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「あんぱん」にこれから出てくるのだろうと思われる手塚治虫氏。生まれは確か宝塚だったと思うのだが、私ぐらいの年代にとっては漫画の神様みたいなものだ。「鉄腕アトム」は言うまでもなく、「リボンの騎士」とかも姉の本で読んだ。大人になってからでも「ブラックジャック」は好きだった。郷は自閉君をプールに連れて行ったが、いつも帰りに立ち寄る「兵庫県立こどもの館」が休館だったので近くにある「姫路市立星の子館」に変えた。ここの6階に図書室があるのだが、漫画のコーナーがあり、ここに手塚作品がたくさんある。ごく一部だが、こんな感じだ。昔はもっとあって、桑田次郎の「エイトマン」などもあったが、盗難にでも遭ったのか昔の半分くらいになっているように思う。これは「ロック冒険記」のあとがきだが、たまたま棚の端っこにあったので手に取ってみた。初期の手塚氏の立ち位置みたいなものが書いてあり、なかなか面白い。終戦からまだあまり時間が経っていないからか、鳥人類と人類の分断や戦争、その終結などがテーマになっているのも興味深い。自閉君連れでなかったら、おそらく1日いるだろうと思うが、それでも読み切れるまい。もっとも、ジジイが漫画に夢中になっていたら若い人には不審に思われるだろう。「火の鳥」も手塚氏の代表作だが、「黎明編」とか「未来編」といった単行本しか知らないので、「全集」みたいなのはぜひ読んでみたい。
2025年08月31日
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新しい物好きと言うのは子供の頃から変わらない。今どきのiphoneがどんなになっているのか。基本的な設定は店の方でやってくれたが、それを実施したのはどこの会社、とか使う言語は、などと言うもの。アプリの移動はどうしようか、なんてのはこっちで決める問題だ。iphoneを使い出してから20年ぐらいになるだろうか。iphone4を安く売っていたので、1度だけソフトバンクを使っていたが、あとはauからMVNOへと渡っている。さて、今回は12miniから16eと言うケチな乗り換えだが、12miniは4年目。電池を交換したのが今年の1月だが、正直あまり劇的に電池の持ちが改善したような気がしない。サブ機として、初代SEを持っていたが、QRコードの読取りがどうもおかしい。小さいのはいいが、そろそろ手に余ってきた所に「いつでも替え時プログラム(docomo)だ。月1円で2年借りる。2年後には同じようなシステムがあれば交換すればいい。ただ、安くつくのはMNPの時なので、キャリアからMVNOへかわっておく必要がある。機種変更では安くならない。「乗り換え」が必要だ。だからSEを手放し、その番号を継承してdocomoになった。SEが16eに変わった訳で、かなりのアップデートになった。この16e、とにかく電池が長持ちする。ヘビーな使い方はしないので、これからが観察なのだが、朝100%の蓄電が23時で87%も残っている。明日まで持ちそうだ。発熱も少ないと思う。対する12miniは23%まで低下し、既に充電中。並べていてウォレットを触っていたら、すべてのカードが新しい方にも出来たが、古い方にも残っていてどちらからでも使えるようだ。ICOCAだけは元の方が使えなくなっていたが、元に戻す事も出来るようだ。エキスプレスカードの指定はそのまま来ているようなので、何をする事もなくJRの改札を通れる。販売店で「写真は撮りますか」「一眼カメラを持って行く方」「電話はしますか」「あまり使わない」ネットは「wifiがほとんど」これでは高額コースを進めようがない。面白くない客だと思われたに違いない。一方、デバイスの連携はさすがアップル。どちらかに外部から電話がかかるとどっちからでも受けられるようになっている。1台で2枚のsimをと考えていたが、考えなくてもよくできていた。
2025年08月30日
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iphoneライフとは言え、iphoneで生活している訳ではない。兵庫県では低所得層、子育て層に対して、ハバタンpayと言う商品券割り増し配布をしている。それに有難く乗っかっているのだが、買い物の際に店にあるバーコードを読み取ると支払いが終わる仕組みになっている。初代SE(自閉君)と2台目SE(女房)、それに12mini(私)を登録しているのだが、初代SEがうまく動かず、店のコードを手入力して処理が終わる状態だ。そんなに難しいロジックでもないのに、動かないのはちょっと古くなってきたかな・・電池を2回替えているので、そこそこのつわもの、ご老体である。たまたま、シルバーで一緒に仕事をしている人がスマホを2年で返す事で月額1円、通信料金約3000円の契約を息子がしてくれた、と言う話を聞いた。考えてみれば装置が有難い訳ではなく、それがどう使えるか、どう使うかが大事なのである。手元にハードウェアが残る事はゴミが増える事でもある。まあ、今までそうやって使ってきたのだが。で、今でもやっているのかと店に聞いたら、「在庫限りでやってます」とのこと。ではと手に入れてきたのだが、SEに比べると相当感覚が違う。今はesimと言う、メモリのsimを使い、あの板のsimは次第に消え去る運命だと言う。プロファイルを入れてMVNOをアクティベートしていた作業が、今はどうなっているのか調べなきゃならない。とりあえずはプロテクタを用意し、きれいな姿で返却しなけりゃいけないから防御系を手配したが、明日は出掛ける予定になっている。プロバイダが増えるとユーザがする事も増える。暫くは調査に明け暮れそうだ。世間について行くのは大変。老いたなあ・・・
2025年08月29日
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この間まで蝉がバタバタと暴れていたが、このところはコオロギの声が増えた。蝉は死骸が増えた。徒然草だったか、「もののあはれは秋こそまされと人ごとに言うめれど・・」と言う書き出しがあるが、虫たちにとってはこの時期が一番「哀れな」気がする。桜の落葉も多い。羽根がちぎれた蛾や蝶。よく見れば結構銀色に輝いているきれいなものもいるが、羽が破れてくると哀れなものだ。甲虫たち、これも鳥の餌になるのか、カブトムシなど頭と胴が切れ切れになっている。比較的原形をとどめているのは玉虫とかコガネムシの類いで、構造色が秀でている。とりわけ玉虫は羽や胴がばらばらになっても存在感がある。腹の裏まで輝いている。羽根をとって樹脂に埋包してもきれいだろうと思う。公園には知的障害者のグループが時々やって来る。経済的にただで済む所だし、施設の中にばかりいるよりは気分転換になる。授産品の中に昆虫の空を生かしたようなもので収入を得るようにできないものか。玉虫の死骸をよく見かける所に榎の大木があったので、多分この木に棲んでいるのだろう。一度自分で作ってみようと思う。なくなる命、継がれる命。自分もその輪廻の中にいる訳だが、どうも人間が一番面倒だな。
2025年08月28日
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息子が会社の関連で万博のチケットをもらったと言う事で、そのIDを使って予約するようにとメールで送ってくれた。チケットの買い方も解説付きで送ってくれたが、こういうスケールの大きなものはスマホよりもパソコンの方が操作が楽である。何よりフォントが格段に大きく、見やすい。まず行く人のID登録が必要で、これはまあどうにかなる。その次に送ってくれたチケットのIDを紐付け、そこから訪問?日時の予約に入る。平日の「空きあり」の日を選ぶと、次は訪問の時間を予約。ここに来て、当日の現在の混雑状況が示される。10時までは既に混雑状態だ。11時しか取れなかったが、われわれの感覚としては指定時間に行ったらそこで待ち時間が生じ、実際の入場はもっと遅れるだろうと考える。結果としてそれよりも速い時間に前倒しになって、どこまで入場時間が守られるのか、大変疑わしい。さて、それよりも難解なのがパビリオンとイベントの予約だ。抽選が2ヶ月前と2週間前に行われるのでエントリーせよ、と言うわけだ。いやいや、プログラムは別のページになり、「いついつまでにエントリーするように」と表示されてはいるが、この時点で続けるのは無理、と考えて一度ログアウトする事にした。その後メタバースをめぐるアプリだの、色々とありすぎて前の万博を知っている世代には少々厳しいなと言う気になってきた。会場のマップアプリも別にあり、スマホなしでは迷子になりそうだ。心してかからねば・・・
2025年08月27日
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と思われているかも知れない。神戸ではマンションに帰った若い女性を殺したり、西宮では高齢者を切りつけたり、と。考えてみれば有力暴力団の本部も神戸にあるし、酒鬼薔薇事件やら古くは赤穂浪士も。斎藤知事もいれたら、「兵庫県はヤバい所」というのは北海道のクマ並みかも知れない。兵庫県は青森県と山口県とともに、2つの海に接する県である。兵庫五国と言い、摂津/播磨/丹波/但馬/淡路の旧地区からなる。摂津は一部大阪も含むので阪神地区とも言えるが、神戸が飛び抜けて人口が多いので現在は阪神と神戸が別カウント?になる事も多い。まあ一番の都会地区だ。播磨は一番面積が広い。赤穂浪士の街が岡山県に接する。東播と呼ばれる明石周辺、中播と呼ばれる加古川流域、姫路以西の西播とわけられる。宮本百合子の「播州平野」の舞台だが、この物語は移動している旅行記みたいな面もあるし、旅は岡山発と記憶している。丹波は中国山地の東の端になる、唯一海のない国だ。寒暖の差が大きく、酒米「山田錦」の故郷と言える。但馬は日本海に接し、冬の松葉ガニやら但馬牛(神戸ビーフ)の故郷。冬にはラッセル車も走る豪雪地帯だ。温泉も多いのは火山帯の端っこと言う事かも知れない。淡路は反対に温暖そのものと言っていい。タマネギは北海道に次ぐ生産量、水仙郷は2月には開花する。明石大橋の南から徳島県への鳴門大橋の北端になる。観光案内みたいになるが、接する県は鳥取、岡山、香川、徳島、大阪、京都と非常に多い。かつて交通事故発生全国一という不名誉もあった。播磨に住む私から見ると兵庫県は住みよい所だと思うのだが、どうもこのところ不名誉な事象が続く。
2025年08月26日
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昔であればそろそろ気温が下がってきて、「さわやかな朝」を感じる時期だが、今日に限っては湿度が高くて風も弱く、何ともさわやかでない朝になった。去年までは夏休みの朝は高校の陸上部がトレーニングしている光景が見られたが、今年は今日初めて見た。小高い山を一周するのだが、先生は熱中症防止の為、冷水を用意する作業に追われている。大学の研究室にあったような製氷機でもあれば重宝する所だろう。高校生も「無理するな」と言われているようで、コースのあちこちで立ち休憩や、少し座り込んでいる者もいる。去年まではあまり見なかった光景だ。高校野球だって、一番暑い時間帯は避けるようになった。陸上部も本当なら高原地帯で合宿したい所だろう。私も若いときには日本アルプスに出掛け、山の爽快感の虜になったものだが、さすがに近ごろは低山の方をうろついている。が、足腰はやはり若いときに鍛えておくべきだなと後悔している口だ。泳ぎは得意ではなかったが、今思うにあれは体感を鍛えるには最高の運動だったなと思っている。腰が曲がると、プールの橋に捕まっても体が浮かなくなる。背中に力を入れて背筋が伸びて来ると体も浮いてくる。学校にプールのなかった時代の子供なので、川遊びで何となく鍛えたのだろう。
2025年08月25日
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「赤蜻蛉」の作詞者が我が町の出身と言う事で始まった童謡のお祭りも41回になった。複数のグループを渡り歩いたが、第1回からでている人も少数派になってきた。昔は各小学校の4年生くらいから出ていたのだが、だんだん先生の負担が大きくなったのだろう。現在は十数団体が出演している。やはり「コロナ以後」に激減した。当時10歳の子供が出ていたとして、もう50代になっている事になる。私の欠場もひょっとしたら1-2回あるかも知れないが、まあよく続いたものだ。例年学校の夏休みが始まる7月下旬に行われるが、ホールの修復工事の為、今年は1ヶ月遅れになった。選曲はほぼ自由に行われるが、童謡を1曲は入れる事、となっている。童謡も変遷してきた。「シャボン玉とんだ・・・」などはもう100年前の作品、大正時代の赤い鳥運動の作品が、私たちが子供の時に覚えたものだそうだ。勘定してみると確かに!近ごろの子供の歌は、アニソン絡みばかりじゃないのかと思う。ジブリものは既に古典の領域のような・・・「歩こー歩こー」を孫と歌っていたら「そこ歌詞が違うよ」と注意もされるが、孫と歌える歌があるのはそれはそれで楽しい。お盆にやってきたときにはピアノを披露してくれた。「このピアノ、キーが重たい」無理もない、普段彼女が使っているのは電子ピアノの安物だ。子供の歌はいつ聞いても上手に聞こえる。普段からのトレーニングと若い喉だろうと思うが、男子の変声後の声はちょっと気の毒な気もする。明らかに児童合唱には異質だ。成長の段階で仕方がない事ではあるが、ボーイソプラノが消えるのは自分もそうだったけれど、発声が一時出来なくなって、まことに情けない。ひとつのグループがえらくうまかった。高校合唱部のOBが歌い、当時の顧問が指揮している合唱団だ。人数も30人近くで、1ダース合唱団にとっては羨ましい限り。継続は力と言うが、数も力である。
2025年08月24日
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手入れと言うには少しおこがましいが、今日は比較的雲が多く、まだ作業する気になる状態だった。昨日までのピーカンでは、熱中症の方が怖い。家から出てすぐの畑なのだから、少し根性を入れろよ、とも思うが、思うは安く、実践が難しい。と言いながらしっかり昼寝をする怠け者である。まあこの暑さの所為か、キウリは早々に枯れ上がってしまった。去年とった種を新たに蒔いたら、きちんと本葉が出てきたので今からの成長に収穫の期待をかける事になる。とにかく夏は雑草との戦いになる。ツユクサが油断しているとどんどんと芽を出してくる。2次元で増えるのでちょっとめをはなすと畝が埋め尽くされかねない。イチゴを収穫した後はランナーをとってポットに育てて来年使うのだが、とったものは高温で枯れてしまった。ところが、ツユクサをひいて行くと、何と、陰で湿気とツユクサに守られたか、ランナーがあちこちで根を下ろし、親からも独立してしまっていた。これは儲け物。ワラのチップで守る事にした。放置農業?もこういう事もあるのだ。ランナーは一株めは取らず、そこから先のを使うように言われているのだが、きっちり2.3番が育っていた。この高温状態は、10月まで続くと言う。夜になれば涼しい田舎だが、早く平年になってもらいたいものだ。
2025年08月23日
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終戦の詔勅 現代語訳私は、世界の情勢とわが国の現状とを十分に考え合わせ、非常の手立てをもってこの事態を収拾しようと思い、私の忠義で善良な国民に告げる。私は政府に対し、アメリカ、イギリス、中国、ソ連の4カ国に、四国共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた。そもそもわが国民が健やかに、安らかに生活できるよう心がけ、世界の国々とともに栄えその喜びを共有することは、歴代天皇が手本として残してきた教えで、私も常に念じてきたところでもある。したがって、さきに、アメリカとイギリスの二国に宣戦布告した理由もまた実に、わが国の自存とアジアの安定を心から願ったためであって、他国の主権を押し除けたり、領土を侵したりするようなことは、もちろん私の意志とは異なる。しかしながら、この戦争が始まってすでに4年がたった。陸海軍の将兵は勇戦奮闘し、多くの役人たちも職務に励み、一億国民も各職域に奉公してきた。それぞれが最善を尽くしてきたが、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我々に不利である。そればかりでなく、敵は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、多くの罪なき人々を殺傷し、惨害がどこまで広がるかはかり知れない。なおも戦争を続けるなら、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも打ち壊すことになるであろう。そのような事態になれば、私はどうして我が子のような国民を保護し、歴代天皇のみたまにお詫びできようか。これこそ、私が政府に対し、ポツダム宣言に応じるようにさせた理由である。私は、わが国とともに終始アジアの解放に協力した友好諸国に対し、遺憾の意を表明しないわけにはいかない。わが国民のうちで戦死し、職場で殉職し、不幸な運命で命を落とした人々やその遺族に思いをはせると、まことに悲しみに耐えない。また、戦争で傷を負い、戦禍に遭い、家業を失った人々の厚生を考えると深く心が痛む。思うに、これからわが国が受ける苦難は尋常ではないだろう。わが国民の心中も私はよくわかっている。しかし、時世の移り変わりはやむを得ないところで、耐えがたいことを耐えて、忍び難いことも忍んで、未来の平和を実現するために道を拓いていきたい。私は今ここに、国体(天皇を中心とする秩序)を護持し得て、忠良な国民の真心を信じ、常に国民とともにある。もし激情にかられて、みだりに問題を起こしたり、同胞が互いに相手をけなし、おとしいれたりして時局を混乱させ、そのために人間の行うべき大道を誤って世界から信義を失うようなことがあれば、それは私が最も戒めたいことだ。全国民が家族のように仲良く分かち合い、長く子孫に受け継ぎ、わが国が不滅であることを固く信じ、国の再建と繁栄への任務は重く、その道のりは遠いことを心に刻み、持てる力の全てを未来の建設のために注ごう。道義心を大切にし、志を強固にして、わが国の美点を発揮して、世界の進歩に遅れないよう努力しなければならない。わが国民よ、私の意のあるところを十分汲み取って身につけてほしい。(以上ハフポストから引用 下線私記入)耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び・・は小さい頃から何度となく聞いてきたが、私はこの主語は「国民」だと勝手に思っていた。戦争中の過酷な生活を強いた事をわびているのだと思い込んでいたが、そうではなかった。原文も併記してあったので読んでみたが、確かに主語は「朕ハ」だった。訳文では省略されている。ポツダム宣言受諾の時点で、天皇が戦争犯罪人として裁かれる所まで草案作成団は誰も考えなかったのだろうか。マッカーサーと天皇が並んだ写真は幾度となく見て、「自分はどうなってもいいから国民を助けてくれ」と言ったので「天皇を利用しないと損だ」とマッカーサーは考え処刑対象から外した、と教えられてきたのだが、ここに来てどうもそれも疑わしいのではと考えている。終戦記念日から既に1週間、この時期には戦争物の話題が多いが、今年は80年の節目と言う事でことさら記事が多いような気がする。原子爆弾を受けた記憶のある人も既に80歳を超え、減少の一途だ。高齢化で無理のない事だが、その非人間性は語り継がれなくてはならない。それにしても80年の間に、戦争は絶えない。ウクライナにしても、ロシアとアメリカの会談はロシアが自賛していた。一方でEUやウクライナとアメリカとの会談については「ロシアを外して勝手な事を言うな」と言うロシアの身勝手さにはあきれる。
2025年08月22日
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雨が降ったりやんだりでピーマンの傍にツユクサが生い茂ってしまった。どこになっているのやら分からなくなって、株元をきれいにしたら、赤くなったものが続々。赤くなったものはよく虫に穴を開けられているので、大概捨ててしまうのだが、中には無傷で生き残ったものもある。緑から赤へ色が移行中のものは何とも言えぬ汚さ。さて、赤くなっても食べられるか?カプサイシンの塊になっていたらいやだな・・昔から上を向いてなっている実は辛いとも言う。まあ食べてみよう。洗ってそのまま口に放り込んでみた。辛くない。これはカラーピーマン並みに使えそうではないか。念のため種もチェックしてみたが、硬いものの辛くはない。ググってみれば赤いのにはリコピンが多く、甘くなるとあるが、実感はない。それでもサラダの彩りくらいにはなりそうだ。暑さは厳しいので、一旦ダウンしたナスは引き抜き、2回目の苗を植えてみた。キウリは種をとっていた(取り損ねて黄色い豚のようになった実から回収したもの)ので、実生で撒いてみたら、2週間ほどで本葉が出てきた。二期作の回収なるか?
2025年08月21日
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自民党兵庫県議団の松井重樹県議(71)が18日の県議会総務常任委員会で、斎藤知事が記者会見で「 真摯しんし に受け止める」と繰り返すことに触れ、「心神喪失だと笑い飛ばしている」などと発言した。19日、不用意な発言だったとして撤回する意向を明らかにした。総務常任委で、内部告発問題を巡る斎藤氏の対応について別の県議が「知事は真摯に受け止め、どうするのか言っていない」などと指摘。続く松井氏が呼応し、「私の周辺では『真摯に答える』といって、これを心神喪失というんだなあと周囲で笑い飛ばしている」と述べた。松井氏は19日、記者団に対し「斎藤知事がそう(心神喪失)だと申していない」と説明し、「話題の転換のために用いたが、不必要な発言だった」と釈明。自民県議団の谷口俊介幹事長は19日の議会運営委員会で、不適切な発言だったと認めて謝罪した。ーーーーーーーーーーーーー以上毎日新聞より引用松井議員は我が町の選出だ。播州と言う所、あまり言葉の品格が良い所とは言い難いが、まあこのくらいの事を巷では言っていると思う。しかし委員会ではまずかろう。議会運営委員会では申請すれば失言の取り消しは出来るようになっているらしい。知事も知事である。何かとやり玉に挙げられる中、先の戦争犠牲者の追悼集会を不参加とし、高校野球を見に行っていたと言う報道もある。おまけに黙祷している写真をSNSに載せたが加工の跡が見え見えだったとか。「良識喪失」ならばある程度の理解・同意を得られたかも知れない。ああ、兵庫県!
2025年08月20日
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https://youtu.be/44Z9BhPBtWoロマンチストの豚(女声三部)漫画チックで好きである。ちょうど今の放送分の時代かなと勝手に妄想。
2025年08月19日
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子供たちが集まってくると話題になるのは「私が惚けたら?」である。まず惚ける前にしておかねばならないのは「自閉君をどうするか」預かってくれる施設に入所させる他にほぼ道はないが、これをやり残す事が兄妹にとっては一番の重荷になるはず。死期が迫っている状態ではないのでついつい日々の生活が先走るが、これは親の義務だ。自分の資産を子供が使えるようにするには、家族信託か任意後見人の選任契約が必要だが、自分で調べる限り家族信託は生前相続みたいなものと理解している。不動産や動産の名義を信託者(子供)に切り替える必要があるが、登記してある不動産を評価するのに金がかかる。それから、惚けた親の施設入所手続とかが義務化できないようだ。いわゆる「専門家」に聞くとそれだけで費用が発生するので、うっかり手を付けられない。姉の遺産相続の時に、普段交流のない家の人の居所を調べるだけで弁護士費用が20万円必要だった上、調査範囲も実は弁護士の解釈が間違っていて(正に「取られた」感ありありだ)かなり懲りた。後の手続きはすべて自分でやったので法務局や家庭裁判所の職員に教えてもらいながらの方がよほど効率的だった。公務員に相談する方がいいのかも知れない。一方、任意後見は自分で契約書を自由に作れ、資産の使い道を指定する事が出来る。「惚けた」と医者が診断したときに資産の管理権が子供に移る。ところが、子供が管理権を得ると同時に、監査人を裁判所が指定してくる。監査人への報酬が必要になり、資産の管理報告書を(子供が)監査人に提出する義務も生じる。私が死ぬまで続くのでこれも面倒な話だ。ベタな言い方をすれば家族信託は初期投資に金がかかり、任意後見ならランニングコストが大きくなると言う所か。いつから惚けるのか、いつまで生きるのかが鍵になってくるが、両方未定が普通なので判断に困る。もう少し法学方面の勉強をしておくべきだったなあ。
2025年08月18日
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相変わらずの暑さが続くお盆過ぎだが、さすがに夜は涼しくなってきた。今日は夕立崩れの涼風の所為かも知れないが、28度の室温。窓からはさわやかな風が入ってくる。山の方でも主役はクマゼミからミンミンゼミやアブラゼミに変わってきた。このアブラゼミ、動きが遅く手さえ届けば子供でも捕まえられる。おまけに友を呼ぶのか、3匹ほどかたまって鳴いているから、子供の頃の昆虫採集はカモだった。標本の作り方も知らないまま、「昆虫セット」とやらで薬液を注射して殺していたが、アブラゼミばかり捕まえてもしようがない。色々と変化に富んだ植物にシフトして行った。それが中学の頃だ。ひと月ばかり前の画像になるが、桑の木が山に植わっている。完熟して落ちた桑の実で、食べられるが口の周りは紫色になる。少し若いものはまるでゲジゲジだ。「夕焼け小焼けの赤とんぼ 負われてみたのはいつの日か」二番は「山の畑の桑の実を 小篭に摘んだは幻か」 一応赤とんぼ=アキアカネと言う事になっているが、桑の実をとるのは夏である。願わくは昼間の暑さも終わりにして欲しい。せめて30℃。孫たちも帰って行った。
2025年08月17日
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長男の子供は小学校6年生と2年生。孫1号と2号である。1号の方はちょっと変わった子供で、発達障害ではないかと言われて特別支援学級に在籍していた事がある。中学校をどうするのか悩み、学級の卒業生で中学受験をした子の親から「細かく面倒を見てもらえるよ」と勧められ、そこを受験しようかと思っていたが、近ごろ目に見えて落ちついて勉強できるようになったと言う。そこで公立中学への進学を決めたらしい。子供の発達は本当にデコボコで、ある事は出来るのになぜ?と言う事が出来なかったりする。小学校の間なんて、かんしゃくを起こしているかと思ったらけろりとしたりして本当につかみ所が無かった。ただ、自閉君を除いては一応コミュニケーションが取れ、何らかの意思表示が出来るので機嫌の善し悪しに関わらず子供と接していた。そんな子供たちも今は人の親になり、同じような苦労をしている。発達障害について指摘されたときには「高校に行けないんじゃないか」と心配していた。さて孫2号はいろんな事に興味を示し、従姉妹とも仲よく遊んでいるが、何と言っても女の子の中の年長で「お姉ちゃんヅラ」が出来るのがたまらなく楽しいらしい。相手は4歳と2歳だから、小学生はもう女王様である。リーダーシップを前面に出すのだが、そこはやはり8歳児、水をこぼすとか転倒するとか、失敗もやらかす。そこを大人に見られる事はたまらない屈辱であるらしい。「見たな〜!」くらいなら愛嬌もあるが、泣き出したら暫くおさまらない。子供のかんしゃくは珍しいものではないが、今になって自分にもああいうときがあったなあと思い出す。足をバタバタさせてものをねだっていたのだと思うが、ある時その馬鹿さ加減に気付いてやらなくなった記憶がある。親にしたら、やっと分かる歳になったか、と言う所ではなかったか。孫も確かに成長している。前歯がはえかわるときで、すきっ歯になっている。1号がついこの間そうだったような気がするが・・・
2025年08月16日
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半日仕事を終えて帰宅すると、孫たちが去年作った竹の樋でそうめん流しをやっている。ともかく汗を流してさっぱりしようとシャワーを浴びて涼んでいると、「おじいちゃんもおいでよ」と孫2号が声をかけてきた。この暑いさなか、また外に出るのかと少々気が重かったが、木陰に入るとまずまず涼しい。庭に5mばかりの樋を作り、水道水を流してそうめんを流しているが、少々傾斜がきつく、あっという間に流れ落ちてしまう。簾桶で拾っているのでむしろこっちを拾い上げる方が効率がいい。おまけに節がまだ残っていて、あちこちであふれている。「まだ修業が足りんな」と息子がいう。グラインダか何かで節をきれいに取らないとだめだな。まあ、自宅の庭でこんなことが出来るのは田舎の特権とも言えるわけだが。昨年頃から、竹林ごと枯れる現象があちこちで見られる。竹の開花によるものか、異常気象によるものかは分からないが、来年またやりたいと言うかも知れないので節を取り直しておこう。
2025年08月15日
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今まで帰省は自動車だったが、今回は子供たち(孫たち)が「車の臭いがいやだ」と反発し、電車で帰ってきた。まあ大阪からなので新快速で2時間もかからない。夕べは万博の地下鉄がストップして、大変だったそうだが、「災害時の訓練になった」とうそぶく役人もいて、「転んでもただでは起きぬ」大阪人のど根性?それはさておき、庭を一周していた孫1号が「これなあに?」と声を上げた。数年前から庭に出没するホコリタケの仲間で「オニフスベ」と言うらしい。ソフトボール大になるキノコで、数日するとこうなる。カラカラになって黒くなり、叩くと胞子が汚く飛び散る。「そうだ、自由研究はあるのかい?」「うん、何をしようかまだ決まってない」「ならこれの観察をしたら?うまくいけば黒くなる変化が見られるかも知れないよ」「まず写真を撮っておきなさい。スマホでいいから・・いや、おじいちゃんのカメラの方がいいかな」こうして撮ったのがこの2枚だ。少しぶれているので、明日もう一度取り直しだな。息子が小さいときに買ってやった顕微鏡もまだ使えるはず。「明日は顕微鏡観察しよう」写真が撮れればいいんだが、300倍ばかりのおもちゃみたいなのだから、何か工夫してみよう。ジジイの方がすっかりその気になっている。生物の観察は、ターゲットが決まったら、後は時間の問題だ。
2025年08月14日
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右足の指のつけね、土踏まずの前側が痛むので整形外科にいったらX線写真を撮られ、「足の骨は縦方向も横方向もアーチ型になっているのだが、あんたの場合横方向がいわゆるベタ足になっている傾向がある。足の指をグーパーしたり、軟らかい底の靴を試しなさい」と言われた。要するに歩くときには脚の方に気を取られがちだが、足の方にも注意しろと言う事らしい。そこで久しぶりに厨房用の靴を履いてみた。これは公園での仕事の時に使っていたものだが、底のゴムが軟らかいのですぐに減ってしまうので、登山靴を使うようにした名残だ。耐水性はいいので、畑仕事で水のないときに使っていた。確かに痛みは減った。しかし現行の登山靴の方が岩でも滑りにくいし、防水にも摩耗にも強いのでこれに軟らかい底敷き(インソール)を入れてみた。確かに歩いてみても痛くならない。それはいいが、仕事を終えて家に帰り、素足で過ごしているとまた少しはれぼったい感じがしてくる。どうも冷やすのがよくないみたいだ。この暑いのに冷えるのは、血の巡りが悪いか、冷房の冷気が下に溜まっているからなのだろうが、今は登山用の靴下の分厚いのが快適だ。右膝のサポーターも外していると痛み出すことが多い。まさに「老化」を象徴しているみたい。父が死んだ歳まで後5年。肉体的健康の平均年齢は超えたが、先が思いやられる。父は若いときに肋膜炎をやったとよく言っていたが、心疾患で突然亡くなった。関係があるかは分からないが、前立腺がんが消えてしまったとも聞いている。今の私からは想像のしようもないが、ちょうど今ごろ孫である私の娘を東京ディズニーランドに連れて行ったのではなかったかと思う。今のうちに孫をかわいがっておくべきかな。何もしなくてもかわいいのだが。
2025年08月13日
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昔ながらのプロパンガスで調理をすると、あれだけ高温で燃えているはずのガスから、ススがでているのだろう、壁がうっすら黒ずんでくる。まあ徹頭徹尾完全燃焼している訳がないから、当然の事なのだが。まもなくお盆がやって来る。孫軍団が攻めてくるとあって、ババは掃除に力を入れるのだが、壁紙にはススだけでなく手あかもつくようだ。自閉君はそれこそ何を触った手で壁を触るか分からない。こんなときに、スチームクリーナーは絶大な効果を発揮してくれる。有名なドイツのK社製だが、ノズルから蒸気を出して汚れが浮いた所を雑巾で拭きとる。見る見る茶色く汚れて行く。このスチームクリーナー、どうやってわが家にやってきたのか、どうもはっきりしない。自分で買った覚えがなく、息子も「貸して!」と言うから彼が買ったのでもなさそうだ。父はこういう「わけの分からんもの」は絶対買わない。親戚の香典返しか何かでカタログギフトをもらって、それで選んだのかも知れない。うん、この可能性が高いな。水を1Lばかりタンクに入れ、キャップをして電源を入れたら蒸気が出てくるのを待つだけ。ハンドルを握ってスチームがでるようになったら、付属の小さなブラシでこそげて浮かしてもいいし、モップ状になったノズルもあり、適当に使い分けられる。気をつけた方がいいのは、蒸気だからと言って完全に滅菌できる訳ではない。凝結した水を汚れとともに拭きとって、早く乾燥させるべき。カビが生えたらまた取ればいいと考える人もいるかも知れないが、さっさと乾燥させる(通風のいい所での作業)に越した事はない。蒸し暑いので、この時期は避けるべきだと思う。それとも電磁調理器に買い替え?火事は恐ろしいが、オール電化にも抵抗がある。停電でオールストップは性に合わないもので。
2025年08月12日
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今日も朝から雨が降る。雨の中は取り入れも億劫になり、ほったらかしになるが、その挙げ句はトマトが破裂する。見るも無残で、こうなる事は分かっていたが、まあぐうたら農業の報いだ。トマトは乾燥にも強く、ものすごく強い生命力を持っている。茎から根が顔を出す。水がなくてもしっかりと水を捉まえてくれるのだが、過剰になるとその強力なポンプが災いし、皮が破れるほど実に水を送って、こういう事になる。皮が破れてしまうと、中にはブドウ糖のたっぷり入った液がある。微生物にやられるか、人間が食べるかの競争になる。ブドウ糖はもっとも基本的な糖のひとつだから、腐敗が進んでしまう可能性が高い。実際、赤い方は匂いは何ともなかったが、味はおかしくなっていたので吐き捨てた。本来ならば濡れないように屋根を作ってやるのだが、大きく育ちすぎてほったらかしになっていた。生産農家だったら大変な事。でも今年はトマトは大豊作だ。HbA1cが高いと言う女房、小腹が空いたとスナックよりかトマトをかじっている方がいいと思う。何よりかむ回数が多い。明日からは少し雨もマシになると言う。
2025年08月11日
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1日目は「恵みの雨」と思ったが、流石に3日続くと「鬱陶しく」なってくる。人間、誠に勝手なものだが、湿度は低くないものの気温が下がるのは有難い。2回目のナスを植えたり、キウリも少し疲れてきたので種まきをした。暑さが長く続くのを見込んでの事だが、いつまで結実するだろうか。季節とともに昆虫の相も変わって行くだろうから、受粉しなければ収穫は見込めない。畑を見ていてちょっと驚いたのはアシナガバチが結構花にやって来る事。農学の出身者にはどうと言う事もないのかも知れないが、農芸化学にはちょっとわからない。そして水害を受けた農家はもちろんの事だが、暑すぎて米の品質が落ちるのは十分に考えられる。北陸の米どころで渇水と言うのも大変だ。知人に聞いて知ったのだが、肥料が値上がりしているのはロシアからの輸入を減らしているからだと言う。米作りをしている人なのであながち嘘ではないと思うが、ロシアの経済制裁も末端まで影響しているようだ。また一層雨足が強くなってきたようだ。樋があふれている音がする。今日は雨ばかりで太陽熱温水器も実力を発揮できていない。このところの暑さは、ガス代節約には大きく貢献してくれ、ものの4分で風呂が沸く状態だった。最高68℃の湯を提供してくれていた。井戸水と合わせてやっと入れるようになる。200Lの湯槽を2回満たせてなお余力があるのだから、有難い反面、まさにお天気任せの不安定さも合わせ持つ。温度計で湯の温度を測りながら井戸水の量を調整して時間の関数にしている。さしずめ人間サーモスタットか。晴耕雨読と言う所だが、今日日の事でPCに頼る。
2025年08月10日
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長崎原爆忌の今日、福山雅治のこの曲を何度も聞いた。長崎は新婚旅行で最後に訪れた所だ。原爆資料館や片足の鳥居はよく覚えているが、楠についてはほとんど記憶がない。タクシーから見ただけなのかも知れない。シンガーソングライターが書いた曲らしく?旋律ソロにハミングのハーモニーがつき、最後がユニゾンになると言う展開で、合唱好きとしてはもう少し動きを作って欲しかった。まあこのあたりは趣味の領域なので、ひょっとしたら好きな人が編曲するかも知れないから、それを楽しみにしておこう。クスノキは実に丈夫な木だ。それこそ折られても焼かれても切られても新芽を吹き出す。寸胴義理にされたクスノキもあるが、翌年には芽を吹いているし、家の庭にも鳥が運んできたのか1本生えていて、切っても切っても枝をのばしてくる。根が深いので掘り起こすのも面倒だから毎年切っている。クスノキはとにかく大きくなるので、庭木にはしない方がいい。お寺とか神社のような、土地が十分にある所でないと大変な事になる。それこそ枝や幹に穴が開いたりしても動じない。広島のしまなみ海道の途中に大三島神社があるが、ここのクスノキなんかは大穴がいっぱい開いているのに、とんでもない大きさになっている。神社なればこその木だろう。その生命力はどこから来るのだろう。カンフルを含むからか?枯れ葉からも樟脳の匂いがする。昔は「カンフル注射で気合いを入れろ」なんて言ってたが、医者のみ知る世界かも。核兵器廃絶は理想とする所だが、いわゆる「指導者」には響かないようだ。スリーマイルやチェルノブイリのような事故があっても自己の勢力確保が大事なようである。
2025年08月09日
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昨日は早朝の雨だったが、今日はまさに夕方の夕立で、雷も付いてきた。いつになく涼しい夕方のお経タイムになった。九州では大雨で特別警報、冠水で大変な事になっているが、兵庫県では適量と思われる。夕立の冷却効果は絶大で、今日は27℃ほどの室温だ。冷房が要らない夜になりそうだ。高校野球も第三試合が一時中断になったと言うから、相当広い範囲での雨だったようだ。兵庫県代表の東洋大学付属姫路高校も愛媛代表の済美高校を下し、次の相手は岩手の強豪、花巻東と決まった。東洋大姫路は1度だけ日本一をつかんだ事がある。40年くらい前かと思うが、職場でもTVが付けっぱなしになっていた。幸か不幸か私の出身校はだいたい1回戦敗退で、寄付の要請もない。兵庫県は報徳学園がよく話題になるが、今年も決勝まで残り、東洋大姫路に敗れた。東の報徳、中の社(やしろ)、西の東洋と言う所か。社高校は阪神の近本の出身校だ。今年は準決勝で姿を消した。阪神と言えば、タイガースはぶっちぎりに近い状態で首位を走っているが、甲子園の使えないこの時期、疲れも出てきて昔は「死のロード」などと言われたものだが、ドーム球場の増えた昨今はむしろ「休養ロード」になっているかも知れない。高野連もこの異常な暑さで気温のピーク時間には試合をしないようにしたらしいが、賢明な処置だと思う。そう言えば昨年までやっていた地元高校の陸上部のトレーニングをよく見かけたものだが、今年は一度も見ない。私が生物部にいた頃、夏休みには昆虫採集で1000mほどの高原に一泊キャンプにいったものだが、大汗をかいて登っても、翌朝にはセーターを着ていたものだ。今はあの高原でも暑いだろうから、更に涼しい所で合宿しているのかも知れない。とかくに現代は暑い。
2025年08月08日
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朝に2時間ばかり降って一旦やみ、夕方にまた30分ほど降っただけで線状降水帯の出来た北陸地方に比べればお湿りみたいなものだった。新幹線が止まったと言うからよほどの大雨だったのだろう。その割に気温は高く、現在の室温は31℃。湿度が高くなった分、不快である。それでも畑の土を掘って見たら10cm以上濡れていた。植え付けには良いが、谷もドロドロ。明日の方が落ちついて作業できるだろうし、無理に今日やる必然性もない。代わお盆も近づいているので、月参りを兼ねて墓掃除に行った。雨の後なので水盤にはたっぷりと水が溜まっていた。父が墓を建てるときに「のどが渇かないように」と大きなものを作ったのだが、さすがに50年もたつと掃除をしていても藻類がくっついて汚くなっている。いつもはタワシで掃除するが、お盆の時だけは電動の金属ブラシでこすり落とす。いまのところこれが一番きれいになるようだ。花立ても藻類がくっついているが、これは見えないので気の済む程度に柄付きのブラシでこする。いずれは子供の手に頼らねばならないので、この辺のノウハウも伝えておかねばならないだろう。先日本願寺の新聞が配られてきたが、それによると名前の異なる骨を埋葬して良いか、と言う質問に「浄土真宗はそれを禁止していないので、埋葬しても構わない」と書いてあった。姻戚関係を見れば、妹夫婦には子供が無く、福井県の義実家もいずれ処分する予定らしい。もし希望があれば相談にのるように言い残しておいた方が良かろうかと思う。墓と言うのも自分で管理するには限界があり、動けなくなったらそこまでだ。息子は「ここで生まれたんだから墓はここがいいと思う」とは言っているが、先の事は分からない。「遺骨のゴミ箱と割り切れ」というと、あまりに不謹慎だろうか。遺骨はどこにでも放置できるものではないし、かと言って次々に建てるのも安い買い物ではない。その時の話で決めれば良かろう。墓の話題はまあ諸説あって家制度の名残が働くものである。親はうるさく予約しないのが子供の為ではないか。ただ、墓を移動するときには行政への届け出が必要だ、とも書いてあった。お寺の新聞もたまには読んでおいた方がよさそうだ。
2025年08月07日
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毎年2月に市民音楽祭を開いている。自治体から補助金を出してもらい、出演者も参加費を払って何とか実行委員会の会計は若干の黒字を繰り越せているのだが、昨年秋からの郵便料金値上げは「ちょっとやばい」状態になってきた。そこで今年から申し込みの掲示を半分の面積(A3→A4)にし、webで受け付ける事にした。出演者の年齢層も考え、一応紙の提出の道も残してあるが、配送料金はだいぶ節約できる。えらく簡単に事務局は引き受けてくれたのだが、なんと兵庫県共通の受付フォームが作ってあり、それに書き込んで行けばいいようになっている。多分、だが項目を選んで行けば申込書の型式を作ってくれるのだろう。これが斎藤知事の肝いりで出来たかどうかは分からないが、これは県民共通の財産になると思う。ただ、サーバーは若干遅い。受付の返信メールが来るまでに3分ばかりかかった。今まで経験したものは即時回答があったので、そんなものと思っていたが、まあ行政なら遅くてもそんなものかと何となく納得?する方もする方だが。行政の対応は遅い、がデフォルトになっているようだが、実はそうあるべきでないはず。県レベルではないけれども、投票もオンラインで出来るとだいぶ節約できるはずだと思うのだが。
2025年08月06日
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原発の新設を容認する方向で地元では話が進む。「また汚いものが」と思ってしまうのだが、地元に落ちる金の方が強いか。私が子供の頃、「原子力は原爆とは違って怖くない」と教えられていた。学生の頃、東海村の「バケツ臨界事故」がおきた。放射線を浴びた当事者は短期で亡くなった。放射線は遺伝子を壊してしまい、細胞の再生も出来ない。高速増殖炉のナトリウム漏れが起きたのも似たような時期だっただろうか。プルトニウムを燃やして永久機関のような「燃料を作りながら発電をする」と言う計画は結局頓挫した。高温の金属ナトリウムなんて、考えただけでも気味が悪い。高校の頃だったか、田湖輝さんの「頭の体操」で、「何でも溶かす液体」はない、と言う指摘をした、なぜか?と言う問いの答えは、「そんな液体を入れておける容れ物がない」だった。それを地で行くような事件だった。発火して、水をかけたら爆発的に水酸化ナトリウムの塊になり、中和するにしても中和熱で次の危険がでるだろう。結局のところ核サイクルは成立せず、ごみ捨て場に困っているのが現状。まさに「トイレの無いマンション」なのである。ゴミはどこでも嫌がられる。手を挙げたら注目される。使用済み燃料は溜まるばかり。それぞれの原発で「一時保管」の元に置かれている。おそらくは新設しても同じ状態になるだろう。電気の需要は伸びる(と言われている)が、例えばリニアもたくさん消費するだろう。リニアで東京-名古屋が1時間になると言うが、それにどれだけの価値があるのか分からない。人口は減る。今の新幹線でも間に合うんじゃないかと以前から思っている。またデータセンターやAIの運用にも電気が必要だが、グリーンエネルギーに切り替える方がまだマシではないかと思う。川、風、海、太陽光など原子力以外の選択をするべきではないか。醗酵メタンも選択肢かも知れない。醗酵メタンはもちろん硫化水素も関係してくるが、汚泥は肥料に出来るはず。(水との分離と言う課題はあるが)放射線よりは取り扱いやすいはずである。
2025年08月05日
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この時期、土日は花火大会があちこちで行なわれる。8月2日、淡路島でも花火大会が行なわれたが、5千発を用意していたと言う。多分我が町の10倍規模ではないかと思うが、初めの方で暴発があり、発射管が壊れたと言う。確かに、景気よく始まった直後に、低い位置で変な光り方をしたのがあった。この事故で、大会はわずか10分ほどで終わりにしたらしい。何とも気の毒な話ではあるが、私ももう数十年前になると思うが、花火工場の事故を見た事がある。大きな音がしたと思ったら、花火がドーム型に広がっていた。多分地上で爆発したので、星が通常球になるのが、半分は地上に飛んだのだろう。花火の事故はそれが最初で最後だ。もっとも、光の方が音よりずっと速い。音で気がついたのは多分別の爆発だったのだろう。ドーム花火が見えたのはよほど運が良かったのかも知れない。埼玉県のマンホール事故は今日になって「硫化水素中毒および硫化水素による窒息」と結論づけたようだ。報道では昨日80ppmの硫化水素が150ppmとなっていた。硫化水素は嫌気性菌により発生したものだろう。汚泥に人が落ちてかき混ぜられた事により、濃度が上がったものと思われる。硫化水素は空気よりも若干重い。空気の平均分子量は28、硫化水素は34である。二酸化炭素は44だから更に重い。気体の分析は、センサを十分深い所に入れるべきだ。死者にむち打つつもりはないが、閉鎖された空間には何があるか分からない。安全第一を心がけねばならない。交通事故も同じ。首を2回振って横断を心がけよう。素早い動きが出来なくなっている今、確認に倍の時間をかける。まだ耳は大丈夫。
2025年08月04日
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埼玉県の下水マンホールで4人が亡くなったと言う事故。正直、「なんで?」と言う感覚を禁じえない。おそらくは清掃業を営む会社だろうが、この業種には第1種衛生管理者の配置が義務づけられている。マンホールでなくても、例えばタンクに入るときでも酸素濃度の計測をするのは当然の事であり、更に下水ならば硫化水素の発生は十分に考えられる事だ。硫化水素の毒性は今さらいうまでもなく、火山性ガスで遭難した例はいくつもある。仮に命綱もつけず、いきなりはいって行ったとしたら無謀としかいいようがない。近所の人が「硫黄のにおいがしていた」と話していたと報道にあったが、硫黄は本来無臭である。多くは硫化水素の臭気をそう表現している。こんな環境に入って行くには送気マスクの着用が必要だが、助けようとして入った人が次々に倒れたのは当然の事だ。会社の安全教育が十分に出来ていなかったのだろう。加えて、このマンホールは70cmほどの径で10m近い深さがあり、汚泥が1m以上あったと言う事で、救出作業は極めて困難であっただろう事が推察される。硫化水素の有毒性は高校で習うレベルだが、近ごろは中学校での実験事故も時々聞くように思う。「有毒であるもの」「その特徴」は何度も学習させる方がよいと思う。私も小学校の時に発生させた酸素の中で硫黄を燃やす理科の実験があり、その燃焼ガスの匂いをかごうとして先生にこっぴどく叱られた。「そのガスは硫酸の親戚だぞ!」確かに二酸化硫黄が水に溶けると亜硫酸になる。これを更に酸化して出来るのが硫酸だ。「化学って面白い」と思ったのはこの時かも知れない。亡くなったのは50代の人と聞いている。これを機会にと言えばあまりに失礼だが、危険な事、危険なものをもう一度復習してもらいたい。そう言えば田母神氏が津波の騒ぎを「気象庁が煽った」と言ったとか報道されている。「なめたらいかんぜよ!」自然は怖いものなのだ。事故は起こってしまってから悔やんでも遅い。
2025年08月03日
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地元の花火大会。裏に家が建つまでは2回の窓から見られたものだが、今は前を通る道の歩道に出て、20mばかり歩いた所に椅子を置き、見物する。射場までは2kmばかりだ。アナウンスをしているのが聞こえたり、聞こえなかったり。仕掛け花火はもちろん見えない。少し風があって星が少し流されている。観客としては涼しくていい。娘が孫を連れてやってきて、今年から露店が解禁になったとの事。花も団子も必要なようだ。長時間露光だが、うっかりレリーズを買っていなかった。それで短いセルフタイマーを使ったのだが、見えたときのタイムラグは結構大きなもので、なかなかタイミングが合わない。終わってからスマホでワイヤレスのレリーズが出来たのを思い出したが、時既に遅かった。カメラはオリンパスだが、初めてSCNモードを使ってみた。まあこれはこんなものかな。茶の間に戻ってみると長岡の花火大会を放送していた。スケールがまるで違う。もっとも長岡は確か戦災の犠牲者追悼で始まったと聞いている。我が町と言ったら、誤爆1発だけの空襲?だったそうだ。姫路は空襲で焼け、お城だけが残ったが、隣の我が町は空襲警報が出てものんきなものだったそうだ。昨年から違法駐車に注意をする観光協会の車が目立つようになった。青いランプを点滅させながらやって来るのはアメリカ風かも。道の反対側から見物しているばあさんが、「あんたなあ、そこに停めたら私が見えへんやないか」とのんびり抗議をしている。事故には気をつけろよな。今日はあちこちで打ち上げられた事だろう。
2025年08月02日
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久々にほんのちょっと夕方に雨が降ったが、タイミングが良くそこからの再加熱はなかった。雨が降って温度が上がると言うのは蒸し暑いばかりで何のいい事もない。地域のお天気では50mmも降ると言う予報も出たが、これは見事に外れた。さて、朝刊の1面に載っていたこのニュース、性別だ・達成感だ・パンデミックの影響だなどと論評されていたが、なぜか「教育環境」については貧富の差だとかゲーム機の存在、あるいは親の無関心などと評論していたが、私は何より教師の環境の悪化である可能性が高いと思う。自分の小学生の頃の事なので65年ばかり前の田舎の小学校の事だ。児童数は800ばかりの田圃の中の学校だったが、昼休みには先生もドッジボールで子供と遊んでいたし、学年を越えても元の担任の先生が声をかけたり、密な関係にあったと思う。それだけ先生の仕事にも余裕があったのだろうと思う。私には教師の経験はないので、現代の先生の具体的な業務は分からないが、生徒指導や授業の他にやらねばならない事が多すぎると言う。生徒と関われる時間は短く、希薄になって行く事だろう。それこそ、十分な教育予算、特に人件費を押さえてきて、構造改革も出来ていないのが今の学校ではないかと思う。教育学部は各都道府県の国公立大学にあるが、教師を目指す学生が減り、機能しなくなっていると聞く。よほど教師の労働環境に魅力がないのではないだろうか。また病欠も多いと聞く。子供の頃から理科が大好きだった私は農芸化学に進み、食品関係の企業で技術者になっていたが、まあ色々軋轢もあったけれど、そこそこの貢献は出来たのではないかと思っている。理科が好きになったのは先生が色々と単元や授業の枠を超えた知識を教えてくれ、「もっと学びたい」と思わせてくれるように仕向けてくれたのが元になったのではないかと思っている。知識を付けるのは大切だけれども、「どう考えてこうなったのか」と言う過程を学ぶことに時間をかけてくれたように思う。私自身が本好きだった事もあるかも知れないが、テレビでよくやってるクイズ的な問答よりも、仕組みをよく話してくれる先生が有難かった気がする。子供が産まれてからも私は理屈っぽい事を言ってきた所為か、息子は機械関係のエンジニア、娘は医療関係に職を得た。娘は「うちの親はスニーカーは買ってくれないけどパソコンは買ってくれる」「変わってるなあ」と言う会話を同級生としたそうだ。どういう大人を育てるかは国家の将来に関わる。一斉学力テストの結果をどう読むかよりは、そこから教育をどう進めるべきなのかに転換しないと何にもならないと思う。
2025年08月01日
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