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今日は松山市の花火大会が行われる日になっており、午前中は雨がけっこう降っていたのでこのままでは中止になると思っていたのだが、午後からは天気も回復して上場の花火見物日和になった。花火のうち阿賀会場は数年前から変更になり、昔の会場は私のマンションから花火がよく見えたのだが、今は打ち上げ会場が海のほうへ変わってしまい、山陰になってしまうのであまり見えなくなったしまった。 その代わりケーブルTVで実況放送があるので、(昔は無かったが会場が変更になってから放送するようになった)部屋の中でビールを飲みながら花火見物が出来るようになった。本当に花火を見物するなら実際に見に行くほうが迫力もあってよいのだが、私のうちからは遠いし車で出かけても混雑しているだけなので、もっぱらTVで見ることにしている。予定では20:00から1時間くらいは打ち上げるのだが、今年はあまりこれはと思う花火が少ないような気がする。 この花火大会は松山市の夏祭りのオープニングのようなもので、花火大会が始まったら夏祭りも本番を迎える。松山の祭りは秋祭りのほうがみこしの鉢合わせなどがありにぎやかで有名だが、夏祭りは野球拳踊りなどでけっこう盛り上がるし、花火から始まって8月15日くらいまで何回かのイベントがあることから、けっこう楽しめる。昔は野球拳踊りなどにも参加していたのだが今は見て楽しむくらいだ。今年は久しぶりに踊り見物にでも繰り出そうかと思っている。 wrote:
2005年07月31日
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今日が松山の今年最後の夜市だそうなので、家族で出かけてみることにした。まずは私の入院時にお見舞いをいただいていた人達に「快気祝い」のお返しをするため、デパートの催し物会場で品物を選び送ってもらうことにした。デパートではある程度の買い物をするとお中元セールの一環として(私の場合はお中元ではないが、売り場がお中元売り場でお返しを頼んだ。)くじを引かしてくれるので、子供に引かすとお茶碗があたった。 その茶碗を持ったまま電車に乗り大街道駅まで行き、夕飯でも食ってそこから夜店を見ながらぶらぶらと歩いた。夕食はけっこうううまい蕎麦屋で「蕎麦屋酒」と決め込み、冷酒を蕎麦屋自慢の肴で飲むことにした。酒の後で本格的なセイロを2枚平らげ、本格的に夜店見物としゃれこんだ。(嫁さんも子供もけっこう楽しんでいるようだった) 久しぶりに夜店を堪能したのだろうか何かを子供が買っていたが、自分の小遣いで買ったのだから黙ってみていた。1時間くらいかけてゆっくりと家へとに帰るのだが、歩いたせいかせっかく飲んだ酒が醒めてしまったので、近くに回転したコンビニで特売遺品のから揚げとおでんを買ってビールを飲みながら家まで帰った。帰ったのはよいが少し酔っ払っており、TVで野球中継を見ているうちに寝てしまい、風呂には朝に入ることになってしまった。 wrote:
2005年07月30日
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昨日は職場近くの商店街(地方都市のしょぼい商店街だが)の金曜夜市のようなものがあり、事務所の周りは交通制限で車両通行禁止になっていた。仕事で朝早くから現場回りをしていて、嫁さんの作ってくれた弁当も食べれず、(現場近くの田舎の食堂で昼食をとった)食事の時間を節約して現場で暗くなるまで仕事をして、事務所に帰ったのが8:00過ぎであった。 当然、車は通行禁止であり夜店が終わるまでしかただ無いので、運転手を残して夜店を見て回って商工会が行っていた屋台で軽く生ビールを飲んだ。(商工会の売り上げに協力する)あてとして揚げたてのてんぷらや枝豆を食べていると、商工会の顔見知りが来て生ビールをご馳走してくれた。何でも屋台の営業は20:30までで21:00時までには片付けなくてはいけないため、サービスしているそうだ。(儲けた気分) ビールを飲んだ後少し商店街をふらふらして事務所に帰り、今日の仕事の片づけをした後で最終の列車で家に帰った。JR松山駅から歩いて家まで帰るのだが、帰り道に本日開店のコンビニがあったので中をのぞいてみた。どうせなら嫁さんにお土産でもと思い開店セール特売のシュークリームを買ってうちに帰り、嫁さんの機嫌を取って空こう飲んで風呂にもはいらずに寝てしまった。(起きて風呂にはいったのは4:00くらいだった) wrote:
2005年07月29日
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退院をすることはできたが講義はまだ残っており、今日は栄養指導(食事制限)について、病院の栄養士から個別に話があった。飯を作るのは大体嫁さん(私は趣味で週に1回くらいは料理をするが)なので、嫁さんも一緒に講義を受けた。講義自体はそれほど難しいものではないが、嫁さんは初めての講義で予習などもしていないから、チンプンカンプンのようであった。 講義は30分くらいで終わったのでせっかく休みを取っていたこともあり、嫁さんとドライブを楽しんだ。地元の野菜を使ったサラダバーのあるけっこう有名なレストランまで出かけ(車で高速を使って40分くらいのところ)昼飯を食べた。さすがに野菜が美味しいと評判名だけあって、嫁さんのサラダバーを2回もお変わりをした。(私は3回お変わりをしたが) ドレッシングも自家製のもので、梅の実ベースのものを含め(これが一番気に入った)4種類あり、ドレッシングだけでも美味しく食べることができる。ランチもえっ乞うボリュームがあり満腹になった。栄養指導を受けて食事制限のことを聞いて少ししか立っていないのだが、美味しいものには目が無くて少し食べ過ぎたかと反省している。しかし、今日はさすがにビールは飲まなかったので、少しは勉強が身についているのかなと思っている。 wrote:
2005年07月28日
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私の職場の野球部が県大会(私の入院中の先週の土曜日)において、準優勝をすることができた。県下から予選を勝ち抜いた8チーム(松山地区だけ3チーム)でトーナメントを行い、見事準優勝をすることができた。私は参加できなかったが、選手が相当がんばったのだと思う。特に先週の土曜日は晴天で暑かったので、選手は相当ばてたのではないだろうか。 私がもし参加できていても、登録選手の25名には成れても、ベンチ入りの16名の中に選ばれるかどうかわからない。それほど私の事務所のチームは選手がそろっている。聞くところによると、県大会は南予予選と違って打棒爆発で、危なげなく決勝戦まで勝ち進んだそうだ。決勝戦では東予ブロック優勝の四国中央市のチームに接戦の末敗れたそうだが、勝っていたら県大会初制覇になっていたところだ。 今年は晴天が続いたので確かに練習は良くやったし、投手を始め守備が良いのでそこそこは勝てると思っていたが、県大会準優勝とは驚いた。私は入院していたので参加できす非常に残念だ。来年もこの調子で県大会初優勝と行きたいものだ。野球に参加できなかったのにも増して、試合当日に祝勝会を兼ねた慰労会を行っており、それにも参加できなかったのが本当に残念である。 wrote:
2005年07月27日
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昨日退院して今日から早速仕事である。10日ほど現場も見ていなかったしメール等も見ていなかったので、朝1番の列車で普段より速く事務所に行き、パソコンを立ち上げてメールも見てみるとなんと87通も来ていた。事務所の連中からは私が入院をしていることを知っているからそれ以外から平均8通のメールが1日当り届いていたことになる。 役場等の官公庁は土曜祝日は休みで、ほとんどメールなど出すわけが無いから実質はもっと多くのメールが送られてきたことになる。内訳は仕事関係のメールが2割くらいで、趣味関係が3割くらいあり、半分くらいはどうしようもないメールである。普段こうゆうメールは気がつくとすぐに削除しているので、こんな伊多く迷惑メールが来ているとは知らなかった。 机の上には決済用の書類が溜まっているし、入札結果で担当者の割り振りなど月別の報告関係をどっさりあり、書類整理をするだけで1日が過ぎてしまった。私のいない間に工事に関しては大きな問題は無かったが、やはり問題が皆無というわけではなく、担当者から問題について説明を受けた。そんなこんなで仕事復帰1日目だというのに、残業をする羽目になってしまった。仕事が1段楽したのが8時過ぎだったので、今までなら時間つぶしに一杯やるところだが、今日のところはまっすぐ家に帰って風呂に入って寝ることにした。 wrote:
2005年07月26日
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今日で長かった入院生活も終わり、明日から仕事に行くことになっている。退屈ではあったが良い骨休みができたと思う。 午前中に最後の検診を受け、午後から講義を受けて退院の手続きをして、料金を払って(嫁さんが)無事退院となった。今度の入院は検査と講義だけであったが、検査の結果も特に悪いところがないとわかったので、食事にさえ気をつければ健康そのものだということだ。 食事だが病院の食事は薄味でまずいと思っていたが、家の味付けよりも濃い味の料理が多くけっこううまいと思って食べることができた。ただし、量は少ないしビール等の酒類も無いので楽しみの少ない食事であった。特に朝食にパン食が多く米の飯の好きな私にはあまりなじまなかった。きっと料理の手間を抜くためにパン食にしているのでと感じている。 今日は私の病室(6人部屋)で2名の退院があり、昨日1名退院しているので半分になる予定であったが、良くしたもので2名入院があった。今日は退院したので好きなものを食べようと思い、家族で晩飯に焼肉を食べに行くことにしている。ビールもたっぷりと飲んで暑気払いをしないとこの夏を越せそうも無い。糖尿病など糞食らえである。 wrote:
2005年07月25日
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今日は自宅で外泊中のため、朝はゆっくり起きだし嫁さんに朝飯を作ってもらい、散歩をして少し新聞をでも読んでTVを見た。今日は高校野球地区大会の準々決勝で一番面白いといわれている日である。テレビ局(地方局だが)も気合が入っており、2会場を2元中継の完全生中継をしてくれたおかげで最後まで見てしまった。結果は接戦ありコールドゲームありではあったが、退屈せずに久しぶりにTVの前に陣取っていた。 普通なら野球の観戦にはビールが付き物だが、さすがに入院中の身の上でありお茶だけの観戦となった。(残念!)入院といえば、明日退院予定であり今日はおとなしくして、明日退院したら銭湯に行き病院の垢を落とした後、焼肉でビールを飲む予定である。(ほどほどにしておくつもりだが、嫁さんはあまりいい顔をしていないが・・・) この日記を書き終えて、風呂に入ったら病院に帰らなくてはならない。病院では相撲でも見ながら退屈な時間を過ごすとするか。今日野球観戦の合間に散歩に出かけたら、やはり入院している人も公園を散歩していた。どうもこの近くに住んでいるみたいだ。食事のほうも自分の好きなものを食べることができたし、あと少しで入院生活も終了である。 wrote:
2005年07月24日
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今日は試験外泊の日になっているため講義も無く、朝から退屈な1日になりそうである。私が朝から家に帰らないのは(夕方から家に帰るのだが)嫁さんが東京へ遊びに行っているため、家に帰っても飯の心配からしなくてはならないからである。夕方の飛行機で帰宅予定だそうだから、その時間に合わせて家に帰ろうと思っている。 午前中には上司が見舞いに来てくれ、野球の県大会が今日行われると伝えてくれた。11:00から試合だそうでその前に病院によってくれたそうで、仕事のことなど詳しい話をすることができた。(特に工事等には問題はないみたいだ)野球の応援にいけないのでチーム・メイトにがんばるように伝えてもらうことにして、高校野球の県大会をTV観戦することにした。 どうしても講義や検査が無いと時間をもてあましてしまうので、TVカードを購入してテレビばかり見てしまう。今日は自動販売機で新聞も買って、隅々まで読むことにした。そんなことをしているうちに夕食の時間が過ぎやっと家に帰れる時間となった。家に帰っても嫁さんはいないので、明日の朝に食べる食材をスーパーに買いに行き、食事の準備をしていたらやっと嫁さんが帰ってきた。何でも東京で地震があり、飛行機の出発時間が遅れたそうで、帰宅時間も遅くなったそうである。何はともあれ家族全員で今日は寝れそうだ。 wrote:
2005年07月23日
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入院生活も9日目になって最後の検診がある予定だったが、病院の手違いで月曜日になってしまった。昼から連絡があると思いずっと待っていたし、看護婦さんに何回も問い合わせをしてもらったのだが、医師の時間が取れなかったようだ。入院しているから時間の変更が可能だが、外来であったら問題になるところである。総合病院の悪い所を見たような気がした。 おまけに午前中の講義ときたら、古くて面白くもないビデオを見て研修だと、本当に馬鹿にしている。これで講義料を取るなら詐欺のようなもので、「金返せ」といいたくなるような内容でほとんど勉強にはならなかった。楽しみなのは食事くらいしかないが、食事もやはり量が少ないため食べたような気がしない。(そこそこ美味しいので特にそんな気がする) 本を読んだりしているが、講義が無いとやはり退屈で時間つぶしが難しい。調べ物をするのにもインターネットも無いからどうしても医師や看護婦に聞くことになってしまう。せめて各階に1台くらいはITが使える設備がほしいものである。そうすれば自分で新しい知識を知ることができ、それによってもっと専門的な質問を医師や看護婦にすることができるし、講義の予習や復習もできよい結果が出ると思うのだが・・・。 wrote:
2005年07月22日
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退院が月曜日に決まり、そのうえ土曜日には外泊となっているため、入院生活もあと少しになっている。講義もあと2時間くらいで終了だし、検査も一様すべて終わったそうだから、これからは楽珍な入院生活になるだろう。担任に必要な書類や保健書も提出したし、着々と退院の準備も進んでいる。数えてみると12日間の入院生活になる予定である。 昨日は首のエコーと負荷心電図の検査があったが、どちらも午前中だったうえに、午後の講義も14:00からの1講義しかなかった関係で午後は暇をもてあました。ベットで横になっているとついうとうとしてしまい、気がついたら嫁さんの来る時間になっていた。(おかげで夜があまり眠れなくなった)保健書を受け取りナース・ステーションに出した後で、看護婦さんから退院の手続きの説明があった。(保険用の診断書等についての説明等) 医師の回診もある予定だったが午前の講義中に行ったらしく、病状や検査結果などの詳しい説明は受けれなかった。退院までには検査結果の説明は受けておきたい。入院生活も8日目になると特別なことが無い限り、だんだん書くこともなくなってくる。運動のために病院内を隅々まで歩いており、この病院で迷うことは無くなったと思う。 wrote:
2005年07月21日
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今日で入院生活も1週間が過ぎたが、生活状況は少しも変わらない。午前中に1講義を受け午後にも1講義を受けて、その間にいろいろな検査を受ける日が続いている。昨日は「筋電図」の検査を受けたが、電気ショックを与えるため防犯グッズ(スタント・ガン)のような機械を圧しつけられた。痴漢撃退用の機械が医療に使われたいるのをはじめて知った。(本当は医療器械から防犯用に利用されたのかもしれないが) 面会時間に事務所の仲間が「お見舞い」を持ってきてくれたが、仕事のほうは特に問題ないようだ。(1週間くらいで問題続出になれば普段の現場管理ができていないことになるが・・・)面会任意は嫁さんと子供以外来ていなかったので本当にうれしかったが、仕事帰りであったので、面会時間終了まであまり時間が無く話すことができなかった。もう少し面会時間に余裕があったらと思う。また、食事時間と重なっていたので相手も何か邪魔をしたような感じになったのではないか。 食事は久しぶりに夕食に肉料理が出たが、食事制限中なのでやはり量が少ない。家で焼肉等を食べるならご飯を減らして肉をたっぷりと食べるのだが病院食ではそうもいかない。味のほうはけっこう旨いので、(私は好き嫌いは無いのででなんでの食べられるのだが)もう少し量はほしい気がする。食事制限を勉強に入院しているのだから、食べれないのが普通であるとわかってはいるのだが、やはり美味しい食事はもっと食べたいと思ってしまう。 wrote:
2005年07月20日
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外泊を終えて入院生活も6日目になったが、一人退院して空ベットに新らしい入院患者が入ってきた。これで空ベットがなくなったのだが、この新人看護婦の処置が多く1時間に2回くらいは看護婦が病室に来るようになった。しかも看護婦と大きな声で話すので寝ていると眼が覚めてしまう。処置をする音もけっこう耳につくし安眠妨害である。 入院中の講義のほうは午前中に1講義、午後に1講義と比較的楽なスケジュールで、午前中は腹部のエコー検査があり、午後からは水虫治療で皮膚科の診察があった。皮膚科の診察は診察室に呼ばれ、15分くらい待ったが30秒くらいの診察で薬を出してくれるだけであった。(本当に診察しているのか疑問) 腹部エコーのほうは午前中だが、食事は絶食のため朝飯は抜きである。(楽しみがひとつ減った)検査にはどれも異常は無いみたいで退院の日取りも決まったようだ。主治医とインターンらしい女医が今日から来て二人体制で診るそうだが、早速インターンのほうが午後から30分くらいつまらない質問をしに来たので適当に答えておいた。 退院も決まり入院生活も残り少なくなったが、(入院生活自体短いが)あと少しの辛抱でまた美味しいお酒が飲めそうである。(コラ!コラ!) wrote:
2005年07月19日
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昨日の夜は自宅で寝たせいか夜中に起こされることも無く、電灯が点いている所で寝る訳でもなく、自分のペースで寝ることができたので、朝の目覚めもさわやかだった。朝の採血も無いためゆっくり起きだし、新聞もじっくりと見ることもできた。朝飯も久しぶりに納豆を食べれたし、嫁さんの作った野菜たっぷりの味噌汁も飲むことができた。 トイレも他人のことを気にせずにできるし、やっぱり家は良いものだ。昨日に医師から運動も許可されていたので、公園まで出かけて行き40分くらい朝食後に歩いてみたら、汗だくになってしまった。今日は休日のせいか公園の周りを歩いている人も多く、公園内のテニスコートでは朝早くから高校生が練習をしていた。(奥様連中も少しいたが) 散歩後シャワーを浴びて少し調べ物をした後で、昼の食事の買い物に出かけた。自分の好きな物(一様は食事制限はあるが)を食べれるので、刺身と枝豆を買ってきた。オニオン・スライスを作らせこれにビールでもあれば最高なのだが、今回は血液検査か尿検査でばれて今週末の外出が禁止になるとたまらないので、自粛することにする。 昼食を食った後この日記を書いて、少し運動をして風呂にはいれば楽しかった自由時間も終了ということになっている。外出簿には病院に16:00に帰ることにしているが、家は近いので16:00に家を出ても許容範囲内で病院にいけるだろう。後はまた退屈な病院生活の始まりではあるが、また今週の土曜日には外泊の許可を取るつもりだ。 wrote:
2005年07月18日
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今日は外泊の許可が出たため夕食後家に帰れることになった。入院3日間で一様の検査が済んだのか、運動も基本的にできるようになり、外泊・外出も許可さえ受ければできるようになった。早速許可を受け夕食後(19:00ごろ)今日は家に帰り、明日の16:00までに病院に行けばよいことになっている。 今日から軽い運動も許可になり、昼食後病院の周りを30分くらい歩いてみたが、病院内も休日のため冷房が止められており暑くてたまらなかった。16:30ころに嫁さんが着替え等を持ってきたので、外泊することを伝え明日の朝飯の準備のため買い物を頼んだ。(明日は久しぶりに病院食以外の食品が食べられる。)病院の食事も思ったほどまずくは無いが、甘ったるいパンに味噌汁の組み合わせは勘弁してもらいたい。 今日の講義は午前中に1講義あり、測定器の使い方であったが私の測定結果を見て、ほかの連中はすごく良い値なのでびっくりしていた。私自身もなぜ入院しなくてはいけないのかが疑問なくらいいろいろな検査結果の値は標準値を示している。あと10日くらい入院しなくてはいけないようだが、ほかの人の話を聞くと切羽詰って入院している人もおり、私など軽い病状なのであまり心配しなくても良いなと思ってしまう。 wrote:
2005年07月17日
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今日は朝から7回も採血があるので時間的な余裕が無く、起きてから何度もナース・ステーションに足を運んでいる。その間に午前中に1講義と午後に1講義が入っているのでゆっくりと休む時間が無い。ベットでうとうととするとすぐに次の行動になり、本を読むにもおっくうにになってしまう。こういう時はどうしても雑誌か新聞を読むことになり、あまり勉強にはならない。 今日は休日(公立病院のため土曜日休)のためか食事も手抜きが多く、朝はパンと牛乳と味噌汁という具合に何かアンバランスである。しかもけっこう甘いパンが出てきて口に合わない。やはり私は米の飯が良いし医師も日本食は「糖尿病」には最適なのだといっていた。献立表を見ると休日(土曜日から月曜日まで)の朝飯はすべてパン食になっている。こんな食事が3日も続くとなるとせっかくの楽しみが台無しである。 そのうえ休日ということでクーラーがはいっていなく、梅雨明けして暑い日中は汗が出てたまらなかった。看護婦に文句を言うと、クーラーは点けているそうだが入院棟しか点けていないため効きが悪いとのことだった。明日からも暑くなりそうなので、嫁さんにうちわを持ってきてもらった。入院3日目で娑婆の風が恋しくなっており、(特に隣のベットの奴が外泊OKで今日はいない)ビールと枝豆で軽く一杯やりたい天気である。(変な梅雨は今年だけにしてもらいたい) 梅雨明けおめでとうございます。! wrote:
2005年07月16日
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昨日はあまり寝られず(5時間以上睡眠を取ったが)4:30には家に帰り日記を書いた。病院と家は歩いて3分位の所にあるため、必要な物があれば無断で外出して取りに帰っている。ウォーキングをする格好で歩いていると誰にも止められず、30分以内で帰るので看護婦も気がついていないようである。 本日の予定は午前中に「眼底検査」と「採血」があり、午後から2時間の講義となってはいたが、病院の手違いで「眼底検査」は12:30ごろになってしまった。この検査は瞳孔を拡大するため1時間くらい必要なうえ、検査後に目の調子がおかしくなるため(3時間くらいは物がボヤットしか見えない)講義に支障が出ないような配慮をしているのだが、午後一番のような時間になったので14:00からの講義はぼんやりとしかホワイト・ボードの文字が見えなかった。 講義のほうは相変わらず「糖尿病」の合併症のことについてが主であり、あまり面白くは無い。退院時に講義のテストがあるそうだが、0点で退院が伸びたことも無いみたいだ。病院食は薄味で美味しくないといわれているが、この病院の平均的な味付けは家よりずっと濃い味でけっこううまい。各食事前に血糖値の測定があるがいたって健康的な数値が出ている。何処が悪くて入院となったのかいまだ不明である。 wrote:
2005年07月15日
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今日から入院するわけだが、病院もずさんなもので入院の連絡すると言っていたがその連絡も無く、何処へ行くともわからないので受付で聞くことにする。私は初めての入院なので勝手がわからず(よくわからないのが幸せかもしれないが)担当の看護婦さんに迎えに来てもらってやっと病室に行くことができた。 それからオリエンテーションとなるわけだが、急な手術があったそうで次に看護婦さんが来たのは1時間30分たっていた。あたふたと入院の説明とアンケートを済ませ、病室等の案内をしてもらったが、早すぎてよく理解できない。困ったことが起こればその時に聞けばよいと考え適当に流しておいた。 昼食後はゆっくりとできるのかと思っていたが、入院時の検査と病気についての講義で18:00までびっしりと予定が詰まっていて、ゆっくりと昼寝をする時間も無い。明日も同じようなプログラムだそうで、(予定表には午前中は検査、午後から講義)ゆっくりと休める入院とは程遠い内容である。 夜は比較的に自由だがお風呂の時間が決まっており、お風呂から出るとすぐに看護婦さんの最後の検診があり、それが済むと消灯時間となり本を読む時間もあまり取れない。消灯になっても私のベット近くに安全灯が点いており、明るくて寝付きが悪かった。病室がトイレに近いせいか水の流す音も気になったが知らないうちに寝てしまっていた。 wrote:
2005年07月14日
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日頃の不摂生がたたって先週の金曜日に病院で受けた血液検査の結果、血糖値が以上に高いため精密検査と食事指導のため明日から入院することになった。初めは12日からの入院の予定であったが、病院の手違いでベットが空いて無く明日から入院となった。仕事のほうはサブリーダーに一様のことは頼んできているし、ゆっくりと骨休めに良い機会だ。 病院も歩いて3分くらいのところにあるので、酒を飲みに帰る訳には行かないが、洗濯や風呂に入りに帰れるし、本などの必要なものを取りに行くことも簡単だろう。私自身初めて入院するわけだが、(嫁さんや子供は何度も入院しているベテラン)それほど心配はしていない。明日からの日記は入院の合間に家に帰って送信するわけだが、あまり緊張の無い入院である。 食事制限の指導もあるようなので、食事のことでも書いておこうと思ったりしている。いよいよ「私の入院日記(今日は何を食べたのか)」でも退院まで書いていこう。さて、今日は家で食べたのだが、「枝豆、味噌汁、秋刀魚の焼き物、ご飯(さすがに酒は飲まない)、サラダ、モズク」と健康食品でまとめている。明日の朝は家で食べれるが昼からは病院食である、どのような献立になっているのか、今から楽しみだ。 乞うご期待!! wrote:
2005年07月13日
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昨日も事務所の中堅・若手とオフ会と称して飲み会を行った。1段落した仕事がありその打ち上げであったが、今回の仕事は私の部署だけでなくでなく、他の部署に応援をお願いしていたので、その慰労もこめて松山の少し高級なところで行った。宴会開始が20:00と少し遅かったが、そこは酒飲みの集まりでお開きになったのが0:00過ぎであった。 その店にはいろいろな焼酎が置いており、今話題の(もう私にとっては遅いと感じているが)「魔王」や「森伊蔵」などのブランド物の焼酎がおいてあり、若い衆は喜んでロックで飲んでいた。支払いの段になって驚いたのは6名で6万5千円ほどだったことである。最初はビールの大ジョッキを各自2~3杯飲んだ後は、全員焼酎のロックしか飲まなかったのに、一人1万円以上という値段にはびっくりした。 当然予定していた金額オーバーであり、会合飲食費では落とせる金額ではないので、残りは自前となったが、それでも私たちの利用する居酒屋より高い金額を負担することになってしまうので、仕方無く私が年長者でもあり半額くらいは支払った。応援の者にケーキのお土産でも持たせて返そうと思っていたのだが、飲代に消えてしまった。 昨日の反省:決して焼酎は安上がりではない! wrote:
2005年07月12日
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先週の土曜日から日曜日に抱え大雨が降ったので、また何処かの河川や道路が傷んで出動がかかるかと思ったいたが、今回はそれほど大きな被害がなく事務所待機で済んだ。私たちの事務所の持ち場でも少しは被害はあったが、交通止めが必要な所もなく人家等にも特段の被害もなかったため通常事業の範囲でのパトロールで良かった。 月曜日は忙しくなると覚悟して、お泊まりグッズを用意して事務所に出かけたのだがそれも不用となり、残業はしたが最終列車で帰ることができた。しかしながら、嫁さんには事務所で泊まることを前提にしていたため、携帯で晩飯のことを言ったら何も用意していないと言いやがった。仕方がないので外で食べる羽目になったのだが、23:00近くになってしまっているので普通の食堂など開いているはずもなく、居酒屋で軽く一杯飲むことになってしまい、家に帰ったもは2:00くらいだった。 これなら事務所に泊まっていた方がだいぶ楽であると次の日の列車の中で思ったが、私の大雨に関しての予測がはずれたのだから仕方がない。しかしけっこう安くとおいしい居酒屋をJR松山駅周辺で見つかられたのは収穫だった。こら空遅くなったときには何回か利用してみよう。 wrote:
2005年07月11日
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今日は雨の中久しぶりにお袋のところに行ったが、(自転車で10分くらいの距離だが普段は嫁さんや子供に用事を頼んでいる)入り口までTVの音がしていた。お袋は言わないがどうも聞き取りにくくなってきているので、TVの音を大きくしているらしい。お袋ところに行くのはお袋のほうから用事があるときに電話がある時に、時間を見つけては月に何回かは私自身で行くようにしている。(一人暮らしだが元気なので心配はしていないが) 今日は私の入院の保証人に成ってもらうための書類を持っていったのだが、私が早口で語尾がはっきりしないせいか書類を書いてもらうのに手間取った。家に帰って老人性の難聴についてITで調べてみたら、「聞こえているのだが、内容がよくわからない」という老人性難聴の症状が出てきたみたいなので、これから話しますよというジェスチャーをまず見せ、ゆっくりとはっきりと区切って話せばよいとわかった。 そういえば、電話で話すときはゆっくりと話すせいか、それほど変化に気がつかなかった。また、老人性難聴(感音難聴とも言うらしいが)は聞き違いが多いとも書いてあったが、頭のほうははっきりしているのか、そちらのほうは無いようなのでゆっくりとはっきりしゃべろうと思っている。嫁さんや子供にもそのことを言っておけば、会話もスムーズにできるのではないかと思っている。 wrote:
2005年07月10日
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今日も昼から警報が出て事務所から呼び出しがかかった。なんでも河川と道路のパトロールが必要だそうで、早急に来てくれということだったので、朝から事務所に出かけて待機をしており、パトロールなども支障なく実施することができた。前回(先週)の大雨の被害が大きかったので、役所のほうも心配しているのだと思う。 今日は昼から、盆を返した雨と言うのが似つかわしいくらいの大雨が事務所付近で振ったが、(時間雨量38ミリ)被害は報告されなかった。雨の中藤何回もパトロールを実施したが特に破損したところも無く良かった。17:00前には警報も解除され雨も15:00ころからはほとんど振っていなかったので、最後のパトロール班が帰ったら慰労会を行った。 今日は松山に帰り飲むことにしたので、若衆の車に乗せてもらい松山に帰ってきた。途中で国道沿いの河川を見たが、あまり水位は上がってないみたいだ。今回の豪雨は時間が短かったので、大きな被害にならなかったが、去年より雨の量は少ないが狭い地区で振るので、心配である。これからも少しの間はつゆ空を見ながら、じめじめとした生活を続けなければならない。 wrote:
2005年07月09日
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松山市の市営プールは公募により「アクアパレット・まつやま」に決まったが、最後の点検に同行して中を見せてもらった。水不足によってオープンが危ぶまれていたが、先週の雨で予定とおり7月17日(日)にオープンするそうである。午前中に招待客を集めてのオープニング・イベントを行い、一般開放は午後からになるそうだ。 ごみの焼却場の熱を利用する温水プールをはじめ、年間利用が可能な室内プールで環境などにも気を使っているそうだが、少し贅沢に施設のような気がする。堀の内にあった旧の市営プールは地下水を使っていたせいか非常に冷たく、休憩時間に飲む熱い飴湯がすごく美味しかったのを思い出すが、新しいプールには何か名物になるような物ができるのだろうか。 郊外に作った総合運動公園ではあまり利用客が無いかも知れず、大きな赤字となって私たちの利用料や税金が無駄になるのかと心配してしまう。車があれば良いのだが、交通の便もあまり良いとは言えないので、子供らが楽しめるのか食堂等も無いので不便なような気がする。市内の便利な位置にあった旧の市営プールのことを思い出しながら、一度くらいは客として新しいプールにも行ってみたい。(実は私は元水泳部・・・) wrote:
2005年07月08日
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雨模様だったのにここ数日は天気が良くなり、今日は七夕である。綺麗に天の川が見ることができないが、雨は降らないのでマンションの入り口に子供たちが作った笹飾りも無駄にはならなくて良かった。笹飾りといえばJR松山駅にも3本の笹飾りがあり、子供たちが願いことを書いてあった。マンションも今日は七夕祭りをしたが、子供たちが作った笹飾りを中心にささやかな焼肉パーティを行い、けっこう楽しむことができた。 現場から笹(本当は竹だが)を切ってきたり、焼肉用の炭などを準備したりで大変だったが、子供たちがはしゃいで焼肉を食べているのも見たり、幹事たちで慰労のビールを飲んだりして、やっぱり七夕祭りをやってよかったと思った。マンションの管理費等を住民同士のコミニケーション向上を図ることに使えるように法律が改正されたので、第1回目の事業として七夕祭りを管理組合の事業として立ち上げてみた。 天気が心配であったが、天の助けか雨が降らなかったため成功したと思っている。これからもおいおい管理組合主催の事業を立ち上げて住民同士の連携を高めたい。しかし、参加者(参加料1家族1000円は少し安かったのか)が多くなり、私は枝豆は食べれたが肉にはありつけなかった。食物類の予想は天気によって左右されるため、本当に難しいことがわかった。後のほうで参加した家族はビールも無くなり近くの酒屋に買いに行き、たこ焼きを酒菜に飲むことになった。来年の幹事さんはもっとうまくやってもらいたい。 wrote:
2005年07月07日
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昨日までの雨が嘘のように今日はなかなか良い天気で、やっと現場も大雨の跡片づけから新しい仕事へ移ることが出来る様になった。大雨で被害を受けた(水に浸かった人家等)所も朝から片づけを行っていたが、どの年寄りに聞いても今回の大雨は異常だったといっていた。昭和からこの方これほどの雨は無いとのことであった。 天気が良くなったので早速県大会向けて、野球の練習を始めたろころ、役場から練習試合の申し込みがあったので軽く相手をしてやった。仕事の関係でベストメンバーではなかったが、相手に花を持たせながら楽しく野球が出来た。試合はうまくやれずに惜敗したが本当に実力は当方のほうが数段上のようだ。 その後、慰労会と称してビアガーデンで軽く一杯飲んで帰った。飲み会の話題はやはり大雨で河川が増水したため、護岸がけっこう傷んでいるので、どれくらい家の仕事で直すことが出来るのかとか、野球の試合のことが話題となった。私は審判とコーチをしたので、出場の機会は無かったが久しぶりの野球というのに、選手の動きはスムーズだった。 松山に帰って仲間と久しぶりにスナックへ行き水割りを飲んだが、相当酔っ払っていたのであまり旨いと思わなかった。 wrote:
2005年07月06日
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昨日は朝から現場へ行きっぱなしで、このの始まりは一昨日の19:00頃に役場から大雨による崩土で道路が通れなくなっているという通報が入ったので、残っている仲間と段取りをして、作業員に電話をして対応する準備をしたが、雨の止まず辺りも暗いし、夜の通行など少ない山道なので、作業中に2次災害のおそれもあることから、作業を中断させた。 関係機関(役場等)にそのことを連絡して、通行止めにしてもらい作業員に通行止めの手配をして上司に連絡し朝1番で取り除く段取りをした。作業が終わったのと、段取りが終了したのは23:30くらいになっていたので、コンビニで酒と飯を買って事務所で本当に遅い食事をして、仮眠室で泊まった。(本年度2回目) 朝5時には起きてシャワーを浴びて、コンビニ弁当で朝飯を食って、集まってきた作業員に指示をして崩土除去に送り出した。担当の若衆がくると一緒に現場に行き現場での指示をした後、パトロールを少しして午前の仕事は終了の予定であったが、もう少しで事務所に帰る所で携帯電話がなり、別の現場に行ってくれとの連絡だった。雨が続いているので、これからこのような事が増えてくるだろう。もう雨はたくさんである。 wrote:
2005年07月05日
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土曜日と日曜日は尾オアmwが不利松山地方の水不足もすっかり解消したが、日曜日に現場パトロールを行って驚いた。去年も相当雨は降ったが、河川の水は去年の最大水位よりあがり、普段はつからない部落にも床上浸水を始め被害が出た。 私の関係する現場でも同時に工事を行っている橋梁工事(今話題の鋼鉄製の橋梁)で仮橋と現場事務所が流された。彼らだって素人ではないのだが、雨の降らないことで、現場事務所(プレハブ性)を少し低い所へ設置していたが、今回の大雨ですっかり流されどこに行ったのかもわからない。(仮橋の1部は500mくらい下流まで流されていた) 日曜日に現場を見ていると、ヘリコプターが飛んでいるのに気がついていたが、うちに帰ってTVを見ると、船を見に行って川の中へ入った人が流され、救出するためヘリコプターが出動したそうである。それも同じ船を岸につなぐため、同じ食堂の人が二人も同じように流されて、同じようにヘリコプターに救出された話を聞いて、バカではないかと思った。 イラクに行って首を切られ若者に対し「自己責任で・・・」と、政府やマスコミなどは言っていたが、大雨の降った川に入るのは、今のイラクに行くくらい危険であるとわからないのだろうか。一方の若者は非難されその上殺されたのに対して、船を追いかけた人は何事もなく救出されて、少しくらいは怒られるかも知れないが、原則的にはおとがめ無しだろう。 自己責任で行動するのは同じだと思うのだが・・・。 wrote:
2005年07月04日
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先週の金曜日(夕方は雨が降ったが)までは松山地方は渇水で、上水道の取水制限も行われていたが、今週週末は打って変わって大雨である。TVでは大雨で浸水した家屋にニュースは流しているが、あれほど危機感をあおっていたダムの貯水率が、回復していることなど少しも放送しない。取水は雨が振り出してから1日くらいで起こるし、浸水知る地域が特定であるのでニュースになりやすいとは思うが、浸水の関係ないところはダム注水率の回復状況のほうが関心がある。(そういえばダム放流のサイレンがなっていたようだが) 今新聞の特集に渇水対策の記事があるが(なんと雨の降り出した昨日から連載が始まった)、きっと大雨のほうに関心が行ってしまい、渇水のことなど忘れてしまうだろう。ニュースのインタビュウーで「お天道さんが雨をいっぱい貯めとったのよ」といっていた人がいたが、TVを見れば床上浸水をした家の掃除をしながらのコメントであり、松山人のたくましさを感じた。 それにしても、昨日の夕方に少し雨はやんだが、金曜日の夕方から振りっぱなしである。しかも、雷を伴って強く振ることもあり、今年も異常気象が続いているのかと思ってしまう。昨日の連句の勉強会で後句付けとして、 「百姓を泣かすつもりか旱梅雨」という句に「恵みとなるか今日は雨降り」と後句を付けのだが、この週末の雨では、 「百姓を殺すつもりで振る豪雨」という前句に「恨みに思う雨乞いの歌」と後句を付けるようになっている。いつになったらこの雨はやむのか・・・。 wrote:
2005年07月03日
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今日は庚申庵文化財講座の第2回目で「道後温泉本館」についての抗議があった。道後温泉本館は現役の先頭でありながら国の重要文化財に指定されているもので、江戸時代には身分の高い人(武士や豪商・豪農等)や湯湯治に来る人ばかりでなく、けっこう賑やかであったそうだ。残湯を牛や馬に使わす所もあったと聞いている。 この牛・馬の湯は場所が変わったが昭和40年代まであり、講座の受講者の中にはそのことを知っているお年よりもいた。古い地図や道後温泉の案内状などにも、温泉の由来である「玉の石」も描かれており、現在のところにあることは文献では聖徳太子の時代にまでさかのぼり、地図では江戸初期の地図に描かれているとのことだった。 現在の建物は明治27年に建てられ、その後何回も増改築をされながら現在に至っているそうであるが、来年くらいから平成の大改修を行う予定だそうで、今回の大改修はお客を入れながらの改修となり、金額で約30億円、工期11年くらいを予定しているらしい。その間足場を組むため姿は見ることはできなくなるため、観光客の減少が心配されている。 その他、道後温泉周辺には建築学的には珍しいうえに面白い建築物が多く、来月の講座には現地でそれらの建築物を、実際に見学しながら講義を受けることになった。しかも標準の2時間ではなく、4時間くらいかけてゆっくりと回る予定である。 wrote:
2005年07月02日
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今日は久しぶりに雨がふり(ほんの少しだが)、朝は傘をさして事務所にきた。普通の年なら雨降りだと作業員もいい顔をしないもだが、こうも水不足になっていると雨が降ったことを喜ぶようになっている。作業員の中には農業をしている人も多いので、今日の雨は本当に恵みの雨になっただろう。 松山も少しは雨が降ったそうで(ダムの貯水率を上げるほどではないが)少しは水不足の解消にはなったのだろうか。今は渇水対策として海水の淡水化が研究され、有望な新水源として期待されているそうだ。コスト面においても少し高い水にはなるが、新しいダムなどを造るよりは経済的だそうで、環境にも優しいそうだからすぐにでもプラントを作ればと思ってしまう。 県庁や市役所は先進地に視察に行き、工場なども見てきたのなら、ぐずぐずせずに見ず不足の解消案を示してほしい。これから伝出納になって困るのは自分谷なのだから。 wrote:
2005年07月01日
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