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一番古い豪雪の記憶は昭和38年のものです。家にはその時の写真が残っていますが、何しろ朝起きた時に玄関の戸を開けたら白い雪の壁だった記憶だけは鮮明に残っています。だから家の二階から出入りしていた記憶です。 それと金沢には「きんかんなまなま」という言葉があるのですが、ある冬の夜に大通りに出たら月が出ていてものすごく冷えていて圧雪された道路の雪が月の光にテラテラと輝いていてつるつるになっており長靴の底が一切引っかからずにスケート靴のように長靴でそのと道路の上を滑って遊んだのですが、それを「きんかんなまなま」というのだと後で両親に教わりました。 昔の北陸は本当に冷えていたのです。そして豪雪も何十年かに一度はやってきていました。昭和56年の豪雪もひどかったです。夜中の一時まで町内の除雪に駆り出されていましたね。今考えると体力があったなぁと思います。
2023年12月31日
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今年もあと三日となりました。師走の忙しい日々がそれこそあっと言う間に過ぎていきます。毎年言っていますが、本当に一年があれよあれよという間に終わってしまいます。お客様皆様のおかげで何とか無事に一年を過ごさせていただきました。誠にありがとうございます。真摯にその時を懸命に誠実に施療にあたることだけを一意専心でやってまいりました。 それでもお客様お一人お一人の思いやりのお陰で本当に助けられての一日一日です。深く感謝しております。技術的には遅々としていますが、少しずつ深いところまで理解が進んでいます。体も年の割には何とか動かせておりますので、理想としては後10年くらいは頑張ろうと思っております。変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。 あちらからのメッセージに共通しているのは「前向きに」「明るく」「頑張ればきっと何とかなる」ということのようです。「生きる」ということに誠実に向き合いなさいと伝えているように思います。
2023年12月29日
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私は勝手にこの言葉を小難を得ることで逆に大難を逃れるという意味にとらえています。あちらからのメッセージに時々これに類する意味のことが伝わってくるからです。 例えば先日来られたお客様は足の小指を打撲して腫れあがって熱を帯びて苦しんでおられました。氣視してみると大きな矢が飛んでくるのを奇麗に躱している姿が視えました。これはこの方に大難が襲ってくるのを避けるためにこういうケガをさせたのだろうなぁと思いました。前世を視てみると鎌倉時代の武士で鎌倉の神社に良く詣でて熱心に祈っておられる方でした。この時代の戦場では弓矢が大きな武器でしたが、この方は神様に守っていただいて矢がすべて避けていくというご利益を得ておられました。 今世でもこの方は小難を得て大難から逃れる形をよく取られているのだろうなぁと思います。ご本人にそのことをよくよくお伝えしました。感謝ですね。
2023年12月27日
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何のことかよくわからないと思います。たぶん東宝映画で昔の怪獣映画です。初めて見たのは時々書いている昔金沢市内の卯辰山にあったレジャーランド「金沢ヘルスセンター」の映画室でした。このレジャー施設には常に映画を放映しているフロアが確か二か所くらいあっていつもそこは真っ暗ででも畳敷の大広間になっていて寝転んで映画が見れました。 「サンダ対ガイラ」というのは大きな毛むくじゃらのフランケンシュタインみたいな二対の怪獣が戦うという奇想天外・お手軽設定の映画でした。それでも中々面白かったのを覚えています。この映画室ではほかにも様々な怪獣映画を見ました。怪獣映画だけではなくて「人体バラバラ殺人事件」を題材にした恐ろしい映画なんかもあったように記憶しています。 それ以外にも私の小学生くらいのころには夏休みになると市内にたくさんあった小さな映画館が「子供夏休み映画教室」なんていう早朝だけの低料金の映画上映をしてくれていました。私の映画好き・怪獣もの好きはこのころに育まれたものなのかもしれません。
2023年12月25日
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山田洋次監督の昔の作品です。日経新聞に現在倍賞千恵子さんがコラムというか自伝を連載されていてそれを読んでいて見たくなってレンタルして見ました。 瀬戸内のどこかの小さな島なのか、近くには広島や尾道があるのであの辺りが舞台。夫婦で「石船」という土石運搬業の小さな運搬船を使って仕事をしている夫婦のお話。船の真ん中に喫水線ぎりぎりまで石を積んでいって埋立地に着くと船を無理やり傾けて石を海中に落とす。そういう作業の繰り返し。奥さんの倍賞千恵子さんは機関長も兼ねている。船はボロボロ。時代は大型船の時代になってきている。エンジンはしょっちゅう故障して機関長の奥さんではなくてご主人が懸命に直している。淡々と貧しい島の暮らしが描かれている。 映画の中での印象的なセリフ。「大きなものには勝てないって言うけれど、大きいものって何なのですかね。何なのですかね。」 結局夫婦は子供二人を連れて尾道の造船所に社員として使われるために島に老いた父親を一人残して去っていく。物悲しくも美しい作品でした。
2023年12月23日
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それにしてもテレビの全国放送で「北陸」というひとくくりで天候を知らされると大抵新潟県がメインで伝えられるのが違和感がひどいです。新潟県は北陸?と思っています。ずっと長い間北陸地方というのは富山・石川・福井だと思っていたので、新潟が入ってくるとあの辺りは天候がちょっと別区分になるように思います。だって石川県はまだ全然積雪ありませんよ。新潟基準で北陸は積雪がすごいとか言われると何その嘘と思ってしまいます。 何しろ今年は以前から言われていた通り「暖冬」の気配が濃厚です。少しでも積雪量が減ってくれて山のほうにだけ降ってくれるとありがたいなぁと根っからの北陸人は願う次第です。
2023年12月21日
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年寄り臭いとは思われるとは思いますが、私は口癖のように時々「唄われよぉぉ♪わしゃはやすぅぅ♪」とやってしまいます。これは越中おわら節という民謡の囃子言葉です。つまり歌の合いの手に入る節ですね。これは母方の祖母が良く口ずさんでいた民謡です。この祖母は貧乏な家の出で行商などをずっと続けて7人の子供を育て上げた苦労人です。しかしとても明るい性格で人のお世話も良くしていて仲人も何十件とまとめ上げた人でした。 ですから母方の里へ泊りがけで遊びに行くと私たちの食事の用意をしながらこの曲をよく歌っていたので覚えてしまっているようです。母も民謡が大好きでよく家庭内で祖母と同じように歌っていました。民謡というのは労働歌なので何かをしながら口ずさむにはとても適した歌なのです。今の若い人はきっとKポップとかJポップの歌を口ずさむのでしょうが、昔は歌謡曲か民謡だったのです。「越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山三国一だよ」越中おわら節の一節。
2023年12月19日
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久しぶりに大学の下宿時代の夢を見ました。大学の下宿は神奈川県の伊勢原市にありました。大学で母親が賄い付きの下宿を探したらそこしかなかったので決めました。そこは東海大学の学生が数多く入っている学生専門の下宿でした。朝晩の二食が別棟の食堂で時間を決めて出されました。今のような立派な施設ではなくて質素な建物で部屋もトイレもついてなくて洗い場さえ部屋の外にありました。お風呂は歩いて十分ほどの銭湯に通いました。それでも同じ大学に通う同級生が数多くいて一緒にマージャンをしたり勉強したり、一生を通じて仲良くなった親友ともここで出会いました。 電話も携帯なんてもちろん無くて大家さんの家の固定電話に親から時々掛かってくるのが普通で、親と話していると金沢弁が出て大家さんに笑われたりしました。それでも大家さんには風邪で寝込んだ時にお世話になったりして懐かしい場所です。夢の中であの場所は不都合な場所でしたが、それでも暖かくて楽しい記憶のある場所でした。
2023年12月17日
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自分の子供のころのことを思い出してみると何かに守られていたから生きてこれたんだろうなぁと思わざるを得ないような気がします。男の子なんて無茶なことを色々やっているものです。とんでもないところで遊んでみたり、塀の上を走り回ってみたり、深い川や池のそばで何かしていたり命の危険と隣り合わせで生きているようなところがあります。 それでも何事もなく生きてこれたのは何かに守られていたのだろうとしか考えられません。そう言えば「産土の神様」とも対面したことがあるようで、子供のころの祭礼でお祭りの屋台の裏に偶然入り込んだらとても大きな石碑がどーーんと立っていて「呼ばれた」感覚がありました。大人になってからその石碑を見に行ったら私の産土の神様の名前が彫ってありました。あれは呼ばれたのだろうと・・・子供だからあちらの世界に近い状態だから顔を見せよということだったのだろうと後で感じました。守られていたんでしょうねぇ。ありがたいことです。
2023年12月15日
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三焦経というのは体の末梢循環を司る経絡なのですが、体の体温調節なども担っています。ですからこういう気温の高低差が激しい日々が続くと負担が増えて変調をきたすことになります。先日も変な頭痛が続くのでこれは三焦経が実になっているのかなと左肋骨の下あたりの三焦経の反射区を指圧の寫の意で押圧するとしばらくして頭痛が緩和しました。 それで指圧の代わりに磁気鍼を貼っておくと寛解しました。三焦経が実になると「発熱・頭痛」という風邪に似た症状が出ます。気休めにしかなりませんが、頭痛があったら左肋骨の下あたりの圧痛点を「散らす」と思いながら押圧してみてください。緩和するかもしれません。
2023年12月13日
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先日の土曜日天気も良く娘と二人でバードウォッチングに出かけました。この時期は中能登の邑知潟という湖周辺にシベリアから白鳥の群れが渡来します。何百羽という群れなので壮観です。湖が近づくと空に編隊で飛ぶハクチョウたちが見えました。近くの畑地に降りてくつろいでいました。青空の下で白鳥たちの真っ白な姿を見ていると心がとても清々しくなりました。とても暖かい日よりでした。 それから今度は七尾西湾の野鳥公園にある観察舎へ行きました。ここは何度も来ている場所で毎回数多くのカモ類が見られます。今回も尾長鴨、マガモ、カワアイサなどが沢山湾の水面にぷかぷかと浮かんでいました。途中大きな白い猛禽類が目の前を大きな魚をつかんで飛びました。ミサゴという海洋性のワシです。鷲にしては体が白くてとてもかっこいいワシです。この観察舎はいつも寒くて長い時間おられないところなのですが、この日は暖かくてのんびりと過ごしました。帰りには大阪ナンバーの車もやっきて「観察舎はここですか?野鳥はいましたか?」「ここです。いましたよ。」なんていう会話をしてきました。 本当に心がリフレッシュされた一日でした。
2023年12月11日
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店舗では資格がないので間接灸である千年灸をお客様には施療していますが、自分や家族には透熱灸という直に皮膚をもぐさで一瞬で焼く本当のお灸をしています。 「灸は急に効く」という言葉がありますが、本当に透熱灸は千年灸の5倍くらい熱いですが、ツボにさえできればとてもよく効きます。 私は風邪の引き始めは「喉」にくるタイプなのでのどが痛いなぁ・・・風邪かなぁと思うと足の甲とくるぶしの近くに三か所お灸をします。すると翌朝にはてきめんによくなっています。 母の食欲不振もめまいもお灸で治りました。めまいについては特にその効果にびっくりしました。めまいはなかなか治らない症状なのですが、一回で寛解してしまいました。ただしお灸のツボは足の親指の爪の下あたりなのでとても熱かったようで、さすがの母も身もだえしていました。 家庭灸というのでしょうか、昔は今のような医療体制はできていなかったので民間療法というものが庶民の間には普通にありました。関節痛には庭にある枇杷の葉を巻いたり、お灸をしたり、そういう家庭の中で工夫され伝承された古くから続く伝承療法があったように思います。迷信めいたものもあったでしょうが、確かな医療効果が認められるものもあったように思います。馬鹿にしないで研究したいものです。
2023年12月09日
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柳田国男氏の著作の中でも最も影響を受けた作品と言えます。特に「山神」や「山人」に関する記述が心に深く残りました。昔の人たちは山から様々な恵みを受けていたので山を神聖なものとして強く捉えていたのだろうと思います。一種の「異界」としてあの黒々とした深い緑に包まれた山々を見つめていたのだろうと思います。 だから不思議なことがあってもそれは「山だから」ですべて納得していたのかもしれません。自然という人が決して抗えないものの象徴が山だったのだろうと思います。 私も山が好きで若いころはしょっちゅう訪れていました。一人で深い山の中に入ると山の神氣のようなものが全身を包み込んできます。それは強い畏敬の念を人に呼び起こします。周囲に人の為したものが一切ない空間というのはどちらかと言えば神仏や野生動物の領域になるのでしょう。人とは関係ない営みが繰り返されてきた空間というのは無秩序な秩序に満たされています。それを人は「異界」として感じていたのだろうと思います。
2023年12月07日
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遠藤線税については「タオ、氣のからだを癒す」というご本が衝撃的でした。このご本から「経絡指圧」というものを知り、その創始者である増永静人先生のことも知りました。この方は人の体にある「経絡」というものが視える方だったようでたくさんのお弟子さんがおられましたが、その中で唯一増永先生と同じように経絡が視えた人が遠藤先生だったようです。 もちろん私は経絡は視えません。ですが、氣というものに触れる道筋を遠藤先生に付けていただきました。そして「錬氣」という修行を続けながら患者さんの氣に少しずつアクセスしていくことで「氣の受信能力」のようなものが伸びてきて次第に「氣の情報」が読み取れるようになっていったようです。それは体の歪みが経絡の歪みから来ていて経絡の歪みというものが心というか魂の歪みから来ているのであるなら、魂の由来を診なければ体の歪みも根本的に癒せないのではないかと考えていたということでもあります。 ですので私が過去世のお話をしたりするのはご自身の魂の性質を正しく知って生きやすくなることが歪みのない健康な生活につながるのではないかと考えているからです。 「歪み」というのはあくまで「少しバランスが崩れた状態」のことを言います。遠藤先生は天才であり少し変わったところもある方で取っ付きの悪い方ではありましたが、私にとっては大恩人でもあります。
2023年12月05日
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私には仕事の上での二人の師がおられます。一人は東京の吉祥寺でスクールを開いておられた「動禅指圧」の永井先生です。先生のことは著作を読んだことで知り、お電話をして伺うことを承諾していただき来校させていただきました。マンションの一室を大きく開放してスクールにしておられました。常に十人前後の生徒さんが来られていました。中には障害者の方が少なからずおられました。この指圧は力が要らないので彼ら彼女らに向いていたのです。先生は日本にヨガを初めて普及させた沖先生という方の下で「治療担当」として働いていた指圧按摩マッサージ師で「天才肌」の方でした。それでもとてもとても優しい方で叱られたことは一度もありません。新しい技術を開発すると嬉々として教えてくださいました。二年間くらいにわたって二十数回お邪魔していろいろなことを教えていただきました。2年前に亡くなられました。75歳でした。ご冥福をお祈り申し上げます。 もう一人は「タオ指圧」の遠藤先生です。先生とも著作を通して縁ができました。先生は僧侶の資格も持っておられてバイリンガルで一年の半分は海外で指圧を教えておられました。残りの半分は京都でワークショップを開かれていました。私は4回ほどお邪魔しました。外国人の生徒さんが半数くらいで常に50人くらいが受講していました。先生は合気道もされていました。直接お会いして習わせていただいたのは1回だけでしたが、天才でした。しかし人付き合いはあまり得意ではない感じでした。先生からは「氣」との付き合い方を教えられました。そしていつの間にか「氣の情報」が読み取れるようになっていったわけです。先生は今は引退されて僧侶として生活されています。ワークショップはお弟子さんや奥様が今も続けられているようです。 このお二人の師のおかげで今の私があると思っています。深い感謝と尊敬をお二人に捧げたいと思います。
2023年12月03日
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私の初 鬼太郎は子供のころに我が家が営んでいた貸本屋の商品としての単行本漫画「墓場の鬼太郎」でした。初 水木作品でした。何ともおどろおどろしい画風で、劇画タッチで今でいうところの「貞子」のような不気味さが全編ありました。スプラッタな部分もあり今のゲゲゲの鬼太郎のような爽快さは微塵もありませんでした。目玉の親父さんがどうしてあんな形になって生きるようになったのかということもわかるお話でした。鬼太郎が「幽霊族」という種族の生き残りだということもわかります。 でも伝わってくるものが強くありました。それは何というか力のないものが力のあるものに虐げられているその苦しさ、みじめさ、だけどきっと必ず復活して立ち直って飄々と生きていくんだというしぶとさのようなものが作品全体から感じられました。水木イズムのようなものがもうきちんと作られていたのだろうと思います。 それでも子供の心には作品が恐怖過ぎて一度読んだきりで二度とその頃は読まなくなった記憶があります。
2023年12月01日
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