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先日は夏日の日があったと思うのに、今日は寒の戻りで冬の寒さに逆戻りです。早咲きの桜や梅は咲き始めていて家の周りの木々も少しずつ芽吹き始めました。白鳥たちや冬の渡り鳥たちはもうすでに日本を離れて営巣地へ旅立っています。金沢は雨の多い、雪の多い土地柄でしたが、最近の異常気象は日本の場所を選ばず豪雨や豪雪を生み出しています。 常に自然災害に備えて行かなくてはならない国土なのだと実感しています。備えあれば患いなしとは言いますが、庶民は十全な準備などをすべてできるわけがありません。行政がそういう部分も自己責任と言わずに行政責任で面倒を見てくれるといいのですが、なかなかそういうわけにもいきませんね。少しずつ準備をしていきましょうかね。
2025年03月30日
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最近のニュースで一年間で全国に無縁仏が4万人になったと載っていました。私の母は料亭を経営していたのですが、その時のお客様の中に流れの大工さんがいて何かとお世話をしていました。身寄りのない人でとても人の好い方でしたが、お酒で身を持ち崩し最後は病気で亡くなりました。母が葬儀一切をお世話したのですが、そこで市の対応を聞いていた母は遺骨がゴミとして捨てられると聞いて矢も楯もたまらず遺骨を引き取り、知り合いのお寺さんに納骨して永代供養をお願いした経緯がありました。 今はどこの自治体もそういう無縁仏用の共同墓地に埋葬しているらしいですが、一昔前までは無縁仏の遺骨は「ゴミ」扱いだったわけです。何とも世の無情を感じることでした。
2025年03月28日
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今朝の日経新聞に興味深い記事が掲載されていました。それは人が死の間際、人工呼吸器を外された後も6~9分間、脳の活動が続くことがあるというものでした。脳死という判定がその場では身体の外からしかされないものである限り、呼吸が止まっていても脳は活動を続けている場合があるのかもしれないということです。救命活動によって息を吹き返す方もおられるわけですから、もしかしたら「死」の間際というのはもっと曖昧なものなのかもしれません。 臨死体験というのはこの呼吸が止まった後の脳の活動が見せているものなのかもしれません。だとしたら死後の世界というのは脳が見せる幻覚ということになるのでしょうか? 「氣」というものが科学的に証明されているということは全くありません。いや命というものの定義自体がまだ曖昧なもの何かもしれないと思います。私は人という存在が一瞬で終わるものだとは思っていません。また生命というものが地球全体で何某かのエネルギーで繋がっていることは確かなことだと確信もしています。 死というもののこの「余白」は何かを人に伝えているものなのではないかとフト思ってしまいました。
2025年03月26日
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NHKの特集番組で「新・ジャポニズム」というのを見ました。最近のJ-POPの世界進出の様子を描いていたのですが、そのほとんどの楽曲にボーカロイドが関わっていました。ボーカロイドというのは日本が開発したコンピューターソフトでパソコン上で誰でも自由にボーカル付属の楽曲が作れるものです。初音ミクが有名ですよね。 ボカロPと呼ばれる作者が席巻しています。そして世界に拡散しているJ-POP。そして世界が何故その楽曲に魅了されるのかという理由が興味深かったです。それは音そのものに「空」があるということ。機械が作り出す音だから人の余計な感情や強制的な気配が希薄でその余白に逆に感情移入できる余地が生まれていて、聴く人によってそこに没入感が生まれるというわけです。それを知ったときに私の中に出てきた言葉が「色即是空 空即是色」という般若心経の一節でした。世の中の森羅万象はある意味「空」でもあり、「空」であるところに全ての「意義」も入っている場合がある・・・という意味の一節です。 世界が般若心経で理解できるのかもしれないと何となく思ってしまいました。
2025年03月24日
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母が入居させていただいている老人ホームは区別でいうとこういう名称になるらしいです。それでも毎月の費用は20万円くらいにはなります。母の年金があるのでそれほど負担にはなりません。 しかし他の入居者の方たちを見ていると何だかご家族からのアプローチがとても少ないように見えます。先日はいつものように母に差し入れと洗濯物を持っていったら介護フロアの入り口のところに見知らぬおばあちゃんが車椅子に座ってこちらを向いておられて、私を見ると何とも情けない声で「私をここから出してください・・・」とおっしゃいました。二度です。何ともやるせない気持ちになりました。母に聞くとほとんどご家族の接触がない入居者の方が結構おられるようです。ご本人の性格や生き様も原因としては在るのかもしれませんが、若干姥捨て山のような感じもしてしまいます。母のところには10日に一度は差し入れに、そして6週ごとに病院への通院を送迎しています。送迎の折には近くの卯辰山を一周したりして花見をしたり、お墓参りに行ったりしています。
2025年03月22日
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毎日同じことの繰り返し・・・とは思っていても「同じ一日」というのは二度と無いのも本当のこと。日々新たな気持ちで一日一日を大切に生きて行かないとと思っています。 毎日お迎えするお客様にとっては当院での短い時間はとても貴重な時間。心と体を整えて次の日からの生活に備えなくてはならない重要な時間です。こちらも真剣に誠実にお客様の体と心に向き合わなくてはならないと心に誓って施療させていただいています。 まぁ一日一日が修行だなどとは思いませんが、心の訓練くらいには思って心を整えています。自分自身の氣の流れを意識して全身に万遍無く流れ続けていることを確認しつつ生きて、生かされている毎日です。
2025年03月20日
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タイヤ交換をしようと思っているのですが、休みのたびに天候が悪化してなかなか交換ができません。自分でタイヤ交換はしているのですが、タイヤのサイズが結構大きいので段々しんどくなってきました。本当はディラーさんにお願いすればよいのですが、ホンダさんは休みが当院と同じなのでうまくいきません。まぁ年齢的に難しくなってきたらお願いする形になるのでしょう。それでも何だかタイヤ交換もオイル交換も自分でやっていた若いころの記憶があって意地になってしまっているところもあるように思います。まぁのんびりと良い天気の休日を待ちますか。
2025年03月18日
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お客様の娘さんが悪い男に引っかかってずっと苦労をされていました。私も早く別れたほうが良いとアドバイスしていました。それが最近やっと別れることが出来たのですが、別れた後でその男の人からもらっていたお守りを処分し忘れていてパパさんに処分してほしいと渡したという行為の後で、当院に来られてそのパパさんを視たら何だか変なものが憑いているのが視えました。 水木さんが描くところの「濡れ女」という妖怪に似ていました。顔がざんばら髪の口の裂けた女の顔で胴体が蛇でした。だいぶ小さくなっていましたが、質の悪いものと感じたのでそのパパさんには厄除けのお守りをお渡ししました。その時に前述の成り行きを聞き、あれは別れた男の人の「色情の念」が具象化したものなのだとわかりました。男の人でも心根がしつこい女性のような執念を帯びているとああいう形になるんだと悟りました。 お守りは神社へ持って行って処分してもらうようにお願いしました。パパさんの娘さんに対する愛情の道を通って憑いていたのだろうと推察されました。
2025年03月16日
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TV番組で「博士ちゃん」というのを時々見ています。先日のその番組で音楽特集で「最近のJ-POPの曲は転調が多い」という疑問が投げかけられて、それは現代の視聴者が昔ほどじっくりと音楽を聴くということが無くなって、次々と曲を変えて聴き続ける感じになってきているから、曲自体が飽きさせないために転調を繰り返すのではないかという推理がなされていました。いうなればエンタメにおいて忍耐力が欠如して持続力が無くなってきているということ。一言で言えば「飽きっぽい」よく言えば「マルチタスク」かもしれません。 人は進化なのか退化なのかどんどんと変わっていっています。良くなった部分もあれば、昔の常識が通用しない変わった人種も増えています。人はどう変わっていくのか?変わっていった末に何を見ることになるのか?恐ろしいような、楽しみなような複雑な思いを抱く老人がここにおります。
2025年03月14日
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14年経ちましたが、今でもあの日の悲惨な光景は目に焼き付いて離れません。日本という国に住んでいる限り「明日は我が身」と覚悟を決めて東北の地の復興を願って止みません。しかし我が県の能登にも大地震が襲いました。洪水も襲いました。辰年はひどい年になりました。今年の巳年はどうなるのか? 昨日お客様のある程度そういう感覚の鋭い方と話し合っていたら「渦巻」というキーワードが浮かんできました。今年はこれがポイントになるかもしれません。火災旋風、台風、地下の浸水による渦巻状の土砂吸収、巳年の蛇のとぐろを巻く姿が何だか気になって仕方がありません。災害や災難が小さく済むように願っています。
2025年03月12日
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石川県全般で使われているかどうかはわかりませんが、先日NHKの72時間という番組で能登の珠洲市の銭湯が特集されていて地元の人が方言丸出しで話していて、私は何の違和感もなく聞いていたのですが、他の地域の人には田舎らしい言葉ぶりに聞こえただろうなぁと思ったものです。 そう言えば金沢では(もしかしたら私だけかもしれませんが)「寒い」を「さぶい」と言ったり深い雪に足を取られることを「ごぼる」と言ったりします。当たり前に使っているので「ほうやぁ」という相槌のように普段は全く気にしません。身内だけになると方言というのは普通に出てしまうものです。 金沢という土地は保守的でちょっと京都あたりと似ていて他地域の人を容易に受けいれないところがあります。方言が普通に使われれば受け入れられたと思ってよいのかもしれませんね。
2025年03月10日
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ずっと前に肝硬変のお客様を視たことがありました。氣視すると臓器の周りが光の針で囲まれていてピカピカに光って視えました。すい臓がんの末期のお客様を視たこともあります。こちらはもう身体全体が薄い黄色の靄(もや)に包まれているように視えて、あぁこういう風に視えるのかと驚いたものです。人の身体というのはその人だけの状態を視せてくださいます。診断というのはお医者様にしか許されていません。私達民間療術師が診断を下すことは決してしてはいけないことになっています。ですから私は東洋医学の見地、氣の状態、そういうものから判断してお客様に「これは病院で一度しっかりと診ていただいた方が良いと思います。」とお伝えすることにしています。中にはそれで腫瘍が見つかり早期に処置されて治られた方もおられますので、少しはお役に立てているかなと思っております。
2025年03月08日
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というタイトルのDVDを久しぶりにレンタルして見ました。30年くらい前に見た作品です。高校時代の友人のメールにこのタイトルがあって懐かしくなって借りてしまいました。 ドラムばっかり叩いている女の子と自動車整備工場でバイトしている絵を描くのが趣味の男の子の物語です。どちらも学校では変人で名が通っていてカーストの最底辺にいる子たちです。男の子が学校一の美少女に恋をしてアタックして振られるけれど、そのいつも隣にいる女の子の気持ちに気づき、自分の本当の気持ちにも気づき二人は結ばれるという何とも普通のラブストーリーです。 でもそれが何ともノスタルジックで、切なくてとても良い作品になっています。誰が誰に「恋しくて」なのか・・・そこのあたりがとても深いものを含んでいて・・・そこのあたりは見てみないとわかりません。興味があれば見てみてください。
2025年03月06日
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毎日お客様の身体に手を通して繋がって仕事というか商売をさせていただいています。だから人と繋がるということに何の違和感もないかと言えばそうでもありません。お客様一人一人皆、それぞれに違う「氣」を持っておられてそれぞれに悩みや苦しみや喜びを持っておられます。それを日々感じて生きさせてもらっています。それは毎日小さな本の表紙を1ページだけめくるようなものです。楽しかったり苦しかったり重かったりします。 それでもお客様の心と体がちょっとでも楽になればよいとそれだけを願って日々お仕事をさせていただいています。本当にありがたいことです。
2025年03月04日
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輪廻転生、生まれ変わりがあるとするならどんな意味があるのか?という疑問は誰もが持っているのかもしれません。美輪さんや江原さんにお聞きすれば明確な答えが返ってくるのだろうとは思いますが、それはその人の意見であって真実かどうかは誰にもわかりません。 つらい人生を送っておられる方たちは何でこんな人生を送っているんだろうと、勘弁してくれと思うかもしれません。魂なんて消滅してほしいと願うかもしれません。 でもね、それでもその人生には何らかの役割が与えられていると思うんですよね。きっとどこかで何かの、誰かのお役に立っているんだと思うんですよね。そういう「何らかのつながりあい」で人も生き物も生きているんだろうと思うんですよね。一瞬の、ごく一部の何かの誰かのためになって「在る」ために生きているんだろうと思うんですよね。 だから頑張って最後まで這いつくばっても生きようと思うんですよね。
2025年03月02日
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