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8、「義満家督・将軍職相続」
l 正平22年 / 貞治 6年( 1367年 )11月になると父・義詮が重病となる。義詮は死期を悟り、11月25日に義満に政務を委譲し、細川頼之を管領として義満の後見・教導を託した。
l 朝廷は12月3日に義満を正五位下・左馬頭に叙任した。12月7日に義詮は死去し、義満が第3代将軍として足利将軍家を継いだ。
l 1368年 (正平23年 / 応安 元年)に 評定始 が行われ、4月には 管領 細川頼之 を 烏帽子親 として元服が行われた。
l このとき、加冠を務める頼之を始め、理髪・打乱・泔坏の四役を全て 細川氏 一門が執り行った。
l 1369年 (正平24年 / 応安2年)には正式に将軍に就任した。
l 幕政は管領細川頼之をはじめ、足利一門の守護大名が主導することにより帝王学を学ぶ。頼之は 応安大法 を実施して土地支配を強固なものにし、京都や鎌倉の 五山 制度を整えて宗教統制を強化した。
l また南朝最大の勢力圏であった 九州 に 今川貞世 (了俊)・ 大内義弘 を派遣して、南朝勢力を弱体化させ幕府権力を固めた。 1374年 ( 文中 3年 / 応安7年)には 日野業子 を室に迎えた。
l さらに京都の支配を強化するために、 1370年 (応安3年)に朝廷より山門公人( 延暦寺 及びその支配下の諸勢力及びその構成員)に対する取締権を与えられた。
l 1375年 ( 永和 元年)、 二十一代集 の20番目にあたる 新後拾遺和歌集 は義満の執奏により 後円融院 が勅撰を下命した。
l 1378年 ( 天授 4年 / 永和 4年)には、邸宅を三条坊門より北小路室町に移し、幕府の政庁とした。移転後の幕府(室町第)はのちに「 花の御所 」と呼ばれ、今日ではその所在地により室町幕府と呼んでいる。
l 義満は、朝廷と幕府に二分化されていた京都市内の行政権や課税権なども幕府に一元化するとともに、守護大名の軍事力に対抗しうる将軍直属の常備軍である 奉公衆 を設け、さらに 奉行衆 と呼ばれる実務官僚の整備をはかった。
l 1382年 ( 永徳 2年)には 開基 として 相国寺 の建立を開始し、翌年には自らの 禅 の修行場として 塔頭 鹿苑院 も創建する。
l 1385年 ( 元中 2年 / 至徳 2年)には 東大寺 ・ 興福寺 などの南都寺院を参詣、 1388年 (元中5年 / 嘉慶 2年)には 駿河 で 富士山 を遊覧し、 1389年 (元中 6 年 / 康応 元年)には 安芸 厳島神社 を参詣するなど、視察を兼ねた デモンストレーション (権力示威行為)を行っている。
l しかし、元中5年 / 嘉慶2年(1388年) 8月17日 には、 紀伊国 和歌浦 玉津島神社 参詣遊覧の帰りに、南朝の 楠木正勝 の襲撃を受け、南朝に情報網を張っていた 山名氏清 のおかげでかろうじて命を救われるなど( 平尾合戦 )、これらの視察もいまだ安全といえる状況ではなかった(『 後太平記 』)。
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