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むか〜し、昔。 まだ、お袋が生きていた頃。お袋はかなりの食い道楽で、身長は160cmもないのに体重は70kg近くあり(計った事はないけど)糖尿病を患いながらも「好きな物を食べるのを我慢するぐらいなら好きなように食べて早く死んだ方がまし」と平然と言い放つ人だった。結局、糖尿病で手が動かなくなったり、目が見えなくなっり病魔と戦い続けながらも東へ西へ、食い道楽を全うした挙げ句、出先の路上で倒れて亡くなった。 お袋は美味しいものを求めて全国ではないにしろ行脚して、神戸に住んでいては知り得ない(今程情報が垂れ流しの時代じゃなかったから)いろんな情報を仕入れてきて、日本中から珍味とか名産とかを手に入れて食していた。それが趣味だったのか宿命だったのかどうか分からないが、今から60年以上前に自分の生まれ故郷である名古屋に亭主も子供もほったらかしで単身赴任し『お好み焼き屋』を始めた。結構流行っていたらしく、今度はその店を他人に任せ神戸に喫茶店を開き、これまた結構流行っていたから2階を改造してお茶漬け屋を始めたが、子供には分からない事情で全ての店をたたみ、但し、これは事業に失敗したとかではなくもっと複雑な大人の事情があっての事だった様だが、高校卒業したばかりの姉から小学校入学したての妹まで五人の子供を残して逐電してしまった。 私が小学校低学年の頃からお袋は家に居ず、住み込みのお手伝いさんに育てられた我が兄弟は、世間のお袋とはそんなものなんだと理解していたので、人生感(そんな事分かってる訳はないが)も生活も全く変わる事なく過ごしていた。5年が経ちある日お袋はヒョイと戻ってくるのだが、その話は重要ではなく、そんなお袋が兄弟姉妹に残した食いしん坊の遺伝子が、その頃には着実に開花しつつあって、決して兄弟姉妹が食通に育ったのはなく、それなりに食には拘りを持っていたというお話し。 自転車を駆って淡路島に渡り鳴門から船で四国に入り讃岐うどんをハシゴしたのは中学3年生の春休み。以後乗物は車に変わり美味いものの噂や何処そこに名物ありと聞くと出掛けて行っては見聞を拡げ、仕事が写真に定まった頃は仕事で地方に出掛ける事の楽しみのひとつが『未見』の料理に出くわす事だった。今思うに、命懸けで喰らおうとは思わないまでもお袋から受け継いだ食い物に特化したDNAは、楽しくも有り難くものだと言える。 中学3年生の時、お袋が伊豆大島から取り寄せた『クサヤ』が忽然と消えてしまうという出来事が我が家で起きた。 ミサゴという鷲ぐらいの大きさの海鷹が、捕った魚の残りを岩陰に隠しこれに海水がかかり自然発酵したものを漁師が見つけ食べたのが『くさや』の発祥だとか。詳しいことは分からないがとにかく臭くて臭くて臭う。でも、飛んでもなく美味い。20代の頃、お世話になっている方の奥さんが珍しい食べ物が大好きだと言うことで、わざわざ取り寄せて進呈した。後日、その方が「折角頂いたものを何だが、嫁が、包みが臭うって。腐っているって捨てたんや」と言われた。 こんなこと言うのも何だがムロアジの干物とは到底思えないほど値段が高い。何てこった。 それからは、くさやの事をよくご存知でない方には進呈しないことにしている。 話は戻って我が家での出来事とは。 我が妹(当時小5)が、くさやを我が物にせんと企み押し入れの中の箪笥の自分の引き出しにくさやを隠してしまった。 その臭いで直ぐにバレた。 以後、妹の服は芳しい香りに包まれ、当分着る事は出来なかったそうな。 お粗末。
2021.09.13
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8月1日に書き込んでなんと40日間、何も書いていなかった。最近ダメだね。根気も覇気もない。これも老害かな。 8月の初旬に脊柱管狭窄症からくる神経痛が右足に出て、一時は車椅子でないと動けない状況になっていた。今は何とか右足を引き摺るようにして歩いているけどとにかく痛い。初めて脊柱管狭窄症と診断されたのは去年の夏。右足のふくらはぎからスネまで何とも言えぬ痛みが走り歩けなくなった。座って居る時や家の中で家事をしている時は何ともないのに、歩き出すと痛みでしゃがみ込みたくなる程だった。そんな痛みが2ヶ月に一度、定期的に襲ってきた。赤十字病院でレントゲンを撮り脊柱管狭窄症と診察され、三十代から付き合ってきた椎間板ヘルニアと合わせると、ヘルニアは背筋をまっすぐ伸ばしていなければ痛み、脊柱管狭窄症は背筋を伸ばしていると痛むという「どないしたらえぇねん!」と悪態を吐きたくなるほどの板挟み(?)をくらう。医者は「ここまで来たら手術だね」と簡単に言ってくれるが、6年前に開胸手術で何とか命を取りとめた我が身としては、これ以上身体に切り傷を増やしたくないのが本音だ。左足から血管を取って石灰化した冠動脈の血管と取っ替えたっていう(見たわけじゃないけど)大手術で助かったのに、命に別状はないにしても痛いのは嫌だし、と言って今の痛みとずっと付き合ってはいたくないし、思案六法の日々を送っている。実のところ、昨日(9月9日)、足を引きずりながら赤十字病院で大腸の内視鏡検査を受け「多分大丈夫でしょ」なんて軽く言われたけどポリープが見つかった。検査してみないと分からないけど癌なんて言われたら歩くどころか、精神的に立ってられないと思う。まぁ一度は死んだ身だし‥‥なんて言っても折角助けて頂いた命だから‥‥何とか折り合いつけて生きていたい。正直なところ。 冠動脈バイパス手術で助けられ退院してから6年が過ぎて、今年71歳になった。そんなに惜しくはないか‥‥なんて思っていた残された余生。70歳を越えた頃から長くはないとしても何となく限られてきた余生を1日でも長く大切に生きたいと思うようになってきていたのに、こんなチマチマした痛みに虐もれるとは…‥。生涯獲得ポイントが足りないのかねぇ。 まだやり残した事はいっぱいあって、富士山に登りたいし、コルベット・スティングレイでL.A.からシカゴまでルート66を走ってみたいし、しまなみ海道を自転車で走りたいし、極夜のオーロラ(しっかり色の付いたやつ)を見上げてみたいし、40年振りにパリで貧乏旅行をしてみたい。やりたい事は未だいっぱいあるのに。元気だった頃は「若い頃に好き勝手したから歳取ったらのんびり過ごすのも…‥」なんて言ってたけど、限りある余生と限りある体力を現実に感じる歳になって「まだ…もう少し…」なんてね。 贅沢かなぁ。
2021.09.10
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