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わたしはわたしに権利をさずけよう「わたしは間違ってもよい」と。
2007年05月29日
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運命の人などいないのだ。出逢うすべての人が、運命の人だ。
2007年05月29日
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もしや愛とは、お互いの違いを知ることなのではないだろうか。
2007年05月29日
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相手の心が弱かろうが強かろうが、そんなことは関係ない。ただ自分が、相手を信じられるかどうかだ。信じてみようよ。
2007年05月29日
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「手を活かす」ということが言われるが、手を活かすのは、手ではないのです。もっと言えば、手は活かされる。手に、肚のエネルギーが充満するんです。手をパッと張るんですが、それは見た目で張るのではなく、手の内部を充実させるイメージです。イメージは風船ですね。風船というよりは、ゴム手袋かな。へにゃへにゃなところに空気を吹き込むと、中からピーンと張り出す。あのイメージです。そのとき、手は重いのです。肚からエネルギーを通すので、当然、肩や腹や胸にチカラがはいっていてはいけません。パッと肚が充実して、パッと手が重くなる。こういった感覚を修得できるとは自分でも思っていなかったので、すごくうれしい気分です。
2007年05月29日
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言葉というのはまるで人間のように関係性のなかに他とのかかわりとの中に生きるのであってつまり言葉というのは存在しないということがその意義なのであってもっと言えば文脈がないかぎりその言葉をとらえることはできないわけで相手の文脈でなく自分の文脈ばかりを利用しているとぜったいに他人の話を聞くことはできずそれがわからなければやみくもに相手の単語単語に反発するだけになるたとえば「あきらめることはあきらめないことだ」とぼくが言ったとしてこの文言を見た「瞬間」にまったくどんな思考もせずに矛盾してるなんて叫ぶのであればそれはまったく文脈というのを知らないのが露呈してしまう対話は数学ではないのだ
2007年05月29日
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あいするひとよあなたをしあわせにしようとしてすこしのくるしみも あたえまいとしてわたしが わたしでないだれかになっていたことにあなたはくるしんでいたわたしでないだれかはとてもおおきく 寛大で りっぱなひとでしたしかし それはわたしではなかったそして あなたはくるしんだわたしはあなたのためにわたしをすてたあなたをひとりじめしたいがためにひとりのこされることをおそれるがゆえにああ、おろかなるわたしはまず おろかなるわたしをゆるそうわたしはこのままで ここにいていいのだとさかしき知慧をもとうともおさなき感情をいだこうともそう すこし世間とずれていようともわたしはわたしのままでここに ゆっくりと ゆたかにそしてちっぽけに存在してもいいのだとそれから わたしは あなたをゆるそうもしか あなたが わたしをあいそうともたとえ あなたが わたしをきらおうともそのことにはかかわらずわたしは あなたが あなたのままでそっと おだやかに そしてむじゃきに存在してほしいと おもういま わたしはほこりをもって こころからありがとうと あなたにつたえたい
2007年05月28日
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好きなことを好きなように好きなだけやって、それで捨てられたり、嫌われたりしても好きなことを好きなように好きなだけやったのだから、それで本望だ。って、そんなふうになりたいな。
2007年05月28日
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よく問題に直面する、と言いますが、実際は、問題は「表れる」だけだと思う。問題に直面することができるかどうかは、その人しだいだ。問題から目をそらしてごまかすこともできるし、その問題にぶつかっていくこともできる。直面する、ということ。日本語でいえば「ま」である。「ま」というのは直角のことなんだね。問題に、まっこうから、まっすぐに、まともに、まっとうに向き合うということ。これは難しいことだ。それは苦しいからです。やっぱり苦しいことを自分で選択するというのは難しいことです。だから逃げてしまったりする。ごまかしたりする。しかし、面白いことに問題から逃げると、そいつはどこまでも追ってくるのだね。怖いくらいに。思うに、自身が抱える問題というものからは、絶対に逃れることができないのだ。いろいろとカタチを変えてね、どこまでも追ってくる。それは、問題が環境にあるのではなく、自分じしんにあるからなのです。問題に追われるのをやめるためには、まっこうから勝負するしかない。自分じしんにまっすぐぶつかっていくしかない。まっとうにぶつかって、それを乗り越えたときだけ、その問題は消滅する。ただ、その問題がいまの自分にとって大きすぎる場合がある。その場合は、逃げることもやぶさかではない。逃げるということは、問題解決とは別だ。しかし、ちょっと保留ということで休むのも悪くないことだ。仕事がたまっているからといって毎日徹夜するわけにはいかない。明日に回しても支障がないなら、どんどん明日に回してしまえばいいのだ。90パーセント戦ったら、10パーセント逃げていいと思う。限界を越えて、爆発しちゃったら意味がない。破裂するくらいなら、いったんシボんだほうがいい。ただ、今は休んでいるだけで、いずれぶつかって解決してやるという気概が必要だ。いったん状況がよくなると「喉元過ぎれば・・・」で、まるで問題が解決したかのように錯覚することもある。しかしかならず似たような問題が発生する。見た目は違っても、根本原因が同じなのだ。環境を変える、というのは手っ取り早い「逃げの道」だと思います。たとえば、仕事を変えたり、恋人を変えたり、学校を変えたりということです。自分はそのままでいいし、目の前にある問題はいったん姿を消すし、心もラクになって、冷静に考えられるようになる。でも本当は、問題が解決していないのです。いまは「保留」になっているだけなのです。そのことを自覚していないといけない。僕じしんもいろいろと問題のある人間です。思えば、それから逃げ続けてきたのかもしれないと思ったりもする。心の闇が追ってきているのを感じるからです。いやな感情をもったとき、「ああ、これじゃ高校のころと変わってねえ」なんて思います。オトナになったなんて、思い込みなのかなあ。というか自分は精神的にオトナになったなんていう傲慢な考えは捨てて、自分の幼稚で、カッコ悪くて、情けない部分を認めてあげないといけないのかもしれないな。心の闇がないフリをすることが、たぶんいちばん毒なのだ。光あれば闇あり。心の闇を、大切にしよう。
2007年05月28日
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俺よ!お前は心のリモコンを手放してはいないか?心のリモコンを相手にあずけてはいないか?「あいつが俺をムカつかせる」「こいつが俺を悲しませる」「そいつが俺を喜ばせる」「おまえが俺を幸せにする」なんですべて他人任せなんだ!俺は俺で立て!自らの足で!自分の心のリモコンはこの手でしっかり握っていろ!!誰にも渡すな!自分でその「感情のボタン」を押したのだ。みずから選んだことを自覚せよ!背負うのだ!自分を!自分の感情を背負うのだ!!心のリモコンをしっかり握っていろ。
2007年05月28日
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復讐しようとしてはいけない。相手を憎み、相手を陥れようとすることは、相手に依存していることを示している。わたしはわたしで立とう。あなたはあなたで立とう。何人もわたしを傷つけることはできない。何人もわたしを困らせることはできない。
2007年05月27日
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ぼくはがんばりやさんです。ことあるごとに、つくづくそう思います。あなたはがんばりやさんですか?世間では「がんばらない」が流行っています。「無理しなくていいのよ」「チカラを抜いて、自然体で」さらには「がんばる人はうつになる」なんてがんばる人がまるで悪人あつかいです。それを体現できて言っている人もいると思いますが、けっこう口だけで言っている人もいると思います。がんばっている人をみると、うれしそうに「肩のチカラを抜けよ」なんていう人がいます。そういう人は、たぶんがんばっているのです。それで、自分よりがんばっている人を見つけては、「ああ、自分はチカラが抜けているな」というふうに不安を解消しているのです。真にフマジメな人っていいなって思います。ほんとうにフマジメな人っていうのは、がんばっている人のことをバカになんかしません。「お前、マジメだなあ」「がんばっちゃってるなあ」なんて言う人がほんとうはマジメでがんばっているのです。真にフマジメな人はがんばっているかどうか、なんて気にも留めません。誰々はがんばっている/がんばっていない、なんて躍起になって評価している人こそがいちばんがんばっているのです。フマジメ武勇伝を自慢げ語ってくる人は、がんばっている人だと見て間違いない。がんばっている自分を認めたくないから、そばでがんばっている他人を否定しているわけです。なにはともあれ、ぼくはがんばりやさんなんです。たぶん効率とか要領は悪いほうです。そうは思っていなかったけど、よく考えたら、あんまり要領よくないと思った。で、なんか最近、というかその「がんばりやさんな自分」がキライだったりしたんですね。というのは「ニセモノの自由人」の言動に惑わされていた。「がんばるなあ」なんて言われるのが「効率悪いなあ」って言われているような気がして悔しかったりした。でも、がんばりやさんはがんばりやさんでいいんだと思う。直す必要なんてなくて、「ああ、自分はがんばりやさんだからな」って言えれば、それでいいんだと思う。よく、うつの人に「がんばれ」と言ってはいけないと言われている。絶対に禁句だと。でも同じように「がんばるな」っていうのもがんばりやさんにとってはプレッシャーなんだね。「そんなにがんばるなよ。無理すんなよ」っていうのも、「がんばらないってなんなんだよ!」ってなるよ、きっと。だから、がんばりやさんはがんばればいいんだと思う。だって、がんばりやさんなんだから。がんばり屋だよ?がんばり1つ100円だよ?はい、いらっしゃーい!売っちゃったよ!なんか変な方向に言ってしまいましたが・・・。とにかく、自分ががんばりやさんであるということ。ただ、それを自覚し、認め、ゆるすということ。「俺はがんばりやさんだから、それでいいんだ」って素直に思うこと。そう思った瞬間に、心が休まるんんじゃないだろうか。がんばりやさんはね、心が疲れたときも「心を休息しないと!休まねば!」って思ってしまうんです。でも、それでいいと思うんです。そのあと「俺って、なんでも本気だなあ」ってクスッと笑えたら、それでいいんじゃないでしょうか。真剣と深刻をすぐに間違ったりしちゃうんだけど、それもご愛嬌でさ。自分を認めるというのは、難しいね。しかし、自分を肯定してしまうのだからその場にとどまってしまいそうなものだが、実は、自分を認めることが自分の成長だったりするんだね。意外にも、「自分の成長」というのは目的ではなく、たんなる結果なのかもしれないね。なんだか今日はおだやかな夜です。
2007年05月26日
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唐辛子連発です。まずは第一弾、タンタン麺。ひじょ~に淡々と作りました。ちゃんとスープから作ったし、肉みそも作りました。脳みそじゃありません。肉ミソの材料である豚ミンチですが、スーパーで、ひき肉ってミンチと同じものか?と迷いました。ウンチとミンチは違うものだと思うんですけど・・・。レジしてもらったら、残念ながら100円くらい足りませんでした。「じゃあ、チンゲン菜はやめます」とちょっと照れながら言ったんですが、それでも足りませんでした。せんなく、とりがらスープをキャンセルしました。先日、ふとしたことから自宅のとりがらスープが全部流しに流れてしまったので、買っておきたかったのに・・・。ちゃんとフタしておかないとダメね。今頃おいちいとりがら排水は海へ・・・。南無三。そしてお金を下ろさねば。あーもうすぐ給料日です。しかし今月は自動車税を払わねばならんし、車検も近いし、家計が苦しいです。節制節制。カニじゃありませんが貯金しないと。おっと、そんな身の上話はどうでもいいですね。じゃあ、また。
2007年05月26日
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ぼくの頭はムチムチです。無知無知です。この宇宙に知るべき知識は幾らあるのだろうか。そのうち僕らが知っていることは何パーセントくらいなんだろうか。どれだけ博識な人といえど、宇宙から見たらみんなが無知な野蛮人なのだ。どんぐりが背比べして、目くそが鼻くそを笑っている。知識の量を人と比べてはいけないつねに自分を比較するものさしは、宇宙なのだ。ちっぽけ。そんな言葉がよく似合う。小さいことにクヨクヨするな、というけれど、すべてが小さなこと。知識もお金も能力も友人の数も豊かだとかまずしいだとか、多いも少ないも、大差ない。偉人の人生も、乞食の人生も大差ない。メメント・宇宙宇宙を忘れるな。お前は小さい。お前の人生は、もっと小さい。単なる現実を演じすぎるな。命の軽さを知れ。命の、軽さを・・・!
2007年05月26日
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どんなに君を想っているか 分かってくれてない どうやって君を笑わそうか 悩んで暮らしてるDAYS Mr.children 「Hallelujah」より男というものは、女の笑顔が大好きなんですね。もちろん女性も男の笑顔が好きかもしれませんが、それ以外にも「真剣な顔」とか「遠くを見つめる眼差し」とかいろいろあるでしょう。それが我々オトコとなると、やっぱり女の人の笑顔を見たいと思ってしまうものです。笑顔を見たいというのは、その人を幸せにしたいということだと思うんです。幸せにしたいなんて傲慢な言い方ですが、なんにせよ女が幸せそうにしていると、男は自分が認められたような気がして、自信が湧いてきて、嬉しくなってくるのです。逆に女がつまらなそ~にしていると、「自分はダメな男なんだ」と思ってしまいます。自信なんてそんなもんです。だからやっぱり男は「幸せにしたい」なんていう傲慢さを持っているのです。これは自己満足なんです。女はといえば「幸せになりたい」なんていう甘えを持っています。まあそれがマッチして、お互い幸せになれるのがいちばん良いということなんでしょう。しかしすべてがうまくいくとは限りません。価値観が違えば、かならずすれ違いが生まれます。「笑顔が見たい」「幸せにしたい」なんてのはたんなる自己満足なんですが、ついついそれを「お前のために」と言ってしまう。そうなると乱暴になるんです。「笑顔が見たい」→「笑ってほしい」→「笑えよ!」 みたいな。なんで命令してるんでしょうか(笑)自分でもバカだと思うんですが、あまりにも不安なので、ついつい怒りになってしまうんですね。その辺はバランスの問題だと思うんですが、ひとくちにバランスといっても、どう実践するかがむずかしい。世間にはこういった軟弱な男は少ないんでしょうか。女性でもいいんですが、こういった話に共感された方、コメントくれたら嬉しいです。それでは。ちなみに「Hallelujah(ハレルヤ)」というのは「ヤハウェ(神)をほめたたえよ」という意味のヘブライ語だそうです。
2007年05月25日
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愛はかならず環境のなかにある。真実は、存在しない。存在しないから、真実なのだ。
2007年05月25日
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たいようが かがやいているそらが あおくくもが しろくくさきは わかく もえる国道をはしる くるまがひかりを反射して かがやいて はたらいてそれだけで うれしいそれだけで よろこばしい初夏の かぜそれだけで いいじゃないのって おもえてくるないものより あるものをかぞえるそんな生き方 できたらいいなってそんな生き方 してみたいなっておもったりする
2007年05月24日
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何の口伝だったか忘れましたが、「薄氷を踏むが如し」というのがあったと思います。踵を紙一枚ぶん浮かせる、というやつですね。あれも結果だと思うようになりました。つまり踵を浮かせるのではなく、踵が浮いてしまうということです。踵を浮かせ、つま先で移動するといっても、地面を蹴るわけじゃありません。ふわりふわりと。
2007年05月24日
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スイカ!今年初です。甘かったぁ。最近は仕事は汗だくです。あ、えーと、つゆだくです。甘くて冷たくて水分たっぷり。スイカ、おいしいです。
2007年05月23日
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きのうは「象になった少年」を見ました。ウソです。「星になった少年」です。うーむ。ちょっと実話負けって感じですか。コドモがタイで象使いの修行してしかし夭逝する・・・。その話はなんかドラマティック的なんだけど、しかしそれだけを追っても映画として感動がないというか・・・。サルがいい味だしてました。さて、今日は25歳二日目の仕事でした。ちょっと残業してました。本屋なんで重い荷物扱うんですが、今日もちょいとダンボールを床から持ち上げようとしたそのときです。びりり。ケツやぶれました。長いことつかってたスーツだからね、まあ分からんでもないが・・・。持ち上げるときに、ちょっとシリを出しすぎたようです。仕方ないので、帰ることにしました。おシリをおさえながら帰りました。我ながら情けない姿・・・。明日、なに履いて出勤しよう・・・もう、シリません!!
2007年05月22日
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「釣り腰」というのが確か、むかし「秘伝」に載っていたんだね。それができているかどうかはわからないんだが、なんとなく「釣り腰」的な構えが取れるようになった。もちろん見た目の話じゃないんだが。これは「浮き」とも関係してくるんだね。「浮き」というのは難しいことではなく、頭の上下動がないことだ。この腰構えで歩く。腰で釣って歩くんだけど、それを見せないようにする。この腰の使いは新しいです。もちろん肚とも関係します。塩田剛三先生が投げをきめるとき、よくつま先立ちになっていましたが、あれは腰が足を釣ってしまって、自然とつま先立ちになるのだと思った。つま先の力で立ち上がっているわけではないだろう。いずれ、そのあたりを解明したいと思う。
2007年05月22日
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今日は僕の誕生日です。25歳になりました。祝ってください。ありがとうございます。
2007年05月21日
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翌日は、朝からまたもや道場見学です。そして、またしても連れを置いてけぼりにするという非道ぶり。俺には「人の心」というやつが無いんでしょうか。1時間半ほど稽古を見学させていただきました。それがまた勉強になってねえ。ぜったいまた行く!で、そのあと連れと合流して、まずは銀閣寺へ!!金閣・銀閣の修学旅行ベタベタコースです。バスでどれくらいかかったか忘れましたがまあなんなく到着。銀閣もシブかったねえ。しかし、いかんせん知識と見る目がないので国宝か世界遺産か知らんが、真の良さが分からん。もうちょっと美を見る目を養いたいなあ。で、銀閣寺も見終えたので、さあ次のところに行こうとしたらハンサムなおにいさんにキャッチされてしまいました。といってもホストじゃなくて、人力車の車夫さん。どうですかって、レトロで大きな2輪の人力車を引きながらぼくらを誘ってきました。せっかく京都に来たんで、乗ることにしました。いろいろコースを説明してもらったのですが、いちばん廉価なのにしました。ケチ・・・、いや倹約家なので。乗るのは思ったより手間なんですが、車夫さんが手馴れた感じでリードしてくれるので、安心です。それに男性も女性も不快にならないような工夫がたくさん!たんなる粋な人力車でなく、ビジネスのにおいを感じました。やはりサービスというのは誠意や思いやりだけじゃなんともならない部分があって、形式やシステムのほうがお客さんには喜ばれたりもする。って、同じサービス業だからといって、こんなことを書かなくてもいいね。で、さっそく出発です。車が動き出すと、ゆっくりとした風が全身をくるみます。さすがは薫る5月の風。気持ちいい!!立派に緑を湛える桜の木が立ち並ぶ「哲学の道」。木漏れ陽とあいまって、なんとも心地よい空気でした。バス停で待ってる人たちを見下ろしながら、横を通り過ぎていくのはなんとも快感です。横綱か天皇にでもなった気分で、思わず手を振ってしまいました。だれも振り返してくれませんでしたが・・・。思ったよりも坂の上り下りはキツイみたいでしたが、約10分くらいの「旅」はあぶなげなく終わりました。また、乗りたいなと思った。さて、人力車も見終えたので、今度は祇園にむかうことにしました。舞妓さんが見たかったんです。うーむ、ベタだ。というか祇園にいけば、どこにでもいる、という発想が単純でしょう(笑)バスで祇園に降り立ちました。しかしどこに向かっていいか分かりません。公園やら神社やらあるみたいなんですが、目的が「舞妓さん」なんで、どっちに向かっていいか分からんかったのです。そういうときはとにかく歩くべし。なんとなく歩くべし。方向音痴なんて気にせず歩くべし。そうしたら建仁寺というところに着きました。これもなかなか有名なところらしい。中に入ったら寺がありました。寺でしたね、うん。あー、勉強不足!そういえば隣が競馬場らしきところでした。なんか画面みて、当てるところ?ギャンブルはことさら詳しくないので、どんなところかも分かりませんでした。けっきょく、舞妓さんには会えなかったんですが、時間も差し迫ってきたので、メインエベントの清水寺へ!!はい、せーの、ベタですね!!またバスで移動です。バス停で降りてから、ちょっと往くと奥のほうに見えます。なんか塔が。しかし、それまでがすごいのね、坂なんです。でも上るしかないので、のぼります。途中で、辛いせんべいやらなんかいろいろ食べ歩きしました。しかし、いちばん食べたのは生八つ橋です。修学旅行の中学生どもに混じって、食べまくりました。もちろんオトナなんで、味を見てからおいしかったら買おうかしら、みたいな顔して・・・。今はすごいんだね、ラムネ味とか桃とか色々あるの。チョコバナナとか、おいしかったぁ。お茶とかも、そーっと2杯くらい飲みました。もうほとんど犯罪者です。そうこうするうちに、本堂?に着きました。で、どこから入るんだろーなんて言っていたら、なんと舞妓さんがいらっしゃるじゃないですか!おー、マイコーっ!25歳です。オヤジです。舞妓さんは、人気者でした。みんなが写真撮ってくれー、撮ってくれーと隣に寄ってきます。みんなが順番にくるもんだから身動きもできないのに、いやな顔ひとつせず、ちゃんと応対していました。すごいなあ。アンタを京都のミッキーマウスに認定します!さて、なんか本堂?らしきとこにいったんですが、胎求堂(だったかな?)とかいうのがありまして、そこは、手すりがわりの数珠をたぐりながらほんとうにまっくらな闇の中を歩くところなんです。すごいよ、ほんとうに暗い!!うしろの中学生がcry!出口にたどりついたときは、ほんとうにホッとしました。無事「うまれる」ことができてよかったです。管理しているおじさんの話では、一緒にいった人でまだ出てきていない人がいるとか・・・。さて、そんなサブイベントもおえて、今度こそは清水の舞台を経験です。うわー、写真で見た景色!!こんな舞台から飛び降りるのは相当の決心が必要でしょうが、いまは名古屋のビルとかもっと高いからね。高さそのものには、驚かないよね。なんか恋のお守りとかいろいろ売ってました。どうも縁結びの神かなんかで有名らしい。下におりて、音羽の滝を見ましたが、予想通りの大行列だったので、水を飲むのは断念しました。水飲んで願いがかなうんだったら飲むけどねえ。さ、そんなこんなで旅路にも帰りの空気が流れ出します。のぼってきた坂をくだって、おいしい豚まんなどまたすこし食べ歩きして、それからバス停にいって、京都駅を目指します。清水発京都駅ゆきのバスはすごい満員でした。それから駅について、切符かって、あとはゆらりゆらりと急行に揺られて帰ってきたわけです。1泊2日の短い旅でしたが、思ったより京都を堪能できたかなと思っています。今度いくときは、もうちょっと通なところに行こうかな。誰に話しても「ベタなコースですね」って言われるので。そんな感じの旅行でした。非日常。そんな空間にハマってみるのも、ひとつの手ですね。
2007年05月20日
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有休をとって、ちょいと古都にはせ参じてまいりました。なんだか気温の低い異常な気象でしたが、いにしえのかおりを十分に堪能できました。一日目は10時まえに出発して、近鉄で2時間ほどゴトゴト揺られ、昼の1時前には都につきました。あいもかわらず京都駅は近未来的でした。それでさっそく、金閣寺へむかいます。鹿苑寺ですね。バス移動にしましたが、バス網が発達しすぎていてわけがわかりません。旅行ガイドに載っていた地図とにらめっこしながら、なんとか乗るバスがわかりました。乗ってしまえばこっちのもんです。渋滞がひどく思ったより時間が掛かりましたが、サクっと鹿苑寺に着きました。テクテク歩いていくと、池に浮かぶ金閣が!!見たのは小学校の修学旅行いらい、10年以上ぶりです。金です。ピカピカです。すごいが、見方によっては悪趣味とも言えないね。義満・・・。一休さんのとんちはすごかったか?と、金閣を見たら、あとはスルーという感じで、意外にあっけなく終わりました。近くにあった「よーじ屋」に入りました。あれですよ、あのあぶらとり紙で有名な。ここが本店かぁと感心してたら、あとから他のところでいろいろ見つけました。僕は美容にあんまり興味がないので、適当にぶらついてましたが・・・。と、いうことで竜安寺へ。ベタベタコースだなあ。はい、石庭!これはシブいね。思わずうなってしまった。石の配置シブすぎ。将棋の美しい盤面みたいだったなあ。修学旅行の中坊どもがいっぱいいましたが、あやつらにはあのシブさはわからんでしょう。そうすると、そのへんでいい頃合になったのでいったん京都駅へ戻ることに。というのは、ワタクシ、とある合気道道場を見学させていただくことになってたんです。というわけで連れをほったらかしにして一人、道場へ。いやね、非道いことしてるのは分かってるんですよ。分かってるんですけど、合気道だけは誰にも止められないんです。ほんとにスイマセン。稽古見学に関してはあえて詳しくは書きません。とにかくめちゃくちゃタメになったし、勉強になりました。ありがとうございます。それで9時ごろにはもう一度合流して、それから旅館へ。旅館へは駅からタクシーで行きました。五条川のほとりの某旅館です。タクシーが到着したら、おばはんがいっぱいでてきて迎えてくれました。中へ入ると、これまたシブいね。旅館というよりは民宿・・・、いやむしろ民家、みたいな。内部構造が複雑すぎて、風呂とか食事場所とかわからんし。でもまあ部屋は広めでよかった。予約が遅かったので、あやうく4畳の部屋になるとこだったんです。チェックインが遅かったのですが、なんとか食事は残っていて、おばはんが部屋に運んでくれました。先に風呂に入ってから、ごはんにしました。風呂は・・・普通の風呂でした。とにかくこの旅館は全体的に人の家っぽい!まあそれがウリなのかもしれんが・・・。で、風呂に入り、ごはんを食べ、テレビを見てからその日は寝ました。エンタの神様、ひさしぶりにみました。 続く
2007年05月20日
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知ってる?「顔ちぇき」とかいうケータイサイトなんですが、自分の写メを送ると、それが芸能人の誰に似てるか判定してくれるという・・・。さっそくやってみました。結果は・・・。「田村正和」!!あ、当たってねえぇぇぇぇぇ!あとはくりぃむしちゅーの「上田」と「波田陽区」だって。微妙だ・・・。さて、そんな今日はなんだか身体がこわばります。ついつい肩に力が入ってしまう。身体がなにかを調整してるんだと思うが、動きがぎこちない。身体の反応というのは面白いです。最近はドラゴンボールZを見ています。フリーザ編です。ナメック星が爆発してしまいました。すごいね、DBは。なんといっても世界観に夢がある!オトナでなつかしアニメにハマる人の気持ちが少しわかってしまった。アニメは現実で消えていった「夢」の代用品なのかもしれないな。しかし俺は、現実で夢を見続けるぞ!!夢を捨て続けるだけがオトナになることじゃない!!どこにたどり着くかはわからない。そんなことまで計画できない。けれど、ただ進み続けること。つねに向上し、学び続けること。その気持ちだけは忘れたくない。
2007年05月18日
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人は誰しも、運命の人と出会います。運命の人は、ものすごいです。運命の人は、その人の価値観を根底からくつがえします。運命の人に出会うことは、かならずしも喜びではありません。そのほとんどは苦しみです。それはつまり、愛する苦しみであります。その苦しみのなかから、人はいろいろな自分を見つけ、そして自分を知っていきます。なさけない自分、ふがいない自分、カッコワルイ自分。それと同時に思っていた以上の自分のつよさを見つけたりもします。愛される喜びは何ものにも代えがたい。「あなたはあなたでよいのだよ」「あなたはすばらしい存在だよ」そんな状況に人はえてして浮かれがちです。しかし愛される喜びの虜になった者は、そこにひそむ甘えとズルさに支配されます。そしてコドモに戻っていく・・・。愛することは苦しみであります。しかし愛することを知らない人はほんとうはもっとも悲しい。いのちが燃えきるような喜びと苦しみを味わうことがないのなら、やがてその生に意味を感じなくなるだろう。運命の人の、運命の人になれることは稀だ。それに運命を感じたものどうしが結ばれるということでもない。運命の人は、出逢うことがその意味なのであって、けっして「白馬の王子様」なのではない。それは、別だ。なぜかといえば、運命の人なんてのは結局は幻想にすぎないから。運命の人がいるわけではない。自分じしんが、運命を感じるだけなのだ。人は、自分を幸せにしてくれる運命の人を見つけることに腐心する。だが、幸せはそんなに甘くなく、しかしそんなに難しくもなく、誰とでもつむいでいける、誰とでも育んでいかねばならないものなんじゃないだろうか。「白馬の王子様」を待っている人は、いったいどれくらい自分が「理想のお姫様」なのか鏡を見てみるとよいのです。
2007年05月16日
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このまえ、ミニストップで小休止しました。水道代と電話料金払い込むついでに雑誌を立ち読みしていました。(Flashの「桜井和寿のカネとオンナ年表」を)そしたら、隣におばはんがいました。なんかアイス食ってました。がぶがぶ食ってました。見るからに下品なおばはんでした。汚いなーと思いながら、チラ見してたら、な、な、なんとアイスクリームをぽたぽたコボしているじゃあーりませんか。しかも気付いてない!!下品で、しかも鈍感!僕のもっとも嫌いな人種です。それに読んでるのが女性週刊誌で。「生きているだけで素晴らしい」なんて言うけどさ、こんなふうになるなら死んだ方がマシと思った。いわゆる写真週刊誌を読むなとは言いませんよ。僕も、「ほしのあきギリギリ爆乳」なんてあったら、かならずページを開きます。でもね、それしか読めないような低級な脳みそというのは僕は嫌いなんです。普段はエロ本とアダルトビデオに囲まれていても、いざとなれば哲学でも政治でも宗教でも語れるというのが、僕の中ではカッコイイのです。リアル亀仙人みたいな。お上品にしろと言ってるわけじゃないんです。ただ、人間として最低限の品は必要だと思うんです。それは型にハマることであり、我慢することです。ときには鈍感なことも大切だな、と敏感な僕は思います。自分は神経質なので、鈍感な人がうらやましくて、それで逆に嫌悪しているとこもあるんですが。アイスクリームばばあは僕にとっては衝撃でした。いろいろ、考えさせられました。
2007年05月16日
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今日はまたお休みでした。有休を申請したら、通常の休みが火曜日になってしまいました。さて、昨晩は12時ごろから「こぎつねヘレン」を見ました。しかし不思議だ。あのキツネですが、どうやって演技させたんだろうか。ミルクを飲まなかったのが飲むようになったりとか。病気で苦しむ演技とか。さすがにCGじゃないと思うが・・・。子役の子は、僕の好きな感じでした。判官(ほうがん)びいきな気持ちになる子です。「実話を元にした」ということですが、どこまで実話なんだろうか。なんにせよ結構面白かったです。涙は流れないにせよ、ウルッとしました。さて、今日の午後は将棋を買ったり、お金を払ったりいろいろしましたが、豚の角煮を作ったのがビッグエベントでした。さいわいにも、まあやわらかめにできたのでよかったです。角煮を煮込みながらパンツ食った。じゃなくて、パン作った。バターロールと抹茶パンを作りましたが、なかなかフワフワでおいしかったです。準備など大変でしたが、がんばって作った甲斐があるというものです。もっともがんばってくれたイーストのみなさんには感謝感謝であります。映画に出てきた「ヘレンパン」作りました。すぐに感化されます。明日は仕事です。がんばります。
2007年05月15日
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「一人でいるのが好き」なんて周りに言いふらしてる人はきっと、さみしがり屋なのだ。
2007年05月15日
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文字というのは、その人そのものだと思います。文字を見れば、だいたい誰が書いたかが分かる。「思いをこめた手紙」なんて言葉がありますが、まさしく文字には思いを込めることが出来ます。こめられた思いは、受け取るほうの感受性によって、いつなんどきでもありありと描かれます。忘れられない文字がある。覚えておきたい文字がある。「あの人が書いた文字を持っていたい」そんなピュアな時代もありました。今はこうして活字を打っています。
2007年05月15日
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とおく2000おくまん光年のかなた、アベコベ星雲のサカサマ星から、宇宙人がやってきました。5人くらいです。にほんのなごやに着陸しました。なごやのさかえに降り立ちました。宇宙人は銃をかまえて宇宙船から降りてきました。地球人の誰かがキャーと叫びました。そうしたらみんなつられてキャーとかワーとかギャーとか言い出しはじめました。それからまもなくしてけいさつやじえいたいが出動しました。戦車や戦闘機もたくさん出動しました。戦車の大砲を向けると、宇宙人は怒ったような顔をしました。地球人はますます恐れました。大砲を向けて怒らせてしまった。地球人は殺されてしまう、と恐怖におののきました。それで地球人の偉いひとが「撃て」といいました。たくさんのきかん銃や大砲やミサイルが宇宙人にあびせられました。5人くらいの宇宙人はあえなく命を落としました。地球人はみんな殺されなくてよかったとホッとしました。1年後、宇宙人が持ってきていた手紙が天才かがくしゃであるシャンポロリンによって解明されました。その手紙にはこう書いてありました。「ちきゅうじんのみなさま なかよくしましょう。」そうなのです。サカサマ星はすべての表現が地球とアベコベではんたいになっていたのです。はじめに銃をかまえて地球に降りてきたのは、仲良くしようという挨拶だったのです。宇宙人は大砲を向けられて、地球人が仲良くしてくれると思って、嬉しかったのです。それで怒ったような顔をしたのです。怒ったような顔というのはサカサマ星ではうれしいという意味なのです。それを知って、涙を流した地球人も多かった。なぜわたしたちはわかりあえなかったのだろう、と。それからは、てれびやしんぶんなどのマスメディアは宇宙人のことをかならず「サカサマ星人」と表現するようになったということです。 おしまい★
2007年05月15日
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「SHINOBI」見ました。仲間由紀江。オダギリジョー。ダメだ。サブい。お子ちゃまのヒーロー戦隊ものと何が違うんだ?!世界観が不明。いっそ別世界の話ならねえ。1614年で家康出てくるからねえ。オダギリを一目見た瞬間、「こんな忍者おらんやろぅ」と思ってしまった。もうそこからはツッコミまくりね。セリフが古語っぽいのに、言い方が軽いな~とか。気になってストーリーに集中できんの。人死にすぎだし。何人死んでも泣けんし。「ダメな映画を盛り上げるためにたくさんの命が奪われていっ」たよ。沢尻エリカが別人みたいだし。でも今より可愛い。という感じです。
2007年05月14日
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横隔膜の操作ね。胃腸動かしちゃう、みたいな。内臓操作で、相手を倒します。
2007年05月13日
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今日は休日2日目でした。ひさびさの2連休。朝は9時ごろ目が覚めたので、ちょっと稽古しました。調子はよいです。そのあと、昨日作ったカレーを食べました。それからおでかけで、湯ノ山温泉に行ってまいりました。うまれてはじめて日帰り入浴というのをやりました。旅館の人があまりにも無愛想でビビリました。お金は先払いなんですが、「金出せ」という感じで、手を突き出されました。はじめて貸切風呂というのに入ってみました。「半」露天風呂みたいな感じで、しかも覗こうと思えば覗けそうな作りでした。隣でおっちゃんが作業していて、ゆっくりできんし・・・。そのあと、かなり険しい道を歩いて、滝を見にいきました。マイナスイオン的なものが出ている感じで、風も涼しいし、癒されました。行きがキツけりゃ帰りもキツい。下駄で山道歩いている奴なんて他にはいませんでした。それから帰りにお腹が減ったので外食。赤から鍋というのを食べました。それからユニクロに寄って、トイザラスによって、すこしだけゲームセンターで遊んで・・・。それで帰ってきました。これからDVDを観るつもりですが、もしかしたら寝てしまいそうです。ひさびさにゆっくりできた休日でした。やはり連休はウレシイ。また明日からがんばって働きます。
2007年05月12日
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今日は、ちょっと稽古してきたのですが、すごく良かったです。というのは、最近考えている「肚理論」があったのですが、まだその筋肉の使い方・運用法が曖昧だったのです。呼吸筋など、深層筋のことも勉強しましたが、なかなか使い方の仮説すら浮かばなかったし、もちろん実証することもできずにいました。幸いにも今日、時間ができたので稽古しにいったのですが、ものすごく理論と実用が発展しました。一年ぶり、もしくは一年半ぶりくらいの伸びです。医学的な解明はまだできてないので、とりあえず今日は感覚的な話をします。何から話そうかな。まずは、肚です。肚が身体を統一する。身体が統一されてはじめて「重さ」が使える。今までのは、ただ体重を掛けていただけだ。重さが伝われば、こっちには全く力感がない。肚が充実していないといけない。つまり肚は「実」。そして肩・胸などが「虚」。これを、太極拳(だったかな)の言葉を借りて、「分虚実」を呼ぼうと思った。つまり虚実をハッキリさせるということ。身体全体が実でも虚でもいけない。肚の実のエネルギーが虚である身体を通って、相手に透る。脱力というのは、その意味では使えない。リキんだ素人相手には使えるだろうが。基本的にはチカラを抜いたらやられるだけです。脱力で、ともすれば重力を使えたりしますが、それは結局のところ重力の単発使用なのです。重力をコントロールして断続的に使えないといけない。肚は確実に指と関連している。指使いは、※※※※※※が参考になる。ある先生からメールでご指導いただいたのだが、それが今回のひらめきにつながった。ありがとうございます。手の内をいかに肚に影響させるか。手は活かすべし。それは開くことではない。充実するかどうかだ。充実させるカタチはたくさんあるようだ。呼吸で言えば、※※※※※※※※※※※※だ。つまりこれに使われる※※※※※※などの筋肉が重要になる。肚の理解が進んでくると、なぜ受身で身体が強くなるのか、なぜ受身だけでは技がうまくならないのか、ということもわかってくる。重大秘密事項に関しては伏字にさせていただきます。こんなに苦労したことをあんまり教えたくないというのが正直なところです。まあお腹の中のことなので、操作できる人もなかなかいないと思いますが・・・。今日は合気道の世界が変わった気がしました。今までのことは全て捨てても良いです。技が聞かなくなった後輩に、もう一度効くようになったなんてことはなかったのです。「達人」気分というのは嬉しいものです。もちろん、こんなところで研究が終わるわけはありません。これから、という感じです。このままでは「ヴァーチャルな達人」です。やはり直感で鍛えていた「部分」は正解だったようです。古人の言葉はほんとうに参考になります。稽古に励みます。
2007年05月11日
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あ~、あ~、本日はお休みなり。昨晩は2時過ぎに寝たのですが、なんだか今日は5時ごろに目が覚めてしまった。それからゴロゴロして6時に起床しました。そうなると読書です。眠り姫を起こさぬよう、そーっと。読みかけのを含め、2冊読了。満足です。で、洗濯や部屋の片付けなどして、昼はカレーライスを作りました。蛍光灯を取り替えようと思いましたが、型番がわかりません。豆電球が切れてるんです。困った。2時ごろから出かけました。クリーニング。それから旅行会社へ。有休とって、小旅行を計画中です。4時ごろにこっちを発って、名古屋に向かいました。合気道を稽古しにいくためです。稽古を終えたら、名駅で牛丼を食べて、また津に戻ってきました。帰りの電車でまた1冊文庫を読了。今は、昨日発売になったミスチルのカップリングアルバム、「B-SIDE」を聞いています、家で。「くるみ」が名作になり直しました。あと、たまに自分のなかに流れてきていたフレーズが「妄想満月」だとわかって、スッキリしました。今日は寒いので、いま暖房をつけました。プライベートなことを全部書いてみました。自己顕示欲がすごく強い人みたいになってしまいました。つまらん日記です。
2007年05月11日
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なんだか自分の仕事のスタイルが定着せず、どうしていいかよくわからない状態です。価値観ということ。上司・先輩・パートさん・アルバイトの子たち・・・。みんな思っていること・考えていることが違います。当たり前なんだけど。多種多様な人たちが集まります。そのなかでやりたいこと。やるべきこと。役割・・・。仕事に「スキ・キライ」は関係があるのかないのか?というかどこまで反映させるべきなのか?自分には芯というものがない気もしてきました。我が強いのとは別なのかな・・・。決定権・裁量がないので、どうしても上にあわせないといけないことも多い。ワタクシの会社では上司がコロコロ変わるので、そのたびに考え方も修正しないといけません。仕事をどう捉えるか、という覚悟が自分の中にないのかもしれません。いっそ仕事を目的としてしまうのか、仕事は手段と割り切るのか。最近、人を叱っていたつもりが、ただ尻拭いをさせられたのを八つ当たりしていただけだと気付きました。アルバイトのミスをかぶるのも社員のシゴトなのにね。誰でも失敗するし。ダメ出しするだけじゃなく、その子が能力を目いっぱい発揮できるようにしてあげること。しかし言うは易しで、実際になるとカチンときてキツイ言い方をしたりする。もともとキマジメなせいか、チカラの抜き加減がわからない感じです。ガンバったらガンバったで、ひとりよがりになるし、脱力してみると、ただの無責任になったり、やる気が低下したり。適度な緊張感とリラックスで仕事をするというのはムズカシイです。チカラの抜き加減、仕事の急所のつかみかたを勉強中です。「辛抱する」ということも学ぼうと思います。これは根気よくやるということです。成果を求めて成果を求めず。じゃあ、何を求めるのか。それを模索しているのです。
2007年05月11日
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ひとつの花がさいたときふたりのあいだにはみっつめのいのちが やどりよっつのおもいでをつむいだらいつつの夜をこえむっつの朝をむかえるななつのケンカのあとにはやっつの仲直りがあってここのつのくちづけをとわに きみに贈ろう
2007年05月09日
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本をたくさん読まねばならない。そうすれば、本を読んでも仕方がないのだということが分かるだろう。
2007年05月09日
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やはりスッピンで腕まくりして張り切れる人が好きだ。どんなにキレイに着飾っても、額に汗することがない人は魅力がない。とまあ、そんな感じなんですが、さて、昨夜は「硫黄島からの手紙」を見ました。感想。・・・重!!なんつー重い映画だ・・・。ストーリーはあれだよね、実話に近いから、とくにヘタに魅せるところがなくて自然。渡辺謙はあれだよね、栗林忠道なのかな?キャラの設定が微妙というか、異文化にも理解のある人っていう役割なんだろうか。あと、名前忘れましたが、アラシの二宮?あいつの役が独特っていうか、最後まで「軍人」にならないんだね。それを、あれは演技なのかな。姿勢で表現してるんだよね。立ち姿がどうみても軍人じゃないからね。あれ、意図的にやってるならすげい演技力だと思う。途中の「しみず」のエピソード(犬銃殺のやつ)ははじまった瞬間にオチがわかって、冷めました。で、見終わったあとはなんかショボーンとしてしまいました。いろいろ考えさせられた。やはりキーワードは「価値観」ということになる。価値観を持たないで生きることは出来ないのだろうか。ちなみに「アメリカからの星条旗」ではないので勘違いのないように。(父親たちの星条旗ね)そういえば、昨日は今年初の花火をしました。日本でも何番目か、くらいの早さでは?まだ、5月です。もう、5月です。
2007年05月08日
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どっちかといえば僕は夢見がちな人間です。夢というのはたのしいと思うのだね。なんで楽しいかは知らないが、楽しいのです。オトナになってくると、みんな夢を捨てます。「現実を見ろ」というのがオトナの合言葉のようです。シゴトしてたら、いやおうなく「現実」を突きつけられます。数字を求められます。それが当たり前だとも思います。でもやっぱり現実ってつまらないなと思うんです。たしかに夢ばかり見ている人を叱咤し、リアルな世界に引き戻すには「現実を知れ」という言葉も必要でしょう。しかし今を楽しむことを忘れた人がやりたいことをできない言い訳を他人にまで押し付けて、「現実を知れ」なんて言ってることもあると思うんです。「現実を知れ」という言葉は諸刃の剣です。現実性・具体性がなければ、コドモの空想と同じです。しかし、コドモの空想がほんとうはイチバン楽しいのです。楽しい空想ができない人が、現実的な発想をしてもツマラナイものができるだけです。僕は言いたいのです。夢を持ってもいいじゃない、と。オトナのふりして現実、現実なんて冷めたことばっかり言ってると、どんどん老け込んでしまうと思う。はじめに夢ありきなんです。具体性・現実性なんてあとづけでいいと思うんです。最近そんなことを思います。
2007年05月07日
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5月になってしまいました。もう6日です。ゴールデンウィークももう終わりですね。一抹のさみしさが残ります。5月は好きです。5月になって、思いました。5月は風が美しいです。とくに夜ですね。5月の夜には、美しい風が吹いている。かおる風、薫風とはよく言ったもので、まさに風が香るのです。香りというのはつまり、思い出ですね。脳で話すと、「嗅覚と記憶はつよく結びついている」なんて表現になるんでしょうが、僕はやっぱり「風が思い出を運んでくる」と言ってしまいます。今日は雨です。すこし気分はふさぎますが、5月の雨も嫌いじゃない。雨がふり、風がかおり、新緑の萌える。5月。もう、5月なんだなあ。
2007年05月06日
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5月5日の里帰り~♪ ということで、ちょっくら実家に戻っていました。一日だけ。今日は、ひさびさに家族5人が全員集まれる日でした。何ヶ月ぶりか分かりません。父や妹が国外にいたり、自分がなかなか帰省らなかったり、戻ってもタイミングがあわなかったり、5人が集まるのは、ほんとうに久々な感じでした。家族というのは面白いなと思った。懐かしくもなんともないのだ。いたって普通。久しぶりにあっても、「おす」くらい。つもる話があるのかといえばそうでもない。「どうや最近」「普通だよ」ってな具合で。逆にいえば、それでいいからこそ家族なのかなと思った。まあうちの場合は「ozekey家の掲示板(BBS)」があるのでそこでそれなりに情報交換していることもありますが・・・。家族は、価値観はみんな違うんだけど、なんか根本が一緒な感じがする。だから極端に会話がいらないのだ。ボソッと言い、ボソッと反応する。それで済んじゃうところがスゴイ。相手のことを気にしているような気にしていないような。「仕事はどうだ」「まあまあだよ」「ふーん」みたいな。ばあちゃん家にも行きました。親族が総勢11人集まっていました。歓談などしつつ、夕飯を食べました。10年以上会っていなかったイトコに会いました。なんか不思議な感じでした。じいちゃんばあちゃんも壮健そのものでホッとしました。ふたりとも、邪気がなくてステキです。家族というのはなんかヘンなものです。ある種の社会なんだけど、やはりそこは社会とは言えないと思うんです。あまりにも一体感がありすぎて、それは心地よいんだけど、そこに一生安住している場所でもないと思うのです。僕は今後、自分の家族を作っていくでしょう。作らない可能性もありますが、作る可能性のほうが高いと思います。というか作りたいな、という思いがあります。それはきっと大変なことなんだろうけど、嬉しいことでもあるような気がしてるんです。もうすぐ25歳だしね。年齢を気にしているわけじゃないが、「今後」を考えてもおかしくない歳なんだなと思ったりする。まあとりあえずその話は置いといて、今日も手提げ袋いっぱいの餞別を持たされて帰ってきたわけです。しばらくは食に困りません。ありがとう。
2007年05月05日
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呼吸をためるというばあい、のど、そして目の奥、それから頭のてっぺんを開放しないと危険だ。呼吸がつまり、頭に血がのぼる。股関節がゆるくないといけない。股関節を奥ませる感じがないとひざを痛める。ひざはまっすぐに踏まないとよくないと思う。股関節の捉えを要研究。
2007年05月04日
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休みでした。昨日の夜は仕事の終わりが12時でした。そのあといったん家に帰ってから、近くの銭湯にいきました。銭湯は気持ちがいいね!帰ってきてから、最近ブームのDVD鑑賞会です。今夜は「ローマの休日」。なんとなく名作が観たい夜でした。・・・こ、こ、こ、これは面白い!ところどころに散りばめられている「表現」がすべて超古典的なんですが、それがまたいい味出してるのね。「名作は巧みならず」という言葉を思いつきました。直球勝負の美しさっていうんですかね。ヴィンテージジーンズの味わいでした。とかなんとか思っていたんですが、途中で眠くなり寝ることにしました。3時ごろ。翌日起きたのは、ボクは10時ごろでした。12時半くらいから上映会再開。残りの半分を堪能しましたが、これがまた面白い!!最高傑作だわ、うん。で、鑑賞会も終わり、そのあとはドライブに行くことにしました。あてもなく、南へ。松阪くらいまで行こうと思ったのですが、ぐるぐる回ったあげく、けっこう近いところに到着してしまいました。砂浜でした。潮干狩りしている家族連れがたくさんいました。かわいたヒトデがたくさん転がっていました。うちのお店と違って、海岸ではヒトデが不足することはなさそうです。そのあとはカラオケに行きました。ハモるつもりが、ただ音程が外れている人みたいになってしまいました。コブクロにはかないません。「小渕」と「黒田」でコブクロって最近知りました。ずっと子宮のことだと思ってました。カラオケで大人げをないことしてみました。夕飯は、あんまりおいしくないと評判の、近くのバイキングに行きました。結果的に「ふつう」でした。満腹です。モトがとれたかどうかは知りません。クレープ作りが楽しかったです。そんな休日でした。明日は仕事です。
2007年05月03日
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Both is better.どちらもが、より良いのです。自由や孤独ということに関して考えていると、成熟した考え方というのは、さまざまな事がらに対して、寛容なのだ。ぼくはその真骨頂が「どっちでもいい」「どっちもいい」だと思うんです。トモダチの多い人生。少ない人生。お金の豊かな人生。お金に恵まれない人生。モテる人生。モテない人生。思想のある人生。何も考えない人生。オトコ。オンナ。仕事に生きる人生。趣味に生きる人生。健康な人生。病を背負う人生。子供のいる人生。子供のいない人生。伴侶のいる人生。伴侶のいない人生。なんとなく相反するようなのを書き出してみましたが、たとえばこれらはどっちでもいいのです。そして大事なのが、他人事として考えないということです。上のような例をあげると、「ボク(ワタシ)も自由だと思う。 もはや価値観をひとつにしぼる時代でもないしね。 他人の人生に口出しはしないよ。人生イロイロだよ」なんていう人が結構いると思う。そして「でもボク(ワタシ)はお金に恵まれる人生がいいけどね」と。これでは意味がないのです。結局こだわっているのです。他人の人生に口出ししないなんて当たり前のことです。それを超えて、「自分の人生にさえ口出ししない」というのがこだわりを捨てるということだと思うんです。「お金に恵まれたい」という欲望は「お金が豊かじゃないのは嫌だ」というのと同じです。そこには「お金ある=OK お金ない=NG」という「判断・評価」があるのです。判断・評価、というのは言い換えれば「勝手な思い込み」のことです。勝手な思い込みにとらわれることを不幸と呼びます。こういうと、「じゃあ、お金がほしいと思ってはいけないの?」と聞きたい人がいると思います。それに答えますと、「お金が欲しいと思ってよい」のです。ただ、その思い込みにとらわれてはいけないよ、ということです。こだわりを持ってはいけない!という考えにこだわることもよくないのです。お金が欲しいならお金が欲しいで、それは悪いこととは思いません。しかし願いかなわず、お金に恵まれないときにどうするかということなんです。「お金に恵まれない。不幸だ」と嘆くか「なんで俺に金がまわってこない!」と時代と世間のせいにするか「俺のチカラがないからお金がないのだ」と自己嫌悪するか。まあけっきょくどれも不幸なんです。「お金=よい」という考えにとらわれる以上は。つまり、こういうことなんです。お金に恵まれた人は「お金=よい」という価値観を持ち、お金に恵まれなかった人は「お金=どうでもよいもの」という価値観を持てばいいということです。どうしようもなく手に入れたいものが、どうやっても手に入らない。その欲しいものは、モノであり、人であり、環境であります。そんなとき、どうするか。現状が変わらないのなら、頭の中を変えるしかないのです。頭の中を変えるときは、はじめ苦しいです。しかし、かならず変わる。かならず、変わることが出来るのです。人間の細胞は一説によれば3ヶ月くらいでまるごと全部入れ替わっているとか。同様に脳みその細胞も入れ替わっているそうです。詳しいことは知りませんが。だからだいたい3ヶ月を目安に考えたらいいと思います。今は苦しいとしても、3ヶ月たてば価値観がかわります。「どうしようもない」ということはないのです。たった3ヶ月待てばいいだけのことです。神経というのはデジタルですから、変わるときは一瞬にして変わるのです。世界は、とつぜん開きます。その考えをささえる言葉がBoth is better.意訳すれば、「選んだ道が正解だ」となるわけです。「どっちでもいい。」最近この言葉が好きなんです。写真はポクポンです。タイのお守りだそうです。ボクにぴったりです。ありがとう。
2007年05月03日
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きっとほんとうの孤独は、何よりもゆたかなのだ。一般的にいって、孤独じゃないような気分がするのは、誰かとわかりあえたような勘違いをしているときだ。誰かが自分のことを認めてくれた、分かってくれた、と言ってはニヤける。しかし、理解されたからといって喜ぶのは、理解されないからといって苦しむのと同じなのである。「理解される=嬉しい 理解されない=かなしい」という考えに固執するかぎり、「(他人に)理解されるかされないか」にとらわれ、一喜一憂をくり返すことになる。ぼくが思うに、もっと自由にならねばならない。理解してくれようがが、理解してくれまいが、「どっちでもいい」というのが自由なのだ。解ってくれと叫ぶでもなく、解るはずもないとスネるでもない。ただ、「理解してくれても、してくれなくてもいい」そうすれば、相手の評価にとらわれることはない。理解者には冷静に「ありがとう」批判者にも冷静に「そうですか」。どっちでもいいのだから、冷静なのである。孤独と自由は背中合わせ。そんな解ったようなフレーズが巷間ささやかれているが、その意味は「自由になりたければ、さみしさに耐えねばならない」みたいな感じじゃないだろうか。一人はさみしいけれど、「自由」だからいいや。みたいな。ぼくは、そうじゃないと思うんです。本当の孤独はなによりもゆたかなんです。他人に自分のことは理解されない!とあきらめてしまうと、「さみしい孤独」になります。しかし「理解してくれても、してくれなくてもいい」という超然とした姿勢であれば、そこに「ゆたかな孤独」が生まれるのです。「分かり合いたい」なんていうこだわりを捨てれば、そこに自由が生まれる。それが「孤」が「個」になる瞬間だ。「孤独=さみしいもの」と思っている人にとって、孤独はさみしいものとなる。しかし「孤独は当たり前の性である」と思っている人にとって、孤独は愛するものでもなく、忌むべきものでもなく、たんに孤独は孤独なのである。人はひとりで生まれ、そして一人で死んでいく。その事実を、愛しいことを思うか、さみしいことと思うか、それとも、それが当たり前だと思うのか。その根本の考え方で、思考や行動も大きく変わってくるのである。
2007年05月03日
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