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昨日は大掃除。家内はパートに出ていて、私と娘で取り掛かりました。居室のある三階の掃除、階段の掃除、店舗部分の掃除、照明器具の取替え、拭き掃除・・・注連飾り等の取り付けが終わって終了。 お昼は娘と二人でラーメンを作って食べました。 色んな事があったようでなかったような一年でした。霊視も何百人もさせていただきましたが、いつもながら一人として同じ前世というのがない(当たり前と言えば当たり前)ことに感動していました。皆、多種多様な人生をそれぞれが何百回と経験してきているんですねぇ。メッセージが送られてくる場合もあれば、そんなものが無い霊視の場合もあります。必要としている人には送られてくるし、必要でない人にはただ「頑張れ。」と伝わるのみです。 人が生きるというのは大変な事です。でも、その大変な事を毎日淡々とやり続けているのが人というものです。それは、生まれてきて死ぬまで繰り返さなくてはならない約束事ですが、そこにどんな意味があるのでしょうか? 太陽の光・・・かなぁ。太陽の光って見ているととても温かい。でも、この地球の上で浴びていなかったら致死性のものです。色んな条件が重なって「恵の光」となっているんですよねぇ。どうやって?どうして?何のために? きっと宇宙の為に私達は生かされているんだと私は思っています。大げさかもしれませんけれど。元旦の初日の出はそういう思いで浴びたいものです。
2008年12月31日
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恐ろしいことに気付いてしまったのかもしれません。(多分私の妄想なので聞き流してください。)最近、霊視の中で前世が神様だった人を二人ほど視ることがありました。神様と言っても小さな土地神で山の神なのですが、人に転生していたのです。 その時に霊視中、気付いたことが・・・・「ひきこもり」という人達のことです。引篭もった人の両親がその子の部屋の前に夕飯をお盆に乗せて置いて行く・・・あの姿はまるで神様にお供え物をするかのように見えたのです。 前世で神様だった人に共通しているのは「人嫌い」「社交下手」ということ。人とのお付き合いがよくわからない・・・それは神様だったのだから無理も無いと言えるのかもしれません。 八百万(やおよろず)と言われた自然神の御柱達の姿が消えていって久しいのですが、人の中の自然を崇拝する心が衰退していくにつれて、自然の精霊として鎮座していた神々はその存在価値を失うような形で消えて行きました。それが、人化しているのでは?そしてそれらが「ひきこもり」という人達の正体では?・・・そんな馬鹿な、とは思いますが。 昔はその辺りの小さな里山にさえ神様がいました。人との境を小さく接して村人の尊崇の念を集めて、小さな社に居られたものです。それは、自然というものを人が恐れ崇めていた時代。人の心が純粋で、神を信じていた時代でした。でも、今の現代人には神なんて「居ないも同然」です。そして、神はどうしたか?人に転生していったのかもしれない・・・相当怖いお話です。それがどうした、別に良いじゃないかと言う人もおられるかもしれませんが、自然界のタガが緩んでいっているのはそういう自然の精霊が消えていっている為のように思えてならないのです。神の人化・・・それはとても怖いことのように思えます。
2008年12月30日
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その方の霊視を始めると巫女舞の姿が視えて来ました。一生懸命に舞を踊っておられます。その周りを飛び交っている白いものが断片的に視えます。 あぁこれは何かの「呪」を祓っているようだなぁ・・・と思いつつ視ていると何か新興宗教の感じがしてきました。これは、誰か知人が新興宗教に勧誘しようとして断られたか何かで念を送っているんだなぁ・・それを守護霊が祓っているんだろうと察しました。 施療が終わってからお聞きしてみるとお兄様が新興宗教にはまっているとの事。信教の自由というのは憲法に保障された権利ですから何も言えないのですが、自分と同じものを信仰しなさいと人に強要するのは間違った行為です。例え、それがどんなに良いものだとしても人の心の自由を縛る行為はとても悪いものだと思います。 まして新興宗教に入信している人の心は細く狭く偏った形で鋭くなっていますから、その念は人に向けられた場合に危害を与えかねないほど強くなっている場合があります。大抵の場合は自分に向けられてしまうので、自身を害する結果になるんですが・・・それが新興宗教の怖いところです。 この方の場合は魂の修行を長く積まれている方なので自動的に守護霊の方の中でそういう力の強い方が選ばれて守護に就きますから大丈夫なのですが・・・そういう方ばかりではないのでこういう偏向宗教の害は尽きませんね。
2008年12月29日
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元々私は霊視などとは無縁で霊能力など皆無の人間でした。 「氣の経絡指圧」という手法にたどり着いたときに私は、人の身体の歪みの原因が心の歪みにあるということに気付いていました。心の歪みの原因は小さい頃に出来た心のトラウマだったり、自己矛盾を抱えた心の変動だったりしているように思っていました。 「氣」の調整をしていくうちに前世の姿が時々視えること。それが心のトラウマに関連している場合があることに気付きました。全部が全部そうであるのでもないのですが、自分自身の心のありように納得できていないところから心が歪み、そこから身体の歪みに繋がっているように思ったのです。 前世の姿の解読はその方の潜在意識の一部を開放することになるようで・・・そのために霊視のような形をとってお話をするようになりました。治療の一環であるわけです。そして、伝わってきたのは「人が何かによって生かされている」という真理です。その「何か」をこういうものだと断定は出来ませんが、ある役割が私のようなものにも与えられているのだと感じさせてくれる存在でありました。 この役目が終われば私も霊界に行くことになるのだろうと思っています。 という文章はある方へのメールのお返事として書いたものです。書いていて何となく私の思いがうまくまとまっているなぁと思ったので、そのまま載せてしまいました。 先日の霊視の中で愛染明王様からのメッセージがありました。「苦しみたいと思うな!」・・・彼女は潜在意識の中に「苦しみたい」という思いがあるそうで(愛染明王様の考え)それが現実界に影響を与えてしまっているのだそうです。打ち消すためにはプラス思考と具体的なイメージをきちんと自分の頭の中に描き続ける努力を繰り返さなくてはなりません。納得していない彼女に何度もその説明をしていた私でした。
2008年12月28日
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中世のフランスに変った貴族がいました。この方、貴族の出身でありながら農業が好きで、自ら自分の領地の農民達といっしょになって農作業に従事するという変わり者貴族でした。 大麦・小麦・ライ麦等の畑の収穫が終わって収穫物を山のように積んだ馬車の上から眺める夕日が大好きなようでした。 心の大きな、のんびりした方なのですが、政治力もあり先見の明もあった人のようで王様や他の貴族からの命令や批判をとても上手くかいくぐり平和な領地支配を続けていたようです。 だから革命が起きたときもその変化を上手く取り入れて、自分の好きな農作業が続けられるように動いたようで、彼の領地内は平和な状態が続いたようでした。 現世ではご夫婦で施療に来られていたのですが、現世の奥様が前世でも奥様だったようで、穏やかで平和な生涯わ終えられたようでした。どんなところにも例外的な人生があって、歴史というのは最大公約数の姿を見せているけれど、その中にはこんな貴族のような「例外的霊的平和・調和」の人達が生きていたんだろうなぁと思いました。 人の魂の多様性、運命というのが本当に多種多様なケースを用意していてくれるのだなぁと思いました。
2008年12月27日
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何故か若草物語というお話が好きでした。続編も含めて何度も読み返した記憶があります。四人姉妹のそれぞれの性格設定がとても面白く出来ていたのと、現実にとても近い感じとファンタジーっぽいストーリーが交差していて、読み物として完成度がとても高かった気がします。 私の母がやはり女性の四姉妹だったこともあって、私の所も若草物語だったのよ・・といつも自慢げに話していました。 敬虔なキリスト教徒の家庭というのが、こういう風なものなのかという典型的な姿を学んだし、外国の食習慣や行儀作法というものがこういう風に確立していたんだと思いました。日本人の考え方とかけ離れている部分もあったし、同じ人間なんだなと思う部分もありましたが、もし江戸時代の日本人がこの物語を読んだら全く理解できなかっただろうなぁと思います。 日本人の中にいつのまにか欧米の考え方が自然に浸透してきていたのだろうと思います。そういう私の中の欧米化された部分が理解を助けていたのだろうと思います。 良い部分は見習って取り入れる・・・それはとても大事なことだけれど、それが意識しない状態で文化や文明の利器といっしょに入ってくると自分の意識の変化を理解しないままに、いつのまにか自分が変えられていることになるのだなぁとも考えます。 若草物語に代表される欧米の良識というのは良いものだけれど、取捨選択をきちんとしないまま欧米主義に洗脳されていった戦後の日本というか、遡れば明治維新以降の日本の成り立ちはもしかしたら間違っていた部分も多々あったのではないか?とも思ってしまいます。
2008年12月26日
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子供の頃のクリスマスには、小さな小さなクリスマス・ツリーが我が家のテレビの上に飾られたものでした。小さな赤や緑の電飾が珍しくていつまでもいつまでも眺めていたものです。 それから父親か母親といっしょに長靴型をしたお菓子の詰まったものを買いに行きました。それが我が家のクリスマスプレゼントでした。とっても嬉しくて、中に入っているお菓子を取り出しては眺めていつまでも食べずに見ていたものです。食べてしまうとあっという間に無くなってしまう・・・。 貧しい我が家では大分私達が大きくなるまでクリスマスケーキもクリスマスのご馳走もプレゼントもありませんでした。随分大きくなってからクリスマスケーキが買われるようになったけれど、バタークリームのケーキはとても美味しいというものではなくて・・・(当時は美味しいと思っていたかも)。 でも、町はクリスマスソングが流れて皆がウキウキしていて、商店街では福引やクリスマスセールが始まっていて、子供達は皆何だかウキウキしてしまっていました。あの華やかなハイテンションの世の中の空気というのは独特のものでした。でも、きっと我が家の大蔵大臣は厳しい家計のやりくりで年末をどうやり過ごそうかと四苦八苦していたのだろうと思います。今も思い出すクリスマスの時期の母の引く手には鬼気迫るものがあったような記憶があります。 クリスマスにしてもお正月にしても外食に出掛けたなんていう記憶は一度もありません。我が家のイベントはささやかに茶の間で行われるものでした。だから今も我が家のクリスマスもお正月も茶の間の中で行われています。
2008年12月25日
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江戸時代くらいでしょうか。飴売りをしている父親と二人で歩いている娘さんが視えました。正確に言うと二人と一匹です。白い大きな犬が付いて歩いていました。 彼女は小さい頃に母親を亡くして、父親といっしょに仕事に出ます。そして、父親が飴を売って歩いている間は犬といっしょに近くの神社や寺の境内で待っている生活をしていました。霊的な力も少しあったらしくて目に見えないもの達といっしょに遊んだりしていたようです。白犬とそういう霊的なモノ達に守られて温かく成長していきました。そして、大きくなってからは自分で働いて父親を養い、良いご主人にも恵まれて幸せな生涯を送ったようです。白犬は何世代にもわたって生まれ変わりつつ彼女を守っていたようでした。 こういうお話をさせていただいた現世の彼女。聞き終ると「私も幼い頃に母を亡くしているんです。そして今のお母さんが来ました。とても良いお母さんです。」との事。すぐにその後妻の方が白犬の生まれ変わりだとわかりました。そう伝えて、彼女のお母さんの性格を犬的なものに限定して話していくと「合っている、合っている。」との事。生まれ変わっても犬神的な性格は同じなんですね。そして、今の彼女が犬と縁の無い生活をしてきたことも理由がわかりました。白犬自体が人に生まれ変わって彼女を守っていたからなんですね。 今のお母さんや目に見えないけれど霊的な守護の力がとても強い彼女。貧しいけれど幸せな生活を送られるだろうと確信しました。だって、霊視を始めるとすぐに私も何だか懐かしいような温かい空気に囲まれてしまいましたもの。
2008年12月24日
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守護霊の方からのメッセージって常に語りかけておられるんですか?それを知るにはどうしたら良いんですか? そうお客様に聞かれた。 うーーん、難しい質問です。答えを考えていると私の守護霊が代わりに答えてくれました。 いつもいつも語りかけているんですよ。それはさりげない日常の中のいろんな出来事という形で伝わっているんですよ。 「虹を見た。」 「靴がうまく履けた。」 「朝ごはんが美味しかった。」 「いつも振り向いてくれない人が挨拶してくれた。」等々 注意のメッセージもあるんですよ。 「ワンコの機嫌が悪い。」 「いつもならつまづかないところでつまづいた。」 「花がしおれていた。」 一生懸命判ってもらおうとメッセージを送っているんです。 「頑張ろう。」「前向きに生きよう。」 「今日は車の運転注意しょう。」 「今日は皆に元気に挨拶しょう。」 そんな風に答えてくれると嬉しいんです。 さりげない日々の中に神様や霊界からのメッセージは含まれているんですね。いつも見守られていることに気付いていれば元気に頑張ろうって思いますね。
2008年12月23日
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最初に視えてきたのはブンブン飛んでいる蜂の姿でした。そして、何だか海が視えてきて・・・身体に変てこなものをいっぱい付けている男達の姿が視えてきました。 段々判ってきたのは、彼らが普段は漁をしたり農業をしたりしている熊野あたりの漁民だということ。そして、時々「海賊」になるということ。厳めしく武装したように飾り付けた舟を何艘か連ねて、自分達も身体に大太刀やら薙刀やら、弓矢を担いで、太鼓を打ち鳴らし、法螺貝を吹き鳴らして沖合いを行く商船に挑みかかっていきます。相手がひびって通行銭を払ってくれれば貰い、逆に弓矢で応戦してきたりするとあわてて逃げ帰ってきます。 つまり、本心は超弱気の海賊で見た目だけ格好つけている人達なのです。そして、略奪(?)した銭は自分達が信奉している神社に納め、残りを自分達で分けます。熊蜂のように刺す針は持っていないのに、格好だけで周りをびびらせている連中のようです。 霊視している方の前世はそういう人達のリーダーのようでした。何のためにこんな事をしているのか?やはり貧しいからなのだろうと思います。でも、本物の海賊になるほど悪辣な人間がいなかったのだろうと思います。 そして、守護している現世の彼女へのメッセージ。「見得を張りなさい。ファッションにも気合を入れて美しくなりなさい。自分を本来の自分以上に見せる努力をするべきです。そうしていたらいつのまにか自分もその見た目に見合って成長する場合がありますよ。等身大の自分でいることを偉いなんて思わないで。自分を大きく見せることも時には必要なのですよ。」ということでした。今の彼女に必要なことだったのかもしれません。不思議な前世の姿でした。
2008年12月22日
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その方の霊視を始めると白い土蔵の壁が幾重にも並んだ風景が視えてきました。そこを駆けている女の子の姿。長者の娘というのが、その方の前世の姿のようでした。 どうして、この家が財を成すことが出来たのか?その疑問に対して視えてきたのは赤い大きな口でした。 兎神、蛇神、鷹神・・・この三神がこの土地を統べる神々でした。この長者の家系は兎神を信仰していたのです。しかし、蛇神が天敵のような形で存在していました。兎神はある条件を提示することで鷹神に蛇神を抑えてもらうことを了承してもらいました。 まるで三すくみのような関係ですが、兎神の霊性に属する長者の家系は鷹神に守られて蛇神の支配から脱して、幸福を手に入れることが出来るようになったようです。 ただし、鷹神に対して示した条件は兎神の家系の中の子供を一世代に一人ずつ生け贄として鷹神に差し出すというものだったようです。これが大きな犠牲なのか、小さな犠牲になるのか・・・それはわかりません。でもそれによって子々孫々の繁栄が約束されたようでした。 神々の約束というのは結構おぞましいもののようです。現世の彼女には「犠牲」というものがいつか支払わされるとしても最小限の犠牲になるように充分に注意して・・・とお願いするのみでした。まぁ、私の霊視は夢幻の事かもしれませんからね。
2008年12月21日
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急にキャンセルになったりして来れなくなるお客様がおられます。何度も予約していて、何度も変更があって、結局来られなくなるお客様もおられます。 ご縁が無いと言ってしまえばそれまでなのですが、後ろに就いておられる方(守護霊やもしかしたら憑依霊)が当院を嫌がって邪魔をしている場合もあるんだろうなぁと思います。ご本人は自覚しておられなくても憑依霊が憑いている場合があり、上手く共存してしまっている場合なんかもあるようで、そうなると離れたくない霊体にしてみると霊視者の所になんかは行きたくないわけで、色々と工作をして行かせないようにしているのだろうと思います。 時々ですが、予約を頂いた時点で何か憑いているなぁ・・これは来られなくなるケースも考えられるなぁと感じる場合があります。そういう場合は七割くらいの確率で来られなくなってしまいます。首に縄をつけて引きずってくるわけには行きませんし、そういうのも「時期」というものがあるようなのでそのままにしてしまいますが、来院されて霊視を始めてみて初めて見つかって憑依を外すケースもたまにはあります。こういう場合はもう外れて成仏する「時期」が来ていたということなのだろうと思います。 人霊の場合は説得します。その方の親御さんの魂に来ていただいて連れて行ってもらうという場合もあります。妖怪のようなものが憑いている場合は、お不動様に出てきていただく場合もあります。とんでもない邪霊・悪霊の場合は九字切りで追い払い、その後のフォローがあります。その人の中に憑いていた痕跡がしっかり残っていますから、そこを修復しておかないとまた取り憑かれることになってしまいます。 でもまぁ、私の所に来られるくらいの方はそんなとんでもない悪霊が憑いているという場合があまりありません。多分、そういう悪霊の場合は決して私の所なんかには足を向けないと思います。私の祓う力は弱いですから、弱い因縁しか関わりが持てないのだろうと思います。難しいところです。強い霊能者の方のところにはきっととんでもなく強い悪霊が行くことになるのだろうと思います。
2008年12月20日
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昨晩というか今朝方見た夢のお話。 世界中の植物が人を攻撃してくる夢。襲われた人は全て身体が植物化していってしまう。私は一生懸命逃げていたけれど、夢から覚めて考えてみた。あれは、逃げなくて良かったんじゃないだろうかと。 植物になってしまえば、寿命も格段に長くなるし戦争もなくなるし環境破壊も無くなる。動けなくなるのが欠点だけれど、自然ときっと一体化して今の目では視れないものが感じ取れるようになるだろう。 全ての人類が植物化したら、地球はきっととても平和な世界になるかもしれない。生命の形態が変化するだけで、命が消えてしまうわけではないのだし、何しろ身勝手な生物がいなくなって地球は管理されやすい世界になるだろうなぁ。
2008年12月19日
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その方の前世を視ると、とても面白い情景が視えました。その方は現世では女性なのですが、前世では男性で身体の周りを円が取り囲んでいるのです。 この方はエジプトの戦車隊の隊長であり、数学者でもあった方でした。そして、彼の頭の中を占めていたのは「円周率」でした。彼はこの超越数を面白くてしょうがない「玩具」のように愛していたようです。いつも考えているので彼の周りには「円」が視えるのです。彼自身、変った人でした。戦士であり、数学者でもあるというのは当時としても変った経歴です。性格自体が緻密な部分と荒っぽい部分を複合的に持っていられたようです。 馬に引かせた戦車をガンガン走らせているときと、机の前で数字をこねくり回しているとき、この二つの時間を共に楽しんでいたようでした。こういう方がいたんですねぇ。 円周率と言えばカール・セーガンというアメリカの天体物理学者であり作家でもあった人が書いた「コンタクト」という小説の中で最後に神からのメッセージが円周率の数値の彼方に含まれているというエピローグがとても印象的だったのを憶えています。
2008年12月18日
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彼女の前世は地蔵堂の堂守でした。聾唖者でもありました。母親が「間引き」をした子でした。一度死に掛かったのですが、仮死状態になって捨てられた後に生き返ったのです。その仮死状態に間のせいで、聾唖になったようでした。地蔵堂のそばに捨てられていて、村人に救われてそのまま堂守として村全体に面倒を見てもらいながら、育ったようでした。 聾唖ではあるけれど、真面目で優しい女の子でした。子供達に最初はからかわれたりもしましたが、その優しさからいつか仲良くなって、子供や動物が大好きな女の子として地蔵堂に住んでいました。 もちろんお地蔵様に守られています。彼女はまさしくお地蔵様の化身のような人でした。ただ、その境遇のせいか大勢の人の中にいたりすることは苦手なようでした。「孤独」を決して嫌がらない、「孤独」であることに安心感を感じているようなところがありました。でも、彼女には守っていてくださるお地蔵様の慈悲がいつも感じられているようでした。弱いもの、小さいもの、虐げられているものが愛しくてしょうがないという彼女の心はお地蔵様の心そのもののようでした。 亡くなったときもすぐにお地蔵様が来てくださっていっしょに極楽へ連れて行ってくださったようです。今世では幸せな日々を送るように言われているようでした。でも、大勢の人の中はやっぱり苦手なようです。子供達や動物達を相手にしたお仕事が向いているようでした。
2008年12月17日
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時々、世間の風と言う奴が私一人に向かってピューピュー吹き当たってくるような気になることがあります。 たった一人で立ち向かって、二本の足だけで踏ん張ってギリギリ倒れないようにしているだけの状態で・・・・心細い気持ちが身体全体に充満して・・・。何故、誰も助けてくれないんだろう?なんて思ってしまいます。所詮人は一人で生まれて一人で死んでいく生き物なので、誰も心からいっしょに生きていっしょに死んでくれるわけではないですからね。 でも、いつの間にかそういう悲しい寂しい気持ちは消えて普段の普通の気持ちに戻って何だか当たり前のように日々の働きの中に戻っている自分がいます。いつまでもそういう気分の中に落ち込ませてしまわない何かがやっぱり同じ心の中に存在しているようです。何の力がそうさせているんだろうか?って思います。身体の細胞の一つ一つが「生きろ」と言っているような気もします。「歩き続けろ」と言っている存在が心と身体の中にいるような気がします。決して私は自殺なんてしないだろうと思います。心が死ぬことを拒否しているのがわかります。 役目・・・なんだろうと思います。何かの役目がまだ終わっていない。その役目を果たしきるまでは生きて風に向かって歩き続けなければならないのだろうと思います。その役目の為に生まれて生きているのだろうという確信があります。誰かの、何かの為に私と言う存在があり続ける理由があるのだろうと思います。そういう「答え」がどこからか私の心に届いてきます。見えない何かに生かされている自分がいるようです。
2008年12月16日
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その方の前世は北前船の船頭さんでした。彼は北海黒龍王に守護された人で、彼は霊感のようなものがあったようでした。 彼が船の上から視ている海上の心象風景が印象的でした。 白く光っている水平線。その白い筋の上に黒く濃く広がっている黒雲。茶色と紫の雲も混じっているような霊雲という感じの空の様子です。それは黒龍王が支配している海域。彼には黒龍王の様子を視ることで天候の変化を見極めることが出来たようです。 時に白く光る水平線と少し高く掛かっている雲の間に黒い竜巻が巻き上がる姿を視ることもあって、黒龍王の天に昇る姿として視ていたようです。 彼は、他の船乗り達と違って性格は慎重で穏やかな家族思いの人だったようです。その頃の船乗りと言えば港港に女の人がいるというような遊び人がほとんどだったようですが、彼は故郷の奥さんだけを愛していたようでした。船を難破させることもなく無事に生涯を陸で終えたようでした。 今世の彼女の守護霊でもあるのですが、彼を慕って部下の船乗り達の霊までそばについているので、時々居心地が良くなると自己破壊衝動が起きてしまうのが問題らしく、部下の船乗り達の霊魂にはお引取り願いました。 今回の霊視では、海の上の黒龍王の姿がとても美しかった。黒龍王は私の守護仏の倶利伽羅不動明王にも縁深き神なので、あのような姿まで視せてくれたのかな。
2008年12月15日
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ある女性の霊視をしたときの事。彼女は三十代の独身の女性でした。彼女のまだ生まれていない息子さんが火の玉のような形で彼女の盆の窪の辺り(後頭部の辺りかな)にくっついていました。 彼は「俺は早く生まれて母ちゃんを助けるんだ。」って一生懸命願っていました。けなげで、けなげで・・・。彼女にその事を告げるとボロボロボロボロ泣き出されてしまいました。 「逢いたい、逢いたいよ。」とおっしゃってボロボロ泣いておられる彼女を見て私も貰い泣きしそうでした。 二つの魂はこんなに密に繋がって、早く出会いたいと思っているのに・・・彼女にはその思いが伝わっていなかったのかな。気付いてくれて彼女は一生懸命彼に早く出会うために頑張ってくれるかな?そうなってくれればいいなぁと今も私は心からそう思っています。
2008年12月14日
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「前世なんてありませんよ!」テレビで叫ぶようにおっしゃっていたのは瀬戸内寂聴さんでした。 たった一言だったけれど、そうだろうなぁ、貴女は霊的なものなど信じていないだろうなぁと思いつつ見ていました。 大変人気があって、その講演会などは大変な動員数なのだという瀬戸内さんです。出家して東北のある寺院を任されていたのだけれど、最近はその寺を出て、気ままに執筆や講演活動やテレビ出演などをされているらしい。 不倫したり、突然出家したり自由奔放に生きておられる女性であり、その語る言葉が衣着せぬものなので面白いと大人気ですが、私はあまり高い評価をしていません。言葉は悪いかもしれませんが、典型的な「俗物」だと思っています。悟りなどとは程遠いところにおられる人だと思っています。俗物もここまで徹底していると話すことも面白いだろうし、頭のいい方ですから、誰が何を自分に求めているかは素早く判断できるのだろうと思います。 ただ、私が勝手に言わせてもらっているのですが、(だから瀬戸内さんのファンの方はごめんなさい。)彼女は俗物です。人の心を清らかなものにすることは決して出来ない人。 私が尊敬できる人というのは、静かに謙虚に口数も少なく、人の下に下にへりくだる人です。目に見えるものだけでなく、目に見えないものも人を作り上げるのに必要だと判っている人です。無駄な努力も惜しまずにする人です。僧侶というのは本来そういう方達なのだと思っています。何故か瀬戸内さんが出家したときに、その姿を見てとても不快になったことを覚えているんです。ごめんなさい。とても勝手な意見です。
2008年12月13日
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善悪の基準というのがこんなに曖昧になってしまったのは何故なのだろうと思います。 昔は「嘘はいけない。」「親には逆らってはいけない。」「人には親切にするものだ。」「商売は世間様への恩返しだ。」なんていう倫理基準のようなものがしっかりしていたものです。 「年長者を大切にし、尊敬する。」「社会のルールやマナーを守る。」なんていうことは当たり前のことだったのに、今やそんなものは守られないのが当たり前になってしまっているように思います。 それじゃ現代人に自身のルールというものがあるのかと思うと、決してそうではなくて付和雷同の人ばかりで自分自身の意見なんてきちんと持っている人は珍しいだけ。テレビやマスコミのいう事をいつの間にか自分の考えだと思いこんでいる人ばかりのように思えます。 中には自分のルールを決めている人もいますが、それはそれで深い溝に落ち込んでしまって抜け出せなくなっているように、非常に利己的な考えに固まってしまっている(ゴミ屋敷の住人のような)人だったりします。 こんな事を言うと引いてしまう人が多いとは思いますが、善悪の基準というのは自分の心の真ん中に「愛」を置くことだと思います。愛が元にあれば、何でも正しい方向に少し傾くと思うんです。おじいちゃん、おばあちゃんへの愛、ご近所の人達への愛、自分の会社の商品を買ってくださる人への愛、自分を政治家として認めて下った人達への愛、国への愛、家族への愛、いっしょに勉強している人達への愛、それが心の真ん中にあればきちんとした判断がいつでも下せると思うんだけれど、どうでしょうか? もうすぐクリスマスです。プレゼントを「愛」という形にして、自分の心の真ん中に置いてあげる・・・そういうクリスマスになってくれたらいいですね。
2008年12月12日
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昔からとてもファジィです。例えば、クラシック音楽は大好きなんだけれど、誰それの何とか言う交響曲の第何楽章が好きっていうことがスラスラとは決して出てきません。メロディはしっかり頭の中に響いているんだけれど、固有名詞が出てきません。だから、クラシック音楽について誰かと語り合うことが出来ません。 例えば映画も大好きなんですが、監督の名前や俳優の名前もうろ覚えです。だから、感動はしっかり覚えていたり印象的なセリフは心に残っているんだけれど、それをしっかり人に伝えることが出来ません。 例えば何千冊も本は読んできたはずなのに、作者名も作品名もしっかりと指定して話すことが出来ません。藤沢周平さんや池波正太郎さんという名前がかろうじて出てくるくらいです。 全然身についていないという事なのだろうか?ただ食い散らかしているだけなのだろうか?といつも思ってしまいます。オタクと呼ばれる人達はとても自分の好きな分野の固有名詞は把握していて、語りだしたら止まらないようですが、私はそういう会話についていけないのかもしれません。記憶力が欠落しているのだろうと思います。もしくは単純に頭が悪いのでしょう。 私の中に流れ込んだ音や映像や言葉はどこに入っていっているのでしょうか?右から左に流れているだけなのでしょうか?それとも潜在意識には蓄積されているのでしょうか? 人の個性というものが後学習の成果として生み出されている部分があるのだとしたら、私の個性はあまり生まれたときと変っていないような気がします。情け無い限りです。子供の頃、母親に本を読むと必ず読書感想文を書くように言いつけられていた時期がありました。書くと本の内容が自分の中に深く残るはずだという考えでもあったのかもしれません。でも、私の大脳には刹那的にしか残っていなかったような気がします。 知識欲はあるのだけれど、ただただ消費するのみの非生産的な精神労働者といったところです。こんなのでいいのでしょうか?
2008年12月11日
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その方の霊視を始めると大きな山の山頂が視えてきました。その山頂に大きな噴火口のような穴が空いています。そこへ「入りなさい!」と彼女は強制されているようでした。 無理やり押し込められて落ちていくと、一旦引っかかってそれでも結局穴の底に落ちていきました。そこには水が溜まっていて、水中に落ちてあがいていると、すぐ先に岸辺がありました。そこへやっと這い上がって、ほっとしていると上から食べ物が笊に乗って降りてきました。 「そこでしばらく我慢しなさい。食べ物は時々降ろすから」と声が上から聞こえてきました。そして、しばらく経って横穴が突然開いて彼女は外界に出られました。 彼女は障害者です。私が視た霊視は彼女の妊娠中と出産の情景のようでした。彼女の障害は妊娠中の母胎の異常が原因なのだろうと思いました。彼女は無理やり下界に下ろされた天上界の住人だったようです。 天上界で彼女は家禽(牛・馬・豚・鶏)についてひどい事を言ってしまったようでした。それで、下界に下ろされて家禽たちのお世話をして愛情をかけてくる修行を課せられて生まれてきたようでした。何故、そうなのか?私には全くわかりません。何故、障害者として生まれて動物たちの世話をしなければならないのか?ただ、彼女の魂がとても綺麗で純粋で人との社交能力がとても劣っていることはわかりました。動物達と接しているほうが彼女は現世では幸せなのかもしれません。 何だか思ったのは、きっと障害者の方達の魂って皆きっとこんな風に綺麗で純粋なんだろうなぁという事した。彼ら彼女らの魂は本当は天上界から直接この世に送られてきた魂なのかもしれません。 でも、生まれいずる悩みというものを大きく抱えていてどうにかしてその課題をクリアしなければならないのかもしれません。障害者として生きながらその課題をクリアするのは大変な事なのだろうと思います。その方のご家族の方達が一生懸命サポートしているのだろうとは思いますが・・・。だから、彼らにとって障害は障害ではなくて、何かまたそれとは別の課題が与えられているのかもしれません。勝手な解釈ですが・・・。
2008年12月10日
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霊視の中に神様が忽然と姿を現すことがあります。その方が直前に神社とかに御参りされていて、就いてきてくださったような場合です。 先日もイザナキノミコト様が卒然と立っておられました。姿だけではどの神様なのかわからなかったので、ただ黙って視ていたのですが「よい風が吹いている。」とだけつぶやいて立っておられました。 後でご本人にお聞きしたら、直前に白山ヒメ神社に行かれたとのことだったので、イザナギノミコト様だと判明しました。 以前にも、ヘンテコな赤い箱の形をした神様が就いておられて、後でお聞きしたら白神山地の入り口近くの名も知らぬ小さな神社に御参りしていたということがわかり、名前も判明せず、変った神様だなぁと思ったものです。 何か法則のようなものがあるのだろうと思います。そういう神憑きという現象は滅多に無いと思うのです。大体、神様が神社に居られること自体が珍しいですからね。何かその方の霊性というものが、その地の神様とぴったりと合ったときに就いてくださるのだろうと思います。 神様が就くと霊視は全て神様中心で過去世も何も視えません。神様の言葉・・言霊を頂くのみになってしまいます。 何か神様って数学でいう所の「特異点」のような存在に思えてなりません。それ自体に力も作用もないのだけれど、その存在が分岐点になったり作用点になったりして、世界を色んな方向に曲げて行ってしまう存在のような気がします。
2008年12月09日
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「水切り観音」という名前が霊視の中で出てきました。そういう観世音菩薩様が日本のどこかにおられるのだろう・・・ネットで調べてみようと思っていました。 でもネットで調べてもそんな名前の観音様はおられません。大体「水切り」というのは水面に石などを投げて遊ぶ、そういう遊びの名前だったりしました。 何度か名称を変えて調べていくうちに福井市に水切町という地名があることがわかり、そこから調べていくうちに「帰り山観音」という観音霊場があることがわかりました。(あるのは敦賀市のようです。) 「此処だ!」何となく直感がそう伝えています。どうも「霊水」で有名なところのようです。 この霊視をした方はお子さんが出来ないっておっしゃっていたけれど、何だかここの水を飲むとお子様が授かるような気がしてきました。そういう奇瑞というものがあるのでしょうか?伝わってきたメッセージが一筋縄ではいかなかったことから考えるととても大切なメッセージであるとは思うのですが・・・。
2008年12月08日
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霊視を始めると奴隷たちの姿が視えてきました。そして、彼らを引き連れている奴隷商人に対して限りない憎しみを抱えている男の人の心が視えてきました。 彼女の前世はアメリカ南部の荘園主の男性でした。綿花産業に携わっていますが、何とも驚いたことに彼は奴隷制度に反対していました。奴隷として彼に買われた黒人たちは人として扱われ、正当な賃金さえもらっていました。 彼は一言で言うと「義憤の人」。「反骨の人」でした。やがてやってくる南北戦争でも南部人でありながら、北部に味方をしました。奴隷制度に反対だったからです。 私は歴史として学んだ南北戦争の中ではどこにもこんな南部のアメリカ人については書いてなかったので驚いてしまいました。こういう人もいたんですね。 彼女自身も義憤の人であり、虐げられた人達を何とか救いたいという思いを心の底に持っていられる方でした。前世の魂の性質を受け継いでおられるのですね。 私は奴隷制度というものがあってはならない人類の悪行の一つだと思っていました。現在も貧富の格差は広がってアメリカには奴隷に近いような境遇の人達がいるけれど、いつかそういう格差が消えて貧困に苦しむ人達がいなくなる社会が来て欲しいと願っています。 日本にしても単一民族の国だから奴隷というような地位は無いけれど、物質の奴隷になっているような人達がいるような気はしています。心が解放されることがみんなの心に起きればいいなぁと願います。
2008年12月07日
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私の霊視は私の力などではありません。 皆さんの魂に宿っている「氣」の中に含まれている「力」そのものなのです。 一人ひとりの方が特別な役割と力を持って生まれてきておられるのです。 ただ簡単に自分の力や役割が読み取れないから、代わりに読み解いているだけで、その内容は全て皆さんの中にある力なのです。 一人ひとりが奇跡の力を持っている。奇跡を起こす役割を与えられているのだと思います。何十回、何百回と生まれ変わって成し遂げようとしている奇跡の役目を担っているのだと思います。 そこにしおれかかっている花に少し水を差し上げるだけでもそれは奇跡に繋がる行為です。お子さんを生み育てる・・・それこそが奇跡です。泣いている友人の肩に手を置いてあげる。それも奇跡です。 一人ひとりの心が成せる御業(みわざ)に感謝の気持ちがいつも溢れてしまいます。それが私の霊視への報酬のような気がします。
2008年12月06日
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お相撲の力士というのは、昔は神社の神前奉納相撲などで「四股」を踏んで、大地の地霊を鎮めることを仕事にしていたと聞きます。 相撲道に精進して、一切の穢れを排して、身体を鍛え上げた力士の「四股」はまさに大地の「鬼力」を鎮め、「観音力」を招来するものであったのではないかと思っています。 「鬼力」というのは邪悪な穢れの凝り固まったものですが、元々は自然が命わ脅かすように振舞う力のことのように思います。そして「観音力」というのは自然が命を育み、生じさせる奇跡の愛の力のように思います。 先日霊視の中でこの「鬼力」というものが大地の底深くに沈みこんでしまって小さくなっていることに気付きました。悪いものが小さくなっているから良い事のように思いますが、どうもそう簡単なことではないような気がします。 「鬼力」が小さくなってしまっているということは相対的に「観音力」も小さくなってしまっているということのように思います。最近の世の中の出来事の殺伐とした感じや、人の命が軽んじられる風潮・・・こういうものは「観音力」が小さくなってしまっている結果のように思えてなりません。 「鬼力」というものが大地にふんだんにあるほうが良いとは言いませんが、それによって「観音力」が豊かになるならば私にはそのほうが良いように思います。 まず、日本人力士の中から横綱が生まれて欲しい。モンゴルの力士達の素晴らしさはとても良い事なのですが、日本人の日本の大地に対する地鎮めの儀式には日本人の血が必要な気がします。勝手な言い草ですが、日本人の力士が真摯な気持ちで日本の大地を踏みしめて「大地の鬼力」を復活させてほしいと思ってしまいます。 「大地の鬼力」は自然の猛威をある一定のリズムに戻す力もあるように思います。ゲリラ豪雨なんていうものは鬼力の崩壊減少によるもののように思うのです。
2008年12月05日
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例えば霊視の中で前世の女性が水洗いした友禅染めの布の糊をパンパンと叩き落している姿から視え始めたとすると、その仕草が一つの意味を持っていることに後で気付くことになります。 その方は染め職人の家の下働きの女性たちのまとめ役をしていた方だったのですが、同性の人達をまとめる苦労というものがいつの生まれ変わりのときも付いて回るのが宿命のような人だったので、その辺りを詳しく視てお話はしていたのですが、最初に視た糊をはたきおとす仕草は一つの意味を持っていました。 糊は布に色を染める際にとても大切な役目をしていますが、最後には水で洗い流されて役目を終えます。透明な糊が色を滲み込ませない役目をするから、布の色彩は鮮やかに光り輝けるわけで、彼女の役目はそういうことだという意味が含まれていたようです。 女の子たちのまとめ役として地味にストレスを抱えて頑張っている彼女が本当はとても大切な人なのであって、それは目立たないけれどなくてはならない立場なのだということを霊視のビジョンは告げていたようです。 水で流されてしまって後には残らないけれど、結果としての作品を成り立たせているのはそういう見えないものの役目がきちんとなされていてこそなのだということなのだろうと思います。 霊視は見えないものの意味を視えるものにすることなのですが、人としての深い洞察力を養っていかないときちんと判断・分析が出来ないなぁといつも思います。小さな細かいビジョンにもとても深い意味が含まれている・・・それは日常の生活の中の出来事にでもそれぞれ重い意味があることがあるということなのかもしれません。
2008年12月04日
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一ヶ月前に亡き父の一周忌を済ませました。葬儀を執り行ったセレモニーホールで同じように親戚の方達に集まっていただき、法要と会食をしました。 喪主ということで集まった方達の前で挨拶をしなければならず、こういう事が苦手なので父の霊が私に散髪をしてくれるようにと頼みに来た話をしてお茶を濁しました。 母は一周忌を終えて本当にほっとしたようで、肩の荷が下りたという顔をしていました。その母が日々亡くなった父に性格が似てきて、「父そっくりになってきたね~。」なんて言ってからかっています。 母親もまだ元気ですが、76歳にもなると流石に少しボケてきて台所の火の不始末などで鍋を焦がしたりしています。しかし、自分の身体のケアを自分でとてもまめにしてくれるので、助かっています。決して息子たちの世話に成りたくないと思っているようで、そういう母との日々も一日一日と少なくなっていっているんだろうなぁと思ってしまいます。 平均寿命というのはその年に生まれた子供が何年生きるかということを現した数字だと先日知りました。それで行くと私などの世代の平均寿命は65歳くらいだそうです。10年なんてあっという間だから、母とお別れしたらすぐに私もこの世からお別れなんていう事になりかねませんね。 父との別れを思うと生きている母との日々を一日一日大切にしなくてはならないと思ってしまいます。それはもちろん、生きて私の周りにいてくださる人達との日々も大切にしていかなくてはならないという思いにも繋がっていくものです。
2008年12月03日
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その女性の霊視をし始めると、数多くの勇者たちが半裸で走り回っている姿が視えてきました。彼らは「隼人族」と呼ばれる九州の部族の男達のようでした。彼らの特徴は「男らしく」「勇敢」で「嘘がつけず」「仲間に忠実」なことでした。彼らと重なって視えるのは「イヌ」の姿です。 彼らは戦いの最中に「犬の吠え声」のような声を出して闘うこともあったので「犬」とも呼ばれていました。後でネットで調べてみると古代のこういう種族の中には「犬祖伝説」というものを持っていた人達がいたようです。例えばアイヌやイヌイットの人達の中にも「犬祖伝説」があったらしいです。ちなみにアイヌ語ではイヌのことは「セタ」と呼ぶらしいですが、エジプト神話の神「セト神」もイヌの姿をしています。類似性があって面白いですね。 だから彼女は女性でとても女性らしい容姿をされていて、綺麗な方なのだけれど中身というか性格はとても男らしい。そして嘘がつけない。人を裏切るということが信じられない。そして家族や血縁に対する仲間意識がとても強いという魂の特徴を持っていました。 また、この隼人族の男性は守護霊でもあるのだけれど、とんでもなくトンチンカンな忠告をしてきて「男らしく生きろ!」だって・・・。女性に対してこんな事を言うとは・・・変わった守護霊です。
2008年12月02日
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今日から12月です。一年が過ぎていくのが早い早い。あっという間という気がします。整体の仕事について12年が過ぎてしまいました。天職というのがこういうものだったのなら、もっと早く勉強を始めていれば違った場所に行けただろうにと思ってしまいます。 さてさて、人は何で何度も生まれ変わって人生を試すのだろう?と思ってしまいます。魂の修行の為・・・と思ってしまえばそれまでですが、同じような魂たちと別々の人に生まれ変わって別の付き合い方をしてみたり、同じような付き合い方をしてみたり、記憶は無くしているから全く新しい体験をしていくわけだけれど、どうも潜在意識の中には前世の記憶はあるわけだから、何がしかの経験の蓄積はしていくようになるわけみたいだし・・・。 自分という「魂」は「どう在りたいのか」?神様に近づきたいのか?それとも人として最高の悟りを得たいのか?贅沢の限りを極めてみたいのか?愛する魂と何度も結び合いたいのか?いろんな魂と仲良くなりたいのか? 私の魂は?聞いて見ると「無」になりたいそうです。際限なく広がっていって空間、時間の限りなく広がって広がって全ての空間を満たして限りなく希薄になっていって最終的には「無」というか「空」になって、全ての森羅万象に溶け込んで一体となって、しかし所有することはせず、所有もされず、ただただ自由に何ものにも囚われず、自由に広がって行きたい。そこには、どこへも目指していない「道」だけがあってあるように見えて無いようなそういう空間だけがあって全てが満たされていて全てが何も無くて・・・そういう存在になりたいのだそうです。私の魂は。変わっています。
2008年12月01日
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