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『東京大学で世界文学を学ぶ』から4年後の東大での14回の講義集で、世界文学や自作の解説をまじえつつ近代小説やドストエフスキーや谷崎について講義している。●面白かったところのまとめ第一講義 小説家が小説を解剖する・散文であれば小説はどう書いてもいい。・近代小説の誕生によって我々は新しい現実、新しい世界を発見した。小説は文学による現実の発見だけれども、その小説を創造するためには文学ではなく、現実を見る目、現実から入っていかなければならない。・近代小説の最大の特色は描写。描写は普段我々が使わない文体で書かれていて、目で読むことを前提に描写が成立する。リアリズムは近代に登場してきた表現に対する概念。・小説における会話は映画のセリフとは違う。小説における会話は会話のふりをした描写かもしれない。小説は会話という声を排除する目的に向かっている。・すべての近代小説は探偵小説である。犯人が誰かよりも動機が重要で、動機から行為に移る流れが小説のリアリズムをつくりあげる。第二講義 ドストエフスキー『罪と罰』を読む──人殺しの残酷な物語はなぜ読み継がれてきたのか・作者の妄想を言語化して他者にその夢を味わわせるためには方法と技術が必要で、すぐれた作家は場面に集中する。・作家は常にラストから小説を考えている。・小説そのものが夢なので、ストーリーを展開するために夢を使うのは安易。・手紙は作劇場の重要手段で、擬似場面をつくることができる。・トリックスターは閉塞した共同体を壊す役割を果たすお祭り男。・小説家は人間は基本的に悪なんだという認識から出発する。第三講義 「もはや誰の息子でもない」──犯罪小説、探偵小説、家族小説を読む・16-18世紀の冒険は新しい世界を発見することで、過去という未知の世界を対象とする歴史小説、地理上の未知の世界に出かける海洋冒険小説、犯罪が多発する大都会が近代小説になった。20世紀の未知の世界は無意識。・最初の家族小説は捨子物語、第二段階の家族小説は私生児物語。捨子物語は父と母の両方を否認して、私生児物語は立派な父親の物語を作る。第四講義 『古事記』と神話批判としての『源氏物語』・古代の英雄のいろごのみは土地の霊力を身につけるために土地を代表する女性をわがものにしている。江戸時代の好色ではない。第五講義 谷崎潤一郎──渡りをへたる夢のうきはし・芥川との筋のない小説論争で、谷崎のベクトルは源氏物語を目指している。・探偵推理小説は谷崎の小説の構造とかかわる重要な部分で、『アクロイド殺し』の方法を谷崎は『夢の浮橋』で美的に深化させた。・長編小説は建築物と一緒で、その土台は作者の思想で、しっかりしたテーマや思想を持っていないと物語建築は崩壊する。・東京から関西に移住して古典回帰して、関東大震災で粉々になった東京や近代日本を関西によって再構築しようとしたのが谷崎のモダニズム。●感想「はじめに」で小説の構造を読み取るには要約しかないと言っているけれど、これには私も同意である。小説を要約するとストーリーとプロットの最重要部分だけが残って、そこで物語の基幹となる構造部分と装飾の部分がわかるようになるし、要約のしやすさで作家の構成力や技術水準も判断できる。著作物を要約して主要な内容がわかるようにすると翻案権侵害になる可能性があるので、私はブログを書き始めたころは読んだ小説のあらすじを要約していなかったのだけれど、そのぶん本の内容を忘れることが多かった。しかし要約するようになってからは内容を忘れても思い出せるようになったので、要約するほどの価値もないようなつまらない小説やオチがわかると読む価値がなくなるような短編以外はなるべく要約してプロットの構造を把握するようにしている。それにあらすじに触れずに書評を書くのも難しいので、たぶん翻案権侵害で訴えてくる作者もいないだろうと思う。『東京大学で世界文学を学ぶ』に比べて内容は包括的でないものの、ベテラン作家が作家の視点から解説していて辻原登の文学観がわかるので面白い。辻原登の『冬の旅』は私にとってはあまり面白くなかったけれど、この本を読んで『罪と罰』の逆の構図で書いたという作者の狙いがわかったので、再読したときに違った面白さがあるかもしれない。文学部の学生や小説を書こうとしている人なら買って損はないので、『東京大学で世界文学を学ぶ』と一緒に読むとより文学を理解できるようになると思う。ちなみに紀伊國屋の1000円のクーポンをもらったのでこの本の電子書籍版を買ってKinoppyで読んだ。気になるところにマークしようとしたら文章を選択しようにもクリックするとページをめくってしまってどうにもならないのでKinoppy for Windows Desktopのヘルプを見てみると、「マウスの左ボタンを押し下げマウスを動かさずに1秒弱待つと、黒い四角形がマウス付近に表示されて消えます。これが文字選択モード開始の合図です。」だそうで、初見殺しのわかりにくい仕様だけれど、慣れれば付箋代わりに使えるので便利である。★★★★★東大で文学を学ぶ ドストエフスキーから谷崎潤一郎へ【電子書籍】[ 辻原登 ]
2017.08.28
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メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』を基にして小説技法と批評理論を解説した本。こないだ『フランケンシュタイン』を読んだのでついでに読むことにしたのだけれど、あらすじが解説されているので『フランケンシュタイン』を未読でも問題ない。文学研究書はかなり高くて1冊2000-4000円くらいするので、文学理論の定番の本を一通り買うと数万円かかる。それに比べてこの本は780円+税という値段設定で各理論の要点をかいつまんで紹介しているので、入門書としては内容と値段の面でよくできている。●小説技法篇の内容・冒頭:読者が虚構の世界に入りやすくする。・ストーリーとプロット:ストーリーは出来事を起こった時間順に並べた物語内容、プロットは物語が語られる順に出来事を再編成したもの。・語り手:一人称と三人称、枠物語、信頼できない語り手。・焦点化:外的焦点化(焦点人物が物語世界の外側にいる)と内的焦点化(焦点人物が物語世界の内側にいる)。・提示と叙述:提示は語り手が介入して説明したりせずにあるがままを示し、叙述は語り手が前面に出てきて出来事や人物の心理について読者に対して解説する。・時間:アナクロニー(ストーリの出来事の順序とプロットの出来事の順序が合致しない場合)、時間標識(作品の中の時間を特定する具体的情報)、物語の速度(省略法、要約法、情景法、休止法)。・性格描写:性格を重視するイギリス文学。・アイロニー:言葉のアイロニー(表面上述べられていることとは違う意味)、状況のアイロニー(意図や予想と実際に起きていることの相違)。・声:モノローグ(作者の単一の意識と視点によって統一されている)とポリフォニー(多様な考えを示す複数の意識や声が独自性を保ったままお互いに衝突する)。・イメジャリー:メタファー(あることを示すために別のものを示して共通性を暗示)、象徴(類似性のないものを示して連想されるものを暗示)、アレゴリー(具体的なものをとおして抽象的な概念を暗示して教訓を含ませる)。・反復:筋、出来事、場面、状況、イメージ、言葉の反復。・異化:普段見慣れた物事から日常性を剥ぎ取って新たな光を当てる。・間テクスト性:他の文学テクストとの関連性。・メタフィクション:語り手が前面に現れて読者に向かって語り自体について言及する。・結末:閉じられた終わり(はっきりした解決)、開かれた終わり(無限の異なった解釈が可能)。●批評理論篇の内容・伝統的批評:道徳的批評(『フランケンシュタイン』は道徳的か否か)、伝記的批評(作者の夫がフランケンシュタインのモデル)。・ジャンル批評:ロマン主義文学、ゴシック小説、リアリズム小説、サイエンス・フィクション。・読者反応批評:読者としての怪物。・脱構築批評:テクストが論理的に統一されたものではなく不一致や矛盾を含んだものだと明らかにする。・精神分析批評:フロイト的解釈(作者の創作とフランケンシュタインの怪物創造の関連)、ユング的解釈(集団的無意識としてのアニマ(男性の心理に潜む女性的精神)/アニムス(女性の心理に潜む男性的精神)との関連)、神話批評(『フランケンシュタイン』は英雄の原型をパロディ化した物語)、ラカン的解釈(フロイトの理論に言語の要素を加えて、フランケンシュタインをエディプス・コンプレックスを乗り越えられなかった男の話として読む)。・フェミニズム批評:『フランケンシュタイン』は子供を産むことに対する母親の不安を書いた「出生神話」。・ジェンダー批評:ゲイ批評(フランケンシュタインとクラヴァルはホモだちで怪物は性的伴侶を奪われた苦悩を味合わせるためにクラヴァルとエリザベスを殺した)、レズビアン批評(ジャスティーヌとエリザベスの会話はレズ的)。・マルクス主義批評:文学作品を歴史的「産物」として扱い、その生産に不可欠の政治的・社会的・経済的条件を探求する。産業革命が起きて人工的に作られた新興労働者はばらばらの人間の寄せ集めで統一を欠く怪物。・文化批評:価値評価で作品を位置づけず、文化的背景で作品を関連付ける。『フランケンシュタイン』や怪物は他の文学、演劇、映画にも取り入れられて書き換えられていく。・ポストコロニアル批評:西洋に植民地化された第三世界の文化の研究。作者が第三世界をどう書いているかに焦点を当て、『フランケンシュタイン』のトルコ人父娘にはキリスト教徒の西洋的価値が付与されていて帝国主義による東洋世界の定型化があり、クラヴァルのインドでの植民地建設やウォルトンの北極探検などのヨーロッパ人による帝国主義的侵犯は挫折している。・新歴史主義:文学作品を歴史的背景との関連で研究するのが歴史主義だが、新歴史主義はニュー・クリティシズムで歴史的背景が無視されたところにまた歴史の要因を持ち込み、歴史を文学作品の背景とみなさずにより広範なものとして社会科学として位置づける。『フランケンシュタイン』は単に先行する神話や文学作品とつながりがあるだけでなく、人間を機械とする新しい見方もとりいれている。・文体論的批評:テクストの言語学的要素に着目して、語や語法をいかに用いているかを科学的に分析する。『フランケンシュタイン』は曖昧な言い方をしたり言葉を濁したりするのが特徴。・透明な批評:不透明な批評(テクストを客体として見て形式上の仕組みをテクストの外側に立って分析する方法)と透明な批評(テクストの中に入り込んで論じる方法)。フランケンシュタインはどこへ行ったのかをテクストの中に入り込んで考える。●感想小説技法については、ここに書かれている技法が小説技法のすべてというわけでもないし、技法を知ったからといっていい小説が書けるというわけでもない。しかし小説投稿サイトに投稿している素人の小説が多少ましになる程度の役には立つかもしれない。下手なエンタメ作家は作者が登場人物になりきって一人称で自分語りするイタコ芸が多い。これを文学理論用語でいうと内的焦点化で叙述しているわけだけれど、作者が異性の登場人物を書くときにイタコしきれなくてリアリティがなくなるし、異性をイタコするのが苦手だからといって同姓の登場人物をイタコする楽なやり方を続けるといつまでも上手くならないし、使える技法のバリエーションも増えないのでワンパターンになる。一方で三人称だと焦点人物が増える分だけ構成が複雑になって、作家の技量が作品に反映されやすい。というわけで、手っ取り早く小説を書きたいという人は一人称で書けばいいけれど、歴史に残るような傑作小説を書きたいという人は三人称で書くほうがよい。批評理論については、文学専攻の学生は理論を一通り知っていると卒論のテーマでどの作家のどの作品をどう論ずるか、あるいは既に論じられた事にどう反駁するかという論旨を決めやすくなるので、この本を読んでみて損はないと思う。しかし広く知られている理論だからといってそれが正しいというわけでもなく、ソーカルが科学用語をいいかげんに使っていたジャック・ラカンやジュリア・クリステヴァを批判したように、難解そうな用語を無駄に使う衒学にまどわされないように注意したほうがよい。それに理論というのは単に偏見でこじつけるだけにもなりかねないので、ひとつの見方だけで作品を論じるのでなく総合的に作品を見る必要がある。たとえば151ページに解釈が衝突する例が載ってあって、精神分析批評では怪物はフランケンシュタインの自我の一部で怪物はフランケンシュタインの分身だから怪物が彼に代わって本能や醜悪さを抑圧する周りの人々を破壊していると解釈して、フェミニズム批評では女性の表彰としての怪物が家父長制を破壊すると解釈して、マルクス主義批評では労働者階級の表彰としての怪物が資本主義を転覆させる話として解釈して、ポストコロニアル批評では植民地の表象としての怪物が帝国主義を転覆させる話として解釈して、解釈が矛盾しあって互いに脱構築して作品に中心的な意味がないと言っている。こういう批評は違う色のサングラスをかけた人同士が花の色を議論しているようなものでお互いに話がかみ合うことはなく、どれかの解釈だけが正しいということもないので、ひとつの批評理論だけを研究してもあまり意味がない。だからといって理論を満遍なく理解する必要があるかというとそうでもない。たとえば私が猫批評理論の創始者になって、怪物は飼い主を探している野良猫の表象で、フランケンシュタインの気を引いてかまってもらうためのいたずらとして関係者を殺していく物語として無理やり解釈しても説得力がないようなもので、くだらない理論ならまともに相手にしなくてもよい。さて文学理論を知ると読書に役に立つかというとそうでもない。結局は読者にとって重要なのは作品が面白いか否か、金を払って時間を費やして読む価値があるかという点で、それは理論とは違った指標だし、文学研究者でない一般人が理論を知ったからといって作品がより面白く感じるというわけでもないし、自分にとってつまらない小説を理論で面白い小説に変えることはできない。理論を知るメリットがあるとすればなぜその小説が技術的にへたくそでつまらないのかを説明しやすくなるというくらいしかない。読書をする際に理論武装してビシバシ分析すればいいのかというとそうでもなく、素直に直感で面白いと思う小説を読めばいいし、つまらない小説は古典の名作だろうが無理して読まなくてもいいと私は思う。たとえばエズラ・パウンドの詩のような「教養ある読者」の教養水準がものすごく高い難解な作品は教養がないアホな私には評価不可能なのであまり面白くないし、苦労して読むくらいなら別に読まなくていいと思っている。私は読者としてあらゆる小説を完璧に理解しなければならないという義務があるわけではないし、私が作者が想定した読者像からはずれているのは私のせいではない。論語に知好楽というのがあるけれど、無理して難解な作品を読んでもただ内容を知るための読書にすぎず、その作品が好きでもなくて、読書が楽しくないなら、そんな読書をやってもあまり意味がない。つまらない読書は暇な文学研究者に任せておいて、一般人はラノベだろうが官能小説だろうが自分の教養に見合った面白い小説を楽しめばよいと思う。★★★★☆批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書) [ 広野由美子 ]
2017.08.14
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『生活の設計』で書ききれなかった屠畜の仕事の話を書いたエッセイ。入社のきっかけ、仕事に慣れていくまでの様子、ナイフの研ぎ方、大宮市営と畜場と芝浦屠場の違い、賃金、怪我、高級取りなのに技能がない年配社員とのいざこざ、辞めていく同僚、小説が受賞して退職したことなどが書いてある。著者は2001年に退職したようだけれど、退職後に狂牛病対策で仕事のやり方が変わってしまったので、これから屠畜の仕事をしたいという人にとっては情報が古くてあまり参考にならないかもしれない。とはいえ屠畜の仕事について論理的に書ける人はあまりいないし、独自の体験を丁寧に書いているのはよい。牛や馬は草の栄養で成長しているわけではなく、草は体内に生息しているバクテリアを繁殖させるための媒体にすぎず、反芻されるうちに発酵が進んだ草を養分にバクテリアが爆発的に増殖して、そのバクテリア=動物性たんぱく質を消化吸収することで大量の栄養を得ているので草しか食べない牛や馬が大きくなるというのはうんちくとして面白かった。単行本が140ページで1620円というのはエッセイとしては分量が少ない割りに高い。文庫本は対談が追加されて570円、電子書籍版は464円なので、興味がある人は文庫本か電子書籍版を買うほうがいい。★★★☆☆牛を屠る【電子書籍】[ 佐川光晴 ]
2017.08.07
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