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前回は豪華なイタリアンについて見ていきましたが、終盤の2回で終点長野までの沿線の様子と、車内でのおもてなし、車内販売について振り返ります。中軽井沢の次の駅、信濃追分での一コマです。沿線の最高地点になっていて、標高は955mと正しく高原の駅に相応しい数字です。この写真の反対側は浅間山が見えるビュースポットで、2号車は反対側の車窓が見えにくいのが難点でした。生憎この日は曇りで、浅間山は見えず。その代わりにアテンダントさんが晴れの日の写真を見せてくれました。浅間山はご存じの通り国内有数の活火山で、江戸時代の大噴火をきっかけに天明の大飢饉に繋がった忌まわしい歴史があります。噴火というと、富士山の火山活動が言われていますが、自然災害についての備えは地震だけではない時代に入ってきています。この写真の場所で、ろくもんは一旦停車します。よく見ると遠くには北陸新幹線が。時間が合えば車窓から新幹線を見ることができるホットスポットなのです。往路は小諸を通過します。駅の通過後は脇に小諸城の石垣が見えるんですよね。信越本線は軽井沢から先は標高の高い場所を走るため、高台から見下ろす景色が上田まで見られます。途中、田中保育園の保育士さんと園児のみんなのお手振りがあります。こういったお手振りはうれしいですね(^-^)。車窓から千曲川が見えだすと、信州の主要都市の一つ、上田に近づいてきます。こちらはしなの鉄道の本社です。本社の社員さんからもお手振りのおもてなしがあります。残念ながら休日だったため、人数が少なかったのが残念。上田で10分ほどおもてなし停車の時間です。一旦小休止しておもてなしと撮影タイムに。ろくもんは運行開始当初は停車駅がかなり多かったのですが、最近は停車駅が絞られています。とはいえ、種別は快速なので、1号車の座席指定車は空席があれば間際でも乗れるようになっています。上田名物のみすず飴です。観光案内のパンフレットも忘れず取っていきましょう。最寄には真田家の居城だった上田城があり、NHKの大河ドラマ「真田丸」放映のときには、観光客で賑わっていました。上田を出ると、しばらくは千曲川沿いに水田地帯を眺めることができます。この写真はとある工場を撮ったものですが、少し前には車窓から上田西高校を見ることができました。上田西高校は甲子園にも出たことがある高校野球の強豪校で、タイガースの高寺望夢選手の母校なんですよね。アテンダントさんも「高寺選手は応援してます!」と熱いエールを送ってましたよ!来年、森下級の逸材と言われている立石君が入ってくるので負けられんよ!!千曲川流域は豊富な水資源に恵まれていることから、県内有数の米作地帯としてコシヒカリなどが生産されています。戸倉に着きました。ここで2回目のおもてなしタイムです。反対側のホームにはE129系の姉妹車、SR1型が停まっていました。SR1型はしなの鉄道の新しい主力車両で、既存の115系はこの車両に全車が置き替えられることが決まっています。戸倉は上山田温泉の最寄り駅ですが、宿のある温泉郷までは少し距離が離れています。この駅で停車中、おもてなしの一環として六文銭饅頭を頂くことができました。スイーツとは別腹のおもてなしで、車内でも買うことができます。こしあんがたっぷり詰まった昔ながらの饅頭です。コーヒーは停車中にサーブ。甘味の強い饅頭ですので、無糖のブラックで丁度よい塩梅でした(^~^)。そして1号車のカウンターで車内販売をチェック。全体的に価格が高めで、しっかりとした旅の記念になるお土産がズラリと並びます。巾着とか考えましたが、家に結構溜まってきていたので、次回述べるお土産のみに今回は留めました。最終回の6回目では、終点の長野までの道中と、115系の写真をもう少し出していきます。
2025.10.27
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往路のろくもんは軽井沢を出ると、すぐにランチタイムに入ります。これは意外でした。前泊先のホテルでの朝食から4時間しかインターバルが空いていないので、何とか腹に納めましたが(^^;;)。きついと感じる以上の豪華な食事について見てみましょう。車内に入ると、既に座席にはランチョンマットと食器、メニューとコースター、ミネラルウォーターがセットされています。食事とおもてなしの準備は万端です。往路の洋食コースはラウンジで飲み物を出してくれるプリモフィトさんの担当で、地元の食材をふんだんに使ったイタリアンが並びます。食器類の隣にはおもてなしガイドがあり、ガイドの中はコース別の発着時刻と沿線の見どころ、車両案内、食事の提供元の紹介がまとめてあります。真田家の略歴についてもちょっとだけ触れていますが、もう少しあってもいいかも。手続き開始から45分。ラウンジで挨拶をした車掌さんの法螺貝が鳴ると発車です。10:29に軽井沢を定刻通りに出発しました。※写真は許可を得て掲載しています。すぐ横には北陸新幹線のホームが見えます。1997年の長野部分開業後は、信州の交通網が大きく変わりました。長野冬季五輪の開催で、便利になったものもあれば失ったものも色々と出てましたね。軽井沢を発車後、次の中軽井沢あたりでウェルカムドリンクの葡萄ジュースが出されます。果汁100%のシーズンパックジュースで、葡萄本来の爽やかさを味わえる満足度の高い美味いジュースでしたよ(^~^)。ウェルカムドリンクの後は、コース料理の開始です。前菜が5品出てきました。【前菜】蓼科麦豚と信州茸のテリーヌ ビーツのソーストマトのジェラティーナとボッコンチーニチーズのカプレーゼ仕立て信州サーモンのエスカベッシュ仕立て生ハムとメロン ルッコラソースほうれん草とパルミジャーノチーズのチーズケーキ 信州季節野菜 信州産人参のドレッシング前菜なので量は少ないかと考えがちですが、一番右のほうれん草とパルミジャーノチーズのチーズケーキはスイーツではなく、塩味の効いた食事となるケーキでした。フランス料理のケークサレと考えるとよいでしょう。いずれも素材の持ち味を活かしたクセのない味で、初手から満足度MAXの料理でした。信州サーモンはニジマスとブラウントラウトを掛け合わせた養殖魚で、海のない内陸県だからこそできる清冷な水資源を活かしたサーモンだそうです。臭みがほとんどなく、スモークサーモンよりもあっさりと食べられます。5品とも美味かったですが、いきなりこれは腹に溜まりますわ(^^;;)。前菜の次はその日のスープとパンと、炭水化物でお腹をやや満たします。スープは王道のコーンスープで、トウモロコシの甘みが効いた飲みやすい冷製スープに仕上がっていました。本日のパンは味噌が練り込まれたフォカッチャとテーブルロールが出されました。味噌味のフォカッチャは、海外では先ずないであろう一品で、こういったユニークなメニューが出てくるのは好感が持てます。スープとパンの後は、みんなが待っていたメインです。メインは魚・肉の両方が出ます。アクアパッツァはナポリの煮込み料理で、信州サーモンはここでも。火を通しても食べやすかったですね。それ以上にインパクトがあったのはローストビーフとソーセージで、ソーセージはローストビーフの下に隠れていますが、音がパリッと鳴る本格派のもので、久々に音のなるソーセージが食べられました。肉汁が出てくる感触が美味しさのサイン。ローストビーフはそれ以上に食べ応えがあり、満足度が増幅するのは間違いありません(^~^)。野菜サラダは箸休め。わさびドレッシングでさっぱりしましょう。【メイン】信州野菜のサラダ 長野県産わさびドレッシング安曇野信州サーモンのアクアパッツァ蓼科牛のソーセージ蓼科牛の低温調理ローストビーフドリンクはウェルカムドリンクとは別にもう1品、ビール・ワイン or ソフトドリンクから選べます。管理人は前日の飲酒を考えてノンアルシードルにしました。りんご果汁をそのまま使ったシードルなので、りんご本来の味が楽しめるものでした。最後はコーヒーとお菓子で〆です。フルーツは種なしのマスカットと巨峰で、香り・甘味とも申し分ないデザート。もう一つはグレーズのかかったシフォンケーキでした。出てくる量は少しでしたが、この日は食べ過ぎました(><)。それ以上に前菜とメインのボリュームがそこそこあったので、朝食については無理のないよう、事前に予習をしておくとよいでしょう。食事の後はおもてなしと車内販売、お土産と続きます。
2025.10.26
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ろくもんの乗車記、3回目になります。3回目は車内の設備と発車後の車窓を見ていきます。前回はこの写真で終わりました。EF63と並ぶこの姿も、数年したら思い出になっていくのでしょう。ろくもんは先ほどの写真で気付く方も多いと思いますが、元々は国鉄の115系で、近郊形電車を改造して観光列車に仕立てています。水戸岡さんが筆記体のロゴを使うのはあんまりないことなので、これは珍しいですね。1号車の側面方向幕。和洋織り交ぜたデザインに仕立てられています。2カ所には洲浜が。洲浜は真田家の替紋として使われたもので、婚礼などにも使われる縁起を担いだものであることはここに来てから知りました。車内に入ります。当日、管理人が乗ったのは2号車ですが、3号車から入って移動。ドアマットにも洲浜がデーンと。乗車=ハレの日という、しなの鉄道さんらしいおもてなしです。3号車は或る列車のレイアウトとよく似たセミコンパートメント仕様になっていて、ゆっくりと食事を楽しみたいときにおススメ。和のテイスト満載の室内です。運転台後方には、簡易ラウンジとしても使えるソファーとミニテーブルがあります。3号車からは敢えて1号車に移動。1号車は座席指定券を別に購入すれば乗れます。ろくもんは快速列車なので、当日の乗車にも柔軟に対応。1号車はオープン座席になっています。このタイプの椅子は、丹鉄のあかまつやあおまつとほぼ同タイプのものが使われています。オープン座席の隣にはボールプールが。あそぼーい!でお馴染みの設備で、ろくもんでも見ることができます。JR九州で実績を積んだ設備は、地方の鉄道の町おこしにも応用されていますね。1号車には売店があり、車内販売の拠点として使われます。車内販売については、沿線のおもてなしと合わせて5回目で触れていく予定です。最後に乗車した2号車に戻ります。ロングシート部分には、撮影用の制帽とパンフレット、乗車記念のスタンプが置いています。のんびりとできるフリースペース兼用です。制帽は実際の運転士や車掌さんが使っているものと同一で、子ども向けのものではなく、大人でもかぶって撮ることができるようになっていました。パンフレットとスタンプはこちら。パンフレットを持ち帰るのも乗車記念に。水戸岡トレインの名物の一つ、沿線の特産品や工芸品が飾られたディスプレイです。お酒だけでなく、グラスや陶器が意外に多かったりします。2号車のギャレー向かいには、ワインや日本酒の一升瓶が並びます。日本酒の銘柄がそこそこありますが、それ以上にワインの品ぞろえが充実していますね。長野県はりんごだけでなく、ぶどうの一大産地としても知られる証左です。ギャレーでは食事の準備が着々と行われていました。往路は洋食が提供されるので、スープとパンの準備の最中の様子です。お待ちかねの食事は次の回で出していきます。
2025.10.20
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軽井沢に着いた後、乗車の45分前から手続きが始まります。乗車前のおもてなしやラウンジでの様子を見ていくのが2回目です。こちらが軽井沢駅の旧駅舎。明治時代から続く、リゾート地らしい洋風建築が特徴です。入口はきれいに整備されていて、ここから中に入ります。インバウンド客が多く、撮影されていた方もちらほらいました。乗車手続きを終えると、このようなドリンク引換券がもらえます。コーヒーかりんごジュースをチョイスし、駅舎内にあるイタリアンレストラン「プリモフィット」で受け取ります。いわば、エアラインのラウンジサービスに相当するものと考えてよいでしょう。ここではりんごジュースをオーダー。100%搾りたてジュースで一息。プリモフィットの店内は見慣れたデザインになっていますが、そうです。デザインを手掛けたのは水戸岡鋭治さん。九州に住んでいる方はお馴染みです。ろくもん専用ラウンジは、旧駅舎の2階にあります。ここで暫し楽しみます。ラウンジには、ろくもんのオリジナルグッズが。運行10周年記念の商品も展示されています。隣には水戸岡さんがまとめたデザインバースが。この手法は、JR九州で培ったものと同じですね。ろくもんの名前は、六文銭からも分かるように戦国時代に勇名を馳せた真田家が由来です。結び雁金や州浜も、真田家の代名詞として知られるもので、真田幸村が旗印として使った六文銭は、「生きて帰らぬ」覚悟を表したものだと言われています。「真田、日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)なり。」と、あの徳川家康も恐れていた武将でした。1615年の大阪夏の陣。幸村が家康の首を討っていたら、歴史はどうなってたんでしょうね。ラウンジは非常に豪華な造りで、博多駅のななつ星ラウンジにいるようなゆったりとした時間を過ごすことが出来るようになっています。これは小倉工場で見たソファーとよく似ています。D&S列車で座れるものと同等の座り心地で、長野にいながら36ぷらす3やふたつ星4047に乗った気分に浸れるのは、面白い経験でした。こちらもラウンジの一部です。2人掛けの椅子とテーブルが縦長に並びます。やや狭いですが、古い学校の雰囲気も。ラウンジには当日、乗務を担当する車掌さんと話をすることができました。ろくもんの発車の合図は、法螺貝の吹鳴なのです。戦国時代は戦が始まる合図でしたが、ここでは旅の始まりの合図として使われます。デモンストレーションとして、法螺貝を吹く様子を見せてくれました。※写真は許可を得て掲載しています。乗車開始の5分前には、旧駅舎からホームに移動します。改札口がちゃんとあるところは、駅であったことを示す名残ですね。旧駅舎の改札口の側には、アプト式機関車が静態保存をされていました。その隣には、1997年まで現役で稼働したEF63が同じく静態保存されています。EF63は横川~軽井沢間の碓氷峠専用に造られた補機で、新幹線が開業する前は全列車が補機を使って山を上り下りしていました。発車の10分前になりました。旅程表に書いてある時間通り、車内での準備を終えて乗客を出迎える準備が整い、ドアが開きます。車内の様子については、次の回で見ていきます。
2025.10.18
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お待たせしました。遅くなりましたが、ろくもんの乗車記です。しなの鉄道の豪華レストラン列車、ろくもん、当初は今年の遠征に盛り込んでいなかったのですが、クラシルリワードで貯めたポイントを軍資金に活用できる目途が立ったことから決行しました。今回の乗車記はプロローグが長くなりますが、乗車前の記録を先ずはまとめます。ろくもんは軽井沢~長野間の旧信越本線だった路線をメインに運行されている列車で、先ずは往路の発着地となる軽井沢に移動します。スタート地点は浦和から。ろくもんに乗る前にどうしても使っておきたかった浦和ワシントンホテルで前泊をかけました。アメニティが充実していた他、UCCのドリップコーヒーのサービスもあり、非常に設備の整った使いやすいホテルでした。管理人は普段、遠征の宿泊先は5000~6000円台で予算を設定してるのですが、今年はこの1泊については奮発しました。部屋からの写真をもう1枚。遠くには浦和レッズの本拠地、さいたまスタジアムが見えます。サッカー日本代表の国際試合も、ここで行われることが多いです。浦和ワシントンホテルを使った理由はこれ。何と朝食ビュッフェにうなぎが!!朝食ビュッフェは税込み1620円と、うなぎが入った価格としては太っ腹でした。その理由として、ホテル自体が賃貸借契約満了に伴って8月いっぱいで営業終了になることから、謝恩価格として設定されたものだったからなのです。そのため、泊まっているみなさん、全員がうなぎにいきますよね(^~^)。炭水化物はろくもんの車内で食べることから少な目にして、蒲焼やうざく、卵焼きなどを頂きます。桁違いの朝食は遠征だからこそ味わえる醍醐味。しっかりと堪能してきました。最後は鰻茶漬けで〆ます。朝食にうなぎが出ることは、外資系ホテルでは先ずお目にかかれないと考えた方がよいでしょう。浦和でガッツリエネルギー補給をした後は、軽井沢に向かいます。こちらはあさまに乗る前に撮った東京行きのたにがわです。軽井沢までは余裕をもって1本早いあさまを使いました。停車駅が高崎だけだったことから、移動時間は40分弱と短時間で済みます。写真は東北新幹線との分岐点あたりで、ここから速度を275km/hに上げて進みます。上越新幹線の最高速度が引き上げられたことで、高崎にはおよそ20分強で着きました。速いですね。軽井沢には発車の50分前に乗り込みます。受付時間は9:45分。先ずはしなの鉄道の改札をチェックすると、ろくもんは旧駅舎での受付となるようでした。ということで、持ってきた旅程表を出してから旧駅舎に受付に行きます。プロローグはここまで。次回からは本編に入ります。
2025.10.14
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SATONOは本編が終わり、ここからは番外編です。番外編は大人の楽しみ、ウイスキーについてです。仙山線で運行されるいろどりSATONOで行けるスポットに行ってきました。SATONOに乗った翌日、足を運んだのはニッカウヰスキーの宮城峡蒸溜所です。1969年、北海道の余市に続く2つ目のウイスキー蒸溜所として、創業者の竹鶴政孝氏が開きました。竹鶴氏は日本におけるウイスキー作りのパイオニアで、作り方を英国から持ち帰らなかったら今のようなジャパニーズウイスキーは世に出ていなかったほどの人物なのです。その経歴や苦難の人生については、NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」で取り上げられました。宮城峡蒸溜所の敷地は、自然豊かな森の中にあります。良質の水が湧き出ないと、ハイクオリティなウイスキーは作れません。竹鶴氏は蒸溜所を建設する際に湧水でウイスキーの水割りを作り、その味の良さで仙台に決めたそうです。蒸溜所内には観光客向けのフォトスポットがいくつかあり、実際の熟成で使われていた樽がオブジェとしてあります。一見、ゴルフ場と見間違えるほどですが、ウイスキー造りの本場、英国と似たような雰囲気があります。見学施設の中には、実際に使われていたポットスチル蒸留器が展示されています。先端部の角度が違うだけで、ウイスキーの味に影響が出るほどの重要な設備であることは、現地に行って体感できます。これはカフェ式連続蒸溜器の模型です。主にグレーンウイスキー(とうもろこしなどを原料としたウイスキー)の製造に用いられます。アルコール分の高い原酒ができるので、味がしっかりしたウイスキーが作れるとのこと。この蒸溜器はスコットランドから技師を呼んで研修をしっかり行い、当時の西宮工場(阪急の阪神国道駅のすぐそばにあり、現在は閉鎖されています。)で稼働を始めました。ウイスキーは材料選びや蒸溜といったプロセスが大事ですが、その後の熟成がめちゃくちゃキーなのです。ウイスキーは蒸溜後、樽の中で寝かせて熟成をさせます。このときに使う樽の材料や樽の焼き入れの度合いによって、味が物凄く変化します。熟成が進むと、初めは透明だった原酒に段々と色がついて琥珀色の液体になります。一つのウイスキーが完成するには年単位の熟成が必要なのです。そのため、熟成の長さに比例して価格が跳ね上がる傾向があります。この写真は樽の違いによって、熟成する度合いが変化することを示したものです。材料や樽の使い具合によって、味や香りが細かく変わっていきます。原酒が熟成した後、様々な樽の原酒をブレンドして味を調整します。最後の味を完成させるのがマスターブレンダー。マスターブレンダーは、ウイスキーの品質や味を決める責任者で、とてつもない大役なんですよね。これが1940年に誕生した、ニッカウヰスキーの第1号です。ニッカの名称は、創業時の会社名「大日本果汁」から取ったもので、ウイスキーの熟成を待つ間、りんごジュースやアップルワインなど、りんごを加工した飲み物を売っていました。現在もアップルワインはニッカの主力商品として弘前で製造が続けられていて、スーパーで買うことができます。敷地内には売店が設けられていて、売店の横には試飲ができるバーがあります。せっかく足を運んだのですから、1杯は堪能しないとですね(^o^)。セレクトしたのは蒸溜所限定のピュアモルトレッド。水割りと炭酸割りで飲み比べましたが、恐ろしい位に味が変わるのには驚きました。ウイスキー本来の味を楽しむのであれば、軟水で割って飲むのがいいですね。宮城峡蒸溜所のモルトはノンピートモルト(ピート:泥炭で大麦を燻すときに使います。)が基本なので、甘味のあるまろやかな味が楽しめます。管理人がウイスキーの味を分かるようになったのは、英国に住んでいたときではなく、実は宮城峡の10年を飲んだことがきっかけでした。これはロックで味わいましたが、甘味のあるバニラトフィーのような香味は忘れられません(^~^)。バーのディスプレイには、昨年販売されたThe NIKKA nine decadesが飾られていました。創業90周年(nine decades:decadeは英語で10年を意味することから、90年の歴史を商品名としたもの)を記念して数量限定で販売された際物のウイスキーで、価格は何と300000円します。でもこれはまだ序の口。際物の中には100万を超えるものがあり、さらには1000万円近い価格のものもホンマ、あるんですわ。最後にアクセスについてです。蒸溜所は仙山線の作並駅から週末に定期列車に合わせてシャトルバスが運行されているので、これを使って行きましょう。試飲をするなら、電車やバスを使うのは must です。また、市バスでも行くことが可能で、仙台駅または愛子(あやし)駅から乗ってニッカ橋のバス停で下車し、15分ほど歩くと見学施設に辿り着くことができます。創業からのクラフトマンシップを感じ取ることができる施設ですので、しっかりと時間を取って行く方がいいですね。ニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所〒989-3433仙台市青葉区ニッカ1Tel:022-395-2865HPhttps://www.nikka.com/distilleries/miyagikyo/access/
2025.10.12
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SATONOの続きです。続きは終点、郡山までの様子になります。こういった晴天の日の磐梯山は、ホンマのフォトジェニックな1枚に仕上がります。昨年よりも緑が映えた出来になりました(^^)。2号車は郡山方面へは後ろになるので、後方から車窓を眺めた様子です。沿線の主要駅、猪苗代に停車します。電車の接続時間に合わせて裏磐梯へのバスが出てますので、観光客の利用が一定数ある駅です。猪苗代からは下り坂になっていきます。しばらくは平坦な路線ですが、磐梯熱海までの区間はカーブが多く、表定速度がやはり落ちます。昨年の往路では撮り切れなかった旧中山宿駅の様子を残すことができました。元々は姨捨や二本木などと並ぶスイッチバック駅で、各駅停車はここで折り返して停車していました。一方で特急あいづや急行ばんだいなどは、そのまま駅を通過して進んでいきます。現在の定期列車は、スイッチバックを使わずに全列車がスルーです。乗車中は車内販売を利用しました。お昼を食べたばかりでしたので、コーヒーで一服。車内販売で商品を購入してアンケートに答えると、昨年と同じようにオリジナルの水性ボールペンがもらえました。ただし、デザインは昨年のものとは若干変わっています。また、復路のうけとりっぷを使うと、お昼に食べてきた田季野さんの特製輪箱飯や日々餡さんのオリジナル輪箱に入ったおはぎを楽しむことができます。日々餡さんのおはぎは昨年は11日前までの予約が必須でしたが、年度が変わってからは4日前までに短縮されて入手がしやすくなっています。郡山の奥座敷、磐梯熱海まで来たら終点までは間もなくです。今回は外湯でひと風呂絡めても良かったかも。喜久田を過ぎると、郊外の住宅地や高速道路、幅の広い幹線道路やロードサイド店舗が目立って見えてきます。郡山は人口約32万と仙台に次ぐ東北第2の都市で、東北南部の交通の結節点として機能する街です。磐越西線で辿ってきた道中もここで一区切り。終点の郡山に到着です。到着後はかんのやさんに出向き、仕事関係でのお中元の手配に。遠征中ではありますが、一旦仕事モードに入っていました。SATONOは普通列車用の企画きっぷでも指定券を買えば乗れるので、良心的な列車と言ってよいでしょう。会津若松からの移動は、やはり快適でした。SATONOは磐越西線以外の路線でも乗れますので、秋の仙山線や冬の石巻線など、沿線毎に異なる車内販売は楽しみの一つです。一度乗ってみて、快適性や地元色豊かなおもてなしを楽しむのもいかがでしょうか?次の番外編では、仙山線沿線のメジャースポットに寄ってきた記録を掲載します。
2025.10.10
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ブログの今後の掲載ですが、掲載記事を追加しました。1、SATONO(会津若松→郡山)2、SATONO番外編3、ろくもん4、3年ぶりの西鉄筑紫車両基地一般公開5、The Rail Kitchen Chikugo (Pizza ar taioコラボ特別編)6、〇〇のはなし(下関→東萩)7、SLやまぐち号8、カシオペア関連ネタ9、台湾の鉄道についての基本情報と桃園国際空港(Taoyuan International Airport)の使い方10、海風号(新竹→台中)11、台湾の駅弁ネタ12、台湾高鉄(台湾の新幹線)について13、鼎泰豊台北本店追加した2つの記事はいずれも西鉄関係で、The Rail Kitchen Chikugoの特別コースが取れました。そのため、4年ぶりに乗れることになり、車内で本来提供されていたピザが復活します。この乗車記を載せていくため、〇〇のはなしとSLやまぐち号については、乗車を11月にスライドします。スケジューリングはこのあたりにして、1年ぶりのSATONOの乗車記です。SLばんえつ物語→田季野さんでの昼食を終えて会津若松駅に戻ってからは、復路で投宿先の郡山に移動します。番外編を含めて3回に分けて辿っていく内容です。田季野さんの輪箱飯、さすがの味でした(^~^)。お腹も心も満タンにしてから会津若松駅まで歩いてゆっくり戻ります。片道徒歩20分は軽い運動代わりにも。SATONOに乗車前、何と風っこが来ていました!風っこはキハ48を改造したトロッコ列車で、JR東日本では数少ないキハ40系列の生き残りです。季節臨であちこちで運行されますが、管理人が狙っているのは首都圏からアクセスが比較的容易な方である水郡線での臨時快速。これまた時期が合いにくいんですよね・・・(^^;;)。風っこを見てからSLばんえつ物語の復路を見送った後、SATONOに乗ります。会津若松の停車時間は5分。喜多方から方向を変えて郡山に向かう復路便です。1年ぶりの乗車で会津を離れます。今年も普通車に乗り込みます。写真は郡山に着いてから撮ったものです。磐越西線は観光シーズンの週末にSLとSATONOで全線を乗り継げるダイヤに組まれているので、18きっぷを効率よく使うにはおススメの路線。単調な乗り潰しを防げます。指定券は840円しますが、グリーン車並みの設備を考えると、乗って損はないレベルです。展望席には昨年乗ってお目にかかれた青べこと緑べこがいました。その横にはアロマがしっかりと焚かれていて、改めてアロマを嗅ぐと、森林の爽やかな香りが(^-^)。本来の赤べこと起き上がり小法師は、このような色使いが基本です。今年は運行1周年であることから、記念のフォトパネルが掲出されていました。会津若松を出ると、会津盆地を逆に上っていきます。郡山までは1時間18分。往路よりも所要時間が短いので、観光要素よりも移動手段という色合いが強い行程です。車窓からは、青々としたきれいな会津の風景を撮ることができます。磐梯町で運転停車を行い、行き違いをしてから先に進みます。後半は終点郡山までの道中の続きです。
2025.10.08
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JR西日本、今月のダイヤ修正で片町線(学研都市線)にうれシートを導入することが決まりました。しかしロングシートのうれシート、これには様々な意見があり、管理人も嘗てはよく使っていた路線だっただけに気になるネタではあったので少し考えていきたい話題です。これがうれシートのロングシート版です。のれんだけで仕切れるお手軽座席指定車ですが、これが鉄道ファンや沿線住民の間で、賛否両論渦巻いています。というか、沿線住民からは否定的な声が多いのも事実なのです。※写真はJR西日本の公式HPから引用片町線は京橋~木津間を結ぶ通勤通学路線で、関西学研都市へのアクセス路線でもあることから、学研都市線の愛称が付けられています。1997年にはJR東西線の開業に伴って神戸線や宝塚線との直通運転が始まり、神戸・阪神地区からのアクセスが改善されました。この路線は大阪の電車特定区間だけに通勤客が多いですが、特に高校や大学に通う学生の利用が多いことで知られます。沿線には同志社大学田辺キャンパスや大阪産業大学、大阪工業大学枚方キャンパス、摂南大学薬学部など、中~大規模の大学がある他、高校野球の全国的強豪で知られる大阪桐蔭高校、府内屈指の進学校、四条畷(しじょうなわて)高校、東海大大阪仰星高校(学校は京阪交野線の村野にあり、途中の河内磐船で乗り換え)、同志社大学の付属高校や旧大阪第2学区と第4学区に位置する公立高校など、生徒数が多い高校も点在しているので、朝夕の混雑の改善やサービスアップは急務なのです。では何故ロングシートのうれシートしか出せないのか?これには物理的な理由があります。一番に挙げられるのは東西線の設備面。京橋駅と東西線各駅には4扉対応のホームドアがあることから、営業運転で入れる車両が207系と321系の2形式のみに限られます。また、剛体架線を使っていることから、乗り入れる207系と321系にはパンタグラフの離線対策として、特高圧引き通し工事やパンタグラフの2丁化が施行されているので、これがされていない車両は入れません。また、JR西日本は片町線にクロスシート車を投入しないことも明言していて、その理由に沿線に観光地や行楽地がほとんどないことを列挙しているからです。果たしてそうか?答えは否です。沿線には全国的にも規模の大きな吊り橋「星のブランコ」や府民の森星田園地など、春と秋の行楽シーズンにはハイキング客の利用が一定数あり、クロスシートを投入する余地は十分にあります。また、東西線開業前には221系が例外的に片町線に入ったことや、おおさか東線の新大阪開業前には223系が尼崎~放出間を走ったことがあったので、全くニーズがないといった事情はないんですよね。で、問題としてロングシート車のうれシートは300円を払ってでも使う価値があるか?これは沿線のユーザーは怒るでしょう。プレミアムカーを出している京阪との落差があまりにも大き過ぎます。プレミアムカーはラッシュ時には満席が出る程で、今月のダイヤ改正で3000系のプレミアムカーが2両に増えます。また、ラッシュ時には8000系を使ったライナーを運行していますが、ライナー料金300円に見合ったアコモデーションはちゃんと確保をしていて、ロングシートでもハイバックタイプのバケットシートを使っており、割と好評なのです。それを考えると、いかにJR西日本が片町線を軽視しているかが明らかですよね。これでは沿線に住む人が出ていきますし、街づくりの根幹を全くもって分かっていない。京阪が枚方市の再開発に乗り出したのは、沿線人口の減少が思ったよりも大きいからこそ、危機感を感じ取ってのものであることが伺えるからなのです。大阪の北河内地区は、大阪市内から北東に位置することから「鬼門」とも言われ、知名度があんまり高くないことや開発が北摂や和泉地区よりも地味な感じを受けるのは確かでした。しかし、パナソニックの本社があること、サントリーのウイスキー蒸溜所の候補地(山崎以外にも枚方市が候補地になったことは、ニッカウヰスキーのHPで紹介されています。)にもなったことから、街づくりについては一定のポテンシャルを有することが証明されています。デメリットは、片町線は事故などが起きたときに不通になってしまうと、振替輸送をしている駅までのアクセスがめちゃくちゃ悪く、中には陸の孤島に近い状態になってしまう地域があることです。特に星田~徳庵までの区間はバス路線が少ないことから、迂回路がとにかく限られます。バス路線が近くにある駅でも、京阪や近鉄の駅までは相当な時間がかかるので、使い勝手を良くしていくことは急務であるのですが、果たして幹部は分かっているんでしょうか?沿線でアクセスが比較的マシなのは、近鉄京都線と並行している祝園~京田辺間、京阪が使える河内磐船、あとは大阪市内に入って放出と鴫野ぐらいですからねえ。ただ、ロングシート指定車は肯定的に捉える客が少ないですがいます。メリットとして、足が伸ばせる、混雑を回避できるなど300円払ってでも乗るという意見もありました。鉄道開業当初の明治時代は、上等級の座席はロングシートが主流で、足を伸ばしてゆったり寛ぐといったことがステータスという考えがあったのです。しかし現在は「個」を重視する傾向が強く、プライベート空間が好まれます。阪急のPRiVACEはその流れに沿って設定された代表格で、こういった座席指定車は今後のトレンドになっていくでしょう。そうなると、改善策のヒントとなるのが、京王ライナーや京急のデュアルシート、磐越西線の座席指定車など、東日本の車両にあります。これらの車両はデュアルシートにリクライニング機構を搭載している編成がある他、磐越西線のE721系には座席指定車として使う区分にリクライニングシートを入れることで、一般車との差別化を明確に図っています。そうなると、うれシートとして使うのであれば、207系や321系の一部にデュアルリクライニングを入れたら分かりやすいと思います。データイムに普通や快速に使う場合は、ロングシートとして活用すればよいので、改造も小幅で済みますから、改造費用を1億~3億円台ということで考えると、ペイできる投資の一つです。他には、社会実験として、大阪~松井山手 or 同志社前間(おおさか東線経由)にまほろば編成を使って特急(らくラクかわち)を何日か走らせ、客の動向を見ていくのも手です。683系は放出以東は入れますから、特急料金を取ってでも乗る客は割といるかと予測します。メリットとして、片町線沿線から大阪市内に乗り換えなしでゆったりと移動できること、新大阪からの新幹線接続特急としての集客が見込めることなど、需要はあるはずです。これに関しては、自治体から要望を出すことも大事で、特に京田辺市と北河内3市(枚方市、交野市、寝屋川市)は言うべきでしょう。停車駅についても、新大阪、四条畷、星田、河内磐船、長尾、松井山手から同志社前まで各駅にするなど、乗降客の多い駅が片町線は多いですから、導入の際のインパクトは他の路線以上に大きいものが得られるのではないでしょうか。【まとめ】結論から言えば、片町線のうれシートは、正直テコ入れやアップグレードが必要になってきます。これ、JR西日本にとっては或る意味、博打だろうなと。その答えはいずれ出るでしょうが、街づくりや都市計画の観点から考えると、再考を要する施策にはなるでしょうね。
2025.10.04
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