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流通が盛んに成れば 便利に成ってその地は活性化するが 外来種で生態系が乱れ その地特有のものが失われてしまう 古来から受け継がれた風土風習も 人の心の中の思い出も減少して 唯物的価値判断に変わってしまう 人がその中心軸を見失うとき 心も乱れ、価値判断も変わって 善悪の基準さえ判らなくなって来る 50年で狂ったものは 50年かけて戻すしかなく ”覆水盆に返らず”の部分も出て来る 最小公倍数と最大公約数の違いを理解して 失われた”見えないもの”への再確認が必要だろう 世の中便利になるのは良いことだが、悪い部分の認識と分別が出来ていなければ単なる成り行き主義的に成って、どうにも収拾が付かない状態に成ってしまう。世界の流通が盛んに成れば、新鮮なものや必要なものがその日の内に手に入って便利になる反面、生態系を乱す別の種類の生物も受け入れることに成って、その地特有のものが失われてゆくことになる。価値判断の基準も唯物的に成って、古来から受け継がれた風土風習や人の心の中の懐かしい思い出も失われてゆくことに成る。その国にしかない人の良さ、親切、優しさ、整然とした品格が薄れて刹那的に、利己的に成って、その中心に有る軸がぶれていってしまう。心が乱れ判断基準や価値観が変われば善悪の基準さえどこに有るのかさえ判らなくなってしまう。50年で乱れたものは50年かけて直すしかないが”覆水盆に返らず”の部分も出てくるだろう。物事を決めるとき、単なる多数決だけでなく、最小公倍数、最大公約数の意味をよく理解した上で決断することも必要だろう。 2012年9月30日 琢
2012年09月30日
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自分のことに成れば他が見えなくなって 子供のことに成れば特別視する 微笑ましいことも度を過ぎれば迷惑で 子のしたことを正当化する それが人情かも知れないが 平均軸を中心に客観的に見なければ 当事者の都合は平行線に成る 相容れない情況は分裂を起こし 怨み憎しみを残すことに成る 自分にも相手にも害に成るもので 一触即発から破壊行為に成ってしまう いつも心を理性的にしていれば 客観的思考も出来て 相手の理解も出来るように成れ その社会の摩擦が少なくなるだろう 人間社会での鉄則は相手の立場に立って見ること、相手の止むに止まれぬ正しさを理解すること、それが出来れば相手も自分を理解しようとしてくれる。摩擦は利害で起きる場合が多く、偏見を無くさなければ,中立的見地に立たなければエスカレートしてしまう。大概の場合自己保存に成っているときで、他が見えなくなっているときに摩擦が起きている。子供のことに成れば特別視するのは微笑ましいときも有れば、自分の対面を優先すれば迷惑を押し付けることにも成りかねない。このしたことを正当化するのは人情かも知れないが、平均軸、中立的に客観視しなければ当事者の都合は平行線に成ってしまう。相容れない情況は分裂を起こし、怨み憎しみの元をつくってしまう。そうなれば自分にも相手にも害に成るもので、一触即発の段階では破壊行為にまで至ってしまう。いつも心を沈静化させて理性的思考が出来るようにしていれば客観的思考も出来て、相手の理解も出来るようになれるだろう。ひた隠しにして伏せていれば摩擦は大きくなって真実が見えなくなって、いつまで経っても和解が出来ないだろう。 2012年9月29日 琢
2012年09月29日
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記録はいつか破られる 拳銃無宿、剣の道もそうで 現状維持は許されない 目標や夢はいつか達成出来る その執念は誰の心の中にも有って 飽くなき精進が有れば いつか必ず達成するときが来る 当初には考えられないことも いつか実現のときが来る 我慢強く諦めないこと 放棄したときに進化が止まる 可能性は誰の中にも秘められていて その力を発見すれば元気に成る 元気が出れば何でも出来る 直観力も冴えて来る 記録は前人未到のものであっても、いつか破られるときが来るもので、この世には信じられない変化がいつも起こっている。記録は破られるために作られているようなもので、あとに続くものがそれを塗り替えるときが来る。日本も過去2回の国難といわれた試練を抜けてきたが、国土が狭く、資源の無い状態で経済大国に成ったのには、国民全体がその方向に向かって結束していたからだろう。土地が無くても資源が無くても気力さえあればそんなことも出来るのが人間なのだろう。上り詰めれば現状維持は許されず、追いかけられる側に立つことに成る。向く表や夢を掲げればいつか達成するときが来るもので、その執念は誰の中にもあって、飽く無き精進さえあれば、いつか必ず達成するときが来る。当初には考えられないことも実現のときが来るが、放棄したときには進化が止まってしまう。可能性は誰の中にも秘められていて、それを信じてその力を発見すれば、それまでの苦労が報われて、今まで以上に元気に成ってしまうし、元気が出て来ればなんでも出来ると思うように成れて直観力も冴えて来るように成れるのだろう。 2012年9月28日 琢
2012年09月28日
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心ある人、それどころで無い人 いつも善でいられないのが人間で 神経の向けるところに心が行っている 善だけでは食ってゆけない世の中では 悔いは残るがそうも言っていられない現実を抱え 騙されないよう、裏をかかれないよう 神経をすり減らしている 現状は油断大敵で 良いことは分かっていてもそれが出来ない 家族を食べさせ、守ることの厳しさ 仙人のように霞では生きられない かろうじて法の網にかからないように 生き地獄がこの忍土 他に迷惑をかけないのは至難の業で それでも明るくエンジョイ出来ればだった 資金繰りの恐ろしさを思うと何も出来ずに時間ばかりが無駄に過ぎてゆくようで、時間を無駄に使うことは盗みになると仏教で戒められていても、成果を追いかけていれば人を蹴飛ばしてでも自分だけのことをしてしまう。心ある人、それどころで無い人、いつも善では生きていられないのがこの世に生きる人間で、神経の向けるところに心が行っていて思いやり、気配りのゆとりさえなくなってしまう。善だけでは食ってゆけない世の中では悔いは残るがそうも言っていられない現実が有って、騙されないよう、裏をかかれないように神経をすり減らしている。いい人に成ろうとすれば、ええ格好さらかしてと言われ、分けようとすれば全部持ってゆかれ、現状は油断大敵で、良いことと分かっていてもそれが出来ない。家族を食べさせ、守ることの厳しさは仙人のようにはゆかず、かろうじて法の網にかからないようにするのが精一杯で、さながら生き地獄なのがこの忍土だろう。だから磨かれるのだろうが、他に迷惑をかけないのは至難の業で、自戒を持ったつもりでもどこかで抜けている自分だったが、それでも明るくエンジョイできればと、ストレスからの神経症と戦っていたころを思い出す。超えたつもりでもまだその上の試練が待っているのが忍土だろうが、神も仏も無いのかと何度も思ったことが有った。今は悠々自適かといわれるが、まだ至っていない自分を責めている。 2012年9月27日 琢
2012年09月27日
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旧交を温める相手も 相応の時を経て 後進に道を譲るときで 過去の学びを伝える段階に至って 燈台のように照らし 事故を未然に防ぐ役を担う 荷が重くなれば智恵を出し リングに上がるものに指示を出す 人に支えは必要で 見えないものの大切さを知る 場の支えが無ければ 主役は演じられなくなる 陰で闇を照らすことで そこにいるものは救われる そんなときが来ている 昔から”老兵は消え行くのみ”とか”枯れ木も山の賑わい”とかの言葉が有るが、主役と脇役の交代の時期が有るもので、心身ともに勢いが有って光り輝く時期が昔より若くなって来ている。『老巧』とか『老かい』な部分の体験と智恵と人脈は必要だが、体幹と精力的なエネルギーが必要な時代に成って来たように思う。”古希”に成れば旧交を温める相手も、相応の時を経て後進に道を譲るときが来ていて、過去の学びを伝える段階に至っている。燈台のように照らし、事故を未然に防ぐ役を担い、荷が重くなれば智恵を出して、リングに上がるものに指示を与える。人には支えが必要だがいつまでも主役のつもりを捨てて、月のように陰で場を支える側に立って、見えないものの大切さを教え、底知れぬ力を秘めた人たちに気合を入れて気力を充実させる陰の黒子に徹しなければ主役が演じられなくなってしまう。陰で闇を照らすことは地味なことだが、そこにいるものは救われることでそのありがたさが身にしみて解かって来るだろう。もう、そんなときが来ているように思う。 情けにも 恩着せ無きの 奥ゆきに 忘れまじとの 報いる決意 2012年9月26日 琢
2012年09月26日
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笑顔には言葉は要らず それだけで充実ぶりが解かる 納得して満足しているようで 周りの心も和む 眉間に皺が有るだけで 不機嫌に見えて周りを緊張させる 人の表情を観れば その心境が読めるもので 未熟さも表情に表れている 同伴するものにはその原因さえ判っている 人の本能的観察力はすごいもので 自分一人では見えないものを見付けてくれる 友のありがたさが身にしみる 心を開けられる人がいれば心強い 人の直感は結構当たっているもので、子供は特にそれが敏感で感受性が強いのだろう。自分には自分のことが見えず、人には見えている場合が多く、人に見てもらって自分を改めることが多い。それも心を開けた友や同志でなければ言いずらいもので、自分を進化させるには絶対に必要なものだろう。言葉は言霊というくらいに大きな力を持っているものだが、笑顔には言葉は要らず、それだけで充実ぶりが解かる。納得して満足しているようで周りの心を和ませるが、眉間に皺が有るだけで不機嫌に見えて周りを緊張させてしまう。人の表情を見ればその心境は読めるもので、未熟ささえ表情に表れて読まれてしまう。夫婦や友、同志のように長く付き合うものにはその原因さえ判ってしまう。人の本能的な観察力はすごいもので、自分一人では見えないものを見つけてくれるもので、絆に結ばれたもののありがたさが身にしみて解かり、心を開けて付き合う人がいれば心強く思えるだろう。お釈迦さんが弟子のアーナンダに言った”友との縁は人生のすべてだ”の意味が解かってくる。 感謝こそ 道の極みと 仏道に 菩提の心 にじみ出てこそ 2012年9月25日 琢
2012年09月25日
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親を軽んずるとき 自分を軽く見るのと同じで 親の遺伝子で成り立っている以上 その嫌な部分は自分の中にも有って その修復が出来れば 親の魂は救われることに成る 自分の使命の半分はそこに有って 残りは転生の魂の中に有る 前世以前からの課題を成就すること 親と言っても父母からのもので 結局3種類のカルマの浄化を要する カルマを観抜く力が必要で それを浄化する力も必要に成る チャージしてチェンジする意思を持って チャレンジすれば必要な元気が出て来る 人には好奇心が有って、それを充たすため歩みが人生と言っても良いくらいだろう。すべてに疑問を持ち、それを解消することで受け入れて、その中から自分の好きな道を見つけ出すことで自分の情熱を傾ける方向が見えて来るのだろう。ほとんどが暗中模索の感が有るが、そのヒントは親や一族と何度も見る夢や思わぬ体験の中に見付けることが出来るだろう。親を軽んずるとき、自分を軽く見るのと同じで、親の遺伝子で成り立っている自分で有る以上、その嫌な部分は自分の中にも有って、その修復が出来れば親の魂は救われることに成ると言う。自分の使命の半分はそこに有って、残りの半分は自分の転生して来た魂の中に有って、前世以前からの課題を成就することと言う。親と言っても父母の一族からのもので、どちらかのやって来たことと同じような境遇に自分が在ることが多く、結局3種類のカルマの浄化が必要に成って来るのだろう。カルマは、何度も犯す過ちの中に、分かっていてもやめられない気性の中に、自分がかわいそうになるくらいどうしようもなく無意識に出てしまうものの中に有るそうで、それが解からず他に責任転嫁してしまう場合が多いと言う。身の回りの出来事や人間関係には必ず自分の何らかの影響が有るもので、その原因を観抜く力が必要で、それがわかれば浄化する覚悟と力が必要に成って来る。チャージ・思い出して、チェンジ・自分を変える強い意志を持つことが必要で、それに挑戦すれば必要な元気も出て来るだろう。継承してきたものを好転させることが使命なのかも知れない。 2012年9月24日 琢
2012年09月24日
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定められた時と場では 人々がすべて善意で考えて 国境を外すとき 人の心は原点に戻れて 法律ではなく 何が善で何が悪かの分別が出来る 愛ですべてが包まれるとき 地上の摩擦が少なくなって すべての人々が笑顔で生きられるところ それが地上の平和だろう 自分の都合を優先せず 互いの止むに止まれぬ正しさを認め合う そこが楽園なのだろう すべてが等しく共生できるところ 世界の歴史を見ながら、信仰の流れを見てみれば、心の安定の歴史と言って良く、確実にそのための文化文明の発達が有ったが、戦乱が多く命の保証が無く、国境や宗教の違いが争いの元に成って、未だに心の安定が得られない時代が続いている。地球の歴史を見ても第四氷河期の前のような現象が起き始めていて、地殻の変動も始まっているように思う。国の境目が命の境目に成らないようにするにはと、自分のような小さな存在でも思ってしまう。定められた時と場では、人々がすべて善意で考え、国境を外し、法律の縛りではなく、何が善で何が悪かの分別が出来て、愛がすべてを包むとき、この地上の摩擦が少なくなって、すべての人々が笑顔で生きられるだろう。それが地上の平和で、自分の都合を優先せず、互いの止むに止まれぬ正しさの歴史を認め合えば、そこが楽園に成っているかも知れない。宇宙思考で大自然を見れば、すべてが等しく共生出来るところであって欲しいと皆が切に願っているのだろう。 果てしなく 険しく続く 天の道 受容してなほ 見えぬ道のり 2012年9月23日 琢
2012年09月23日
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自分に権威が持てないとき 中心軸がどこに有るか判らないとき 平均的な基準値が分からないとき カオス・不確定要素は人それぞれで 点でなく許容範囲内で見るしかなく 血液検査の基準値も絶対値でなく 自分の基準値を知ることで それに合わせて今を生きるしかない 他人の土俵で相撲を取れば 主導権は他に有って 自分はいつも迷うことに成る カオスを広く取ることで 自分の止むに止まれぬ正しさが出て来る 自己中に成らないように 自分のペースに引き込める人、それが出来ずに他に合わせるしかない人、判らないときには見えてくるまで発言できない人、堂々と自分の考えを言える人、それを正当化する人、人の歩みはそれぞれで、どんな話題、雰囲気にも溶け込めるような自分に成ろうと広く知識を得たり、何かの分野を掘り下げたりの努力が勉強で、その上で自分を出そうとするのは皆同じだろう。時には、自分に権威が持てないとき、中心軸がどこに有るか判らないとき、平均的な基準が分からないとき、カオス・不確定要素は人それぞれで、点でなく許容範囲内で見るしかない。血液検査の基準値も絶対値ではなく、自分の基準値を知っておくことで、それに合わせて今を生きるしかないだろう。他人の土俵で相撲を取れば、主導権は他に有って、自分はいつも迷うことに成る。カオスを広く取っておくことで許容範囲が広くなって自分の止むに止まれぬ正しさも卑下する必要が無くなるが、それを強く主張すれば自己中に成ってしまうだろう。人には中心軸が有ってそれから離れることを恐れるが、いつでも戻れる範囲を広く取って置ければたくさんの人の中心軸に合わせることも出来るだろう。社会性、協調性が無ければ孤立してしまうからそのための勉強が必要なのだろう。 2012年9月22日 琢
2012年09月22日
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四葉のクローバーは 縁起が良いと言われているが 邪気が有れば見つからない じっと見つめていれば浮いて見えて来る 指で掻き混ぜなくても ”ここよ”と言っているように 気ぜわしく落ち着かないときは 人の心も観えて来ない 自分の都合では観ることも出来ず 相手の幸せを無邪気に祈れば 人の心も観え始めて来るだろう 下心が有れば真髄が観えず ”無私”に成れば”真心”だけが 前面に出て来るだろう ”我が身本位”、”利己的”、”自己中”で自分の邪気【都合、計算、打算、意地】で人と接していれば、警戒心を煽って、人は自分の本当の姿を隠してしまい、友や同志が出来ず、真実に接することが出来なくなってしまう。人は合わせ鏡のようで、心を裸にして素直に謙虚に成らなければ、見えるものも見えず、信じあうことも出来なくなって、自分の良い芽を見つけてもらうことが出来ないだろう。四葉のクローバーは縁起が良いと言われているが、邪気があるときは見付けることが出来ず、じっと無邪気に成って見つめていれば浮いて見えてくる。指を使わなくても”ここよ”と言っているように見付けることが出来るだろう。気ぜわしく落ち着かないときは人の心も観えて来ず、自分の都合・邪気を出していれば観ることも出来ず、友や同志も見つからない寂しい思いをすることに成る。”忘己利他”・もうこりた、”無私”になって相手の幸せを無邪気に祈れば、人の心も観え始めて来るだろう。下心が有ればものの真髄が見えなくなって、真実が観えず、”無私”に成って”利他”の心に成れば”真心”だけが前面に出て来るだろう。あのJALが短期間で復活出来たのも、稲盛さんの意識改革によって『JALフィロソフイー』を全社員が一致団結して実践したからだろう。今の日本に必要なものは一人一人が心を一つにして自分の中に有る力を引き出して元気に成って”無私”、”利他”の精神で結束することだろう。 2012年9月21日 琢
2012年09月21日
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誰かに背中を押されるように 人は歩み出す 自分の意志だが 心の奥の魂の中にそうさせるものが有る 友や同志に出会うのも 何かが双方の守護指導霊を使って そうさせる仕組みをつくっていて ユニバース的仕組み【出会い、出来事、事態】を迎える それはたとえ試練でも縁の内で 何かを気付かせようとする そういう体験で自分の因を転換して 魂の中の願いや使命を果たさせる 自分を変えることはこの世でしか出来ず 摩擦が有るから磨かれて丸くなる 下流に流れ着いた石のようなものだろう 人は歳と共に丸くなってゆくが、摩擦を少なくして自己主張出来る術を身に付けて、刺々しい部分が消えて、重ねてきた我慢や諦めの中に自分を保っている姿を垣間見るように感じる。経験談を聞けば相応の四苦八苦を抜けてきた足跡を見ているようで、今咲いている花が枯れようとする中に何かを学ばせていただいているように思う。学が有ろうと無かろうと根底の哲学は同じもので、心の有り方を学ぶことが多い。人は誰かに背中を押されるように歩みだすが、もちろん自分の意志で動くのだが、心の奥の魂の中に納得させるものが有る。その歩みの途中で友や同志に出会うことに成るが、最近、それは自分の因の形成のために何かに仕組まれたように、自分では作れないユニバース的な仕組みがはたらいた出会い、出来事、事態で有ったと思うようになっている。それが試練であっても自己変革のための縁の内で、何かを気付かせようとするものの連続の中で人は進化するのだろう。自分を変えること、因の転換はこの可変の世でしか出来ず、願いや使命を果たさせるには絶対に必要な縁と引き合わせる何かのために丸くなるのかも知れない。ゴツゴツした岩も川の下流に行けば丸い石に成っているように、人も歩みの道の中で丸くなって、思うような収まり方に成っているのかも知れない。 2012年9月20日 琢
2012年09月20日
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手術前にベランダに立ったとき この景色が見納めに成るかもと思った 術後7日で退院したとき ベランダの風景は生き生きとして その恩恵に感謝した その繰り返しが人生なのだろう 常に危機感が有れば 無駄な時間は少なくなる 時間を浪費することを 仏教では”盗み”だと言う 一期一会を思えば 何一つ無駄には出来ない いつも人事を尽くして 天命を待つ自分でありたい ダラダラと何もせず何の収穫も得られなかった自分に気が付くのは最大の危機が訪れたときだったと、ただただ死を恐れていつも自分を眺めながら過ごしてきた自分を脱皮させて一皮向けた自分に成るための必然の仕組みを与えられなければ目覚め無い自分がいたと思う。”まな板の鯉”の不安が払拭されたのは執刀医の奥さんが妻の親戚にあたることを聞いたときで、縁の不思議を気付かされすべてお任せする心が定まったときで、死の恐怖が吹っ切れたときだったのかも知れない。手術前に家のベランダに立ったとき、この景色が見納めに成るかもと思ったが恐怖は無く合掌して運を天に任せる思いだった。”かすみ草”の勉強会仲間が心配してくれていたので術後7日で退院して、元気な顔を見せたかったこととベランダの景色を早く見たかったのだが、新鮮な空気を吸って生き生きとした景色に”ただいま”と我が家に再会出来たことに感謝の気持ちが湧いていた。こういう必然が人生なのだろうと受け止められて、常に危機感が有れば無駄な時間が少なくなるだろうと思った。仏教では時間の浪費を”盗み”だと言うそうだが、すべてが一期一会だと思えば何一つ無駄には出来ないと、いつも人事を尽くして天命を待つ自分でいようと思うきっかけがあの手術だったのだろう。生還後は何故か以前より元気な自分に成れて、気力が体力の衰えを支えているように思う。 感謝こそ 道の極みと 仏道に 菩提の心 にじみ出てこそ 2012年9月19日 琢
2012年09月19日
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自分に似合わなければ 居心地が悪く 分不相応に背伸びすれば 虚構に成ってしまう 人懐こく愛嬌の良さだけが 本当の自分なら それ以上よく見せようとせず 肩の力を抜くだけで 満足は充たされる 外見に左右されず 内面を見て見習わねばと思う 最大限に自分を抑えていなければ 虚の部分がまた出てしまいそうで いつも素直、謙虚でありたい 多くの失敗を思い浮かべれば、目立ちたがり屋で自分を大きく見せようとしていたことが原因のように思う。人の言うことを聞かず、自分の思い込みだけで幼く浅はかな独り善がりが有ったように思う。素の自分はもっともっと小さな人間で錯覚に支配されていたから、目指すことが自分の妄想だけの拡大思考だったのかも知れない。多くの試練の末に気が付いたことは自分をもっと大事にするべきだったのかとも思う。自分に似合わなければ居心地が悪く、分不相応に背伸びすれば虚構に成ってしまう。人懐こく愛嬌の良さだけが本当の自分なら、それ以上良く見せようとせず、肩の力を抜いて歩くことで充たされているのだろう。外見に左右されず、人の内面を見て見習わねばと思う。明るさだけを取り得にしてそれ以上を求めず、最大限に自分を抑えていなければ、また虚の部分が出てしまいそうで、いつも素直で謙虚な自分に成って”無私”と”利他”の精神で歩みたいと思う。恒常心で危なっかしくてもしぶとく保って行く自分でいようと思う。 やじろべえ 傾きつつも 整えつ 人の歩みも かくてあるらむ 2012年9月18日 琢
2012年09月18日
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君子危うきに近寄らず 藪を突かず 過信は最大の敵で 謙虚であるべし 明日死ぬもののごとく 今日を貪欲に学び 先の課題を今見付ける 知識のみならず実践を励行し 体験と共に体得し 体幹に入れて自然体に成る 何ごとにも迷わず不動に成って 月の如く闇を照らし 場の支えに成るを本懐とする そう有りたいと思う 自分の使命が見えず、食べるために働いて来て多くの失敗を重ねて、自分の生まれて来た意味が解からず”何のために?”を繰り返し、失敗のたびに救われていたような気がすること、それがすべて円満に収まっていたことで、神はいるのかも知れないと思う仕組みがはたらしていたこと、それらのユニバース的な仕組みをつなげてみて、やっと自分の使命のような心の趣きが見付かったように思う。”人と人をつなぐこと、場の支えに成ること”だった。過信してむやみに論争せず、争いを避け、自分の邪気を通そうとしないこと、謙虚で素直に成って出会い、出来事、事態に接すること、そのための智恵を身に付けること、体幹【無意識に体が正常に反応している状態】に入れた状態で自然体に成っていること。何ごとにも迷わず不動に成って、月のように闇夜を照らして、場の支えに成ることが自分の本懐とすることだろうと、それが前世から持って生まれて来た魂願なのだろと思う。今は本心でそう思えるようになっている。 2012年9月17日 琢
2012年09月17日
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限界に挑んでいる人は 清々しく爽やかで その瞬間は菩薩に見えて 人に感動を与える 子供たちには夢と希望を与え 目標を与える 何かに集中して人事の限りを尽くせば どんな試練をも超える力を得るだろう 何度も厳しい試練を超えれば 不動の心が得られ 信念は確信に向かう 安定した意志は岩をも砕き 必然の果報が得られるだろう いつも思うことはなんだかんだと架空のことを想像しながら何も出来ていない自分がここにいて、何一つつかみ取れていない自分を観ている。やれば出来るというがその勇気も意欲も湧かず、現状維持を繰り返してきた結果がこの有様だと分かっていても一歩が出ない情けなさを思う。何かの限界に挑んでいる人を見れば清々しく爽やかに見えて羨ましく思ったり、その瞬間を見れば菩薩のように見えて、人に感動を与えられる人に成りたいと思う。子供たちには夢と希望を与え、目標をも与えるために何かに集中して人事の限りを尽くしていれば、どんな試練をも超える力を得るだろう。何度も厳しい試練を超えれば不動の心が得られ、信念は確信に至るだろう。最近やっと邪気が近寄れないだろうと思えるようになったがまだまだその域には程遠く、心の安定が得られ夢と希望に向かう意志が整えば、岩をも砕く無限のエネルギーが噴出して必然の果報・願いの成就が得られるだろうと思えるようになって来ている。未体験の試練には金剛だけでなく柔軟な不動心が必要で、どんな事態に遭遇しても体幹で対応できるように成りたいと思う。 2012年9月16日 琢
2012年09月16日
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潜在的な能力も 気力の有無に大きく左右される オリンピックの各種競技で判るが 人はみな奇跡を起こす力を持っている 潜在能力も精神的影響が強く 日常生活ではその1割しか出ていない 更に1割加われば この世は一変すると言う 気力さえあればエネルギーは無限で 元気が溢れ出し 無理と思うことさえ可能に成る 頭の常識を変えれば 少々のストレスにもとらわれず 我が道を突き進ませてくれる 気力が萎えたときには誰でもやる気が起きず、喚起を促す刺激が必要に成る。何も展望を持っていなければ挑戦する対象が見つからず目標も定まらないだろう。夢や希望が有れば不可能を可能にする気力を持たせてくれ、展望が見えて来るだろう。闇の中で一筋の光が見えればそこに向かう気力が湧いて来るように、夢や希望さえ持っていればどんな奇跡さえも起こす力を人間は持っている。人の持つ潜在能力は気力の有無に左右され、ミラクルエンザイム・酵素のように一極に集中すればどんなものでも消化してしまうように、人はみな奇跡を起こす力を持っているが、日常生活での精神的影響のためにその力の10%しか使っていないと言う。気力さえあればエネルギーは無限に湧きだして普段より元気に成って来て、無理と思うことさえ可能に成って来る。思考の常識を変えれば殻を破ることが出来て、どうしても越えられず避けていた障碍をも超えることが出来て、我が道を突き進ませてくれるのだろう。殻を硬くしている要因は、間違った信念、過去のとらわれ、既成概念の凝り固まり、責任転嫁だと言われている。今、一皮剥けた自分に成ることが求められているのだろう。 2012年9月15日 琢
2012年09月15日
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何か言おうと、書こうとするとき それを始めると消えてゆく 基本構図は残っていても 思った言葉がすぐに出て来ない現象 以前より多くなったように思う 老化現象化それとも痴呆かと 悩みはしないが注意事項に入っている 笑える分まだましかとも思う 友人との会話は高度に成っているが 自分を疑ってみることも必要だろう 修正できる部分は修正し 至らない部分は甘えさせてもらう その感謝を忘れないように いつも自分を戒めている 忘却は人に与えられたある意味での能力だが、肝心なところで思い出したいと思う悔しさは誰にでも有るだろう。そのために憶えたことは何度も使うようにして身に付けようとするが、自分に縁の薄いものから忘れていってしまう。脳の整理整頓もして置かなければと思うが、頭の良い人のようにすぐには出てこないもので、訓練して実践に応用して体験してやっと記憶に残るのだろう。これを言おう、これを書こうと思っていてもいざそのときに消えてしまっていることが多くなったように思う。基本構図は残っていてもそれを伝えるのにぴったりの言葉を思い出せないことが多くなったように感じる。学びやそのことの友人との会話は高度に成ってきているが、新たな気付きも多く、忘れないようにと思うが場所が変わればもう出て来なくなっている。みんなそうだと言うが、修正できる部分は修正して、至らない部分は甘えさせてもらうようにして、その感謝だけは忘れないようにといつも戒めだけは持っている。 2012年9月14日 琢
2012年09月14日
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奇跡を信じなくなれば 微妙な声を聞けず 目に見えて触れるものしか信じず ハッと気が付くことは有っても その必然的な縁に結べず 大きな事件の前の警鐘を軽く見て 呼びかけに気が付かず 不運、不幸だと思ってしまう 小さな自然の異変を見ても その原因を考えようとしない 災害で大きな被害を受けてやっと 慌て出して騒ぎ始める 今日本はそんな試練の中にある 科学や文明に頼りすぎると目に見えるもの、聞こえるもの、肌で感じるものしか信じず、魂や心の奥に有るものが人の意思決定していることを忘れ、人として最も大事にしなければいけないものを無視し始める。奇跡を信じず、現実しか受け止めなくなれば微妙な声も聞けず、数字に表れないものを切り捨ててしまう。ハッと気が付くことは有っても、その霊的な必然の縁を見過ごしてしまい、大きな事件の前の警鐘とも思えず軽く見て、呼びかけに耳を貸さず、不運、不幸だと思うが、永い転生を思えば幸運、幸福の前の単なる浮沈と思えず、霊的に鈍感になって小さな自然の異変を見てもその原因を考えようともしない。災害で大きな被害を受けてやっと慌て出して騒ぎ始めるが、今の世界的な地球規模の異変が人類に何かを気付かせようとする神仏の与えた試練かもしれないとは思っていない。後生や転生を信じず、仮にそれが有るものとしての考えもしない、そう仮定してみれば多くのものの説明が付くことにさえ、神仏を心の中に置くことさえ否定してしまえば、安定しない荒んだ心だけがそこに残されてしまうだろう。今日本はそんな試練の中にあるが過去の歴史を思えばその民族性の中には奇跡的なことがたくさん有ったように思う。 2012年9月13日 琢
2012年09月13日
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人の歩みに迫力を感じるとき 独自の期待と不安が有るからで 誰かに守られているときは軽く 年齢と共にそれを感じる 明日の保証は誰にも無く 自分を信じるしかない 結果を受け入れるとき 悪い応報が来ないように 過去に学び未来に備えようとする 葛藤はそのときに有るもので 良い因と縁を整えようと精進する どんな果報も受け入れるしかなく 因縁は変えられるが果報は変えられない お釈迦さんの教えは、経典はお坊さんにしか難しくて解からないが、言って見れば『諸行無常』に『因縁果報』をどう整えるかを各自で自己管理することを言っているのだろう。基盤の違うものには抽象的に誰でも当てはまるように伝えるしかない。自分を見ることができず”人の振り見て我が振り直す”で、自分でやった結果を因縁と果報に分けて、泥水の中にいてもあれだけ美しい花を咲かせる蓮の花に喩えて、因と縁を整えれば良い果報が必然としてやって来ると説いているのだろう。人の歩みに迫力を感じるとき、独自の期待と不安が有るが誰か・親や家族に守られているときは軽く、年齢と共に重くなって来る。明日の保証は誰にも無く、自分を信じる以外に不安が消えず、結果を必然で捉えて過去に学び未来に備えるしかなく、葛藤の中で良い因と縁を整えようと精進する以外に道は無く、因縁は変えられるが果報は変えられないとよく言う。以前に植えてもう既に芽が出て咲いた花が果報ならそれを変えることは出来ないが、これから植える種・因を変えてそれなりの縁が有ればその花が咲くのだと、この世は不変ではなく可変で、どんな自分でも変えることが出来ると説いたのだろう。 2012年9月12日 琢
2012年09月12日
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時流に乗る人は数少なく 何億の精子が卵子に向かうように 一つだけが受精する 他は無駄ではなく 動的平衡なのかも知れない その一つに成れないからと言って 自分には自分の使命が有って それを果たすために生まれて来ている 哲学的にも霊的にも真理は一つで イデアは永遠のテーマに成っている それは正論だろうが 自分の都合だけで利用するものでなく 体得しなければただの空論に成ってしまう 体得した上で使命を果たすことだろう この世には何かの頂点を目指す人は数多くいるが、必死に努力を重ねた人たちの中でも頂点に立てる人は少なく、必ずしも実力者とは限らず、そのときの時流に乗った人が脚光を浴びるもので、結果を見れば必然に思えるがそれを運で片付ける人が多い。悔しさのあまり自分にそういう嘘をついて収めようとしてしまうのだろう。今生きている人は何億の精子が卵子に向かい一つだけが受精して出来た稀有な命だが、他の精子はまったく無駄なようだがそうではなく、その人が生まれるための動的平衡なのかも知れない。世の中には全体の流れの中で空いた席が1つしかなくてもそれを目指し、その席に座れた人以外は目立たない存在に見えるが、その一人に成れないからと言って嘆かず、自分には自分の使命が有って、それを果たすために生まれて来ている。哲学的にも宗教的にも霊的にも、真理は一つで永遠のテーマに成っているが、個人差のある正論のようなもので、自分の都合だけでそれを振りかざすものではなく、理論と実践体験の上で体得しなければただの空論でしかなく、体得した上で使命を果たすことだろう。 2012年9月11日 琢
2012年09月11日
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刑獄の相は 生まれつきのものと ある一定の時期のものが有る 一生戒める人とそのときだけの人は それが宿命で過去の罪消しと思い ”怒らず、恨まず、憎まず”に 自己抑制に努めれば 平穏な歩みが出来る 好艶の相は 生まれつきのものと時期的なものが有って 人気商売には必要不可欠で 売れている人には必ず付いている いくら技量や美しい姿が有っても 不遇に終わる人が多い 易学や占いは天体の動きと地上現象の過去のデーターの組み合わせで統計から推測するものと霊的に観るものが有るが、人の運命は変えられる、対処の方法が有ると言う。魂と心の傾向を観て自分の歩みをするのだが、運勢を観て時期や方向を自分に合うようにしたり、注意事項を念頭に置いて、目上や先輩の意見を聞いた上で自分の意志を決める場合が多い。不運とか不幸も永い転生の中では時期的なもので、幸運や幸福の前に有るものと思って置けばそれなりの生き方が出来る。刑獄の相が有れば、生まれつきのものとある一定な時期的なものが有って、そうならないように一生戒める人やその時期に気を付ける必要のある人が有る。それを宿命で過去の罪消しと思って『怒らず、恨まず、憎まず』で自己抑制に努め、夢や希望に向かって自己管理できていれば平穏な歩みが出来ると言う。好艶の相が有れば、それも同じだが人気商売には必要不可欠のもので、人気が有る人、時には必ずその相が付いていると言う。いくら技量や美しい姿が有っても不遇に終わる人も多いが、自分の意志で自分の夢や希望の成就に好きで向かっていれば悔いは残らないだろう。”どれだけ生きたか”より”どう生きたか”に自分の強い意志が入っていれば迷うことも少ないだろう。 2012年9月10日 琢
2012年09月10日
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異性に好かれたい意識は誰にも有って 同姓に好かれない人は異性にも好かれない 人間としてどう有るかなのだろう 人の心には正論が有って それに反するものは嫌われる 同姓に人気の有る人は 異性にとっては魅力的で ひいき筋には理解と優しさが有って いつも相手の立場に立って行動している 人は温もりを求めるもので 感動は心にインパクトを与え 無私で他のために人事を尽くせば 果報が整って来る 『求不得苦』の世だからこそ 欲しいものが手に入らず、求めていても得られない欲求不満は誰にも有って、その心をどう収めるかの葛藤の連続が人生には必ず有って、それを『求不得苦・ぐふとっく』と言い、四苦八苦【生老病死、愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五蘊盛苦】の一つに成っている。そんな寂しさの中で人気者でいたい、異性に好かれたい意識は誰にも有って、同姓に好かれない人は異性にも好かれていない。人間としてどう有るかが問題で、摩擦を起こさず、優しさの有る人に人気が有って、人の心の中にある正しい姿の見えない人は嫌われている。同姓に人気の有る人は異性には魅力的に見えて、そのひいき筋は善意の理解と優しさで、いつも相手の立場に立って行動している。人は空しさを感じるほど温もりを求めているもので、感動が有れば心にインパクトを与えて夢や希望を持たせてくれる。施しは無私に成って他のために人事を尽くすことで徳積みが出来ていずれ果報は自分に返って来るのだろう。 2012年9月9日 琢
2012年09月09日
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人の心の趣きは 流行や風潮をつくり ファッションや彩りは 毎年変わってゆく その動機付けをする仕掛け人もいて 時代の流れをつくっている とらわれや連鎖的反応も現われ 良いことも悪いことも続く仕組みが有る 変な事件があれば模倣犯も出て 不安材料が多く、人心の乱れるときは 神経質に成り過ぎて やぶ蛇の現象も現われる お金の流れも比例していて 悪循環や悪縁起の要因に成っている どれほど文化文明が発達しても依然として人の心の安定が得られず、信仰や宗教にそれを求める歴史が繰り返されている。現実の変化は考えれば考えるほど心を複雑にして、何かに頼らざるを得なくなっているからだろう。個人差は有ってもいつの世にも不安材料の無かった時代は無く、明日生きている保証の無い人生を送っている現実の中で四苦八苦に悩まされて結論の出ない円環的人生・思考を繰り返している。死んで体から抜け出た魂・霊も霊界では同じ円環が有ると言う。四角い立方体の部屋の中で一人に成ってじっと思うことはぐるぐる回っていて結論が出ず、自己回帰すれば自責の念でいっぱいになって、神経症に成る人が多くなっている。その円環が霊界に行っても同じで、今自分が四角い箱の中で円環的に思っていることがそのまま有るのだと言う。時代にはそういうものを現すような、好転させるような、変化させて気を紛らわそうとするような流行や風潮が出てくるのだろう。そのとらわれや連鎖的反応が善悪両方に現われて続く仕組みに成っていて、働いてお金を得ること、自分の生まれて来た意味を知ってその使命を果たすこと、人生の目的が解からなくなっているのは明日の自分を信じ切れないからかも知れない。唯物的に、刹那的に、利己的に成るのはそういう自分を安定させたいからだろう。 2012年9月8日 琢
2012年09月08日
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自分の使命や運命に 関係する言葉や哲学は 忘れていてもまた出会うようになっている 法話や講義で書き留めなくても 必要だと思えばどこかで再会する 自分の指針や主義は そうして固まるもので 紙に控えても残ることは少ない 自分の生き方を言葉にしたいとき どこかでピッタリの言葉が見つかる 先人の良い言葉に出会えば 真理の言葉はすでに網羅されていて 有り難く感謝して使わせて頂く 日本人の言葉は万葉集以来『言霊』と言って、”言霊の幸きはう国・さきわうくに”、”言霊の祐くる国・たすくるくに”が日本だと言われているが、自分が意識し始めたときの言葉は『一期一会』で”出会い”を大切にして、次には”人事を尽くして天命を待つ”だった。倒産後は物欲が消えて”宇宙大自然と一体化する心境”を探していたが、孟子の【浩然の気】がそれだった。辞書を引けば、のびのびと安らかな心境、の意味で自分の生涯の指針に成っている。不思議なことに孟子の”ピンチがチャンス”の内容を見れば、それまでの自分の歩みの通りで”天はその人にやること為すことすべて失敗せしめ、すべて思い通りにさせず・・・”で、幼い頃に親に言われたことを思い出した。11月12日が孟子の生まれた日で自分と同じ日だったことに何かの因縁が言葉を通して感じられたことだった。自分の歩みが予言されていたように感じて後半の言葉”そうして心を発憤させ、性格を辛抱強くさせ、今までにどうしても出来なかったことを出来るようにさせる・・・”で運命的に必然的に、前世から仕組まれていた試練だったのかと思うようになった。”言の葉”は歌に”言霊”は心の奥に残されて、言葉の重さを再確認するときが歳と共に多くなって来ている。 2012年9月7日 琢
2012年09月07日
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自分の可能性を見つけ出すために 自分を分析してその短所【可能性を開くための障碍に成るもの】を修正浄化すること 修正浄化された自分を咲かす良き縁と響働すること 自分の中に秘められた力を発見すること 無限のエネルギーを引き出すこと そのヒントがこの講演に有る 記 人生を元気にし、世界を復興させる力ーーー。 その源泉は、内なる魂にある。 今、あなたと世界の新たなステージを開く。 2012高橋佳子講演会『魂の発見』 日時 2012年10月28日(日) PM 13:00~17:00 場所 大阪城ホール 06-4861-4762 入場券 3000円
2012年09月06日
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遺伝子は流れの中に有るもの 心の中に、血の中に 心の奥の魂に、一族の血統に 必ずその歩みを左右するもの 親兄弟でも違うものを持っていて 同族だから必ず一致するものでなく 魂のものは友や同志の絆に現れ 体のものは姿・相に現れる 心身共に影響し合うもので その歩みの中でしか修復・修正出来ない その2つが重なった1つの心は 二つと無いもので 共通点は有っても一致せず 同じものは一つも無い 人の心はたとえ親兄弟でも同じものは無く、自分の心は自分にしかない。肉体舟に魂が乗っていると言われ、生まれればその二つの遺伝子を持つ心が出来る。遺伝子は流れの中にあるもので、心の中に、血の中に流れていて、心の奥の魂の中に、一族の血統・血筋の中に流れていて必ずその歩みを左右するもので、例え親兄弟でも違うものを持っている。血筋が同じだから必ず一致するものでなく、魂のものは友や同志の絆に現れ、体のものは姿や相・形に現れる。心身ともに影響し合うもので、その歩みの中でしか修復、修正出来ない。その二つが重なった一つの心は二つと無いもので、生まれ育った血筋、土地、時代の影響を受けてそれがその人の基盤に成っている。共通点は有っても同じものは一つも無く、その六根【眼、耳、鼻、舌、身、意】・六識で外の世界と関わって、七識・マナ【希望や好みでWILL】、八識・アラヤ【常識、枠、そういうものだのSHALL】の潜在意識には前世以前のものも入っていて心の意志決定に大いに関わっている。その先祖からの、前世以前からの遺伝子の改良をしに生まれて来たと言われている。人には生い立ちで培った力だけでなく、潜在能力には思っている、自覚している力以上の力が有って、それを発見出来れば無限のエネルギーも湧き出してそれまで以上に元気が出てくると言う。 2012年9月6日 琢
2012年09月06日
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初めての集団に入れば 親睦に努めることが大事で 一人の賛同者から同志が増える 孤立すれば存在性が無く 自分を観てくれる人は出て来ない 輪の中に入れないとき 自分のどこかに欠陥が有ると思い 諦めずに修正努力をするしかない 人は自分に無いものを求め 友はそれを埋める良き縁に成る 親交が広がれば その集団での居心地は良くなる 明るさと協調性が大切な要素で 明るいところに人は集まって来る この世は魂の修行の場だと言うが、摩擦を起こす要因を見つけ出して浄化することがその人を成長させるのだろう。成長すれば人の役に立ちたいと思い、誰かに歓んでもらいたいと思う、闇を照らす光でありたいと思う本能を人は与えられているのだろう。利己的に歩めば摩擦が多く、いつも相手の側のことを察していれば摩擦は少なくなる。知らない集団に入れば、親睦に努めることが大事で、一人の賛同者から同志が増えて来る。意地を張れば孤立して存在性が薄れ、自分を観てくれる人は出て来ない。輪の中に入れないとき、自分のどこかに欠陥が有ると思い、耐えて諦めず、短気を起こさずに修正努力をするしかないだろう。人は自分に無いものを求め、友はそれを埋める良き縁に成るもので、親交が広がれば、その集団での居心地は良くなって来る。明るさと協調性が大切な要素で明るいところに人は集まって来る。そこが明暗を分けるところに成るのだろう。 2012年9月5日 琢
2012年09月05日
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常識の違いが有るとき 相手は違う何かを感じていて 段差の修正をしない限り その平行線は続く ”下りる”か”上がる”しかなく 見解の相違はエスカレートするもので 思わず異常な行為に出るときも有る 理性で解かっていても甘えが勝ってしまう すべての人に温情が有るとは限らず 因果応報で自分に返って来る コンプレックスの解消は 至らないところを自分で埋めるしかなく 思い込みや甘えは禁物で 平均的なゼロ地点を基準にするしかない 与えられた条件や生い立ちの影響が人の基盤・常識に成っているもので、世の中ではその違いが摩擦の元になっている場合が多い。コンプレックスもそこから来るものだが、まず善意で受け止めることが基本になっているもので相手は違う何かを感じている場合が多く、その段差を修正しない限り、そこでの見解の相違は平行線に成ってしまう。”下りる”か”上がる”しかなく、妥協や協調も必要で、人の止むに止まれぬ正しさを受け止められなければ、思わぬ異常な行為に出てしまうことも多い。理性では解かっていても甘えが勝ってしまう場合が多く、すべての人に温情が有るとは限らず、因果応報で何かの形で自分に返って来ることも多い。常識の違いやコンプレックスに成っている部分で一般的には通用しない至らない部分を自分で埋めるしかなく、思い込みや甘えを押し付けるのは禁物で、平均的なゼロ地点・カオスを広げてそれを基準に自分を合わせる、変えるしかないだろう。 2012年9月4日 琢
2012年09月04日
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人の背後には 3つ以上の縁の深い霊が憑いているという 守護指導霊なのかも知れない 自分の力ではなく何かがはたらくとき どんなことも円満に収まっていて 神はやっぱりいるんじゃないかと思うことが有る 宇宙の仕組みのように 何かの仕組みが有って ちゃんと収まるようになっている それに逆らうとろくなことには成らない 思い通りにならないときは 自分の余計な邪気が有るときで 人智を超えた何かがはたらいて いつも自分が何かに守られている ”神のご加護”とよく言うが、実際にそれがはたらいたとしか言いようのないことが起きるもので、そのときは自分ではどうにも収集しようのないときに起こっている。親の会社の倒産のとき、自分の会社の倒産のとき、それぞれの人生や家庭の問題、健康上の問題、友人関係などすべてが自分では終わったのだろうと思っていても、自分の愚かな頭では計算できないことが起きていた。誰か個人のものではなくすべてのことが救済されていたようにあとに成って思う。人の背後には3つ以上の縁の深い霊が憑いていると言うが、それが守護指導霊なのかも知れなく、自分の力ではない何かがはたらいていて、どんなことも円満に収まるようになっているのは、いつも神仏がどこかで見守っていて、出会い、出来事、事態には周りの守護指導霊を通じて何かを呼びかけとして気付かせようとしているとしか思えない。それが宇宙の仕組みなのか、天上界や神界からの神仏の仕組みなのか、信じること以外に説明が付かないことが有る。世の中がちゃんと収まるようになっていて、それに逆らうとろくなことには成らない。思い通りに成らないときは自分の余計な邪気【都合、計算、打算、意地】が有るときで、無私、利他で生きているときは人智を超えた何かがはたらいていて、いつも自分は何かに守られているような気がしている。 2012何9月3日 琢
2012年09月03日
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潜在能力は魂の中に入っていて あらゆる試練を超えさせる力が有る ”天はその人に越えられない試練を与えない” 自分の使命もその中に有って それを発見するヒントは体験の中に有る 自分を変えるような出会い、出来事、事態に 無力な自分が出来たことの中に 神はいるのかも知れないと思う仕組みの中に 体験の中に共通するものを探せば 何度も見る夢の中にも共通するものが 潜在意識を呼び起こそうとする何かは 何かの仕組みを守護指導霊が関わって 魂の中のものを思い出させようとしている 心は生まれてから出来るようで、魂の中のものが湧き出す泉のようなものかも知れない。魂のイメージは透明な水晶玉のようなもので、自分の意識の中にあるものを閉まってあるところだろう。転生するもので前世以前からのものも入っていると言われている。心の中から忘れて出て来ないものが入っていて、その潜在能力はあらゆる試練を超えさせる力が有る。”天はその人に越えられない試練を与えない”と言うが、その手持ちの力を引き出せば超えられないものは無いと言う。自分の使命・天職もその中に有って、それを発見するヒントは体験の中に有るようで、自分を変えるような出会い、出来事、事態に、無力な自分が出来たことの中に、神仏は本当にいるのかも知れないと思う仕組みに有ると言う。そういう体験の中に共通するものを探し、何度も見る夢の中にも共通するものが有って、潜在意識を呼び起こそうとする何かが必然的に仕組まれているそうで、神があたかも守護指導霊を通して魂の中のものを思い出させようとしているユニバース的な仕組みだと信じれば、すべてのもののつじつまが合って来るだろう。 2012年9月2日 琢
2012年09月02日
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記憶は意識の中に残り 普段使わなくても思い出せる 意識の中にあるものは魂の中に入っていて 思い出はその中に入ったまま 肉体から離れても 心が無くなっても魂に入っている 心の奥に魂が有って その中の意識が心を動かし 心が意思として人を動かし 何かに挑戦させている 展望は心の中から主義として その人の信念を形成させている 信念の裏付けは魂の中に有る 過去を思えば迷うことの連続だったが、何かを持っていて自分のきっちりした歩みの出来る人を羨ましく思ったことが多い。何を根拠にそうさせているのか、自分の天職が見つかっているとしか思えない人を見れば颯爽としているようで、迷いだらけでうろうろしている自分を情けなく思うことも有った。学んだこと、何も考えずに体験したことも、思い出も、記憶は意識の中に残って普段は使わなくても思い出すことが出来る。意識の中にあるものは魂の中に入っていて、思い出はその中に入ったまま肉体から離れても、心が無くなっても魂の中に入っていると言う。心の奥に魂が有って、その中の意識が心を動かし、心が意思としてその人を動かして何かに挑戦させている。何がその人を突き動かしているのかが解からない自分はそのことを見て羨ましく思ったのだろう。展望は心の中から主義としてその人の信念を形成させているもので、信念の裏付けは魂の中に有る。そういうものを積み重ねた状態を『空』と言って、人の心の中・魂には顕在意識や潜在意識として厳然と有ると言われ、魂は肉体を離れても転生するもので消滅はしないと言われている。1300年以上も前に玄奘三蔵【西遊記では孫悟空のお師匠さん】さんは唯識にそのことを説いている。 2012年9月1日 琢
2012年09月01日
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