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ラストに「ハプスブルグ家」関連のBack numberをいれました
。
溶けた心臓で描いた絵が何かわかりました。 それは「マミーブラウン(英Mummy brown)(仏Brun momie)」と言う絵の具として販売もされていたようです。
「溶けた心臓で造られた絵の具 Mummy brown」で別に載せました。
リンク 溶けた心臓で造られた絵の具 Mummy brown
小学生の時にベルサイユのバラを読んでからフランスについていろいろ調べてみた事があった。思い返せば、知らない事、知りたい事を徹底的に調べる行為はこの頃に始まったと言える。
その時に読んだ書物の中に、 フランス革命の時に貴族の墓が暴かれ、心臓の入った容器は持ち去られ、中のその溶けた内臓を絵の具に混ぜて絵画を描いた人がいる
・・と言う記述があった。
もちろん興味津々。その絵はどんなものか? と言う疑問が残っていた。が、それ以上調べる事はできなかった。(ネットもない時代だからね)。
それから10年。初めてルーブル美術館に行った時、テオドール・ジェリコー(Théodore Géricault)(1791年~1824年)の描いたメデュース号の筏(いかだ)(Le Radeau de la Méduse)を観て、もしかしてこれがそうなんじゃないか? と思ったものだ。
※ 話がそれるのでメデュース号の筏については最後に回しますが、今回の話は、そこから派生している。
溶けた内臓の話はさておき、心臓の入った容器の事は今まで欧州を旅行中に幾つかみかけた記憶がある。
それはハート(heart)型の小さな容器なのだが、通常は表に出るものではないのでなかなか写真にとる事ができないでいた。
それが数年前にブリュッセルを訪問した時にサンカントネール美術館(musée du Cinquantenaire)でハートの容器が集められた部屋を見つけた時は少し心が躍ったのである。
が、残念ながらこちらは装飾? それに心臓だけ取り出して容器に保存する理由が、ずっと解らなかったので保留になっていた話です。
古代エジプトでは、死後再生の為のミイラを造る時に、カノプスと言う容器に内臓を収める風習があった。つまり、分骨ではなく、遺骸を分割して埋葬する風習があったと言う事だ。
それは以前から知っていたが、臓器は肝臓、肺、胃、腸の4種である。
古代エジプトでは心臓には魂が宿ると考えられていたので、心臓はそのまま残されていたのである。
それ故、欧州の心臓を特別に取り出して分割埋葬する行為はエジプトのそれと似てはいるが意味が異なる気がする。
実は今回はフランス編とハプスブルグ家編の二つの事情がある事が解ったので紹介する事にしました。
簡単に言うと、今回は心臓を入れる容器の話と臓器を分離して埋葬すると言う欧州貴族の中にあった変わった風習についての話になります。
ハプスブルグ家の分割埋葬 心臓の容器と心臓の墓
フランスの貴族編
サンカントネール美術館のハートの部屋
ハプスブルグ家の分割埋葬
ハート・グルフト(Herzgruft) アウグスティーナー教会(Augustinerkirche)
フェルディナンド4世の遺言
その他の国の分割埋葬
メデュース号の筏(いかだ)(Le Radeau de la Méduse)
マミーブラウン(英Mummy brown)(仏Brun momie)
フランスの(一般)貴族編
National Geographicのネットニュース2017.02.17からこんな記事を見つけた。
「17世紀貴族女性の棺から夫の心臓見つかる」
リンク National Geographic「17世紀貴族女性の棺から夫の心臓見つかる」
2013年、フランス西部の都市レンヌにあるジャコバン派の修道院の跡地から 17世紀に埋葬されたフランス貴族の女性の棺(ひつぎ)が発掘された
。驚くのは、 女性の棺の中にハート型の鉛の容器に入れられた夫の心臓が入っていた事、そして逆に女性の心臓が無かった
と言うニュースである。
※ ハート型の鉛の容器の中身はもちろんDNA鑑定がされた結果である。
先述したようにフランスでは昔、心臓を取り出す風習が一部にあった事は解っていたが、フランス革命の動乱で鉛の棺も容器も武器に転用されていたので資料が無かったらしい。
今回の発見はフランス国立予防考古学研究所(INRAP)のチームによるもので、考古学的にも初の大発見になったらしい。
今までは王侯の間で宗教的、あるいは儀式によって行われたと思われていた心臓の抜き取りが、実は 死後も共にいたいと言う夫婦の愛の行為
の場合もあったと言う事実である。
つまり、今回の場合、亡くなってからも「私の心(臓)はあなたの所にある」と言う愛の証明だった事になる。そう言う意味で言うと、ハート(heart)は確かにLoveハートなのであった。![]()
が、もちろん一部 王侯貴族の場合は別の理由もある
。
亡くなった後に遺骸を長らく一般公開しなければならない国王などの場合、腐りやすい臓器は問題である。特に心臓は魂が宿る場所と考えられていたので特別に扱われた。
特に高貴な人の心臓には「聖なる力が宿る」と考えられたようだし・・。。
14世紀以降も宗教的、政治的儀式として位の高い人物には行われていたらしい。
冒頭紹介した話は、それら臓器がフランス革命の時に流出。容器は武器(ピストルの弾丸など)に転用されたが中身は捨てられたり、画家に売られて絵の具に混ぜられた・・と言う事のようだ。
しかし、これとは別に遺骸 を分割して埋葬する行為が代々継承された一族があった
。
それが神聖ローマ帝国の君主を多く輩出したハプスブルグ家(Haus Habsburg)である。
サンカントネール美術館のハートの部屋
ブリュッセルのサンカントネール美術館(musée du Cinquantenaire)については以前紹介した事がありますが、そこにハートの容器が集められた部屋がありました。
大きなものから小さいものまで、よくよく見ていたらこちらは聖母信仰に寄る所が大きいのかもしれないが・・。

これらはオブジェではないかと推察しますが・・。
Doux Coeur de Marie, soyez mon salut
マリアの慈悲の心が私の救いになる?
こちらのハート(heart)のオブジェは聖母マリアの信仰から来ているもののようです。
では下のハートは? 心が痛んでいると言う意味か?
ポシェットにも見えるが・・。聖母教会で使用されていた香炉かな?
聖母マリアへの崇敬は12世紀から13世紀にかけて高まりをみせる。

実用サイズのハートの容器。装飾性が高いので実用かどうかは不明ですが・・。
下は想像するに左のバラが聖母マリアであり、右の荊(いばら)の輪がイエス・キリストを示しているようだ。アダムとエヴァに例えてペアの容器とも思えるが・・。
反射が入っていたのと暗くてボケ気味だったので画像処理しています。

下はもしかしたら涙を入れるボトルかもしれない。
サンカントネール美術館については以前紹介しています。2014年01月
リンク サンカントネール美術館 1 (ローマン・グラス 他)
リンク サンカントネール美術館 2 (フランドルのタペストリー 他)
ハプスブルグ家の分割埋葬
以前、ハプスブルグ家(Haus Habsburg)の墓地であるカプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft)を紹介した事がありますが、そこは普通に歴代の王族達の棺が置かれた教会地下の墓地でした。
2014年11月
リンク カプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft) 1 ハプスブルグ家納骨堂
リンク カプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft) 2 マリアテレジアの柩
リンク カプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft) 3 マリア・テレジア以降
実はハプスブルク家の人々の埋葬には奇妙なしきたりがあり継承されていた事が解りました。
遺体は ハプスブルグ家納骨堂カプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft)へ、
内臓は 銅製容器に入れ シュテファン大聖堂(Stephansdom)の地下へ、
心臓は 銀器に入れ アウグスティーナー教会(Augustinerkirche)へ埋葬
(保管?)
実に 奇妙な
分割埋葬
です
。
前回ウイーンに行った時にカプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft)とシュテファン大(Stephansdom)には行っていたのですが、残念ながら心臓の収められたアウグスティーナー教会(Augustinerkirche)には行っていませんでした![]()
従 って今回心臓の墓(Herzgruft)の写真はありません
。残念。
この3分割方式はフェルディナンド4世(Ferdinand IV)(1633年~1654年)から始まり、
最後に行われたのは1878年。オーストリア大公 フランツ・カール・ヨーゼフ (Franz Karl Joseph)(1802年~1878年)の時
だそうです。
しかし、 心臓と体と言う2分割方式では2011年が最後
。
オーストリア=ハンガリー帝国の最後の皇太子であった、オットー・フォン・ハプスブルク(Otto von Habsburg)(1912年~2011年)の時である。(つい最近ですね
)
オットーはハプスブルグ王家の最後の一人として伝統に従い、遺体はウイーンのカプツィーナーグルフトに安置。心臓はハンガリー、パンノンハルマのベネディクト会大修道院にに納められたそうです。
ハプスプルグ方式 であればアウグスティーナー教会ですが、もはやアウグスティーナー教会は宮廷教会では無くなっているので仕方なかったのかも・・。
ハート・グルフト(Herzgruft) アウグスティーナー教会(Augustinerkirche)
アウグスティーナー教会は1634年宮廷教会となり、 ハブスブルグ家の最後の砦、
オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊する1918年まで宮廷教会であった。
それ故、宮廷教会時代には ハプスブルグ家の人々の結婚式も執り行われた教会
なのである。
女帝マリア・テレジアの結婚式、マリーアントワネットのオーストリアでの結婚式、シシイことエリザベートの結婚式もこの教会で行われている。
しかし、一般にはあまり知られていなかったが、 アウグスティーナー教会(Augustinerkirche)はハプスブルグ家の心臓の墓、ハート・グルフト(Herzgruft)でもあったのだ。
教会のロレート礼拝堂(Loreto Chapel)後ろに、 フェルディナンド4世(Ferdinand IV)(1633年~1654年)以降1878年までに54の心臓の入った壺が保管されている。
写真が無いので他のサイトを見てください ハート・グルフト(Herzgruft)内部の貴重な写真です。
The World of Habsburg The Herzgruft in the Augustinerkirche
リンク The Herzgruft in the Augustinerkirche
ハートの容器ではなくて大きなゴブレット型でしたね。
フェルディナンド4世の遺言
下の写真はウィキメディアよりパブリックドメインになっていた写真です。
奇妙な風習は、 フェルディナンド4世(Ferdinand IV)(1633年~1654年)の遺言から始まったそうだ。
スペインのフィリップ3世の娘、マリア・アンナと神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の長男として生まれ将来の皇帝になるはずであったが、 彼はわずか20歳で早世
してしまった。
※ 1646年にボヘミア王、1647年にハンガリーとクロアチアの王、1653年にローマ王となっている。
死因は天然痘による病死だそうだ。
1654年7月9日、フェルディナンド4世が亡くなると遺体は解剖され臓器が取り出された。
心臓は銀のゴブレットに入れられ、体と共に公開
される。
心臓の方は翌日、 アウグスティーナー教会(Augustinerkirche)のロレート礼拝堂(Loreto Chapel)に祀られているロレートの聖母」(La Madonna di Loreto)の足下に埋められた
。
埋葬まで時間がかかる事もあり腐りやすい臓器は先に埋葬してしまうと言う理由が考えられる
。
生前、 聖母を崇敬していた フェルディナンド4世のたっての希望の行為であり、全てが
彼の遺言
の通り行われたらしい。
彼が望んだわけではないのだろうが、彼の聖母の元にありたいと言う敬虔なる行為に感銘した? 後の王族達は彼にならって心臓を
宮廷教会であるアウグスティーナー教会(Augustinerkirche)のロレート礼拝堂(Loreto Chapel)の後ろの部屋に 埋葬するに至ったのであろう
。合理性もあるが・・。
尚、 体の入った棺は ハプスブルグ家納骨堂カプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft)にて一般公開されている。
内臓はシュテファン大聖堂(Stephansdom)の地下墓地と言う事だが、あちらの公開はされていなかったと記憶している。
遺骸を分離しての埋葬理由は解ったが、何故同じ場所ではなかったのか? に疑問は残りますね。![]()
シュテファン大聖堂については過去に紹介していますが、建物のみの紹介に終わっています。
リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 1 (大聖堂の教会史)
リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 2 (内陣祭壇とフリードリッヒ3世の墓所)
リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 3 (北側塔のテラス)
リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 4 (南塔)
その他の国の分割埋葬
ハプスブルグ家、傍系のヴィッテルスバッハ家でも、かの バイエルン王ルードヴィッヒ2世(Ludwig II)の心臓が分離埋葬されている
。
ルードビッヒ2世(Ludwig II)(1845年8月25日~1886年6月13日)
1886年6月19日ミュンヘンで葬列後に聖ミヒャエル教会の地下墓所に埋葬。
心臓は1886年8月16日アルトエッティング(Altötting)のホーリーチャペル(Heilige Kapelle)(Gnadenkapelle)に埋葬。
ルードヴィッヒ2世についてはたくさん書いていますが、今回墓所だけリンク先を入れました。
リンク ルードビッヒ2世(Ludwig II)の墓所 (聖ミヒャエル教会)
獅子心王と呼ばれた イングランドのリチャード1世(Richard I) の場合、遺体は父ヘンリー2世の眠るフォントヴロー修道院に、心臓はルーアン大聖堂に埋葬。さらに脳と臓器が分割されポワトゥーのシャルー修道院に収められた
そうだ。
リチャード1世(Richard I) (1189年~1199年)
かなり分割して埋葬しているようですが、イングランドには何も無いそうです。確か彼が王位についてイングランドにはほとんどいなかったから王位にさえ思い入れもなかったのでしょうね。
墓の事まで書いてませんでしたが、リチャード1世について2015年1月に紹介しています。
リンク ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 8 (リチャード1世)
さて、今回写真も少ないので、エジプトのファラオの臓器を入れたカノプス壺(canopic jar)の写真も公開。
ウイーンの美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)のエジプト、コーナーから
そもそもカノプスとは、古代エジプトで、ミイラを作る際、魂が宿るとされていた心臓を除き、特に重要と考えられていた臓器を取り出し、保存する容器です。
人頭のカノプス・・・・・肝臓
ヒヒ頭のカノプス・・・・肺
ジャッカルのカノポス・・胃
ハヤブサのカノポス・・・腸
もしかしたら欧州の王族達の臓器の抜き取りは、ここから派生しているかもしれませんね。
2009年5月 「死者の書」とカノプスてでカノプスについて書いています。
リンク 「死者の書」とカノプス

上下の写真はパリのルーブル美術館のエジプト、コーナーから
アラバスター(Alabaster)のカノプス容器です。
メデュース号の筏(いかだ)(Le Radeau de la Méduse)
冒頭紹介した ルーブル美術館に所蔵されているテオドール・ジェリコー(Théodore Géricault)(1791年~1824年)の描いたメデュース号の筏(いかだ)(Le Radeau de la Méduse
)です。
ルーブル美術館の中でも大きな絵の一つになっていて、距離の関係から正面から撮影かできなかった。
1816年7月5日、今日のモーリタニア沖で座礁して遭難したフランス海軍のフリゲート艦。メデューズ号の漂流の悲劇を描いた作品
です。船員は147名で、実際の生き残ったのは15人だけだったとか・・。リアリティーの極致? 生々しさと、おどろおどろしさ? 禍々しさ満載のとてつもなく印象に残る絵です。
画家が上手すぎるからなのでしょうか? なんか普通の絵画とは違う異様さを感じる絵なのです。
実際、 ジェリコーはリアリズムを追求
して描く為に狂気の生活を始めている。
病院のモルグ(死体置き場)で死体をスケッチ。瀕死の入院患者の顔を観察。切断された手足をアトリエに持ち込んで腐敗していく様子を観察して描いたり、あげくに精神病院から生首を借り受けてデッサンするなど常人ではない感性で描いた作品
のようです。
そんな迫力のせいもあるからでしょうか?
私が臓器を溶かした絵の具で描いた絵ではないか? と言う疑問を持ったのは。
とは言え、前述の死体を家に置いての創作活動を考えると、やっているかもしれない・・と言う感はぬぐえませんね。![]()

実際のハートの容器の写真が見つかったら載せようか? と思っていたネタでした。写真は足り無いけど、何となく整理が付いた感じです。![]()
マミーブラウン(英Mummy brown)について
リンク 溶けた心臓で造られた絵の具 Mummy brown
「ハプスブルグ家」関連はいろいろ書いています。
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リンク カプツィーナ・グルフト(Kapuzinergruft) 2 マリアテレジアの柩
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リンク 金羊毛騎士団と金羊毛勲章(Toison d'or)
リンク ウィーンの新王宮美術館(Neue Burg Museum Wien)
リンク マリー・アントワネットの居城 1 (ウイーン王宮)
リンク マリー・アントワネットの居城 2 シェーンブルン宮殿と旅の宿
リンク マリー・アントワネットの居城 3 ヴェルサイユ宮殿の王太子妃
リンク マリー・アントワネットの居城 4 ベルサイユに舞った悲劇の王妃
ポンパドール夫人らとタッグを組んだオーストリア継承戦争の事を書いています。
リンク 新 ベルサイユ宮殿 9 (ポンパドゥール夫人とルイ15世)
昔のなのでショートです。
リンク ベルヴェデーレ宮殿 1 (プリンツ・オイゲン)
リンク ベルヴェデーレ宮殿 2 (美しい眺め)
リンク ベルヴェデーレ宮殿 3 (オーストリア・ギャラリーと分離派とクリムト)
リンク カールス教会 1 (リンクシュトラーセ)
リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 1 (大聖堂の教会史)
リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 2 (内陣祭壇とフリードリッヒ3世の墓所)
リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 3 (北側塔のテラス)
リンク シュテファン寺院(Stephansdom) 4 (南塔)
他にもあるけどあまり昔のは見てほしくないのでのせません
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