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Message body 人の命が消滅するとき 体は自然の土や水に返ってゆく 体は滅しても魂は滅せず 霊魂不滅の法則が有ると言う 魂は実在界に帰って転生を待つ 霊位を上げるためには 可変の現象界しかなく 何度も生まれ変わる 魂の中には意識の蔵が有って 自覚した課題を使命として それを果たすために生まれて来る 果たさなければ六道を輪廻する その仕組みを十二縁起と言う 人は自分の今生の使命を思い出すために仕組まれた道を歩んでいると言 ってもいいかも知れない。何をしに生まれてきたのかに気が付かずに歩む人生はただ流されて生きているようなもので虚しく悔いを残してしまうことに成ると言う。その仕組みは、諸行無常の中に、四諦・したい【苦集滅道】に、八正道【正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定】に、六波羅蜜【布施、持戒、精進、忍辱、禅定、智慧】に、十二縁起・因縁【無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死】に説かれている。人の命が消滅するとき、体は自然の土や水に返り体は滅しても魂は滅せず霊魂不滅の法則が有ると言う。魂は実在界・不変界に帰って霊位を上げるためにこの現象界・可変の世界に転生して来ると言う。魂の中には意識の蔵が有って、可変の世界で体験したこと、 出来なかったこと、次の課題などがその空の中に入っている言い、その自覚した課題を使命としてそれを果たすために何度も生まれて来ると言う。怠けて果たさなければ、修行を怠れば、六道を輪廻することになると言われている。中果を見て大因【何のために、何をしに、どんな使命を果たすために生まれて来たか】に気が付き、それ以降を新時代として再起因してどんな死に方をしたいかに向かって、自分の使命をどれだけ果たし、どれが次の課題になるかを自覚すること、死ぬときには自分の意識にきっちりと次の課題を言い聞かせて置くことが"乗り間違いをしないこと"、"切符を買い忘れず、行き先を間違えないこと"とよく言うのだろう。 2013年1031日 琢
2013年10月31日
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Message body "恒産無きものに恒心なし” つくる人、使う人、管理する人 つくらなければ使う人もいなく 管理する人も必要ない "船頭多くして舟丘に上がる" 宇宙法則は72対28 バランスが大切で 無理の無い比率を保つこと 28の側が高収を得るのは無理が有る 自国のバランスと世界のバランス 大きな視野を必要とする 近くを見れば方向が歪み 遠くを見ればつまずく 今世界全体、地球全体のバランスが狂い始めているように感じるが、その 摂理の修正現象が噴出して来ているように感じてしまう。人間の世界だけを見ても矛盾だらけなことがたくさん有って、"恒産無きものに恒心なし"で、はたらかずして高収を得ようとするものが多く、お金をたくさん集めたグループが地道に働いて人の役に立っている企業を買収して一晩でとんでもない利益を生み出そうとしているが、思考や心の組み立て自体が間違った方向にいる人が増えているのだろう。つくる人がいるから使う人がいて全体を管理する人がいるのが国や社会だが、つくらなければ使う人もいなく、管理する人も必要が無い。"船頭多くして舟丘に上がる"が多く、理論や知識ばかりで"絵に描いた餅"だけの論議で実践が無ければ、その集団は崩壊してしまうだろう。宇宙法則に72対28というの が有るそうだが、国家、社会、各企業にも当てはまるもので、直接的生産に関与するものと管理するもの、促進するものとのバランスを保つことは大切なことで、無理の無い比率を保つこと、28の側だけが高収を得るのには無理が有る。自国のバランス、世界のバランスも視野に入れて大所局所を見極めておくことが特に必要な時代が来ているのだろう。近くだけを見ていれば方向が歪み、遠くだけを見ていればつまずいてしまうように、足元を固めて確実に進まなければ空論だけでは、霞を食って生きる仙人のような、この忍土の現象界では、別次元の世界を作るようなものだろう。 2013年10月30日 琢
2013年10月30日
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Message body どこに行っても "居ていいのかな"と思う自分 "似つかわしくない"と思う自分 存在価値は主張するものでなく 他が感じるもの 背伸びしなくても 人の心に映っている 発言するほど虚しく 求められるときは来る 自然の摂理、宇宙の摂理 煌きは観る人には見えている 照らされた輝きが有る 求める人にしか見えない光 自分の存在価値を思うとき、謙虚であるほど何も無いと思えて、自分は何の役にも立てていないように感じてしまうが 、何かの役に立って必要とされているときには凄くうれしく思ってもっと役に立てればと思うのが人間だろう。人気が有るほど充実感が有って、心にゆとりさえ出てくるものだが、自信の無いときはその余裕も無く、どこに言っても"居ていいのかな"とか"似つかわしくない"と思う自分が居て、黙殺されているように感じてしまうもので、"ここに居るよ”と言わんばかりの言動をしてしまいひんしゅくを買うことも有るだろう。存在価値は主張するものでなく、他が感じるもので背伸びしなくても人の心に映っているもので、発言するほど虚しく感じてしまうが、その内に求められるときが来るのが自然の摂理というか宇宙の摂理と言おうか、主客一体に映っているもので、星を探しているときのように、煌きは見る 人には見えていて、その光が誰かの心の癒しに成っているときも有る。何かに照らされた輝きが有って、求める人にしか見えない光りも有るだろう。求められていない内に光を出そうとすれば自己顕示欲の強い人だと思われてしまうのが落ちで、場が乱れたときに自己保存をすれば人気が落ちて、益々陰が薄く成ってしまうのが光りだろう。黙々と自分の使命を自覚しながら歩んでいることが誰かの癒しだったり光だったりしているのだろう。 2013年10月29日 琢
2013年10月29日
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Message body 自分以上の自分に成れず 可能性にも気が付かず 勝手に生きて来た自分 挫折の後に 止むに止まれぬ生き方の中に 観えて来るもの ゆたかさは目標であっても 目的でないこと ゆたかに成れば頑張ろうとせず 自分の居場所が見つからない "不求得苦"は過剰を求めるからで "足るを知れば"そこが居場所 その自分を必要とされている 若い頃、夢多き頃、は勇み立っていた自分だが、やることなすことのすべてが思い通りに運ばず、矢尽き 刀折れたときには藁をも掴む心境に陥ったことが自分の戒めに成っている。落ちるときは自分一人で落ちること、道ずれをつくらないこと、落ちたところでそこにいる人たちの苦しみを共にしながら這い上がってくること、人の歩みにはそれしか出来なかった止むに止まれぬ正しさが有ることを知ったことで、もっと人を理解できるようになった。自分以上の自分には成れず、自分の可能性に気が付かず勝手に生きて来た自分、挫折の後に生きてゆくために、自分の止むに止まれぬ生き方の中に観えて来るもの、ゆたかさは目標では有ったが人生の目的ではなかったこと、ゆたかに成れば頑張る必要が無く目標も無くなって自分の居場所さえ見つからなくなってしまっていた。『不求得苦』・ふくとっくはみんな体験 することだが、過剰な欲求であれば戒めるのは自分で、分相応に足るを知れば、今自分が立っているところが自分の居場所で、そこで死ぬならそこが自分の死に場所だと自覚することが生きて出来る悟りなのだろう。その自分を世の中が必要としているのかも知れない。 悟らんと 重ねた無駄も 気が付けば あれも我が道 これも我が道 2013年10月28日 琢
2013年10月28日
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Message body 愚かさの自覚 勝ち組が賢いと言うのではなく 足るを知ること 見通すこと 自分の本分をわきまえること 可能性を捨てるのではなく 人としてどう生きるかを知ること 人にも自分にも悔いを残さないこと 分相応を知ること 名もなき煌く星が有ること 陰の支えに生き甲斐を感じること 人はそういうものを賢いと言っている 華やかな世界に居ることを望んでしまうのは人情だが、宮廷のようなところに居られるのはほんの一部で、そこには見た目だけの華 やかさが有るだけで、ほとんどの人は下から積み上げて自分の夢や希望に向かうもので、忍土のこの世で叶うことはほんの少ししかないことに気が付いてその自覚をすることが出来るようになるだろう。素直に謙虚に受け止めるほど自分の無力を感じながら現実を受け止めやすく、宙に浮いた考えを戒めるしかなく、そんな愚かさの自覚が出来れば、一見勝ち組のように見えることが有っても、それを賢いとは言わず、足るを知ることや先を見通すこと、自分の本分をわきまえること、自分の可能性を捨てたり諦めたりするのではなく、人としてどう生きるかを知るために、中果を観てそれまでの歩みの中に自分の使命のようなものを見付け出すこと、どういう死に方をしたいか、どの部分が残ってしまうかの自覚を しながら周りにも自分にも悔いを残さない、分相応の生き方を、晩年に成っていても新時代を生きる覚悟をすること、地味でも、名も無き煌く星のように陰の支えに生き甲斐を感じながら歩めば、機嫌良く生きられて、自覚するほどこれで良かったと思える満足感を味わうことが出来ているだろう。人はそういうものを賢いと言っている。 2013年10月27日 琢
2013年10月27日
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時代の三毒におかされた時代 "やられたらやり返す"、"倍返し" 人々の鬱憤は溜まっている 自分に主導権が無く 期待すれば裏切られ 自己発揮が出来ない 先が見えず災害に怯えて 皆自分の都合だけで生きている 愛・菩提心の親切も利用され 道を外しても物欲を優先する ストレスが犯罪を残酷にさせ みんなすっきりの瞬間を求めている 戦後の廃墟を思えばゆたかに成った日本だが、ゆたかさとは反比例して幸せ感が低く、以前の常識では考えられないよ うな事件も多く成って来ている。日本人は人が良く親切で貧しくても品格が有ると評価されてきた歴史さえどこに行ったのかとさえ思えて成らない。文化文明が先端を行くように成ってゆたかに成ったはずだが、儒教精神がどこに行ったのかと思う節度の無い事件を見れば、便利なものに溢れて贅沢に成った分時代の三毒【唯物主義、刹那主義、利己主義】に犯されて見えるものさわれるものを獲得することだけが人生の目的のようになって、超能力の見世物がもてはやされ、"やられたらやり返す"、"倍返し"の番組に人気が集まって、人々のうっぷんが相当溜まっていることが判る。政治家たちは自己顕示、自我我欲、自己保存で個人のことばかりを考えて国民に応えず、国民は自分たちに主導権が無く、期待すれば 裏切られ、自己発揮をする場が少ない。先が見えず災害の恐怖にさらされながら、みんな自分の都合だけで生きている。愛や菩提心の親切も利用され、道を外してでも物欲を優先してしまう。ストレスが犯罪を残酷なものにして、この日本を憂う人が多くなっているだろう。みんなすっきり、爽やかな心に成ることを望み始めたから、本屋では般若心経の本が多く売れて、見えないもの・心の大切さを再確認しようとする人が多いのだろう。7年後のオリンピックには世界中に日本特有の自然の美しさと日本人、日本文化の素晴らしさを、心からの"お・も・て・な・し"が絶賛されて、世界の牽引的な役を果たすための”一億総自己ベスト"を尽くすことを願って止まない。 2013年10月26日 琢
2013年10月26日
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孫とのスタンス 親はすぐ近く じい、ばあはちょっと離れ さいふはじい、ばあが開く 遠くに行かないように 社交性、協調性を見ながら 虫や花に興味を持たせ 毒の有無を教える 誉めて自信を持たせ 興味有るところに火を点す 月のようにそっと照らし 場の支えをする 陰の心地良さで満足する 子煩悩ではなかった自分だったが、孫は可愛いもので"目の中に入れても痛くない"心境を理解できなかった自分がまさかそのように成れると は思いもしなかった。息子は結婚して家を出ればほとんどが帰ってこず、娘は家に帰って来てくれる。そのせいか娘の孫は抱きやすく、嫁に気を使ってか息子の孫は抱きにくいと言う。自分としては孫は孫でいつも心の中にいて家に来る孫のことを考えることが多い。孫とのスタンスは、親はすぐそばに居てその成長に責任が有るが、じい、ばあはちょっと離れて甘やかしてしまうのが常だが責任のない甘やかしで、親の方針を逸脱しかねない存在に成ってありがた迷惑な存在なのかも知れない。財布はじい、ばあが開くことが多く、遠くに行かないように、社交性や協調性を見ながら虫や花に、動物に興味を持たせ、毒や害の有無を教える。子供は誉める方向に伸びることを知っていて誉めて自信を持たせ興味の有 るところに火を点す。親は太陽のように、じい、ばあは月のようにそっと照らしながら場の支えに成りたいと思っている。恩着せをせず、自己顕示を抑えながら陰で何かの役に立てればと思うことだけで満足できるのがじじ・ばばだろう。 2013年10月25日 琢
2013年10月25日
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Message body 痛み苦しみがあるとき 医者は安静を勧める 逆療法も有って 体にこもったものを汗と共に出す 気力の有るときはそれが出来る 出るものは良いと言う 病気は悪いものが出てゆく姿だと言う 人には自然治癒力が有って 風邪の菌は時と共に出て行く じっと耐えていれば過ぎてゆく 気力が有れば病は寄り付かない 気を緩めたときに負けてしまう 人生もなるべく隙をつくらないこと 生きることは有る意味では自分との戦いで、考えれば考 えるほど迷いが多くなって選択肢が多いほどわけが解らなくなり、誰かの意見を聞かなければまとめられなくなってしまう。決断は自分でするしかなく、人のせいにも出来ない。病気に成れば痛み苦しみが伴って医者は安静を勧める。病気の種類にも依るが逆療法も有って、体にこもったものを汗と共に出すことも一つで、気力の有るときはそれが出来て弾き飛ばすことにより快方に向かう場合も多く、出るものは良いと言う。病は悪いものが出て行く姿だと言われていて、人には自然治癒力が有り、人間はうまくつくられているもので、風邪の菌などは時と共に出て行く、じっと耐えていれば過ぎてゆくものだろう。いったん風邪に負けてしまえば薬は効かないもので風邪との闘いの間は耐えるしかないだろう。気 力が有れば病は寄り付かないもので、気を緩めた瞬間に体の中の菌に負けてしまう場合が多く、人生行路でも心に隙をつくら無いことが肝要で、どこから試練がやって来るかわからないもので、いつもそうだったが魔が入るときはいつも好転の直前だったように感じていて、好転の足を引っ張ることに成って長年の努力もその魔に持っていかれたことは数多かったように思う。とにかく隙をつくらないことだろう。 2013年10月24日 琢
2013年10月24日
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Message body 生真面目な人は 神経症に成りやすく いい加減な人は成りにくい 転依が上手い人は 自分を責める前に転換が出来る いつも自分を眺めている人は 他と比べるたびに自分を責めている 神経症はそれの現象化したもの "病は気から" 病気の大元は心に有る いつも機嫌良く 自分を傷つけることが無ければ 病気は消えてゆく 素直で謙虚な人は常に自分の良くないところを改めようと良いものをもっている人の中に自分の改善点を見出そうと するが、仲間や友人と比べて見劣りしている部分を発見しながらその部分を改めようとしている。それでも失敗が多いのがこの忍土の常で、他と比べるほど自分をみすぼらしく思いながら自分をダメな人間だと責め始めてしまう。向上心が強いほど自分を責めて思い通りに成らないことが起きるたびに自分を責めて、気力も失せて食欲も減退し、病院で検査してもどの数値も正常にもかかわらず、朝がダメで、曇りや雨の日はもっとダメな自分に失望するようになり、夕方の仕事の終わりが近くなるほど開放感が出て来るようになれば、自律神経失調症と診断されて安定剤を飲むようになる。生真面目な人ほど神経症に成りやすく、いい加減な人は成りにくい。転依【気分転換、チャンネルを変える、運動や趣味に心 を移す、神経を別のものに移して忘れる】が上手い人は自分を責める前に転換が出来るが、いつも自分を眺めている人は他と比べるたびに自分を責めている、神経症はそれの現象化したもので、"病は気から"の代表的な症状から自分を本当にダメにして病気を作り出してしまうもので、病気の大元は心に有ることは医師も認めている。病気は病が出てゆく姿だと思い、いつも機嫌良く、自分を傷つけることが無ければ、病は消えてゆくと言われている。心が安定していれば前向きに成れていつも機嫌良くしていられるのが人間で、信仰は心の安定のためにもっている心で、その心の安定の方法を教え、導くのが宗教だろう。作法が違うだけで、山はどこから登っても頂上・真理は一つ・万教帰一で、良い道を知ってい るだけでは迷いは消えず自分の足で歩くこと、実践することで体験しながら身に付けなければ、どんなに良いものでも絵に描いた餅でしかないだろう。 2013年10月23日 琢
2013年10月23日
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Message body 善悪と許容には ある一定の幅で判断する場合 一点を見て判断する場合 深さを知らなければ 判断を間違える 円環的仕組みを知れば 一点の現象で推し測れるが 進化、変化を知るものは 許容範囲は広くなる 自分を、人を許す心が有れば 自分を汚すことは少なくなる 摩擦は少なく、修羅場も少ない 四角四面で人を計れない 第一印象は大事なものだが、自分の好き嫌いを別にすれば、それだけで相手を良くないものと断定することは危険なことになる。自分に偏見が有ったり誤解が有ったりとか相手の情況を知らずに歪んだ表情を見ただけで良くない人のレッテルを貼る場合が多く、相手を良く見なければ解らないことも多いもので見た目だけの判断の危険は自分の体験から解って来るだろう。一度貼られたレッテルを書き換えることの難しさ、誤解を解くことの難しさを知れば、善悪の判断と許容範囲の広さがその人の器を決めることになるだろう。ある一定の幅で判断する場合、一点を見て判断する場合が有っても、その深さを知らなければ判断を間違えることが多い。円環的な思考範囲と恩恵の仕組みを知 れば、一点の現象を見るだけで大体の姿を推し測れるが、進化、変化を知るものは許容範囲が広く、自分を、人を許す心が有れば自分を汚すことが少なくなり、摩擦や修羅場も少ないだろう。四角四面で人を計ることは出来ず、柔軟な心を持って対面することが望ましい。自分の判断は人に伝わってしまうもので、良いことならいいが悪いことは自分の懐に閉まって口や態度に出さないようにしておく方が相手の人生を変えてしまうことが少なくなるだろう。もし気に成ることが有れば噂が広まる前に直接相手にそれとなく言ってあげるほうが親切だろう。思いやり、気配りはそういうところに現われるのだろう。 2013年10月22日 琢
2013年10月22日
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Message body バブル崩壊 米ソ冷戦後テロの続出 世界経済不安 中東のデモによる異変 プレート・地層変動による大災害 天変地異 周期的地上現象 温暖化、大気汚染による海水温の上昇 宇宙大自然の摂理の修正 日本はその中心にある 試練と共に恩恵も有る 光転作用を苦と共に超えれば 明日が見えて来る 産業革命、IT革命、敗戦後の飛躍的復興、経済大国、バブル崩壊、米ソ冷戦後のテロの続出、リーマンショック以来の世界経済の不安、中東のデモによる異変、プレート・地層変動による大災害、天変地異、周期的地上現象、温暖化、大気汚染による海水温の上昇、文明の発達によるエネルギー消費の拡大と代替エネルギー問題等々、たくさんの問題を世界が抱えているが天工の問題と人工の問題を別々に考えて対処しなければならないだろう。宇宙大自然の摂理による修正には人類はまだ為すすべを持たず、人工の問題の修正課題は多く、文明発達の負の遺産の根本的なものの修正期に入っている。見えるもの・唯物主義の行き詰まり、20世紀に置き忘れて来たものが、心の有り方の価 値観を見えないものに有ったことを自覚することから始めなければ、矛盾する多くの問題解決は出来ない。西欧、中国文化に学んできた日本の文化は今は先端を行くものとして世界中の注目を浴び、追いかけてきたものが追いかけられるような指導的立場に成って、牽引的、中心的主導権を持っているのだろう。試練と共に恩恵も多い日本、光転作用と共に今の試練・苦を超えれば、目の前に与えられた7年後の東京オリンピック開催に向けて、無私、利他のお・も・て・な・し精神で1億総自己ベストを尽くすことで明日が見えて来るだろう 2013年10月21日 琢
2013年10月21日
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人間の素晴らしさは 無いものを埋めあうこと 願いを完成させる縁に成り合えること そのための感情と本能が有ること 全体を乱さない理性が有ること 知性が道を歩ませること 信じ合うことで響働できること 何倍もの力を出せること 宇宙大自然の仕組みの恩恵が有ること 摂理がすべてを円く治めている 和・輪が有れば 不可能も可能に出来ること ベストを尽くすことが出来る 魂は智恵もつ意志のエネルギーでその中には転生するた びに積み重ねてきた潜在的意識の蔵が有ると言う。潜在意識には生まれる前からの意識と生まれてから積み重ねた意識が"空"の中に有ること、学び、実践、体験したものは潜在意識の中に有って、心のもっと奥にある魂を根拠に意思決定をしている。人間の素晴らしさは、無いものを埋めあうことが出来て、願いを完成させる縁に成り合えること、そのための感情や本能が有ること、全体を乱さない理性が有ること、知性が道を歩ませること、信じ合うことで響働出来ること、何倍もの力を出すことが出来ること、宇宙大自然の仕組みの恩恵が有ること、その摂理がすべてを円く治めている。交友の和・輪が有れば不可能も可能に出来ること、ベスト・最善を尽くすことが出来るところだろう。スタンスは"一期一会"で 常に"人事を尽くして天命を待つ"、"無私"と"利他"の精神で人智を尽くして人智を超える能力を持っている。それもこれも得た知識の実践が無ければ体験も無く、体幹に入れなければ自在に活用できず、智恵には成らず、明治維新のように一つの魂が国を変えた奇跡を起こす縁にも恵まれないだろう。この世だけで出来ないこと、やりのこしが有れば意識の蔵に言い聞かせて置けば次の転生でそれを使命として続行することが出来ると言われている。"乗り間違えないように"とか"切符の買い忘れをしないように"とか乗り物に喩える教えが多いのが仏教だろう。 2013年10月20日 琢
2013年10月20日
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Message body その何故かは 体験と共に解る 風土風習、しきたり、しつけの大切さ 盲目的に従うもの 自分の番が巡ってくるとき その理由が解る 子を育てるときに解る 反抗期にも特別は許されず 生い立ち如何に関わらず 身に付けておくことの大切さ 禅の作法は理にかなっている 人に利かなくても体験で気が付く 覚りは自分で気が付くもの 社会の中にいればその秩序に従わなければはじき出されてしまう。国や地方の歴史にはその地特有の風土風習が有って、その中に法律で定めたものだけでなく特有の常識を身に付けておかなければ理解してもらえない作法のようなものが有る。その地特有の古来よりの神事や祭り、産物の名残りが滲みこんでいるもので、先祖意識と共に心の思い出として歳とともに懐かしく感じる誇りのようなものを感じ合っている。その何故かは体験とともに解ってくるもので、風土風習、しき足りたそのしつけの大切さは、自分の番が巡って来るときにその理由が解るものだし、自分の子を育てるときに身に滲みて解って来るものだろう。反抗期にも特別は許されず、生い立ち如何に関わらず、身に付 けておくことの大切さ、書道、華道、茶道など禅の作法には理にかなったものが有って、順番を間違えるだけでも上手く治まらなくなってしまう常識が有る。人に聴かなくても体験すれば解るもの、そうなってみなければ解らないもの、身を置いてみなければ解らないものがこの世には有って、それを自覚するには自分で気が付くことしかないだろう。 2013年10月19日 琢
2013年10月19日
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Message body 目立とうとすれば 背伸びして 地で行けば目立たない ひそかに地を固め 自然な自分で居たい 自分を偽れば矛盾だらけで 自分を責めればストレスが溜まる 自分を解放して神経症を超へ 明るく楽しく懐深く 自由自在を求めれば "浩然の気" のびのびと安らかな心境に成りたい 結構自分に嘘をついていることが多く、アンバランスな自分を発見することが多かった。矛盾だらけの自分を抱えて、思い通りに成らず、試練を受けるほど現実の厳しさを味わっ て来た。実力も無いのに大きなことを考えて、その難しさを知る度に自分が小さくなって来たかも知れない。近頃はそれが忍土だと思えるように成ったが、以前は目立っていたくて仕方が無い自分がいたように思う。人気はもって生まれたものかも知れないと今は思うが、それを得るために背伸びをしていた自分がいて、本当の自分にはそういう素養が無いことに気が付き始めて自信喪失したせいか、人前に立つことが億劫に成って来ている。密かに地・基礎を固めて自然な自分で居たい、つくればつくるほど虚しさが残って矛盾も噴出してくるもので、そんな自分を責め続ければストレスが溜まって、現実の厳しさを受けるたびに神経症が重く成っていたが、自分を解放してそれを超へ、明るく楽しく懐深く、自由 自在を求めれば本当の自分でいられる、自分を偽らないこと、大自然の中のちっぽけなありんこで良いと思うように成っている。宇宙大自然と一体化する言葉を探している内に出会った言葉が"浩然の気"だった。孟子の言葉で、"ピンチがチャンス"では、”天はその人のやることなすことすべてを失敗せしめ、何ごとも思うようにならないように仕向けて、強靭な精神を養わせるものだ”、自分の歩みを代弁してくれたような思いがして思い出したことは、幼い頃に、お前の誕生日は孟子の生まれた日だと言われていたことだった。その孟子に自分の人生のヒントをもらったように感じている。『解脱』は程遠いが、何かが吹っ切れた思いがしている。 2013年10月18日 琢
2013年10月18日
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Message body 救済は無意識の中に 真心で接し 善意で接し」 無私、利他で接し 代償を求めず 言葉や態度、空気の中に 心の安定を伝え そこに自分の居場所を感じ 癒される自分も感謝する 協力者や仲間を同志として 一人の人間として平等に その関わりを結ぶこと それを使命と感じる人がいる 自分が誰かの役に立っているとき、誰かがそのぬくもりで元気に成るとき、助けを求める人を守れたときに良かった、嬉しいと感じる心は良心の中に有る のだろう。相手にとってそのときの自分は貴人で、そういう自分に成っていたいと思うことで奉仕に努める心が愛・菩提心だろう。地上に住むものたちと共生するための心は、もって生まれた良心から更に進化した愛・菩提心は、社会や国の中で生きるものにとって無くてな成らないものだろう。四弘誓願【救済、煩悩の抑制、学び・精進、成仏】の救済に当たるには必須の心で、無意識の中に、真心で接し、善意で接し、無私、利他で接し、代償を求めず、言葉や態度、行為、空気の中に、心の安定を伝え、そこに自分の居場所を感じながら、癒され、認められ、理解されることに感謝する自分に成ること。協力者や仲間を同志として、一人の人間として平等に、その関わりを結ぶこと、その根底には愛・菩提心が 有ること、それを使命と感じる人がいる。 感謝こそ 道の極みと 仏道に 菩提の心 にじみ出てこそ 2013年10月17日 琢
2013年10月17日
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Message body "来て帰る" 達磨さんの絵 輪廻転生 生まれたらいつか死ぬ いつかを知らず 今を生きる 一期一会 二度と同じ瞬間は来ない 今を粗末にせず 明日死ぬものの如く 今日を生きる すべてを受け止めて逃げず いつもが始めの一歩 感謝を忘れず 明日の保証は誰にも無く、時が流れ、諸行無常のこの世に生きている。何のために生まれてきたかは歩みの中で探し求めるもの、為しても為さなくても自分の意志によるもので、 歳月を重ねて帰ってゆくのが人生だろう。それがどのくらいの歳月かは自分では決められず、決められるのは何を為すかで、今やっておかなければ時だけが無常に流れてゆく、自分の人生の目的が何かを自覚しなければ悔いを残してしまう。昔、通っていた木本医院の待合の壁に掛けてあった絵が、だるまさんの"来て帰る"絵だった。肉体舟に魂を乗せた人間が生まれて帰ってゆく姿を描いた、大乗仏教の祖といわれた達磨大師の水墨画だった。神経症だった自分にはそれが何の意味かが分らず、生まれたらいつかは死ぬときが来る、それがいつかが分らずただただ死ぬことを恐れて仏教書を読みあさっていた頃だった。自分を解放することで気の病を抜けてきた今は、一期一会の今を生きることの自覚、今の瞬間の 出会い、出来事、事態は二度と同じものは無く、今を粗末に扱わず、明日死ぬものの如く今日を生きること、すべてを受け止めて逃げず、いつも始めの一歩を踏み出し、初心を忘れずに心の赴くところに歩いてゆくこと、悔いを残して歪んだ顔で死にたくないと、何が起きても慌てない、足るを知るで、そのときが来るまで、今を決然と生きようと思っている。 2013年10月16日 琢
2013年10月16日
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真理の道は宇宙のようで 神の領域に立てない愚かさを知るとき ただ素直に謙虚に成れる 切磋琢磨はこの世でしか出来ず 摩擦の多い忍土を自覚して 無力さを補う恩恵に感謝できれば 協力者の仲間や同志の縁に恵まれ その止むにやまれぬ正しさを受容できれば 夢や希望の共有が出来て 認め合い、響働ができる 絆が深く結ばれれば 一人では不可能なことも可能になる 何かを極めようとして掘り進むほどその奥の深さを知ることに成って、簡単な道を選 ばずに難しい道を選ぶほど自分独自の発見に至ることが出来る。単純作業の繰り返しの中に、始めは無意味と思うことも繰り返しの積み重ねで時と共に、その何か自体も子供が育つように深い味が出るように育つと言う。チーズ作りも深いものが有って熟成の時間が長いほど作る人やその土地独自の味に育ってゆくのだと言う。真理の道は宇宙のようで、神の領域に立てない愚かさを知るとき、ただ素直に謙虚に成れる。切磋琢磨はこの世でしか出来ず、摩擦の多い忍土を自覚して、無力さを補う恩恵に感謝できれば、協力者の仲間や同志の縁に恵まれ、その止むに止まれぬ正しさを受容すれば、夢や希望の共有が出来て、互いに認め合い、響働することが出来る。そこで深い絆が結ばれれば、一人ではどうしても出 来なかったことも達成できるようになる。その道に臨むときに三つの自覚【忍土の自覚、愚かさの自覚、恩恵の自覚】がいつもその根底に有ることを知ることになる。 ”人間の可能性は、信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に有る” 『千年の風』 高橋佳子著 2013年10月15日 琢
2013年10月15日
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Message body 値段を価値判断の基準にすれば 集まる場所が限定され 幻覚症状の暗躍 感じる魅力は物欲に支配され 真実を見抜くことが出来なくなる 現象にとらわれて 実相を観なければ 架空の虚像に惑わされ 青春が有ってもロマンが有っても いつか何も得ていない自分 孤独な自分を発見する 幽霊のようにつかみどころが無く 言葉だけで実態の無い世界に成る 人は生きるためにはたらいて、維持するために衣食住を求めるが、そこで何をするか に持って生まれた使命が有って、どれだけ生きるかで無く、どう生きるかが本当の目的に成る。使命感は始めから見えているものでなく、育ってゆく道すがらで見つけるもの、これで間違いは無いと自覚できるもの、その生き方なら迷いが少ない道の中に満足が有るもの、魂の中に有る潜在意識の傾向を知らなければ、死ぬまで見つけられない人もいるだろう。値段を価値判断の基準にすれば、集まる場所が限定され、幻覚症状が暗躍するところで、感じる魅力は物欲に支配されて本当の姿を見抜くことが出来なくなる。現象にとらわれて実相を観なければ、架空の虚像に惑わされ、心に青春が有ってもロマンが有っても、いつか何も得ていない自分を観ることに成って孤独な自分を発見する場合が多い。産業革命か らIT革命に成って情報産業が主流になるほど、幽霊のようにつかみどころが無く、言葉だけで実態の無い世界に成ってしまう、魑魅魍魎の暗躍する世界に成らないようにしっかりした自己形成が求められるだろう。 2013年10月14日 琢
2013年10月14日
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一期一会 人生の終焉の自覚 見るもの触るもの 一瞬のすべてが愛しく ありがたく思う なんとなくを戒められる その境地は一瞬を生きること 医術を尽くした後の緩和医療 瞬光の煌きは星のように その煌きを継ぐとき 使命を感じる 語り継ぐことを自覚できる 病院で治療のすべてを尽くした後はそのときを、死が来るときを待つだけの、それがいつ来るか分らず、今の一瞬を生きる状態を受け入れ、自覚したときには、目に入るもの、聞こえる音、触れ るものの感触、その一つ一つが愛しいと思うそうで、その場に立ち会う緩和医療の医師は、"一期一会"だと言っていた。人はもう助からないと死を受け入れ、自覚して覚悟が出来た状態に成れば、一瞬のすべてが愛しくなる、その一瞬をもう二度と味わうことの出来ない一瞬と受け止められるようになるのだろう。人生の終焉を自覚したときはすべてをありがたく思えるようになって、感謝の念に充ちて穏やかに死を受け止めようとし始めれば"一期一会"を大切に過ごそうとするのだそうで、自分のようにただなんとなく生きているものは戒められる思いがする。その境地は一瞬の今を生きる状態で、医術を尽くした後の緩和が必要だと言う。瞬光の煌きは星のように、その煌きを継ぐ自覚が出来れば、それが自分の使 命だと思える、それを語り継ぐものも必要で、世界平和を願わぬものは居らず、その成就までには何千何万と言う命がそれを受け継ぎ続けるのだろう。 2013年10月13日 琢
2013年10月13日
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Message body 傷ついた心 原因を修正しつつ 転依によって気を移し そこに新たな歓びを見つけ 悪いことを忘却して 良いことだけを探せば いつも心は明るい その選択は自分に有って 明暗は自分でつくり出す 運気は同席していて すべて自分の産物で その責任と主導権は いつも自分の肩に乗っている 気おくれが有れば何をしようとしても達成が出来ず、自分との戦いの道中を想像すれば無理だと気が引け初めて投げ出して諦めてしまうことが多い ものだが、どんなことでもやって見なければ体験できず、妄想だけで何も出来ずに自分の可能性を捨ててしまう自分が過去の中に何度も有ったように思う。人にはその心の中・空は見えず、ただ腰が引けている様子だけが見えているもので、やってみれば堂々として見えることも多い。迷い、葛藤は誰にも有るもので勇気を出すことで自分との戦いに克つことが出来れば、案ずるより生むがやすしで、たとえ失敗してもその体験は後で生きてくる。傷ついた心もその原因を修正しつつ続行しながら、ダメな妄想に押しつぶされそうになれば、転依して気をほかに移せばそこに新たな歓びを見つけることも出来、悪いことを忘却して良いことだけを探せば、いつも心を明るくしていられるだろう。その選択はすべて自分 の中に有って、明暗は自分でつくり出すもので、そこに運気が同席している。落ちる穴は自分が掘っている場合が多く、何をしようとすべてが自分の産物で、その責任と主導権はいつも自分の肩の上に乗っている。言い訳や責任転嫁をしても自分に嘘はつけず、天に唾を吐けば自分に返ってくる道理で、神仏は罰しないが、自分で自分をダメにしてしまう、自滅する場合が多いことを知っておく必要が有るだろう。 2013年10月12日 琢
2013年10月12日
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Message body 心に花を求め 樹の緑に包まれて 色付く花が有れば 心はゆたかになる 自然の色をテーブルに置けば 家が明るくなる 心には癒しが必要で 雑草にも癒されるゆたかさ 思い出の野原 どこに行ってもその一部を思い出す 焼け跡のタンポポの逞しさ クローバーの花の香り ロマンはその心の中に湧いてくる 自然の中に咲く花を見れば美しいと思い、摘み取って家の中に咲かせたくなる。特に人が来るときには、家の中にその明るさを取り入 れたくなる、もてなしの心が、そっと花器に入れて自然を家の中に持ち込んで、そのもてなしの心【天・地・人、真・副え・体】で迎えたいと思う。花を生けるのはそういう心の現われだろう。生存競争の激しいこの忍土にいれば殺伐とした心にストレスが溜まって、時にはホッとするときも必要なもので、いつも心には花を求め、樹の緑に包まれて色付く花が有れば心をちょっとゆたかにすることが出来る。自然の中の色をテーブルに置けば、その良い香りもほのかな空気をつくり出して、家が明るくなったような気がする。心には癒しが必要で、美は見る人の心に有りと言うが、雑草にも癒される心が有って、幼いころの思い出の野原を、どこに行ってもその一部を思い出す。焼け跡のタンポポの逞しさ、クロー バーの花の香り、よく探した四つ葉を思い出しながら無意識に今も探している。何故か邪気の有るときは四つ葉が見つけられず、無私や利他の心のときに、ここにいるよと言っているように目に入って来る。青春・ロマンを感じるときはそんなときで、にこやかに機嫌の良い顔になっているかも知れない。大人に成ってからは秋の山が寒さと共に色付いてくるときも、なんともいえないゆたかな心を頂いて、紅葉狩りにも行ってみたくなる。枯れ木も山の賑わいと言いながら、紅葉の美しさに日本の四季の美しさを思いながら、ここに生まれ育って良かったと思うときが有る。 2013年10月11日 琢
2013年10月11日
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Message body 願いを果たす取り組みには 大義名分・名目が必要で 本音に邪気を交えることなく 確認事項を念頭に 末路も視野に入れて 因の転換をする 果たすための因を掲げ その因縁側で 良き協力者、同志、仲間と響働すること 定期的に確認し合うこと 同じ意志を持つものの合わせる力は その取り組みを成就させる 夢や希望の大志をもって何かをしようとするとき、目標を立ててそれをこなして行くことになる。願いが有れば必ず障碍・試練に出会うことに成る が、それが自己の進化を促すためのピンチがチャンスのときで、短所、欠点の修正浄化することの呼びかけととらえれば、前向きで積極的な心構えで臨むことが出来ると高橋先生は指導している。願いを果たす取り組みには、大義名分や名目、目標を掲げ、本音に邪気【都合、計算、打算、意地】を混ぜることなく、確認事項を念頭に、末路も視野に入れて智恵を絞り、そのための因の転換をして、果たすための因を掲げて場に臨むことを推奨している。その因縁側の良き同伴者との絆を結び、良き協力者、同志、仲間を縁として響働すること、定期的に確認し合うことで、アメーバー式に一つの目標をインプットされた細胞が全体を動かしてゆくように進めてゆくことで目標達成の確率を高めることが出来る。同じ 意志を持つものの合わせる力は、その取り組みを成就させることが出来る、その事例はたくさん有って、数字に表せない相乗効果も加わって、一つの魂が国を動かした事例も歴史上には残っている。人智を尽くし、人智を超えるときはそういう時なのだろう。 2013年10月10日 琢
2013年10月10日
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心には好奇心を絶やさず 大人に成りきらず いつも青春を感じている ロマンを感じながら 自分の何かを咲かせたいと思う いつも明るい方を観ながら 機嫌良く元気良く歩く 年寄りの冷や水と言われても 挑戦意欲を捨てず 人智を超える発想 あらゆる方面を視野に入れて 目を輝かせて夢を追っている 幼い頃には早く大人に成りたいと思い、来客が有れば、あんな大人に成りたいと思うことが多かったが、いざその歳に成ってみれば、そんな威厳も品格も 無くいつまで経っても子供のままの自分を見ている。昔のまんまの自分に何の進化もしていないと思ってしまうが、童心のままでいいと思う心が大半を占めて、苦い体験を積むほど顔まで汚れたくないと思うように成っている。大きな夢を持っていたはずの自分だったが、現実を見ればたった一匹のありんこだったと感じ始めて、いつも地面を見ながら蟻を踏まないように歩いている。今は、子供のように心には好奇心を絶やさず、大人に成りきらず、いつも青春を感じていたいと、ロマンを心に感じながら、自分の何かを咲かせたいと思っている。いつも明るい方を見ながら、機嫌よく、元気良く歩くこと、年寄りの冷や水と言われても、挑戦意欲を捨てず、あらゆる方面を視野に入れて人智を超える閃き・発想を 捜し求めながら、いつも煌く星のような夢を追いかけながら目を輝かせていたいと切に願っている。今度こそ自分の番だ、と思って来ても、未だにその番が来ていないように思っても、腐らず、山奥に人知れず咲く花も有るんだと思いながら、目の前の秋を楽しもうと思っている。浩然の気【宇宙大自然と一体化する心境・のびのびと安らかな心境】を求めて止まない。 2013年10月9日 琢
2013年10月09日
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何かをしようとするとき 迷いが多く 易学で 内容、状態、方位、時期を 観た上で進めれば 覚悟が定まり そのせきを他のせいにせず 悔いの少ない歩みが出来る 頼るのでなく 他の意見を聞き 皆の理解を得ることで 自分に内在する力を発揮できる 他の協力が有れば更に力は強くなる 明日生きている保証は誰にも全く無く、選択肢が多いほど迷ってしまうものだが、先の歩みに大きな影響を与えそうな事案については自分の主観だけで なく、他の意見を素直に謙虚に取り入れて、決断するほうが道を間違うことが少なくなる。宇宙、大自然、国、地域、時代、血筋の流れを客観的に見ておくこと、易学は天体と地上現象の周期の組み合わせから、その人の先を見通すデータ学で、自分で先をつくれない人ほど参考にする場合が多く、人生に大きな影響を及ぼす重たい決断をするときには、そういう運の流れも視野に入れてチョイスすること、自分を良く知るものの客観的な意見を取り入れることは、決断した後の自覚が違うもので、すべて他のせいにしていれば自分に主導権が無く悔いを残すことが多く成ってしまうだろう。頼ってしまうことは人のせいが多くなるということで、責任転嫁をしないことを条件に他の意見を聞くことは、皆の理解を得 ることにも成って、安定した心で自然体に自覚したことに取り組めば、自分に内在する本当の力を発揮することが出来て、その上に他の協力が得られれば、自分一人では到底出来ないことさえ成し遂げる強い力を、恩恵と共に得ることも出来るだろう。特に恩恵【協力者からのもの、何かの仕組みからのもの、天の祐け】に感謝することを絶対に忘れないこと。 感謝こそ 道の極みと 仏道に 菩提の心 にじみ出てこそ 2013年10月8日 琢
2013年10月08日
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Message body 冷ややかな目は 可能性を封印させ 参加意欲を無くさせてしまう 空気を読める人ほど 微妙なことに敏感で 賛同の少ないことに 消極的に成る 人を乗せることの上手な人は 自信の無い人に自信を持たせ 低い可能性を遂行させる 人には暗示も必要で 錯覚も使い方次第で 堂々と観えて来る 生い立ちや性格上で失敗を恐れて自信の持てない場合は引っ込み思案に成る人は多い。集団に入ることで顕著にその傾向が現われ始めて、いじめに 遭えばそこに行くのさえ足が向かなくなってしまう場合も有って、自信が持てないときほど引きこもりに成ってしまう。そういう試練を感じながら集団に慣れて、友達が出来れば楽しみも増えてエンジョイ出来るようになるものだが、自分の意志を出せるようになるまでは時間がかかる人は多い。賢い人ほど、冷ややかな目が有ればやろうとすることも封印させ、理解者が出来るまでは参加意欲さえ無くしてしまう場合も多い。空気の読める人ほど微妙なことに敏感で、賛同が少なければ消極的に成ってしまう。人を乗せることの上手な人に出会えば、自分の良い芽を見付け出してくれて自信を持たせてくれ、低い可能性でも遂行させることも出来るように成る。自己暗示をかけることも出来るが、相応の勉強を積み 重ねた上で、きっと良くなる、必ず良くなる、もっと良くなる、どんどん良くなる、を何度も唱えることで自分の意志を実行しながら自信や信念に繋げることも可能なことだろう。人には案じも必要で、外から見れば錯覚だと思えることでさえ使い方次第では堂々と観え始めて、結果が伴えばオーラさえ観えて来る場合も有る。 2013年10月7日 琢
2013年10月07日
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Message body 人には幾つもの垣根が有る その垣根を外すことで 扉が開かれる その縁付けが必要で 門を開く動機付けが有れば 共有し合う交友が得られる 協力者、仲間、同志がいれば 更に関わりは太くなる 理解者が増えれば 共有する意思は通じやすく 風は順風に変わり 明運力が働き始める 恩恵は実践するところにはたらく 何でもやって見なければものにならず、ただじっとしているだけでは前に進めず何の展開も起こらない。夢や希望が有れ ば前に進むしかなく、自分一人では出来ないことも同じ意志を持つものが集まれば信じられない恩恵もはたらいて、一つ一つの目標の達成から、それを自分の使命のように感じ始めて、信念も固まって自信と気力が湧き出して来るだろう。そういう志が強くなれば、その花を咲かせる縁に恵まれるもので、集団に入れば、その場そのときに必要な協力者や仲間、同志が現れて奇跡さえ起こすことも不可能ではないだろう。人には幾つもの垣根が有って、その垣根・警戒心や疑問を外すことで心の扉が開かれて良き縁に恵まれるもので、その縁付けが必要で、心の門を開く動機付けが有れば、共有し合う交友が得られるだろう。交友が深くなれば、協力者や仲間、同志との絆が結ばれて、更に関わりが太くなる。理解者 が増えれば、共有する意思は通じやすく、願いを果たすための風も順風に変わって明運力もはたらき始め、夢や希望を近寄せることが出来るだろう。孤立していることを思えば、そのすべてが恩恵で、いくら頭の中に描いていても実践しなければ体験も出来ず、恩恵の仕組みもはたらかないだろう。 2013年10月6日 琢
2013年10月06日
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Message body 起きてしまったことは 消し難く 事前に末路を読み取って その原因を断って置く 過ぎたるは及ばざるが如しで 果報は変えられないが 因縁は変えられる 苦を少なくするには 摩擦の元を浄化すること 苦の材料・試練は 原因を断つまで 次から次にやって来る 観力を具えて浄化しておく 人の心の中にはこの世でしか修正浄化出来ない弱点・歪みやひずみ・悪癖・魔が有って、身の周りに起きている問題には自分の関与が有ったためのも のが多く、自分とは全く関係の無い原因は無いものとして、その必然の中に自分の対応を変えれば結果も変わっていたかも知れないと思ってみることから、自分の業・カルマを観抜く力を備えて、何度転生しても繰り返して来た原因を今こそ断ってしまう決意と実行をすることで、摩擦を起こさない自分に変わってゆけるのだと高橋先生は教えている。起きてしまったことは消し難く、事前に末路を読み取ってその原因を断って置くこと、過ぎたるは及ばざるが如しで、果報は変えられないが、因縁は変えられる、心を安定させるために、苦を少なくするには相手の立場に立って敬意を表し、対立すれば末路を想像して本筋に戻る、そのようにしながら摩擦の元を浄化することが大切なことで、苦の材料になる試練に は逃げようとせずその原因を断たなければ次から次に同じ試練がやって来るものと観力を培っておくこと、甘く軽い気持ちで臨まず、除霊してもまた引き寄せてしまう憑依霊のような業・カルマをきっと断ち切って見せるとの覚悟が必要だろう。 2013年10月5日 琢
2013年10月05日
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Message body 自分の意見でも 共有するもの全体の発案として 原案をまとめる 自然界の一員として 集団の一員として 自己顕示、自己保存をせず 奉仕に努め 個人プレーを戒め 報、連、相を基本として 無私、利他をアメーバー式に 全体の時代衝動にする 大河は小さな流れを集めたもの 雄大な流れになる 人間【新皮質脳を持つ】は万物の霊長と言うが、動物【旧皮質脳】と違って同族同士の殺し合いをするもの、その原因は自己顕示欲、自我我欲 、自己保存だと言われている。この世に生まれ出れば摩擦を起こしてしまい、そのために遭遇する四苦八苦を更に大きなものにしてしまい、個々の業・カルマを修正浄化しなければいつまで経っても心の安定を得られない、そういう悔いを残さないための修行の場がこの世・現象界だと言われている。人口が増えれば自分の意見などと消極的になったり、自信喪失していたりするものだが、この世に共生し、共有するもの全体の発案として、自分なりの原案をまとめ、自然界の一員として、集団の一員として、自己顕示、自己保存をせず、奉仕・布施に努め、個人プレーを戒めながら、ホウレンソウ【報告、連絡、相談】を基本として、無私、利他の精神で一個の細胞がアメーバー式に全体に滲み込ませてゆくことが 必要な時が来ていて、それを全体の時代衝動にすること、最近本屋さんに行けば般若心経の本が売れていると言うが、それも今の混迷の時代を象徴する現象だろう。大河は小さな川の流れが集まったもので、下流に行けば雄大な流れに成っているように、今、心を安定させるための提案をするときが来ているのだろう。摩擦を起こさないように相手の立場に成って考えて敬意を表する、人を変えることが出来ないが自分を変えることは出来る、あらゆる恩恵に対して感謝をする、唯物的、刹那的、利己的なことをしない、そういう自覚を基にして自分の使命を感じながら自分の道を歩むことだろう。 2013年10月4日 琢
2013年10月04日
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Message body ご来光に拍手を打ち 清々しい朝に 生まれ生かされている感動 感謝してその日を生きる 日の出には 一日無事であること 明日への祈りと共に 感謝を添えて合掌する 一日を一生の如く 東に生まれ、西に滅する 信仰の原点は心の安定に有り 一期一会を生きている 太陽系・銀河系宇宙には太陽・恒星を中心にたくさんの惑星【水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星等】がその周りを自転しながら回っている宇宙であることから、この地球 のどの地域にいてもその信仰の元は太陽信仰だろう。太陽は遍く地上を照らし、地上に住む者たちに偉大な恩恵を与え続けすべての生物が生かされている、と考えることから、心の安定のために古来より信仰が必要だったのだろう。天体の星の位置と地上現象の周期を知ることから先を予測する易も生まれて、毎日を心地良く生きるための文化文明も興って来たが、それでもその信仰のための教えとして興った多くの宗教の違いから皮肉にも心の安定を阻害する争いが人類の未来を暗くして来ているのかも知れない。この日本では古来より神道が有ったが聖徳太子以来仏教を取り入れて独自の文化をつくり出して来ている。ご来光に拍手を打ち、清々しい朝に、生まれ生かされている感動、感謝してその日を生きる、 心の安定はそこに有って、日の出にはその一日が無事であること、明日への祈りと共に感謝を添えて合掌する風習が基本に成っている。一日を一生の如く、東の日の出に生まれ、西の日没に滅する、夜は八百万の神々・魂の浮遊するときとされ、一期一会を生きていると言うことだろう。仏教はお釈迦さんの教えを漢訳した経典を元に、三蔵【経、律、論】の論のところで解釈、説明、作法、強調する部分の違いからたくさんの宗派が生まれ、対立が有るが"山はどこから登っても頂上は一点・万教帰一"で、お釈迦さんから出た教えとしてはどれも間違いは無く、好き嫌いや慣れの問題で各派が対立したり論破したりするほど人心を乱すことに成ってしまうだろう。要するにみんなが機嫌良く生きること、そこに心の 安定が有ると言うことだろう。 2013年10月3日 琢
2013年10月03日
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Message body 伝えること 理解して共有してもらうこと 自分の意志を 止むに止まれぬ正しさの中に 解り合える共通点 交友の中に 協力者、仲間、同志の縁と共に 響働して絆を結び 夢と希望を 互いの使命と感じ合うことで 自分一代で出来ないことも 伝われば継承される 歴史的成就も不可能ではない 多くの歴史上の偉人たちが世界平和を願って、自分の分野で自分に出来ることを積み重ねて来た足跡はたくさん残されている。その志は誰かが受け 継ぎながら今もそのために尽力している多くの人々がいるだろう。専門分野を掘り進めて行けば必ずそのための役に立つことを願っているだろう。夢と希望は人の歩みには無くては成らないもので、その煌く星のような志はみんなが自由に持てるもので、未来を切り開くために、天災、人災の復興のために、何処かでその役に立ちたいと思っている志が有るだろう。自分のしたいことを、みんなの幸せになることを、真実を、伝えること、理解して共有してもらうこと、自分の意思を止むに止まれぬ正しさの中に表して、解り合える共通点を交友の中に、協力者、仲間、同志の縁と共に、響働することで一人では出来ないこと、その時代だけでは出来ないことも自分の使命と感じながら、その成就に向けて人智を尽く し、人智を超えることが出来るだろう。一億総自己ベスト、みんながそれをすることが出来れば未来は明るくなるだろう。伝わった心が継承されてゆけば、歴史的成就も不可能ではないだろう。 2013年10月2日 琢
2013年10月02日
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Message body 気が楽な日も有るが 我慢の連続の日々も有る 記憶に鮮明なのは試練だが 思い出に残るのは楽しかったこと かけた情けを恩に着せ 裏切られたと思う 受けた恩は忘れてしまい 不随の定めを満喫する 崩壊の定めを止められず 神も仏も無いと思ってしまう "かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め" 感謝の念が気を楽にする とかく人の思いは、人のためにしてやったと恩に着せて、してもらったことを忘れてしまっていることが多く 、、貸したことを忘れず、借りたことを忘れてしまうことが多い。その都度問題の消去をしていれば心は軽く、空が美しく自然を綺麗に思うが、問題山積に成っていればそれどころで無く心のゆとりが無くなってしまう。同じ時間を過ごすのなら暗闇・トンネルの中を手探りで光りを求めながら暗い心でいるよりも、山の美しい景色を見ながらピクニック気分でエンジョイしながら歩くほうが誰でも良いと思うだろう。試練に遭えばすぐにトンネルの中に入ったように光りを求めて暗い心に成ってしまうが、何度も超えた経験を積めば慣れることや苦しくてもきっと超えられると言う自信で試練に強くなって浮き沈みが少なくなるだろう。生きていれば気が楽な日も有るが、我慢の連続の日々も有って、記憶に鮮明な のは辛く苦しかったことだが、思い出に残るのは楽しかったことだろう。してやったと思っていれば裏切られたと思うことも多く、自分も受けた恩をラッキーと思って忘れていることが多く、思い通りに成らない不随の定めが有ることを満喫することになる。都合が変われば手のひらを変えるようなことも多く、交友関係も時と共に変化して崩壊の定めを止められず、忘れ去ってしまうことが多い。善光寺の石碑の言葉"かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め"を思い出しながら、自分は生かされているんだと思うことで、恩恵には感謝すること、その気持ちを言葉や体で表すことで、自分も人も癒されてゆくのだろう。 2013年10月1日 琢
2013年10月01日
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