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何事も頑張りすぎず 自分に忠実で素直に成って 友達を大切にして自分をいじめないこと これに反すれば悔いは残る その上で”どう生きるか”を念頭に それをさせないカルマを浄化すれば 小さいながらも納得がゆくだろう 人生の悔恨はそこからで のびのびと安らかに生きること それでいて他に迷惑をかけず 感謝して敬うこと 感謝が無く、かけた迷惑をすべて差し引けば 答えはすべてマイナスになってしまうだろう 閻魔さんはそれを観ているのかも知れない 生真面目な人ほど”ねばならない”が多く、自分を良く見せようとしたり、ガチガチの枠に自分を入れようとする傾向が強く、神経症に成りやすいが、何事も頑張りすぎず、自分に忠実で素直に成って友達を大切にして自分をいじめないことだろう。友達と言う縁を生かしきれず、人の善意を邪気に利用するとき、自分には嘘を付けず自分の品格を落としてしまい悔いが残ることに成ってしまう。”どう生きるか”を念頭においていれば、それをさせないカルマ・業【何度も犯す過ち、分かっていてもやめられない、どうしようもない、可愛そうな自分と思う心、理性でも抑えにくいもの】を浄化すれば、小さいながらも納得が行く歩みが出来るだろう。殆んどの人生の悔恨はそこからで、自分の中に有る憑依霊みたいなものとして誰かに除霊してもらっても直ぐに元に戻ってしまう、甘い信心でカルマを悪霊のように外のせいにせず、相当の覚悟で浄化して、のびのびと安らかに生きていること、それでいて他に迷惑をかけず、恩恵には感謝して敬っていること、感謝の念も無く、かけた迷惑をすべて差し引けば、答えはマイナスになってしまうだろう。閻魔さんはそれを観ているのかも知れない。 2012年6月30日 琢
2012年06月30日
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新緑を満喫して 自然の中に身を置けば 心のどこかに癒しあう友がいる 性別に関係なく 今度は彼等と共に来ようと思う 人知れずそっと咲く花に 瑞々しい空気に包まれ 小鳥の鳴く声に 無欲の自分が癒されて 木陰から見える町並みが小さく 小さな自分で良かったと思う 二見で観る自分から抜け出して 宇宙大自然と一体化するような清々しさに 今を生きれば良いのだと思わせてくれる 一人山に来てみれば、雑踏から離れた自分の中に、何も勝ち取るものが得られなかった理由が見つかったような気がしてくる。二見で観る唯物的なものを追いかけるのが使命ではなかったのかも知れないと。すべて負け組みだったにもかかわらず良き友だけが残っていたことは、自分の人との関わりで良かったのだと思わせてくれる。新緑を満喫して自然の中に身を置いてみれば、心のどこかに癒し合う友がいて、性別に関係なく今度は彼等と共に来ようと思う。人知れずそっと咲く花に目をやって、瑞々しい空気を吸いながら、小鳥の鳴く声に、無欲に成れている自分が癒されて、木陰から見える町並みが小さくて、こんなひと時を自由に味わえる小さな自分で良かったと思う。宇宙大自然と一体化する心境を求める自分の中にほんの少し清々しさを感じて、今を生きれば良いのだと思わせてくれる瞬間を与えられた悦びに感謝する自分がいた。 2012年6月29日 琢
2012年06月29日
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違和感は受け止めるときに感じ 慣れればそれは無くなる 体験が多いほど少なくなるもので 期待が多いほど感じる 期待が無ければ面白くなく 期待はずれが多いのは 希望と目標が多いからで 違和感を必然と思っておけば 原因の修正が出来る 何も考えていなければ困惑して 怒り、恨み、憎しみが湧いて来る 自分を中心に置くほど増えるものだが 信念が無ければ流されて 今をどう生きるかが消えてしまう おかしい、違う、何でやねん、と思うことはしばしば起きるものだが、自分の思っていることとは全く違うものに接するとき、違和感を感じてしまう。自分の思惑や目論見と全く違うものを受け止めるときに感じるもので、慣れてしまえば薄れてゆくのだろう。体験が多いほど少なくなって、期待が多いほど感じ、期待が無ければつまらないものに感じてしまう。いったん受け入れても期待はずれが多いのは希望と目標が固まっていてその運び様が気に食わないから違和感を感じてしまうもので、すべて必然と思えば原因を探して修正することも出来る。何も考えていなければ困惑して怒り、恨み、憎しみが湧いて来てしまう。自分を中心に置くほど増えるものだが、信念に自信が持てなければ流されて、今をどう生きるかの大切なものが消え失せてしまう。 2012年6月28日 琢
2012年06月28日
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何が正しいかは 自分の心の中の神仏に問いかけ 過去の体験と智恵で判断する 言動の責任はすべて自分で 責任転嫁は自分の品格を落とし 世間を狭くしてしまう 絶対は無く相対で他を受容して 和を心掛けるのが妥当で 智恵はそこから湧いて来る ガラスのようにパリンと割れないように 柔軟性が求められ 判断基準は”見えないものの力”を中心に ソフトとハードのバランスを保つこと ソフト・設計が良ければ ハード・建築物は倒れない 便利なものは始めはひらめき・ウイット・発想・アイデアからでそれを何度も失敗改造しながら作られている。発明王といわれたエジソンは99%の努力と1%のひらめきだと言った。そういうものが産業を活性化させるもので、人は製品を、それを買うお金を唯物的なものを求めてしまうが、今そういうノウハウが優れているのが日本で世界が注目しているのだろう。何が正しいかは自分の心の中の神仏に問いかけ、言動の責任のすべてを背負い、責任転嫁は自分の品格を落とし、世間を狭くしてしまうことを肝に銘じておくべきだろう。この世に絶対は無く、架空の正論を振りかざすことなく相対で受容して和を心掛ける方が妥当だろう。智恵はそこに積み上げられるものでガラスのように簡単にパリンを割れてしまわないように柔軟性が求められている。判断基準は”見えないものの力”を中心にソフトとハードのバランスを保つことで、ソフト・設計が良ければ、ハード・建築物は倒れないと信念を固めて、自分の中に有る無限のエネルギーを引き出すときなのだろう。 2012年6月27日 琢
2012年06月27日
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永遠のテーマは 2500年経っても 唯物的には説明できない 文化文明の因は目に見えないものからで 目に見えるものだけでは表現できず 幸せや美しいものも心の有り方からで 形而上的なものだろう 元気も病も元は心からの因だろう 因には目的因、作用因、質量因、形相因が有って ソクラテスはそこまで来ていた 釈迦の説く因縁果報もその頃で イデアの哲学はギリシャの前から有った 何千年経っても疑問は消えていない 求める割り切りは千差万別だろう そもそも西欧に哲学は紀元前500年の頃からと思われ、ソクラテスあたりで始まったようで、弟子のアリストテレスは因と縁の関係に言及していて、プラトンはイデアと言って永遠の真理を求めようとしていたようだ。アレクサンドロス大王の家庭教師をしてギリシャ帝国の根本哲学になっているアリストテレスの哲学にも因と縁の関係について考えていたようで、釈迦の因縁果報の悟りも届いていたのかと思う。永遠のテーマは2500年経っても唯物的には説明できず、文化文明の因は目に見えないものからで、目に見えるものだけでは表現できず、幸せや美しいものも心の有り方次第で、形而上学的なものだろう。元気も病も心からの因で、因には目的因、作用因、質料因、形相因が有ってソクラテスはそこまで来ていたそうだ。釈迦の説く因縁果報の教義の後だろう。祈り・神仏への交信がキャッチされていたかのような現象かも知れない。イデアはプラトンの哲学で永遠の真理を求める心でギリシャ帝国の前から有ったようで、何千年経っても疑問は消えていないことになる。人それぞれの求める割り切りは千差万別で、魂の奥底に秘められたものを発見して自分の意志を固めることで、どんなことにも対応できる無限のエネルギーを引き出す時期に今来ているのだろう。唯物的なものを求めていたのではいくら経ってもそのエネルギーは出て来ないだろう。イデア・永遠の真理はそこに有るのだろう。 2012年6月26日 琢
2012年06月26日
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罪を犯せば同じ人を許せ 負い目の有る人は同じ人を理解し 馬鹿をやった人は同じ人を受容できる 愚かさの自覚が有れば 他を差別できず見下すことも出来ない 罪人の方が懐は深いかも知れず 人を馬鹿に出来ないことを知っている それでも生かされている恩恵を知る人は そのありがたさが解かっている 自分で何でもできたと思う人は 感謝する必要を感じず 孤立して心は荒んでしまう 自己回帰すれば判ることも 自己を中心に観れば 人の傷みが解からない 自己回帰は週に一度は自分の行いを振り返って観ることで、良かれと思ってやったことでも他から見れば片手落ちで苦痛を与えていた人がいたことに気が付くからだろう。そういう意味では罪を犯したことの無い人は皆無だろう。そういう自分に気が付けば人を許すことも出来て、自分が痛い目に有っていれば人の痛みもわかって上げられるように成る。止むにやまれずそれしか生きる道が見つからなかった人のそのときの正しさは、自分が体験しなければ、愚かさを知らなければその人を受け入れるまでに至らず人の傷みが解からないのだろう。寧ろ罪を犯した人のほうが懐が広く、人を馬鹿に出来ないことを知っているもので、それでも生かされている恩恵に気が付けば、そのありがたさも解かると言うもので、自分で何でも出来たと思う人は感謝の対象が見えず誰の世話にも成っていないと思ってしまい孤立して心は荒んでしまうのだろう。自己回帰すれば判ることも自己を中心に見れば、人の傷みが解からず、癒すことも出来ず、共有し合うことも出来ないだろう。 2012年6月25日 琢
2012年06月25日
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不完全燃焼は人に悔いを残す 完全燃焼は方向の間違いを迷い 躊躇した人は燃え尽きない部分を迷う 自分の使命と思えば安心し 理由が解からなければ迷う やるだけやれた人は他への迷惑を想い 勇気が出なかった人は不完全燃焼に成る 決然と生きることの難しさだろう 考えれば考えるほど迷うのが人生で 解かれば解かるほど進化は有っても 不満が残る 人生に”これでいい”と言うことは無い 一歩踏み出す勇気が必要で それが無ければ何の体験も出来ず 阿呆の方が良いと思うときも有る 人は欲求不満気味が良いのかも知れないが、心のどこかにいつもその疼きのようなものを抱えて生きている方が、その解消への道で学ぶところも多く、身に付く繰り返しの実践と体験で応用も利くようになって来るのだろう。不完全燃焼は人に悔いのようなものを残させ、完全燃焼は方向の間違いを迷い、躊躇した人は燃え尽きない部分を迷う。心のどこか奥の方で魂の願い【転生の課題に成っている意識にインプットされたもの】を思い出してそれが使命と思えば迷いは減少するが、その理由が解からなければ迷い出す。やるだけやれた人は他への迷惑を想い、勇気が出なかった人は不完全燃焼に成る。決然と生きることの難しさを思うが、考えれば考えるほど迷うのが人生で、解かれば解かるほど進化は有っても不満が残り反省材料も増える。人生に”これでいい”と言うことは無く、一歩踏み出す勇気が必要でその一歩が無ければ何の体験も出来ず、阿呆の方が良いと思うことも有る。”どれだけ永らえたか”で無く ”どう生きたか”を思えば、自分をどれだけ燃焼させたかが問題なのだろう。 2012年6月24日 琢
2012年06月24日
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潜在意識には 体験したもの以外の意識が有る 会う人や食べ物にも好みが有るが 好奇心は未知のものを求め 殺気で危険を避けるところも有る 親に教えられていない意識も有って 自然と共生して慈しむ心も有る 過去の体験に学び難を避ける本能と 生き残るための本能が潜在している どこか懐かしい心が惹かれる未知の意識も有る 希望や願いには以前からのものが有って 潜在的なものを呼び覚ます仕組みも有る 未知の道に進もうとする確信めいたものも有る そういう意識は前世からのものかも知れない 人は肉体舟に魂が乗ったものだと言うが、肉体の寿命はせいぜい100年としても魂は永遠に生き続けて転生輪廻していると言うが、それは唯物的に証明できないものでそういうものだと思って信じるかしかないのだろう。唯識では六識・六根以外に七識・マナ識と八識・アラヤ識が有ると言っていてそれは潜在意識のことで、そこ【魂の中に有る意識の蔵】には生まれる前からの意識も入っていると言う。未体験の意識が有って、会う人や食べ物の好みも有る。好奇心は未知のものを求め、殺気を感じれば危険を避けるところも有る。親に教えられていない意識や自然と共生して命を慈しむ心も入っている。過去の体験に学び難を避ける本能や生き残るための本能が潜在している。初めての場所の景色でもどこか懐かしく心が惹かれる意識も有るし、希望や願いにも心の中に有るものと魂の中に入っているものが有る。魂の中にあるものは”空”と言われて、有るものだがなかなか思い出せないもので、その潜在的なものを呼び覚まそうとする仕組み【霊的、ユニバース的な守護指導霊を動かしたと思うような仕組み】も有って、未知の道に進もうとする確信めいたものも有って、そういう意識は前世からのものとしか言いようが無い。論じ合うよりそういうものだと思った方が解かりやすいだろう。 2012年6月23日 琢
2012年06月23日
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夫婦は相対的には一人格のように 上手く補い合っていて 自覚に無い欠落部分を埋め合い 敏感なもの鈍感なものを丁度良くしていて 足して二で割れば良いのかも知れない 共に自分が保っていると思い そのありがたさに気が付かず 失うまで不平を並べている 人の和にはそれぞれの役割が有って 全体がそれで保たれている 集団も同じで”我”が通らないように 思うように出来ないのが世の中で 結束の要が無ければ成り立たず 展望が無ければ迷走してしまう 人は一人では生きてゆけず、男女は1カップルに成って家庭が出来てお互いを補い合い、子供ができれば一丸と成って育てながら、子孫に繋いでゆくのを使命と感じ、それぞれが自己の向上を目指して和を保っている。夫婦は相対的には一人格のように上手く補い合い、自覚していない欠落部分を埋め合って、敏感なもの、鈍感なものを丁度良くしながら外の事象に対応している。足して二で割れば良いのだろうが、ともに自分が保っていると思う自主性をもっていて、そのありがたさに気が付かず、失うまで不平を並べ、互いに甘えたところをもっている。人の和にはそれぞれの役割が有って、全体がそれで保たれている。集団も同じで”我”が通らないように成っていて個人が思うように成らないのが世の中なのだろう。皆思い通りにしたいのが山々だろうが、集団の秩序を保つにはそれが許されず、集団として他の侵入を防ぎ、相互は守られていて、結束の要が無ければ成り立たず、展望が無ければ迷走するのが人の集団だろう。個人、家族、村、町、都市、国家、地球にはそれぞれの宇宙が有って、何かを中心に慣性の法則がはたらいて周っているのだろう。 2012年6月22日 琢
2012年06月22日
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相手の身に成れば 努力する人にはそれなりの苦労が 落ちこぼれる人にはそれなりの事情が 認められたければ言葉が多く 恨めしく思えば批判したくなる 二見で見れば優越感と劣等感に 諦めない人は我慢の連続で 放棄する人は現実を見ようとせず 失敗した人は反抗的に成り 瞬時の成功には保身に努める コンプレックスは偉大なことを成し遂げさせるが 敗北感を持てば揚げ足取りに専念するしかなく 相手を観ればその癒し方が解かる 自分を認めてもらいたければ 相手を認めて敬意を表することだろう 自分の信念を固めて臨場するときにその場全体の目的に従いながら個人的な意見交換で誰かと対峙する場面に出会えば、先ず相手を敬い、本筋から逸脱しないように、対立が有れば末路を考えて、その目的に話題を戻すことも必要だろう。相手の身に成れば、努力する人にはそれなりの苦労が、落ちこぼれるにはそれなりの事情が有るのだろう。認められたければ言葉が多くなり、恨めしく思えば批判的な気に成ってしまう。二見で見れば優越感と劣等感の取り合いで疲れ果てて自分の本意を見失ってしまう場合が多い。諦めない人は我慢の連続で、放棄してしまえば現実を見ようとせず、失敗すれば反抗的に成ってしまうのが人情かも知れない。瞬時の成功を収めれば保身に努めようとして自己保存で構えてしまうのも人情。コンプレックスを以って人知れずひたすら忍耐し、忍辱した人は稀に偉大なことを成し遂げるものだが、二見の争奪戦で敗北感を持てば揚げ足取り合戦をしてしまう。そういう人の心の動き・心理的なものを良く知った上で相手を観ればその癒し方も解かるようになる。結局、自分を認めてもらいたければ、心から相手に敬意を表して、相手の立場も視野に入れながら受け入れる、認めることしかないだろう。 2012年6月21日 琢
2012年06月21日
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一通りの体験を積む仕組み 種類は同じでも時期は違い 思い当たることはさまざまで 感じるときと感じないときが有る 思考はとらわれるところに留まり 理解できるものを共有できるが 未体験の理解は表層だけで忘れ 試練を掘り下げるときに思い出す 言霊は心の何処かに残るもので 適切なときに当てはめてみれば 大きな参考に成る 考えなければ想像も出来ず うわべだけに一喜一憂する 自分を救う智恵は 敏感に感じるところに始まる 歩みの中には避けて通れない道があって好むと好まざる気持ちにに関係なく、満遍なく与えられるとしか言いようの無い試練が次から次へと迫ってくるのが人生なのだろう。試練の裏には願いがあるというが、願いを持てば必ず相応の試練が来ていたように思う。誰でもそれなりの幸せを感じていればこのままずっと行きたい、新たなものはいらないと思っていても四苦八苦は洩れなく仕組まれているとしか思えず、避けて通ることは出来ない。一通りの体験を積むようになっていて、種類は同じでも次期は違い、思い当たることはさまざまで、感じるときと感じないときがある。思考はとらわれるところに留まり、理解できるものを共有できるが、未体験の理解は表層だけで忘れ、試練を掘り下げるときに思い出す。言霊は心の何処かに残っているもので、適切なときに当てはめてみれば大きな参考に成る。考えなければ想像できず、うわべだけに一喜一憂するが、自分を救う智恵は敏感に感じるところに始まるのだろう。 2012年6月20日 琢
2012年06月20日
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眼下に電車が走り 高速道路の向こうには淀川の川面が 林立するビルをホテルから見れば 守口シテイホールが懐かしく 母の葬儀を思い出す 過去を蘇らせ、良かったと思う いつの日か自分も其処なら良いと思う 薄曇りの向こうに山々が有って 里山の懐かしさも浮かんで来る BGMを聞きながら昔を偲び 未だ何も出来ていない自分でも いつそのときが来ても良いと思えることに 昔なら考えられなかっただろう 代償果報を求めなく成れたからか のんびりした気持ちのときも有る 毎朝の勤行としてブログの原稿をコーヒーを飲みながら書いている駅前ホテルの最上階から見下ろしてみれば、眼下には京阪電車が走り、高速道路の向こうには淀川の川面が見える。林立するビルの中にあの母の葬儀をしたシテイホール守口が見えて懐かしく思う。振り返ってみればあのときのことが思い出され、父の死以後自分の生まれ故郷の大阪に戻って来た母、次第に年老いてゆく母、介護の日々、山茶花に送られた日、ぬくもりの有る元は結婚式場として建てられたホールでの葬儀が偲ばれる。いつの日か自分も其処なら良いだろうとか思う。薄曇りの向こうには山々が見え、まだま村の里山も浮かぶ。未だ何も出来ていない自分でも、いつそのときが来ても良いと思えるように成ったなんて昔なら考えられなかっただろう。代償果報を求めなく成れたからだろうか。のんびりとした気分のときも有る。 2012年6月19日 琢
2012年06月19日
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どの時代にも人は心の安定を求めているが 変化がそれを許さない 政治経済にはその変化は当然で その時代に合わせている 文化にはそれが少なく どの時代にも共通するものが有る それが心の財産で 時代が変化してもいつでも味わえる 懐かしい思い出もそのまま残っていて そこに行けばいつでも有るもので 心が安堵するときが得られる それも開拓によって少しずつ減って来ている 心の財産は保存されるべきだろう 経済はそれを虚しくしてしまう 日本の神道や仏教のお祭りや行事はその地その地を象徴する形態で残っていて、キリスト教のものも受け継がれ、日本人の器用な使い分けによって皆が楽しめるように成って残されている。どの時代にも人は心の安定を求めているが、変化がそれを許さず、政治経済はそれが当然のように時代に合わせている。文化にはそれが少なく、どの時代にも共通・共有できるものが有る。それが衆生の心の財産で、時代が変化してもいつでも味わえるもので、懐かしい思い出はそのまま残されている。そこに行けばいつでも有るもの、年間行事の土地柄を表すお祭りも人の心に安堵を与えてくれるもので、国の財産と言っても良く、保存されるべきものだろう。それも開拓によって少しずつ減って成り立たなくなるのはもったいないような気もするし虚しさを感じてしまう。死ぬときに持ってゆける思い出だけはお金やものに換算されるものでなく、有るべきものはいつの世にも保存されていて欲しいと思う。経済はそれを虚しく刹那的にさせてしまうのだろう。 2012年6月18日 琢
2012年06月18日
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思い出の景色は心を和ませ 昔を偲ばせてくれる 一期一会の時は戻らないが 懐かしさは残っている 日本人の心の故郷は”まほろば”だろう 玄奘三蔵は”不東”で意思を表し 求める道は”戻らず”だろう 一日は東に日の出、西に日の入りで 東に生まれ、西方浄土に逝く 一日一日が生死の転生で輪廻して 人の心に宇宙あり、慣性有りで それを繰り返すのが大自然 人はその中の一員として共生している 明日は必ず来る 明るい人、暗い人がいるのがこの世の中だが、思い通りに成らない苦しさは同じで歴史を見れば短い一生をどう送るか、どう学ぶか、転生の中で何処を浄化して心の安定に向えたかで、その充実感は違うだろう。転生が有るとすれば過去世、現世、来世が有るはずで、現世を前後にどう繋げて、どんな遣り残しをしたかなのかも知れない。自分の意志と責任で生きてどんな思い出を残し、どう生きたかが問題なのだろう。思い出の景色は心を和ませてくれるが、一期一会でその戻らない昔の瞬間を偲ばせてくれ、懐かしさとして心・意識の中に残っている。大和民族の心の故郷は”まほろば”で、衆生の心の中の何処かに受け継がれてきたものかも知れない。玄奘三蔵【西遊記で孫悟空等と共に天竺に向けて旅をして3333巻の経典を持ち帰り、長安・今の西安・興教寺で唯識を説いた人】は”不東”で意思を表し、道を求めて退路を断って決意を固めたのだろう。一日一生と思えば、人の心に宇宙有り、慣性有りで、それを繰り返す輪廻転生は大自然の営みと同じで、人はその中の一員として共生しているもので、”明日は必ず来る”として決然として今を生きることだろう。 2012年6月17日 琢
2012年06月17日
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何を以って幸せか不幸か 基準の置き方には個人差が有る 今置かれた立場を基準にすれば 世界の基準とのギャップが出来る 有るときは自分の、有るときは世界のにすれば 自分の都合次第で変わってしまう ”幸せは我が心に有り”と思えば いつ何処にいても幸せを感じ 不平を思えば不幸に感じる ”もらう幸せ”に始まり、”出来る幸せ”を求め ”あげる幸せ”!の段階に成れば ”愛”、”菩提心”が根底に育まれ 他を癒し、歓ばれる光にも成れる 取り立ててではなく自然にそうなれば 我が悦びに成るのだろう 自分の生い立ちや歩みの中で他と比較しながら幸福感の基準をそれぞれの人が心の奥底に持っているもので、何を以って幸せか不幸かの基準には個人差が有る。自分の置かれた立場を基準に上と比較したり、下を見れば左右されてしまうのが幸福感で、或るときは自分の基準、或るときは世界の基準にすれば、自分の都合次第で変わってしまうだろう。”幸せは我が心に有り”と思えば、いつ何処にいても幸せを感じられ感謝できるが、不平を思えば直ぐにでも不幸に感じてしまう。”もらう幸せ”に始まり、”出来る幸せ”を求めて育ち、”あげる幸せ”の段階に成れば、”愛”、”菩提心”が根底に育まれ、自分の貢献度を感じれば充実感も出て、他を癒し、歓ばれる光にも成れる。計算ずくや取って付けたようにではなく自然にそれが出来るように成れば、我が悦びに至ることが出来るのだろう。 2012年6月16日 琢
2012年06月16日
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”机上の空論”は、”絵に書いた餅”は 理論的なことで ”出来るはず”に留まり 実践体験しなければ 本当の仕組みが解かって来ない ”理に叶う”は理論武装が無くても 経験に基くもので 偶然でなく必然で捉えなければ 他の理解を得られず 自分一人でない恩恵の元で 協力者同志の縁に恵まれなければ 何も実現できず花も咲かない 事例を多く知るほど基盤は固まる 『為す』は一歩踏み出すことで、上杉鷹山の言う『為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり』で、どんなこともやってみて体験しなければ”絵に書いた餅”とか”机上の空論”で終わってしまい、想像上の知識だけではこの世を渡ることが出来ないだろう。理論的に可能なことも”出来るはず”に留まり、実践体験しなければ本当の仕組み・ユニバースが解かって来ないだろう。”理に叶う”は理論武装が無くても、経験に基くもので、偶然でなく必然と捉えなければ、どんなことも表層に留まって心深くに入らず、他の理解も得られないだろう。自分一人ではつくれない恩恵の基で協力者や同志の縁に恵まれなければ何も実現できず、花も咲かないだろう。”自業自得”は自分で掘った穴にはまることで、”因果応報”は自分の心次第で縁が整えばめぐりめぐって結果が付いて周る”因縁果報”のことで、事例を多く知るほど智恵が増して基盤が固まって来るのだろう。 2012年6月15日 琢
2012年06月15日
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2012年06月14日
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2012年06月14日
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2012年06月14日
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会社の信用は崩れやすく 修復するのは難しい 永年の積み重ねも一瞬で消えてしまう 人間の信用も同じで 構築するには時間を要するが 消えるのは一瞬の内で 邪気がその原因に成っている 邪気の元は煩悩で 理性がそれを抑えているが 欲望が理性に打ち勝つとき すべてを失う覚悟を必要とする 何処で他を傷つけているか解からず 気が付かなかったでは済まされない 窮屈なくらいで丁度良いのだろう 良かれと思ってやったことが裏目に出る場合が多く、何処でその原因が発生したのかが判らず苦労することはしばしば有るが、あとに成って他から聴かされてそうだったのかと思うことも多い。本当はそのすべてを読んだ上で行動するべきだと思うが如何せん人間には愚かなところが有るもので、どこか抜けているところが出てしまうのだろう。煩悩を優先したがために邪気が出てしまうことが多く、会社でも同じことが言えるが、信用はそんなときに崩れてゆくもので、構築するには永年の積み重ねが必要だが、失うのは一瞬のことだろう。建前が良くても直ぐに本音が出てしまうもので、そのギャップが大きいほど人を失望させてしまう。人は基本的に善意で解釈しようとしてくれるがそれを当て込んで自分だけの邪気を表に出せば、一度は許してくれても二度目には拒否されてしまうだろう。欲望が理性に勝つときにすべてを失う覚悟をしておくべきで、言い訳や責任転嫁も見苦しいものにしか見えないだろう。何処で他を傷つけているか解からず、気が付かなかったでは済まされないことも起き易い。多少窮屈なくらいの方が丁度良いのかも知れないが、事件の前には必ず警鐘が鳴っているように、心して真剣に周りの反応を見ておくことで未然に最悪のことを防ぎたいものだと思う。 2012年6月14日 琢
2012年06月14日
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2012年06月13日
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2012年06月13日
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2012年06月13日
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雨にかすむ見山の郷 大ぶりの大根の葉 開いていない菜の花の束 大きな竹の子 朝の収穫と農家の心 野菜をたくさん車に積んで まだま村に来る人は多い 木々の葉は鮮やかで 新たな思い出をつくりに来る ”念ずれば花開く”に促がされ 和絆を結びにやって来る 昔キリシタンの隠れ住む千提寺 生き生きと 雫の艶に 蘇る 里山長閑 自然の緑 雑踏の中に入れば、行き交う人との関わりがよそよそしく、それどころでない忙しさを抱えている人が多いのだろう。よどんだ空気は星を隠して、以前よりは少しだけ星の数が増えてきたのは、皮肉なことに工場を人件費の安い外国に持っていってから光化学スモッグも無くなってきたが、技術的ノウハウももっていかれたようで、第三の国難と言われる今、過去を修正して新たな世界のリーダーとしての道を模索しているのだろう。時には雑踏から離れた里山に行って、心をさわやかにすることも必要だろう。茨木には見山の郷が有って、そこに有る市場に行けば今朝取れた畑の作物が並んでいる。まだま村に行くコースに入っていて、いつも買い物をするのを楽しみにしている。農家の心をたくさん車に積んで、合掌つくりの茅葺き屋根の前に有る石碑”念ずれば花開く”を肌で感じに行く人は多い。坂村真民先生の言葉だが何故か心に染み入るもので、新たな思い出をつくり、和絆を結びにやって来る。昔は隠れキリシタンが住んでいたと言われ、潜心するための隠れた大阪の近場だろう。 2012年6月13日 琢
2012年06月13日
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2012年06月12日
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2012年06月12日
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2012年06月12日
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遊び感覚は表層に終始する場合が多く 基礎が無ければ得るものも少ない ゲームは気分転換のもので すべてを賭けることは出来ず 奥ゆかしさにも成らない 下手な鉄砲でも 真剣に取り組まなければ 迫力も歓びも少なく 何事も基礎の上での発想でなければ 徒労に帰す場合が多い 逃げ腰的に思われがちで 動機が浅く 失敗すれば傷は浅いが自分だけでなく 相手に迷惑をかけることに成る 社会では他に及ぼす影響は大きい 裕福になればゲーム感覚が蔓延して、遊興のつもりで、大事にしなければいけないものまで軽い遊び感覚で処理してしまう傾向が出て来る。遊び感覚は気が楽だが表層に終始する場合が多く、基礎を積んでいなければ得るものも少なく、人間には気分転換・転依が必要だが、すべてを賭けることができず、当然、奥ゆかしさにも成らない。どんなことも始めは上手くゆかず、下手な鉄砲でも真剣に取りくまなければ迫力も歓びも薄い。何事も基礎の上に摘んだ発想でなければ徒労に帰す場合が多く、逃げ腰的に思われてしまい、動機が浅く、失敗すれば傷は浅いが、自分だけでなく相手にも迷惑をかけることに成る。ゲーム感覚で人を倒してもリセットすれば戻ると軽く思っている若者が増えて来ているが、被害者の親族の恨みと苦しみを思えば厳に戒めるべきだろう。”己の欲さざることを人に施さず”で、自分に置き換えてみれば我慢が出来ないことを軽い気持ちでうっぷん晴らしを人にしないことだろう。社会では他に及ぼす影響は大きい。 2012年6月12日 琢
2012年06月12日
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2012年06月11日
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2012年06月11日
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2012年06月11日
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休日のホテルの朝はあわただしく レストランは賑やかで 人の動きが多い方が活気が有って アジア系の人たちは区別が付かない 言葉は中国語が多くなり 繁盛している方が微笑ましい 貧富の差が激しいそうだが 上流の人たちだろう 『ジャパンシンドローム』には良い傾向だろう 奈良、京都、神戸への中心地で 観光や買い物には便利だからだろう 守口市駅前には他の恩恵も有るだろう 世界が日本に求めるものは 心と景色の美しさと目指す文化の最先端だろう これからは追いかけられる目標に成って先導することだろう 今まではアメリカに追いつけ負い越せの追従の日本だったが、今では最先端の技術とファッションのお手本のような国に成って、フランシスコザビエルが言う『人が良く親切でやさしいが貧しくても品格をもっている国』として、戦後の飛躍的な復興を果たし、経済大国に成って、フランスに学ぶファッションも最高レベルに成って、世界に大きな影響を及ぼすように成ってきたとみんな思っているだろう。ロイヤルパインズホテルにも各国からの宿泊客が多くなって、ブログの原稿を書いていると、中国語、韓国語、フィリピン、インドネシアのアジア系の言葉が多くなって、地下の駐車場では日本全国のナンバープレイトの車が目立ち、日本中にも行き渡っていることを窺わせている。世界経済の低迷に活性を与えるはずの地球を背負った日本のはずが不況と災害も有って『日本症候群』と英国誌に載せられているそうだ。周囲が海でその美しさは何処にも有って、最先端の文化文明と心地よい真心の接客術を学びに観光客は増えて来ている。世界への責任感は重く、リーダーとして一皮向けた国に成ろうとすることの無力、非力を感じているのだろうが、追われる立場に立って世界の真のリーダーとして新たなものを作り出す先導をするときが来ているのだろう。 2012年6月11日 琢
2012年06月11日
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2012年06月10日
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2012年06月10日
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2012年06月10日
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人には自分の枠が有って 生い立ちや家風の影響が有る 人との交流で別の枠を学び 多少の修正をするが 本性は変わらない 集団に入ればその枠に従うが 主義主張や器によって立場は異なる 摩擦によって川の石のように角が取れ 丸いほど収まりやすく 枠を必要とする人とはみ出そうとする人がいる 一匹狼を望む人には居心地が悪く 協調性の有る人は上手く溶け込んでいる 社会ではそこが分岐点に成って いつも相手の立場を理解できるように努力して 摩擦を少なくすることが求められている 結婚は忍耐と妥協だと言ったが、この世に生きていれば人皆生い立ちの血、地、知が違っていて、当然のように個人差が有る。人にはその先祖、親からの枠やその地の風土風習や時代の知の違いから決まってくる枠が有って、人との交流で別の枠を知って、相手を受け入れようとすることから多少の修正をするが、本性は変わら無い。集団に入ればその枠に従うしかないが、主義主張や器によって立場が異なり、摩擦によって川の石のように角が取れて、丸いほど収まりやすく、枠を必要とする人とはみ出そうとする人がいる。一匹狼を望む人には居心地が悪く、協調性の有る人は自然に溶け込んでいる。社会ではそこが分岐点になるが、生きてゆくには働かなければ成らず【生きることが優先で、働くことはその糧で命を保ち、どう生きるかに自分の本意が有るもので、唯物的なものを得ることが人生の目的ではないことに気が付いていない人が多い】、その秩序を守ろうとすれば、みんなと仲良くした方が居心地は良いだろう。そのためにいつも相手の立場を理解する努力が必要で、摩擦を少なくすることが求められている。 2012年6月10日 琢
2012年06月10日
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2012年06月09日
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2012年06月09日
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2012年06月09日
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集団にはさまざまな人がいて 人脈を広げることになる 集団にはそれ自体の目的が有る 営利団体、奉仕団体、学習団体等々 それぞれの結束が有る 愚直な人や邪気を持つ人もいて 個人の目的意識の違いも現れてくる 自分の土俵で相撲を取る人、合わせる人 個性を出す人、出さない人 趣味と実益を兼ねようとする人 共通点を持つ派も出来る 本音を建前が有って そのギャップは理性で埋めている 非社会的な動きは排除される どんな集団にもその目的が有るが、それに向かおうとする気持ちは一つに成っていても必ず個人的な小さな派が出来るのが常だろう。全体の枠の中にはさまざまな人がいて、人脈を広げることに成って自分を咲かせるチャンスも有る。種類には営利団体、奉仕団体、学習団体等々有り、それぞれの結束が有って社会的な影響を及ぼしている。そこには愚直な人、邪気を持つ人もいて、個人の目的意識の違いも現れて来る。自分の土俵で相撲を取る人、合わせる人、個性を出す人、出さない人、趣味と実益を兼ねようとする人がいて、噂はとんでもない波紋を投げかけて、大概は理性がはたらいてそれとなく治まっているものだが、誰にも本音と建前が有って、本音を優先させると争いや摩擦が起きはじめる。何かの都合が有って辞める場合と自分の行いで品格を落として辞めざるを得ない場合も有って、和気あいあいとした集団の中にも必ず問題点が包含されている。自分を咲かせる縁になる友達も出来るが、センスが無く非社会的な動きをすれば全体の中に居られなくなってしまう。自分を外から見てもらえるチャンスも有って、修正浄化する良い場でも有るだろう。共有できる相手が出来れば絆も結ばれる場にも成る。 2012年6月9日 琢
2012年06月09日
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2012年06月08日
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2012年06月08日
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2012年06月08日
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はたらきかけは 自分がつくる場合、外から来る場合 急を要する場合、良く考える場合 毎日飽きが来ないのは 気を抜けないからだろう ミスが多いほど慎重になり 余計なことで足を引っ張らないように その智恵は蓄積されるもので 落ち着いて対応するための 常識や定石に成っている はたらきかけの無いものは孤独なものだが 自分を必要以上に忙しくすれば その対応はいい加減になり 余力を残していれば拒絶は少なくなって 他の期待に応えるゆとりが出来る 孤独感を避けるために自分を忙しくさせ、人の話を聞かず困ったときだけ自分の苦しさを人に聴いてもらおうとする人がいるが、殆んどがうわのそらが多く、本当に困ったときには誰も本気になってくれなくなっている場合が多い。はたらきかけや呼びかけは、自分がつくる場合と外から来る場合、急を要する場合、良く考えなければ成らない場合といろいろ有って毎日飽きが来ないのは気を抜けないからだろう。ミスが多いほど慎重に成り、余計な手間で足を引っ張らないように、同じ失敗を繰り返さない智恵が蓄積されるのだろう。何か起きた場合に落ち着いて対応するための自分の常識や定石に成っている。はたらきかけや呼びかけは人為的につくることができず、無意味に自分を忙しくさせていればその声を聴くことができず、寂しい思いをすることに成るだろう。その対応はいい加減なものに成るだけでなく世の中を全く見えなくさせてしまう。心にゆとりが有れば拒絶が少なくなり、自分本位を人に強いることも無く、他の期待に応えることが出来るだろう。本当に忙しいときに良き縁は生かされるが、いい加減な対応を繰り返していれば気が付いたときには友達さえ失っていることが多い。 2012年6月8日 琢
2012年06月08日
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2012年06月07日
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2012年06月07日
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2012年06月07日
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アメリカ式経済はコイン方式 歴史より今力の有るものを優先 心を”割り切り”で支配する 必要なものを必要なときにコインで買う いつ役に立つか救われるかは問題でなく 結果重視でそれを支えている必要を思わない ランニングコストのかかるものにコインを入れない 日本の経済もその合理主義で成長した ものごとの順位は問題でなく 恩義より勝利者を尊敬する 本来の日本文化は厳かで その過程に学ぶことが多く 恩義や姿勢を重視して来た 感謝は直接的でないものにも及んでいる 愛が浸透するまでは時が必要だろう 国境に囲まれず周りが海で囲まれているのが日本の国で、シルクロードを通して伝わる西洋や東洋の文化を参考に独自の文化を持ち、鎖国で世界に遅れを取った文化文明を急速に取り入れ急速に追いついたが、敗戦後にもアメリカに学び、追いつけ追い越せで短期間で経済大国に伸し上がった国に成った。アメリカ経済はコイン方式で、歴史より今力の有るものを優先し、”割り切り”で心を支配できる。必要なものを必要なときにコインで買い、ランニングコストのかかるものにコインを入れない。ある意味では使い捨て経済で、ものごとの順位は問題でなく恩義より勝利者を尊敬する。日本の経済もその合理主義で成長してきたが、本来日本文化はもっと深くその過程に学び、恩義や姿勢を重視する民族が大和民族なのだろう。今、最高峰の文明国に成って、追いかけるものが無く、自分で独自のものをつくり出して世界を引っ張らなければならないときが来ているのだろう。感謝は直接的でないものにも及び、愛が浸透するまでは時間がかかるのかも知れない。 2012年6月7日 琢
2012年06月07日
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2012年06月06日
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2012年06月06日
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