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茨城に来て2週間くらいになりますが、新店はやっぱり楽しいです。今日、名古屋での研修を終えて3日ぶりにお店に出勤すると棚に商品が入っていました。やっぱり本はいいね!何より美しいよ。本に囲まれるって、幸せだなあ。上司も認めてくれているし、すごく仕事はやりやすいです。本当にありがたいことです。仕事に自信がついてきます。そのせいか今日は地震がありました。さっきネットで調べたらどうも茨城の沖が震源地の模様。震度はたぶん3。お店もかなり揺れました。地震は前の店でイタイ思い出があるのでちょっと怖かったです。まあとにかく茨城に遊びに来てみてください。
2007年11月30日
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26日は18:00まで茨城で仕事をしてました。それから19:00すぎの特急で東京に向かい、22:00すぎには名古屋に着きました。27日と28日は研修でした。やはり同期に会えるのは楽しい。それで今日、21時前の新幹線で茨城に帰ってきました。意外に近いもんです。これから半年は毎月旅行ができて嬉しいなあ。しかも会社のお金です。ごちそうさまです。うーむ、つまらん日記だ。
2007年11月28日
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今日は休日だったので、茨城県は大洗という港町にいってきました。まずはベタに水族館にいきました。大洗アクアワールドという名前らしいです。よかった!!ファンタジーな空間でペンギンやらイルカやらサメやらたくさんいました。やっぱりデッカイ動物はいいね!!それからやはり水中というのはすごいね。陸上生物がいかに重力と戦っているか実感しました。ごはんは、海の幸たっぷりの丼を食べました。大満足でした。それから魚市場も見ましたが、すごい活気!!鮭とかかなり安くて買いたくなるんですが、いかんせんさばく技術がないのでやめました。そのあと、大きなイオンにいって映画見ました。ウワサの「ALWAYS 続・3丁目の夕日」です。こ・こ・こ・これはすごい!!ふたりとも満足度120%越えでした。涙の粒でいったら合計43粒以上流したと思います。いやー、これはオススメですよ。細かいところがシブく昭和でせめてくるしね。家族のあったかさっていうかね、まあ「お金よりも大切なものがある」っていうテーマはあんまり好きにはなれませんが、全体的にじわっとくるんだねえ、これが。とにかく見たらいいですよ。「続」だけ見ても楽しめると思いますが、「1」から見たら最っ高に楽しいと思います。前作からの期待を裏切らない映画です。オススメ度★5つです。明日、朝から仕事して、夕方に仕事を終えてから名古屋に戻ります。休日なんですが、研修です。なので東海圏の方、遊ぶのは無理ですが、27・28日はozekeyが戻ってきていると思っていてください。
2007年11月25日
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昨日から、連れがはるばる茨城まで来てくれています。TOKYO砂漠でかなり戸惑ったらしいですが、なんとかこっちまで無事に来ました。ぼくは仕事もあるので、なかなか相手できないのが心苦しいですが、部屋の片付けや、買い物をしてくれたり、いろいろやってくれて本当に嬉しいです。なので今夜は鍋でも食べにいこうと思ってたんです。それで仕事が終わりしだい電話すると、「ごはん作ったよ」とのこと。「今日はお鍋にしました」鍋キターーーーー!!これはすばらしいことですね。とてもすばらしいことです。帰ったら家の電気もついてるしあったかいし、鍋まであるわけです。しかもぼくが風邪ぎみだとわかると「きんかん湯」を買ってきてくれるこの優しさ!!感謝してもしきれません。なんでこんなにありがたいことが起こるのかしりませんが、うれしいことです。自慢ばっかりしてすいません。
2007年11月23日
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会話というのは面白いですね。ぼくは会話というのがとても好きなんです。昨日気づいたことは、「会話というのは一本の道のようなものなんだなあ」ということでした。すごく当たり前のことなんですけどね。でも人というのはだいたいみんな「話したいこと」というのを持っているんです。それはエピソードであったりトピックであったりするわけですが、「それによって自分が自分であることを証明できうる話題」を「話したいこと」として胸のなかに持っているんです。だから同じ話を何回もするでしょう。さっき話したばかりでも、その隣に違う人がいればその人に話してしまう。それは「話したいこと」というのは「存在証明」そのものだからです。しかし「話したいこと」というのは往々にして内に隠れているのです。それが分かりやすい人と分かりにくい人がいる。「話したいこと」を直接話してくる人はあまりいません。だいたいは前振りをしてきて、それにこちらが乗っかると、嬉しそうに話すというパターンです。たとえば・・・「いや~、今日はマジ身体重いんだよね~」(前振り)「どうしたんですか?」(乗っかかり)「いや、昨日2時間しか寝てなくて」(話したいこと)「最近、電話代がものすごいんだよね」(前振り)「どうしたんですか?」(乗っかかり)「いや、彼女とけっこう話すから」(話したいこと)ありがちなパターンでしょう?特に自慢がしたい場合は、このパターンが顕著ですね。初めから自慢って言えばいいのに、「別に話したいってわけじゃないんだけどさあ、聞きたいなら話してもいいよ」的な。それで「すごぉい」っていうと、「そんなことないって」とか言うわけです。なおさらウザイ(笑)失敗談に見せかけて自慢するな。でも最近はそれも面白いので、あえて乗せるわけです。そして相手が調子に乗っている様を観察する。わるい趣味です。わざと話をそらしたりしてね。短い睡眠時間の話をしたそうな人っていうのは「あ~、今日は眠いな」ということを暗に示してくるのです。それをわざと無視して、他の話に持っていく。そうするとその人は、すごくがんばって睡眠時間の話に持っていこうとするわけです。面白いですよ。けっして自分からは「2時間しか寝てない」とか言わないんです。どうしても僕から「昨日寝てないの?」と聞かないといけないらしい。それで「聞かれたなら答えますけどね」という態度で「いや~、2時間しか寝てなくて」となる。会話というのはじっくり観察するとそういう奥深さがあるんです。会話は一本の道なんです。でも枝葉の部分がある。その一つ一つで相手の「話したいこと」を話させるんです。それが話したいことかどうか、というのも声色の微妙なトーン、顔の表情、仕草などから読み取っていくわけです。これはけっして井戸端会議じゃないんですね。むしろオンディーをふくめたマサル会議なんです。誰か、僕と会話しませんか?(←なんか怖いな)
2007年11月22日
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ぼくは「ありよう」というのが大事だと思ってるんです。ありよう、というのは姿勢です。それが「どのように存在しているか」ということです。存在の仕方、というのは世界のとらえ方を言うのです。たとえばサラリーマンとしてのありようはたくさんあると思うんです。「会社から給料をもらうためにはたらく」「自分の修行としてはたらく」「家族のためにはたらく」「社長のためにはたらく」「たのしいからはたらく」どれが正しいとは言いません。しかし、幸福をつかむためにはまずは自分がどのような視座に立脚してものごとを考えているかを知る必要があります。ありようというのは、姿勢です。姿勢は方程式なんです。方程式、の最たる特徴は「オートマティック」ということです。Xになにかを代入したらYが出てくるということです。努力というのはXに対してやってはいかんのです。どれだけがんばっても、方程式じたいが非効率だと生産性が低いんです。だから効果的な方程式をつくらにゃいかんのです。ぼくらは方程式を作ることに腐心したら楽しいのです。それはどんどん効果的になるからです。代入する数字をいじっても、大した変化はないのです。たとえば足し算でがんばるより掛け算したほうが、ものすごい増え方になるのです。そういうことです。ありよう、という言葉はすこし難しい言葉です。だけど考えてみる価値はあると思います。
2007年11月19日
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恨まないということです。恨むと呪われるのです。茨城に向けて三重を出発した日、ぼくはあやうく運命を呪いそうになりました。大切な人が泣いているのに、それを守ってやることができない。それどころか、自分じしんで泣かせているのです。たとえ故意ではないにせよ、あまりにも心が苦しくて「なぜ、こんな遠いところに転勤に?!」と答えの出ない疑問と格闘しそうになったのです。でも、それは問い方じたいが間違っていると思った。ぼくは思考の枠組みを変える必要があった。「自分が遠くにいくというだけで泣いてくれる人がいるなんて、なんて嬉しいことなんだろう。なんてありがたいことなんだろう」「新店開店を2店舗連続でやらせてもらえるなんてすごいチャンスをもらったものだ」「住んだことのない関東の地にいけるなんてまたとない経験ができる」「ディズニーランドとディズニーシーが近くなった」そうやってプラス面を自分に言い聞かせた。「ありがとう。ありがとう。これでいいのだ」そう思い続けるうちに、不思議と気分も晴れてくるものです。これはすごく面白いですね。恨むというのは、何もいい事がないのです。感謝するということは何も悪いことがないのです。ものごとに「よい」や「わるい」はない、ということを実感することです。じぶんがものごとをどう捉えているかが何よりも大切なのです。世界よりも先に、とらえ方があるのです。そうしたら、恨むことよりも感謝するほうが生産的だということが分かってきます。感謝するには覚悟が必要なんです。「どんなことであれ感謝する」と決めてしまうのです。例外は作ってはいけません。覚悟がないと、「頭」がしゃしゃりでてきて、「感謝することは大事だが、この件に関しては相手が間違っている」などと「判断」してしまうのです。感謝すべきことと感謝しなくてもいいことを分ける。これはよろしくないのです。覚悟を決めたら、何が起ころうと感謝しかしないのです。で、ぼくはまだまだミジュクモノなんですが、その「感謝の生き方」ってのを本で読んで実践してみているわけです。それでもさっそく面白いことが起こりだすのです。前のお店の最後の勤務の日、パートさんがプレゼントをくれたんですが、それが図書カードだったんです。そのときぼくは、どうしても本が買いたかったんです。でも、ほかにいろいろと出費があってお金がなかった。それで、なんとか臨時収入はないものかと思案していたのですが、そんなときに図書カードをいただいたんです。それで関東の地図が買えて、なんとか茨城にたどり着いた。それから茨城は笠間というところに住んでいるんですが、クルマで30分くらいのところに「合気神社」というのがあるんです。これは世界で唯一の合気道の神社なんです。これも非常に運命を感じるわけですね。それから筑波大学も1時間くらいでいけそうです。筑波には武術の超絶的な某達人がいて、その人には3年以上まえに一度だけお会いしているのですが、もしかしたらまた技をかけてもらえるかもしれません。それからそれから、連れがいっていたのですが、なんとディズニーランドもしくはシーのチケットをお母さんからもらったらしいんです。たしかに「せっかく関東に来たから行こうね」とは話していたんですが、まさかチケットをいただけるなんて。ここまでくると、どう考えても偶然には思えません。神様が見てるんだな、ということを実感します。神様の世界は、実は不公平なんです。格差社会なんです。 というのは、満たされている人はなおさら満たされ、不満を言う人は、もっと不満がたまるようになっているのです。ぼくは満たされているので、今後より一層よくなっていくような気がしています。「偉大なる何か」はおそれおおいです。でも、とてもやさしいのです。神はいつも見守っておいでです。それはとてもありがたいことなのです。ぼくらは何をする必要もありません。神のご意向のとおりに世界がまわるとき、ぼくらはこれ以上にない幸福になるのです。だから神を恨んではいけないのです。この考え方は宗教にも思えるかもしれませんが、ぼくのなかでは科学なんです。まあまた「奇跡」が起こると思いますので、おってご報告いたします。
2007年11月19日
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やっとネットがつながりました。茨城県、めっちゃいいところです。おっていろいろご紹介します。とりあえず、今日は事務処理がたくさんあるのでこれくらいで。
2007年11月19日
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あと数十分で、引越し屋がきます。そしたら荷物を搬出して、我が家はもぬけのからになります。そのあと荷物が出発、ぼくは今日は連れの家に泊まって明日の朝はやくに出発します。ほんとうにこの部屋にはお世話になりました。ぼくの三重での生活がすべて詰まっている。一生忘れない部屋です。いっぱい写真を撮ってしまいました。昨夜、部屋にありがとうと伝えていたら、何か部屋がしゃべっている気がしました。ありがとうは、今を生きるための言葉なんです。けっきょく、今を生きるってことは今を大切に生きるということです。今を大切に生きるってことは、今が大切だと知ることです。実感することです。今が大切だと実感するには、今が「当たり前ではない」と気づくことです。いつもどおりの、毎日の、ふだんの、なにげないことひとつひとつがすべて世にも稀なる奇跡なんだと、真におもうことです。そのとき、どんなに自分が恵まれているかを悟るのです。どんなに自分が守られていて、どんなに自分が愛されているかを知るのです。そしてその奇跡を大切にしようと心から誓ったとき、いつなんどき、何が起きても後悔しない生き方ができます。それに未来への不安もなくなります。奇跡なんだ。稀なんだ。あまりないことなんだ。その思いが「ありがとう」なんです。ありがとうは、訳すと、「いやー、こんなことは奇跡ですよ」という意味なんです。今、ここにあることの奇跡。それがけっして当たり前などではないという事実。そうしたら、今の状況への不平やグチ、そばにいる人への不満、境遇を嘆いたり、イヤミをばらまいたりしなくなるでしょう。転勤にともなう引越しはいろんな大切なことを教えてくれます。ほんとうにありがとうございます。
2007年11月14日
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今日は、いま勤めている店舗での最後の勤務でした。もうあまり仕事もないので、パートさんやバイトさんとたくさん話をしました。(仕事しないでごめんなさい)いろんな秘密を暴露したりされたりしました。というかバレバレだったらしい。ぼく、顔に出るから・・・。ウソはつけない性格です。なにはともあれ、多くの人に旅立ちのあいさつができてよかったです。勤務日じゃないのにわざわざ遊びに来てくれたバイトの子もいました。みんなに感謝の気持ちを伝えれば伝えるほど勇気がみなぎってくる気がして、不思議な気持ちでした。今のお店は新店ということで、みんなゼロからのスタートだったんです。だから最初は大変でした。みんな一生懸命なんだけど、やっぱり人間だから齟齬やすれ違い、誤解やぶつかりがあったりもしました。それに今思えば、その多くに僕が関わっていた。でもパートさんバイトさんは未熟な僕を立てて、ほんとうによくやってくれたと思います。心からありがとうと言いたいです。さて、それから家に戻りました。そしたら、じゃーん!すごいものが準備されてるじゃありませんか。(下の写真参照されたし)※ここからはいつも以上にのろけますので、 そういうのが嫌いな人は読まないように。ちょっと写真じゃわかりづらいんですが、写真がおっきな額に入ってるんです。それから「おつかれさまでした」のケーキと、ちいさなアルバム、手紙の一式です。ちなみに左下の写真立てはパートさんにもらいました。はじめはあまりにビックリして頭がまわらなかったのですが、アルバムの写真に添えてある詩(ことば)を読んでいるうちにとめどなく涙があふれてきました。今までいつも一緒にいたのに、突然500kmを越える距離になってしまうわけです。さみしくないわけがありません。泣き虫のカノジョは毎晩泣いてばかりでした。でも、今日はこんな詩をくれたんです。(実際は写真に書き込んであります)ふしぎだねお互いのふるさとでも ゆかりの地でもなくいつも なんにもないねって文句ばっかり言ってたこの場所がいつの間にかこんなに好きになってたよこんなに大切な場所になってたよ夕日はデートの終わりがもうすぐのような気がして私は好きじゃなかったんだでもねあなたと同じ場所に帰れるんだって思ったときたまらなく幸せな気持ちになれたんだだから私あなたと見る夕日は大好きだったよあたし がんばるからねこのけなげさに、どうもぼくの涙腺が破裂してしまったらしく5リットルくらい涙を流してしまいました。どうしようもなくさみしくあてどなくかなしくそしてなによりもうれしくて、ぼくは声をあげて泣きました。泣いて泣いて泣きやんだらすこし元気になったので日記を書いています。やっぱりさみしいです。それにウソはないです。でも一緒に暮らしたこの10ヶ月の生活に悔いがないというのもウソじゃないんです。ぼくはこの生活がいつか終わるのを知っていたんです。だって転勤族だもん。だからその日に後悔しないよう、死ぬ気でカノジョを大切にしてきました。そう胸を張って言えます。「たかが結婚ごっこだ」オトナはそう言うかもしれない。けれどぼくは、今は今で一生懸命やってるんだから笑われてもそれでいいと思ってるんです。いま流している涙をぬぐって一歩一歩オトナになればいいんだと思うんです。愛する人よ 心からありがとうかならずお前を迎えにいくだから すこしだけ待っていてね
2007年11月12日
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ものごとを終わりから考えるのである。はじまったものは終わる、という大原則があります。ついつい僕らは「いま」に目がいきがちです。いや、「いま」ではない。ほんのすこしの未来に。わずかばかりの過去に。視点がせまくなってしまうのです。近視眼的、というやつですね。そうすると「意味」がわからなくなるし、それで、精一杯の一生懸命になれなくなる。「終わり」を考えてみてください。生ならば死を。出会いならば別れを。就職ならば退職を。そのとき「わが人生に一片の悔いなし!」と言い切れるだろうか。ぼくはけっきょくそれに尽きると思うんです。一生懸命だったら結果は関係ないんです。後悔するかしないかの最大の違いは、やるだけやったのか、やらなかったのかだけです。メメント・モリ!!「もっと愛せばよかったと悔やむことはあっても、 愛しすぎたと後悔することはない」これは以前思いついた言葉ですが、間違っていないと思います。大切にしてください。小さな、ひとつひとつの、あたりまえの出来事を。そのとき、「あたりまえ」が当たり前でなかったことに気づくのです。ありがとうございます。
2007年11月11日
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11月8、9日で、転勤先の物件の下見にいってきました。場所は茨城県は笠間市。朝8時ごろに出発し、近鉄で名古屋へ。それから新幹線でTOKYOへ向かいます。車内で、ルービックキューブが完成しました。もちろん解析本を見ながらの攻略ですが、うまれてはじめて完成したので、感動も一入(ひとしお)です。TOKYOから山手線で上野まで。上野からは常磐線というので茨城のほうに進みます。ぜんぶで6,7時間の行程だったでしょうか。友部という駅で不動産屋さんが待ってくれていて、そのクルマで4件ほど下見をしました。そのあと、TOKYOに戻りました。もう時間も9時をまわっていたので、その日は泊まることにしました。でも宿の手配をしてなかったのです。TOKYOなら、すぐにホテルくらい見つかると思っていました。でもぜんぜんない。宿が見つからないのです。駅近くだったり、近隣の駅周辺で探すんですが、みんな満室になっているんです。とても意外でした。でもなんとか電話を続けるうちに空いているホテルがありました。水道橋駅から歩いて7分のところだそうです。さっそくそこまで移動します。ホテルはきれいなところでした。ビジネスホテルなんですが、ちっちゃな温泉みたいなのがついていて、部屋にはマッサージ機がありました。翌日は朝10時ごろにホテルを発ち、TOKYOに戻ります。それから上野動物園に行きました。もう下見は関係ないです。ただのTOKYO観光。動物園おもしろいね!!ゾウさんが好きです。ぱおーん。トラとかライオンとかカッコイイ。コンドルカッコイイ。サルの小さいの可愛い。ああ、あとパンダね!まるでギャルメイクのような顔してるね。目の周りが真っ黒だもん。動物園のあとは浅草にいきました。金色のウンコみてきました。それから仲見世どおりで食べ歩きなんかしたりして。また試食でお腹がいっぱいになりました。ぼくらはいつも試食で満腹になってしまうのです。学習能力がないらしい。で、TOKYOに戻りました。あとは帰るのみです。名古屋経由で三重まで帰ってきました。それが7時くらいかな。そのあと家でちょっとしたサプライズがあって、ぼくはもう耐えられませんでした。胸がいっぱいになるというのはこういうことなんだとすごく実感しました。ほんとうに、ありがとうね。そのあと、勤めている店舗の社員とバイトの人たちが送迎会を開いてくれました。目当ては焼肉だと思いますが、思ったより多くの人が来てくれてほんとうに嬉しかった。それで12時過ぎまで焼肉を食べて、5時までカラオケで歌っていました。朝は8時ごろに起きたのでちょっと眠いです。お昼から出勤します。怒涛の2日間でした。すごくすごーくいろんな思いが去来します。遠さ。孤独。新しい仕事。新天地。どこに意識の照準をあわせていいか悩んだりします。いちばん泣かせたくない人を、守るべき人を、泣かせるのは苦しいことです。たかが転勤など、日本中の多くの人が経験していることなんだけどね。感傷にひたって、ちょっと自分を特別扱いしてみたくなったりする。「今度戻ったら一緒に暮らそうやっぱり二人がいいね」昨日は、GLAYの「HOWEVER」を歌いました。「『どんなに』遠く離れていても あなたを感じてるよ」ぼくは、そういう二人でありたいと思う。「あなた」と描いた未来が、現実になりますように。
2007年11月10日
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おまえにぼくの大嫌いな「約束」をあげよううそをつくのが嫌いだから約束はなるべくしたくない守れない約束なら しないほうがいい未来はいつも白紙でなにがおこるかわからない決めておかないほうが ラクなこともあるけれど ぼくはおまえに「約束」をあげようあの日 覚悟を決めたからあとは この道を歩くだけだ
2007年11月08日
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人にはクセがある。ぼくらはクセで決まる。クセは構造だ。クセは方程式だ。クセは身体だ。クセは行動だ。クセで勝つ。そこに努力はいらない。よいクセをつける努力は怠ってはならない。
2007年11月07日
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転勤の 辞令であおぐ いわし雲というわけで、転勤が決まりました。行き先はなんと、茨城県!!新たに支店ができるというので、そこのスタッフに抜擢というわけです。左遷じゃないよ、栄転だよ!(笑)いろんな思いが去来します。涙も流しました。でも、茨城での生活はきっと楽しいと思うんですね。もちろん大切な人と離れるのはさみしいです。というかそれがいちばん苦しい。それに家族のことも気になります。だけど、どうしたってうまくいくんだから、ヘタな心配はしていないんです。はじめは苦しくても、すぐに脳も身体も慣れます。だから怖がることはないんです。未来には、楽しいことしか待っていない。運命にさからうのは得策じゃありません。運命に乗ったら、それがいちばん楽しいんです。人事課長もものすごいチャンスをくれたものです。それでつい「ありがとうございます」って言ったら、逆に「ありがとうございます」って言われて、「それ、どういう意味?」と詮索してしまった。やっぱり関東に行きたがる人は少ないらしい。まあ、うちの支店のなかでも最北端だからねえ。ちなみに今は、かなり南のほうです。まあ正直、ぼくだって今の生活が終わるのはさみしいです。でも、その感情に飲まれて、人生が開けていくのを止めるのはもっと嫌だ。たぶん、これからどんどん加速して開けていくでしょう。そのために、いろいろ溜め込んできたんだもの。いま勇気出さなかったら、もう今後一生出す機会ないよ。それで言い訳しながら生きていくんだ。そんなのは嫌だ。ぼくは素直に生きたいんです。「直人」の名の通りにね。この名前をつけてくれたおかんにとても感謝しています。15日にはこちらを発ちます。お世話になったみなさん、ありがとうございました。
2007年11月05日
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どうせうまくいくんです。だったら心配しても損なんだ。「きっと、うまくいく!!」なんてリキむことはないんです。だって、どうせうまくいくんだから。うまくいくに決まってるんです。なぜって言われてもわかりませんが、うまくいくとしか思えないんです。このまえ、世界は愛で成り立ってるんだなあとなんとなく思いました。運のよい人間に生まれてきて幸せです。ありがとうございます。
2007年11月05日
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「これまでと違うように生きてみる」、というのは非常におもしろい考え方だと思います。ぼくらがどうやって生きているかといえば、思考よりも「クセ」で生きているわけです。それもそのクセがあまりに当たり前になっているので、クセで動いていることにすら気づかず、ぼーっとすごしているわけです。わるいことじゃないんですけどね、クセは大切なんです、実は。クセの反対言葉は「考える」です。考えすぎちゃぁ、動けないんです。ぼーっとしても動ける、生きていかれるのはクセのおかげなんです。でもそのおかげでいったん負けグセがついてしまうと負け続ける。いわゆる「ふられグセ」「ダメ男にハマる」というのも、その仲間ですね。合気道がずーっとうまくならないのも動きのクセがついているからなんです。やっぱりクセをつけるからには勝ちグセをつけたいものです。そしたらしあわせです。負けグセを抜くには、考えるしかありません。クセっていうのは言い換えれば選択パターンなんです。右と左の道で選択をせまられるといつも右を選んでしまうとか、青と赤だったらぜったい赤とか、大きいのと小さいのだとかならず大きいほうを選ぶだとか。そういう選択パターンがあるんです、ぼくらには。で、負けグセっていうのはその選択パターンがいつも間違っているということなんです。くわえてそのパターンに気づかずに毎回負け続ける、というのが負けグセです。じゃあ、どうすればいいのかといえば、それが「違うように生きてみる」ということです。たとえば高いパンと安いパンがあったら、いつもケチって安いパンを買ってしまうのをおいしそうな高いパンを買ってみるとか、いつも恋人を信じることができなくて、ケンカになって別れるのなら信じるフリだけでもいいからしてみるとか、本を読まない人なら、無理にでも読んでみるとか、そういうことです。違うように生きてみる、というのははじめ苦しいのです。それは自分が変わるからです。壊れるからです。でもその選択肢が正解であれば、かならず気持ちよくなってくる。今までが間違っていたのにある選択パターンを覚えると、次からは楽勝にただしい道を選べるようになる。何度も何度も「違うように生きてみる」をやっているとだんだん苦しいのも楽しくなります。それは自分がほどけてくるからですね。一回目は、ほんとうに自分が崩壊するという感じでも、壊れるのと作り直すのを繰り返していくうちに、壊れるのはおそれるようなことではないと分かるようになり、自分を壊すのが楽しくなってくるのです。いつも「いい人」になってしまって恋愛が成就しない人はゲームのつもりで「悪い人」を演じてみるのです。そしたら実はそれが勝ちグセの選択パターンかもしれない。もちろんその選択肢も間違っているかもしれないけれど、どうせ今は負け癖がついているので、失うものは何もないのです。そう、どうせ負けグセなんだから、いろいろ「違う生き方」をやってみればいいのです。それが幅になる。僕は「違う生き方をやってみる」には出会いが大切だなあと思うんです。ほら、すぐそばにいるでしょう。あなたと価値観がまったく違う人が。その人を排除しますか?その人に自分をぶっ壊してもらいますか?桃色の愛があれば、ブラックな愛もあるものです。どこまで飲み込めるか。それが問題だ。
2007年11月04日
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やはり何につけても捉えかたの問題なのだ。目は曇っているのだ、つねに。誰かがどう思おうと関係ないのだ。ぼくらはぼくらを評価している。内心で。しあわせになれない人というのは、自分に言い訳しているのです。たとえばストレスというのも捉え方なんです。ストレス要因というのが現実にあるわけではない。たとえばこのブログを読むのが苦痛の人もいれば、楽しんで読んでくれる人もいる。だからこのブログの価値というのは読む人が決めるわけです。とらえ方というのは実におもしろくて、さっきのストレスの話だと、よく「ストレスに弱い」なんて言い方をしますが、これもとらえ方の問題なんです。ぼくは自分がそんなにストレスに強いほうだとは思いません。とても敏感です。鋭敏です。過敏です。ビンビンです。(写真参照↓)だからすぐに身体が反応するんですね。なにかあると食欲がすごく減退します。でもその自覚があるから、行動が変わるんです。たとえば何か発表しなければならないことをみんなそれぞれが持っているときに、「では、発表したい人」と言われるといちばんに手を上げることが多いです。なんでかっていったら、当てられるのを待ったり、誰かが発表しているあいだに緊張が続くのが嫌なのです。だから自分から攻めて、真っ先に手をあげて、嫌なことは先に終わらせて、ホッとして他の人の発表を聞くわけです。どうでしょう、合理的でしょう?緊張に弱いと嘆くまえに、どうすればそれをカバーできるか考えるわけです。それからぼくは根性がないんです。ガマンしたり、耐えたりということが不得手です。だからとても計画的だし、工夫もする。自分の欠点が分かっているので、それが露呈しないような行動をとるということです。そういうのをまとめてみれば「なげかない」ということになるんじゃないかと思います。嘆息しない。いわゆる「悪い状況」を中継しても仕方ないんです。「さむい」と嘆くまえにコートを着ればいいのです。それが行動する、ということです。行動すると、とらえ方が変わるんです。すべてが修行になるんです。「考え方・思い」など「こころ」を「こころ」で変えることはできないんです。かなしいときに「かなしくないぞ」と言い聞かせても効果はない。心は心に無力なのです。心に聞くのは行動だけなんです。それもいい結果を「前提」にした行動だけが、幸せをはこんでくるんです。前提っていうのは大事でね、最近は大切にしている考え方なんですが、「〇〇になる!」というのではなく、「もうすでに〇〇である」という前提で行動するというのがあるんです。これは本で読んだんですが、やってみると面白い。たとえば「仕事ができる人」になりたければ「自分は仕事ができる人だ」という前提で仕事をするわけです。「自分はモテる」というのでもいいし、「自分は金持ちだ」というのでもいいと思います。とにかく「結果」であるはずのことを「前提」にしてしまうのです。ちょっと今日は時間の都合もありここまでにしますが、「前提にする」というのは思っているより面白いし、思った以上に効果があります。またこの話は書きます。
2007年11月04日
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納豆まみれになったらどうしよう。
2007年11月03日
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すべてがうまくいくんだなんでかってすべてがうまくいくようにできているからしあわせがいっぱいだしあわせはなくならない手にしたしあわせは すぐにきえていくだけどここにあるしあわせはずっとしあわせのままでなくなったりはしない何にも持たない人はなくしたりしない何にもないことがほんとうのゆたかさなんで何にもないのかといったらすべてはここにあるからですないものは ないんですあるものしか ないんですあるものだけが あるんですそれでいいのに何をもとめているのかなあこれでいいんです神様ありがとう
2007年11月03日
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変わらぬことなど ないのだとどまり続けることなどしょせんは無理な話なのだ誰もが知っている 分かっているそれを認めるか認めないかだ
2007年11月02日
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イメージというのはもう日本語みたいになっています。みんながイメージイメージと言っています。でもどうも定義がはっきりしないのですね。ぼくは訳すのなら「具体像」が良いと思います。想像してごらん。具体像というのは、細かくわかるのです。たとえば、「成功する」というのでも、ぱっと言われると「なんかいい家といいクルマ」とかを想像するわけです。それが自分や他人からの質問で、くわしく、つまびらかになっていく。「いい家って何坪くらい?」「ペットはいるの?」「マンション?デザイナー住宅?」「キッチンの広さは?」という感じに問いかけていくことで、あいまいな夢がイメージ<具体像>になってくる。想像してごらん。イメージは、音訳すれば「意明示」だと思います。「意」、想っていることを「明示」、はっきり示す。こんな当て字みたことないでしょう?いま思いついたんです!!まさにイメージ維新です。言葉とイメージは一体です。言葉というのは発される段階ではなくて、言葉になる瞬間がいちばん大事なのです。言葉が生まれる瞬間に瞠目せよ!!なぜその言の葉が生まれたのかが、なによりも大事なのだ。想像してごらん。誰かの話を聞くとき、本を読むとき、ぼくらは言葉をイメージにするのです。イメージにならない言葉は意味がない。言葉をイメージ化するのは訓練でできます。たとえば僕はラジオ放送で野球を聞いても、いったい何を言っているのかさっぱりなのです。でも分かる人は、中継の音声だけでその場の臨場感さえも感じることができる。ぼくの場合はイメージ化が遅いのですね。脳、それも左脳を介してしまう。「ウチュウカン」と聞いて、「宇宙観?右中間か。右はライトだから、一塁のほうなのかな」なんて考えてしまう。そのうちに次の言葉が入ってきて聞き取れない。でも、本を読むのは割りと早いほうです。いわゆる速読術はできないんですが、遅い方ではないと思います。それはよく本を読むからですね。野球のことを知らないので、それはイメージ化できなくても興味のある分野の文字をイメージするのは早い。それは訓練によってできたのです。意明示能力は高めることができる。ぼくはそう思ってるんです。子供はそういう能力が低いんです。実は。「子供=語彙はなくともイメージはすぐれている」なんてまことしやかに言われていますが、ほんとうにそうでしょうか。小学校の頃、先生から保護者あてのプリントが配られますが、子供ってあれが読めないんです。大人になって読んでみると、実にカンタンなことしか書いてない。懇談会があるのでいついつに来てくれとか、給食費が上がりましたとか書いてあっても、めんどうな単語が並んでいるので、子供は読めないんですね。それは僕が六法全書や物理学の本が読めないのと同じです。ひとつひとつ読んでいけば、そんなに難しいことはないはずなんです。でも、読めない。それはその分野に対する知識や興味や語彙がないので、ひとつひとつイメージ化するのが頭に非常な負担をかけるからです。「学生のころ読めなかった哲学の本が、ふつうの社会生活で、ふつうの苦労をしたら読めるようになった」と内田樹さんが何かの本で書いてました。さもありなん、という感じです。話相手のことばをイメージ化する経験が重なれば、自然と難しい本も読めるようになるという仮説が成り立ちます。真偽のほどはおいておいても、面白いと思いますね。想像してごらん。イメージするのです。意を明示するのです。うけうりで、「日本語はあいまいだ」なんていう人は誰ですか。日本語はあいまいで、英語は論理的、というのはウソです。ことばはすべてあいまいなんです。「言葉があいまいだ」という前提のもとに話をすることで、はじめてわかってくることがある。「けさ、パンを食べたよ!」と言われて分かった気になる人は、ことばをわかっていないのです。相手が食べたのは、ジャムトーストだと思い込んでいるのです。でも実は相手はロールパンを食べていたりする。それか相手に興味がないのですね。「おまえが今朝パンを食べた?知るか!」と思っていると、「何パン食べたの?」とは聞かないんです。それを思うと対話というのは世間ではなかなか見られない現象です。たいていはどちらかが話しているだけ。もしくは、お互いが一方通行。いつもの自分を想像してごらん。あなたは、目の前の人とちゃんと対話ができていますか?
2007年11月02日
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有頂天ホテル観ました!!はじめての三谷幸喜。ああ、見事。三谷さんの見た目のまんまの映画でした。うつくしい論文を読むようなイメージ。それか数学のすばらしい証明のような。パズルがなぜたのしいかを説明するような映画でした。ぼくとしては、それだけで十分なので、さりげなくメッセージ性を入れられると辟易してしまいます。でも、面白かったな。YOUの歌がステキでした。
2007年11月02日
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仏教で戒めるべき状態のひとつに「法我」というがあるそうです。そのまえに「人我」というのもあって、それは、自分の考えにとらわれることを言うそうです。それで「法我」というのは、たとえ正しい教えであっても、それにとらわれることなのだそうです。仏教は正しいか正しくないか以前に、とらわれるかとらわれないかが問題なわけです。これはドキッとしました。まさしく僕は法我だったのではないかと。最近、といってもまあ1ヶ月以上まえだと思いますが、ある人に言われてすごくショックだったセリフがあって、それは「たしかにあなたは本をたくさん読んで 色んなことを知っているかもしれないけど、 知らない人を見下すのをやめて」といった趣旨のことだったんです。あまりに的確な指摘で、腹が立つやら悲しいやらまさにグウの音もでなかったです。自分より他人のほうが見えていることは多いのかもねと思った瞬間でした。ほんとうに他人の指摘というのは的確なものです。かなり傷つきます。でも事実は事実なわけです。たとえ僕が心の中で人を見下していようといまいと、また見下している態度をとっていようといまいと、相手がそう感じたらそれが相手にとっての真実なわけです。まあたしかに色んなことを分かった気になってますからね。だって「正しい教え」はそこら中に転がっているんです。だから本をすこし読めば誰でも「知る」ことができます。でも、それを口に出してはいけないということですね。「言う」のではなく、「実行する」。それから「正しい教え」を押し付けないこと。「これが正しいのだ」はイコール「おまえは間違っているのだ」です。正しい教えにとらわれると、すべての人間を否定してしまいます。完璧な人間などいないからです。「とらわれない」自由自在の境地に、いってみたいなあ。
2007年11月01日
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ドミナント戦略というのがあるそうです。小売業のチェーン展開で、ある地域に集中して多店舗を出店する政策のことらしい。それを読んでいて、「ああ、これは読書法にも通じるな」と思った。というのは僕のばあい、なにかテーマを決めたら、それに関連する本を2,3冊買って勉強するというパターンが多いのです。禅のときも般若心経のときもそうでした。とりわけはまっている現代思想と呼吸法はもっと7,8冊くらい買って読みました。やはり1冊だと、物足りないのですね。本は「誰か」が書いたものですから、ひとつの偏見にすぎないのです。それが2人の話を読んで共通した部分があったら、その部分は普遍性が高いということがわかります。(もちろん「真実」ということでありません)逆に3冊くらい呼んで、各著者がおのおの勝手なことを言っている部分もわかります。呼吸法なんて、みんな言いたい放題です。たとえば「呼吸法の分類」などは本の数だけあって、みんなけっこう適当なことを言っています。呼吸法の種類は3種類と書いてあったり、1000種類と書いてあったりします。そういった「事実」もやはり比べながら読むことで見えてくるところがあるんですね。一冊の本だと、分かった気になるんですが、どうしても偏る。人間である以上、かたよりは仕方ないのですが、偏っていることに気づけないのは怖いのです。だからぼくの場合は大きくいえば「東洋」という観点から攻めています。というのはふつうに現代ですごしているとどうしても西洋的なものの見方になってしまうのです。でも自分が西洋的だとは誰も気づきません。東洋のことを少しでも知って、それではじめて自分の思考様式が西洋的だと気づくわけです。ぼくにとって、「むかしの日本」というのはとても新しかった。新しい観点だった。それで衝撃をうけ、本を読んでいるわけです。それで、似た本を読んでいるといろいろつながってくる部分があるのです。それで理解が深まる。合気道、禅、呼吸法、般若心経、東洋医学、陰陽五行・・・これらの考え方に共通点が見えてくるのです。そうすると、その共通点は意外に西洋にも通じていたりするのですね。それがポンっポンッとさまざまなジャンルの本を読んでいると、なかなか共通点も見えてきにくい部分があると思うんです。禅を1冊、デカルトを1冊だったら、ぜんぜん違う考え方に思えてしまって、共通点を見出すどころでなくなってしまう可能性が高い。だから読書のドミナント戦略で、ある考え方をあらかた理解したうえで、次の観点の勉強しないと、浅薄な雑学的知識がついただけで終わってしまうような気がします。というようなことを僕はやっています。みなさんは、自分なりの読書法がありますか?よいのがあったら教えてください。
2007年11月01日
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「できない」という言葉はぼくはとても嫌いなのです。「できない」ってなんだよ、と思います。「〇〇ができない」と誰かが言ったとします。その場合、言われた人はなんと言えばよいのでしょうか。ぼくだったら、「で?」と言ってしまいそうです。それは自分に対してもそうです。「〇〇ができない」「で?」「じゃあ、できるようにするにはどうすればいいのか?」「まず『できる』という状態はどういう状態を言うのか」「そのために、何が必要か」「それはいかにして手に入るか」「その(目標達成の)ためにいま、できることはなにか」というふうに考えます。おもしろいことに、大きすぎてできないことのなかには、かならず小さくてできることが含まれているのです。「できない」というのはぜったいに発してはいけない言葉なんでしょう。もちろんぼくも、途方もないことを要求されるとつい「できない」と言ってしまうこともありますが、言ってもどうしようもないのです。「できない」という言葉は自分で自分を袋小路に追い込んでしまうのです。自分で掘った落とし穴に、みずから落ちていくようなものです。合気道でもそうです。「四方投げがうまくできないんです」という初心者の方はなにか勘違いしています。ことばの使い方があいまいすぎるし、それも自分をマイナスの方向に持っていっています。そもそも「うまくできる」というのがありえない考えです。どんな技も、完成や終わりがなくて、どこまでも磨いていけるのです。「入り身投げを覚えたよ」と言っていいのは幼稚園児や小学生が「型の手順」を覚えたときにだけ使っていい言葉です。幼稚園児と「ぼく、小手返しもできるの?」「うん、できるよ!昨日おしえてもらったの!」という可愛い会話をするのはわかります。でも二十歳を越えた人が「呼吸法がヘタなんです」なんていうのはまったく理解不能だ。そういう人はだいたい本当にへたくそで、「ヘタですね」って言われるのが嫌で自己防衛しているだけなのだ。(同義語:「最近稽古してないからなあ」)そうか「できない」と嘆いたりへこんだりするのは自己防衛なんだな。おもしろいことに防衛機能を働かせれば働かせるほど、周りから攻撃されるのだ。みんな、そこに殻があると割りたくなるんです。「できない」なんてへこんでるヒマはないんです。やればいいんです。分割すればできるんです。一ミリでいいから、一歩を踏み出すことです。「励ましてもらいたい」なんて、甘えてる場合じゃないんです。自分の足で立って、自分の足で歩くしかないんです。「できない」なんて言いたくない。
2007年11月01日
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