PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
執事・管領の一覧
執事 高師直 (1336年 – 1349年) 高師世 (1349年)高師直(1349年 - 1351年) 仁木頼章 (1351年 – 1358年) 細川清氏 (1358年
●管領 ・ 斯波義将 (1362年 – 1366年) 細川頼之 (1367・年 – 1379年)斯波義将(1379年 – 1391年) 細川頼元 (1391年 – 1393年)斯波義将(1393年 – 1398年) 畠山 基国 (1398年 – 1405年) 斯波義重 (1405年 – 1409年)斯波義将(1409年) 斯波義淳 (1409年 – 1410年) 畠山満家 (1410年 – 1412年) 細川満元 (1412年 – 1421年)畠山満家(1421年 – 1429年)斯波義淳(1429年 – 1432年) 細川持之 (1432年 – 1442年) 畠山持国 (1442年 – 1445年) 細川勝元 (1445年 – 1449年)畠山持国(1449年 – 1452年)細川勝元(1452年 – 1464年) 畠山政長 (1464年 – 1467年) 斯波義廉 (1467年 – 1468年)斯波義廉(西幕府)(1468年 – 1477年)細川勝元(東幕府)(1468年 – 1473年)畠山政長(東幕府)(1473年)畠山政長(1477年 – 1486年) 細川政元 (1486年)畠山政長(1486年 – 1487年)細川政元(1487年)細川政元(1490年)細川政元(1494年 – 1507年) 細川澄之 (1507年) 細川澄元 (1507年 – 1508年) 細川高国 (足利義晴方)(1508年 – 1525年) 細川稙国 (1525年) 畠山義堯 (1526年) 細川晴元 (1536年 – 1549年) 細川氏綱 (1552年 – 1563年)
室町時代の3代将軍 足利義満 が定めたとされる管領職に就任する家柄のこと。
「応永5年(1398年)、足利義満が朝廷の五 摂家 七 清華 に習って武家の「 三職七頭 」を定めた。所謂三職は 足利氏 一門の 斯波氏 ・ 細川氏 ・ 畠山氏 であり、 三管領 (執事別当)と号した。
七頭 は 山名氏 ・ 一色氏 ・ 土岐氏 ・ 赤松氏 ・ 京極氏 ・ 上杉氏 ・ 伊勢氏 等であり、そのうち山名氏・一色氏・赤松氏・京極氏を京都奉行( 侍所 別当)とし 四職 と号した。奏者は 伊勢貞行 とされた。また 武田氏 ・ 小笠原氏 の両人を弓馬礼式奉行とし、 吉良氏 ・ 今川氏 ・ 渋川氏 らを武頭とされた」(『 南方紀伝 』)。
三管領の3家には嫡流の宗家と庶流の分家があるが、管領を代々任じられるのは宗家であり、それぞれの嫡流当主が歴代通称とした官途の 唐名 を元に、「 斯波武衛家 」(代々 左兵衛督 )、「 細川京兆家 」(代々 右京大夫 )、「 畠山金吾家 」(代々 左衛門督 )と称し、それぞれ管領(斯波、細川、畠山)家または(斯波、細川、畠山)管領家とも呼ばれる。
三管領の3家はそれぞれ分裂し戦国時代を激しく戦ったが 安土桃山時代 まで生き残り、それぞれ残った当主の 細川昭元 ・ 畠山昭高 ・ 斯波義銀 は 織田信長 の親族と縁組をし信長の義兄弟・準義兄弟となることによって政治的にも重要度を回復した。後に 豊臣政権 に移行した後も、高貴な家柄の末裔として厚遇されることとなる。
江戸時代 は 高家 として 江戸幕府 に仕える家や、大名家の家老職として地方に下る家など、独自の運命を辿った。
北畠四管領
室町時代に 伊勢国 に勢力を有した 国司 大名 北畠氏 の一門かつ重臣の中で特に有力な者を四管領と称した。 北畠四管領 、 伊勢四管領 とも。
3、「斯波 義将」 (しば よしゆき)は、 南北朝時代 から 室町時代 の 武将 ・ 守護大名 。 斯波氏 5代当主。 室町幕府 創業の元勲である 斯波高経 の4男で 室町幕府 初代、3代、5代、7代 管領 。 越前 ・ 越中 ・ 信濃 守護。
幼少より父・高経の偏愛を受け、父の後見と推薦もあって13歳にして幕府管領職に就任する。後に父の失脚と同じくして自身も都を追われたが、まもなく復権し、政敵の 細川頼之 を 康暦の政変 にて失脚させると管領に再任。
以後、 足利義満 ・ 足利義持 と2代の室町将軍を補佐し、およそ30年間にわたって幕府の重鎮であり続け、斯波氏の最盛期を築いた。
l 斯波 高経 (しば たかつね)は、 南北朝時代 の 武将 、 守護大名 。 越前 ・ 若狭 ・ 越中 守護。 足利氏 の有力 一門 ・ 斯波氏 (足利尾張家)4代当主。
l 元弘 3年( 1333 年 )の 足利尊氏 の挙兵に従って 鎌倉幕府 に反旗を翻し、 建武政権 において越前守護職を得たが、後に尊氏が建武政権に反するとこれにも従って 北朝 軍の有力武将となる。
l 北朝では 北陸 方面の司令官として活躍し、 南朝 軍の有力な司令官であった 新田義貞 を討つ功績を上げた。
l やがて 観応の擾乱 が起こると 足利直義 陣営に属して尊氏と戦うが、この間に尊氏、直義両陣営の間で離反と帰参を繰り返した。尊氏の死後、一時 室町幕府 の最高権力を得たものの、まもなく 佐々木道誉 らの策謀により失脚。洛中を落ちて越前 杣山城 にて失意の中病死した。
l 斯波氏は足利宗家4代当主の 泰氏 の長男・ 家氏 から始まる名門で、成立当初より「足利」の名字を公称し、家氏以降の代々の当主が尾張守を称したため 足利尾張家 と号するなど、他の足利一門とは一線を画す高い家格を有した。
l このため「足利家の分家、庶流」というよりは「足利家の別家、別流」の扱いであり、高経も 足利尾張守高経 と表記されることもある。また足利本家から独立した御家人であったため、高経の「高」字は尊氏の初名である「高氏」とおなじく北条得宗家の 北条高時 の偏諱とみられる(高経と尊氏は同年生まれ)。
l 室町幕府 が成立すると4男 義将 が 管領 となり、高経はその後見をつとめた。本格的に「斯波氏」を称するのは義将以降のことである。以後、 室町時代 を通して三管領の筆頭となった(詳細は 斯波氏 を参照)。
「室町管領の攻防」〇復権と晩年 2023年07月27日
「室町管領の攻防」〇康暦の政変 2023年07月27日
「室町管領の攻防」 〇九州探題の解任と… 2023年07月27日