全15件 (15件中 1-15件目)
1
当院にも末期がんのお客様が来られる場合があります。もちろんお医者様の治療プランの邪魔をしてはいけないのが第一なのですが、私はお客様第一になってしまうのでお客様が少しでも楽になるように最善を尽くしたいといつも思っています。今のところそういうお客様からは「助かりました。」という言葉をいただいているので、そのお客様との相性もありますが、少しは満足していただけているのかなとは思っております。 私の母ももう来月で92歳になり、認知症も進んできて30分くらいで記憶が途切れてしまうようになってきました。主治医の先生から本人と家族と主治医の三者がターミナル・ケアについての意思の最終確認をするための相互確認書のようなレジメをいただき、母の意思を確認しながら書き進めて先日主治医の先生とケアハウスのケアマネージャーにお渡しできました。 大切な人の最後を安楽なものしたいと家族は願います。準備がとても大切なのだなと改めて思いました。
2024年02月29日
コメント(0)
先日ご予約の電話がかかってきました。元気そうで若干高圧的な口調の中年男性の方で「予約をしたいのですが、いつ空いていますか?」その後日程の調整のやり取りがあって日にちが決まってお名前をお聞きして、と進んだところで「そちらは被災者無料をやっていますか?」と聞いてこられました。「いえ当院はそういうのはやっていないのですが・・」とお伝えすると「じゃいいです。結構です」ガチャンという感じで電話は切れました。 何なのだろうと思いました。こういうことを聞かれるのなら最初に聞いてほしいなぁと思いますし、何だか男性の口調がずっと人をからかっているような感じだったのも後味の悪いものでした。 被災者無料・・・そういうサービスをされている整体院やマッサージ店も有られるのだろうとは思います。立派なことだし私も被災者の方たちに寄り添いたいという気持ちはもちろんあります。しかし私は「無料」ということにちょっと抵抗を感じます。タダで物をもらったり行為をしてもらうことはどうなのだろうか、と。それがずっと続けば受け続けている人たちはどうなのだろうかと。ありがたいとは心の底から思うだろうと自分が被災者になった立場ならそう思うでしょうが、ずっとだったり自分の中に「甘え」の気持ちが生まれるのは怖いとも思います。 勝手な言い草かもしれませんが、私は人の尊厳というか「誇り」というものを大事にしたいと常に思っています。たとえ自分が被災者になったとしても人としての誇りだけは見失いたくないと思っています。人の善意というものは人の尊厳・誇りを大切にしてこそ報われていくものなのではないかと勝手に思っています。
2024年02月27日
コメント(0)
小さな地震がずっと続いていたのですが、2日前ぐらいから無くなりました。ウェザーニュースの地震チャンネルを毎日チェックするのが習慣になっていたのですが、能登では震度1や2の小さな地震が続いていました。被災者の方たちは心をすり減らしておられるだろうと心配しておりました。地震のショックは心に強い衝撃を与えて、それからは少しの揺れでも心が強く動揺するものです。このまま収まってくれれば良いと心から願います。能登はまだまだ道路の寸断や断水が続いています。揺れが収まって復興が少しでも早く進んでいくことを願って止みません。
2024年02月25日
コメント(0)
私の好きなSF小説「砂の惑星」の中の言葉です。最近再映画化がなされてもちろん見に行きました。なかなかの力作で続編も近日公開される予定で楽しみなところです。 原作はフランク・ハーバード氏で砂の惑星は大河小説ですが、独特の哲学観が貫かれていてとても興味深い作品です。 この言葉は常に暗殺者に狙われている主人公の戦闘訓練の中での指導要領のようなもので、人の体がいかに精神にコントロールされているものかという深い意味があります。しかし凡人の私は常日頃から何かにくじけそうになった時にはこの言葉を思い出してその不安や恐怖をいかに客観的に見つめなおせるかということに挑戦してやり過ごすことにしています。「その恐怖をじっと見つめてみよう。そうすればそれをきっとやり過ごすことが出来よう。」この言葉の後にはこういう文章が続いています。何事も主観的に中心に立っている限り物事の全体像は見えてこないものです。第三者の目は常に心の中に置いておくべきだろうと思っています。
2024年02月23日
コメント(0)
指圧をさせていただくことの意味は、特に経絡指圧というものをさせていただくことの意味は身体の「氣」と繋がることが出来るようになることなんだろうなぁと20年以上経絡指圧を続けてきて確信しています。 一流の鍼灸師の方が書かれた著書の中に「一流の鍼灸師を目指すなら指圧を10年以上続けなさい。」と書かれていました。その意味が今はわかります。体の本当の意味での「ツボ」や「スジ(経絡)」というものは手指を「無」にして施療する経絡指圧を続けることでしか凡人にはわかるようにはならないからです。 身体に触れて押圧しているだけで痛みのもとになっている部位が自然とわかるようになっています。それは触れている手指に意識が行ってなくて自らの「氣」とお客様の「氣」が繋がることでわかるようになるからです。どんなにそういう才能がない人でも10年この経絡指圧を続けていれば必ずそういう「促通」という感覚が身に付くと私は思っています。 そして身体の本当のツボとスジがわかるようになれば鍼灸は本当の意味で使える技術になるのだろうと勝手に思っています。指圧は基本なのだろうと基礎なのだろうと思います。
2024年02月21日
コメント(0)
困難に出会ったとき私は足元を見ます。自分の足を見つめてこの足でまた一歩ずつ進んでいけばよいと心に誓います。困難に直面すると訳が分からなくなってとても遠い目標を見てしまい足元があやふやになっていきます。そして方向を見失いますますどうしてよいかわからなくなります。だから私は自分に「一歩ずつ、一歩ずつ」と言い続けます。 まず少しでも確実なことから少しずつ少しずつ進めていきます。前へ進んでいこうと思っているだけでいつの間にか困難は横に置いておくことができるようになります。そうなればいつでもやり直しが効く状態になれます。そうやっていつも私は困難を克服してきました。 たぶん登山の経験がこういう生き方をさせているのだろうと思います。遠い山の頂を見て登るのではなくて一歩ずつ足元の登山道を見つめて登っていけばいつか頂上にたどり着けるものですから。
2024年02月19日
コメント(0)
子供のころの遊び場というのは大体2キロ圏内くらいの範囲だったように思います。その中に起点となっていたのが「小橋」という浅野川にかかっている小さな橋でした。橋の近くには交番があり、公園があり、いつもよく行く飲食店があり生活の中で中ぐらいの立ち寄り場でもありました。 その公園にはとても大きな松の木が植わっていて天辺にはトンビが巣を作っていました。そのトンビの鳴き声を聞きながらよく遊んでいたものです。怖い話ですが、その小橋には水死体が引っ掛かっていたこともありました。橋の下の堤防の陰では大きなカニが捕れたものです。その記憶の中の遊び場は鮮やかな色彩には彩られてはいません。くすんだ茶色になっているよう気がします。そのころの日本は高度経済成長の真っ只中でしたが、日本人は稼ぎまくっているときには色彩やデザインなんかは気にしない感じがしたものです。 それでも子供のころの遊び場は楽しい記憶と緩やかなゆとりの風が吹いていたように思えます。
2024年02月17日
コメント(0)
神仏を信じているのではありますが、今年の能登の地震の状況を見ると「髪も仏も無いものか・・・」と思ってしまいます。亡くなられた人や被災して苦しんでおられる方たちに何の罪があったのかと思ってしまいます。 普段の能登の風景の中には自然と神仏を感じられる穏やかな風が吹いていたのを知っています。しかしそれはあくまで人の勝手な思い込みだったのかとさえ思ってしまいます。 寸断された道路、いまだに復旧されない水道設備、こういう災害が起こると過疎地域は人口の流出が止まりません。一気に住民の方たちが減っていってしまいます。そこに神仏の加護は続くのかどうか・・・「知らんよ、そんなことは、されど我ら神仏はそこにおるのよ。」そう告げられているような気もします。
2024年02月15日
コメント(0)
母が施設でコロナに感染しました。同じフロアで何人か感染者が出ましたという施設からの連絡に他人事のように思っていたら母の電話の声が風邪声になり、ついには施設の職員さんから母のコロナ感染が告げられました。毎朝電話はしているのですが、91歳ですので万が一ということも考えました。 しかし感染を知らされて五日後しぶとい母は復活してしまいました。今では咳も熱も無くなりご飯も普通に食べているそうです。最近はコロナにもよく効くお薬が出来ているそうで、逆に今はインフルエンザのほうが怖いらしいです。施設には看護師さんも常駐していてくださるし、同じ建物内にクリニックもあり病院に常にいるような状態なので安心です。本人は隔離されているので「人間扱いされていない」なんて不満を言っていましたが、それだけ憎まれ口を叩けるなら大丈夫だわと笑ってしまいました。ただ隔離状態はまだ四五日は続くようでほかの入所者の方と話ができないので母の認知症が進んでいるのが気がかりです。
2024年02月13日
コメント(0)
北陸のの寒さは太平洋側の寒さとは性質が全く違います。湿度が高い状態での寒さなので体の芯の部分に蓄積しやすいのだと考えられます。ですから食べ物も体を冷やす「甘味」を抑えて体を温める「塩味」を増やす必要があります。「塩味」は塩で摂ることもできますが、味噌でも摂れます。お味噌汁にこれも体を温める根菜類を入れて食べるのが良いかと思います。あと肉類も体を温めます。適度に肉食をするのも良いと思います。 大切なのは入浴と就寝時の寝具の断熱性です。お風呂はできれば隔日に入り、寝具は冬用の暖かめのものを利用するべきです。寝ている間の人の体は無防備なので「冷え」がどこからか入ってきます。寝室全体を適度に温める工夫もあってよいかもしれません。体が冷えると腰痛や肩こり、頭痛、だるさなど様々な障害が出てきます。お気を付けください。
2024年02月11日
コメント(0)
冬になると子供のころのある記憶を何度も思い出します。 真冬の晴れた夜、蒼い月が煌々と輝いていて大通りに出てみると車は一台も通っていない。そして道路の表面は何とも言えないクリーム色になっていて凍り付き、月の光をキラキラと反射させていました。私は弟と二人でゴム長靴を履いて道路の真ん中をスケートのようにツルツルと滑り遊んだものです。冬のとても凍てついた夜の遊びです。この時の路面の状態がキンカンナマナマ。たぶん私のあくまで推測ですが、この言葉は金沢にある金華菓子だったか何だか砂糖を薄く固めたもので魚のタイや花を象ったものを割ったときに見える内側がこの凍った路面の状態に似ていたのでこういう言葉が生まれたのかなと思っています。 子供のころの幻想的な記憶の情景。私の中の小さな宝物です。
2024年02月09日
コメント(0)
サイエンスフィクションの小説を昔からよく読んでいるのですが、そういう空想科学の世界に現実が追いつきつつあるということをよく実感します。特に最近気が付いたのが「監視社会」ということ。SFの中ではありとあらゆるところに監視カメラがあって人々のあらゆることが全て監視されている未来社会というものが描かれていましたが、現実社会も徐々にそうなりつつあるように思います。 警察の様々な事件の解決に町のいたるところに設置された監視カメラの映像記録がよく使われています。あれは防犯上はとても良いことに思いますが、もしすべての監視カメラの映像がオンラインで集中管理なんてことができるようになってしまったらそれこそSFの世界に近づいてしまいます。それは人の私生活というものが何かに支配されることにつながりかねません。怖いことです。C国なんかはもうそうなりつつあるのかもしれません。 SFに追いつくことは科学技術の進歩を表していますから喜ぶべきことなのでしょうが、人の善性だけを信じていてはダメなような気もします。しっかりと取捨選択ができる人間性の進歩というものも伴わなければならないと思いますね。
2024年02月07日
コメント(0)
先日娘に頼まれて除湿機の新しいのを購入しに家電量販店に行ってきました。北陸の冬には除湿機が必須です。特に我が家は鉄筋コンクリート造りなので密閉率が高くて湿気がこもりやすいです。冬の湿気には「デシカント方式」の除湿機が適しています。コンプレッサー方式の除湿機だと除湿能力が気温低下とともにガクンと落ちてしまいます。洗濯物が乾きにくくて除湿機フル稼働でその上に電気乾燥機も使っています。太平洋側は冬は乾燥注意報がよく出ていますが、日本海側は湿度の高い日が長く続きます。素肌は潤うかもしれませんが、カビやら何やら蔓延って冬の湿気はあまり良いものではありませんね。娘は新しい除湿機にご満悦です。
2024年02月05日
コメント(0)
当院の横の平地の大きな有料駐車場に最近、数多くの県外ナンバーの救急車や電力会社の車や水道局の車なんかが停まっています。通りの向かいに大きなホテルがあってたぶん県外からの被災地支援の方たちが宿泊していてその方たちの車だと思われます。 本当にありがたいことです。全国から被災地の復旧や支援のために多くの方たちが集まってきてくださっていて能登の道路や宿泊施設が被害を受けて通れなかったり泊まれなかったりするので毎日金沢まで戻ってまた翌日出発するを繰り返しておられるのだと思われます。そのご苦労を思うと頭が下がります。 能登は素朴で辺鄙ではありますが、優しく温かい土地です。そこが全国の皆様の支援で少しずつでも元通りになっていってくれるならこんなに嬉しいことはありません。よろしくお願いいたします。
2024年02月03日
コメント(0)
この方は陶芸家ですが、柳宗悦氏の民藝運動の協力者でもあり「用の美」というものを追求した芸術家でもあり哲学者でもあったように思います。日曜美術館というNHK教育の番組を時々見ているのですが、先日この方の特集をされていて知りました。 この方は柳氏とともに全国の農家を巡り、農具や古い農家の家屋・道具の中に「美」というものを探り求め見出していったのですが、ご自身が大工の子ということもありご自宅を一つの美術作品のように作りそこに様々な芸術家や思想家を招き深く人と交流していった交際家であったようです。 「仕事が暮らし 暮らしが仕事」「助からないと思っても 助かっている」等々結構面白い言葉を残していらっしゃって版画家の棟方志功氏とも深く交わって仲が良かったようです。番組を見ていて、また記念館になっているご自宅の様子などを見させていただいていると何だか昔々の古い日本家屋のあの懐かしい匂いが漂ってくるようなそんな気持ちになりました。
2024年02月01日
コメント(0)
全15件 (15件中 1-15件目)
1