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明日からしばらくの間、留守をします。 アイルランドの旅は、もう少しで終わりそうなんですが・・・。 帰ってから、続けるかどうか今は決めかねています。 1ヶ月の今頃アイルランドにいたことがず~っと昔のようで どんどん変化していく私には思えます。 アイルランドへ行って過去の人生を開放できたことは確かです。 同じツアーの人が、毎朝飲むコーヒーのためにマグカップを買っていました。 そうするといつも毎朝アイルランドを思い出せるからだそうです。 それを聞き、私は、毎朝なんか思い出したくないゎ~!!とすぐに反応して 思いました。 フィンランドへ行ったときは、いつでもどんな時でもこのラップランドを思い出したい!! と思ったものですが、アイルランドにはそれほどの感情はわいて来ませんでした。 また、いつか来ることがあればケルズの書をゆっくり、見たいともいます。 では、しばらくお休みです! 詳しい予定はBBSを見てください!!
2005年09月28日
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翌日は、空が天まで抜けるほど真っ青。いい天気。自然と心も軽くなってくる。目指すキャッシェルは、リムリックから南東の方角で距離は約60km。バスの窓から見える景色が、今まで通ってきた地方と少し違っている。南の方だから??石垣もみられず、広々とした緑の草が広がっていて明るい感じがする。ロック・オブ・キャッセルの駐車場には、1台の車も無かった。もう、アイルランドですることも終わってしまい、期待もせずにここへ来た。駐車場から建物を見上げる景色は、チベットのラサにあるポタラ宮を見上げたときと同じ目線だった。青い空を背景に、今から向かう建物が見える。へ~!すご~い!そんな感覚。高さ90mの石灰岩の丘に堂々と経つ要塞は、したから見上げると迫力がある。ポタラ宮もそうだけれど、権力の象徴として栄えた場所にはそれだけの威厳というか迫力と言うか、そんな波動が残っているのが分かる。今は、崩れかつての面影の半分の 様子も残していないロック・オブ・キャッセルにもそれは、漂っている。かつて、ここは、1000年以上もの間王室と宗教の権力の象徴だったそうだ。1101年に教会に手渡され、大司教区でもあり、宗教の中心としてクロムウェルの侵功まで栄えたそうだ。坂を登って建物に近づいていくと、カラスのような鳥の群れがこの建物に住みついている事がわかり、なんだかそれだけで歓迎されているようでうれしくなってきた。28mの塔や教会の跡など石作りの建物は見ごたえがあった。しかし、見学するときもその鳥が、巣から出入りしていて、とても気なり、上ばかり眺めていた。ここの礼拝堂だけには、ガラスのドアがつけられており中への出入りにはそのドアを開け閉めするようになっていた。ドアを開けて中へ入ると少し湿気ていた。内部の壁面には、フレスコ画の跡がかすかに残っていたので、きっとこれを保存するために外気が直接あたらないようにしているのかもしれないけれど、人が出入りするし、そんなに役に立つようには思えなかった。ほとんど剥がれ落ちていたフレスコ画の傷みは、イギリスの宗教的な侵略によって時間の経過以上にそれが進んだように思えとても残念だった。屋根の無い大きな聖堂の跡や、城壁など見終わると、ほとんどの人がここの歴史のビデオを見に行った。私は、なぜかあのかび臭い礼拝堂が気になり、ひとりでそこへ戻った。礼拝堂では、30人ほどのドイツ人観光客がガイドの説明を聞いていた。その人たちが立ち去ってから、ゆっくりと天井や壁を見ていった。この礼拝堂の入り口にケルトの模様が刻まれた石棺があった。棺として使われたのだろうか?もしそうだとしたら、いったいどんな人がここに、眠っていたのだろう?それを撮ろうとシャッターをきった時に流れて行く精霊の光をレンズ越しに見ることが できた。それは、今まで、いろんな形で写真に写ってくれた精霊が光の帯になって私の前に現れた瞬間だった。えっ~今の何??本当に息が止まるほど驚いてしまった。そして、うれしくなった。後でその写真を見るだけで喜びで顔がほころんでしまうほどに。ロック・オブ・キャッセルをあとにするとき、駐車場から見上げるとたくさんのカラスたちが建物の周りを飛び回っていた。う~ん!!ここにもやっぱり来る必要があったんだ!!<<この写真はチェレステ>>に載せています。是非、見てください!!
2005年09月26日
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9月20日~24日の5日間、アート・オブ・リビング主催の呼吸法のワークへ参加してきました。呼吸は、私たちが自分の意思でその動きを左右できる唯一の 内臓の働きです。私の仕事のヒプノ・セラピーでも深い呼吸は、ヒプノ状態に入るのにとても大切なポイントになります。怒りや恐怖などの感情の波を深い呼吸によって、穏やかな方向へ切り替える事が出来る力も呼吸にはあります。そんな、こんなで呼吸だ~!!と思っていたら、呼吸法のワークが見つかりすぐに参加することにしました。私は、直感人間なのでこれだ~!!と思ったら、まず申し込んだり、行動を起こします。あれこれ、悩むのはその後。そうしないと、悩んだり考えていたりしても前へ進めないからです。それに申し込んで しまえば、行く方向へ必ず進めます。この繰り返しを何度も体験してきた今は、だんだん悩むことも少なくなってきています。 ウジャイ呼吸・バストリカ・スーダルシャンクリアは、このワークで、初めて知った呼吸方法です。どれも新鮮でした。初日に清明という字が浮かんできました。これらの呼吸法をすることで細胞の中から活性化して、体の中が空っぽの箱のような何にもない、感覚を体験しました。バストリカは、とてもパワフルで体の中心から熱いエネルギーが放射状に広がって行く!そんな感覚になります。スーダルシャンクリアは、初めてのとき足が痛くて、もうやめて!と思いました。次の日は、楽しくやろう!そう決め望みました。座り方も楽なようにして。息を吸う、吐くとリズムにあわせていると体が自然に波打つように動き、それ任せて呼吸を続けると楽しい気分が 湧き出して、う~んこれもやっぱり意識的に焦点をあわせてするといいんだ!!と実感しました。プラナヤマ(ウジャイ呼吸・バストリカの組み合わせ)の後にオームを3回唱えます。その時、ア・オ・ンの音が、体のお腹から胸へそして頭へと伝わって行くのがはっきりと感じ取ることもできます。それほど、感覚も精妙になっているようです。宿題で習い始めてから、毎朝これらの呼吸法を実行しています。呼吸方をした後、今までとは違う感覚が確実に自分の中で起こっているのが分かります。たかが、息を吸う・吐くそれだけのことですが、そこにはすご~い鍵があることがはっきりと分かります。ワークが終わり、「これからこの呼吸法を60日間、毎朝続ける」という宿題があります。 やってやる~!!できれば、ず~っとやり続けるぞ!って思っています。
2005年09月25日
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モハーとは、ゲール後で「廃墟になった崖」を意味し、かつて要塞として使われていたそうだ。18cのナポレオン戦争で破壊され、その後の領主・オブライアンがオブライアン塔を建てた。この塔が一番高い場所になり、はるか遠くまで見渡せるそうだが、天気も悪く、登るほどでもないという言葉に登るのはやめた。雨もほとんど止んで、バスはモハーの崖を後にした。この時、今回の旅で初めてバスの中での頭痛と吐き気がしなくなっていた。これで、本当に開放されたんだなと納得できた。次の訪れたアデアは、アイルランドで「最もかわいい村コンテスト」で1972年に優勝したそうだ。もう、随分以前の優勝を今も引っ張ってきてるんだな!ここには、小人や妖精が今にも出てきそうな、わらぶき屋根のかわいい家が並んでいる。ほとんど土産物店かカフェのようなお店だった。モハーの断崖の印象が、余りにも心に強く残っているからだろうか?この村を訪れても余り感動は、なかった。ただ、かわいい村。昔の様子を残している観光地そんなふうにしか感じられなかった。アイルランド歴史は、侵略に次ぐ侵略の歴史と言うことは以前にも書いているが、リムリックには、条約の石がイギリスの裏切りのシンボルとして残っている。クロムウェルの侵略の40年ほどあとにイギリスと戦い当時のウィリアム3世がカトリックの信仰の自由と地位の保証を認める条約をここリムリックで結びこの石がシンボルとなった。しかし、議会でそれが認められず、信じていた丸腰のアイルランド はイギリス軍に攻め込まれた。それでこの石はイギリスの裏切りのシンボルとなっている。最初に訪れたクロンマクノイズの遺跡をはじめ初期キリスト教の遺跡のほとんどもイギリス軍によって破壊されているそうだ。遺跡としての修復はしても、そこを建て直したり、手を加えたりしないのは、イギリスの侵略を忘れないためだそうだ。アイルランドが、イギリス連邦から正式に脱退できたのは、なんと1949年。宗教の対立。植民地政策から抜け出るのには、本当に大変だったと思う。リムリックのホテルへ着くと、大きなカラスが一羽こちらを見つめていた。私を出迎えてくれたのだ!よくやった。勤めを果たしたね。そう言っているようだった。
2005年09月20日
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緩やかなのぼり坂になっている道の左側は、遊歩道を作るための工事のために私の背よりもはるかに高く金網の柵が張り巡らされておりそちら側へは、行くこともできないようになっていた。これには、ちょっと気分がそがれてしまった。ま~ぁいいか。とにかく早く早くと気持ちが心の奥の深いところからせきたてられるように足早に歩いていくとあのパンフレットで見た風景が目の前に広がってきた。緑の大地の先に切り立った崖がそびえ連なっている何度も見たあの景色。あ~っ!やっぱりここだったんだな!私の知っている懐かしい場所だ。肉体を持った状態でここへ来れるなんて!すご~い事だ!お腹のそこから沸き上がってくる喜びが深い呼吸と共に体全体に広がって行く。至福のひととき。ここの岩肌は、はっきりと地層が分かる。そしてこの風の強い崖の岩棚には海鳥が巣を作っているのか?すいすいと風を切って飛んでいた。今、ここで鳥になって風を味わってみたい!強く思った。それと、以前ハワイ島のワイピオ渓谷へ行ったとき、心に浮かぶ風景によく似ているのと緑と海と空と渓谷の美しさに心が震えたが、ここでは、なかったんだというちょっぴりがっかりした気持ちも思い出してきた。だから、今回より素直により深く喜ぶことが出来たのだと思う。ここは、昨日行ったイニシュモア島のドン・エンガスの遺跡と比べられないほど崖の高さは高く200mもある。雨は、止んできたが風が強く身体を傾けないと歩けないほどだ。その強い風にあおられ海水が細かい霧雨のように降き上がってくる。雲かその霧雨かがかかり、遠くのほうまでこの崖の全体を見渡すことはできなかったが、添乗員のMさんは、この状態でも「ま~よく見えているほう。」だと。突風のような風も時々吹くため、板のような薄い石で出来た柵を持たないと立っていることが出来ないときもある。だから、崖っぷちへは、行けない。穏やかな天候なら、この柵を乗り越え崖の下を見たい!この崖の全体をもっと遠くまでを見たいと思った。昨日、虹を見たときのように何枚も何枚も写真を撮った。写真と言う映像で、この崖の記憶を私の中にずーっと留めておきたかった。ここで、私は北海道のチセ・ヌプリで授かった石を海に向かって投げた。その時横にいた外国人の高校生ぐらいの男の子が、私の方を見たけれどにっこり笑い返した。これで、アイルランドですることは、全て終わった。お役目から開放された。そんな安堵の気持ちで心が軽くなってきた。
2005年09月19日
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雨の中、入り口から少し歩いて巨人のテーブルに到着した。広がった石灰岩の土地にぽつんとただ1つ立っている。不思議な風景だ。巨人のテーブルと呼ばれていはいるが、ここからたくさんの人骨が発掘されておりここはお墓だったとされている。遠くから見ていると写真で見るよりも小さいように思えたが、だんだん近づくと奈良の石舞台ほどの大きさかな~と思った。このドルメンの3mほど手前から綱が張られており 手が触れるほどの近くには行けなかったのがちょっと残念だ。その石に手を触れると何かが、伝わってくるかもしれないから・・・。雨は、激しくはないけれど風がすごくって折りたたみの傘はすぐに変形してしまうほどだ。張り巡らされた綱を乗り越えこの石の下で雨宿りが出来たらどんなにいいか~!古代からず~っとここに在ってここで起こった様々なことを見てきた石の、少しでも近くへ行きたかった。石と話もしたかった。そして、他の人から目立たないように、注意しながらここにも聖水を撒いた。お天気のせいか?ここに来ているのは、私たちのツアーとあと家族連れだけだった。たくさんの人が、ドルメンを取り巻いて見ているのもちょっと嫌だけれど、人が少ないと妙に寂びしい感じがする場所だった。バスは、モハーの断崖を目指す。雨は、まだ降っている。モハーの断崖は、日本の旅行パンフレットに必ず掲載されているほど有名なところだ。 今年の2月にイタリア行きを決めるまで、この断崖の写真が心の留まることはなかった。 その時、あ~イタリアの次に行くところは、ここなんだなと分かった。それは、ずーっと以前から、目をつぶると時々浮かんでくる断崖。鳥の目線で見ている私。どこまでもどこまでも続いている断崖の横を飛んでいる私。その断崖が、ここだ!っとはっきりと分かった時でもあった。バスを降りて、モハーの断崖を目指して歩いていく。風が強くて傘をさせるような状態ではなかったのと、雨がだんだん小降りになって来たので、傘を持たずにずんずん歩く。私が目をつぶって見たのと、写真で見たのと、実際とではどうなんだろう?早くみたい!それだけだった。有名な観光地だけにあって、駐車場にはたくさんの車とバスが止まっていた。(たくさんといっても、今まで行った所と比べてと言う意味で日本のたくさんとは程遠い数だ。)同じツアーの母子3人組みは、雨が降っているから行かないそうだ。ちょっと驚き!! せっかくここまで来たのに、行かないなんて!!ただ、目で見る観光のためだけに来てるのだとしたら(ほとんどの人はそうだと思うけど・・)そんな行動もいいのかもしれないな~。でも、私はそこへ行って見るだけではなく、風を感じたり、音を聞いたり、そして自分のハートがどう感じ何を思い出すかにポイントを置いているので、絶対に行って体験したかった。
2005年09月18日
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今日は、私の大切 な人が亡くなった日です。 もう、4年の月日が経ちました。 その時、感情をとても客観的にみてしまい心がどれほど悲しんでいるのか ということを分かろうとはしませんでした。 でも、心は壊れるほどに悲しんでいました。 翌年は、チベットのカイラスへ向かうために15年前のランクルで移動中でした。 なんと、その日は毎日移動して行くテント暮らしの旅のあわただしさの中で すっかり忘れていました。 日本からはるか離れたチベットの地でそっくりな人に出会い、それで命日を 思い出す事ができました。世の中って信じられないことが起こりもんだ~! とその時は、思っていましたが、今ならそれも当然のことだと思えます。 なんと明日は、父の35日の法要です。 (49日は、お彼岸に係りお寺さんが来られないからですが) 父は、3月21日の彼岸の入りに生まれ、8月12日のお盆のはじめに亡くなり、 49日がまた秋のお彼岸に当たるのです。 生きてるって、不思議がいっぱいです。 亡くなった人のことをあれこれ思うのは、良くないことだと言われていますが、 その人たちといて幸せだった!感謝している! そんな風に思えばいいとじゃないのかな~って思います。
2005年09月16日
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アイルランドは、1日のうちでも天気がころころと変わるそうだ。晴れていた ら急に雨になったり、曇ったりと・・。 昨日までの2日間は安定した天気でず~っと晴天に恵まれていたけれど、 今朝の空は、絶対に今日は雨を降らせてやるぞ~!!そんな感じだ。 ゴルウェイを出るとすぐに予定通りのように雨がぽつぽつと降り始めてきた。 今から約80km離れたバレン高原とその後は、イタリア行きを決めたときに パンフレットを見て、次に私の行く所はここだ~!!って思ったモハーの断崖 を目指す。 アイルランドへ来よう!って思うきっかけを作ってくれたその場所にどんな 風な景色が広がっているのかと思うだけで、楽しみ~!! ぽつぽつ降っていた雨は、小雨に変わり時々お愛想のように太陽が顔を見せる。 きっと、今日はこんな天気なんだろうと思っていると、バスの前方に虹が見えた! おおおっ~!なんと、虹が!これは、歓迎の虹!うれしい~・・。虹を嫌いだって 思う人はいないと思うけれど、旅先で虹に出会えると本当うれしい!この旅に来 てよかったんだ。ここに私が来る必要がやっぱりあったんだ。そして、その証拠に この土地が虹という目に見えるもので歓迎・祝福の気持ちを表してくれている。 来て良かった!のだという実感がわいて来る。 これから目指すバレン高原の語源のゲール語では、バレンとは石の多い場所と いう意味だそうだ。 約2億6000万年前に地殻変動によって海底が押し上げられ、現在見られるような どこまでも石灰岩の丘陵が続いている風景になったといわれている。 クロムウェルが、この地を侵略したときに「人をつるす木もなく、おぼれさせる水も なく、人を生き埋めにする土もない」と有名な言葉を残したほど岩だらけの不毛の 土地だという。 雨は、だんだん激しさを増してくる。このバレン高原で太古の民族が自然石を立てた ドルメインと呼ばれる墓石のなかでも最も有名な「巨人のテーブル」を訪れる。 この天気だから、雨傘がいるな~。昨日でなくってよかった。と思った。
2005年09月15日
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クロンマクノイズで授かった石は、この遺跡の跡に来たかったことが私には 分かった。これで、イニュシュモア島とクロンマクノイズの聖キアラン聖堂とを を繋げることができた。 ドン・エンガスビジターセンターから登り道を20分歩くとドン・エンガス遺跡に たどり着く。ここは、アラン諸島の一番の見所ともいえる場所。この日は、お 天気がよく歩いていると汗が出てくるほどだったが、ドン・エンガスにだんだん と近づいていくと思うとどんなふうになっているんだろうか?とちょっとわくわく してくる。というのも約000年前に作られたこの遺跡は、何のために作られ使われ ていたのか?謎の多い遺跡だから。ドンというのは、ゲール語で砦と言う意味 だそうで、砦として使われたのではないかという説や宗教的儀式として、集会所 として使われた等、はっきりと分かっていはいない。まるで城壁のような 円の石作りの塀の先は突然大西洋に面する断崖絶壁になり、その切り口のような 崖の高さは、90mあるという。切り立った崖は、ほんとにすごい。 遮るものが何もなく海からの強い風が直接吹き付けてくるし、高所恐怖症の人は 10mぐらい離れていてもきっと怖いだろうと思う。荷物を全部トモ子さんへ預け 崖の淵の2m手前から、腹ばいになって這いながらぎりぎりの所まで進んで行くと 下から?正面から?の強い風が顔に強く当たってくる。 顔だけを出すようにして下を見る。高い!体が地面と密着しているから恐怖は ないけれど、そうでなかったらきっと足が震えてしまうだろう。これほどの注意を して近づいて行くのは、やはり危険だからで、3年ほど前にバランスを崩しここから 転落した観光客があったそうだ。
2005年09月13日
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<<アラン諸島・イニシュモア島へ>>今日は(8/27)、ゴールウェイから約40kmはなれたロッサビルの港からフェリーに乗ってアラン編みといわれる縄模様の白いセーターで有名な大西洋に浮かぶアラン諸島の一番 大きな島イニシュモア島へ向かった。イニシュモアとはゲール語で大きな島を意味するそうだ。大きいといってもで面積39平方km人口は900人。それが、なんと観光シーズンとなると1日1500人の人がこの島を訪れると言う。今が一番にぎやかな季節なんだろう。最近私は、船が苦手だ。波があるとどうしても気分が悪くなる。今日の天気は快晴。波も穏やかだ。ちょっと安心。しかし、船室にいると妙に圧迫感を感じ息苦しいので、デッキへ出てみた。晴れているせいかデッキのベンチにはたくさんの人が、座っていた。私は、デッキの先頭へ行って近づいてくる島を眺めていた。先頭のほうは、外洋へに出るにしたがって吹く風が冷たく、時々波しぶきも立っている。点のようにしか見えなかった島の形が、だんだん大きくなってはっきりとしてくる。島は、私によく来てくれた。待っていたといってくれているようだった。アッシジへ近づくときに感じたような心の震えが全身へと広がっていく。このことから思うと、きっと、アッシジと同じように過去ここは、来たかった所なのかもしれない。ここでも、少ない土地・土を風や雨から守るために石垣が築かれている。それが、天気のいい明るい今日でも、厳しさ、荒涼そんな言葉を思い浮かばせる。トモ子さんの説明によるとやはり、ここの島は土が少なく海草を干しそれを土に代わりとしてそこへジャガイモを植えたそうだ。この島の歴史は古く、けると人たちがここへやって来たときにすでに先住民のモニュメントが存在していたそうだ。説明を聞いていると、昨日行ったクロンマクノイズを建てた聖キアランもここで6年間過ごしたそうだ。あそこで授かった石も私と同じようにこの島へ来たかったのだろう。マイクロバスに乗り、島を案内してくれる運転手さんは、今でもゲール語を話すそうだ。 アイルランドでは、移民やイギリスに働きに行きやすいようにと英語が公用語とされたそうだが、今でもゲール語を主として話す地方もあるという。この国の道路標識を見ると必ず2つの言葉が表示されている。そして近年ゲール語を保護する政策がなされ、学校教育においてもゲール語を学ばせているそうだ。自分たちの国の言葉って本当に大切だと思う。言葉の意味するものそれを見失わないことが、本来の自分たちを見失わないことでもあると思う。聖キアラン修道院後を左手に見ながら細い道を進んでいくと聖ブレカンの教会跡ナ・ショフト・ジャンビルへ着いた。ここ9世紀~15世紀に建てられたそうだ。かつてこの島へは、はるかローマからも修行のために修道士たちが訪れていたそうだ。それほどケルト・カトリックの地位は高く聖人エンダは、150人もの人々を引き連れてやってきたそうだ。今でも、波が荒れれば本島と切り離されてしまうこの島に、人々は信仰のために様々な困難を乗り越えてやって来たのだという。それは、12世紀まで続いたそうだ。本当にすごいことだ!
2005年09月13日
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今、私がめちゃんこはまってる事があります。それは、「花より男子(だんご)」。 京都テレビで毎週水曜に放送されていて、以前からたまに見ていました。 ちょっと気になってきていると姪が、この漫画を全巻持っているとの事。 早速、1~15まで借り、一気に読みました。続いて16~36までも! それも、2回読みました。読むスピードが速い私でも結構時間がかかりました。 ただ、どういう訳か18と20がなくって、ちょっとがっかり。 私は、少女漫画雑誌などを読まないので、TVで見てちょといいな~と思ったら 漫画で見る!そして、はまっていくと言う傾向があります。 そういえば、「白鳥麗子」も好きでしたね~。漫画も全巻持っていました。 4~5回は読みました。もう、人にあげてしまったけれど・・・・。 TVでは、松雪泰子と保坂がやってたな。 「花より男子」!早速レンタルビデオ屋さんへ! 1はなくって2のほうを借りました。 2のほうは、原作の漫画と違っていて・・・。ちょっと、がっかりです。 台湾で人気がすご~いF4。日本へも来ています。 でも、私がお気に入りなのは、牧野つくし役のバービー・スーです。 とっても、かわいいです。今、28歳なのでこのドラマが放送されていたころも20歳を 過ぎていたと思うけど、まったくそうは見えずに高校生みたでした! 私的に見て、2がつまらないのは、道明寺とつくしちゃんのからみが少ない! つくしちゃんのけなげな姿が少ない! DVD6枚借りて、2日間で見ましたよ~。超非日常の生活をしている私です。 それもまた、いいか~!! 今回の人生は、そういう選択です!
2005年09月11日
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その後、しばらくの間自由時間があった。私は、数人の人たちとスペイン門のあるゴリブ川 河口のほうへ歩いていった。河口には、かもめや白鳥、カモ、鵜それにカラスなどの鳥が いた。これだけ鳥がいるって事は、自然があるんだな~。 カラスとかもめが、餌を取り合っている姿なんて、そしてその向こうに白鳥がすいすい泳いで りうなんて、なかなか見られる光景ではないと思った。 1954年波止場を守るために4つの門が建てられたそうだが、現在残っているのはスペイン門 だけだった。この門からは、かつてスペイン船からワインやブランデーが積荷を降ろした所で、 かつてこの辺りは、イギリスやヨーロッパとの貿易でにぎわっていたそうだ。 今は、広場のようになってスケボーをする人や座って川を眺める人、鳥たちに餌をやる人 がいるだけだった。 マダムM(毎月海外旅行へ行っているお金持ちの奥様)は、スケボーをしている少年少女を 見て、「あの子たち、ジプシーよ!注意しなくっちゃ!」と教えてくれた。やっぱ、何度も行ってる だけあるな~。すぐに分かるんだと感心してしまった。 ガイドのトモ子さんの説明の中に今でもアイルランドでジプシーの生活をしている人々が いるそうだ。彼らは、定住せず、キャンピングカーのようなもので暮らし働かず、学校へも 行かないそうだ。それが彼らの文化だそうだ。教育を受けない彼らは、マナーが悪くごみを 捨てたり、盗みをして生計を立てていると言う。それが社会問題にもなっているそうだ。 最近法律が変わり、彼らの子供たちは学校へ行くようにと義務付けられたそうだ。 ゴールウェイ大聖堂をおとづれる為に、コリブ川沿いに歩いていく。川の水の色がちょっと 黒っぽいように思った。後で聞くとこの水の中に泥炭がく含まれているからだそうだ。 アイルランドには、まさにそのもの!ブラックウォーター川という名前の川もあるほどだ。 マダムMは、昨年ギアナ高地やエンジェルホールへ行ったときに付近の川が水に 枯葉から出ているタンニンを含んでいて茶色っぽかったそうだ。 所変われば、水の色までも変わるんだな~!国が変われば、習慣や風習、考え方等が 変わるのなんて仕方のないことかもしれないな~と思った。 ゴブリ川にかかるさーもん・ウェア橋を渡るとそこはゴールウェイ大聖堂だ。 ルネッサンス様式の立派な外観を持つこの聖堂が建てられたのは、1965年のことだ。 トモ子さんの説明によると、貧しかったアイルランドがやっと芸術に目を向けれる ようになったという証だそうだ。 内部の床は、コネマラ地方の緑の大理石で作られ、ステンドガラスも立派な教会だった。 歴史の新しいこの教会に私は、イタリアで感じられたような人々の祈りの重さ、そこで生活して いた修道士たちの複雑な思いの残存などがなく、軽~く、明るく、すがすがしいように感じた。
2005年09月11日
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<<写真はチェレステに掲載しています>>ゴルウェイは、8月の観光シーズンということもあり、にぎやかで活気にあふれておた。 14世紀に建てられたリンチ家の城を訪ねた。19世紀に修復をされ今は、AIB銀行として ちゃ~んと使われているそうだ。歴史的な建物が今も大切にされ使われていることってすごいな~って思った。長い年月を超え、様々なことがその建物の中でその場所で起こ りそれが、ずーっと存在し続けているなんて!リンチという言葉を聞くと、私たちはな~んかよくないよー。「リンチ事件!」??と連想する人がほとんどだと思う。その語源が、ここアイルランドのリンチ家から来ている! 知ってましたか~?私は、今回初めて知りましたよー。一つ賢くなりました。その意味は、現在私たちが使っているのとは全く違っていた。1493年ゴルウェイの県知事だったジェイムス・リンチ・Fが、殺人を起こした自分の息子を絞首刑にし、正義を守った。リンチ=私刑という言葉がここから生まれたそうだ。な~んかこれを書きながら、不思議発見のレポーターになったような変な気分を私は味わっている。にぎやかなウリリアム・通りを下り右に折れると、聖二コラス教会の尖塔が見えてきた。ここは、コロンブスが大西洋へ船出する前に旅の安全を祈願した教会として有名である。聖二コラスは子供の守護聖人、サンタクロースとして知られているが当時は、猟師の守護聖人としてあがめられていたそうだ。ここも当初カトッチク教会として建てられ、イギリスの侵略によりプロテスタントへ改宗されたそうだ。今は、どちらか聞き漏らしたが、キリスト以外の信仰を禁止いているプロテスタント・イギリス軍は、内部にあるマリヤ像や天使の顔を破壊してる。顔のない天使たちは、見るも無残で宗教という名のものとに略奪や破壊を繰り返して行った人々の救いようのない残忍さを垣間見たように思えた。それと同じ事を感じたのは、チベットの西の果てのビヤン遺跡、ツゥンガ遺跡、グゲ遺跡の寺院や洞窟に残された見事な壁画や仏像が、見るも無残に破壊されたのを見たときだった。仏の顔は、深く抉り取られ、仏像は破壊され、金で光臨を描いた仏画は、そこだけ深く掘り取るようにえぐられていた。文化大革命という大きな時代の波は、こんな辺境の地の遺跡までも巻き込み、壊していった。長い長い旅の果てに、このような仏の姿を見て人間の愚かさ、浅ましさを見せ付けられた用でとても悲しかった。
2005年09月10日
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8世紀から10世紀にはバイキングの略奪によってアイルランドは、侵略を受けていた。 バイキングは当時全盛を向かえ栄えていた修道院にターゲットを絞り略奪を繰り返していた。優れた航海術を持っていた彼らは、略奪者であると共に優れた商人でもあり、町を作ったり貿易を行い次第にケルト人と同化していった。次に大きな状況の変化は、ヘンリー8世の時代にやってきた。もともと早死にした兄の妃でであったカザリンと無理やり結婚させられたヘンリー8世は、男子が誕生しないことを理由に離婚。離婚を認めないカソリック法王は、彼を破門した。それで、結局自分の都合のために新しいキリスト教・プロテスタントを作った。当時イングランド=イギリスの属国とされていたアイルランドは、カトリックを信仰しており宗教に対しての弾圧も始まっていった。詳しく知りたい方はhttp://www.actv.ne.jp/~yappi/tanosii-sekaisi/06_kindai/06-11_henry8th.htmlヘンリー8世の妻を見てください!清教徒革命と共に台頭してきたクロムウェルは、アイルランドへ遠征したくさんの人々 を虐殺したり、徹底的なカトリックの弾圧を行っていった。このときの残虐行為によりクロムウェルは、アイルランドでもっとも嫌われている歴史的人物である。19世紀になり、アイルランドを大飢饉が襲った。同時アイルランド人の食物は、ジャガイモとベーコンの脂身だけでだったそうだ。その主食であるジャガイモの病気が流行し3年間の間ほとんどジャガイモが収穫できなかったそうだ。当時のアイルランド人はイギリス人の元にまるで奴隷のような生活を強いたれており、他の作物の小麦や野菜や魚までもイギリスへ運ばれ、それらの物がアイルランド人の口に入ることは決してなかったという。当時、今の人口・400万人の3~4倍の人々がアイルランドに暮らしていたそうだが、その飢饉の結果、3分の1の人が餓死し、3分の1の人がアメリカやイギリスへ移民し、残りの3分の1の人がこの土地へ留まったそうだ。
2005年09月10日
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ゴルウェイに向かうバスの中でも左の股関節から下の鈍痛は続いていた。 それと頭痛と吐き気も、もよおしてきた。脂汗が出てくるほど、とても気分が悪く なってきた。 これらの不快な体に起こっていることの原因を深く自分の中に問うことにした。 まず、心に浮かんだのは今日キアラン聖堂で授かった石は日本に持ち帰って はいけないこと。これから行くどこかの地へその石を運び届けれなければならな いという事だった。いったいそれはどこなんだろう?今は、まだ分からない。 私が授かる石達は、確実に意志を持っている。歩いていて、目に飛び込んでくる 石達の中でも手にする石の数は、多くはない。そして私の手元へやって来たそれ らの意志に従いふさわしい人や場所へと運んでいく。それも私の役目。 う~ん自分の直感を信じてみよう!そこへ行く前にきっと分かるはずだから。 そう思って自分自身を納得させた。 痛みや怪我が体の左の部分に起こるとき、その原因は過去からきている場合が多い。 そう考えていくと高いところから落ちて足を骨折する様子が浮かんできた。 きっと修道士のときバイキングの襲撃から逃れたラウンドタワーの中で骨折したの かもしれない。身体も不自由になり、日々の暮らしも思うようにならなかった修道士 の私は、どんな気持ちで神に仕えていたのだろうか? そう思っただけで、ちょっと気分が重くなってきた。 窓から見る景色も荒涼としていて、私の気持ちをさらに寂しく重くしていった。 アイルランドで3番目に大きい都市ゴールウェイに近づくにつれ空も明るくなり、家も 増えてくると重かった心も少しずつ軽くなるってきた。この町には、新しいB&Bが ニュータウンのようにかたまって建てられているところもあった。 現地の日本人ガイドと待ち合わせとの場所は、町の中心地のケネディ・パーク近く。 アイルランドへ故ケネディ大統領が訪れた記念に作られたこの公園は、以前 添乗員のMさんが来たときには、公園としての機能を持っており中へも入ること事が できたそうだが、今は、あちらこちら土が掘り起こされたり中途半端に壊されたオブ ジェのような物もあり、おまけにその工事のために周囲に柵が張り巡らされていた。 故ケネディ大統領のケネディ家が、アイルランドの出身だ言うことはあまりにも 有名な話だがアイルランドからアメリカへ移住した人はとても多い。 アメリカの政治家たちは、アイルランド系アメリカ人の票が欲しいため選挙が近づく と「自分はアイルランド系アメリカ人だ。」と言ってアイルランドにやってくるそうな。
2005年09月09日
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添乗員のMさんは、めがねの奥のめがとても優しそうで落ち着いた人だった。会話のセンスもよく、何で今この質問?って思うようなことにも「なるほど~そう答えるのか~!」と言うことが何度もあった。毎月海外へ出かけているお金持ちの??奥様は、Mさんがヨン様に似ていると。入国のとき偶然前に彼がいて、税関職員と話しているのを聞いていると1年間このアイルランドに留学していたとの事。これは、ラッキー!きっとアイルランドを好きだからかもしれないし、暮らしていた分きっと詳しいに違いない!後で年齢を聞いて31歳とは、思わなかった。とてもMさんの情報に詳しい人がいて、「所長をいしているし、落ち着いているから40歳以上に思った。」と言っていた。そこまでは~・・・。でも、所長か~!そのやたら何でも私から見たらどうでもいいような質問ばっかりしたがる男性は、「部下は何人いるの?」おっと、なんやの~。この人。この旅行とそれが何の関係があるん??この質問ばっかりする人のことを私は心の中でQM(クエスチョン・マン)と呼んだ。このQMは、私が言うのもなんだけれどけっこう変だった。誰より先に行くのが好きなようで、どこでも先頭を(添乗員さんやガイドさんより)歩き、勝手に先を行って呼び止められることも何度もあった。そして、ガイドさんへべったりで質問攻め。それも、「アイルランドの第二外国語の選択は何語が多いですか?」「どうして、ですか?」そんなこと知りたいんだ?と驚いていると、黒い手帳へ必ずメモる。そして、その質問の仕方が変に威圧的に思えてしかたがない。しかし、さすが質問攻めにするだけにいろんな知識も豊富そうだ。極めつけはその人と一緒のテーブルに付くとちっとも楽しくない!ってこと。食事がまずい。早く終わって~と思ってしまう。やっぱり、自分のお金と時間を使って 旅に来ているんだから、楽しい方を選んでしまう。このことは、我儘でも意地悪でもなんでもない当たり前の事だと思う。私だけでなく、ほとんどの人がそう思っているようだった。ある人は、バスの座席で自分の近くに彼が座ったら、場所を移動するし、食事のとき、共に座ろうとする人がいなかった。みんな、楽しい旅がしたいんだよ~!!話していて楽しくない!人と付き合っていく上でそれは、致命的なことだと思う。楽しい会話。それは、話のキャッチボールができること。話は、自分が話すだけでなく、相手のことを聞くことも大切だと思う。この旅では、聞くことの出来ない人が結構いるように思えた。一人で来たうえに、友達を作るために来たわけではないのでそれは、仕方ないと諦めよう。
2005年09月08日
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ビジターセンターの職員の方の説明を聞き終わり、ほとんどの人は15分ばかりのここのビデオを見るためにセンターへと向かった。私は、ここですることがあった。そのために聖水(ガンジス河とチベットの聖山カイラスの雪解け水を湛えるマナソワール湖の水)を持ってきていた。それ以外に北海道のチセ・ヌプリの石。北海道の倶知安神社の石。竹生島で父のために買った水晶のお守り。そしてお骨上げの時に、目に飛び込んできた父の犬歯と私の親知らず。どうしてそんな物を持ってくるのか、理由を言うことは出来ない。ただ、石が水がアイルランドへ一緒に行きたいと思っているようで・・・・。父の犬歯はかつてここで共に暮らしたことのある彼のエネルギーをここの大地に返す!それをしなければと思ったから。そしてずーっとここへ帰ってきたかった私の足跡も物として アイルランドの大地に印をとどめたかったから。私は、センターへ向かう他の人と離れ聖キアランの聖堂へと向かった。石作りのこの聖堂は、すでに屋根は無く、とても小さい。ここには聖キアランの遺体が埋葬されてい るそうで、かつてここを訪れた人々がこの聖堂にはとてもパワーがあるとその土を持ち 帰ったため聖堂の建っている土地が2mほど下がったそうだ。私は、祭壇があったところへ持ってきた聖水を撒いた。そして、倶知安神社の石をそこへ置き引き換えに一つ石をいただいた。すると聖堂の祭壇の横の隅にカラスの羽が1枚落ちていた。「これは!すごい~!こんな分かりやすい印を私に示して頂けるなんて!」 ちょっと感動してしまった。何度も書いているけれどカラスが大好きな私なのだから・・。うれしかった!!それと、どこへ入るときも意識して入るよう心がけている。心の中で「入ります。入らせて下さい。」とその土地、建物へ必ず挨拶して入っている。物も土地もそれ自体のエネルーギーを持っている。人としての私は、そこへの侵入者。 よその家へ行って、土足でずかずかと入り込む人はいないと思う。許可をもらって、声を掛けて入るのが当たり前だと思うから。だから、カラスの羽はこの聖堂へ入ってもいいよ~!よくやって来てくれたね。と言うこと。人は、ただそれだけで他の動植物や建物や石や土地や、自分たち以外の全ての物より優れていると勘違いしているのではないだろうか?私たちには、分からないけれど それらも確実に意志を持って生きているのだと私は思うし、信じている。だから対等だと。次に、上の十字が崩れ石柱のようになっている北のハイクロスの横に水晶のお守りを埋 めた。崩れたこのハイクロスには、ケルトの木の枝のような模様が描かれている。この模様にも意味が、物語が現されているのだろう。これで、一安心。一つ終わった。19mのタワーの横に立ちシャノン川を眺めていると、荒涼としたこの地で自給自足の生活の中、貧しく生きていた私が心に浮かんでくる。ここの生活だけしか知らず、神に祈り、神に求め働き、写経をしバイキングの襲撃におびえながら暮らしていた修道士の私。そして、急に寂しく哀しくなってきた。センターの中には、3本の本物のハイクロスと石版のようものがあった。薄暗いなか窓からの光とほのかの照明の中にハイクロスは、堂々として立っていた。本物は、それは、それで偉大と言う表現がぴったりとしていた。センター横のお土産物屋さんには、アイルランドロザリオや様々なものがあったけれど その時とてもお土産を買うような気分にはならなかった。そして、そこを出たとたん左足が腰の辺りから痛み始めた。今まで、左がこのように突然痛んだことはない。これには、きっと意図することがある。そう、確信した。
2005年09月07日
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<<写真はチェレステのほうに掲載しています>>ダブリンから約130km離れた、クロンマクノイズはアイルランドの中心から西へ流れるシャノン川沿いにある修道院跡。6世紀に聖キアランに建てられ7~12世紀に全盛期を迎えた。全盛期には、3000人ほどの人々がここで暮らしていたそうだ。今では、ここへ来る方法も限られており、廃墟のような教会跡が残っているだけだ。ここには3つのハイクロスと2つのラウンドタワーが残っている。ハイクロスは、お墓ではなくキリスト教の象徴と言われている。太陽を信仰していたケルト人にキリスト教を広めるために十字架と太陽を合体させた物で十字の下や側面には、文字の無いケルト人に分かりやすいように聖書の教えの絵やケルトの意味ある(文字と同じ働きらしい)文様などが刻まれている。ここにあるハイクロスは、10世紀に建てられ、うち2本は、高さが4m近い。外にあるのはレプリカで、本物はビジターセンターの中にある。レプリカと言っても12世紀に作られたそうで、本物とそれほど変わらないように思った。約800年前に建てられ、ず~っとこの地を見守っているハイクロス。ここへ来た人々は まずこの大きなハイクロスに目が行きじ~っと見つめるはずだ。そして、それぞれの人がそれぞれの思いをこのハイクロスから感じ受け取り、与え長い年月それが積み重なりこのレプリカのハイクロスにも、本物と同じほどのパワーを生み出しているように思った。私も添乗員さんの説明でレプリカと聞いてはいたけれど、初めてこの4mのハイクロスと正面から向い合った時に、その大きさやそこからかもし出される何かに太陽を拝む人々が太陽にするようにこのハイクロスを跪いて見上げたい!そんな気持ちが自然にわきあがってくる。そして、ず~っとこのハイクロスに生身の身体で会いに来たかった!といこともはっきりと分かった。黙ったままハイクロスと見詰め合う。そんな時間を持てとても幸福に思えた。大きな煙突のようなラウンドタワーは、10世紀半ばから12世紀後半に掛けて重要な教会の敷地内に建造されたそうだ。ラウンドタワーはアイルランド特有のものだ。ここの高いほうのタワーは、高さが19mありほぼ原型を保っている。このタワーは、1935年の落雷によって先の部分が崩れ落ちていた。タワーはもともとは鐘楼であったっそうが、バイキングの襲撃から貴重品や経典を守ったり、修道士の避難所としても使われていたそうだ。ラウンドタワーの入り口は、地上3mぐらいのところにあり、はしごを掛けてしか登る ことが出来ないようになっる。塔の上から、常に襲撃者のバイキングを見張り、それを 見つけると知らせの鐘をしならす。急いで塔の中へ避難し入り口のはしごを中に引き上げてしまい、バイキングが登って来れないようにしてしたそうだ。
2005年09月06日
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この甘い風というか香りは、アイルランドにいる間私の周りに漂っていた。 アッシジへ近づいたときの香りとも父の介護をしているときの香りとも 微妙に違う、でもいい香りだけれど・・・。日本に帰ってきてからも時々 この香りが漂う。精霊か天使か?何なんだろう? それと今回の旅の前に普通では出来ないほどの口の奥のほうに口内炎が 出来ている。今までもこんな口内炎が出来るときはいつも自分自身のエネ ルギーの状態が変化するときだったので、アイルランドへ行くことでまた、 何らかの変化が私の中へやってくるのかもしれない。 ホテルへ向かうバスから見る始めて目にするアイルランドの風景にあ~ やっと来れたんだ。帰ってきたんだ。そんな懐かしいような気持ちがこみ あげて来る。 目をやるのが、空や鳥。カラスがとても多い。それもすずめのよう団体で いるものも多い。カラスが大好きな私だからその光景を見るだけで自然と 顔がほころんできてしまう。参加人数が少なくてほんとによかった。 窓からカラスに手を振る私は、きっと誰が見てもへんてこなやつにしか 見えないだろうな。 カラスがこんなに多いってことは、やっぱり歓迎してくれてるに違いない。 うれしくなるな~。 その日は、ホテルへ着いて眠るだけ。日本では私が毎週楽しみにしてる 「チャングムの誓い」もとっくに終わり、真夜中の2時ぐらいだろうか? 出発前にビデオが半分故障状態の私は、見なくてもいいからこうなったん だよ~。な~んて思いながら出発したんだけれどやっぱちょっと・・・・気になるな。 このごろなんだか、スパッとこうよ!になりきれない私。 現地時間で10時過ぎには、ベッドへ入った。西へ向かって飛んでく旅は 時差があっても何とか体の調子を合わせていけるのでそれほど気に はならない。そして、なんと3時過ぎには目をばっちり覚ましてしまった。 しかたないよね~。身体はまだ日本の時間に反応してるんだもん! でも、6時間眠れたんだからま~よっし!としよう。うん。
2005年09月05日
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トランジットのために立ち寄ったアムステルダムの空港もとてもとても広かった。日本の国際空港とは比べ物にならない。ただここは、平面的に空港が広がっており、乗り継ぐ先の搭乗口さえ分かっていれば始めてきた人でもたどり着くことが出来ると思った。イタリアへ行ったときは、フランクフルトで乗り継いだ。ここは、たくさん歩く上にエレベーターに乗ったり、階段を使ったり、着いて歩くので精一杯だった。関空からアムステルダムまで利用したKLMとここからダブリンまで飛ぶエア・リンガスとの乗り継ぎの手続きがコンピュータの不手際でうまく行かず、手間取っていた。すんなりと行かない。う~ん、このことが意味するものは??とすぐに考えてしまう。だから、多少時間がかかろうがまったくそのことに対して腹が立ったりいらついたり、次の乗れるの~?なんて心配もまったくしない。それよりも、私は今回もまた、イタリアへ行ったときのようにアイルランド行きにたいして抵抗してるのだろうか?もし、そうだとしたら何に対してだろうか?思い出したくない、もうそこへ行きたくないほどの辛い過去があるのだろうか?1時間半ほどのフライトで降り立ったダブリン国際空港の外へ出ると現地の時間で夕方の6時過ぎだった。そこには、涼しい秋のような優しい甘いような香りの風が吹いていた。空港の税関を通る前にこの国にもちろん挨拶して許しを得て入国したのは、このツアー参加者の中では、私だけだろう。ダブリンの今日の天気は、曇り、雨で先ほど飛行機の到着前ぐらいまで大雨が降っており、やっと雨が上がり日がさしてきたと現地のガイドさんが教えてくれた。空気が澄んでいるのはそのせいで、まさに浄化の雨の後に着いたんだと思った。
2005年09月04日
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最近、観光目的の団体旅行をしたのは、イタリアだけだった。イタリアでは、自分の過去生と向き合うのに精一杯で、他の参加者の方と余り接触も無なく、他の人のことはよく知らなかった。今回16名10組の中には、毎月のように海外旅行をしている人達が3組もいて、他にも年に3回以上は必ず海外へ行くと言う人もあり、世間にはいろんな人がいるんだな~と驚いた。その人たちは、いつも旅行する時には次の旅行が決まっているそうだ。今回もすでに次に、アイスランド&グリーンランドへ行く人とギリシャへ行く人がいた。次にギリシャへ行く女性は、すでにご両親が無くその遺産で旅行をしているそうだ。ちなみにギリシャの次は、中欧だそうだ!毎月旅へ出て、それを楽しむのは素敵なことだけれど、私には向かない。私は、旅で感じたもの気づいたことを自分の中へ落とし込むのに1ヶ月ぐらいはかかる。それをせずに次へ行っても未消化な思いが残るだけだ。去年の7月にクイーン・シャーロット諸島へ行ったとき、ガイド兼講師をして下さった宮田さんが「日本人は、どこどこへ行ったとと言うけれど、どこどこへ行ってそこでこんな事を感じた。こんな風に思ったと言う人が少なく残念に思う。」と言われた。本当にその通りだと思う。私達は、体だけで旅をしているわけではないのだから。景色を目で見て、風の音を耳で聞いて空気を肌で感じていく事で、自分の心が感情がどのように反応していくのかを楽しむために旅をしているのだと思う。そして、同じように毎月海外旅行をしている人の中には、今までの旅で訪れた国々の話が自慢話にしか聞こえないような人もいた。同じ話を聞いても人によってこんなに私の反応が違うのは何故なのだろうか?でも、他の人の中にも「あの人たちは、旅行自慢をしてるのよ。」と言う人もいて、私だけではなく皆思うことは同じなんだ!と思った。
2005年09月03日
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カウンターの前に、臨時の台がありそこアイルランドと張り紙があった。 添乗員の人がもうじき来るので、来たら受付をしてくれると係りの女性にが 教えてくれた。しばらくすると、めがねを掛けた35歳ぐらいの優しそうな添乗員の 男性が表れ、紹介と供にチケットと搭乗手続きの案内をしてくれ集合場所と時間を 知らされた。 北搭乗口の近くに集合時間に集まり、全員の初顔合わせ。今回は16名の参加だ。 その中で私を含めて6人の人が、一人参加だった。これには、ちょっと驚いた。 4月に行ったイタリアでは、41名の参加だったけれど一人参加は少なかった。 アイルランドがちょっとマニアックな場所だからだろうか? 参加した人たちの顔を見て、なんだか楽しそうじゃないな~!と思った。これから 始まる旅と初めて出会う人たちに緊張しているのかもしれないけれど、ほとんどの 人の口角がへの字になっている。への字の口は、不服そうな不満そうなそんな 印象を私に与えた。テレビとかで見たアイルランドの空のように暗い感じだ。 それとも変人だらけなんだろうか?(たぶん私もそう見られているのかも?) 昨夜の空港のワクワク、なんだか楽しいことが起こるかも??と言うような雰囲 気は、ここにはなかった。 飛行機は、運良く通路側に座ることが出来た。一人のとき、長時間の飛行は トイレに行きやすい通路側に限る。 関空からアムステルダムまで、9250km、11時間20分の長旅が始まった。 その間ほとんど眠らずに、映画を4本観た。これまた長時間画面を見つめ目が ちかちかするぐらいだった。でも、眠らないのも自然な流れかな~なんて。 いつものように、深く物事を考えない私だった。そうなってしまったんだから、 あれやこれやと思ってもどうにもならないし、睡眠不足だってことだけだしー。 たいしたことではないのだから・・・・。 アッシジを訪れてから、気軽に飲めるようになったキリストの血とも言われる 赤ワインがとてもおいしく味わえるようになってきた。 限られた狭い空間の中で自分だけの楽しい時を過ごすことは出来た。 飛んでいるのが大好きだから!そしてこの非日常の世界の中にいることで、 普段の生活では忘れてしまった。置いてきてしまった何かを見つけることが出 来るかもしれないから。 でも、体的にはだんだん辛くなってくる。3月にバイクの事故で痛めた尾骨に痺 れがくるし、11時間はほんとに長かった~。飛行機に乗ってるのが好きな私も ちょっと飽きましたゎ~。 それにそれだけ乗っても、まだアイルランドへは着かないんだから。
2005年09月02日
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関空へは、飛び立つために何度も来ているけれど前日から泊まったのは今回の旅が初めてだった。前泊にしたのは、集合時間が、朝の8時25分と早くそれに間に合う近くの駅から出ている関空行きのリムジンもなく、それ以外の方法で行くとすれば結構大変なので、いっそのことそれなら前泊!と思ったからだった。7時過ぎにホテルに着いた。台風11号が近づいているせいなのか、ホテルは込合っていた。部屋もバス、トイレも広くきれいで今まで泊まったシングルの中で最高だった!さすが~日航ホテル!旅の始まりとも言える前泊のホテルがこんなにいいのなら、今度の旅もいい感じかも!ちょっと期待してしまう。ホテルに荷物を置き、両替へと空港内の銀行へと向かう。食事もほとんど付いているし、オプショナル・ツアーも日本円だし余りユーロを使わないと思ったけれどやっぱり何か欲しい物に出会えるかも??夜もまだ早い時間なので、人の列も少なくスムーズにと両替を済ませた。飛行機に乗っているのが、好きな私は、もちろん空港も大好きだ。ここは、旅の出発点であり、終着点でもある。空港にいる人々は、日常生活から抜け出るこれから始まる旅への期待に生き生きとした明るいエネルギーに溢れてそのオーラがきらきらと輝いているようだった。そして、旅を終えた人々は疲労をにじませてはいるけれどその満足感が顔に表れている。だから、マリが弾むようなそんな波動をたくさん感じさせてくれる空港が私は好きだ。 台風のことは、まったく心配しなかった。今まで何度も台風を掻き分け無事に飛んで帰ってきている実績があるから。体験してるから、本当に強気!翌朝、8時前にチェックアウトを済ませ集合場所へ。ゆっくり歩いても10分も掛からない。朝は、ゆっくり眠れるし、ぐずぐずだらだらしていても何時にバスが出るから、それまでにどうしてこうしてと言うような、時間の心配がなのがうれしい!!時間前に到着すると、集合場所には、まだ誰も来ていなかった。
2005年09月01日
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