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2023年07月19日
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カテゴリ: 大名のお家騒動





4生駒騒動


生駒 将監 (いこま しょうげん、生年不詳 ~ 寛永 一〇 年(1633))は、 安土桃山時代 から 江戸時代 初期にかけての 武将


生駒氏 の家臣。妻は 生駒一正 の娘。子に 生駒帯刀 、佐藤久兵衞、娘( 園池宗朝 室、生駒一正養女)、娘( 多賀源介 室)。


生駒正俊 高俊 父子に主席 家老 として仕え、五〇一七石を領する。 元和 年(1621)に正俊が死去し、嫡男の高俊(小法師)が家督を継ぐと、 藤堂高虎 (正俊の室の実父)と 高次 父子が後見役となり、 藤堂氏 家臣 前野助左衛門 石崎若狭 が生駒氏の江戸詰の重臣とされた。しかし、将監は前野らと次第に対立し、前野らは高虎に将監の専横を進言した。


高虎は当初、鵜呑みにしなかったが、将監は子の帯刀の正室に 大和国 郡山藩 水野勝成 の娘をもらいたいと高虎に許しを得ようとした。


大身の家臣の婚儀は 江戸幕府 の許可が必要なため、高虎はこれを怒って却下した。この一件により、進言は根拠があることと高虎は考えるようになり、将監の専横に対抗するため、後に前野らを家老に昇格させている。


寛永一〇年(1633年)に病死。なお、前野らは次第に権勢を奮うようになり、将監の子の帯刀と対立し、 生駒騒動 へと発展していく。











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最終更新日  2023年07月19日 06時24分23秒
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