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明治から昭和の37人の作家の食生活について書いた本。胃が弱い夏目漱石、なまもの嫌いで衛生に気をつけた森鴎外、味にうるさい健啖家の幸田露伴、病気でも食欲旺盛な正岡子規、質素な藤崎藤村、栄養失調の樋口一葉、神経質な泉鏡花、情報がない有島武郎、ケチな夫のせいで一汁一菜の与謝野晶子、贅沢三昧で洋食店をこきおろす永井荷風、大きいうなぎをほしがる健啖家の斎藤茂吉、大食い酒飲み種田山頭火、食いしん坊の癇癪もち志賀直哉、貧乏で餓死におびえる高村光太郎、おちぶれた林檎好きの北原白秋、他人の金で放蕩する自己中な見栄っ張り借金まみれくそ野郎石川啄木、ヌラヌラ好きの谷崎潤一郎、洋食好きで飯をこぼす萩原朔太郎、食って吐くおごりの達人菊池寛、趣味悪いぶさいくデブで嫌われ者の食通岡本かの子、缶詰好きの贅沢な借金中毒内田百けん、飽食を嫌悪した芥川龍之介、貧乏の末に支那ソバ屋をはじめた江戸川乱歩、ビヂテリアン宮沢賢治、小食な川端康成、レモン好きなゴリラ梶井基次郎、味覚が敏感で料理をぼろくそにけなす食通の小林秀雄、アドルム常用の大食漢山本周五郎、売れて太った林芙美子、食事スタイルにこだわる堀辰雄、ヤク中料理好き坂口安吾、みつばのおひたしばかり食う喧嘩野郎中原中也、食い意地が張っていた太宰治、料理好きの壇一雄、農業をしてダンゴ屋と今川焼き屋を経営した深沢七郎、昔気質の老舗を好んだ池波正太郎、店通だが料理通ではない三島由紀夫について書いている。あとがきではこの本を書くのに5年かかったといって700の参考文献を列挙していて、資料を読み込んで作家の食生活を調べた労作ではあるものの、内容は伝記を書きたいのか作家論を書きたいのかどっちつかずで、著者が直接交流があった壇一雄、深沢七郎、池波正太郎、三島由紀夫については作家論というよりエッセイっぽくなっていて、焦点がぶれている感じ。有島武郎については食生活の情報が見つからなかったので『一房の葡萄』と作家の人生を重ね合わせていて、これは悪食というテーマからははずれているので収録しなくてもいいんじゃないかと思う。作家一人につき15ページ程度で全部で550ページくらいあって、読むのにけっこう時間がかかった。読むのにあまり頭を使わない類の本で、うんちくとして面白い情報がときどきあるし文学部の学生が文学ガイドとして読むにはちょうどいいものの、この本で取り上げている作家全員の食生活に興味がある人なんてあまりいないだろうし、日本文学が大好きというわけでもない人は図書館で借りて好きな作家のところだけ読めば十分かもしれない。★★★☆☆文人悪食 (新潮文庫) [ 嵐山光三郎 ]
2017.07.29
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脳はどこまでわかったか、早期教育、心とはなにか、頭が良いとはどういうことか、外側から脳を調べる、脳の操縦士はどこか、神経回路の仕組み、記憶の仕組み、痴呆、パーキンソン病、プリオン病、ノックアウトマウス、神経回路のでき方、神経幹細胞でぼけが治るか、という15のトピックについて書いた本。●面白かったところのまとめ・ヒトの両眼視機能は1歳から1歳半ごろが最も敏感で3歳ごろまで臨界期が続くことになるという研究結果が報告されてから、眼科では乳幼児にはできるだけ眼帯をかけないで治療するようになって、片眼が弱視になる子供の数が少なくなった。・乳幼児期から第二言語を獲得したバイリンガルは母語と第二言語を脳の同じ領域で処理しているが、遅れて習得した場合は母語の領域はすでに固まっていて第二言語は違う領域で処理することになる。・知能は多重知能説とg因子(general intelligence)説がある。多重知能説は知能はIQのようなひとつの尺度で測れるものではなく、言語的、論理的、音楽的、空間認知的、絵画的、身体運動的、社会的、感情的の8種類に分類される要素で成り立っていて、言語的に劣っていても論理数学的に優れているというようにそれぞれの知能の間に相関はないと考えているが、これに当てはまらない能力があると疑問視されている。g因子説はあるテストで優れている人は他のテストでも優れている傾向があるので、特定の能力だけでなく知的な能力全般にかかわる因子を測定して、g因子と呼び、一般知能gは遺伝的相関がある。・白人は1万人に1人の割合で絶対音感を身につけられ、3歳から6歳の間に音楽的トレーニングを受けないと絶対音感を獲得できない。●感想2005年の刊行当時の最前線の研究結果をばらばらにとりあげていて、内容が包括的でない。そのうえ各章が20ページほどしかなくて研究のさわりをちょろっと紹介する程度なので、詳しい内容を知りたい人には物足りない。各章のタイトルがわかりにくい上に、7章と13章で神経回路について別々に書いていたり、9章と14章でぼけについて別々に書いていたりして、トピックのまとまりがなくて構成もよくない。脳科学の研究者でもない一般人がDCC遺伝子がネトリンを感知する受容体を作るだのなんだのというのを知ったところで内容が専門的過ぎて日常生活では役に立たないし、一般人向けの用語解説も不十分。脳がどこまでわかったのかという研究成果をそのまま書くのでなく、わかった結果として何ができるようになったのか、我々の生活にどういう影響があるのかというところまで書かないと一般人としては面白くない。ブックオフオンラインで108円で売っていて専門的な内容の割には安くてお得だけれど、この本を読むよりも興味があるトピックに特化した別の本を買うほうが満足度は高いかもしれない。★★★☆☆【中古】 脳はどこまでわかったか 朝日選書/井原康夫(著者) 【中古】afb
2017.07.21
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AIの専門家によると、翻訳は2024年、ベストセラー本を書くことは2049年までにAIの能力が人間を上回るらしいというコーネル大学の記事が巷で話題になっていた。AIといっても、ディープラーニングだとかニューラルネットワークとか非ノイマン型コンピューターだとかなんかいろいろあるらしい。私は科学オンチなのでAIがどういう仕組みなのかはよくわからないものの、AIの能力が人間を上回ったら文学はどうなるのか、よくわからないなりにとりあえず考えてみることにした。・AIの翻訳Google翻訳はディープラーニングが適用されて昔に比べてだいぶましになって、短文の逐語翻訳とか、取扱説明書や経済ニュースのような解釈の多様性がない文章は完璧に翻訳できるようになった。しかしあいまいな文章を文脈で解釈するのが苦手なようで、たとえば主語が省略された日本語の翻訳で変な代名詞を使ったりするし、行間を読んで書かれていない部分の意味を補って翻訳することはまだできず、方言、スラング、冗談、皮肉もまだ理解できないようである。ダブルミーニングのような特定の言語でしか意味を表せないような単語の完璧な翻訳は言語の仕組み上不可能なので、人間でも無理だしAIでも無理だろう。一通りの解釈しかないような現代語の翻訳が将来的にAIに取って代わられるのは確定だろう。翻訳者の仕事として残る部分は、古語やくずし字や方言の翻訳とか専門知識なしだと翻訳不可能なニッチな分野に限られるんじゃなかろうかと思うけれど、Googleはすでに風景写真に写った看板の自動翻訳もできるようになっているので、屏風や掛け軸に書いてある漢詩の翻訳とか、古美術品や刀の銘の翻訳や真贋鑑定もAIがやってしまうかもしれない。AIで対応できないようなニッチな分野の翻訳を専業にしても生活できそうもないし、翻訳者はわざわざ目指すような仕事ではなくなって、AIの能力向上までの移行期間は専門家が片手間に翻訳するような感じになるんじゃなかろうか。翻訳小説なんかはAIが翻訳して、人間の翻訳者が翻訳の一貫性とか解釈のバイアスを加えるためにちょろっと手直しするような感じになるかもしれない。翻訳だけでなく通訳案内士やバスガイドやホテルのフロントもAIに取って代わられるかもしれない。たとえば外国の観光地に行ったらAIが自動運転するバスに乗って、AIの音声アシスタントに歴史や名物を尋ねれば数ヶ国語で返答されて、地元民と交流したかったらAIが会話を自動翻訳して、レストランのメニュー画像をスマホに取り込んで自動翻訳して、ホテルのテレビのローカル番組もAIが自動翻訳して、観光サービスの大部分がAIに置き換えられるかもしれない。さらにAIの翻訳能力が進歩して画像や動画の情報から記号やボディーランゲージといった特殊な言語を翻訳できるようになって、点字⇔音声/字幕の自動翻訳とか、手話⇔音声/字幕の自動翻訳とかができるようになれば、障碍者が生活しやすくなるかもしれない。・AIの小説チェス、将棋、囲碁のようなルールに則った計算能力ではAIは既に人間を超えた。翻訳にはクリエイティブな要素がないので翻訳がAIに取って代わられるのは想定内だけれど、AIがクリエイティブな小説を書けるかどうかでAIの真価が問われるというか、むしろ人間の真価が問われるのかもしれない。認知心理学だと短期記憶で保持できる情報量やらが研究されているし、構造主義だと物語の構造が研究されている。すでにある構造を使って単語を別の単語に置き換えれば同じ構造で別の物語を作れるし、生理的に人間の脳に最適な情報量で描写するということも可能だろうし、人間では暗記しきれないほどの膨大な語彙を駆使して韻を踏みまくった詩を作ることも可能だろう。読書家や文学研究者が生涯に読む本の量は多くて2万冊くらいで、一方でAIが人間以上の翻訳能力を持ったときには世界中のあらゆる時代のあらゆる言語で書かれた数億冊の本が参考資料になる。そうなると時代小説のように資料を調べて時代考証をして書くタイプの小説だと人間の記憶量ではAIに太刀打ちできなくなる。校正もいらなくなるかもしれない。ただ将棋や囲碁と違う点は、将棋や囲碁はAI同士の対戦を何万局も繰り返して機械学習することで飛躍的に能力が向上してAIにしか理解できない最強の手筋を使うけれど、小説の場合はAIが何万作も習作を書いてそれを学習素材にして機械学習してAIにしか理解できない最強に面白い小説というのを書いても意味がなく、人間の理解力に合わせて調節して人間が面白いと思う小説を書かないといけないので、将棋や囲碁が最強の手筋を見つけるよりもAIが人間に合わせた小説を書けるようになるほうが時間がかかるのは当然かもしれない。フェイスブック人工知能研究所で二つのAIチャットボット同士が会話を繰り返して機械学習したところ、"i can i i everything else" "balls have zero to me to me to me to me to me to me to me to me to"みたいな独自の非ヒト言語で会話し始めたということがThe Atlanticの記事に書いてあったけれど、これを見るとまだまだ前途多難な感じがする。しかし2049年まで30年も研究時間があればAIがベストセラー小説を書くのはありうると思う。悲劇的恋愛とか復讐劇とか勧善懲悪とかパニックホラーとかプロットが単純で万人受けしそうなパターンのバリエーションを変えたようなものをAIは書くかもしれない。あるいは逆にAIは単にひとつの万人受けしそうな物語を書くのでなく、その物語をヘミングウェイ風とかフローベール風とか読者の好みを反映した描写量や会話量に調節したり、読者の性別に応じて主人公の年齢や人種や性別を変えるようにカスタマイズすることもできるようになるかもしれない。つまりはあいまいな「読者」という概念がなくなって、自分ひとりのために最適化された物語が提供されるようになるかもしれない。たとえば温泉旅行をスマホのスケジュールに入れたらその温泉旅館を舞台にした湯けむり殺人事件の小説がちょうど新幹線の移動中に読み終わるページ数で自動生成されて旅行中の暇つぶしができるとか、SNSに失恋を愚痴ったら慰めて次の出会いを促すような恋愛小説が自動生成されるとか、エッジAIを搭載した喋るぬいぐるみが持ち主の子供との会話内容や機嫌を基にしてその子供を主人公にした物語を自動生成して朗読して子供を寝かせつけるとか、年齢や国語能力に応じて語彙や漢字とひらがなの割合を変えるとか。そんなふうにAIが書く小説が自分好みに自由にカスタマイズできるようになったら、読者は自分ひとりにとって最高に面白いカスタム小説があればそれで足りるので、作品の優劣を競う賞レースのようなものもなくなるし、万人受けする名作もなくなる。大衆を相手にして漠然とした小説を書いている人間の作家は質と量の両方で競争力がなくなって消えるだろう。AIが小説家を駆逐する一方で、芸能人の暴露本とかエッセイとか、特定の作者しか書けないタイプの本は何を書いたかよりも誰が書いたかが重要なので、AIに取って代わられることはないだろう。将来の文学はうわべの起承転結があるだけのエンタメ小説はAI作家が担当して、人間の作家はプロットを作ったり伏線を張り巡らせたりするパズル的な能力よりも、思想とかユーモアとか社会批判とかうんこをもらすとかの人間らしい部分が重要になってくるのかもしれない。そうなると筒井康隆みたいなユーモアがあって批判精神旺盛な作家が将来のAI全盛時代を生き残るのかもしれない。
2017.07.12
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認知心理学と生物学の見地から記憶の仕組みについて紹介する本。短期記憶、長期記憶、加齢による記憶障害などについて研究例を紹介しつつ書いてある。上下巻で、下巻は上巻の続きになっているので両方買うほうがよい。●面白かったところのまとめ・単一の記憶領域はなく、どんなひとつの出来事の表現にも脳の多くの部位が関与して記憶が分散保存されるが、脳領域のすべてが等しく関与するわけではない。・陳述記憶(記録のある記憶、顕在性記憶)は、事実や考え、出来事に関する記憶であり、これらの情報は言葉による表現や視覚イメージとして意識的に想起・回想することができる。・非陳述記憶(記録のない記憶、内在性記憶)も経験に起因し、行動の変化として現れるが、想起・回想することはできない。・非陳述記憶の馴化(刺激への慣れ)で、無害な刺激に対して過剰な防御反応を取り除き、動物は生存にとって重要でない刺激を無視することを学習する。時計の音や騒音を無視するようになり、性的反応にも慣れる。・鋭敏化で有害で脅迫的な刺激の性質を学習する。・陳述記憶は受動的、自動的に学習できるわけではなく、繰り返しの回数、重要度、組織化の程度、すでに持っている知識への関連付けの要因のすべてが影響する。・符号化(情報を符号に変換すること)が精巧で深く行われれば、符号化が限定的で浅薄に行われる場合に比べて記憶はよりよく保存される。勉強する理由があり、勉強している事柄が好きで、集中するほど記憶が強化される。・記憶の想起は様々な脳の領域に断片として分布している記憶痕跡を再活性化するだけでなく、一種の再構成の過程である。陳述記憶は不完全で歪曲されやすく、でっちあげたり部分的に削除したり別の部分を織り込んだりして筋の通った全体像を組み立てる。・忘れることは記憶のために重要で、要点をつかむためには細部を忘れたり除外する必要があり、類似点や隠喩を正しく理解して一般概念を作り上げるためには細部を無視する必要がある。・強く記憶したからといって後でうまく想起できるとは限らず、うまく想起するためには思い出そうとしている出来事の最もよく符号化された特徴を呼び起こすのが有効な手がかりになる。・気分や心の状態が何をどれだけ思い出すかを左右する。マリファナを吸った後に学習した場合、覚めた後には何を学習したのかほとんど思い出せない。・時間がたつにつれて陳述記憶を忘却するが、その出来事の痕跡が脳内に全くなくなるわけではなく、非陳述記憶が残存しているかもしれない。・短期記憶(short-term memory)は即時記憶(immdediate memory)と作業記憶(working memory)に分類される。即時記憶は今何に注目しているのかを示す情報で、容量が小さく、繰り返し復唱しなければ30秒未満で消失する。能動的に繰り返し復唱すれば記憶の時間を延ばすことができ、その内容を数分間かそれ以上保持でき、その後も情報は一時的な不安定な形で残る。この延長された即時記憶が作業記憶と呼ばれる。・記憶の段階的安定化家庭で徐波睡眠が重要で、徐派睡眠強化の効果は夜の間に失われる記憶の量を減少させるものであり、記憶獲得の増強をおこなっているものではない。・陳述記憶のうち、世界に関する知識を組織化した記憶は意味記憶と呼ばれ、この種類の情報を想起するときに過去の出来事を思い出す必要がない。自己の人生のある時点における出来事の記憶はエピソード記憶と呼ばれ、その出来事が起こった時間と場所を特定するための空間的・時間的目印を記憶する。・短期記憶を長期記憶に移行するためにはスイッチを入れる必要があり、その情報変換能力は環境に依存し、変換スイッチは高度に調整されている。そのスイッチを入れる前に起こる過程は脳の損傷で簡単に壊れて記憶喪失が起こる。・フラッシュバルブ記憶(閃光記憶)は生涯続く詳細で鮮やかな記憶で、感情的に重要な出来事についての長期記憶は脳がその強さを増強できる。・最近覚えたり経験したりした単語や事柄を特定し処理する能力が改善されることをプライミングという。プライミングは最近与えられた刺激を知覚する能力の改善が無意識に起こり、記憶が長時間持続するのが特徴。・扁桃体は非陳述的な情動記憶、海馬は陳述記憶をそれぞれ独立して支えているが、二つのシステムは一緒に働くこともできる。扁桃体が活発であるほど情動的な内容を持つ陳述記憶の保存を強める。・脳は若いときにもっとも改変される。12歳までに楽器を演奏することを学習した人は、より遅い時期に楽器を始めた人よりも演奏にとって重要な左手の指のより大きな皮質表現を獲得する。●感想私は脳科学や認知心理学の本はある程度読んだけれど、知識の再確認とアップデートのためにこの本を読むことにした。我々は普段記憶の仕組みをしらなくても物事を記憶できるけれど、受験勉強にしろ仕事にしろ、新しい知識を記憶をしないで生きていくことはできないし、歳をとれば物忘れをするようになるので、自分の脳がどう知識や経験を記憶をしているのかという仕組みついて知っておいたほうが生きやすくなる。この本は上下巻で3500円くらいだけれど、値段以上のメリットはあると思う。さて小説は読者の記憶で成り立つ芸術なのに、脳科学や認知心理学方面から小説を研究しようとする文学者がいない。そういう研究は文学者でなく言語学や心理学の研究者がやっていて、文学者は解釈の仕方にばかり執着しているけれど、この視野の狭さが文学が行き詰っている原因のひとつではないかと私は思う。読書とは何かというと、物語を読んで理解した内容を陳述記憶をしているといえる。即時記憶で数行の文章の情報を処理して、登場人物の特徴なりプロットなりを符号化して作業記憶として残して数時間の読書の間でも登場人物の名前や物語のいきさつを覚えていて、小説がどういうプロットで主人公がどういう人だったのかという物語の全体像のメンタルモデルを作って陳述記憶として記憶して、どこがどう面白かったのかを想起してなんやかやと感想を言って、感動すれば情動記憶として強く記憶されて、感動しなければ記憶も弱くて時間がたつにつれて内容を忘れていくわけである。私はこのブログでは以前はあらすじをまとめないまま感想を書いていたけれど、小説の内容を忘れていることがよくあった。特につまらない小説はまったく記憶にのこっていないものもある。しかしあらすじをまとめるようになってからはつまらない小説でも内容を思い出せるようになった。これはあらすじをまとめようとストーリーに集中することで記憶が強化されて、文章化することで記憶を想起する手がかりが増えたことによって思い出しやすくなったのだろう。小説の内容が面白ければ読者は集中するし、集中力を削ぐような無駄な脱線を省くことで符号化しやすくなる。昔話や御伽噺はひとつの物語がひとつのエピソードとして完結していて、脳がエピソード記憶として覚えられる情報量に簡潔にまとまっているがゆえに口伝で継承されてきたわけで、昔話の物語構造は今でもあらゆる物語のベースになっている。しかし純文学は脳の仕組みに逆らうことを新しい表現としてもてはやすようになって、つらつらと句点をつなげた冗長な文章を書いたり、わざと脱線したりプロットを破綻させたりしている。これはいわば熱心に読者の集中力を削いでいるようなもので、文章が冗長すぎて符号化しにくくなったり、プロットが複雑すぎて作業記憶の記憶能力を超えてメンタルモデルが作れなくなったりする。このように脳の記憶能力を超える情報量の小説は形式自体が必然的につまらないといえる。たとえばジョイスの『フィネガンズウェイク』とかプルーストの『失われたときを求めて』とかは情報量が多すぎて、作者が何百時間もかけて情報を詰め込んで書いたものを読者が短期記憶を維持できる数時間内に読みきるのは無理である。人間は何時間も集中力を持続させることができないので、鑑賞の途中で作業記憶の容量が足りなくなって作品を理解できなくなり、途中で読書を中断しなければなない。理解できないものは後から内容を想起することもできないし、理解できないまま中断した箇所から無理やり物語の続きを読み始めても、記憶する情報量よりも忘却する情報量のほうが多くなる。そうなるとまた最初から読み直すか、途中で読むのをやめるかの選択になるけれど、理解できないつまらない小説をわざわざ最初から読み直す人はいないだろう。さらには情報の価値や重要度も集中力に影響する。どうしても小説を読まなければならないという人は文学研究者や批評家くらいしかいないし、読者はたいして情報価値がない小説を努力してまで読む必要はない。読者は重要でない情報を無視して読み流したり、あるいは純文学を読むこと自体をやめて、いったん純文学はつまらないものだと学習したら純文学の存在自体を無視するようになる。というわけで純文学がつまらなくて売れない理由は脳科学的に説明できるんじゃないかと思う。逆に、脳科学的に小説を人間の認知に最適化すれば面白い小説ができる可能性もある。読者は物語の内容を文字通り理解するだけではなく、その言葉をきっかにして自身の記憶も想起する。食べ物の描写があれば自分が食べた味の記憶を思い出して、たとえ行ったことのない場所の風景描写でも読者は記憶の断片から情景を作り上げることができる。そうして言葉が読者と相互作用するのが小説本来の面白さのはずである。表現内容よりも表現形式を重視している純文学作家は小説の面白さとは何かという基本に立ち返るべきだろう。あるいは純文学作家に期待するよりも、AIが面白い小説を書く可能性に期待したほうがましかもしれない。★★★★★記憶のしくみ(上) 脳の認知と記憶システム (ブルーバックス) [ ラリー・R.スクアイア ]記憶のしくみ(下) 脳の記憶貯蔵のメカニズム (ブルーバックス) [ ラリー・R.スクアイア ]
2017.07.10
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