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4生駒騒動
* 生駒 将監 (いこま しょうげん、生年不詳 ~ 寛永 一〇 年(1633))は、 安土桃山時代 から 江戸時代 初期にかけての 武将 。
生駒氏 の家臣。妻は 生駒一正 の娘。子に 生駒帯刀 、佐藤久兵衞、娘( 園池宗朝 室、生駒一正養女)、娘( 多賀源介 室)。
生駒正俊 、 高俊 父子に主席 家老 として仕え、五〇一七石を領する。 元和 七 年(1621)に正俊が死去し、嫡男の高俊(小法師)が家督を継ぐと、 藤堂高虎 (正俊の室の実父)と 高次 父子が後見役となり、 藤堂氏 家臣 前野助左衛門 と 石崎若狭 が生駒氏の江戸詰の重臣とされた。しかし、将監は前野らと次第に対立し、前野らは高虎に将監の専横を進言した。
高虎は当初、鵜呑みにしなかったが、将監は子の帯刀の正室に 大和国 郡山藩 主 水野勝成 の娘をもらいたいと高虎に許しを得ようとした。
大身の家臣の婚儀は 江戸幕府 の許可が必要なため、高虎はこれを怒って却下した。この一件により、進言は根拠があることと高虎は考えるようになり、将監の専横に対抗するため、後に前野らを家老に昇格させている。
寛永一〇年(1633年)に病死。なお、前野らは次第に権勢を奮うようになり、将監の子の帯刀と対立し、 生駒騒動 へと発展していく。