共同で計画決定。平成6年から造成工事が始まり、平成19年から入居が始まっている。計画規模は人口5万人で、現在、6000人が居住。全体計画は、743Haであり、西部、中部、東部の3地区に分かれる。西部地区は313Haで現在120Haが供与中で、完成は平成25年度という。中部・東部地区の開発計画は現在凍結中。彩都へ行くには、万博記念公園発の大阪モノレールに乗り終点「彩都西」で降りる。将来の開発を想定して駅名は「彩都」ではなく「西」が付いている。モノレールはラッシュ時10分おき、昼間20分おきなので不便な上、料金も高い。(千里中央まで390円)さて、定刻の13時30分に「彩都西}駅に集まったのは40人ほど、次の13時45分着の電車まで待ったが、やはり10数人が遅れて来た。20分間隔では遅れるのも無理はない。先ずは、開発済みの新住宅地を見学。住宅地には真新しいスーパー、病院、学校、公園などが作られていた。公園の真ん中に自然を残した小山が取り込まれていたので、遊歩道に沿って登山した。高さ30メートルほどの山だ。それでも、一歩足を踏み入れると山に来た気持になるのが不思議だ。ボランティアが樹木の管理をしているそうだ。こうした試みはいいことだと思う。写真は、大阪モノレール「彩都西」付近、駅前に集まった参加者、駅前の病院、公園の小山下、小山へ登山、小山の南端、小山と池、小山全景と運動場。次に、未開発地である中部地区の山林へ向う。西地区の山々はどんどん麓から削りとられ、痛々しい姿を見せている。山の上部の緑が鮮やかなのと対照的だ。あと4年すればあの山が全部削られてしまうのかと思うと淋しくなる。広い道路が走る道を右に入ると急に自然豊かな山道となる。先ほど歩いた小山とは違って本格的な山だから植生も豊かである。蒲公英はカンサイタンポポばかりだ。要所要所で木や植生の特徴についてK先生から説明を受ける。しかし、この山林のすぐ南は「茨木国際カントリー」に接しているそうだ。写真は、彩都西から彩都中部の方へ歩く、彩都西の開発中の山肌、彩都中部の山林に入る、彩都中部の山道、鉢伏自然歩道の標識(左:粟生岩阪集落、右:宿久庄)、植生を話を聞く参加者、炭焼き窯跡、クヌギの大木。今日は、あまり多くの植物の紹介はなかったが、以下に少しだけ示す。ホトケノザの群生、ホトケノザ、ヒメウズ、カンサイタンポポ、ヤマスミレ、コウヤボウキ、ミツバアケビ、クヌギの実と種、クヌギの木と実今日の万歩計:10700歩。
2009.03.21
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今日は、午前中は俳句を考えたり、雑事をしたりして過し、午後は、近鉄阿倍野店で開催されている「プリンセス・ダイアナ展」を見に行った。1981年に20歳でチャールス皇太子と結婚し皇太子妃となったダイアナはその美貌とファッションで世界中の人気を集めたが、1997年交通事故で36歳の生涯を終えた。生前は親善のため世界各国を訪問し、行く先々で熱烈な歓迎を受けた。その様子を、英国王室公認カメラマンのグレン・ハーベイ氏が撮った写真によって辿るのが、この展覧会である。展示写真は約130点で、次のように、時系列的に並べられていた。写真にはすべて簡単な説明がついていた。以下、訪問国名(訪問年)写真点数を列記する。イタリア(1985)6、ドイツ(1985)8、スコットランド(1985)2、リヒテンシュタイン(1985)6、バーレイン(1985)2、オマーン(1986)、日本(1986)7、スペイン(1987)3、フランス(1988)2、オーストラリア(1988)4、タイ(1988)3、インドネシア(1989)5、香港(1989)8、ナイジェリア(1990)6、アメリカ(1986/90/93)6、ハンガリー(1990)5、パキスタン(1991)6、チェコスロバキア(1991)5、ブラジル(1991)1、カナダ(1991)5、インド(1992)8、エジプト(1992)2、イギリス(1987/89/91/92)9、その他ファッションセレクション9点。写真のほか、ジャック・アザガリーがデザインしたドレス6点、フランクリンミント社作成の人形、新聞記事、雑誌記事なども展示されていて、ビデオ映像もあった。特に今日は、皇室ジャーナリストの渡辺みどりのトークショーがあり、ダイアナ妃が来日したときの秘話や英国王室とロシアロマノフ王室、デンマーク王室の関連などの話を聞くことができた。画像は、パンフレット、新聞記事、関連サイトなどより。来日のとき着ていた日の丸の水玉模様のドレス(右上)、右下はアザガリーがデザインしたドレス2点。この展覧会は、今日から25日まで。天王寺への往復に大川の桜を見たら、すでに多くの桜の木に花が開いている。開花宣言も明後日くらいには出るように思う。
2009.03.20
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今日は、朝から、昨日のハイキングの資料の整理や土筆のはかま取りなどをして過し、それにパソコンが急に青い画面になって再起動するなどの対策に追われて一日を費やしてしまった。今日は、休養のため外出をしなかったので、昨日見た花などの写真を掲載する。ムクロジの実と種、クロチク、薄紅馬酔木、コゲラ。桃の花、菜の花、白木蓮、白沈丁花。早咲きの菖蒲、「梅の宿」の樹齢250年の梅の木、土筆、はかまを取った土筆。おまけハイキングの途中で見かけた不思議な光景4つ。1.大根の上部を切ってあるのはなぜ?2.葛木坐火雷神社の拝殿の柱に梟の木彫がかけてあるのはなぜ?3.新庄城址公園の池になぜオオハクチョウがいるのか?4.畑の真ん中で魚の干物作り?いえ、木で作った魚だった。この用途は?
2009.03.19
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今日は、新旧キッズプラザインプリの仲間で、葛城山麓の古跡をめぐるハイキングに参加した。メンバーの一人KYさんが企画した9キロのコース。参加者は17名(女11、男6)。快晴で暖かい天気にもめぐまれ、春の花々、鶯の声、大和の山並、山菜摘みなどを楽しみながら、通常はあまり知ることのない古跡の数々を訪ねた。最後には「梅の宿」酒蔵で日本酒の試飲もし、充実した一日だった。万歩計は22700を示していた。自宅を9時に出発、南森町で2人と合流し、地下鉄で天王寺へ行き、阿部野橋発9時50分の吉野行き急行に乗った。尺土で御所行きに乗換え、10時35分に集合場所の近鉄・忍海(おしみ)駅に着いた。今日の行程は、駅から北西方向に歩き、葛城山麓公園で昼食、その後北東へ歩き、新庄駅まで行くのだ。以下、訪問順に概要を記す。10:37 角刺神社(つぬさし-)着。角刺神社は日本最初の女帝といわれる飯豊天皇(いいとよ-)が政務を執った「角刺宮」跡と伝えられている。教科書では、最初の女帝は推古天皇とされているが、歴史書の中では、飯豊天皇が天皇として在位していたという記述もあるそうだ。境内には、幹が水平から垂直に曲がった楠の神木や鏡池があり、ムクロジの木の下には黄色い実が落ちていた。この種は羽根突きの羽根になる。11:16 脇田神社着。この辺りには、昔、忍海郡唯一の古代寺院跡である地光寺があり、2つの五重塔があった。その東塔の心礎が脇田神社の境内に残っている。11:25 自光寺跡の立て札を見ながら通過した。11:34 葛木坐火雷神社(かつらぎにいますほのいかづき-)着。笛吹神社と葛木坐火雷神社という二つの神社から成り立っていて、平安時代以前からある古い神社。 ここには、どういうわけか、日露戦争の戦利品である大砲が展示されていた。薄紅色の馬酔木がきれいに咲いていた。高木にはコゲラがいた。12:37 葛城山麓公園着。木蓮や梅の花がきれいに咲き、池もあるきれいな公園。屋根とテーブルのある休憩所で昼食。食後の楽しみは、HY氏差し入れのコーヒー。カセットコンロと水持参で淹れてくれるが、自然の中で飲むコーヒーの味は格別。恒例となったこのサービスに一同感謝。記念写真のあと、13:36 午後の部に向けて出発。14:10 博西神社(はかにし-)着。この神社は布施氏の氏神で、平安時代以前からあった。本殿は極彩色の外装で、各面にきれいな絵が描かれている。室町時代末期の建立だそうだ。 14:30 新庄城址・屋敷山古墳着。葛城市最大の前方後円墳で、規模は全長135m以上、後円部径77~78m、高さ15m前後とのこと。この付近は、池のある公園になっていて、池にはオオハクチョウが棲みついていた。14:50 住吉神社着。この神社のいわれはわからないが、拝殿の正面に立派な透し彫りの絵が掲げられていた。15:07 村井家住居着。この家が面する道の両側には古い家が並ぶ。立派が門構えや、黒い壁の家もある。村井家住居は江戸時代に庄屋をつとめた家で、元禄12年(1699)上棟、翌年に完成したそうだ。現在も村井家当主が住んでいるが、茅葺屋根の門から中庭には自由に入ることができる。15:22 柿木神社着 柿本神社は万葉歌人柿本人麻呂を祭神とした神社である。拝殿の正面には三十六歌仙の歌が書かれた額があるが風化して殆ど読めない。拝殿の南側には「柿本大夫人麻呂之墓」の石碑と歌碑がある。歌は、 春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしぞ思ふ15:38 梅の宿酒造着。梅の宿は、明治26年創業。少量ながら大吟醸など高級酒を作り続けている。蔵人の村井氏から酒作りの工程を40分かけて説明を受けたあと、待望の利き酒をした。大吟醸などを試飲したが、疲れた身体に心地よい酔いを与えてくれた。試飲の後、土産に酒粕をいただいたこともあり、各自、お気に入りの酒を買い、17時ちょうど、酒屋をあとにした。17:20 新庄駅着。尺土まで行き、17:40発の阿部野橋行急行に乗り、JR天王寺から18時20分発の電車に乗り桜の宮で降り、自宅には19時前の帰宅した。今日のブログには、史跡探訪のことだけを書いたが、春の花々もたくさん見たし、山麓ではコゲラの姿も見、道々では各自山菜(土筆、蕨、虎杖、西洋からし菜、蕗の薹など)を摘んだり、本当にいいハイキングであった。(この画像は明日以降に紹介する予定)企画していただいたKYさんに大感謝。
2009.03.18
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今日は、午後から大阪城公園へ行き、桃園、豊国神社などを見た。桃園は今がちょうど見頃だった。桃の花にはメジロが蜜を吸いに来ていた。ヒヨドリもいた。梅園の梅はもう殆ど花は残っていなかった。梅の木にはツグミが、他の木にはムクドリがいた。大阪城の前に豊国神社があるが、今までその前を通るだけで一度も入ったことはなかった。今日初めて入ってみた。立派な神社で、秀吉の銅像、巨石の庭、山口誓子の句碑などがあった。写真は、大阪城桃園の桃。写真は、ヒヨドリ、メジロ、ツグミ、ムクドリ。写真は、豊国神社本殿、秀吉の銅像、山口誓子の句碑、巨石の庭。句碑の句:花盛ん 築城巨石 又盛ん 誓子
2009.03.17
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今日は、午後から、高島屋へ、「清水公照の世界展」という展覧会を見に行った。清水公照師(1901~1999)は、東大寺の107、108世別当だった人で、のちに長老となり、東大寺宝蔵院で制作三昧の生活を送った。絵、書、陶芸、泥人形などに多彩な才能を発揮した人で、泥人形だけでも1万体を残した。「昭和の良寛」と言われたそうだ。今回の展覧会は、没後10年を記念してその作品が展示したもので、次のように分類されていた。1.泥仏 会場を入るとすぐ24体の泥仏に迎えられた。円空仏や木喰仏のような素朴な仏たちである。2.落慶法要 昭和の大修理を指揮し、昭和55年10月15日に無事落慶法要を営んだ。古い瓦や鴟尾などが展示されていた。3.修二会 お水取りの行事の法具(牛玉櫃、紙衣、盆など)と師の絵が展示されていた。4.初期 昭和40年(65歳)頃の作品が展示されていた。5.絵画 師の絵は禅峨でさらに必ず讃(文字)が入っている。掛軸、色紙、額装、団扇絵など多数の絵が展示されていた。6.屏風・襖絵 大きな絵も描いている。屏風絵6点、襖絵20数点が展示されていた。7.書 禅の言葉、経文からの言葉などが多いが、師独自の作も多い。「ようこそようこそ」、「わらっておれよ」、「自分にな」、「童心遊戯」など。8.陶芸 泥仏も窯で焼いたものだが、各地の窯で陶磁器を焼いたり、絵付けをしたりしている。茶碗や花活けなどの作品が展示されていた。9.愛用品 甚平、もんぺ、かばん、印鑑、筆・硯などのほか、はがきや、絵日記が展示されていた。絵日記は巻物になっていて、毎日文章と絵が混じり絵巻のようになっている。専用の保存箱もある。 10.交流 師は文化人との交流が深く、本人から贈られた作品が展示されていた。藤原啓、井上靖、小泉淳作、榊莫山、杉本健吉、須田剋太、阿波野青畝、大樋年朗、針すなお、荒川豊蔵、角谷一圭、清水千深、松田権六、奥田英山、清水昭志、永楽善五郎、田原陶兵衛、坂高麗左衛門、大樋長左衛門、高橋直樹、奥田康博、加藤卓男、伊勢崎淳・・・画像は、パンフレット、絵はがきより。屏風「麗人図」(部分)、泥仏「十代弟子」、書「ようこそ、ようこそ」、絵「三人童女」、屏風「麗人図」、軸「お雛の図」清水公照師、大壷「羅漢」、棗「蓮華蔵紋」、壷「麗人迎春図」、書「自分にな」、愛用品(硯、筆、印、墨)、公照絵日記
2009.03.16
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今日は、午前中は、NHK俳句、日曜美術館、報道特集などを見て過し、午後は、3×8長方陣の検討をした。魔方陣と言えば、N×Nの正方形のマスの中に数字を入れたものが普通だが、長方形のマスに数字を入れることも考えられる。これまで、3×4、3×5、3×6、3×7、4×5、4×6の長方陣について検討して来たが、斜め方向の定和が全て成立するものは、3×n長方陣では見つかっていなかった。そこで、今回は3×8長方陣について検討したもの。斜め方向は12か所あるが、結局9か所が定和になるものが最多で、12か所全部はおろか10か所定和になるものも存在しなかった。8か所が定和になる3種と9か所が定和になる1種の例を下図に示す。それぞれ解の数は複数ある。
2009.03.15
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今日は、3地区合同郵趣サロン大会の2日目。阪急ホテルで一夜を明かした参加者は、7時からバイキング形式の朝食をとり、ゆっくりとくつろぐ。8時半に集合して、次期幹事の関東支部へ引継ぎ式が行われた。そのあと、関東、中部支部からの参加者を万博公園へ案内する計画になっていたが、雨が止まないので、再び郵趣資料を広げて、閲覧や交換などを続けたり、雑談をしながら、雨が止むのを待つことにした。場所を部屋からロビーに移しても、雨はなかなか止まないので、私は11時ごろ失礼して帰ることにした。この頃、雨は少し小止みになったが、正午頃まで止むことはなかった。午後からは雨は止んだのでもう少し待っていれば、よかったかも知れない。梅田に出て、ヨドバシカメラをぶらぶらして、昼食をとり、2時頃に帰宅した。帰宅後は、留守中に録画しておいた「美の壷」「俳句王国」などを見たり、郵趣サロンで入手した品物の整理などをして過した。画像は、幹事バトンタッチの儀式、部屋で切手アルバムを開いたりして雨の止むのを待つ、外は雨で薄暗い、記念のカシェ。2日間は雨だったので、花粉症は出なかった。
2009.03.14
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今日は、切手収集仲間の会で年一回の宿泊例会に参加した。名称は「第18回3地区合同郵趣サロン大会」。場所は万博公園近くの阪急ホテル。東京、名古屋、大阪の3支部から42名が参加した。例年50人以上集まるが今回は東京からの参加者が2名と少なくやや盛り上がりに欠けた会となった。会は、11時30分から始まり、1リーフ展の閲覧、祈念押印、オークション品の下見などをしながら昼食までを過し、12時半から別室で食事をした。13時半から大会開始、3支部長挨拶、自己紹介、支部活動紹介のあと、持ち寄り品のオークションとなった。皆高い値段で落すので、私は何も落せなかった。続いて、1リーフ展の投票結果発表。42人中、25人が出展。一位は7票獲得した「14円姫路城切手」だった。2位は4票で「エベレストの切手」、3位は3票で「九州新幹線切手」だった。その後、盆回しが行われた。私は美術のカード、パズル関連の切手のほか「おくの細道の切手帖」を買った。4時半に祈念撮影。その後、宿泊の部屋に入り各自休憩、入浴をした。夕食懇親会は6時から始まり、お互いに親交を深め合った。懇談は8時過ぎまで続き、中締めのあとは、大部屋に場所を買えてさらに切手交換会、披露会が続いた。10時ごろには各自自分の部屋に帰り就寝した。写真は、阪急ホテル全景(万博中央駅より)、ホテルの立て札、大会前の部屋、昼食、1リーフ展の展示、開会の挨拶、盆回し風景、記念写真、懇親会。
2009.03.13
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今日は、東近江市(旧の八日市市)で、親戚の法事があるので、朝7時に家を出て、帰宅したら夕方6時だった。7時24分の新快速に乗り、近江八幡で乗換え、八日市には9時に着いた。法事は10時からなので、その前にお墓参りを済ませた。彼岸も近いので、少し早いがこれを彼岸の墓参りとする。法事は従姉の母親(叔母)の50回忌である。法事のお経は10時に始まり途中10分の休憩を挟んで12時前までほぼ2時間続いた。50回忌なので非常に丁寧だ。出席者は10人。お経のあとは、席を料理屋に移して昼食。ご馳走とともに、お酒も進み、話にも花が咲き、宴席は2時過ぎまで続いた。その後また従姉の家に戻り、話の続きをしながら過し、4時前に辞去した。大阪駅には5時20分に着いた。法事のしきたりは、面倒なようだが、50年前に亡くなった人を偲ぶとともに、日頃疎遠な親戚が集まって近況や昔のことを話し合ういい機会であると思う。今日は、写真を撮ったがプライベートなものなので公開は控え、一昨日、淡路で撮ったトビの写真を載せる。トビがこんなに低空を飛び回っているのを見たのは近年では初めて。
2009.03.12
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今日は、一日中在宅で、一昨日の句会のまとめを行った。昨日の淡路行きの資料や写真の整理もしなければならないが、まだ出来ていない。写真は、昨日撮った鳥の写真。いかなごに集まるカモメ、カモメ、カワウ、トビカモメ:ユリカモメは川で見飽きるほど見ているが、カモメは海に来なければ見られない。イカナゴが網に上ってくるのを期待して、船の後について飛んでいる。イカナゴの船ということをよく知っている。カワウ:海なのでウミウかもしれないが、はっきり確認ができないのでカワウとしておく。トビ:トビも魚をねらっていうのだろう。5、6羽が空中をずっと舞っていた。
2009.03.11
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今日は、ジパング倶楽部の企画で「たこフェリーがつなぐ明石と淡路の魅力」というツアーに参加した。明石港10時半出航ということだったが、10時に着くとすでに内部の席は満席でデッキ席しか残っていなかった。10時30分定時に出航、主催者から今日のスケジュール説明のあと、船内で、橋のマイスター島田喜十郎氏による明石海峡大橋の説明が行われた。橋の建設までの経緯、橋の大きさ、工事の様子、反対運動、地震の影響、橋の資料館、橋の関連行事、淡路島の見所などいろいろ話を聞きながら、船は洲本の近くまで行きそこでUターンした。通常30分の運行であるが、今日は特別に1時間の運行コースで、淡路島を海から眺めるようにしたものである。話の途中、希望者は操舵室の見学も出来るというので入ってみた。乗船時は、大橋は逆光で写真を撮りにくい位置であったが、橋をくぐると写真には絶好の位置になった。お天気もよくいい写真をたくさんとることができた。写真は、いずれも明石海峡大橋。東側より、西側より、岩屋西側より、明石港より全景。岩屋には11時30分に着いた。岩屋に着く前からいかなご漁の船があちこちで見られ、網を引き揚げる度にカモメの群が網をめがけて飛びまわっていた。岩屋では地元漁協の人から、いかなご漁の話を聞いた。底引き網でとるそうだ。今年は不良で例年の3分の1しかとれないという。12時半に道の駅のレストランに着き、ここであなご飯の昼食を食べた。その後、付近のアンカレイジ公園を散策して過した。アンカレイジとはケーブルを地面に固定する場所で30万トンのコンクリートで出来ていると知りびっくり。公園には、工事に用いられたシンカーや潜水艇などが説明板とともに置かれていた。1時半からいかなごの乾燥工場へ行き、生のいかなごを茹で上げ機械で乾燥する過程を見学した。昔は天日干しだったが、現在は短時間でできる機械干しに変わっているという。出来上がったばかりの乾燥いかなごをご飯とともに試食した。2時半からは、参加だけを対象に、魚のせり体験が始まり、カレイ、ヒラメ、イカ、タコ、タイ、サザエ、アワビなどがせりにかけられた。あまり高値にならないよう、主催者側でストップをかけ、その時点で残っている人のじゃんけんで落札者を決めるというもので、カレイ10尾1000円、サザエ10個1000円など、皆んなかなり易い買物をしていた。私も大きなタコを1100円まで上げ、2人でじゃんけんして勝ち手に入れた。写真は、橋の説明をする橋マイスター島田氏、いかなごの漁船と漁港、干しいかなご、魚のせり体験。帰りは同じ船に乗り、3時30分に出航、4時に明石に着いた。明石4時20分の新快速に乗り、5時ちょうどに大阪に着いた。お天気に恵まれ、明石大橋を思う存分見て、写真に撮った一日であった。写真は320枚も撮っていた。デジカメなので惜しげなく撮れる。
2009.03.10
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今日は句会、いつもはこれまでに作っておいた句の中から出句する5句を選び最後の推敲を行うのだが、今回は蕁麻疹の憂鬱さもあり、短時間でもなんとか作れるだろうとタカをくくっていて殆ど一句も作っていなかった。おまけに、蕁麻疹の診察もあり、待合室で俳句を作るハメになった。蕁麻疹の方は一応収まったということで、次の予約はなくなった。結局全治まで3週間かかった。俳句はなんとか5句を作って出句したが、結果は散々だった。先生からは一句も選ばれず、仲間から2句が選ばれただけで、残り3句は誰からも選ばれなかった。仲間から選ばれたのは次の句。 雛納 そのまま生かす 包み癖 (4票) 草餅を 買うて吉野を 後にする (1票)誰からも選ばれなかったのは次の句。 参道の 朧の中に 二之鳥居 小さき口 もて囀の 大き声 山笑ふ 耳を澄ませば ふふふふふ今日、先生の特選に選ばれたのは次の5句。 ◎話しかけ 己が応へて 雛納む 豊子(先生特選ほか2票) ◎雛納 最後は父に 委ねをり 嘉世子(先生特選ほか2票) ◎かづら橋 渡れぬ吾に 山笑ふ 愛子(先生特選) ◎この町に 住んで久しや 初音聞く 哲子(先生特選)今日の最高得点句は、次の2句。 春日野に 塔を浮かして 夕朧 幸男(先生ほか5票) 乱れ髪 撫で付けもして 雛納む 愛子(先生ほか5票)先生の句で、一番人気のあったのは次の句。 生涯を 生真面目に生き 山笑ふ 塩川雄三先生(5票)写真は、句会の様子と反省会の様子、バックの枯木は会場の近くにある梯梧の木、思い切った剪定がされている。
2009.03.09
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今日は、午前中は、テレビでNHK俳句や日曜美術館などを見たあと、関西ぱずる会の例会に参加した。11人あ参加してそれぞれ、自分の研究結果、収集パズル、創作パズル、購入した本、パズル情報などを発表した。最後に、会のホームページの開設のことや新年度の役員改選のことなどを話し合った。私は、長方陣のこと、パズル展のこと、名古屋のだまし絵展のことなどを発表した。今日の発表の中では、Hさんの9枚の三角形パズルが面白かった。写真は例会風景と、回覧されたパズルや本など。左下の本は、最近、丸善から出版された「日本文化のかたち百科」。この本の「魔方陣」の項は私が執筆した。
2009.03.08
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今日は、天気がよかったので、花粉を避け一日中在宅で過した。仲間から頼まれていた7星陣、8星陣の作成や、古稀の切手方陣などの検討を行った。今日の画像は、昨日、天王寺公園で撮ったムクドリの写真。ムクドリは都会でもよく見られる。地上に降りて虫などを探していることが多い。黄色い口ばしと足が特徴。一年中見かけるが俳句では秋の季語。
2009.03.07
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今日は、一日中雨だった。午前中は、仲間から頼まれた7星陣の検討を始めた。午後は、大阪市立美術館で開催されている「第40回日展」を見に行った。雨なので、花粉の飛散も少ないだろうと思ったからである。それにしても、雨の日しか外出できないとは情けない。日展は、毎年見るようにしているが、毎年会場で日展審査員による作品説明が行われる。一昨年は彫刻、昨年は工芸について解説を聞いたが、今年は洋画だった。午後2時からの定刻10分前には定員100名の会場はほぼ満員になっていて辛うじて後方に空席を見つけることができた。講師は、池田清明先生。今回出展の103点の中から19点の目ぼしい作品を選んでスライドで1時間かけて詳しく説明をされた。作家の紹介はともかく、絵の見どころは参考になった。構図、画材の取捨選択、画法、訴えるものなど、これまで漫然と見ていた絵も、見方によって深く見ることができるのだと思った。説明を聞いたあと、作品をもう一度見たが、説明を受けた絵はみんな輝いて見えた。日展作品は、日本画、洋画、彫刻、工芸、書の5部門に分類されている。この中で毎年一番興味を持って見ているのが洋画である。次いで、工芸、日本画、彫刻で、書は鑑賞の仕方が分らないので殆ど見ない。以前は、日本画に興味を持っていたが、日展の日本画は、あまり好きではない。伝統の日本画を逸脱して洋画の題材を描いたり洋画風の絵が多いからである。日本画なら、院展の画風の方が好きだ。その点、日展の洋画は生き生きとしていて、入選作はどれを見ても素晴らしい。洋画なのに、一見日本画のような作品もあり、これもいい。彫刻、工芸は、惹かれる作品もあるが、やはり絵と比較するとわかりにくい。以前、鑑賞のポイントなどの話を聞いたのだが、もう忘れている。工芸で毎年楽しみにしているのは、奥田小由女の人形、今年の作品は「甦る海」(下の画像参照)だった。大部分の時間を洋画の鑑賞にかけ、彫刻、日本画、工芸を見て約2時間を過し、館を出た。雨はまだ降っていた。画像は、パンフレット、小冊子、絵はがきなどより。日本画:「沼宴」山崎隆夫、「東天紅富士」大山忠作、「雨」村居正之、「ヒトリでも」大西守博、洋画:「木馬館の家族」渡辺晋、「大国主の受難」小澤一紀洋画:「高原の夏」池田清明、「山麓蒼映」寺坂公雄、「午後に」桑原富一、「四十五年目の良江」中山忠彦解説:「高原の夏」:自分のアトリエがある蓼科高原にて、影が一番きれいな時間帯をねらった。背景の花はオダマキ、手に持っている花はヒヨドリバナで、この蜜はアサギマダラの餌。アサギマダラは渡り蝶。蜜には毒が含まれるので、鳥などに襲われることがないという。「山麓蒼映」:手前の2本を木がユニーク。色を変えたことで絵が成り立つ。視線を奥へ誘う効果がある。奥の山は乗鞍岳。「午後に」:斜め上から裸婦を俯瞰。上の屏風様のものが画面を引き締めていて、裸婦肌色と絨毯の赤との対比がよい。ヘアを描いたことで自然な感じが出る。よく見ると細かい線で描かれている。「四十五年目の良江」:中山忠彦は今売れっ子の人気画家。奥さんを描いたものだが、手の表情、黒いコートの着方など構図に寸分の狂いがない。ドレスの赤と背景の緑が絵を強め合っている。工芸:「甦る海」奥田小由女、「風の道」宮下善陶、「水辺の光景」木母正一、「独楽」大塩正義、「春雪」長澤永信、s彫刻:「華」圓鍔元規、「希No.2」橋本堅太郎、「月衣」九後稔、書:「応詔燕曲水詩」樽本樹邨、「善為實」尾崎邑
2009.03.06
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今日も、花粉が多く飛びそうな日となったため、一日中在宅で、郵趣の友人から頼まれた喜寿祝用の切手方陣の作成や、読書、ビデオ(映画「めぐり逢えたら」)視聴などをしながら過した。切手方陣は、今年3月30日、5月6日、7月5日に喜寿を迎える人があるので作って欲しいと頼まれたもの。いつでもうまくできる訳ではないが、今回は、同じ切手を2枚使うことで、うまく作ることが出来た。映画「めぐり逢えたら」は、1993年のアメリカ映画。1957年の映画「めぐり逢い」の場面に憧れる女性アニーが主人公。妻を亡くした男が、息子が放送局の人生相談番組に掛けた電話で一躍人気者となり、後妻候補が殺到する。その中から息子が選んだ女性がアニーで、エンパイア・ステート・ビルの上で待ち合わせるという物語。この映画、見始めると見たことがあることを思い出した。結局最後まで見てしまったが、調べてみると、2002年5月に見たことがわかった。しかし、一度見ても、ストーリーの大筋は思えていたものの、細部はほとんど覚えていないことがわかり、忘却のはげしいのにがっくり。主演は、メグ・ライアンとトム・ハンクス。現題は、Sleepless in Seattle、つまりシアトルの眠れない人。やもめの男は人生相談の番組の中で、そう呼ばれていた。画像はビデオカバーなどより。
2009.03.05
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今日も一日中、在宅で俳句の本を読んで過した。というより俳句をパソコンに入力する作業に一日を費やした。昨日から読んでいる雑誌「俳句」の2007年8月号に、「古典となった戦後俳句」という特集がある。現代の俳人20人が戦後の名句を30句ずつ選んだものだ。これまで読んだことのある句もあるが、初めて目にする句もあり、いい句もたくさんあった。入力には時間がかかったが、楽しい作業だった。20人が30句ずつなので、600句となるはずだが、同じ句を別の俳人が選んでいるのがあり、実数は、394句であった。最高は、9人の俳人に選ばれた句が4句あり、8人に選ばれた句が2句など、103句が2人以上に選ばれていた。一人にしか選ばれていない句にもいい句がたくさんあるが、やはり多くの俳人に選ばれる句はいいものが多い。戦後活躍した俳人の名前も知ることができた。以下に、戦後の名句ベスト20を示す。9 炎天の遠き帆やわがこころの帆 山口誓子 S209 外にも出よ触るるばかりに春の月 中村汀女 S219 去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子 S259 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎 S388 鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 林田紀音夫 S288 一月の川一月の谷の中 飯田龍太 S447 おそるべき君等の乳房夏来る 西東三鬼 S217 夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣 S227 愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子 S276 いなびかり北よりすれば北を見る 橋本多佳子 S226 ねむりても旅の花火の胸にひらく 大野林火 S226 冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋桜子 S236 鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女 S266 摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行 S445 鶏頭を三尺離れもの思ふ 細谷綾子 S215 火を投げし如くに雲や朴の花 野見山朱鳥 S215 ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜 桂信子 S235 彎曲し火傷し爆心地のマラソン 金子兜太 S315 音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢 赤尾兜子 S325 昭和衰へ馬の音する夕かな 三橋敏雄 S405 天上も淋しからんに燕子花 鈴木六林男 S46この中で私が前から知っていた句は、次の4句のみ。 去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子 一月の川一月の谷の中 飯田龍太 いなびかり北よりすれば北を見る 橋本多佳子 鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女画像は「俳句」誌の目次より、20人の選者。
2009.03.04
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今日は、朝から雨だったので、外出はせず、一日中在宅で過した。そろそろ句会も近づいたので、句を作らねばと思っていたが、積ん読の俳句の本が気になりそれを先に読むことにした。類句・類想を避けるには、忌日を詠む、古典となった戦後俳句などを通読した。特に戦後俳句の中には、これまで余り知らなかった名句がたくさんあり、その作者を知るとともに勉強になった。今日の写真は、一昨日大阪城公園で見かけたベニバナアセビ。普通のアセビの花は白いが大阪城公園には赤い花のアセビがたくさん植えられている。アセビは、アシビとも言い、アシシビレの訛ったものだそうだ。漢字では馬酔木をあてている。一つひとつの花は釣鐘の形をしている。
2009.03.03
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今日は、午前中から昼過ぎまで、病院の皮膚科と眼科を受診した。どちらも長時間待たされた。蕁麻疹の方はほぼ全快したようだ。念のためもう1週間弱い薬を飲むことにし、次は9日に再診。眼科は、糖尿病の合併症がないか、年の一度の検査をしているもので、今のところ異常はないそうだ。今日の写真は、昨日大阪城梅林へ行ったとき見かけたユキヤナキの花。例年桜の頃に雪が積もったように真っ白に咲くのだが、今はちらほらだ。それにしても早い。このでは、あと1週間もすれば真っ白になるかも知れない。小さな花だが、一つひとつの花を拡大して見てみると大きな花と同じ形をしていて結構鑑賞に耐える。ユキヤナキには真っ白いものと僅かにピンクが混じるものとがある。上は白、下はピンク。今日も昨日も、花粉はたくさん飛んでいるそうだが、蕁麻疹の薬を飲んでいるせいか、花粉症の症状はほとんど出ていない。いつまで薬が効いてくれるかだが、これはありがたいことだ。
2009.03.02
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今日から3月、今年もはや2か月が過ぎたのだ。本当に月日の経つのが早い。今日は日曜日なので、朝から午後3時まで、殆どテレビを見て過した。琵琶湖マラソンを見終わってから、大阪城梅林へ梅を見に行った。梅は今がちょうど見頃、殆ど全部の木が3分咲き~満開の花を付けていた。天気もよく、気温も上ったため、梅林には多くの梅見客が訪れていた。梅の写真を撮る人、香りを嗅ぐ人、銘を見る人、缶ビール片手の人などそれぞれの楽しみ方をしていた。今日撮って来た写真を示す。梅見茶屋は満員で、梅の苗木を得る店や、アイスクリームなどの屋台も出ていた。花粉対策として、マスクをし、帰宅後は、うがい、洗顔、鼻洗いなどをしたためか、今のところ花粉症の症状は出ていない。今夜が心配だ。
2009.03.01
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