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1、 「はじめに」・・・・・・・・・・・・・・・・・2
2、 「法隆寺金堂焼失」・・・・・・・・・・・・・・3
3、 「能代市の大火」・・・・・・・・・・・・・・・26
4、 「暁に祈る事件」・・・・・・・・・・・・・・・53
5、 「海外引き上げ者」・・・・・・・・・・・・・・56
6、 「下山事件」・・・・・・・・・・・・・・・・・64
7、 「三鷹事件」・・・・・・・・・・・・・・・・・76
8、 「松川事件」・・・・・・・・・・・・・・・・・82
9、 「シャウバ勧告」・・・・・・・・・・・・・・・89
10、「レッド・パージー始まる」・・・・・・・・・・96
11、「湯川秀樹ノーベル賞受賞」・・・・・・・・・・101
12、「昭和24年の世情と社会状況」・・・・・・・・112
13、「著者紹介」・・・・・・・・・・・・・・・・・135
1、「はじめに」
昭和24年ともなれば、経済も徐々に成長し、アメリカから収支均衡予算の編成するように注文を付けら、実質を伴わない「竹馬経済」と揶揄された。日本周辺諸国を見れば、東南アジアは独立が加速し、それにつれ国交回復と貿易も盛んになり、日本の得意分野の成長が著しく見られた。何より日本人に自信と誇りをもたらしたのは「湯川秀樹のノーベル賞」受賞であった。この頃より労働組合の組織拡大がみられ、国鉄の労使の対立が激化し、特にGHQのレッド・パージは日々厳しく規制がかけられた。そんな時労使の対立から下山事件・三鷹事件・松山事件がGHQがらみで謎の事件が連続して起き、国民に話題を呼んだが未だその解明に至っていない。また海外の戦地に有って捕虜となっていた旧陸海軍の復員も盛んになって、特にソ連の奥深く収容されたシベリア抑留者の祖国日本に帰国の兵士の話題をまいた。国民の娯楽は映画・戦後歌謡・ラジオの連続ドラマなど多彩になっていった。GHQ街々の空にはGHQの許可によってアドバルーンが彩り、スマートボールやパチンコなども現れ始め、競輪も庶民の娯楽として各地に開催されるようになった。
「戦後日本の回想・24年」昭和24年の… 2024年07月03日
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