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こちらは東京・吉祥寺にスクールを構えておられた永井先生とのご縁です。永井先生の「動禅指圧」という著書と出会い、電話で連絡を取り高速バスでお伺いして2年間ほど毎月のように通って師事させていただきました。今の私の技法の基本はすべて永井先生から教わったものになります。永井先生は「沖ヨガ」という日本に最初にできたヨガの教室の治療担当をされていた方で、とても気楽で愛他精神の強い方で、スクールには常に障碍者の方が習いに来られていました。和気藹々と常に十人近くの方がスクールにはおられて、お互いに技法を教え合っていっしょに食事もして「私塾」のような雰囲気でした。先生から学んだ技法は私の基本になり、その上にタオ指圧の技法が重なってある程度の完成形を為したと言えると思います。永井先生はニ、三年前に亡くなられました。まだ70歳代だったと思います。 深い感謝とご冥福をお祈りします。
2025年11月30日
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市内の書店の専門書フロアで何か「氣」に関わる本を探していた時に出合ったのが遠藤先生の著書「タオ、気のからだを癒す」でした。本格的な経絡指圧の専門書でしたが、先生の書は読みやすいのが特徴でするすると内容が頭に染み込んできました。これだ、と思って早速ネット検索をして先生のワークショップが京都で開かれていると知りすぐ申し込んで受講しに行きました。幸いなことに先生に直接師事させていただけて外国人受講生が三分の一もおられる不思議なワークショップでしたが、タオ指圧の一端に触れさせていただきました。 それから三回ほど受講させていただき、私には無理という内容になってきたので途中で断念しました。合気道の技術がとても複雑に絡んできたのです。先生の「氣の経絡指圧」は合気道の技術がとても重要になってきます。武道は難しいです。 のちに私は氣を自分の中に取り込む技法を先生の技術から導入して私独自の技法としていきました。少しずつ経絡の姿が視えてきたのは20年近く経ってからです。道はとても遠いです。先生ありがとうございました。
2025年11月28日
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今年ももう後一か月余りになってしまいました。毎年言っているかもしれませんが、歳を取ると一年があっと言う間です。今年の記憶と言えば「暑すぎる夏」しか無いような・・・。いえいえ今年も施療過程の中で様々な発見があり、施療に応用するべき技術も見つかりました。施療に関しては日々新たということが実感させられます。どうもこの仕事は私の性分に合っているのだなと改めて思います。こんな事なら大学を出たらすぐに専門学校へ行って鍼灸の国家資格を取れば・・・などと思いますが、いろいろな就業経験も私の血肉になっているのだろうとも思います。何事も今の自分と周りの皆様に感謝して生きていくしかないようです。少しでもお客様に楽になっていただけたらと願って日々精進していこうと思います。もうすぐ令和7年が終わります。ありがとうございました。
2025年11月26日
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私は昭和32年生まれなので戦争の記憶は全くありません。ただ年寄りの昔話や祖母の家に行ったりすると軍服を着た遺影があったりするのがわずかな戦争の名残のように思えます。金沢は空襲に遭わなかったので街中には全く戦争のにおいは在りませんでした。 ただ卯辰山という金沢の町中から続いている丘陵というか低山というか、今は公園化していますが、そこに土崖に穴が掘って在って両親に聞くとこれは戦時中に掘られた防空壕だという事でした。それから五木寛之さんの小説に書かれている内灘砂丘という海岸沿いに行くと弾薬庫の跡がコンクリート製のものが何棟か残っていました。 そういう戦争の残骸と両親の生き方や暮らしぶりの中に物の無い時期の名残のようなものが感じられて「戦争」というものが人や町に残す残骸が何十年と残り続けていくことに何となく人の罪深さを感じて儚く思います。
2025年11月24日
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人から神氣というものが立ち昇っていることを視ることがあります。前世で神官をされていたり神社と関係があって神様ととても近い関係であった方などに時々視られる現象です。 神氣はうらぶれて人もあまり来ていないような神社やお社で視ることもあります。それと名所になっていない巨岩や巨木の近くでも視ることがあります。人の根本に近いものではありますが、人の俗気というものを嫌う傾向があるように思われます。人が欲にまみれると神氣からは遠ざかるという事でしょうか?
2025年11月22日
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施設に入居する母と電話で祖母の思い出を話していたら思い出したことがありました。母方の祖母はとても明るくほがらかな人で92歳まで生きていました。幼いころに祖母のいる母方の実家に兄弟で泊りがけでよく遊びに行ったものです。近くの神社に大きなお祭りがあって屋台が並ぶものですから、お小遣いを少しもらって行きました。 祖母が家の中で家事をしながらよく唄っていたのが「越中おわら節」です。「♪越中で立山ぁ加賀では白山♪駿河の富士山三国一だよ♪」というものです。祖母は働きづめの生涯でした。貧しい家に生まれ育った人でしたが、常に民謡を歌ってほがらかに生きた人でした。母も同じように働き詰めの人生でしたが、民謡を歌うことが唯一の趣味です。親子ですね。
2025年11月20日
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手や足がこわばって動かしにくくなるというお客様の主訴がありました。整形外科や脳神経のお医者様でもわからないとの事。いつものように一番こわばりのひどいという腕の部分に触って氣の流れを視てみました。右の肩甲骨の背骨よりのところに氣が繋がって視えました。タオ指圧の反射区で言うと「胆」の経絡の反射区になります。遠藤先生の著作の中に「胆実」の症状に「手足のこわばり」というものが書かれていました。そこで反射区を押圧してみると少し痛みがあるようです。それで身体の前面と背中の「胆」の反射区に磁気鍼を貼って様子を見ることにしました。これで停滞している胆の氣が流されていくと手足のこわばりも寛解するはずなのですが、良くなることを願っています。 ちなみに「胆」の経絡は神経痛のような症状を身体の関節を中心にして起こす傾向があり、現代の象徴的なトラブルメーカーですね。
2025年11月18日
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たぶん中国の古い怪異話に出てくる虎=寅のイメージが悪いものや強いものとして描かれているので私の中でそういうものとして固まってしまったてのかもしれません。タイガースファンの方たちには誠に申し訳なく思います。氣視の中で「虎」は災厄として出てきます。だからこれが出てきたときはためらいなく浄化を行います。そんなものに見舞われるのはだれも勘弁願いたいと思っておられるだろうと思います。 たぶん「鬼門」というものが方位学的には「丑寅」の方角になることも寅が悪いことの象徴とされることにつながっているのかもしれません。何しろ天狗や狐とは桁が違う災厄なのですぐに浄化してしまいます。私の浄化では大災厄が小災厄くらいにしか出来ませんが、それでも何とかやっております。
2025年11月16日
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ある光景を鮮明に覚えていることがあります。子供のころ家の近くの川べりに映画館が二つ並んで建っていました。北國シネラマと北國第一という名称だったと思います。そこから多くの観客が退出してきて若者を中心に何だか所々で変な格好をして「キェー」とか言いながら踊っています。どうもカンフーの真似をしているらしかったです。そう「燃えよ、ドラゴン」というカンフー映画を見てきた観客たちでした。後で私も見ましたが、衝撃的で格好良くてこれは流行るなと思いました。ブルース・リーはこの一作でスターになり、そして若くして亡くなってしまいました。 この映画館では未知との遭遇やらスターウォーズやらも見ました。映画館から外へ出ると浅野川の川べりで開放感のあるシチュエーションのこの映画館が好きでした。その頃は金沢市内に5、6館以上の映画館があったように記憶しています。
2025年11月14日
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時代小説はSF小説の次くらいに好きなジャンルで、数多くの書籍を読み学ばせていただくこともいっぱいありました。 池波正太郎さんの「剣客商売」なんかは大好きで単行本で全巻揃えています。池波さんから学んだのは「恩は着せるものでなくて着るもの」ということ。人への善意の行為もそれが恣意的なものになればなるほど価値はどんどん下がるのだろうと悟りました。我を捨ててこそ善行には多少の意味が出てくるのだと思いました。 またある作家の作品から「戦人」の仕様というものを知ったこともあります。何か事を為そうというときに戦人は二段構え、三段構えに策をめぐらすものということ。一段だけでことを為すのは負けにつながることが多いわけで、これがダメなら次はこれ、それもダメなら次はこれくらいを用意してことに臨まなければことを為すことは難しいということをこれで知りました。 書物から知識を得るのは楽しくもあり難しくもあるということですね。
2025年11月12日
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最近は自然現象が過激になってきていますが、そのせいなのかどうなのか神様が身近に近づいてくることが多くなってきています。先年は龍神系が地に潜り、今年は雷神が空を走り、それ以前には素戔嗚尊様が世界を走り回っておられました。地にも空にも乱を呼ぶのが神様の特徴でもあります。異常気象や戦乱が神様を呼び寄せているのか、神様が逆にそういう現象になってしまっているのか、人の身では分かりかねるところです。 しかし雷神は武御雷の大神でもあり、鹿島の神様でもあります。「鹿島立ち」という物事の始まりを神様が祝うという言葉があります。清々しく晴れ渡った青空に突然雷音が鳴り響く、心を新しくしてことに当たれというご神託が今、伝わってきているのかもしれません。二日ほどログインできませんでした。今日復旧。
2025年11月11日
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日経新聞の連載でチューリップの財津和夫さんが文章を書いておられて、それに触発されて自身の初めての洋楽を思い出しました。以前にも書いたことがあるかもしれませんが、亡くなった従姉のレコードで聴いたビートルズのデビュー曲でした。 何だか騒がしいけれど何だか心のどこかの急所に無理やり何か硬くて奇麗なガラス容器をねじ込まれたようなそんな感覚がありました。受け入れにくいけれどきっと受け入れたら素晴らしいものが心の中に生まれるかもしれないというような矛盾した感覚があったものです。その後はグレン・ミラーやら何やらいろんな洋楽に心をさらされていきましたが、今はエンヤのミュージックに行きついてそこに浸りきっています。日本の音楽には逆についていけなくなりました。私は勝手に音楽にはどうしても安らぎを求めてしまいます。これも年齢のせいだろうと思います。今の日本の音楽には一部を除いて安らぎがありません。残念です。
2025年11月06日
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最近お客様を浄化させていただくことが多くなりました。自然環境が厳しさを増していく中、不安定で不確かな人間社会の中であらぬ念を飛ばす方もおられれば、闇に近いポイントに知らないうちに近づきすぎる方もおられたりして、総じて暗いもやもやに取りつかれておられる方が多いのです。 音叉による浄化と癒し、切り火による新たなる浄化の方法がわかったのもこういう状況になるだろうとあちらの世界の方たちの導きがあったのだろうと思います。毎朝施療コーナー全体をお香で浄化しておかないとどんよりと穢れが溜まってしまうように思います。心はいつも清潔に誠実に保つように心がけて行こうと思っています。
2025年11月04日
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朝の散歩のときに近所の川べりを歩くことを止めています。川べりまで下りないで上の道路を歩いています。薄暗い時間だということもありますが、やはり熊が怖いです。他に歩いていられる方も熊鈴を付けて歩いておられます。私の住んでいるところは町の中心部ですが、最近は川を下って降りてくることも考えられるので安心はできません。金沢は街中まで自然が豊かなのが良いところなのですが、こういう場合は不安材料にしかなりませんね。 つい先日も近所のお寺さんの前で1メートルを超えるイタチが車に轢かれて亡くなっていました。近くの兼六園にも狸が出るとかでないとか・・・。自然が身近にあるのは良いことなんですがね。
2025年11月02日
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