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金比羅神にご縁がある方の霊視をさせていただいた。調べてみると金比羅神は、大物主の命の別名であり、蛇神であり龍神であり水の神でもあるらしい。古くはクンピーラ神というインド神話の神様だったらしいけれど、蛇神か・・・だから何となく違和感があったのか。 蛇神でも、どうも二種類あるような気がするのです。出雲辺りを出身地とする蛇神と、東北から北陸あたりを南限とする蛇神とに分けられているような感じです。金比羅神は前者なのですが、何となく大陸渡来の蛇神のような感じです。日本古来の蛇神とは肌合いが違うように思います。とても強力な神様なのは間違いないし、日本民族にも融和して愛されてもいるのですが、それは東北・北陸の超古代から日本におられた蛇神のルーツがあったことによって定着しやすかったような気がします。 以前からお話していたように私の住んでいる石川県加賀という地名のカガは古語の「カカ」つまり「蛇」にちなんだもので蛇神の住まわれている地という意味があります。私のルーツはどうもこの超古代から続く蛇神とつながっているような気がしてなりません。新しい神々に土地を奪われていった古神達ですが、今も加賀の地にはその霊脈が残っています。洞穴式の遺跡が多く残っているのですが、この洞穴には何となく蛇神のにおいが感じられるのです。 金比羅神も親戚のような神様ですから、仲良くしていこうと思います。
2008年10月31日
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子供の頃から超能力とかにはとても興味津々でした。SF小説が好きで、特にテレパスやテレキネシスやテレポーテーションのお話が大好きでした。怖いお話や妖怪の話も大好きで、そういう類いの本も所構わず読んでいました。 でも、何となく幽霊や妖怪や妖しげなものは見えないし、近づいたりもしないし、あちらから寄ってくることもないくらいに強いものに守られている気がしていました。そばにいる人が幽霊のようなものを見ていたとしても私には決して見えないというような確信がありました。 そして、自分には特殊な能力はこれっぱかしも無いという確信もありました。まず、根気が無いし気が弱いし念を通すような頑固さもなかったから、修行も出来ないし自分が特殊な能力を発揮している姿が想像はできませんでした。 ただ、唯一感じ取る力は何だか強いなぁと思っていました。また、自分が人の身体に触るような仕事をするようになるなんて思ってもいませんでした。両親からは教師や公務員に向いているとは言われていましたが、教師にも公務員にも絶望していたのでなりたくはありませんでした。 ある人に勧められてこの仕事につき、東京の永井先生にたどり着き、本に触れたご縁から遠藤先生にたどり着き、「氣」の世界の末端にたどり着いて、いつの間にか「霊視」なんていう不思議なことをしている自分がいます。心で視るということがいつの間にか判るようになって、神様や何だか妖怪のような存在のいることや、思っていられることも判るようになって、いつのまにか目に見えない世界が当たり前に存在することが普通になってしまっていました。 子供の頃に憧れていた世界とは全く違うのですが、何となく似ているような気もするし、何より自分の中に取り込んでしまっている今は、当たり前のようにそういう世界に生きている自分が不思議でなりません。そう言えば、最初に倶利伽羅不動尊に行ったときに盆の窪のところからすーっと身体の中に入ってきたのはお不動様だったのかな?あれから全てが始まったような気がします。
2008年10月30日
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最近の体調の悪さの原因は変な奴が憑いていたのもその一つだったようです。 知人の霊能者の方が自分に憑いていた悪霊を祓っている日記を読んで、何となく自分の周りもよ~く視てみたら、憑いていましたよ。 背後からわからないようにこっそりと針のような足を腰のあたりと背中と頭の辺りに差し込んで取り憑いていやがりました。 すぐさま宝剣を実体化させて、氣を集中して発動させ、切り払う準備完了。一応、事前に「出て行くか?」と聞いたらニヤリと笑うだけでした。しょうがないので、思念の剣を自分の身体の中に差し込んで根本から切り払い、そのまま雲散霧消させました。 どうも、お客様の霊体の邪気が少しずつ蓄積して悪霊化したものらしいです。取り憑いた原因は私の「驕り昂ぶり」です。少しずつ増長していたらしい・・・・反省です。心を空にしておかなくてはいけないのに、忙しさを自分の能力の過大評価につなげていて、驕りが生まれていたようです。そこにほころびが出来て、取り憑かれたようです。精進潔斎していかなくてはなりません。人の心というのは弱いものです。
2008年10月29日
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これは知人の方がプロの霊視者の方に見ていただいた結果について知らせていただいたことへの私の返信の内容です。 私自身も霊視を商売と結び付けているようなところがあるので、こんな事を言える立場ではないのかもしれませんが、私としては霊視でお金を頂いているつもりはないのです。頂いている料金はあくまで、経絡指圧の代金だと思っています。サービスとして視えているものをお話しているので、勝手な考えですがスピリチュアル関係では素人だと考えています。以下がその内容です。 「霊視というのは、いろいろですね。ただ、私はスピリチュアルな関係の人というのはそれを商売にしてしまってはいけないと思っています。だから、霊視をされる方でも商売にしておられる方とはお付き合いをしたくありません。頑固な偏見かもしれないのですが、目的を強く持ってしまうと「強い」神や霊が憑きます。こういう強い神や霊というのは、人の人生を狂わせる作用があると思っているんです。そういうアドバイスやメッセージというのは西洋薬のようなもので、よく効くかもしれませんが「副作用」というものも強いと考えています。宗教も同じかもしれません。 人にとって大切なのは、自然の恩恵を良く味わうことだと思います。穏やかで人のためになる自然の力というのは目に見えない形で起きている季節の変化や移り変わりだと思います。台風や雷や旱魃は人は避けたいと思いますよね。自然の穏やかな力をよく感じて感謝して力を蓄える事が大切だと思います。それは、父母の声だったり、報酬を求めない人の声だったりします。それはさりげないものだけれど、とても大切なものだと思うのです。 プロの霊視能力者というのは、自然界で言えば「異常な力」です。効果も凄いでしょうが、弊害も強いし、間違って人を傷つけることだってあるものだと思っていたほうがいいと思います。」
2008年10月28日
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昨日、一昨日くらいから体調が優れず、若干の頭痛がしながら施療と霊視をし続けていました。(もちろんお客様の迷惑にならないように普段以上に集中して施療や霊視はしていました。) そうしたら何だか視える範囲が広がってきたような・・・。今までは大まかなストーリーやヴィジョンが視えていただけだったのですが、少しその陰にあるものが視えるようになってきました。光に映し出されたそのものの姿のみならず、その周囲の陰影の中の意味が視えてきたというか・・・。 例えば前世から現世に続くその人の魂の特徴が、どんな風にして形成されていったのかルーツまで遡って視えるようになったというか・・・。それは、曲がり角の先に待っているものが視えて歩いているような感覚でした。体調の悪さが逆に集中力を高めていたのかもしれません。もしくは、頭が痛いから頭の別の部分を使って霊視していたのかもしれませんが・・・。 これまでは霊界の導きに従ってあちらの言うとおりに動いていたような感覚があったのですが、その感覚は残したまま自分である程度舵が切れるようになったような感覚がありました。 怪我の功名というものかもしれないし、一時的なものかもしれませんが、この感覚は覚えておこうと思いました。「氣」や「潜在意識」「原意識」の世界というのは面白いと改めて思いました。
2008年10月27日
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カップルのお客様の男性から施療を始めました。霊視を始めると「ドイツ軍兵士、怪我、時計職人、病院、捕虜」というような情報が入ってきました。 どうも第一次世界大戦のときのドイツ軍捕虜の第一号あたりだったらしい。怪我をしていて野戦病院のようなところに送られて治療を受ける事になった。看護にあたったイギリス人女性看護師がカップルの女性の前世らしい。彼女には戦争直前に婚約者がいて、気の強い彼女は彼に「貴方のような気の弱い男は最初に戦死しちゃうわよ!」なんて軽口を叩いていたらしい。ところが本当に彼が戦死してしまって、彼女は凄く落ち込んで後悔していたところだった。目の前の敵国兵士を憎んだり、でも彼の代わりのようにも思えて看護に専念したらしい。 で、彼は彼女に惚れてしまう訳です。彼女のほうは相手にしなかったらしい。でも戦争の間中彼は捕虜として収容所で暮らし、戦争終結後すぐに彼女を探し出しプロポーズしたらしい。気の弱い真面目なドイツ人の時計職人は彼女のことでだけは一生懸命だったようです。 二人は結婚して、イギリスに住んだらしい。目出度し目出度し。現世の彼女と彼にも幸多からんことを。
2008年10月26日
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霊視のお話をしていると、どんどんいろんな事を聞いてくる方がおられます。どれだけお答えしても質問が尽きることがありません。次から次へと質問が溢れ出して、答える私が窮してしまいます。 日頃から、思っていることが多くあって心の中に答えて欲しい事項が何重にも積み重なっておられるのだろうと思います。答えるものが神仏なら、一つの答えで全ての質問に納得してもらえるような力があるのでしょうが、人の身である私には満足していただける答えを差し出してあげることは中々できません。 ただ、時々思うことがあります。これは、答えても答えても満足してもらえることは無いのではないだろうか?ということです。質問を重ねてくる心は何か別のものを求めているのではないかなということを思います。 自分は決して何事にも満足するつもりはない!という心の状態に陥っているのではないかと思うのです。食べても食べても決してお腹が膨れない「餓鬼」というような道に落ち込んでいるのではないかと思ってしまうのです。 心がそういう状態になってしまうというのはどうしてなんだろうと思います。現状に決して満足できないという人は常に前へ前へと歩み続けるだろうと思います。止まってしまうことが不安なのだろうと思います。誰かが後ろから追いかけてくるように思うのかもしれません。 私は、人の心を追いかけてくるものなんていないと思っています。人の心というのは本質的に「自由」です。何ものにも束縛などされていません。無窮の空間に遊んでいられるものです。止まろうと、無限のスピードで突き進もうと本当に「自由」なものだと思っています。 そして、人の心の世界というのは無限の広さを持ち、無限のページを持っています。いつでも人自身がその気になれば自分の心に問いかけることによってあらゆる答えが与えられるようになっているものだと信じています。他者と自分の区別なんて一時のものだと思います。人に問うのも自分に問うのも同じ事なのだと気付いていくことが「人が生きる」ということだと思っているのですが・・・。
2008年10月25日
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元寇のときのヴィジョンを視ました。名乗りを上げて堂々と作法どおりに戦を挑む日本の騎馬武者・・・あっという間に何十本もの矢を受けてハリネズミみたいになって行きました。 中国の兵士たちにとっては理解できないバカにしか見えないようでした。 呆然と見ている私の視点になる日本の兵士。空が段々暗くなってきて台風接近の様子が見えてきたので、ここからは史実どおりに台風で中国船団が壊滅していくわけですが、これを見せてきた前世の魂のメッセージは、 「理屈の通らない相手に無理な戦いをしかけても無駄だし、疲れるだけだよ。もしくは生命の無駄遣いにしかならない。今に神風が吹くから後ろに下がって静観するときも必要だよ。」というものでした。 バカの壁というのがあるということを認識しないと当たって砕けるを繰り返すことになってしまいます。時には、全面撤退という選択をすることも必要だということですね。いつもそればっかりでは困るけれど。
2008年10月24日
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時々、霊視と現実の生活がシンクロすることがあります。エジプト神話の時代の小説を読んでいたら、霊視の中にその時代の人が出てきたり、四国の方とお話していたら弘法大師様が霊視の中に現れたりといった感じです。 自分の潜在意識への刷り込みになっているのかな?なんて考えたりもしましたが、最近は素直に霊界の導きというか力のベクトルがそちらに向かうのだろうと思っています。自分の興味がそちらに勝手に向かったり、偶然の出会いだったりというものが何がしかの大きな存在が為していることだろうと考えているほうが心も楽だし、自然なような気がします。 そう言えば最近、男性のお客様が多くなりました。男性の場合は基本的に臆病なので(私もそうですが)、あまり衝撃的な内容の霊視だとそのままストレートにお話するのはためらってしまう場合があります。女性の心はとても柔軟で衝撃もソフトに受け止めてしまうし、現実というものもしっかりと見極めているので、危険な内容の部分は自分できちんと「夢物語」と判断して分類されるので、ある程度安心してお話できます。 男性の場合は、基本的にマイナス思考だったりするので悪い方へ悪い方へ考えて行ってしまうから、その辺りを割り引いてお話しないととんでもない衝撃を与えてしまいかねません。その方の為に守護霊がどうしても伝えて欲しいと願っている場合を除いて、ある程度ソフトな内容にして伝えています。だから、男性のスピリチュアルに関する霊視は難しいです。しかも、何故かシンクロが働くことも極端です。働くときは強烈にシンクロニシティが動くし、無いときは突拍子も無く突然ガーンと霊視が始まります。男の人の魂というのは、女性の魂に比べて無防備な状態なのかもしれません。自殺なんかも男性のほうが多いのはこういうことが関係しているのでしょうか? 女性の霊視には何と言うか「流れ」のようなものがあるので、それに乗ってしまえばとても楽なんです。男の人の霊視は何だか独立していて、勝負を挑んでくるような雰囲気があるので疲れますね。でも、喜んでくださるのはどちらも同じようなのでありがたいなぁと思ってさせていただいています。
2008年10月23日
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お客様から「家でラップ音のような奇妙な破裂音がしょっちゅう聞こえるんです。何か憑いていませんか?」と聞かれ、霊視してみたけれど何も憑いている様子はありませんでした。 それよりも、「氣」が上半身に集中していて頭部からはちきれそうに溢れ出しているのがわかりました。下半身に「氣」が循環していない。「氣」の力が元々強い人だから、濃縮された「氣」が充満していて、この「氣」に雑霊が引き寄せられてきたのかもしれないなぁと思いました。もしくは、この「氣」が空間にはじき出されたときに「ラップ音」のようなものを発生させていたのかもしれません。 要するに「ラップ音」というのは聞いている本人が発生源だったりするわけです。全部が全部そうだというわけではないでしょうが、人の「氣」というものが現実空間に影響を与えることもあるんだなぁと思いました。あくまでも私の妄想かもしれませんが・・・。
2008年10月22日
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NHKのハイビジョンでカーペンターズの特集をしていたので録画しておいて昨日見ていました。おじさん趣味だと言われてもしょうがありませんが、カーペンターズが大好きです。 カレンの透き通るような声とリチャードのアレンジ、メロディラインにうっとりとしてしまいます。ミュージック・ビデオで遺されている映像と音を次々と見せてもらえたのですが、カレンが時々痛々しい痩せた姿で映っているのが、悲しかったです。摂食障害で苦しんだ末に亡くなったカレンを思うと、「白鳥の亡くなる声や良し」という言葉を思います。 奇跡のようなものだったと思います。兄妹で、このような才能が組み合わさって素晴らしい音楽が出来上がり、あらゆる世代に愛される音楽が出来上がるというのは・・・。 私がカーペンターズを知ったのは「イエスタディ・ワンスモァ」という曲でした。ビートルズやS&Gは知っていて夢中になっていたのですが、それらとはまた違う新しい心の琴線を打つ音楽というかメロディだったように思います。ちょうど十代の多感な時期だったからかもしれませんが、青春の光と影をしっかりと包み込んでくれるメロディ・ラインだったように思います。 いやいや、誰に何と言われようとカーペンターズは素晴らしいと言いたいです。でも、番組の中でリチャードの娘さんが唄を歌っていたけれど・・・カレンの歌声が傑出したものだと再認識されました(笑)。
2008年10月21日
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霊視をすると渡来人の女性だった。中近東あたりから流れてきた人だったらしい。見えない手で導かれ、「運命の人」が日本で生まれ変わって誕生すると信じて渡来してきたらしい。渡ってきたときには家族という形で小さな女の子で日本に着いたらしい。 トルコ人かペルシャ人の一家の幼い娘でした。異郷の地で、異なる宗教を信じて金属加工の技術や金属採掘の技術の指導や伝播に務めていたらしい。 視えたのは、秘密を多く抱えた女性・・・そして吉備真備(きびのまきび)との関係・・・吉備真備と言えば遣唐使として中国に何度も渡った人物だけれど、彼が彼女にとっての「運命の人」だったのかどうかはわからない。何しろ彼女は現世でも魂に秘密を多く抱え込む性質だから、なかなか全てを見せてくれることがない。 それでも、運命の人を求めて遠くの地まで旅する女性というのはこれくらいしぶとく、逞しくなければいけないのかもしれない。相手の男性の魂は東へ東へと移動していく方向性を持っているようで、今世ではアメリカ大陸の方へ移動しているように感じました。その話をすると笑っておられたけれど、もうアメリカへ探しに行ったりしているのかな? 謎の女性・・・スピリチュアル的にも謎の多い女性に出会いました。
2008年10月20日
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なんて思ったら「ヤバイ!」と思った。そんな風に感じてしまったら周りに迷惑をかけないようにして一人で自分の始末を考えてしまう。 まだ生きてこの先に何があるか見てみたい気もする。古代マヤ人が予言した2012年12月23日に地軸の変動があって、世界は滅びるかもしれないけれど、そんな事はありえないかも知れず未来はどんな風になるかわからない。 でも、人の命というのは人の思いに支えられているんだなぁと思う。人の「生きたい!」という思いはどこから来るんだろう?与えられた命を大切にしていくことが自然の道だからだろうか?五十代からの自殺者が増加しているというのは、そういう年代に精神が不安定になる傾向があるんだろうか?五十代と言えばある程度生活も安定し、自分の行く末も見えてくる年代だけれど、そういう頃に自分に絶望して死を選ぶというのは寂しすぎると思う。 人が人と繋がっていると感じる時に感じる「温かさ」が好きです。子供達の無邪気ではじける命の輝きを見ているのも好きです。年老いてなお矍鑠(かくしゃく)として生きておられるお年寄りの小さな目の中の小さな光が好きです。 水は流れ、風は吹き、雲は漂い、山はそこにある。人も堂々と生きていけばいい。充分に生きたと思えても、しぶとく、じたばたとしつこく生き延びてやればいいと開き直ってみようと思います。
2008年10月19日
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辞書で引くと「報いを招く前世の行い」という内容が出ていました。多分、仏教の中で現された考え方なのだろうと思います。生まれつき性格に問題を抱えているような人に対して用いられた考え方なのかもしれません。 でも、普通の一般の人でも前世の報いというものは良い意味のものも悪い意味のものも受けているように思います。ただ、霊視をしていると守護霊として就いている前世の魂が「ある修正処置」をしているように思います。一生のうちに悪い事を一つも犯さなかった人なんているものではありません。そういう事の報いを打ち消すためには前世で積んだ「徳」というものが必要になり、その「徳」を多く積んだ魂が守護霊として人には就いていて、ある程度「指導」をする事を条件に「その報い」を帳消しにしてくれているように思います。 ただ、時々その守護霊の指導にも限界があって、とても修正できないような「業」を持った人がいるのも確かなようです。そういう方の苦しみや辛さというのは本人にしかわからないものだと思います。私などは、そういう方を視たら合掌して涙を流してしまうかもしれません。中には犯罪を犯してしまう人もおられるでしょう。ぎりぎりの状態で耐えておられる方もおられるでしょう。荒れ狂う海に木屑一つを与えられて放り込まれたようなものだと思います。 「業」というのはそれほど凄い力をも持つことがあります。自分で自分を救うしか方法はないようです。もしくは、我が身を犠牲にしても愛してくれる人がいてくれることでしか「業」を振りほどくことはできないのかもしれません。 ただ、これはあくまでも私個人の意見ですから、間違っている部分が多々あるものと思います。まともに受け取らないようにしてください。お願いします。 もっと深く考えていかなくてはならない問題だと思っています。答えは全くまだ見つかっていないと思います。
2008年10月18日
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外国人観光客の方の姿を見かけることが本当に多くなりました。兼六園や金沢城公園などでも、見た目は日本人と変わらないのだけれど韓国語や中国語が飛び交っています。 一目で外国人とわかる欧米白人の方達もよく歩いているのを見かけます。道を尋ねられることも時々あります。片言の英語で案外通じるものですね。 でも、思うこと。金沢の良さは住んでみないと判らないだろうなぁということです。どんな土地でも、もちろん住んでみてわかる良さというのはあるだろうと思うのですが、金沢は例えば「食」について言うなら海のものも山のものもとても多種多彩だし、新鮮なものが生活者の手にすぐ入るような土地です。地物の野菜にも「加賀野菜」という特別な品種のものがあります。魚介類も隣の県の富山湾からも豊富に届けられます。 「住」で言うと夏は暑いし、冬は寒いし雪が降ります。でも、住んでいるとこれが「風情」なんですね。車で十分も走れば、もう山の中にいるような地理的条件がありますから、涼を求めるなら清流を求めて走ればいいわけです。冬はスキー三昧も出来るし、私の場合は雪の中で越冬する渡り鳥たちのけなげな姿を堪能できます。金沢の「町屋」というのもとても奥深い造りをしていて、京都の町屋に引けを取らない伝統があります。 「衣」についてなら、金沢人は「とても見栄っ張り」です。だから、ファッションは皆、とても個性的でもちろん首都圏の方達から見ればダサいでしょうが、流行にはとても敏感なように思います。そして、最新ファッションに身を包んでいた女の子がさっと「お茶」の稽古には和服で行っているのが当たり前というような、「茶の湯」「生け花」「習い事」がとても盛んな土地柄でもあります。だから、和菓子も美味しいお店がいっぱいあります。 霊的なスポットも沢山あります。霊峰白山や医王山、宝達山や石動山、能登には真脇遺跡を始めとする超古代からの遺跡スポットがあり、白山ヒメ神社や気多大社、倶利伽羅不動などの寺社スポットは隠れた小さな神社も含めて星の数ほどあります。もちろん、東京や京都には敵いませんが・・・。 外国人観光客の皆さんには一ヶ月くらいホームスティをしていただくと少し金沢の良さがわかるのになぁなんて思ってしまいます。
2008年10月17日
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帝の烏帽子を専門に作っておられる神官の方を霊視の中でお見かけした。 帝の頭に載せるものなので、特別の細工が施されていたらしい。守護の呪文を書いた紙と何故か「菱の実」がいれてあるものを烏帽子の中に仕込んであった。これが、「邪を祓う」力を持たせていたのだろうか? 人の思いあがりを諌める力が込められていたものらしい。天皇の頭上に「人の思いあがりを諌めるもの」が封じられていたというのはとても興味深いことだと思いました。 神を怖れ敬う心が天皇という現人神にはとても大切なことだったのかもしれません。自分が一番偉いと思い違いしやすい立場と言えば言えますものね。
2008年10月16日
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初めてのお客様。霊視を始めると何だか視えにくい・・・猫だ・・・私は酉年生まれのせいか「猫」が何となく苦手です。嫌いではないのですが、猫ちゃんとは相性が良くない感じなのです。 それで、猫系の方を視るときは苦労するようです。この方の前世はどうやら視えたところによると長唄のお師匠さんをしておられた女性。芸者さんをしていたのですが、旦那に落籍されて(身請けされて)一軒持たせてもらった後で旦那さんが亡くなった。自由の身にはなったけれど、食べていかなくてはいけないから長唄を教えて生計を立てていたようです。 それ以外に、身寄りの無い女の子を引き取って育てていました。「子供は嫌いだよ!」なんて言いながら何となく世話をしている気の強い女性だったようです。猫も「猫は嫌いだよ!」なんて言いながら餌をやって世話をしている・・・少しへそ曲がりな所があった人のようです。 世話をしている女の子には唄や踊り、三味線なんかを仕込んで本人が望めば芸者になる道を開いてやっていたようで、生涯に何人かの女の子を世話してあげていたようです。 現世の彼女に「前世は長唄のお師匠さん」とお話した途端、彼女が「エッ!」って口を手で押さえて固まってしまいました。彼女、以前から三味線を習っていて事情があってその習い事を中止していたのだけれど、先日 会のお手伝いに行って先生から長唄に転向して習ってみないかと言われたばかりだったのだそうです。 「それは長唄に転向したほうがいい。この前世の方も声の良さではピカイチで上手な人だったみたいですよ。」私もそうお話していました。前世のお師匠さんはこれを彼女に告げたくて私の所に寄越したのかも知れませんね。芸事というのは九割は才能ですから、前世からの魂の才能を受け継いでいるのだとすれば彼女は長唄を習っていくべきなのかもしれません。 ところで、猫の神性って何なのでしょう?鹿児島に猫神神社ってあるらしいですが、どうも「時間」を司る神のような・・・。
2008年10月15日
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夢に亡き父が出てきて「散髪してくれ」と頼みます。亡くなる前、入院中に何度か散髪をしに行きました。散髪用のエプロンをつけて家庭用の電気バリカンにアタッチメントをつけて・・・後で頭がすっきりしたのか気持ちよさそうに微笑んでいた父が印象的でした。 それで、味を占めたのか亡くなった後まで私の所に散髪をさせにくるとは・・・・。何となく不思議だったのは父の髪の毛が変な風に生えていたことです。少しずつまとまってクルクル巻いたようになっているんです。何でこんな髪の毛の状態になっているんだ?と不思議でちょっと気持ち悪いなぁと思っていました。散髪はちゃんとしてあげました。 でも、最近ふと気付いたんです。あの髪の毛の形ってお釈迦様の頭の毛と同じじゃないかって。何~?父親もお釈迦様と同じような頭の髪の形になっていっているってこと? あぁそういうことか・・・「私も仏になる修行をしているよ。」ということを伝えたかったのか。それを知らせるためにわざわざ散髪させに来たのかな?子供みたいな人だな・・・。でも以前に亡くなった従姉も私の所に観音様の元で修行をしていると伝えに来たことがあるから、我が家の家系は亡くなった後必ず仏様の元で修行する家系なのか~?と思ってしまいます。 まぁ幽現界を彷徨っているとかじゃないことがわかってよかったと考えるほうが無難かもしれません。律儀な性格の人だったから、きちんと修行を積んで極楽へ行きたかったのかもしれません。頑張って、また途中の報告にでも来てくれるのを待っていますか。
2008年10月14日
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天鳥舟神(あめのとりふねのかみ)というのは、案内神の一柱です。私にご縁が深い神様らしく、主たる守護神である「経津主命」や時々やってくる「猿田彦命」などとも仲良しなようです。 特徴としては「人や神を遠くに運ぶ」役目を担っているらしい。現代で言うと飛行機のようなもののようです。私の魂の本質が「風」であるということとも深く関係しているようです。 茨城県に息栖神社という神社があって、ここに祀られている神様らしいです。鹿島に近く、経津主命が「剣」の神様であるところから土地柄縁が深いようにも思います。日本書紀にはいっしょに書かれている部分もあるらしいです。 天空を滑るように滑空していく神々を乗せた鳥舟・・・何だかスペースシャトルのような感じがします。日本版のスペースシャトルが出来たら「天鳥舟」と名付けてほしいような気がします。
2008年10月13日
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昨日の休日DVDで見ました。東京の子供の昭和三十年~四十年代っていうのと金沢の子供の生活は違うけれど、何となく似ているのは生活している人の雰囲気がのんびり・ほんわかしていることなのかもしれません。 私の子供時代は二つ年下の弟と何でもいっしょに行動していたものでした。夏休みの子供映画教室にも二人で行き、ボーリングブームのときは早朝割引ボーリングに二人で行き、何でかマイブームだったビリヤードにも二人ではまって遊びに行っていました。弟は何でもいっしょに行ってくれて、嫌っていうことを言わないでいてくれる貴重な存在でした。でも、それも弟が中学生くらいになると変わってしまって、彼は彼の世界を構築しだしました。 弟がいて、いつでもいっしょに子供時代の楽しみを満喫できたのは私にとってとても良い事だったように思います。いろんな事が二倍楽しめたように思います。しかも、思い出は家に帰って眠りに就いてもまだ続くんです。次の日も弟と話せば楽しさをもう一度楽しめるのだから、いう事がありません。 私の娘は一人っ子だから、そういう楽しみとは無縁です。その代わり私がいっしょに遊んであげているのかもしれません。バード・ウォッチングや自然観察に行く時には親子というよりは親友のような感覚で話し合ったりしています。娘にも親友と言える女の子がいましたが、もう結婚して東京に行ってしまい子供も生まれてしまいました。 私が子供だった時代。私の子供が子供だった時代。子供にとって世界は不思議と驚異に満ちていて、何もかもが虹色に輝いているものなのかもしれません。そういう世界が続いていってくれることが、どんなに幸せな事か人は気付いているんだろうかなぁ・・・と思ってしまいます。
2008年10月12日
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火の神様です。強烈な個性を持った神様で、非常に極端な運命を人に与える方です。 特に独身の女性はあまりご縁がないほうがいいように思います。この神様が生まれたときには母神を殺してしまっていますので、出産や結婚を遠ざける運命をもたらす神様かもしれません。逆に言うと、独身の女性を捧げ者にすると霊験あらたかかもしれません、クワバラクワバラ。 「火」は浄化するものでもありますが、使い方を誤れば何もかも焼き尽くすものでもあります。それだけに人々の信仰も強烈に集めたのだろうと思います。 お不動さんでも護摩壇といって火を焚きますが、これは結界で封印し、強くコントロールされた「神火」であるように思います。この「火」は「風」の意と威を表すためのものなのだろうと私は考えています。人の本性を「風」と考えているのだろうと思います。 私の魂の本質は「風」であろうと霊能者の方に指摘され、あぁそうなんだと納得していますが、私は「火」に吹き寄せる風にはなりたくなくて「水」に波紋を浮かび上がらせる風にはなりたいなぁと思います。火の神様は苦手です。 地震や噴火もこの神様由来ですが、最近活発に活動しつつあるような氣がします。敏感な人達はこの神様に「寄り付こう」と考えているかもしれませんね。そういえば地震の時には低周波というある種の音が地脈から発せられるそうです。「火」の神様と「音」とは凄く関連性があるように思います。
2008年10月11日
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その方の霊視を始めると信じられない光景が視えて来ました。 古いヨーロッパの石畳。歩いているのが「星」なんです。大きな星が小さな星と手を繋いで歩いている。歩いている星に話しかけるとピョンピョンと飛び跳ねて、地面と当たる音が「声」になっていて会話は飛び跳ねる星としている感じです。 夜空には人の思いが人魂のようになって飛び交っていて・・・光が色んな色に輝いて煌いていて、夜なのにとても明るい世界でした。 これは、彼女の前世の女性のイマジネーションの世界の光景。「夢想家」と言うのでしょうか。周囲の全てが彼女の独特の世界観に彩られていて、彼女は童話を書いたり物語を書いたりして暮らしている人のようでした。でも、何しろそのイマジネーションの豊かさには驚くばかりです。ある意味「狂気」と呼んでもいいのかもしれないと思ってしまいました。でも、視えた世界の中にきちんとしたルールもあるようなので、やはり想像力が飛びっきり豊かな人だったのだろうと思います。 現世の彼女にもそのイマジネーションの豊かな心は受け継がれているのですが、今世では全くそれを生かしていない。というか現代社会では活かしようがないのかもしれません。でも、自分の中のそういう可能性を千分の一も出していないというのは心にはとても窮屈なものだっただろうと思います。それが心と身体に少しトラブルを起こしつつあったようです。身体のいたるところが痛いらしいのですが、身体の歪みを見てみてもそんなに歪みはありません。内臓もそんなに弱っているわけでは在りません。心身症と言えるのかもしれません。 「ご自分の心を解放してあげてください。常識に囚われず、非常識に見えることでもかまわないから、はじけちゃってみてください。それが心を自由に遊ばせることになります。それが貴女の本性なのだと思います。」そんなアドバイスになりました。
2008年10月10日
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昨日の休日は「8」の日でお不動様の御縁日なので倶利伽羅不動まで行ってきました。秋の風が心地よく良いドライブ日和でした。 御縁日なので参拝客がとても多く、中に潜り込んで本堂でこっそりと御参りをして、大好きな倶利伽羅そばの詰め合わせを買って帰ってきました。本堂の軒先にギョロっとした目が印象的な彫り物を見つけて、これも「邪を祓う」意味があるんだろうなぁ・・・それにしても今まで気がつかなかったなぁなんて思いました。 昨日のお不動様は標高の高い場所には元々あるのですが、とても天に近い場所にあるような感じがしました。霊的にこういう場所は高度が変化するのかもしれません。 いつ行っても「守っていただいている」という感が強くなる土地です。ありがたいことです。
2008年10月09日
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その男性の霊視を始めると龍が出てきて、とても怒っているような顔でお面のように張り付いていた。 その後に「龍」と「後」という二文字が現れて最後まで彼のビジョンの後ろに張り付いていました。 お聞きするとご両親は滋賀県の出身だとのこと。琵琶湖の神なのだろうか?その後はご家族の事やらご自身のことやらを細かく尋ねられ続けたので、このルーツの神の怒りについては追求する暇も無く施療は終わってしまいました。 後で、再度詳しく視てみると亡くなられたお父さんの縁が滋賀県の故郷の神社にあり、とても深い因縁を持っているらしい。その神社の龍神様に御奉仕をしなくてはならないのに、長男である彼が全くしていないので怒っているらしい。琵琶湖には龍神が何柱か住まわれているのだけれど、その内の北の後詰の龍神が彼の産土の神でもあるらしい。 その霊界での名前が「後龍」というらしい。「龍後」でもいいらしいが、彼の父親もそのことを彼に告げずに亡くなってしまい、父親の魂はもう父祖の地で龍神に陳謝の日々を過ごしているらしいのだけれど、彼にはその思いも届かず、ただ神の怒りを受けている日々らしい。 見えない世界のお話であり、知らぬが仏というお話である。でも、私が視た限りは何とかしなくてはならない。今度彼が施療に来られたらお話しなくてはならない。それまでは、龍の怒りの仮面は私にも張り付いているようだ。
2008年10月08日
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ある方の霊視の中から教えてもらった考え方。 自分のカラーを濃い色から段々と淡い色に変えていく・・・淡い色でも重ね合わしていくととても綺麗なグラディエイションを作り出して、人に影響を与えていくことが出来る・・・そういう穏やかな人への関わり方、生き方にある年齢に達したら変えていくことが必要なのかもしれません。 濃い原色はとても強烈なインパクトを人に与えるけれど、飽きてしまったり、逆に無視されてしまうこともあります。また、普段使いの色には中々なれないものです。日本人は独特の淡い色合いを作り出し、生活に馴染ませてきた民族です。それは「奥ゆかしさ」や「わび・さび」と言った風雅というものを大切にした生き方が日本人に合っていたからなのだろうと思います。 西洋文明の浸透によって、はっきりとした意思表示をすることが正しい生き方だというような風潮が支配的ですが、日本人はある年齢を過ぎたら自分のカラーを淡い色にする生き方もありかな?と思います。ぼんやりした主張というのは語弊がありますが、「そんな風でいいんじゃない・・」くらいののんびりした考えに浸り始めるのもいいかなと思ってしまいました。 藤の花のような淡い色の花が私は好きです。
2008年10月07日
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私の住んでいる建物の隣は大きな平地のコインパーキングなのですが、昨日の昼間その駐車場から「パチッ、コロ!」というような音が聞こえてきました。何の音だろうと見ていると、カラスが口にクルミのような木の実を咥えて、空高く飛び上がり中空に停止してホバリングすると、地面めがけて木の実を落としている音でした。 地上30メートルくらいの高さから何度も落として、木の実を割って中身を食べているのです。一個食べ終わると、またどこからか木の実を持ってきて落として割って食べています。時々、駐車している車の上にも落としているので、あれあれ車に傷がつかないかなぁなんて心配もしていましたが・・・。 それにしてもカラス君の頭の良さを目の当たりにしてしまいました。何かの雑誌でクルミを地面に置いて車のタイヤで割らせて食べるカラスの記事を見たことがありますが、自分の目の前でカラスの絶妙な高さからの落下による木の実割りを見ると、犬なんかよりも猿に近いくらいの知能を感じます。鳥の中でカラスだけが三種類の歩行の仕方をするし、三本足のヤタガラスは神の使いとして有名だし、私の住んでいる地域は繁華街で餌が豊富にあるせいか、カラス達の人口比率がとても高いです。彼らの繁栄は続くんだろうなぁと思います。
2008年10月06日
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酒の神様です。霊視した女性の守護神として就いておられました。最近、「お酒」と縁があります。 この方の前世はフランスに住んでいた裕福な家のマダムで芸術家達のパトロンをしていました。音楽家と画家を援助していたようです。 でも、気性が優しすぎて人を育てるのには適していなかったようです。甘やかしてばかりでは人は育たないようです。 バッカス神も自己抑制とは真逆の神様ですから、この方にとても合っている神様と言えるのかもしれません。 芸術に携わる人というのも、援助されるだけではなくて、その自由の中から目覚めて自己を律していかなくては飛躍の時は訪れないのだろうと思います。自分を本当の意味で大切に出来る人が新しい芸術を生み出して行ったのでしょう。 マダムは今世の彼女に「貴女には人を育てる資質もあるし、周囲にそういう人が集まってきますから、時には厳しいことも言って、彼ら彼女らを次のステップへ送り込んであげてください。」というようなメッセージを伝えてきました。人を育てるという難しさ・・大きな課題です。
2008年10月05日
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霊視の中で不思議な祭りを視ました。 人が照る照る坊主のような姿をしているんです。紙で出来た服のようなものを被って、それが袋状になっていてそこから両手両足が出ていて、頭には四角い紙の笠のようなものを被っていました。 そして、二三人のそういう姿の人達が暗い洞窟の中に入っていくんです。それを連れている人達は紋付羽織袴姿で腰には刀を差していました。そんなに騒がしい祭りではなく、暗く静かな祭りでその行列以外には、それを上から見守る神主の人だけがいるような寂しい祭りでした。 何か「流行り病」が流行った時の「治めの儀式」の形式化のように感じました。患者達を洞窟に封じ込めて、病い退散の儀式をした時の名残りのような感じでした。 これは、決して外部の人には見せれない祭りであって、村の内部でのみ伝わっていくものなのだろうと思いました。これを視せてくれたのは、今世のこの人に対して「人に信頼してほしければ、自分の内面をさらけ出す必要があるんだよ。」という事を伝えたかったらしいのですが、この秘祭自体にも何だか深い意味が隠されていたようにも思いました。地の底に「病を封じる」というのは・・・薬師如来の影が見えているようです。
2008年10月04日
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人に思いを伝えるのが上手くないなぁ・・この人は・・・。そう思いながら施療をしていました。 だから、自分の思いが胸の辺りに詰まっていて「氣」の流れを滞らせています。それで首や肩の痛みになったり、頭痛になったりしているようでした。 人に自分の思いを伝えるには「言葉」を使う方法と「言葉以外」のものを使う方法があります。 「言葉」を使って人に思いを伝えるのに大切なのは「言葉」にきちんと思いを乗せることだろうと思います。思いが乗っていない言葉をどれだけ使っても心は相手に伝わらないだろうと思います。それじゃ言葉に思いを乗せるにはどうしたらいいんだろう?それは伝える前に充分に考える事、悩むこと、楽しむこと。そうやって熟成させた言葉は必ず相手の心に届くはず。そして、思いが間違って届いても悔やまないこと。悔やんだってしょうがない。届いた思いは最初は間違って届いたとしても、相手の心の中で熟成していつかきっとわかってもらえることだってあるはずだから・・・。 「言葉以外のもの」を使って相手に思いを伝えるには、勇気が必要。相手の内懐に飛び込んでいかなくてはいけない。相手との距離を一歩縮める。身内だったらいきなり抱きしめるなんていうのもありです。驚かれるだろうけれど・・拒否されることもあるだろうけれど、相手が呆れて拒否しなくなるまで続けるなんていうのもありで・・・段々心が直接相手に伝わるようになっていくはず。 「目は口ほどにものを言い」なんていうことわざもありますね。でも、現代社会ではこれはなかなか難しい。何故なら、現代人は(日本人限定)目と目の会話に慣れていないから。でも、それなら「テレパシー」というのもありで、ずっと相手の事を思っていると何となく伝わるものです。逆に現代人はそういう面では敏感になっているから、そういう思いは伝わるかもしれませんね。 独りよがりな思いでも、勝手な思いでも「人に思いを伝える」というのは大切な事。自分のために、そういうプロセスを大切にしていかなくてはならないなぁ。大げさな言い方だけれど、そういう繋がりが出来ていくと「世界が丸くなる」様な気がします。
2008年10月03日
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大変お騒がせをしました。昨日のメッセージは新しく神棚にお祭りした神様からのものだったようです。 先日、家内が自分のお母さんと二人で東北に旅行し、「弥彦神社」と「出羽三山神社」を巡ってきました。その時にお札をもらってきてくれるように頼んで、お土産にもらい、それを神棚に御祭りしたところだったのです。今朝、若水を差し上げていたらどちらかの神様から「早く、お神酒を捧げてほしい。」というメッセージがきました。 「ミルク」というのは「濁り酒」のことだったようです。どうも、どちらの神様も「お酒好き」のようで、しかも昔のお酒だから「ミルクのように濁ったお酒」を好まれるようです。 神棚には「清酒」は祭ってあるのですが、「どぶろく」が好きな神様とは・・・。山の神、田の神という方々ですから、確かにそうでしょう。酔っ払いというのはあまり好きではないのですが、(私自身が下戸でお酒を飲まないので・・・)こういう神様達も愉快ですから、今日外に出たときにどぶろくを買ってこようと思います。 全く、酒好きの神様とは・・・ぶつぶつ・・・。
2008年10月02日
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今朝、明け方にわけのわからないメッセージが来ました。 「朝、ミルクを飲ませてやってください。」というメッセージ。明らかに誰かからの霊的メッセージ。 どういう意味なんだろう?さっぱりわからない。 でも、自分の中からのメッセージではなくて外部から送られて来た感じがしっかり残っています。誰かと繋がったんだろうか?それとも私に対する忠告なのかな?滅多にないことなのでとりあえず日記に書いてしまいました。それにしても内容が変なの!
2008年10月01日
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