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2024年06月17日
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カテゴリ: 大正・昭和





人間宣言 (にんげんせんげん)は、連合国占領下の日本で1946年(昭和21年)1月1日に官報により発布された昭和天皇の詔書で、正式名称は『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』(しんねんニあたリちかいヲあらたニシテこくうんヲひらカントほっスこくみんハちんトこころヲいつニシテこノたいぎょうヲじょうじゅセンコトヲこいねがフ)。


「人間宣言」は当時の日本のマスコミや出版社がつけた通称。詔書内には「人間」「宣言」という文言は一切ない。


詔書の後半部には「天皇が現人神(あらひとがみ)であることを 自ら否定した 」と解釈される部分がある。その部分を指して「人間宣言」と呼ぶこともある。



詔書の概要


「日本の民主主義は日本に元々あった『五箇条の御誓文』に基づいていること」を示すのが、昭和天皇による詔書の主な目的だった。


「人間宣言」については最終段落の数行のみで、詔書の6分の1しかない。その数行も既成事実を確認するのみで、特に何かを放棄しているわけではない。


いわゆる「人間宣言」についての記述は以下の通りである。


朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ 『新日本建設に関する詔書』より抜粋


このGHQ主導による詔書により、「天皇が神であることが否定された」とされる。しかし、「天皇と日本国民の祖先が日本神話の神であること」を否定していない。歴代天皇の神格も否定していない。神話の神や歴代天皇の崇拝のために天皇が行う神聖な儀式を廃止するわけでもなかった。



起草の経緯


ポツダム宣言受諾による日本の降伏から 4 か月余り、日本はGHQの占領下にあるとはいえ、大日本帝国憲法の施行下にあった。


1945年(昭和20年)12月15日、GHQの民間情報教育局  ( CIES ) 宗教課は、国家ないし政府が神道を支援・監督・普及することを禁止する「神道指令」を発した。


さらに、「天皇は他国の元首より秀でた存在で、日本人は他の国民より優れている」といった教説を教えることを非合法化した。しかし、天皇が皇居で執り行う神道に基づく宗教儀式(宮中祭祀)はあくまで私的な事柄とされて、禁じられなかった。


占領当局は天皇自身で自分の神格を否定してほしいと期待したため、神道指令では天皇の神格について言及しなかった。自分を神と主張したことのない昭和天皇は、占領当局の意向に同意した。


宮内省(後に宮内府、現在の宮内庁へ改編)は、学習院に英語教師として赴任していたレジナルド・ブライスに、占領当局が納得するような案文を練るよう依頼した。ブライスはGHQの教育課長で日本文化の中でも俳句の造詣が深かったハロルド・ヘンダーソンに相談し、二人は人間宣言の案文を作成した。


· 12月23日、昭和天皇は、木下道雄侍従次長に対し、前日進講した板沢武雄・学習院教授の講義の内容について語った。板沢の講義は「マッカーサー司令部の神道に関する指令について」と題するもので、昭和天皇が語ったところによれば、最後の結びの言葉は「この司令部の指令は、顕語を以て幽事を取り扱うものでありまして、譬えて申しますならば、鋏を以て煙を切るようなものと私は考えております」というものだった。


· また、昭和天皇は、興味を引いた点について、「後水尾帝御病にて疚(きゅう)の必要ありしも、現神には疚を差上ぐる訳には行かぬと云う所から御譲位の上、治療を受け給いしこと」、「徳川氏が家康を東照宮と神格化し、家康の定めたることは何事によらず神君の所定となし、改革を行わず、時のよろしきに従う政事を行わず、遂に破局に至りしこと」、「幽顕二界のこと。謡曲の発達、君臣の濃情を言い現わせる謡曲はかえって皇室衰微の時代に発達せること。顕界破れて幽界現われたること」の3点を挙げた。


· また、天皇は、23日にマッカーサー司令部の高級幕僚たちと鴨猟を行う予定であった石渡荘太郎・宮内大臣に命じて、板沢の話を高級幕僚たちにも聞かせようと考えたが、石渡がすでに鴨場へ出発していたため断念した。


· 12月24日、昭和天皇は幣原喜重郎内閣総理大臣を召して、「ご病気の後水尾天皇が側近に医者を要請されたところ、医者の如き者が玉体にふれることは、汚らわしいとの理由でおみせしなかったそうだ。


· 同天皇はみすみす病気が悪化して亡くなられた」という歴史的実例を挙げて、神格化の是非について暗示した。また、昭和天皇は、「(自身の祖父にあたる)明治天皇の五箇条の御誓文を活用したい」とも話した。


· これに対し幣原は「これまで陛下を神格化扱いしたことを、この際是正し改めたいと存じます」と答え、昭和天皇は静かに肯定し「昭和21年(1946年)の新春には一つそういう意味の詔書を出したいものだ」と言った。






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最終更新日  2024年06月17日 06時14分58秒
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