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身分、資格、肩書きを外して 一人の人間として平等に 素直、謙虚であれば 単なる集団の一員と思えば 情報も入って来る 自分には自分にしか出来ないことが有って それを自覚した上で それをミッションワークと思えば 夢や希望に向かう道で 自分の色を出すことに 自分にしか得られない満足感と共に 悔いは残らない 誰もが悔いを残さない生き方をしようとするのは、後悔しないこと、納得していること、割り切れていれば迷いが少ないことで、執着 を残さず成仏したいから、仏教でいう浄土信仰が有るからだろう。執着を残せば死後幽界に留まってあの世に行けないと、意識の何処かに感じている、教え、伝えられて来たからかも知れない。般若心経に『色・受想行識』、『色即是空、空即是色』が有って、六根【眼・耳・鼻・舌・身・意の六識のセンサー】で外から入って来る情報を受けて、知性、本能、感情、理性を通して外・色に出すことをしながら人は生きていて、そこで生まれた現実で磨かれてゆく、とされている。集団・社会にいる自分は、身分、資格、肩書きを外せば一人の人間として平等で、素直、謙虚であれば孤立することも無く、情報も入って来る。そこでは自分にしか出来ないことが有って、単に知識だけを詰め込んだ頭脳だけに頼らず、 心やそのもっと奥に有る魂の赴くところに使命を感じている、そのミッションワークに就くことで何処かに満足感がもてるのだろう。夢や希望に向かう道で、自分の色を出すことで、自分にしか得られない満足感と共に悔いを残すことも少なくて済むのだろう。一人で出来ることは少なく、果報を追いかけようとしても唯物的、刹那的、利己的に成って、人望を失ってしまえば協力者や仲間・同志の縁に恵まれず、そのために自分を磨き、他の良い芽を見出し、互いに良き縁に成り合って始めて、夢や希望を引き寄せることが出来る、自己ベストを尽くすことが出来る、果報側から因縁側人類に成ることで、先は必ず見えて来ると高橋先生は言っている。 2013年8月31日 琢
2013年08月31日
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JAPAN NEXT は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今 自己ベストを尽くすのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今 果報側から因縁側人類へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今 無私、利他の精神で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今 立ち上がるときは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今 記 高橋佳子講演会 テーマ 『JAPAN NEXT』 "1億総自己ベストの時代” 昨日より今日、今日よりも明日 自己ベスト更新の生き方が、新たな日本を開く! 入場料 3000円 時間 13:00~17:00 開催日と場所 10月20日 名古屋国際会議場センチュリーホール 052-332-3661 10月27日 パシフィコ横浜国立大ホール 050-3535-0515 11月4日 大阪城ホール 06-4861-4762
2013年08月30日
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屈辱の原因は 多くは自分がつくっている 厳しい言葉を愛と受け止め 今自分が嫌な人も必要な人だと それが自分のカルマだと思って 修正浄化すれば その試練はもう来ない 原因は口先の釈明を必要とせず 改めることを人は願っている どんなに偉い人でも 一人の人間として謙虚であること 人はそこに親しみと敬意を表する 魂の修復のために来ている 四苦八苦にはなるべく出会いたくないと思っている、苦手なことは避けたいと思っ ている、人前で辱をかきたくないと思っている、なるべく何事もなく過ごしたいと思うのが人情だが、自分の弱点のあるところで引っかかってしまうもので、他の人にはなんでもないところでも自分には試練と成ってしまう、自分には見えなくても他の人も知らないところでその苦を味わっている。四苦八苦をさらに重たくしてしまっているものが業・カルマで、その浄化をしなければ同じ試練が何度もやって来るもので、多くの屈辱の原因は自分がつくっている場合が多い。自分のためを思って与えられる厳しい言葉を愛と受け止め、今自分が嫌な人も必要な人だと、それが自分のカルマだと思って、厳しい苦言の原因を修正浄化すれば同じ試練はもう来ることはないだろう。その原因は口先だけの釈明を必要とせ ず、実践して改めることを人は願っている。どんなに偉い人でも、一人の人間として謙虚であること、ただ素直であること、人はそこに親しみと敬意を表するもので、改める勇気を持つこと、意地を張らないこと、嘘の言い訳をしないこと、外見を気にせず、面子も捨てて、ただひたすら素直に改めることが出来れば、自分が生まれてきた願いの一部は果たされているだろう。 2013年8月30日 琢
2013年08月30日
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同じ世に住んでいても 大局的、局所的見方は 男女では違う 人智を尽くし、人智を超えるには 女性の見方の参画も 必須の時代に成っている 発想の転換を尽くさなければ 時代のニーズに応えられず すべての自然界の意味を 智恵に反映できず バランスの取れた社会に成らない 分担の在り方の再考を要する 歴史を見れば、この世を動かしてきたのは男が多く、女は陰の支え役を強いられて来た時代ばかりだったが、神は男には力の強さを与え、女には心 の強さを与え、男は遠くを見て歩き、女は近くを見て歩くがいつも永遠を求めていて、男はそれに応えようとして来た、と言えるだろう。先を観て家族や国を動かしてきたのは男社会のように見えるが、足元を固めていなければその力を発揮できず、その基盤を支えてきたのが女だったような時代が多かった。文明の発達と共に視野がきめ細かに成って、新しいものが生まれなくなって、細やかな発想を必要とする時代には女の近くの見方、足元の見方を取り入れる時代が来ているように見える。同じ世に住んでいても、大局的、局所的見方は男女では違うもので、人智を尽くして人智を超えるには、女性の見方の参画が必須の時代に成って来ている。きめ細やかな発想の転換を尽くさなければ、時代のニーズに応え られず袋小路に入ったように、どこにも出口が見つけられない時代に成れば、すべての自然界の意味を智恵に反映しなければ時代のニーズに応えられず、バランスの取れた社会にはならないだろう。男女の分担の再考を要する時代が来ていて、価値観も果報側から因縁側に変えなければ、その自己ベストを尽くすことは難しい時代が来ている。松下幸之助氏は、自分は物を作っているというのではなく、人をつくっている、と言ったように、出来上がったものを追いかける時代から、新たな何かを作り出さなければ成らない時代には、見えるもの、さわれるものより、見えないものがすべてを生み出す根源の力に成っていることに着眼する必要が有るだろう。 2013年8月29日 琢
2013年08月29日
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自分を大切に 人生の傾向と対策を練り 自分を知ってつかみ取る 受験は試験だが 人生は試練 弱点を克服して ミッションワークに備える 使命は自分の中から発見し 信念を持てば 四苦八苦に惑うことなく 先のために今を生きる 問題解決の糸口は過去に有る 過去の延長が明日に成っている どんなに距離があっても1mmの延長で、毎日の1歩が地球を何週も回る歩数になって、何かのために人は人生を歩んでいる。生きるため、家族を 養うため、夢や希望を果たすため、自分の使命を果たすため、目的や目標を掲げて、自分の傾向を知り、その対策を立てる。自分を大切にしていなければ出来ないことで、これまでの傾向と対策を練って、自分を良く知っておくこと、受験はその道を歩む知識を得て学ぶための試験だが、そこにも傾向と対策が有るように、人生に訪れる試練を超えるには弱点を克服して、味方を増やすより敵をつくらず、摩擦の元に成る業・カルマを浄化して、歩んだ過去の傾向から自分の歩みの意味を知ることで使命感を持って対策を立てる。信念を持てば四苦八苦に出会う必然が有っても惑うことは少ないだろう。未来は過去の延長で、問題解決の糸口は過去に有って、過去に学ぶことで先は開けて来る。立ち止まって振り返る 、道を確かめる、修正点を見ておく、先を見据える、止作の行、自己回帰で中果を観て大因を知り、大果に向けてその方向を確かめるときを持つことが節目になって、さらに強い生き方が出来る。 ”過去の因を知らんと欲せば現在の報を見よ、未来の報を知らんと欲せば現在の業を見よ” 日本霊異記 2013年8月28日 琢
2013年08月28日
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他に知られたくないこと 伏せていることの中に 業・カルマが入っている 口に出す人、伏せる人 言わなければ分らないと思うが 人には観えている 許容範囲かどうかは 表に出さなければ修正不能で いつまでも浄化できない 隠していてもばれるもので 主客一体と思えば 出してしまうほうがすっきりして 前、先を観て歩むことが出来る 人に見られたくない部分、見られてしまえば嫌われるかも知れないと心配しながら無意識に伏せて しまう部分に自分の弱点が隠されている。いつかは分ってしまうことでもそのままにしておけば必ず露見してしまうことも、自分の居場所がなくなることを恐れて正直になれないものだが、自分を外から見ることが出来ず、どう見えているかを素直に見せて聞かなければどう思われているかが自分には判らないだろう。分らなければ直しようが無く、業やカルマは何度も犯す過ちに中に、分っていても止められないことの中に、どうしようもないと自分を哀れむことの中に潜在するもので、素直に謙虚に成らなければ、観抜くことが出来ずに修正浄化が出来ない。他に知られたくないことや伏せていることの中に業・カルマが有るもので、口に出す人、伏せる人が有るが、黙ってさえいれば分らないだろうと思ってい ても、人には映し鏡のように観えているもので、許容範囲かどうかは自分では判らず、人は見えていても遠慮して言えないものについては、自分から訊くようにしなければ修正不能で、いつまで経っても浄化が出来ず自分の品格を落としてしまっている。隠していてもばれてしまうもので、出してしまう方がすっきりして対策も立てやすく協力者も得やすいもので、過去を観て先を開くことヒントは、客観してもらうことから得られるのだろう。どんなことにも"ただ、素直に"成らなければ、何度も先送りをしてばかりでは、何のためにこの忍土に生まれて来たのかの意味さえわからずに、収穫無しに帰ってゆくしかないだろう。観る力、浄化する力、新たに発心して菩提心を育んで他の照らしをすること、この力を 菩薩必携の四力【観力、浄力、発力、結力】と高橋先生は言っている。 2013年8月27日 琢
2013年08月27日
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女性の脚が綺麗に成っている 建築様式が洋風に成ったからか O脚が少なくなって 背は高く足は長くなった 化粧法の進化と共に美人が多くなり ファッションの流れに敏感で 流行の柄や色も年々進化して フランス文化から独自の日本文化へ 今は先端を行くようになった 和風文化が注目を浴び 食文化も和の美が広がっている 微妙な発想は日本発だろう 西洋人は言うことを美徳とし、東洋人は言わないことを美徳としていると言うが、日本人の気質には、 微妙に相手の心を察して自分を犠牲にしてでも自分のこだわりを言わない奥ゆかしいものが有る。万葉集以来、"言霊の幸はふ国"、"言霊の祐くる国"と言われ、短い言葉に短歌や俳句のように心の情景を表して、一首や一句でも一冊の本に成るくらいの意味が入っている。情緒豊かな国として世界に発信して来たが、西洋の文化【特にフランス文化】に学ぶことが多く、それを日本文化に微妙に取り入れることで独自の文化が生まれ、元々生真面目で器用な民族として世界の文化文明を牽引できるように成って来たように思う。女性の脚が綺麗に成って、建築様式が洋風になったせいか、O脚が少なくなって、背は高く足は長くなって、化粧法の進化と共に美人が多く、ファッションの流れには敏感で流行の柄や色も年 々進化している。フランス文化から独自の日本文化が生まれ、今は先端を行くように成って来ている。世界では和風文化が注目を浴びて見直され、食文化も和の美を取り入れるところも多くなって、これからの世界の文化に及ぼす影響は益々大きくなってゆくだろう。発展途上国の経済成長は目覚ましく、敗戦後の日本がアメリカの合理的文化を目指したように、今は日本をターゲットにしてその独自なものを求めようとしている。 2013年8月26日 琢
2013年08月26日
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人は自覚したようになるもの 出来ると思えば出来 出来ないと思えば出来ない すべて気力の問題で 病気と宣告されればそのように成り 心を入れ替えれば病も消える 加速するもので 益々そのように成って行く 良いことを思っていれば良いことが 良くないことを思っていれば良くないことが 青春もそうで 年齢に比例せず 気はいつまでも若く 子供は誉める方に伸びてゆくもの、好きなほうに伸びるもの、嫌なことには後ろ向きで、達 人はその道でいつも前を向いてさらに伸びようとしている。掘り進むほど深いものがあって、どんな道にもこれがすべてだと言うところが無い。道を究めようとするのは気一本で、その気を前に向かせるかうしろに向かせるかはその心次第と言うことに成る。人は自覚したようになるもので、出来ると思えば出来、出来ないと思えば出来ない。肯定派と否定派は全く反対のもので、成し遂げようとする心、それをさせたくない、したくないという心が有って、その意志を強くさせるものが気だろう。すべて気力の問題で、病気と宣告されれば病人に成り、心を入れ替えれば病も消える。気は加速するもので、益々自覚したようになってゆく、良いことを思っていれば良いことが、良くないことを思っていれば良くない ことが現象化されてしまう。青春もそうで、心にロマン、好奇心があれば、年齢に比例せず、心に青春が有ればいつまでも若くしていられるだろう。心に持つものは信念だが、自分の使命ぬ向かって前向きに進ませるのが気力で、その気力を活性させるのが青春だろう。幾つになっても気は若くあるために、いつも心に青春は有った方がいいだろう。 2013年8月25日 琢
2013年08月25日
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人は自分で可能性を捨てている 自分に対する甘え 親に対する甘え 有るべきものが無くなるとき 可能性の縮小に気が付く 願ったことを得られず 縮小した残りの可能性を追う 唯物的な可能性が無くなっても 見えないものの可能性はいくらでも有る 人生での本当の可能性はそこに有って 地位、名誉、財産の可能性が無くなっても 卑屈になる必要は無く 人も羨む自分に成れる 思い起こせば、大志を抱いていた無知な頃、何の根拠も無 い夢を持っていたように思うが、勉強不足【人はこれを頭が悪いと言う】で遊ぶことに重点を置いていたためにエリートコースのような道に全く無縁の道を歩いていた。漠然と大物になるということだけで、そのための努力を何もしてこなかった、友達と遊ぶこと、いつも一緒にいることだけで満足していた。失望して去って行った友、友情よりも実益を優先した友、裏切りで寝返った友も多く、人には阿呆やと言われても、その意味もわからずまた会いたいと思っている自分、それでも損をしたように思っていなかった自分、現実の厳しさ、忍土を少しも解っていなかった。人は自分で可能性を捨てて行くもので、自分に対する、親に対する、親しい人に対する甘えのために、有るべきものがなくなったとき、可能 性の縮小を余儀なくされる。願ったことに程遠く、縮小した可能性を追うが、ついにはどん底に落ちる。そこで気が付くことは、唯物的な可能性が無くなっても、見えないものの可能性はいくらでも有ること、手にとることが出来なかった地位、名誉、お金や財産等の唯物的なものを追えば切りが無く、人のものまで取り上げてしまう醜さ、それをしなかった、人を騙すことがなかっただけでも良しと思う心、勝者はその思いを負け犬の遠吠えと言うだろうが、人間として、自分の使命としてはまさにそのためだったように思えるようになった。卑屈になる必要など無く、発想の転換をすることで、かたより、こだわり、とらわれから解放されてみて始めてその呼びかけに気付け、人も羨む自分に成れているのかも知 れない。 2013年8月24日 琢
2013年08月24日
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小説を読めば その中にいる自分 映画を見れば その中に引き込まれている 情景を思えば そこに行っている自分 心だけはどこにでも行ける "以心伝心"は互いに同じことを思い 祈れば神仏に伝わり 願えば人の心に届いて 協力者も現われる 体はこの現象界にものでも 魂は別次元のものだろう 何かに集中していれば他のものが見えず、一瞬自分から抜け出したような感覚のときも有る。リスペクトすればそのように成りたくなって、感 動すれば自分の夢や希望の目標を掲げ、達成している姿を思い浮かべる。人の潜在意識の中には、そう有るべきだと言う常識のようなものとそうしたい、こう有りたいと言う好き嫌いの願望のようなものが有って、個人差が千差万別で、幼い頃から他と違う心の奥の魂の次元のものをもっていて、前世から持ってきた遺伝子としか言いようの無いものが有る。唯識では、六根【眼・耳・鼻・舌・身・意】、七識のマナ、八識のアラヤが魂の中の意識の蔵に入っていると言っている。小説を読めばその中にいる自分、映画を見ればその中に引き込まれている自分、情景を思えばそこに行っている自分、心だけは好きなところに行けて、好きな自分でいられる。"以心伝心"は同じことを相手も思っている状態で、喧嘩別れ をすれば、その同じ場所、同じ時間にその相手のことを思い心から謝罪しながら念じることで、それが相手に伝わって仲良い状態に戻れるという人もいる。祈れば神仏に届いて、協力者や仲間、同志も現れ、自分を咲かす良き縁に成るものが現れる。体はこの現象界のものでも、心や魂は別次元のもので、"病は気から"と言って心の作用が体を左右するもの、病を作り出すものなら、全く違う心、その奥の魂と共に心を入れ替えれば、不治の病も消えてしまうことも有るもので、自分を変えることで全く違う道を歩むことも出来て、信じ切ることで無限の可能性が開くのかも知れない。 人間の可能性は、信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に有る 高橋佳子著『千年 の風』 2013年8月23日 琢
2013年08月23日
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死の恐怖に怯えて 一歩も踏み出せないときは 自分から抜け出せば 体はもがき苦しんでいても それを見ている自分に苦しみは無い その状態を求めようとする 幽体離脱のことだろうが 死を恐れるあまり死ぬ勉強をすること 普通の人には無理なことで 生まれた以上四苦八苦に出会うものと思い 断末魔の苦しみを覚悟しておけば それ以上の苦しみは無い そのときはそのときのこと 人は誰もそれを免れることは無い 若い頃、十二指腸潰瘍に成って病院に行けば、長時間待たされて仕事に支障が出て、決死の思いで牛乳療法【人は機嫌良い状態のときは胃の壁は弱アルカリ性だが怒ったりストレスが溜まると酸性に変わって胃炎になり、胃酸で溶かして穴が開く状態で胃潰瘍に成る、それ以上の怨み憎しみが有れば毒素を出してがん細胞を育ててしまう、潰瘍はアルカリ性の牛乳を入れることで痛みが止まり、侵食も止まって、後は細胞分裂で勝手につくり直されるということを利用した療法】を考案して直したことが有った、その療法はちゃんと有るもので理に叶った療法だと後で判ったが、その後の検診で毎回引っかかって再検査のたびにがんに変わることが有ると言われ、死ぬことに怯える日々が続き、仏教書や宗教書を読み あさったことが有った。中村天風さんや桐山靖雄さん【阿含宗の開祖】の本から、瞑想して間脳が開けば自分から抜け出してどこにでも行け、自分の体を上から見ながらがんでもだえ苦しむ姿を客観視できる、その悟りを開けばいいのだと思っていたが、凡人には無理なことで、作者たちは結核を患って死の覚悟をしたことから間脳が開き始めたそうで、どんな机上の勉強で知識だけを重ねてもそれが無理なことを悟っただけだった。お釈迦さんは、人はみな第一の矢に当たっていると言い、生まれた以上いつか死ぬときが来る、死ぬのは自分だけでなく、四苦八苦に出会うのも自分だけでないことが自覚できれば、いつか死の直前の苦しみ・断末魔を通らなければ成らないと覚悟を決めておけば、少々の痛みが有っ てもそれ以上の苦しみはないと耐え忍ぶことも可能で、いつも自分がいるところが自分の居場所で、そこで死ぬならそこが死に場所だと自覚しておけば、そのときはそのときのことで、死に顔をゆがめないように、じたばたしても始まらないと、醜いことだけはしないように心がける位のことで、解脱など無理なことだろう。しかし、本当に死ぬ覚悟さえ出来れば何でもできる! 2013年8月22日 琢
2013年08月22日
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人の心は この程度と言い切れず 奥が深い 心のすべてを計り知れず 海の底より深く宇宙規模で 魂の奥には転生の積み重ねも 潜在している 現象だけでは計れず その人についている守護指導霊 神仏の領域の元で 縦軸と横軸でつながっている この世のすべてに関わっていて 一個の心では断じられない 人は外見だけで分からず、1度の失敗だけで断じられず、1定期間の付き合いである一部分が見えて来るもので、氷山のように見える 部分は10%以下だろう。『色即是空・空即是色』はよく使われる経文だが、その空の中にはほとんどのものが入っていて、癖や歪みのようなものも個々の心の中に入っている。人の心はこの程度と言い切れず、奥が深いもので、そのすべては計り知れず、海の底より深く宇宙規模で、魂の奥には転生の積み重ねも潜在している。その言葉や行為で見極めようとするが作為が有れば見間違えることも有るだろう。一人の人それぞれに守護指導霊が付いていて、空・心・魂に潜在する願いを引き出させようとしたり救おうとする恩恵が有って、神仏の領域の元で縦軸【魂の遺伝子】と横軸【血族の遺伝子】でつながっていて、円環的にそれらを整えようとする使命を持っている。これが人類の永遠のテーマで、この世の すべてに関わっていて、一個の心では断じられないものに成っている。摩擦の多いこの忍土に肉体を持って生きることで、魂はさらに上が見えるようになると言われ、不変の宇宙では星は軌道を変えることは出来ず常に同じ軌道を回っているように、魂もランクアップするにはこの可変の忍土でしか出来ず、仏教では"発菩提心"・ほつぼだいしん、"修菩薩行"・しゅうぼさつぎょうと言ってこの世は修行をする場ととらえている。お遍路さんは四国八十八ヶ寺を巡礼するが、徳島が発心・ほっしん、高知が修行、愛媛が菩提心、香川が涅槃・ねはんと言われ、お大師さん【弘法大師空海】と同行二人で修行をしながら巡礼するとされている。 かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく これが般若心経 空のこころなり 2013年8月21日 琢
2013年08月21日
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警戒心をとれば 大胆になれる 際どいときに大胆に成れれば 度胸が有ると言う 重心を丹田に置けば 不動に成れる 呼吸を複式にすれば 重心はへそ下三寸に有る 座禅をすれば 心は空に成る 心が空に成れば 感じなかったものが感じられる 自然体はそういう状態だろう クンバハカ法は真剣で対峙するときにケツノ穴を閉めることと中村天風さんが言っている。自分の体幹に任せるとき、訓練を重ねて身に付けたものが無意識にどんなこ とが起きても対応できる状態に成る。人生には時として体験したことの無い恐怖を伴う場面に遭遇するときが有るが、そのときの心構えを言っている。その場から逃げ出したくてもそれが出来ないときには死ぬ覚悟で臨まなければ活路を開くことが出来ない、そんなときに具えておくと身を守ることが出来る。臆病に成らずに警戒心をとれば、大胆に成れる。際どいときに大胆になれれば度胸が有ると他人は言う。重心を丹田に置けば不動に成れ、呼吸を複式にすればへそ下三寸・丹田に重心が有って、少々のことが起きても動じない状態に成れる。座禅をすれば、その状態に成れて心は空に成り、心を空にすれば、偏り、こだわり、とらわれが無くなって、それまで感じなかったものを感じられるように成る。時に はそういう訓練も生きてくるときが有って、邪気が無いときに自分を救うことも有るだろう。人には止むに止まれぬ業・カルマが有って、訓練しながら修正浄化すれば、無意識に、無欲に自分をどのようにでも反応できる状態にすることが出来る、それが自然体だろう。 2013年8月20日 琢
2013年08月20日
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君の明るい笑顔が ホッとして前向きにさせ 君に迷いが無ければ 僕の迷いも消えて 思いやる余裕も出てくる 喧嘩は嫌だから 気まずい空気が流れないように いつも笑ってくれる工夫を考えて 野に咲く花を用意する 笑っていてくれれば 不安は消えて 勇気さえ出てくる どんなことにも負けない勇気が 人は心の安定を求めて生きているもの。いつも機嫌良くしていたいと思っている。この世にいれば不安材料は山ほど有って、願いに生 きようとすれば必ずそのための障害を与えられ、他人事の偶然では済まされないことに気が付き始め、自分の何処かにその原因や仕組みによって試されているように思い始めて、それが必然だったことに気が付いて改めても、更に次の試練を与えられ、失敗を重ねて次第に気力も萎えてしまい、絶望を感じて神も仏もあるものかとさえ思わせてしまうのがこの忍土の世の中なのだろう。そういう周期的な心を抱えながら、明るく生きるための材料を探している。心に恋や愛が有れば、それが心を活性させて、そのために生きようとするのが人間で、いつもその対象になるもののためにはたらいて、少しでも気まずいことが有れば不安定な心に成って、自暴自棄にならないように、相手に気を使って生きているのも人間 で、自分の人生で何をするかが見えてくるのも相手次第で決まってくるのだろう。思いやり気配りの優しさが人の和に成って、真心は自然の中のちょっとしたものを使うことでも伝えられる。子供は誉める方に伸びてゆくと言うが、、幾つになっても単純なのも人間で、笑顔を見ればもっと笑顔に成って欲しくてがんばれるのも人間だろう。いつも誉めてもらいたくてがんばるのは子供も大人も同じで、前向きなときほどがんばれるもので、気力を整えておくことの大切さを知ることは自分の運命を左右するくらいのものだろう。誰かのために命がけに成っている自分には不安は消えていて、そういうときほど満足感が有るもので、悔いを残すことを恐れて前を向いて歩くしかない、同じ歩くならエンジョイしながら 歩いていたい、その誰かがいるのといないのでは大きな差が出てしまうもので、人に勇気を与えるものをもっているか、その勇気をどんなことに挑ませるかが人生の分岐点に成ることが多い。 2013年8月19日 琢
2013年08月19日
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梅雨時は 灰で塗りつぶした空 窓越しの雨 家にこもれば心もこもる あの人に会いたくて 雨にぬれながら歩いても 約束の場には誰もいない ぬれながら待っていても 灰色の空の涙 いつか止むときが来る カラッと晴れるときのために 笑顔を用意しておこう 見えるものにも、見えないものにもどんなものにもバイオリズムが有って、受け止める心次第で明るくも暗くも成る。科学の進歩と共にエネルギーを必要として、燃焼させるほど自然環境が破壊され てゆく。神仏が怒り始めたとしか言いようの無い自然現象、天変地異が多くなって、人の交流が多くなるほど外来種の生物も多くなり、生態系も破壊されそうな勢いに成っている。夢や希望を実現させようとするほど地球が壊されてゆくような気がして虚しさを感じることも多くなって来たように思う。身の周りに起こる出会い、出来事、事態も厳しさを感じるときと楽しさを感じるときがはっきりして来て、心の浮き沈みも大きくなってきたように思う。春夏秋冬のどれが好きかは個人差が有って、生い立ちや基盤の違いで受け止め方が全く違い、春が好きな人、秋が好きな人、熱いほうが好きな人、寒いほうが好きな人いろいろな心が有る。どの心から見ても最近の世界の変化に影響されている不安な心が有って 、それに追い討ちをかけるような大地震の被害や、大雨の災害が多くなっているのは神仏の呼びかけかとも思ってしまう。梅雨時などは心も沈みがちに成って、夏が来れば最高気温を更新して熱中症で倒れる人が続出し、医学の発達と共にそれを越えるばい菌を抑えきれなくなって感染症も多くなっている。どんな試練が来ようとも永遠に続くものは無く、不安を掻き立てるより、いつも心を明るくしながら、カラッと晴れるときのために笑顔を用意しておくことが大切だろう。おみくじの受け止め方のように大凶が来ればこれ以上悪くなることは無いと思って、後は上昇気流だと受け止める方が、明るい心を保ちやすいだろう。暗くなれば、暗くなる材料が増えて、オセロゲームのように家族さえ冷たくなったよう に感じてしまい、善行も馬鹿みたいに思ってしまうほど自分を孤立させ、反抗的な気持ちが破壊行為をさせてしまうのだろう。じっと待つことも大切な行だと言える。 やじろべえ 傾きつつも 整えつ 人の歩みも かくてあるらむ 2013年8月18日 琢
2013年08月18日
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学びが深くなれば 更に奥が有ることを知り 壁に当たれば放棄したくなる 重圧に思うことも 心に残ったものに馴染めば 時と共に再び掘り下げたくなる 極めて達することは無く また時が経てば どんなものかが分類できる そこで気が付くことは すべての対処法で それが先の道を示してくれる どんなことも奥が深い 足るを知ることで一皮剥ける 夢や希望に向かって目覚めれば、その方向の専門知識を夢中に成っ て掘り進むことに成る。そこで気が付いたことが有れば人の理解を得たくなり,同じ道を歩むもの同志の協力者や仲間の縁に恵まれれば不安な心も癒され励まされて意志を強くすることが出来る。互いの良い芽を見つけ合い、その芽を育てる良き縁に成りあうことで、果報側人類から因縁側人類に成って互いの自己ベストが尽くせるようになる。多くの試練を超えるために、今、みんながそうするときが来ている。『JAPAN NEXT』"一億総自己ベストの時代"が来ていると高橋先生は言う。夢や希望のために耐え忍んできたこと、学んで掘り進めてきたことを生かすときが来ている。学びは深くなるほど更にその奥が有ることを知って、壁に当たるたびに放棄したくなるものだが、重圧に思うことも心に残ったものに馴染 んでみれば、時と共に再び掘り進みたくなる。極めて達することが無くても、諦めなくなって、また時が経てばどんなものかが分類できるようになる。そこで気が付くことはどんなことにもその対処法が有ることで、それが先の道を示してくれる。どんなことも奥が深いことを知り、身の程を知って、足るを知ることで自己ベストを尽くすときに必要なものになる。 果てしなく 険しく続く 天の道 受容してなほ 見えぬ道のり 人の世は 必然の道 天の道 歩むべき道 辿るべくして 2013年 8月17日 琢
2013年08月17日
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人はみな紙一重のところで生きていて 下は断崖絶壁、上を見れば切りが無い 平穏に生きているようで 振り返れば恐ろしくなる なんとなくにも救いが有って 生かされていると思うほうが妥当だろう 歩いた道は必然で 次第に確信を得るが してもらうことばかりでは 主導権は自分に無く 自分の意志を明確にしなければ 浮き草のようで 夢や希望には程遠い 自分に自信が持てないとき、自分の主義主張を持っていないとき、心の中に感 じていることを言うことさえ遠慮してばかりで、自分は何をしてきたのかと思うことが多い。集団の中で自分の気持ちを表せずにただついてゆくしかなく、妥協ばかりを重ねて、矛盾を感じても言うことさえ出来なかった分、自分の意志はその集団の方向に反映されないまま歳を取ってゆく自分に歯がゆさを覚えることも有る。国の動向を指導者、為政者にゆだねた国民のように、失政には連帯責任を取るしかない一匹のありんこのように感じてしまうことも有る。人はみな紙一重のところで生きていて、上を見れば切りが無く、下を見れば断崖絶壁のようで、そこに落ちることを恐れて歩んでいて、一見平穏のように見えるが当人としては、振り返れば恐ろしく感じることも多い。なんとなく生きていてもそこには 救いの恩恵がはたらいていて、自分一人で生きているような感じも無く、生かされていると思う方が妥当だろう。歩んだ道は必然で、次第に確信を得るように成るが、その歩みが他にしてもらうことばかりのものであれば、いつも主導権は自分には無く、悔いばかりが残って、自分の意志を明確に打ち出さなければ自分の手ごたえを感じられず、浮き草のようで夢や希望が叶うことなど程遠く感じてしまう。緩和医療の専門医によれば、治療が終わって死を待つしかない状態に至った人は、今という瞬間を愛しく感じて、見るもの触るもののすべてがその境地に至っていて、医師と患者の接し方は"一期一会"で、遺す心、言葉は、感謝と周りの人に自分の意志を果たすようにとの思いやりが多いという。自分の歩みを 振り返りながらいつ最後が来てもいいような自覚が出来ている、覚悟が定まった状態・正定・しょうじょうに、人間は本当の姿に成るのだろう。 2013年8月16日 琢
2013年08月16日
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Message body 大志を抱くもの 目指すもの、継ぐもの 届かなくても 成就できなくても 段階ごとに何かが身に付いて もらうより出来るように 出来るよりあげる幸せを 求めなければ得られず 空虚の先は闇 闇でも光りを求めれば いつか抜け出せる 心の中の光りは 求めていれば消えない "少年よ 大志を抱け"はクラーク博士の言葉だが、人には夢と希望が絶対に必要で、それが目標に成ってその道を掘り進める過程で自分の生まれて来た使命を自覚 できるようになる。使命感が有れば二見で見ることも少なく、損得抜きで代償を求めることも無く、無私、利他の精神を通すことが出来る。夢や希望は大きいほうが視野も広くなって、学んだことを実践し、体験することで与えられた試練も高度なものに成るがそれを超える歓びは計り知れないものが有る。大志は抱くもの、目指すもので、人智を尽くして届かなくても誰かが受け継ぐことでその光は消えずいつか必ずその大志が果たされるときが来る。その段階ごとに何かが身についているもので、もらうばかりでなく、できるようになって、出来るようになれば、して差し上げられるような幸せを感じられるようになる。求めなければ得るものも無く、求めずに流されるだけでは空虚に成って、その先には闇が待 っている。闇の中にいても光りを求めてさえいれば、いつか抜け出せるもので、心の中の光りは、求めていれば消えることが無い。求不得苦【求めても得られない苦しみ】が有っても、投げ出さず、捨てず、諦めさえしなければ、相応の果報は得られるもので、過去に重ねて来た因・種を変えてみれば、ある程度は納得の行く花を咲かせることが出来て、更に品種改良することで目標を引き寄せることも出来る。硬い信念が有れば、それを受け継ぐものもでて来るだろう。 2013年8月15日 琢
2013年08月15日
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大自然の一員であること 大自然に共生し、共有していること そのための良心に聞いてみること "全人類よ今心を原点に戻せ!" 互いの都合が摩擦を起こすとき 自分一人の都合が通らないとき 互いの存在に敬意を示し 過去の辛酸を思い出して 末路を観れば 生きることの原点 宇宙大自然と一体化すること 和して"浩然の気"を求める 信仰は心の安定のために有るもので、人は心の中に絶対神を置くが、太陽系宇宙の惑星である地球としては、太陽を絶対的なものとする信仰が多く、日が昇る東に祈り、日が沈む西に向かって祈って来たのが人類の信仰の元に成っている。人は地上の大自然の中の一員であること、その営みに必要なものが良心で、生まれ出たとき からこの大自然に共生し、共有するために与えられたものだが、神の違いによる大きな摩擦が、過去の民族紛争を越えた現象【9・11以来多発し始めた世界中のテロ】を起こし、"全人類よ 今 心を原点に戻せ"と言いたくなるような荒んだ事件が対立と憎しみの連鎖が多発して人心の不安を掻き立てている。宇宙大自然の規模で考えれば、国境を外せると言いのだがそうも行かないようで、考え方や価値観を良心を前面に出して、身内や家族を愛する人間として、互いの都合が摩擦を起こすとき、自分一人の都合が通らないときが有っても、この地上に強制する存在として敬意を示し合うこと、過去の辛酸を思い出して末路を観れば、生きることを大原則として、この宇宙大自然と一体化する心境を求める"浩然の 気"【孟子の言葉でのびのびとして安らかな心境】を目指してみんなが和すること、聖徳太子の言う"和を以って尊し"の精神が世界中に流れることを祈って止まない。 2013年8月14日 琢
2013年08月14日
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body 神は 男には力の強さを与え 女には心の強さを与えた 男は遠くを見て生き 女は近くを見て生きる 女は永遠を求め 男はそれに応えようとする 時代と共に変化が激しくなれば 遠くが見えなくなって 女の力を必要とする 足元を固め 初心に返り原点に戻る 見えなくなれば基本に戻って 新たな歩みを始めること 力を思うように出し切れないとき、判断基準に迷いが生じるとき、価値観が変わろうとしているとき、求 不得苦・ぐふとっくで求めるものが得られず、何をやってもダメなときは有るもので、先の不安が高まってゆく。そういう世界にいるときは自分の持てる力の1割くらいしか出ないもので、参加意識が薄く成って何をすれば良いかが判らなくなってしまう。目に見えるものばかりを追い続けて来れば、目に見えないものを疎かにしがちだが、それが最も根幹で必要に成るときには、気力を整え、チャージしてチャレンジできるための具えが必要に成る。"神は鉱物の中に眠り、植物の中に目覚め、動物の中を歩き回り、人の中に思惟する"もので、世界の変化が激しくなって人心が乱れ始めるときは、心を原点に戻すときで、先が見えなくなって不安が高まれば、足元を固めておくことが基本で、女性の見方を取り入れ る発想の転換も必要に成る。初心に返って自然や人間の摂理の下で初めから立て直すつもりになることも必要だろう。自分の自己ベストを尽くそうとすれば、そのための備えも必要で、周りの理解を得ながら協力者、仲間、同志の良い芽を育て、良き縁に成り合うことで響働しながら絆を深め、自分一人では出来ないことや、先人が残した志を受け継ぐことで、混乱には調和を、停滞には活性を、破壊には創造をしながら、美酒に酔うときを、歓びに浸るときを目指して、気が付いた今から直ぐに始めることが重要だろう。 2013年8月13日 琢
2013年08月13日
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先ず責任を果たすこと 目前のこと、長期的なこと 課されたものを消化して 自分の役割を果たす 他の期待も責任の内で 人を当てにせず自力でやる 不成立の言い訳を考えず すべての障害を必然の試練として 超えるたびに成就は近くなる 美酒を味わいがために あらゆるチャレンジをしながら 重ねた苦を歓びに変えるために 人は生きている 自分の使命が何なのか、何でこんなところにいるのか、何で安定・安心・幸福感が続か無いの か、自問自答しながらその疑問の解消に辿り着けずに迷いや葛藤ばかりを続けているのか。見えないからまっすぐにその目的に向かって歩めず、紆余曲折しながら、手探りの歩みばかりで核心に至れず、欲求不満だらけの歩みをして、萎えた気に気合を入れながら、投げ出して捨ててしまったり、諦めてしまいたくなる自分に鞭打って、真面目に生きようとするほど損をするこの世に生きているのは自分だけではないのかも知れないと思うときも有る。そんなときにいつも思うこと、気を取り直そうとすることは、先ず自分の責任を果たすこと、目前のことも長期的なことも、課されたものを消化して、消去法で荷を軽くしながら、自分の役割を最低でも果たすこと、他の期待も責任の内で、人を当てにせず、甘い心 を捨てて自力でやろうとすること。すべての障害を必然の試練と受け止めて、愚痴をこぼさず怒らず、怨まず、憎まずに、超えるたびに願いの成就は近くなる。その美酒を味わいたいがために、あらゆるチャレンジをしながら、重ねた苦を歓びに変えるために、人も自分も生きている。 悟らんと 重ねた無駄も 気が付けば あれも我が道 これも我が道 2013年8月12日 琢
2013年08月12日
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あれもこれもでなく これ一点と覚悟を決め その一点を掘り下げれば 奥は深く広い 宇宙を円とすれば 太陽系の円で 人の心にも小宇宙が有って 千差万別の心が混在している 現象界はその摩擦が多く すべての関わりが 宇宙大自然の摂理の元に有って 共生している その自覚が覚悟を定めさせている 幼い頃は好奇心が旺盛で、毎日がそれを充たす材料のようなもので充実していて収穫も多い。学校に行って学ぶほどたくさんの願いから 自分に合ったものに絞られてゆき、夢や希望が決まって来てその分野を専門的に研究し始めて、社会に出る頃には大体の方向性が決められる。そこでその分野のことを堀進めることに成るが、まだ自分の使命のような自覚は出来ていなく、あれもこれもと範囲を広げて見るが、迷いが多くなって、試練に出会うたびに弱気に成って行くが、日常の努力を続けることで次第にその願いが一点に絞られてゆくことに成る。多くの出会い、出来事、事態に遭遇しながら、試練を乗り越えるたびに信念が固まって来て自信も出て来るようになる。その一点を掘り下げてゆけば、奥が深く、広いことが判って来る。宇宙を円とすれば太陽系の円で、人の心の中も小宇宙・空が有って、社会はその千差万別の心が混在していて、現 象界には人々が思うままに自分の歩みをするところから摩擦が多く、その上に自分たちのそれぞれの業・カルマを背負っているから、四苦八苦に出会うたびに苦を摘むことに成る。すべての関わりは、宇宙、大自然の摂理の元に有って、人間もすべての生物もそれぞれの意味を持って共生しているもので、自分の都合で生きようとせず、相手の身に成って考えながら歩むことで摩擦を少なくすることが出来て、専門分野を掘り進めるための協力者、同志、仲間が縁と成って自分の花を咲かせることがお互いに出来るようになる。絆が結ばれて響働するところから自分の人生の生まれて来た意味が解かって、自分本来の自覚が出来て、それが出来れば悔いは残らないと覚悟が定まって来るのだろう。 2013年8月11日 琢
2013年08月11日
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Message body 子ぼんのうでなかった自分 孫と接するほどに 表情が和んで 子供を見れば微笑みかける 子供が近寄れば 鳥も逃げなくなる 子供の心は敏感で あの自分がこうなれたのは 歳のせいかも知れないが 父には無かったように思う 心にゆとりが出たとは思えず 温和に成れた心地良さを感じる 難しい顔は消したほうが良いだろう よく言われてきたのは、神経質と言う言葉で、無意識に眉間に皺が寄っていたからか、ものを考えていたり、困っ たことを考えていたり、先の不安を思っていれば、目の前に接するものを見ていなかったのかも知れず、眼中に無かったことが、今は相手に出来るように成ってきたように思う。父母にもそんなところが有って、先のことを思っていれば目の前が見えていなかったように思う。子ぼんのうでなかったように思うが、最近は子供を見る目が変わって来て、孫と接するほどに表情が和んで、子供を見れば微笑みかけて、すぐに反応を返してくれる子供を可愛く思えるように成っている。子供が近寄れば鳥や小動物が逃げなくなって、人の心の中の殺気のようなものを感じ取る力が敏感なことに気が付く。あの難しい自分がこうなれたのは歳のせいかも知れないが、父母には無かったように感じている。心にゆとりが出来た わけでもないと思うが、温和に成れた心地良さのようなものを感じてしまう。体の大きなものほど鈍感なところがあるようで、人は遠くにいても何かを感じ取れるのかも知れない何かを持っているものだが、微妙なものを見逃すことで損をしてしまうことも多いだろう。鈍感なほうが良いと思うことも多いが、あまり神経質で眉間に皺を寄せた難しい顔は消した方が良いだろう。人に必要なのは優しい心だろう。人に厳しく自分に甘い人、自分に厳しく他人に甘い人、それぞれだが、優しさのにじみ出た人間に成りたいと思う。何ごとも中道で、ほどほどで足るを知り、身の程を知っている自分で有りたいとも思う。 2013年8月10日 琢
2013年08月10日
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人生はすべて真剣勝負 そう言われれば息苦しいが 無駄にも失敗にも意味がある そこに学べば すべて必然のことで 修正課題を見付け出し 浄化すれば進化する そのために生まれ 果たす目的を自覚すれば 覚悟が定まり 愚かさを知れば 馬鹿にも味が出て 愉快な道を歩ける この世に生まれれば四苦八苦【生老病死、愛別離苦、求不得苦、怨憎会苦、五蘊盛苦】に出会うことを免れず、生い立ち【三つの『ち』、血筋、土地の風土風習、 時代の知】を基盤とする影響を受けて、自分が持っている業・カルマが更に摩擦を生み出すと言われている。生まれた以上いつか必ず死ぬときがくること【お釈迦さんは第一の矢に当たっていると言った】は肉体に宿れば必然のことで、それを寿命と言っている。自覚しておかなければ成らないことは、この世が忍土であること、人間は愚かなものであること、誰にも恩恵が有ること、この三つを自覚した上で感謝しながら生きることが大切だと言う。人生はすべて真剣勝負で『一期一会』、過ぎた過去は戻らないからそれを自覚して今を生きることだが、そういわれれば息苦しく思うもので、無駄も失敗も必ずついて回るもので、その必然の原因を見付け出せば、修正課題が見つかってそれを浄化することで業・カ ルマを滅することが出来、そのために生まれてきたこと、その上で何を使命と感じるかを自覚できれば、いつどこにいてもそこが自分の居場所だと思えるようになって、いつ死んでもそこが自分の死に場所だと覚悟が定まってくるだろう。自分の愚かさを知れば、馬鹿にも味が出て、業・カルマもその人の持ち味としてユーモアに変わり、愉快な道をエンジョイしながら歩くことも出来るだろう。平均寿命を意識し過ぎれば、『どう生きるか』より『どれだけ生きたか』にとらわれて自分の本分を忘れてしまい、人生がただ生きていただけの悔いの残るものに成ってしまうだろう。 2013年8月9日 琢
2013年08月09日
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自分に何が必要か どこに向かえば良いか どう歩けば良いかは 自助努力が無ければ 人任せでは 成り行き主義に成って 本来持っている目的が見えず いつも主導権が他人に有って 他人のせいにするしかなく 自分に責任が持てない 大いに悔いの残る歩みで 馬鹿に成っているしかない いつも人の陰に隠れて自分の歩みが出来ていないと思う自分がいれば、身の回りのどんな出来事にも責任回避をしながら自己保存をするしかなく、自分の歩みの主導権さえ 自分が持っていない状態を続けることになるだろう。人はちゃんとそれが見えていて、責任を取らない人、自分を先に守る人、奥行きの無い人だと言うレッテルを貼られてしまう。自分自身も自分の歩みに何の手ごたえも感じられず、次第に無責任な道に逸れてゆく自分を情けなく感じて悔いを残すことに成ってしまう。自分に何が必要か、どこに向かえば良いか、どう歩けば良いかは、自分が潜在意識の中に持っているものを見つけ出すしかなく、魂の願いとして既に持っている願い、それを見つける自助努力が無ければ、他人まかせで成り行き主義の成るしかなく、本来持っている目的に気が付くことができないだろう。いつも主導権は他人に有って、自分の歩みでないと思って他人のせいにするしかなく、自分 に責任が持てず、自信も湧いて来ないだろう。どんな言い訳をしようと人には見えているもので、どんなに自分が正しいと自分に言い聞かせても現実はそう甘くないもので、大いに悔いの残る歩みに成って、馬鹿に成っているしかなくなってしまうだろう。過去の試練や、何かの仕組み、恩恵に救われたことをもう1度思い起こしてみれば、自分の満足感が有った何かの共通点が見つかって、それが自分の使命だったのかも知れないと思えることを発見できるだろう。 2013年8月8日 琢
2013年08月08日
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Message body 悲惨で過酷な現実 その体験を超えた国 その原因をつくった過去を反省し 人類に与える警告を 地球全体で受け止め 災害の試練も多い国として 自然の摂理に従って 安心して幸せな平和を求め 自然と共生する智恵の 発信基地として 人類の有り方を伝え その認識と実践を提唱する その責務は日本国に有る 毎年8月6日は広島の平和記念日で、広島市長、子供代表、内閣総理大臣の挨拶がある。年々海外の大使が増え、今、世界中に起 こっている現実への危機感と共に、国境や信仰をを超へた人類の平和への願いが高まって来ている。鎖国以来の文化文明の遅れを取り戻した国、産業革命以来急速に発達したエネルギー消費の文明は21世紀に成って、代替エネルギーを必要とする時代に入ったが、原子力利用の決定的問題を抱え、古来から続く民族紛争、宗教紛争、食料紛争、、テロによる殺戮の応酬、地球温暖化による天変地異による不安・危機感に対応するべきときが来ていることを思わせている。あの日の現実、善良な市民に降りかかった悲惨で過酷な現実、原爆の恐ろしさ、凄さを、消し去ることの出来ない唯一体験した国、それを超えて経済大国に成りえた国として、その原因をつくった過去をすり替えずに反省して、人類に与える警告 を地球全体の試練として受け止め、自然災害も多い国として、安心して幸せな平和を求め、自然の摂理に従って自然と共生する智恵の発信基地として、これからの人類の有り方を良心・原点に戻って伝え、その認識と実践を提唱すること、その責務はそのすべてを体験して来たこの日本国以外に無いだろう。 果てしなく 険しく続く 天の道 受容してなほ 見えぬ道のり 2013年8月7日 琢
2013年08月07日
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人に"してやった"と言わず "させていただいた"と言っていれば 誰にも角が立たず 傲慢も消える 無私で利他の心で どんなことにも対応し 代償を求めず 恩恵には感謝して 我が道を行けば 満足感と共に 自分の使命を自覚できる 死ぬことは煩悩が全くなくなることで、生きていれば煩悩が有ること、感情の動きを止めることが出来ず、理性で抑制しなければ自分の都合ばかりが前に出て、如何に菩薩行を積もうと菩薩・真理を悟った状態には程遠い。四苦八苦の受け止めもカ ルマの浄化が無ければ六道輪廻を免れないだろう。自分の都合を優先すれば、親切も"してやった"と言い、恩着せをして言うことを聞かせようとしてしまう。自分の愚かさに気が付けば"させていただいた"と言えるようになって、素直さと謙虚さが出てくれば誰にも角が立たず傲慢さも消えてくるだろう。無私に成って利他の心が芽生えてくれば、人が喜んでいることに自分の歓びを感じられるようになる。そうなれば同志や協力者も現れて、自分の辿るべき道も観え始めて、不思議な幸運にも恵まれ始め、願いの成就も夢ではなくなって来るだろう。自分の歩みの中の試練や歓喜に共通するものが見えて来て、それが生まれてきた使命なのかもしれないと思う自覚が鮮明に成ってくるのだろう。 人の世は 必然の道 天の道 歩むべき道 辿るべくして 2013年8月6日 琢
2013年08月06日
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やるべきことをやる 悔いを残さないように 口でカバーは出来ず 言い訳で誤魔化さず 納得したことをする覚悟で 誰も頼りにせず "人事を尽くして天命を待つ" 結果に代償を求めず 無私と利他の精神で いさぎよいこと 何事も無かったようにさりげなく さらりさらりとしていること 人の見ていないところでも塵を拾う、自分の主義を持って、夢や希望に向かうこと。そんな教えが有ったように思うが、人の見ているときだけ塵を拾い、何の目的意識もも たず、ただ迎合しながら歩いて来たような気もして、自分の弱さを情けなく思うことが多かったようにも思う。何で生まれてきたのかの意味を見つけられず、何度失敗しても向上しない自分を責めて、とうとう神経症に成ってしまった過去も有った。冷や冷や、オドオドしながら自分に自信が持てず、自分の意志を強く出せないことが如何に自分を粗末に扱ってきたかと、今は反省している。やるべきことを確実にやること、悔いを残さないように、口でカバーして言い訳で誤魔化さず、納得したことをする自覚を以って、誰も頼らず自力で、一期一会を大切に、人事を尽くして天命を待つ、それを心がけながら、結果には代償を求めず、自信を付けさせていただいたとその恩恵に感謝しながら、潔い自分で有りたい と思う。何事も無かったように、自己主張を押し付けず、さらりさらりとさりげなく、心の秘めた方向に向かいたいといつも思っている。 『為せば成る 為さねば成らぬ なにごとも 成らぬは人の 為さぬなりけり』 上杉鷹山 人の世は 必然の道 天の道 歩むべき道 辿るべくして 2013年8月5日 琢
2013年08月05日
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親友との出会いは 芝公園の"おはよう"以来 いつも一緒に行動 高卒後も就職せず 予備校も一緒だった 日比谷図書館通い 大学は違っても いつも共に歩いていた 結婚記念日には毎年の電話 どん底のときに救いの手 この縁と絆は心の財産 次の世でも必ず繋がっている 今思えば、高1の登校のとき、東京タワー近くの正則高校に向かう芝公園でうしろから元気な声で"おはよう"!徳丸君だった。それ以来いつも行動を共にして、戸塚から横須賀線で通う彼の 環境は高卒で就職が常識だったが、高卒後も就職せず、東京六大学の上位しか望まない自分に付き合って、代々木学院と言う予備校も一緒に行ってくれて、予備校では浪人の集まり【全国から一人で出てきた学生が、正則から来た10人以上の同窓生の集まりに加わって、自分を中心に一大勢力になっていた】でも一緒だった。日比谷図書館通いのときも一緒で、友達の数も増えて思い出深いときを共に過ごし、大学は違ってもいつも一緒に歩いていた。当時はやりのダンスパーテイ、ウエストサイドストーリーの出会いのように、そこで知り合ったのが今の妻で、彼のお袋さんも気に入ってくれていて、自分たちの親友付き合いを喜んでくれていた。6月10日の結婚記念日・時の記念日には毎年”おめでとう”の 電話をくれている。会社の倒産で絶望のどん底の時には救いの手を差し伸べてくれ、お陰で母を送ることが出来た。友達は多い方でみんな次の世までと思って接して来たが、徳丸君との縁と絆は心の財産で、いつも感謝で心に刻んでいて次の世でも必ず繋がっているだろう。こんな親友を持っている自分を幸せだと思っている。 2013年8月4日 琢
2013年08月04日
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不動と思えば難しく 感情の動きを止められず 太い柱のように 磐石な基礎の上に 歪まず折れずの強靭な心が有ること 経験の多さが裏付けで 正しい信念に揺るぎない心 さらりさらりとして 不動と雖も柔軟で 冷静沈着な状態 どんなことに遭遇しても動じない心 それを人は求めている 自分の歩みの中でいつも思うことは自分に自信が持てないことで、何か起きれば信念も揺らぎ始めて、自分の望むスタンスが取れていないこと、安易な妥協、迎合を重ね 自分の意志を通せなかった過去から脱却できていない不覚な自分を観ているもう一人の自分がいる。何が起きようと堂々として、人の顔色を覗かなくても自分の意志を強く出せるように成りたいと思っている反面、大した勉強もせず、いつも楽な方を選んでいる自分がいて、苦手なことを避けてふらふらしている自分をもう一人の自分が責めている。不動でいたいと思うが難しいもので、感情の動きは止められず、頑丈な柱のように、過去の経験を生かしながら、正しい信念に揺るぎない心を以って、何ごとにもさらりさらりとしていられたらといつも思っている。金剛は硬くて破れないがそれ以上の力には脆く、不動と雖も柔軟で、沈着冷静な状態を保ちたいと願っている。それには哲学的な学びとただ学ぶだけで なく実践して体験を多く積むこと、その結果の現実を受け止めて、その原因を見抜いた上で自分を修正浄化しながら更に上を目指すこと、自分の使命を果たすときには、苦しいときの神頼みもいいだろう。不動明王になったつもりでその真言を唱えて迷いを祓うのもひとつだろう。 ”なうまくさんまんだ ばざらだんせんだ まかろしゃだそわたや うんたらた かんまん” 2013年8月3日 琢
2013年08月03日
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ミッションワークに就くとは 使命感を持っていること どのような使命かは 自分の中に既に持っていて 歩んだ経緯の中に 意識・魂の奥に秘められている どんな死に方をしたいか どんな大果を得たいかは 悔いの無いところに有って その答えを自分の中に見つければ それが自分の居場所・死に場所と 自覚が出来て迷いが無い 学校で学ぶこと、社会に出て学ぶことは、自分の選んだ仕事の中に生きるものだが、生きるために、家族を養うために持つ生業 の中に必要なものだろう。人生の歩みの中で求めるものは、迷いや摩擦からくる四苦八苦の試練をどう受け止め、どう解消するかの智恵で、単なる学問的知識ではなく、身に付けて始めて得られる哲学的な智恵だろう。ゆたかさは目標には成っても、目的にはなれないもので、唯物的なものや刹那的なものの中に人生の目的を果たすことは出来ないだろう。人それぞれには魂の中に潜在的に有るもので、何転生かの中で課題に成っているもの、前世に遣り残した課題、願いを使命としているものが有る。ミッションは使節、使節団、伝道、使命、天職のことで、ミッションワークに就くとは、人生で果たすべき自分の使命感が有ることで、どんなものかは自分の魂の中に既に有るもので、過去に歩んだ経緯にそのヒン トが有ることが多く、何かにそれを思い出させようと仕組まれたような魂の記憶で、魂の奥に有る潜在意識に秘められているものだと言う。どんな死に方をしたいか、どんな満足感に浸りたいか、どんな大果を得たいかは、悔いの残らない、執着を残さないところに有って、その答えを見付け出したときには、どこにいようとそこが自分の居場所、どこで死を迎えようとそこが死に場所と自覚できている状態、心境、覚悟が定まった状態に成っている、それを正定・しょうじょうと言って、不動の状態、心境を求めれば成仏できると言う信仰が有る。 2013年8月2日 琢
2013年08月02日
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Message body 間違った行為には 必ず邪気が有って 矛盾が多く 困惑、迷惑が多い 正論だけでなく よく空気を読んで 身を慎み、心を整えておくこと 揚げ足を取られないように 自分の立場をわきまえておくこと 理性で感情を抑え 堂々と前に進むこと 揺さぶりに負けないように 不動の心に成っておくこと 自分に自信が無いときほど弱点をつかれてしまうもので、辱をかくほど耐え忍ぶ心の強さが出てくる。何でも上手く言っているときほど脆いも ので、人の心は砂上の楼閣のように、順風のときの自信は逆風の時には一気に消滅したようになってしまう。思い通りにしたいとみんなが思うものだが思い通りに成ることはこの忍土の世ではほとんど無いと思ってことに当たる方が良いだろう。煩悩に負けて自分の都合ばかりで生きていればどんな局面が待っているかはなんとなく判っているもので、その現実を迎えるたびに自分を変えなければと思うだろう。間違った行為には必ず邪気が入っていて矛盾が多く、自分も周りも困惑や迷惑が多く、正論で取り繕ったり自己正当化しても孤立が待っているだけで、周りの空気をよく読んだ上で、身を慎み、心を整えておくこと、何か大きなことをしようとすれば過去を振り返って身辺整理をきっちりしておくことが重 要だろう。脚光を浴びてから揚げ足を取られて失脚しないように、自分の立場を良くわきまえて、素直に謙虚に成って、見苦しい言い訳をせず、理性で感情を抑えて堂々と前に進むことを普段から身に付けておけば、揺さぶりに負けず、不動の心でいられるのだろう。間違った信念を改めて、過去に惑わされず、既成概念を打ち砕き、責任転嫁をせず、不覚には素直に謙虚に潔い自分に成って他に教えを乞い、古い殻を破って一皮向けた自分にになって、川の流れのようにさらりさらりと歩みたいといつも思っている。自分を信じ切るしかないだろう。 2013年8月1日 琢
2013年08月01日
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