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"仏の顔も二度三度” "三度目の正直"とはよく言ったもので 良くないことには必ず救いが入っている 未遂も二度までは許されるが 三度目には死ぬ自殺者が多い 二度で気付かそうとするからかも知れない 救いは何かの呼びかけで 潜在的な何かを思い出さそうとする 事件の前には必ず警鐘が鳴るもので 気が付けば予防することが出来る 意志も三度目には届くということか すべて善意に解釈していれば いつかは花開くときが来る 死ぬことを考えたり、チラッとよぎったりしたことの有る人は結構多いだろう。ほとんどは思うだけで光を見つけようとして、何かの仕組みがはたらいて、思いとどまったりチャンネルを変えてやり過ごしているのだろう。転依・発想の転換・気分転換は重要な意味を持つもので、自分のとらわれを他に移すことから何かが見えて来て、新たな目標に成る場合も多く、あとになってみれば明るく笑っている自分がいて生きていて良かったと思うことが多い。"仏の顔も二度三度"は"いい加減にしろ"とか"良く考えてみろ"とか、"三度目の正直"は自分の意志を曲げずに何度もチャレンジしていれば必ず通るときが来る、願いが叶うとかの意味だろう。命がけのことにもそれを挫折させるような良くない障碍に出会っても、諦めなければ其処に必ず救いのような仕組みが入るもので、それで気付かそうとしているのかも知れないが、自殺未遂も三度目には本当に死んでしまうことが多い。救い、仕組みは何かの呼びかけで、潜在的な何かを思い出させようとする自分の思考の及ばないはたらきが自分に仕向けられているようで、どんなことにも"事件の前には必ず警鐘が鳴っている"もので、それに気が付きさえすれば予防することも出来るだろう。良く言えば自分の願いを果たそうとする意思が有れば、三度目には届くと、願いは必ず実現するときが来ると、すべてを善意に解釈していれば、飽くなき努力や精進もいつか必ず開花するときが来るという、人間の念の強さを教えてもらう、そんな恩恵も受けていて、感謝してことに当たれば、必ず成就するということだろう。 2013年4月30日 琢
2013年04月30日
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自己主義で支配するとき 批判正論で脅すとき 卑下して拗ねているとき 順じて依存しているとき 自分がどんな毒を振りまいているか 相手のことは頭に無く 加害者も被害者も 最悪のシナリオを思っても観ない その根っこがどこから来たのか 閻魔さんの前でしか自覚できない この世のひどい話を聞いても それが自分のせいだとは思わない 法を犯して悔いる前に その呼びかけに気が付く方が良いだろう 試練は呼びかけだと、願いが有れば試練が有ると、夢や希望を追いかければ必ず障碍が立ちはだかって、その原因に気が付いて自分の欠陥を修正浄化して超えてゆかなければ、どんなことをしようとしても、したいと思っても絵に書いた餅で終わってしまう。人には4種類の傾向が有って、自信家・快暴流、被害者・苦暴流、卑下者・苦衰退、幸福者・快衰退に成れば、自己主義で支配しようとするとき、批判正論で脅しをかけるとき、卑下して拗ねているとき、順じて依存しながらしてもらうことばかり期待するとき、自分がどんな毒を周囲に振りまいているか、相手のことは頭に無く、加害者も被害者も最悪のシナリオを思っても観ず、その根っこがどこから来たのか、主客一体ですべて映し鏡のように有りのままが映し出されていることと思わず、閻魔さんの前でしか自覚できないと高橋先生は言う。この忍土の世のひどい話を聞いてもそれが自分のせいだとは思っていない。知らないところで無意識にやっていて、法を犯してはじめて悔いる前に、その呼びかけに気が付いて自分を変えて置く方が良いだろう。思い通りに好きなことを好きなように出来ず、必ず障碍に成るものが現れて、その歩みを止めようとしているかのようなこの忍土を自覚して、自分の愚かさを良くわきまえて、何かで救われている恩恵に感謝して、いつも相手側のことも考えて摩擦を少なくするために自分を変えなければ、何も出来ない孤独な自分を見つけるだけだろう。 2013年4月29日 琢
2013年04月29日
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人は誰しも己が何者かを知らず その生涯を閉じてしまう 周りのものは何をしたかを知っている 戒名にそれを示されるが 本人の魂には関係なく 接しようとすれば俗名で呼ぶ あの世に行けば救済の勉強をしているそうで 時空を超えた世界で 仏壇であろうとお墓であろうと 念ずるときに其処に来ている 人は何をしに、どこに行こうとしているか それを発見しに生まれて来る どんな大因を持って、どんな大果に向かうかを 中果を観ながら探す道 それが人生だと言う ある結婚式の挨拶で、”人はみな己が何者かが死ぬまで解らない"、それを共に探す歩みだと言ったことが有ったが、幸せに見える結婚をしても離婚してしまう場合も多く、その子供たちが傷ついていることに気が付かない親が多い。自分の都合だけで生きている人が多く、周りにどれだけの毒を振りまいているかに気が付いていないように見えるが、自分も気が付かないところでそれをやって来ているのかも知れず、自分が何のために生まれて来たのか、それも見つけられずに歩いているのかも知れない。周りのものにはそれが見えていて、どんなことをしたかを知っている。戒名は死んだときに付けられるが、会いに来た人が何をして来た人かが分かるように成っているもので、本人の魂・霊には関係の無いことで、接しようとすれば俗名で呼ぶほうが良いとされている。あの世にいる霊は人を救う勉強をしているそうで、体を持っていないから此方では見えないが、時空を超えた世界にいて仏壇であろうとお墓であろうと会おうとすれば其処に来ていると言う。人は自分が何をしに何処に向かおうとしているかが解らず、それを発見するために生まれてくるが自分の使命をはっきりと知る人は少ないだろう。どんな使命・天職・大因を持っていて、どんな大果・自分の望む死に方に向かう歩みをしたいかは、中果・現在の自分を観ながら探す道、何をしたいかしなければならないか、何を遣り残し、次の転生の宿題とするかを意識に言い聞かせておくこと、それが人生なのだろう。 2013年4月28日 琢
2013年04月28日
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人は科学の発達で 体の限界を超えるものを得た 飛行機、車、電車、船 空を飛ぶもの、地上を走るもの、水上を走るもの 不可能を可能にするもの 同時に多くの人を運ぶもの 産業、工業、商業の回転 情報のスピードが増している 何がそのように進化させたか その原動力は発想と工夫からで 智恵と感性が意思決定して 体を使って思いを果たして来た 願いが無ければ智恵の使いようが無い 人には必ず願いが有って、それを果たそうとするが必ず障碍に成るもの・試練が現われるが、志の強さと飽くなき努力がそれを超えさせて、不可能を可能にして来た歴史が文化文明に現われて来ている。既成概念にとらわれず、夢みたいなことを実現させるものは、積み重ねた智恵と感性から来る発想から・見えないものから、資源を材料に使って発明して作り上げて来たもので、その進化のお陰で今の恩恵を頂いている。人は科学の発達で体の限界を超えるものを得て、何ヶ月、何年もかかるところに一瞬にして行けるようになり、たくさんのものを運べるようになった。その結果流通が盛んに成り、海の恵みや大地の恵みがその日の食卓に並ぶように成っている。すべての回転が速くなり、地域の活性化が目覚ましく、情報のスピードが増して、"朝令暮改"は視野や読みの甘さ、未熟さを言ったものだが、この情報社会ではそれが当たり前になって来ている。地球が狭くなったように、世界情勢をつかみきれなければ致命的な遅れを取ってしまう時代に入って来ている。便利なものが溢れる時代に成ったが、それを作り出したものの始めは、感性から来る発想・アイデア・閃き、ウイットとチョイス、目に見えないものからで、夢や希望から人智を尽くして、人智を超えてきたから、自分の意志を通して、体や物質を使って作り出すことが出来たのだろう。夢や希望を持って目標を立てて勉強し、学んだことを実践しなければ智恵も引き出せず、満足も得られず、悔いを残すことにも成ってしまうだろう。 2013年4月27日 琢
2013年04月27日
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人は肉体舟に魂の乗ったもの その体を道具にして 心・魂の冒険をしている 意志で動いているが 意思決定を頭脳と思ってしまうが 頭脳は体の一部で 辞書や計算機のようなもので 科学や現象に現われた知識しか 入力されていない 冒険は未知のものを拓くもので 心・意識の中・空に備わっているもので それを根拠に歩を進めている 物理的には計れない力を秘めている 智恵もつ意志のエネルギー それを魂と言っている 幽体離脱と言うが、人は死ぬときに体から魂が抜けて体は土や水になって大地に帰ってゆくもの、魂は49日間で荷物を下ろし、軽くなってあの世に上がってゆくものだと聞かされて来た。人は肉体舟に魂の乗ったもので、仏教では乗り物に喩えて説明する場合が多く、その体を道具に使って自分の願いを果たそうとしながら、心・魂の冒険をしていると言う。人は自分の意志で動いているもので、その意思決定を頭脳でしていると思いがちだが、頭脳は体の一部分で知識を入れた器・辞書・計算機のようなもので勉強して入力したデーターしか入っていない判断基準になるものだろう。勉強しなければ判断基準は少なく、意思決定のときに迷いが多くなってしまうだろう。冒険は好奇心を充たすもの、知識の実践体験の試みをするもので、心・魂・意識の中・空に備わっているものを根拠に、自分の可能性を拓こうとするものだろう。物理的には計り知れない力を秘めているものが魂で"智恵持つ意志のエネルギー"だと高橋先生は言っている。自分の使命・天職を見つけようと冒険するものだが答えは自分の中に有るとも言っている。そのヒントになるものが必然的に与えられる試練の中に有って、"試練は呼びかけ"とも言っている。 人生とは "問題を追求することでなく、既に有る解答に気が付くことである”・・・・・・・ミカエル 2013年4月26日 琢
2013年04月26日
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挨拶することは 相手に敬意を表すること 今後の余韻を残しておくこと 敵対しない証し 見知りおくこと 和を保つこと 対話の可能性を開くこと 集団にいれば必要なことで 礼儀作法を示すこと 第一印象を良くすること 良くないレッテルを貼られないこと 仲間は同志として関わること 良き縁に成り合うこと 人との関わりの窓口になる 品格や育ちの良さはその人のかもし出す雰囲気の中に出て来るもので、それなりの作法を通して心が表に表れていて、人に好印象を与え、自分の可能性を拓く元に成っている。心の様相は潜在的に有るもの、顕在的に有るものが表に出てしまうもので、社会にはそれなりのしきたりが有って、その秩序を保っている作法を知らなければ孤立してしまう。そのもっとも基礎的なものが挨拶だろう。挨拶することで、相手に敬意を表し、今後の余韻を残し、敵対しない安心を与え、和を保つこと、先の対話の可能性を拓いておくこと、それは集団の中では最低限必要なことだろう。礼儀作法を示すことは他の印象を良くし、1度貼られてしまえばなかなか張り替えの難しい良くないレッテルを貼られないためのもので、仕付けの良さを示し、相手に安心感を与えるもの、物事の順番を間違えないためのものだろう。挨拶をせず、無視するような振る舞いが有れば誤解を招くことが多く、孤立して寂しい思いをすることに成るのが落ちだろう。日常の出会い、出来事、事態に対処するに必要なものが挨拶だろう。仲間や同志として関わることで、共に良き縁に成り合えて、響働して何かに向かえば大きな力に成るもので、真実で、互いのために成る、友情を育むことで、絆が結ばれれば、共に願いが果たせるように成るだろう。人との関わりの窓口になるものが挨拶で、一定の作法の基で鄭重なものほど歓迎されるだろう。 2013年4月25日 琢
2013年04月25日
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国境を外して 宗教の自己顕示を超えて 民の願う平和のために 憎悪や怨念を察し合い 労わり合って 共存、共生に向かって 和を広げてゆくこと 音楽や芸術を通して 共感の一石を投じ 波紋が広がれば あちこちに和音が投じられ 共鳴しはじめて 本来の良心・原点の輪が生まれる 今、心を原点に戻すこと それを切に願う 子供のように純粋な心、大人たちの唯物的、刹那的、利己的なとらわれを無くし、世界中が仲良く出来ないものか、それは無理だと言われても、おかしいものはおかしくて、素人だからと言われても、過去からの憎しみや怨念の連鎖が何千年も続いていること、一瞬にして消えることの無い紛争や大人たちの都合を、生まれたときから共生できるように与えられている良心に、それを原点に戻すことが出来ないものかと思う。国境を外して、国と国との境目が命の境目に成らないように、心の安定のためにあるはずの宗教の違いを人殺しの道具に使わないように、憎悪、憎しみを察し合い、労わり合って、共存、共生に向かって和を広げることが出来ないものかと、音楽や芸術の良さには国境が無く、そういうものを通して仲良く出来ないものかといつも子供のように願っているのはどこの国にいる人々も思っていることだろう。国境をはさんで国益国益と、あっちでは殺人でさえこっちでは良くやったと、何で憎しみ会うのかと子供たちや善良な民たちは思っている。貧富の差や宗教の違いがテロを起こし、本当は平和を願っているのに、心の安定を願っているのに、何かの都合のために命を捨てることさえ良しとする、それを子供たちは理解できないだろう。どんなに悪く思われている国の民たちも、会えば人が良く、子供のように純粋な心を持っているのに、国がやっていること、やろうとしていることは誰が見てもおかしいことを、矛盾したことを平気でやろうとしていることを人間の原点に戻すことが出来ないものかと思っている。音楽や芸術を通してみんなで楽しむこと、心を明るい方に向ける試みで共感を得るような、誰かがそんな一石を投じれば、波紋が広がらないかと、あちこちにその和音が投じられ共鳴し始めないかと、人間本来の共生のための良心・原点の輪が広がればと、それを誰もが切に願っているだろう。 2013年4月24日 琢
2013年04月24日
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自分が聞く耳を持たなければ 相手も聞く耳を持たず 無関心には無関心 傍観者には傍観者 共感も絆も生まず 何の手ごたえも得られない 利己にならず、利他になれば 止むに止まれぬ事情を共有できて 相手を受け入れて 包み込むことも出来る 相手の立場に立つことで 摩擦が少なくなって 同志や仲間が増えて 我が意を得ることも出来る 人には霊的なところが無自覚にはたらいている場合が多く、以心伝心のように、感じあうことが通じ合っている場合がかなり多いだろう。嫌いだ、苦手だと思えば相手もそう思っていることが多く、どんなことでも聞いてみたい相手、興味の湧かない相手、好奇心を充たす相手充たさない相手、共に感じあって出会ったときに好き嫌いがはっきりしている場合が多い。逆の場合も有って、この人とは親しくならないと決めた相手が最後に残っている場合も有る。無意識に取捨選択していても別の力が仕組まれていて、それが後々の深い縁に成っていることも多い。出会いは自分ではつくれないと言われているが、与えられた仕組みのようでも有るだろう。自分が聞く耳を持たなければ相手も聞く耳を持たず、無関心には無関心、傍観者には傍観者で共感も絆も生まれず、何の手ごたえも得られない、自分の対応如何にすべてがかかっていると言っても良いだろう。無私を心がけて邪気を出さず、利己に成らず利他に成っていれば、相手の止むに止まれぬ事情を共有できて、コミュニケーションを良く取っていれば相手を受け入れて包み込むことも出来る。人の止むに止まれぬ正しさを受け入れず自分のことだけを通すことを自己中と言うが、相手の立場や身に成って見ることが出来れば、この世の摩擦が少なくなるのは間違いの無いことで、忍耐と妥協も必須のことだろう。同志や仲間が増えて来れば我が意を得ることも多く、納得のいく悔いの無い歩みは其処からでしか出来ないだろう。場の空気、人の心は呼応している。 2013年4月23日 琢
2013年04月23日
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権力を得たいものは お山の大将に成ろうとするが 山が揺れれば 自分だけ逃げて他を置き去りにする 真っ先に民のことを考え 身を捨てて次の手を打つ 天変地異も必然のこととして 過去に学んだことを次に備え 広い視野と展望を以って 人智を尽くし、人智を超える 保身に努めれば 民意は離れ 人望を失う 利己をせず利他に成れば 邪念が消えて 信頼は戻る 信用は時間と共に積み重ねた誠意から生まれるが、もろく崩れやすいもので1度失えば取り戻すには相当の時間がかかる。心を無視してお金や物を唯物的に追いかけ、今だけよければと刹那的に成って、自分さえよければと利己的に成った姿が見えれば信頼を失い人望は無くなってしまう。そういう人だというレッテルを潜在意識に張られてしまえばどんな善行を積んでも、その目的は自分の都合の良いようにする人だと思われ、そのレッテルを張り替えてもらうのに相応に努力と時の積み重ねが必要に成る。お山の大将のように権力を握ろうとしても、山が揺れれば自分だけ逃げて他を置き去りにしてしまえば大将の資格を失ってしまう。山に登ろうとすれば身辺整理をして身を清め、頂上に立てばまず民のことを思い、身を捨てて次の手を打つ、それだけの器と能力を備え以って、天変地異が有っても必然のことと捉え、過去に学んできたことを次に備え、広い視野と展望を以って、人智を尽くし、人智を超えるもので無ければ国を治めることは出来ないだろう。他に責任を押し付けて逃げようとする保身に努めれば、民意は離れて人望も失うことに成る。利己をせず、利他に努めて無私に成れば邪気は消えて信頼は戻るだろう。志を成し遂げようとするものは、一皮剥けて、殻を破らなければ叶わないもので、間違った信念を正し、過去の失敗に学び、既成概念を見直して責任転嫁をしないことを肝に銘じておかなければ、人の恩恵・協力を得られず、志・種だけではいくら良いものでも縁に恵まれなければいつまで経っても花は咲かず、実を結ぶことも無いだろう。 2013年4月22日 琢
2013年04月22日
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期待に水をさすのではなく 最悪を言うものは 批判でその雰囲気を壊さず その次の方策を練っておくこと 土足で新芽を踏みにじるので無く 育て方を工夫すること 更に綺麗に咲かせることを むしろ反抗分子を押さえ 陰の支えに成ること 暗転すれば受けて立てるように 保身に走らず 過去を反省して 品種改良に努め ただ素直に民のために 柔軟に準備して置くことだろう 為政者は個人の都合・邪気を捨て、ただ選挙に当選するための不在的・無責任に民の個々の願いのイエスマンになるのではなく、身辺整理をした上で、ただ人気取りや揚げ足とり作戦をせず、民意を反映し、与えられた現状を安易に受け止めず、先の展望を持って、困難を克服して、民の幸せのために骨身を削るものを言うのだろう。国民の期待に水をさすのではなく、方策を立てれば最悪のシナリオも視野に入れて、批判でその雰囲気を壊さず、次の方策を練っておくこと、土足で新芽を踏みにじるのでなく、育て方を工夫すること、更に綺麗な花を咲かせることで、むしろ反抗分子を押さえて影の支えに成ることだろう。あらゆる可能性を求め、暗転すれば受けて立てるように人智を尽くし、保身に走らず、自己顕示、自我我欲を出さず、過去を戒めて品種改良に努め、ただ素直に民の幸せを願って万全の準備をしておくものが真の為政者だろう。選挙では政治の専門家・プロでもないもの、別の分野で人気の高いものをただ票集めに登用するのでなく、民を幸せに導く展望を持つもの、真の政治の道に通じたものを、国を背負える器の在るものを各政党は打ち立てるべきだろう。政治家にも太い神聖な道が有って、その道を汚すようなことは、それに命がかかっている民を冒涜するようなものとして品格と強い戒めを持つもの、菩提心を持つもので、展望が大きく、見え透いた責任転嫁で保身に努めないものを国民は求めている。 2013年4月21日 琢
2013年04月21日
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春は曙 自然の目覚め 鮮やかな緑の芽 まじかな開花 三寒四温の時の流れ 梅が桜が彩りを添えて いつもより敏感に 期待感が先に動いて 悪循環が好転に向かう 気が明るくなれば 明るい芽吹きが其処此処に 桜が華やかに成る頃には 寒さに耐え抜いた心は 百花繚乱に成っている 夢と希望の花を咲かせようと 政権交代以来人々の期待感が明るさを添えて、まだ政策の実行効果が現れる前から心理的に明るさを取り戻そうとしている。まだ手に取ったわけでなくとも、見えないものの効果が表れ始めて、持てる力を使えなかった、そのおおもとは心理的なもので如何に心の有り方が重要かが解るような現象が現れて来ている。自分が独立したときに持っていた希望や目標が実現せず架空のものだったにもかかわらず、その希望だけで15年も社員や一族郎党まで食べさせてもらった恩恵が有った実績を思えば、人の心に内在する力は一筋の光・夢や希望さえあれば、いつでも開花させることが出来ることを証明した体験だった。最も良くないことは気力が萎えて投げ出すこと、捨ててしまうこと、諦めてしまうことで、不景気の世の流れに飲み込まれて、諦めなくてもいいところで投げ出してしまうこと、潜在的な力を使わないことだろう。春は曙、大自然の目覚めも心に与える光は例年とは違うものが有るだろう。否定的に成らず、どんなとき、どんな試練に覆われていても、前向きな心を保ってチャージして置くことで、溜まりに溜まったマグマや鬱憤を一気に噴出させる準備を怠らないことが大切で、普段から言葉も暗病反を使わず、いつも明元素の肯定的な言葉を使うだけでも、心理的には自己を発憤させる要素が出来るだろう。気が明るくなれば、悪循環も好転に向かい、明るい芽が其処此処に噴出して来るだろう。やる気さえあれば、夢や希望を叶えさそうとする恩恵の見えない力も救いに成るもので、意気消沈した気力も紙一重のところで光明が射して来れば、眠っていた力も湧き出して来るだろう。 2013年4月20日 琢
2013年04月20日
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思わぬ障碍を どう受け止めるか 偶然の不運か 休息の暗示か 智恵と気力を整えることか いずれ自分の心の財産に成るもの どれも意味の無いものはない 対応の仕方で先が変わるもの 正面で取り組まなければ 智恵と自信に成らないもの 信じる道に気付かせるもの 決然とその道を歩むためのもの 信じなければ開かない扉を 幾重にも通り抜けた先に 人間の可能性が有る 願いが有れば試練が有る、超えなければ成就しない、あの世は不変だがこの世は可変で、魂を磨けるのは可変のこの世しかない、と高橋先生は言う。前世で立てた願いを今世で果たすために魂願を持って生まれて来ていると言う。永い転生で抱えて来た歪み・カルマを自分を変えることで浄化する、そのための出会い、出来事、事態はすべて必然で無意味なものは一つも無いとも言っている。すべて自分と関係の無いものは無く、自分を映し出している主客一体・写し鏡で、偶然と思えば変われない、必然深度を掘り下げるために生まれて来たものだとも言っている。思わぬ障碍をどう受け止めるか、偶然の不運と、休息の暗示と逃げたり回避したりするか、それとも智恵と気力を整えることかは、表層だけでなく奥に有る原因を浄化すればいずれ自分の心の財産に成るもので、どれも意味の無いものは無く、自分の魂願を果たすために仕組まれているもので、その対応如何で自分の使命が観えて来るもので先が変わってくるものだと言う。快感を原則としていては変われない永遠のもの、智恵と自信につながって信じる道に気付かせるもので、魂の必然を示すものと言う。すべて自分の内に有るもので、問題を追求するものでなく、既に有る解答に気が付くことだとも言っている。信じなければ開かない扉を幾重にも通り抜けた先に人間の可能性が有るとも言っている。試練は可変のこの世に与えられる呼びかけ・コーリングで、願いを投げたり、捨てたり、諦めたりせず、果たすためのものだと言っている。 2013年4月19日 琢
2013年04月19日
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気が重いとき 心の問題、体の問題に分けて その原因がどこから来ているか その解決方法を探し 心理的、医学的、経済的に どの手法を使えば解消するか その相談相手をどなたにするか 人脈がその決め手に成る 心の整理が出来ていれば 冷静に考えられるが 突発的なことが起きれば 混乱状態に成って 何も考えられなくなる 友が多いほど良いアドバイスが得られ 友の大切さが解って来る 誰にも死の恐怖が有るが、それが強すぎれば自分の歩み方を間違えてしまうもので、心と体を別ものと考えられず、いつもと違う症状が出れば思い悩んでしまうだろう。体の具合が良くないときには最悪のことまで考えてしまい、直ぐに病院にゆくことを嫌って悶々とした日々を重ねることも有るが、早期発見と思えば意を決して検査に行くが検査結果の診断を病院で待っているときはドキドキしてしまうだろう。心の問題のときは、先ず自分で解決しようとするが思うように成らなければどうすれば良いかを迷ってしまうだろう。気が重いときには心の問題と体の問題とに分けて、その原因がどこに有るか、その解決方法を探して、心理的に、医学的に、経済的に、場合によっては政治的にどの手段を使えば良いかを考え、自分では良い発想が出て来ないときには誰かに相談することになるが、社会性、協調性が乏しければその相談相手にも恵まれず絶望感に浸ってしまうだろう。出会いの多さは同じでも友達の多さが違うもので、そんなときに救いに成るのが人脈だろう。心の整理が出来ていれば冷静に考えられるが突発的なことが起きれば混乱、錯乱状態に成って何も考えられなくなってしまうだろう。そんなときに友人、知人が縁に成って良いアドバイスやその困難を越えるために必要な救いを与えてくれるのだろう。出会いは自分ではつくれないというが、それで救われて来たことも有るだろう。やっぱり神様は何処かにいるのかも知れないと思うような体験も有っただろう。どこからか貴人【偶然のように自分を救うことに成る人、仕組まれた人で、身分に関係なく必然に出合うように成っている人】が現われてその人に出会わなかったら今の自分はいなかったかも知れないというユニバース的な体験が有っただろう。これらすべてが想像的な書き方に成っているが実際にそういう体験は誰にでも有ったと思う。 2013年4月18日 琢
2013年04月18日
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門戸を開けたつもりでいても 無意識に壁をつくっているもので 何か難しいことを思えば眉間に皺が出る 他と比較すれば差別心 近寄りがたい棘が 言葉や表情に表れてしまう 笑顔はそのすべてを消せる 和顔愛語は 他との交流に有効で この世に共生する上で 必須の条件だろう 中身は経験と共に整うもので 交流の中で得ることが出来る 出会いの縁から 自分を開花させる芽が出て来る 物質的なものばかりを追いかけ始めると本当の笑顔が少なくなってしまうもので、豊かに成ればなるほどもっと豊かさを求めて心を失ってしまうのだろう。貧しい国の子供たちの遊んでいるときの笑顔は最高のもので、日本にはそんな子供の笑顔が少なくなって来たように感じてしまう。大人と言っても子供の延長で、人間の本質は変わるものでなく、集団に入れば自分だけのことを考えて血走った目をした人が多くなって来ている。うわべだけの付き合いが多くなって本音で話し合えない空気が流れているように思う。門戸を開けたつもりでいても無意識に壁をつくっているもので、何か難しいことを思っていれば眉間に皺が寄って、他と比較すれば差別心が人にも自分にも責めてしまう心に成って、近寄りがたい棘を感じさせ、言葉や表情にも表れてしまう。本当の笑顔はそのすべてを消せるもので、和顔愛語で接していれば他との交流には有効で、場を和ませて他に癒しを与えられていて、この世に共生する上で必須の条件に成るものだろう。心からの笑顔は中身から来るもので邪気、邪念を持たず、何ごとも否定的でなく肯定的で、前向きで明るく素直で、他に殺気を感じさせない謙虚さが有って、他が真似をしたくなるような慈愛に満ちた状態・菩提心に満ちた状態から滲み出してくるのだろう。その状態に成るには他との対等な集団に入って、失敗を積み重ね、先輩から学び、出会った人との交流から学ぶこと、心の傾向の分類から摩擦を起こしやすいものを浄化すること、ただ知っているだけでなく実践して体験を積み上げてゆくことから、自分を変えてゆくことだろう。出会いの縁から自分の種を変えて、自分を開花させる新しい芽が出て来るもので、そこに出る笑顔は最高のものに成っているだろう。 2013年4月17日 琢
2013年04月17日
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体を心・魂の手段だと思えば 乗り物のように動かして 心の赴く方に自分を使い 六根の機能を使って 願いを叶えさせる 車や舟と同じように 年々古くなって機能は低下し 外形も変化して 思い通りに動かなくなる 燃料代を稼ぐためだけでなく どこにどのように向かってゆくか 何をするかが問題で その可能性をどこに生かすかだろう 知識や智恵は機能を生かすため 展望は実践、体験、挑戦するために必要だろう 仏教では人を乗り物に喩えることが多く、肉体舟に魂が乗っているものが人間だという。大乗仏教や小乗仏教というのもその一つだろう。死ぬときには乗り間違いをしないようにとか、切符の買い忘れや行き先を間違えないようにとか執着に引っ張られて行き先を間違えないようにそう言うのだろう。体を心や魂の手段と思えば車や舟のように自分を心・魂の赴く方に運んで自分のしたいことをさせる道具のようなものだという。六根【眼、耳、鼻、舌、身、意】の機能を使って自分の願いを叶えることが出来る。年々古くなって機能は低下するが反面経験や知識、智恵が豊富になって、自分の夢や希望に意志を向かわせて成就することが出来る。乗り物には燃料が必要で、人間は体を元気に生かすために、家族の生活のために衣・食・住が必要で、そのためにはたらいてその糧を得ようとするが、それは目的で無く願いを叶えるために必要だから燃料代を稼ぐのだろう。稼ぐためだけに生きれば人生は意味の無いものになってしまい、どこにどのように向かうのか、そこで何をしようとするのかが問題で、自分の可能性をどこに生かすかは"どれだけ生きたか"より" どう生きたか"が問題なのだろう。知識や智恵は機能を生かすため、展望は機能を使って実践、体験、挑戦するために使うものだろう。 2013年4月16日 琢
2013年04月16日
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約束を果たすことで 信頼関係が構築される 経過も大切で 消極的な態度を示さず 希望に向かって邁進していること 信頼までには期間を要する 信念を曲げないこと 学んだことを実践して その方向に使うこと 当たり前を謙虚に積み重ねること 人はそれを観ている 銀行は多額の預金を1度にするより 毎日100円を長年預け続けることの方を 融資の対象として評価する 人の世もそうだろう 待ち合わせの約束には場所を間違えず、時間には余裕を持って遅れないようにすることはマナーとして大切なことで、場所や目的や相手に配慮した服装を選び、自分だけが目立ってしまわないように気をつけることも大切なことだろう。約束したことは必ず守ることも相手の信頼を得ることになるが経過も大切なことで、確実な人間として周りに伝わってゆくだろう。約束したことには消極的な態度を示さず、明るく前向きな態度で希望に向かって邁進していること、その姿が信頼されるまでには期間も必要で、信念を曲げないこと、素直な姿勢で学ぶところは学んでそれを確実に実践してその方向に使っていること、当たり前のことを謙虚に積み重ねることは必須のことで、人はその状態を見ているだろう。社会での信用は確かなものの積み重ねで評価され、特に金融機関では多額の預金を1度にするより、毎日100円の入金を長年続行している方が融資の対象として評価されるだろう。”継続は力なり”と良く言うが、大きなことの言いながら線香花火のように直ぐに消えてしまうものより、小さなことでも確実に実行している方が信頼されるだろう。信頼されれば人は聞く耳を持ってくれてそれなりの感触を得ることも出来て貢献度も高く人の役にも立てるもので、人気が出れば孤独で悶々とすることも無いだろう。 2013年4月14日 琢
2013年04月15日
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自分のためには強く成れなくても 愛するもの、敬するもののためには 強く成れるもので 思わぬ力や発想が出て来る 何かのために命をかけても 悔いは無いが 建前の良いものでなければ 矛盾が生じて空回りに成る 命がけで挑戦するものが無いときは 迷走してしまうもので 人はいつもそれを探している 視野を広め人脈が整っていれば 展望が開けて 必死に成ることが出来る そこに自分の使命を観出すことが出来る "死に場所を見つける"とよく言うが、自分が納得できて悔いの無い満足を得られる場所・時が有れば幸せだと昔はよく言われたものだが、人の心を充足させるのはお金や物ではなく自分が生き甲斐を感じられる状態で、それはいつの世も同じだろう。銭金で動けるものでなく、お金で買えないものが有ることを良心は知っているからだろう。仏教で良く使う言葉に『四弘誓願・しぐせいがん』が有るが人間が本質的に願っていることは四つ有って簡単に言うと、救済、煩悩の抑制、人智を尽くして人智を超える、成仏することだと言われている。他のお役に立つこと、貢献することには命をかけても惜しいいとは思わないところは誰にも有って、軍国主義の頃はお国のために、天皇陛下のために死ぬことが名誉なことだとされていたが、今はそんな馬鹿なことという人は多いだろう。人は自分のためには強く成れなくても、何かのため、愛するもののため、敬するもののためには強く成れるもので、思わぬ力や発想も出て来るだろう。何かのために命・人生をかけても悔いは無いが建前・大義名分の良いもので無ければ矛盾が生じて迷いも多く、から回りに成ってしまうだろう。命がけで挑戦するものが無いときは迷走することが多く、人はいつもいわゆる死に場所・自分の本当の力を注ぐ時、所、ものを探していると言っても良いだろう。視野を広めて人脈が整ってくれば展望が開け始めて必死に成ることが出来て、それが自分の天職だと思えれば、自分が何のために生まれてきたかの疑問は解けてくるだろう。自分の使命が見つかれば迷いなくそれに向かって全力を出し切れて、そのときには根源の力が溢れ、無限のエネルギーを注ぐことが出来、悔いの無い道をゆくことも出来るだろう。今ほとんどの人がその力の10%くらいしか出せていないと言われている。 2013年4月15日 琢
2013年04月15日
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育てることは 根気良く待つこと 寛容であること 過程を大切にすること 改良すること 短気を起こさないこと 周りを整えておくこと 自然の変化を受け入れること 光りに向いていること 真実で公平なこと 他のために成ること 束縛、繋縛して歪めないこと 愚かさを知ること 恩恵に感謝すること 颯爽として且つさらりさらりとしていること 教育は子供の心に火を点すことで、成長過程で次第に厳しさを味わうことになる忍土に備えて、夢や希望を持たせ、親の成功例を語るよりも失敗例を語り、親の願いを押し付けるのではなく自分で気が付くように、かたよらず、こだわらず、とらわれず、ひろく ひろく、もっとひろく、構えておくことだろう。昔は大将に成るとか覇者に成るとかの大志を抱かせたものだが、今は細分化された分野でのオンリーワンに成ることをよしとする世の中に変わって来ている。50年かかって変化してきたものは揺り返しの道理で、元に戻すには50年かかるものとして、人智を尽くして先の予測を立てて予防することも出来るだろう。子を育てることは、根気良く待つこと、寛容であること、過程を大切にすること、改良すること、短気を起こさないこと、周りを整えておくこと、自然の変化を受け入れること、光りに向いていること、真実で公平であること、良心に従って他のために成ること、束縛や繋縛して子の個性を歪めないこと、愚かさを知ること、自然の恩恵や人の恩恵に感謝すること、親は子に背中で教えると薬師寺の故高田好胤官長が言ったが、子は神が育てるもので親の都合を押し付けるものではないという説も有る。颯爽として且つさらりさらりとしていることで懐の深さや奥深さを自分で気が付くようにもってゆくことの方がベターだろう。最近般若心経の本が良く売れていると言うが、20世紀に置き忘れてきたもの・目に見えないものを求め始める人が多くなったのかも知れない。 かたよらず こだわらず とらわれず ひろく ひろく もっとひろく これが般若心経 ”空” のこころなり 2013年4月13日 琢
2013年04月13日
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自分を外から見てみれば 恥ずべき行為と思うことも かなりやっているもので 何処かにその被害者がいる 自己回帰で止観して見れば 修正事項が結構有るだろう 自分の歩く姿が見えず 他に見てもらうことも必要で 自分本位では見えないものが 解って来るだろう 自分に都合の良いようにしか見えず 他には毒に成ることもやってしまう 自己管理は大切なことで 感情を理性で抑えられるように成る その上で今を生きることだろう 言い伝えによれば、死んだあとには閻魔さんの前で自分の一生を走馬灯のように見ることに成ると言う、そこでどこに【地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の界】行くかが決まると言われていて、自分では気が付かずに犯してきた過ちに気が付かされると言う。かなり我慢をこの忍土の世で耐え抜いて来たように自分では思っていても閻魔さんやお地蔵さんが六方【前後左右上下】から観れば、気が付かずに他にどれだけの毒を振りまいて来たかが解ると言う。自分を外から観てみれば、恥ずべき行為と思うこともかなりやっているもので、何処かにその被害者がいる。過去の日本もそうだったように、現在はその被害者だという国がそれをやろうとしているがどこの国にもそんな過去が有っただろうが、自由、人権尊重、命の尊厳を重視するように成った今の世界では総好かんだろうが、それさえ分っていないように見える。自己回帰して、止観してみれば、修正事項も観えて来るはずだが、自分の歩く姿が見えず、他に観てもらうことも重要で、自分本位では見えないものが解って来るだろう。人は自分の都合の良いようにしか見えず、他には毒になることもやってしまうもので、摩擦を起こさないためには、自分を客観視して人智を尽くし、感情を理性で抑えられるようになるための自己管理は大切なことだろう。その上で今を決然として生きることしかないだろう。 2013年4月12日 琢
2013年04月12日
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『と』と『の』は繋げるときの言葉だが 『と』は並列で『の』は直列に使う 『私と彼』は別責任 『私の彼』は所属的責任で繋がっている 束縛、繋縛は立場で変わり 縛られたくない人ほど他を縛り 所有されたくないと思う人も 他を所有したがる お金や物のように自分のものと思うが その責任になれば回避しようとする 都合次第で刹那的に保身をする 悪いことを知った上でそれをする 誰にも有ることだが そこを改めなければ収まりが悪くなる 何でも"ほどほど"が良く"足るを知る"ことと親しい人との関係には深い絆が有っても、心地よい縛りは無くては成らず、かと言って強い縛りは相手を束縛してしまう。一体感は、そのことについては同一責任を感じるもので言葉にすれば『の』で繋げている。『と』は並列に繋げるときで、『私と彼』は別のスタンスのつながりだが、『私の彼』は自分のもののように親しみを感じたときに使われている。人とのつながりは法的責任も含めて『と』と『の』で使い分けをしている。束縛と繋縛は立場によって変わるものだが、家族や社会での有り方では程好く使われることで、心の安定感に成るものだが、度を過ぎれば孤立することにも成ってしまう。縛られたくない人ほど人を縛り、他を自分のもののように思いたがるものだろう。お金や物のように自分のものと思うが、その責任とも成れば回避しようとしてしまったり、都合次第で刹那的に保身をしてしまう場合が多い。"潔し"は日本人の好きな言葉だが、責任転嫁・人のせいで自分の責任を感じようとしないのは潔くないことで、悪いことを知った上でそれをしてしまうことは、自分だけを守りたいとき、逃れたいときが多く、誰にでも1度は経験の有ることだが、そこを改めなければ人道的にも仁義上も収まりが悪くなってしまうだろう。 2013年4月11日 琢
2013年04月11日
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不妊治療は 営みは有っても妊娠しないとき 妊娠しても受精卵が育たないとき 血をサラサラにする投薬や 旦那の血液を母体の皮膚に移植したり 出血の状態、心音の有無の検査 エコーで成長の確認をする 心音が消えれば掃破しかない 保険が利かず高い負担に苦しみ 肉体的精神的苦痛は計り知れない 少しでもお腹にいてくれたことに感謝し 心配してくれた人々に謝罪し すべて感謝の心に至らなければ 虚しさだけを持て余すことに成る 願いが有ればそんな試練にも出会う 日本が衰退傾向に入った原因には少子化のための人口の減少と医療の発達による高齢化現象が挙げられる。このままでゆけば1人で1人の老人を背負い、4人で1人の公務員を背負うときが来る。自分が払ってきた年金は亡き父母たちが受け取り、自分が老人に成ればこれからの若者の年金で食べることに成るが、年金を払う人の数が少なくなってくれば、その金額は減少することになってくる。子供が欲しくても出来ない人が増えて不妊治療を受けることに成るが保険が利かない。営みは有っても妊娠しないとき、妊娠しても受精卵が育たないときには治療を受けることに成る。ある意味では国の存亡の危機に有ると言って良いが、その政策が進んでいない。血をサラサラにする投薬や、旦那の血を母体の皮膚に移植したり、出血の状態、心音の確認をしなければ成らず、エコーで胎児の成長の確認もするが、心音が消えれば下ろす手術を受けなければ成らない。保険が利かず高い負担を強いられても耐えなければならず、肉体的、精神的、経済的苦痛は計り知れず、何度も子が育たなければ終いには子供の出来ない体に成ってしまう。母の心情としては、少しでもお腹にいてくれた子に感謝して、心配してくれたことに謝罪しながら虚しい手術を受けることに成る。すべて感謝の心に至らなければ虚しさや悲しさだけを持て余すことに成ってしまう。人口の減少を食い止めるために、子孫を増やすために、国民の願いのために、今そんな試練が与えられている。このままでは日本は衰亡の一途にも成りかねないだろう。願いがあれば必ず試練が有って、試練を越えなければ先は見えて来ないだろう。 2013年4月10日 琢
2013年04月10日
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スポーツは限界を尽くすもの 心技一体のもの 体に覚えさせ身に付けて 精進すれば体幹に入る その動きは心・魂から 無念無想で自然体 限界を超える力を引き出せば 体力次第で奇跡も起こる 邪念は禁物で 取らぬ狸の皮算用は出来ない 神聖なもので 信念と自信の裏付けが無ければ 迷走することになる 心と体のバランスを保つことは大切なことで、何か一つのことを成し遂げようとすれば飽くなき努力が必要だが、挫折や失敗の試練の連続を超えなければ達することが出来ない領域に至るには、強靭な精神力と肉体の限界を超える訓練の積み重ねが必要に成る。気力が失せれば体もついてゆけず、闇に入って出口が見えなければ発想を切り替えて転依し、投げ出さず、捨てず、諦めずにコツコツと練習を積み重ねて、夢や希望に向かう目標・段階的計画表を確実にこなして始めて展望が観えて来るのだろう。各種のスポーツは心と体の限界を尽くすもので、心技一体のもの、血の出るような練習の末に体幹に入れるもの、無意識に体が反応するまで、不動の心を保ち、試合になれば無念無双で自然体から、限界を超える力を引き出し、最後まで諦めなければ体力次第で奇跡を起こすことも出来るだろう。普段からの練習は体をつくること、技量を高めること、強い精神力を持ち続けること、体感に入れて初歩的ミスをせず無意識に反応できるようにする苦しいもので、邪念を捨てて黙々と積み重ねるものだろう。殻を破るためには間違った信念を正し、既成概念を見直し、過去にとらわれず、責任転嫁を絶対にしないことだろう。人智を尽くし人智を超えれば迷走することも少なくなってゆくのだろう。人には根源の力が有って、それを引き出せば無限のエネルギーも出て、どんな限界をも突破して、普通なら奇跡としか思えないことも出来るように成れる可能性が内在している。 人の世は 必然の道 天の道歩むべき道 辿るべくして 2013年4月9日 琢
2013年04月09日
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武道に妥協は無く 極める道に終わりが無い 先端に達しても更に上が有り 甘い心は許されない 見るものはゲーム感覚でも 勝った負けたの二見に有らず 磨く領域の奥が深く 体幹に入っても心次第のこと 心の有りようで凶器にも成る 不動は当然のことで 恒常的平成を要する 遊び半分は武道を汚す 真剣な上に慎重で 一生の道に通ずる 武士には大和民族の"サムライ"のこだわりが有って、今は世界中に日本の"サムライ"という言葉が注目を浴びている。切腹は武士に与えられた特権的名誉とされ、自分の名誉を守るためと主君のために常識だった歴史が有る。あの神風特攻隊の精神は世界中に新鮮な脅威を与えたことだろう。最近はその精神がテロの手口に使われることが多くなって、サムライ魂は世界中に知れ渡っている。護身のために、戦に具えた国の安定のために武道が盛んだった時代も有って、日本刀には神秘的なところを感じてしまう。武道に妥協は無く、極める道に終わりが無い、先端に達しても更に上が有って甘い心は許されない。『道』が付いている学術は、すべて禅の作法に通じるもので、無私、無欲、無念無想が求められる心の有り方に共通点が有って、見るものはゲーム感覚でも勝った負けたの単純な二見に有らず、磨く領域は深い。強さは年齢にも関係が有るがそれだけでなく、諸行無常の中でもその魂の状態を極めようとするもので、体幹に入っても心次第で、心の有りようでは凶器にも成ってしまう。不動は当然のことで"空"を保って恒常的平成を必要としている。遊び半分は武道を汚すことにもなって、真剣な上に慎重さや菩提心は必須のものだろう。その道も一生の道に通じるものが有るだろう。禅定は腹式呼吸法の下で"空"の状態に入ること、真剣をもって対峙するときの心構えは丹田に重心が下りていることで、腹が据われば度胸も据わる、その状態はクンバハカ法と言って"ケツノ穴を閉める"状態だと言われている。 2013年4月8日 琢
2013年04月08日
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過去を引きずらないために 思い出深い家も 解体され新たな建物が建っても 見に行かなかった 父のときも自分のときも 社長室の額も本棚も 管財人にすべて捨ててもらった 1度読んだ本の中身だけは 不思議と文章に出て来る 意識にインプットしたものは 記憶に残っている お金や物はあの世に持っていけないと言うが 心の中のものは持ってゆける 忘れていることもいつか思い出す 閻魔さんの前では全部思い出すと言う 執着を残さないようにとお釈迦さんが言ったというが、肉体から魂が出てゆくとき・幽体離脱・死のときに執着が有れば四次元・幽界に残ってしまい、あの世に・成仏できないと言われている。人智を尽くして人智を超える道の中で人事を尽くして悔いの残らない生き方をしていれば、後を神仏にお任せする心境に成っておくことができるだろう。過去を引きずらないために、そのことが気に成って、父の会社の倒産で人の手に渡った、思い出深い自分の育った家が解体されて新たな建物が建ったときも見に行くことはなかった。自分の会社の倒産のときも、社長室に有った貴重な額や本棚、机、サイドボードのすべてを破産管財人に捨ててもらった。今ではあのときの空虚な姥捨て山にいるようなところから這い上がって来たように思う。すべての本を捨ててしまったはずだったが1度しか読んでいない何気なく読んだものが、その中身だけが文章を書き始めると不思議と出てくることに気が付いた。死ぬことを恐れて求めた本や宗教書の中身も必要なときに出てくるのは何故だろうと思う。意識にインプットされたものが記憶に残って魂の意識の蔵に入ると言う玄奘三蔵の唯識を奈良薬師寺に学んできたことの意味はそのことだろう。お金や物はあの世に持ってゆけないというのも、心・魂の中にあるもの以外の物質は死と共にこの世に置いてゆかなければ成らないということ、逆に思い出だけは持って行けることだろう。忘れてしまったこともいつか思い出すもので、そのことを肝に銘じて今を生きることが大切なのだろう。出来れば閻魔さんの前で人生のすべてを走馬灯のように思い出すまでに、今、目の前のことを先で悔いの残らないように、人智を尽くして自分を修正浄化しながら、機嫌良く明るく歩みたいと思っている。 2013年4月7日 琢
2013年04月07日
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持てる力を出し切れず 袋小路を彷徨うように 悶々としてもがき苦しむのが 先の見えないときで 自分を発揮できないまま 欲求不満をもてあまして 自分の生まれた使命が分らず 宝の持ち腐れのように 毎日を惰性で暮らす 抜け殻の自分を見ながら いつもそのときを待っている 1歩踏み出さなければ 景色は変わらない きっかけは自分でつくり出すもので 掘ってみれば何かが出て来る 姓名判断というものが有るが、結構当たっているように見える。生まれた子の命名には親の願いを入れるもので、その文字に関係する道を歩いている場合が多く、従事する仕事そのものやそこで体験することに関するもの、必然的に仕組まれたようなもの、苦心したことに満足感が有って勝った負けたや損得に関係なく、何か充実感を味わってきたことの中に自分の名前に関係の有ることが多く、そういう意味では親の願いの路線を歩いてきているが、自分ではそれが何の意味かが分らず、自分の使命だと思えないまま生きてきている人が多いだろう。自分では力を出し切れていないように思い、袋小路を彷徨うように、悶々としてもがき苦しむのが先の見えないときで、自分を発揮できずに欲求不満をもてあまして余計なことに手を出して、そのために痛い目に遭ったことも有っただろう。見えないがために何も出来ず動けないと、これでは宝の持ち腐れだと感じながら毎日を惰性で暮らして、迷い多き自分を見ながらいつもそのときを待っている人が多いが、実は今までの歩みに全く関係の無いものでなく、たくさんの試練・呼びかけに出会いながら、それぞれ自分なりの道を歩んで来ているのだろう。試練は願いがあるから与えられるもので、その与えられた呼びかけに気が付けば、自分の使命・生まれたわけ・魂に約束して来たものがだんだん観えて来るだろう。それを分った上で踏み出す1歩から今まで見えなかった景色を観ることが出来るもので、きっかけは自分で作り出すもの、掘ってみれば何かが出て来る、今までの歩みは間違っていなかった、そこに自分にしか出来ない、出せないもの・力が湧き出して、展望が見え始めればチャレンジの仕方も変わってくるだろう。 悟らんと 重ねた無駄も 気が付けばあれも我が道 これも我が道 2013年4月6日 琢
2013年04月06日
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友に思うこと 何でも分かち合いたい 相談に乗りたい 切磋琢磨したい 違う参考を得たい 友情を育みたい 深い絆を結びたい 同じ目的に響働したい 意気投合できる相手がいれば 嬉しく充実感が有る 人は社会に生きていれば 孤独を嫌って求めるものは 友との縁で開花することを知っている "人生にすべて"と思えるまで 好奇心や知識欲は誰の心の中にも有って、いつも未知のものを追いかけている、聞くことで、経験することから、失敗したことから学んでゆくのだろう。勇気の有るものほどその機会が多く、反面危険度も高く、かと言って1歩を踏み出さなければ何も始まらない。積極的に踏み出すか消極的に踏み出すかで、成功度が変わるもので失敗が有るほど精度は高くなってゆくだろう。一人で出来ることは少なく、集団に入ることで出会い、出来事、事態に直面しながら友の縁に恵まれて学ぶことに相乗効果が表れて進化してゆくのだろう。心を充たしたいものを共に求めながら友人に思うことは、何でも分かち合いたい、相談に乗りたい、切磋琢磨したい、知らないことを教えて欲しい、第三者から見た自分を知りたい、友情を育みたい、深い絆を結びたい、同じ目的に響働したい、というような思いがあるだろう。意気投合できる相手に恵まれることで、嬉しく、楽しく、充実感も得られて積極的に成る自分に変身も出来るかも知れないだろう。人は社会に生きていれば、孤独を嫌い和を求めるもので、無意識に自分ではつくれない出会いから友との縁に恵まれて自分を開花に向かわせてくれることを知っているのだろう。それが人生のすべてだと思えるまで命がけに成ってでも、自分が何のために生まれて来たのかを見付け出そうとするのだろう。 2013年4月5日 琢
2013年04月05日
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気になる人には 認知を得たくなって ちょっかいを出したくなる 話す機会が出来れば嬉しくて 子供の頃から変わっていない 付き合うまでに手間がかかるが 警戒心を取り除くために 理解しあうこと 相手の身に成って考えること 喜んでもらえるように努力すること 平行線に手ごたえが無く 共通点を見付け出す 上辺だけでなく 分かち合うことで 親しさが増して絆が結ばれる 集団に入れば友をつくること、挨拶できる人を多くすることで馴染むことが出来る。幼稚園、学校のクラス分け、好きなサークル、勉強会、趣味の会などが有るが、そこでの出会いが後の自分を咲かす大きな縁に成る場合が多い。お釈迦さんは友との縁は人生のすべてだとアーナンダに言ったそうで、縁が有れば打ち解けて心強く成れる。自分の都合だけで相手を粗末に扱えば人は離れてゆくもので、明るく楽しいものにするか暗くつまらないものにするかは自分次第だろう。気になる人がいれば認知を得たくなってちょっかいを出したくなるもので、話す機会が出来れば嬉しくなるのは大人も子供も同じだろう。付き合いは神経を使うものだが自分のわがままを言わず、警戒心を取り除くために歓んでもらえることを考え、無私に成って相手を理解し合うこと、止むにやまれぬ正しさを認め合って分かち合うことで親しさが増してくるもので、自分の正しさだけを押し通そうとすれば平行線に成って手ごたえが消えてしまい、自己中に成れば孤独感で寂しい思いをすることに成ってしまう。何かに貢献できていれば自分の存在感を感じられて嬉しく成るのは誰も同じだろう。出会いは自分からの場合より与えられたようなものが多く、何かを気付くために仕組まれたといっても良いかも知れないユニバース的なものだろう。神がかりのような救いや守護指導霊が何処かで仕組んでいるような、何処かで自分を観てくれているような体験、何かの救いが入っているような経験が有るが、そこに自分が何をするために生まれてきたか、どんな宿題を抱えてきたのかを気付かせようとしているのだろう。共通点を見付け出してうわべだけでなく共に良き縁に成れるように何でも分かち合うことが出来れば、親しさが増して絆が結ばれ、自分を咲かすことも出来るだろう。 2013年4月4日 琢
2013年04月04日
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立てた志を曲げず 意志堅固にして利他に向かえば 戦略に協力者多く 臨機応変な戦術有れば 成就は自然の摂理 放棄せず諦めなければ 悲苦多いほど成事は大きい 挫折は心の内に有って 姿勢を正して気力が有れば 目標を引き寄せて 意志は岩をも通す 障碍有るが必然で 必然を探れば志は必然に成る 偶然と扱えば心は脆く 必然と扱えば"為せば成る" "為せば成る 為さねば成らぬ 何ごとも 成らぬはは人の 為さぬなりけり"は上杉鷹山の言葉で有名だが、自分にもその通りのことが多く、出来なかったのでなくやらなかったことが多かったように思う。どんなことでもやれば出来るはずだという意味だが、口ばかりで何もしなかったことが、何も勝ち取るものが無かった原因だろう。単なる知識をさも自分が体験したように人に言って置いて、いざと成れば弱腰だった自分がいたのだろう。立てた志は曲げずに決然として前に進め、それが利他のためなら其処に立てた戦略に協力者の縁にも恵まれて、それに向かう戦術が有れば成就は自然について回るだろう。放棄せず諦めなければ、試練・障碍が多いほど目標に近くなって当然の果報が得られるだろう。" 石の上にも三年"と言うが自分で立てた行動指針を一時も忘れず、前を向いて歩むこと、挫折は心の内に有って弱気に成らず、目標を引き寄せれば、意志は岩をも通すほど強く持てるだろう。障碍・試練が有るのは必然のことで、その障害が何で自分の前に現れたかと思えば、自分の中にまだ岩をも通すものが無く"超えなさい"という何かの仕組みだと思うことで、その必然を探れば立てた志は必然の果報を得るときが来るだろう。あれもこれも偶然だと扱ってその原因を探らなければその心は脆いもので、どんな試練も必然と扱って行けば、いつか必ず成就するときが来るだろう。 2013年4月3日 琢
2013年04月03日
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満開の桜花 柔らかな房 一枝の房が花火のように 鳥や虫がその蜜を吸う 自然の芽吹き 春の曙を感じさせ 新鮮な空気は 息がしやすくなるようで 冬に溜め込んだものを吐き出して 胸いっぱいに吸い込めば 新しくなったように 思考も明るく やりたいことを張り巡らせ あれやこれやと気ぜわしく 春のひとときを眺める 最近は鳥の種類が増えたようで、木々の息吹を感じ始めて春を思わせるとき、梅の花が咲く頃にはうぐいすやメジロが生き生きと飛び交っている。都会の空気が綺麗になったのかも知れず、淀川に近いからか昔は見なかった鳥たちが多く飛来して来ている。ふと、温暖化の影響で南方の鳥や魚が上がってきたのかと思ったりもする。もう春はそこまで来ていると思えば三寒四温で冬に戻ったような日も有って、冬の頃より寒さがこたえるように思ってしまう。膨らんだ桜のつぼみが開き始めれば桜の開花宣言も有って一気に開花し始める。雨が降らないように、風が吹かないように、桜吹雪までもうちょっと楽しませて欲しいと思う自分がベランダから願っている。よく見れば一枝の花が房に成って、何千もの手毬のように咲いている様子はちょうど花火がぱっと広がるような、優しく柔らかな雰囲気を出してくれている。花が揺れるときには、必ず鳥がいてくちばしを花に差し込んでいるように見える。自然の芽吹きは"春は曙"を感じさせて空気が新鮮で息がしやすくなったような気もする。深呼吸をすれば冬に溜め込んできたものを吐き出したように新しくなったような気さえする。頭の回転も速くなったようであれやこれやと想像を張り巡らせて気ぜわしさを感じてしまう。今日は奈良薬師寺の"花会式"・修二会悔過法要に行ってアク落しをしようと思っている。 2013年4月2日 琢
2013年04月02日
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人には独自の個性が有って 方向が正しければ 可能性は無限に有る 有る分野だけでは比べられず 二見で勝った負けたはそのときだけのもの 負けた原因を見つけて 伸びしろを見つければ 誰よりも優れたものを持っている 人の"良し悪し"は決められず 何が正しいかは本人次第 堂々と生きるものが正しく見える 有名だから正しいとは限らず 雑草の中にも美が有る "美は見るものの心に有り" "幸せは我が心に有り" 瞬時に動く感情や考えを止めることは出来ず、人それぞれ感じるところが違うものでどれが正しいということはないのだろう。生い立ちは三つの”ち”【血筋・血統、土地柄・風土、時代の知】の影響が人の基盤に成っていて、魂には前世からのものも入っている。その中には業・カルマが有ってそれを浄化しなければ人一倍苦労することに成ると言う。人には独自の個性が有って、方向が間違っていなければ可能性は無限に有るもので、有る分野だけでは比べられず、二見で勝った負けたや損得はそのときだけのものだろう。負けた記憶の方が多く、そのたびに反省したり学んだりして伸びしろを見つければ、誰よりも優れたところを持っている。"良し悪し"は見識の甘さを言うときにも使うもので、"葦の髄から天井を覗く"で1部分だけで全体を観たことには成らない。何が正しいかは本人次第で、堂々と生きるものが正しく見えるものだが有名だからといって正しいとは限らないだろう。雑草の中にも美を見つけられる人の心は豊かだと言われ、"美は見る人の心に有り"、幸せ観も"幸せは我が心に有り"で、見方次第で闇ばかり見えたり、それにとらわれていれば光りを見過ごしていることも多いだろう。人間万事明るく機嫌良くしているのが一番だろう。 2013年4月1日 琢
2013年04月01日
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