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『100日後に死ぬワニ』という4コマ漫画がTwitterの連載終了と同時に大々的にグッズを売り出してステマ疑惑で炎上した件で前のブログでも書いたけれど、これについてもうちょっと考えることにした。・物語を売ることグッズを売ることは別のビジネスである宮崎駿はスタジオジブリのキャラクターグッズを売ることには反対で、鈴木敏夫に制作資金になるからと説得されて渋々グッズを売っているそうだけれど、作品にすべてが詰まっているので他のものは必要ないというのがクリエイターの感覚である。グッズを拡散することは物語やキャラクターの存在を希薄化させてしまうので、たとえ儲かるとわかっていてもやりたくないのである。一方でおもちゃ会社やゲーム会社がスポンサーになって作ったテレビ番組はキャラクターグッズを売ることが元々の目的で、物語はグッズの宣伝道具でしかない。それゆえに合体ロボットだの変身ベルトだの魔法のステッキだのかわいい小動物的な妖精だのの商品化しやすい小道具がスポンサーの命令でやたらと出てきて、物語自体はたいしたことがない。ポケモンが世界中で人気になって数千億円を売り上げていても、ファンの興味はどのポケモンが強いかかわいいかというだけで、物語はほとんど話題にならない。物語を楽しみたい人にとってはこういうキャラクターグッズを売ることを目的にしたコンテンツはつまらない。『100日後に死ぬワニ』の何がだめだったのかというと、もともと4コマでストーリーが薄いうえに、交通安全のお守りだののグッズを売る目的で物語を作っていたようで、創作姿勢がよくない。本来はグッズはあくまで物語のおまけでしかないのに、主従関係が逆転しているように見えるのでステルスマーケティング扱いされる。『100日後に死ぬワニ』はサンリオみたいに最初からファンにグッズを売る目的を明らかにして物語とキャラクターを作っていたら批判されることもなかっただろう。『100日後に死ぬワニ』を擁護する人たちは金儲けして何が悪い、他人が儲けることに嫉妬しているのだと口をそろえて言うけれど、金儲けが悪いのではなく、金儲け目的だとたいてい物語がだめになる。『100日後に死ぬハローキティ』とかをやってかわいいキャラクターが車に轢かれれば子供やノマド女子たちが号泣してグッズ買ってくれるし大儲けできるだろう。しかしそんなものは大人向けの物語ではないし、クリエイターが目指すべきものではない。作品のファンは無自覚に資本主義的な考え方をしてやたらとキャラクターグッズを欲しがるけれど、クリエイターは何年も構想を練って人生を費やして唯一無二の物語を創作しようとするし、大量生産のグッズで満たされる程度の浅い物語なんか目指していない。形にできない思想を伝えようとすると物語になるし、形にできるものを作ろうとすると物語のない一点物の美術品になる。大量生産されるキャラクターグッズは美術品でもなく物語でもない中途半端なまがいものである。・マーケティング主導でコンテンツを売るのは間違いフィクションの創作ではクリエイターはどうやって物語を最大限に面白くできるかを考えて創作すればよい。予算や締め切りや宣伝や売上はビジネスマンであるプロデューサーや編集者が考えることで、クリエイターが優先して考えることではない。本来クリエイターは技術を磨いて経験を積んで創作の専門家として高い次元で勝負するべきであって、よいコンテンツができたあとでそれを売るために宣伝するのが筋である。しかし広告代理店が力を持った結果、広告代理店はマーケティング主導で話題を作って、コンテンツの質をあげようとしないまま中途半端なコンテンツを無理やり売ろうとするようになった。そういったマーケティング主導のコンテンツは一時的に話題にはなっても、傑作はほとんど出てこないし、長期的にみたらクリエイターの創作能力が衰えて業界が衰退することにつながる。椎名桜子は「名前・椎名桜子 職業・作家 ただ今処女作執筆中」というキャッチコピーで有名になったものの、結局作家としては大成しなかった。芥川賞は話題作りを優先してろくな候補作がなくても受賞者なしにしないで変な作品を選んだ結果、肩書だけ「芥川賞作家」でろくな作品を書けない作家だらけになってもはや登竜門でなくなった。邦楽の全盛期の昭和は無名のバンドがライブハウスや路上で腕を競って実力で人気になってから音楽会社が目をつけてメジャーデビューしたけれど、今はプロデューサーが主体になって見た目がいい歌手を集めているので歌手が作詞作曲できなくなっている。AKBとかのアイドルグループも個々人は頑張っているのだろうけれど、企画を盛り上げるエンターテイナーにすぎなくて独力で作詞作曲や楽器の演奏やダンスの振りつけができるアーティストでないので、脱退してグループの看板がなくなったら個人で活動しても売れなくてメディアから消えている。映画は映画館に来る若い女性客に人気の俳優やアイドルをキャスティングすることが優先されて演技や脚本が弱くなって、名作と呼ばれる邦画はほとんどないし、外国の映画にアジア人役として使われる日本人俳優も育っていない。製作委員会方式で作った映画よりも、素人の映画と批判されていた北野武の映画のほうが売上を気にせずに監督がやりたいことをやったぶん個性が出ている。ゲームだとドワンゴが『テクテクテクテク』で50億円の売り上げを見込んで有名人とコラボして大規模なPRをして皮算用をしていたのにまったく人気が出なくて、売上900万円で8億円の赤字になって開発費と宣伝費を丸々損するような形でサービス終了した。単に儲かればいいというのであればコンテンツビジネスなんてやる必要がなくて、金融業とかの他の利益率が高いビジネスをやればいい。マーケティング主導で話題作り優先で内容が乏しいものを売ろうとするのは焼き畑農業のようなもので、そのやり方では長期的にみてコンテンツビジネスは衰退する。コンテンツビジネスをやるからには売上よりもまずはいいコンテンツをつくることを優先して、クリエイターの才能を育てて客との信頼を作って持続可能なビジネスにするべきである。コンテンツは生活必需品でないからこそ客が金を出す価値があるものを提供しないといけない。宣伝で話題を作って客を騙して価値の乏しいものを売ろうとするのはビジネスの本筋ではないし、話題さえ作れば売れると考えて客をないがしろにするのは自分でコンテンツを作らない広告代理店の思い上がりである。・キャラクターグッズは幸福につながるのか人間は狩猟本能があるので、特に男性はものを集めたがって、好きなジャンルのものを収集してコレクションとして飾りたがる。森や草原を散策して昆虫を捕まえて標本を集めれば昆虫の専門家になれるし、山や洞窟を散策して鉱物を集めれば鉱物の専門家になれるし、美術品を集めれば美術の専門家になって美術館を開ける。しかし市販のキャラクターグッズを買い集めてもオタクと呼ばれるだけで、何かの専門家として社会の役にたつわけでもない。しかし現代ではオタクの購買力をあてにしたビジネスが行われていて、ものを収集しようとする本能を利用して金を出しても欲しいものがすぐに手に入らないようにして売り上げを増やしている。コンプリートガチャとかビックリマンチョコとかトレーディングカードゲームがそのやり方で売上を伸ばしたけれど、ビックリマンシールを全部集めた子供が他の子供より幸福になったというわけではなく、同じシールがダブったぶんだけ無駄な金を使ったといえる。あるいは限定品として生産数や入手機会を絞って需給のバランスを崩すことで価格を上げることでも売り上げが増えるけれど、限定品だからといって優れているというわけでもない。このような生産者の都合で供給を操作できるものを全部集めようとすると膨大な金額がかかる。本来は作品は鑑賞するものであって、読者が所有できるものではない。しかし好きな作品の一部を所有したいというファンの欲求が商売になるのでキャラクターグッズが作られる。何かを所有したいという感情を満たすためにどれくらい金を使って物を集めれば満足して幸福になれるのかというと、資本主義社会ではこの欲求に際限がなくて、作品に人気があるほど無尽蔵にキャラクターグッズが作られるので、いくら金を使っても全てのグッズは手に入れられなくなって満足できなくなる。何かを欲しがる欲求が肥大して諦めがつかないと、欲しいものが手に入れられないことがストレスになってアノミー的自殺につながる。生活必需品でないもののために大金を使って自己破産したり自殺したりするおかしなことが現実に起きている。キャラクターグッズはフィギュアを部屋に飾って部屋を少し華やかにしたり、ぬいぐるみをプレゼントとして送って愛情の象徴にしたり、子供がキャラクターになりきっておもちゃで遊んだりすれば幸福につながるだろう。そういうビジネスの仕方はよい。しかし売る側がグッズをコレクションさせる目的で何種類も限定品を出したりして射幸心を煽って不必要な大金を出させるのは人を不幸にするビジネスの仕方である。クリエイターが金儲けのために不幸を生み出すことに加担してはいけない。・小説はグッズを売らないところがよい私が映画や漫画よりも小説が好きなのは、小説は物語の内容で勝負しているからである。純文学だけでなく商業目的のエンタメも物語の内容で勝負していて、グッズやメディアミックスに頼ろうとせず、スポンサーに媚びずに作者が一人で自由に書きたいことを書いている。アマチュア作家も文芸サークルや同人誌で活動して、利益を考えずに純粋に書きたいものを書いている。そこにクリエイターとしての矜持を感じる。漫画やアニメやなろう小説は読者に媚びて作者の個性をなくして誰でも作れるようなテンプレ展開やステレオタイプなキャラクターにするのがだめで、クリエイティブではないのはクリエイターでない。客が欲しいと言うものをそのまま作るのはクリエイターの創作というより職人の製作である。クリエイターは0から1を作って、新しいアイデアを出したり新しい技術を使ったりして新しい物語を作る。その0から1の部分はたいていはクリエイターの個性によるもので他人には代替不可能で、それがクリエイターの才能であり魅力である。「必要は発明の母」というジョナサン・スウィフトのことわざがあるけれど、現代社会に必要なのは不幸な人を慰める言葉や、不正に立ち向かう勇気を奮い立たせる言葉や、よりよい社会を作るための知識や、未来を諦めない希望である。それこそクリエイターが生涯をかけて創造する価値があるもので、キャラクターグッズを売って大儲けして喜んでいるビジネスマンには決して創造できないものである。コロナウイルスのパンデミックが起きて、事態が収束するまで当面は外出自粛が続くだろうけれど、そのぶん家の中で暇つぶしできるコンテンツの需要が増えるのでコンテンツビジネスには追い風である。これから小説を書く人は自分にとって何が価値があるのかを考えて思想を深めて技術を磨いて、読者にとって価値がある物語を作ってほしいものである。
2020.03.30
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コロナウイルスのパンデミックでデマが原因でトイレットペーパーの買い溜めが起きたり、不要不急の外出を控えろと言われたら食品の買い溜めが起きたりして、日本にしろ欧米にしろ、先進国の国民の民度の低さを実感することになった。というわけでパニックについて考えることにする。●パニックになってわかること・人は感情のままに行動して知能が低下する人間の知性や理性的な判断は前頭葉の働きによるものだけれど、不安や恐怖などの生存本能に関わる原始的な偏桃体の感情に任せて行動すると、自分の生命を優先して自己中心的になって社会秩序を乱すようになる。さらに日本人にはいわゆる不安遺伝子があるので不安には敏感に反応する。ノストラダムスの大予言という根拠のない終末思想が流行ったり、不安を煽る霊感商法が廃れないのも、日本人が不安に敏感に反応する割には不安に対処する方法を知らないからである。トイレットペーパーが品薄になったときに近所のドラッグストアに開店前から並んでいたのはたいてい老人だったけれど、オイルショックから何も学んでいないのかとあきれてしまった。買い物で行列を作って密集していたらトイレットペーパーやマスクを使い切る前にコロナウイルスに感染するリスクのほうが高いだろうに、本末転倒である。危機に直面したときにこそ知性と理性に基づいて行動しなければならない。感情任せに行動しても何も解決しないし、社会に混乱をもたらしていっそう日常生活が困難になるだけである。・政府の無能さが露呈するコロナウイルスのパンデミックで観光業や飲食店が倒産の危機に直面して、消費を盛り上げるための経済対策が旅行クーポンだの牛肉クーポンだのという情報が錯綜しているけれど、誰がそんな馬鹿な案を出したのか名前を出して欲しいものである。中小企業がつぶれて失職したり、フリーランスの仕事がなくなって家賃が払えなくなったりしそうなときに、誰が呑気に旅行したり牛肉を食べたりしようと思うのだ。その案を出した人は自分は生活に困ってないので、旅行したいとか牛肉を食べたいとか呑気な事を考えていたのだろう。人間の幸福や生命よりも利益を優先して、国民が苦しんでいようが他人事としか見なさないような人でなしが政治をやっていて、政治家や官僚のやる事がことごとく的外れで世間知らずで無能なことが露呈している。民主主義では国民の民度が政治の民度なので、そんな政治家を選ぶ国民も悪いけれど、一番悪いのは責任ある立場にいながら責任を全うしない政治家である。●パニックが起きないように普段からやるべきだったこと・普段から備蓄しておくべき小池百合子都知事が夜間の外出や週末の外出や不要不急の外出を控えろと言っただけで、都内ではいっせいに買い溜めが起きて日持ちするインスタント食品とかが品切れになってレジに行列ができたけれど、この人たちは今まで何をやっていたのかとあきれる。そもそも首都直下地震や南海トラフ地震に備えて普段から一週間分の食料を備蓄していたら、慌てて買い溜めする必要がないはずである。外出自粛は地震と違って電気やガスが止まるわけでもないのでサバイバルの難易度が低いし、自治体にも非常食の備蓄があるので餓死する可能性はほぼない。一時的で局地的な危機があっても他の地域から援助がくるし、文明が崩壊するレベルの危機がおきたら治安維持ができなくなって武装した集団に食料を奪われるので、結局個人で食料を買い溜めしても意味がない。世界の終わりが来たみたいに食品を箱買いして貯め込んで賞味期限が切れて食べきれずに捨てるのは馬鹿である。ミニマリストのように備蓄がまったくなくて危機が起きてから慌てだすのも馬鹿である。政府やマスコミが正しく情報を出していないのもパニックが起きる原因である。一人当たり米やパスタが何キロあれば一週間分になるのかという情報を出して、食料を買いに行くのは不要不急の外出に含まれないことを告知して、不安に駆られて必要以上に食料や日用品を買い溜めるような人が出ないようにするべきである。・普段から衛生に気をつけるべきセンメルヴェイス・イグナーツというハンガリーの医者は1847年に次亜塩素酸カルシウムで助産師の手を消毒することで妊婦の死亡率を下げることができると発表したけれど、当時の医師には受け入れられないまま死んで、パスツールが細菌と病気の関係を突き止めるまで評価されなかった。欧米では風呂に入らず、手を洗わず、部屋の中でも靴を履いたままで、糞尿を道端に放り投げて香水で体臭をごまかしていて歴史的に衛生観念が欠けていたし、おまけに握手やハグやキスの文化もあるので、伝染病が広がりやすい環境にある。欧米人は自分たちの衛生観念が間違っていたと認めて生活習慣を変えて、マスクをして衛生に気を付けている民度が高いアジア人に襲い掛かるのをやめるべきである。感染の発生源となった中国も道端でうんこしたり唾を吐いたり野生動物を市場で取引したりして衛生状態が悪くて、産業廃棄物やスモッグとかで環境も汚染されていて健康が害されていて、都市に人口が密集していて伝染病が広がりやすい条件が整っている。おまけに中国人が国家を信用していなくて何かあったら外国に逃げる癖がついているので、伝染病が一気に外国に広がる仕組みになっている。中国国内の衛生状態が改善されない限り、世界は中国発の伝染病のパンデミックの危機に晒されることになる。ビザ免除とかの人の移動の自由化は経済を発展させるけれど、人の移動を制限する権力も必要に応じて行使しないと経済を崩壊させる原因になってしまう。日本は島国である利点を生かして早い段階で中国人の入国を拒否しておけばコロナウイルスの感染を抑えられただろうに、目先の中国人観光客のインバウンドを惜しんだせいで札幌の雪まつりとかで中国人から日本人に感染が広がって、中国だけでなく日本も外国に危険な地域とみなされて、より多くの経済損失を抱えることになった。パン屋やスーパーの総菜売り場とかの食べ物が包装されないまま陳列されているところは陳列方法を変えるべきだし、狭い店や乗り物とかで客をぎゅうぎゅう詰めにして利益を出そうとするやり方も変えるべきである。普段から衛生管理ができていなかった飲食店は客が離れて潰れても自業自得だろう。ライブハウスとかはイベントが中止になって客がいない今のうちに換気設備を強化するなりすればよい。危機が起きてから対処するのでは混乱が起きるので、一定のパーソナルスペースを確保して換気設備を必須にするようにする法律を作るなりして普段から伝染病を予防できるように衛生管理を向上させるべきである。・普段からインターネットを活用するべきもしコロナウイルスが発生しなかったとしても、東京オリンピックが開催されていたら都内は観光客があふれて交通規制がされていただろう。普段から通勤ラッシュの緩和に取り組んで、事務職やプログラマーとかの出社する必要がない仕事は在宅勤務にして、時間の無駄で生産性がない「通勤」を減らすべきである。ついでに印刷物に判子を押すのもやめて、ネットでファイルを転送するだけで手続きが済むように仕事の慣習も変えるほうがよい。マイカー通勤する人が減ればバスやトラックなどの大型車両が運転しやすくなって物流の効率もよくなる。通勤ラッシュの満員電車の混雑が緩和されれば働く人のストレスが減ってそのぶん仕事に集中できるようになる。在宅勤務なら仕事の合間に子供の世話をしたり親を介護したりすることも可能になるので、育児でキャリアが途絶えた女性や介護離職した人に仕事に復帰してもらえる。学校はインフルエンザや台風とかでもしばしば休校になったりするので、普段からオンライン授業を取り入れて、病気で休んだ児童や登校拒否の児童とかも授業を受けられるようにするべきである。病院はオンライン診断を取り入れて軽症の患者が不要不急の来院をしないようにして、不安に駆られた人が病院に押し寄せて待合室で重症患者と軽症患者が一緒に長時間待機して感染が広がりやすくなる構造を改めるべきである。オンライン診療が一般化すれば地震が起きた時に被災地に医者がいなくてもネットがつながるだけで診療を受けられるようになるので防災にも役立つ。・まとめ新しいウイルスによる伝染病は周期的に発生するけれど、コロナウイルスを一時的な危機として扱って騒動が収束したら忘れてしまうのでは、次回にまた同じようなパニックを起こすことになる。すでにパニックが起きてしまったのはしょうがないけれど、これを教訓にしてもっと衛生的で効率がよくて民度が高い社会を作れるようにするべきである。
2020.03.26
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『100日後に死ぬワニ』というTwitterの4コマ漫画でワニが死んで話が終わったとたんに書籍化、映画化、Loftのグッズ販売、クレーンゲーム用のグッズ販売、ガチャのグッズ販売、いきものがかりとコラボとかが一挙に発表されて、電通のステルスマーケティングだと批判されて炎上していて、「電通案件」がTwitterのトレンドになっている。これについて考えることにした。・死は面白いのか、不謹慎なのか私は『100日後に死ぬワニ』を全部見たわけでもないけれど、内容は擬人化されたワニが友人と遊んだりする日常系の話のようである。ではもしワニが100日後に死ななくて単なる『100日分のワニの日記』だったらこの話は面白くなかったのだろうかと考えると、たいして面白くもないし話題にならなかったかもしれない。死はフィクションの見どころの一つと言える。あらゆる生物は〇日後には死ぬし、フィクションに慣れた人は架空の人物が死んだからと言ってどうとも思わないけれど、フィクションに慣れていないナイーブな層がけっこういる。そういう人たちにはお涙頂戴系の話が売れる。いたいけな少女が難病で死ぬ『世界の中心で愛を叫ぶ』や『四月は君の嘘』のようなのが典型的である。需要があるから売れるわけで、そういう分野をあざとく狙うのも商業作品としては別に悪いことではない。芥川賞作家の三田誠広の『いちご同盟』はお涙頂戴物を狙って書いたそうで、狙い通りに売れて映画化された。『100日後に死ぬワニ』の作者のきくちゆうきは事故死した友人をテーマにしたようで、死を金儲けにしてよいのかという倫理面の批判もあるようである。現実のあらゆる出来事はフィクションのテーマになって当然だし、プロならそれで金を稼ぐのも当然で、友人の死をテーマにして金儲けをしても『100日後に死ぬワニ』はその死んだ友人が特定できない形になっているので、倫理的な問題はないと思う。死ならそこら中にありふれているので、死を物語として売るならひとつひとつの存在の生と死に何を見出してどういう価値を持たせるかで作者の思想が読者に問われる。商業作品としての価値と芸術作品としての価値は違うので、芸術作品としては誰かが死んでかわいそうだねで終わらないような内容が必要になる。『100日後に死ぬワニ』の内容の良し悪しは人によって評価が違うだろうけれど、ネットで無料公開された作品に高い付加価値を期待するようなものでもないだろう。・何が悪かったのか『100日後に死ぬワニ』の毎日が大切な日だというテーマは別に悪いものでもないし、これを書籍化しただけなら批判はされなかっただろう。キャラクターグッズを作るのも別に悪いことでもない。しかし最終回が出ると同時に作者個人では仕掛けられないような大規模な商品化やコラボ企画が出たので、作品の内容で勝負するというよりグッズで儲けようとする姿勢のほうが目立って作品自体は商品販売のためのカウントダウン広告のような扱いになってしまって、作者が主体の企画でなくて広告会社主体で100日かけて用意周到に物を売りつけようとしたマーケティングとしてとらえられてしまったことがだめだった。個人が趣味で始めた漫画を商品化して複数の大手企業との商談をまとめてコラボカフェを開くのを100日以内にやるのは無理で、たまたま漫画が人気になったから商品化したのでなく、商品化する前提で仕込んで芸能人やテレビを使って話題作りしたと考えるのが普通である。テレビや新聞などのメディアが一丸になって流行を作っていた昭和と違って、マスコミの偏向報道を嫌って反権力で真実を求めたインターネットのユーザーは他人の手のひらで踊らされて金儲けに利用されることにうんざりして、マスコミや広告会社が作る人為的な流行を嫌っている。芸能事務所にごり押しされたモデルやタレントが嫌われたりするのもタレント個人の容姿や性格に問題があるのではなくて人為的に作られた人気を嫌うからで、SNSから人気になってモデルやタレントに転向した人たちは好かれている。ネットに真実を求めるネットユーザーは消費者を騙すようなステルスマーケティングも嫌っていて、広告会社が人気を捏造してステルスマーケティングを仕掛けたとなったら憎さは倍増する。『100日後に死ぬワニ』は好きだけど電通は嫌いだという場合には認知的不協和が起きて、不協和を解消しようとする心理が働いて、『100日後に死ぬワニ』も電通もどちらも好きという状態になろうとするか、『100日後に死ぬワニ』も電通もどちらも嫌いという状態になろうとする。心理学を知っている人は自分の認知不協和を察知して作品はべつに悪くないと認識できるだろうけれど、たいていの人は心理学を知らないので、好きか嫌いかはっきりさせたくなる。電通が嫌いな人は作品が好きだからといって電通を好きになることはないので、電通が嫌いであるがゆえに作品まで嫌いになってしまう。『100日後に死ぬワニ』の作者やいきものががりは電通案件ではないと否定しているけれど、最終回を見る前にコラボしはじめるのは不自然だし、結果的に電通の人が関わって利益を得ようとしているようだし、Twitterで大量のbotみたいなアカウントが似た文面のツイートをしているのも不可解である(https://i.imgur.com/RDJYkUR.jpg)。最初から電通が関わっていたのか、途中から電通が関わったのかはたいして違いがなくて、結果を見ればマスコミを嫌うネットユーザーの拠点のSNS上で、ネットユーザーが嫌いな広告会社がユーザーを騙すようなステルスマーケティングを仕掛けた形になって、企業がコミュニティに土足で踏み込んで荒らした感じがネットユーザーを怒らせることになった。ネットのコミュニティで人気の作品を金儲けに利用して炎上した点では2ちゃんねらーを怒らせたエイベックスののまネコ問題と似ていて、『100日後に死ぬワニ』は作者が企業と組んだところが違うけれど、ネットユーザーからの嫌われ方は似ている。マーケティングの対象が『100日後に死ぬワニ』でなくて違うTwitter上の作品だったとしても、電通が金儲けのためにごり押ししたとばれたら同様に批判されていたと思う。2007年頃に『セカンドライフ』というゲームを電通が流行らせようとして失敗したのを知っている人も多いだろうけれど、電通案件だとばれると金で人気を水増ししたとみなされて作品が嘲笑の対象になって、ブームに乗っかった人も情報弱者とみなされて嘲笑の対象になってしまう。つまり全部電通が悪い。電通の過去の行いも悪いし、マーケティングの仕方も悪い。・なぜステルスマーケティングをしてはだめなのかインターネットに意見を書き込む一人一人の個人がいるという前提で口コミや掲示板などのインターネットの信用が成り立っている。しかしステルスマーケティングは消費者の認知をゆがめる詐欺的な行為で、インターネットや口コミサイトの信用を毀損する。そのうえ企業の商品開発の努力や正当な競争を阻害することになって、サクラが高評価をつけた粗悪な商品やサービスが社会に出回ることになって、一部の企業が儲けるために社会全体に不利益をもたらすことになる。もし家や車のような高額な商品や、食品やダイエットのような健康に関する商品でステマによる粗悪品が出回るようになれば、騙された消費者の被害はいっそう大きくなる。ステルスマーケティングの手口はいろいろあって、掲示板やSNSで複数のアカウントを使って自社商品を褒めたり他社の商品をけなしたりしたり、さらにそれを偏向的にまとめサイトにまとめて世論操作をしようとしたり、外国で大量生産されたSNSアカウントを使ってフォロー数やいいね数を増やして人気を水増ししたり、サクラに金を払って好意的な口コミを書かせたりする。ステルスマーケティングの問題点はステルスという名前の通りスポンサーが表に出てこなくて不正の証拠を見つけづらいことで、好意的な口コミを書いている人がサクラかどうかは第三者にはわからないし、匿名掲示板やSNSは誰が書きこんでいるのかわからない。たまにIPアドレスを知らない人が掲示板に書き込んで複数アカウントでステマしていたことがばれたり、SNSのアカウントの切り替えをミスしてばれたり、amazonで中華業者が同じ文面でずさんなサクラレビューを投稿してステマがばれたりするけれど、ステマしている側がミスしない限りばれない。なぜステマがばれたときに炎上するのかと言えば、アメリカやイギリスではステマは違法だけれど日本では法整備が不十分で逮捕者が出なくて不正に対する怒りの感情のやり場がないのである。もしステマを仕掛けた企業や担当者が逮捕されて、裁判で誰がステマを仕掛けたのか真相が判明して罰せられればそれで話が終わって風化するけれど、日本だとステマをやったもん勝ちで野放しで真相が不明なままなので、個々のネットユーザーが自分で相手を罰しなければ気が済まなくなる。しかしステマを仕掛けるようなモラルのない企業は炎上対策の火消し部隊も雇って論点そらしとか掲示板荒らしとかの露骨な工作をしはじめるので、それがネットユーザーの怒りを増幅させることになって、真相究明や過去の言動の粗さがしが始まって炎上が加速する。テレビではさっそく芸人たちが『100日後に死ぬワニ』は問題ない、批判するほうがおかしいと足並みをそろえて擁護しはじめたけれど、ステルスマーケティングを問題ないと認識しているなら消費者を騙すことに加担している消費者の敵というべきだろう。テレビ関係者がスポンサーばかり気にして誰も消費者に沿った意見を言えないところがテレビ離れにつながっているという自覚がないのだろうけれど、こういうところでテレビは信用をなくしていく。ワニを擁護する芸人たちはステマ疑惑を晴らしたいのなら論点そらしの擁護をせずに、最短何日で中国の工場に発注してグッズを商品化したりnanacoカードを作ったりコラボカフェを開店したりできるのか検証すればよいではないか。100日以内にやれると実証したらきくちゆうきが一人で始めたと言ったのが嘘でないと証明できてステマ疑惑が晴れて堂々とキャラクタービジネスをやれるだろう。●私の意見のまとめ・死をフィクションのテーマにして金儲けをすることに倫理的な問題はない。・無料公開した作品を書籍化したりキャラクターグッズを作ったりして金儲けをすることに倫理的な問題はない。・ステルスマーケティングは倫理的に問題がある。・『100日後に死ぬワニ』は業者がグッズを売るために仕込んで話題作りしたステルスマーケティングの疑いがある。・『100日後に死ぬワニ』の内容に悪い所はないが、作品の売上で勝負せずにグッズを売るためのカウントダウン広告のような扱いにしたマーケティングの仕方がだめだった。
2020.03.21
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アベノミクスの結果がどうだったかというと、日銀の量的緩和で官製相場を作って無理やり株高にしても個人投資家は相場から離れて、消費税の増税で景気指数は悪化してしまった。アベノミクスで金持ちが金を使えばトリクルダウンが起きて下々の者もおこぼれにあずかれると偉い人たちが喧伝していたけれど、金持ちがますます金持ちになっただけで、トリクルダウンは起きなかった。おまけにコロナウイルスのパンデミックのパニックで株価が急落したけれど、アベノミクスの失敗を失敗として認めずにだらだらと出口のない量的緩和をしてマイナス金利にしたせいで、株価急落と景気悪化に対処するための対策がなくなって手詰まりになっている。官製相場で株価を水増しした分がふっとんで、インフレ目標も達成できず、結局何の成果も出さなかったどころか景気を押し下げたといえる。これなら私が総理大臣になったほうがましだとおもうので、経済政策を考えてみた。●ベーシック株ポイント制度日銀がETFを買うときは不自然なタイミングでドカンと買って、日経225採用銘柄だけ業績に関係なく上がって相場が崩れるのはよくない。それよりは株の購入にだけ使えるベーシックインカムのような株ポイントを国民に配るほうがよい。日本の人口が1億2600万人だとすると、一人に年間6万円分の株ポイントを配ると毎年7兆5600億円分のポイントが必要になる。日銀は毎年6兆円のETFを買っているので、その分をベーシック株ポイントとして配ればよい。【ベーシック株ポイント制度の特徴】・ベーシック株ポイントでの売買専用のサイトを作る。・国民全員にベーシック株ポイントを毎月5千円分(年に6万円分)配る。・ベーシック株ポイントは現物の購入にだけ使えて、信用取引はできない(つまりポイントがマイナスになることはない)。・売買差益は現金でなく株ポイントになる。・配当や株主優待は通常通りもらえる。・自分で取引できない幼児や高齢者などには自動的に投資信託を積み立てるコースを用意する。・保有株や株ポイントは相続できず、死亡した時点で株が売却されて全株ポイントが日銀に没収される。これなら株高になるという結果は同じでも、日銀のETF買いと違って配当が直接国民に行くのですでに株を持っている金持ちだけが儲かるわけではないし、ポイントがマイナスになることがなくて基本的に損しないので投資を怖がっている人も安全に投資できるし、配当でしか現金化できないので良い会社を選別して長期保有しようという意識が高まって優良企業の株価が安定して敵対的買収をされにくくなる。日銀ETFが買い一辺倒で押し目をなくしてしまって投資家の相場観を狂わせるのに比べて、ベーシック株ポイント制度なら個人が自由に売買するのでチャートが不自然にならず、業績が株価に反映されるようになるし、インカムゲインが主体なので急落局面での狼狽売りがなくなる。企業も一部の大口投資家だけでなくて国民全員の眼にさらされるので、IRをちゃんとやって配当や株主優待を強化する気になるかもしれない。良いことづくめである。新生児がベーシック株ポイントを18歳まで積み立てしたら、108万円相当の株を保有することになって、配当が3%だとしたら1年に3万円の配当をもらえるようになる。新生児が65歳まで積み立てたら390万円相当の株を保有することになって、配当が3%だとしたら1年に11万7千円の配当をもらえるようになる。配当金をお小遣いとして消費に使えば経済が活性化するし、配当金をためて株ポイントでなく現金でも株取引をするようになればさらに配当が増えていく。コロナショックで日銀がETFの買い入れ額を12兆円に倍増させたように、経済危機が起きた時には株ポイントを年12万円分に増やせば株価対策になる。というわけで新型コロナウイルスに感染して頓死して異世界に転生して総理大臣になったら、ぼくのかんがえたさいきょうの経済政策ネコノミクスを試してみようと思う。
2020.03.19
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掌編小説の書き方の動画をアップロードしました。pixivではショートストーリー(SS)が人気で#SSのタグが付いた作品が19600作くらいありますが、人気の漫画やゲームの二次創作が多いです。二次創作でなくオリジナルを創作する人がもっと増えればいいと思うのですが、無名の作家のオリジナル作品よりも人気作品の二次創作のほうが読者が増えてますます二次創作をするモチベーションになってしまうところに現代ならではの構造的な問題があるようです。既存の設定を使って楽に創作しても成長は乏しいので、小説をうまく書きたい人はオリジナル作品で文学修行するとよいですよ。動画の中で例に挙げた江戸小咄は国会図書館デジタルコレクションから読めます。木室卯雲『鹿の子餅』小松屋百亀『聞上手』
2020.03.11
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最近は『バイバイ、ヴァンプ!』という噛まれたら同性愛になるという映画が同性愛差別だと話題になっていたり、コロナウイルスの影響でカミュの『ペスト』が本屋で在庫切れになって増刷しているそうな。感染に関連するフィクションが注目されているようなので、感染とフィクションについて考えることにした。・情報はウイルスのようなものである言葉や映像などの情報は脳に直接作用して、思想を変えたり行動を変えたりする。さらには伝播の速度も速く、人から人へと次々に感染していく。伝染病に感染するのが怖いものだとしたら、情報に感染するのもまた怖いものでありうる。今は中国で真偽不明な情報が出回って香港でトイレットペーパーの買い占めや強奪が起きたりして、その制御不能な暴動がウイルスとは別の社会不安になりつつある。これはコロナウイルスの伝染とは別の不安と恐怖の情報の伝染である。いったん流れた情報はSNSを通じて無限に複製されて拡散されて、もはや情報の出所が不明になって、政府が情報を否定しても収束できなくなる。政府やメディアに信用がないほど、否定が陰謀論を呼んでさらにデマが広がって逆効果になる。脳は生存本能で生命の危機につながる刺激には敏感に反応するようになっていて、それが不安や恐怖という感情を起こすけれど、危険を刺激する情報は真偽に関わらず脳が敏感に反応するので、科学的思考ができない人ほど過激な情報をそのまま信じ込んで本能的に自己防衛のために買いだめや差別などの極端な行動をとるようになる。欧米だと馬鹿な人がアジア人を差別して殴りかかっているようだけれど、脅威に対して威嚇行動をとるのは猿の本能みたいなものだろう。・情報への感染を防ぐためのフィルタリングはうまく機能していない「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」という格言があるように、インターネットでは意図的に嘘の情報を流したり、ステルスマーケティングをしたりするのが常態化している。このような口コミでウイルスのように広がる情報をバイラルメディアやバイラルマーケティングという。Googleは間違った情報や陰謀論を検索結果に表示しないようにして権威ある情報源からの情報を表示しようとしているものの、それでも検索結果を通さずにSNSや掲示板を通じて直接間違った情報に接してしまう可能性があって、これは防ぎようがない。特にSNSだと信用している知人や有名人から間違った情報が発せられる場合があって、いっそう信じやすくなってしまう。中国では金盾という情報管理システムを使って個人情報やコンテンツを検閲して、国家の方針に逆らう情報を発信した個人を捕まえて思想教育をしたり、外国のコンテンツを禁止したりしているけれど、これは思想の自由や言論の自由がない中国だからできることで、他の先進国ではできない。・フィクションは情報への免疫を作る予防接種であるいったん何かを信じ込んでしまった人を変えるのは難しい。いまだに進化論を否定するキリスト教徒がいるように、人間は最初に親に刷り込まれた情報を根拠なく正しいものだと信じがちである。それゆえに間違った情報を信じこむ前に科学的な教育をして、情報の真偽を見極める能力を身につけないといけない。フィクションはいろいろな世界や思想があることを相対化して考える訓練で、物語の終わりとともに読者は現実に戻ってそのままフィクションの価値観を絶対的なものとして信じ込むことがないので安全である。もし家族を見捨てないと生き残れない状況になったときに自分ならどうするかとか、もし文明が崩壊したらどうやって生き延びるのかとか、社会の変化や極限状態に対する想像力を持つきっかけになる。こうして架空の世界と現実を行ったり来たりしていると、言葉を疑って、言葉に流されない思考力がつく。フィクションを有害なもの、あるいはくだらないものとして全く見ない人がいるけれど、これはかえって危険で、免疫がないまま現実世界でいきなり強烈な思想に出会うと、ウイルスに感染するように脳が思想に侵されて、自我が思想に飲み込まれてしまう。傍から見たら見たら間違っているような思想でも、免疫がない人は反証せずにあっさりと信じ込んでしまう。ISISの宣伝を信じてかっこいい革命戦士になれると思ってISISに入国した女性が生む機械にさせられたり、生きる指針がない大卒のエリートがオウム真理教の教義を信じ込んで殺人をするようになったりする。・感染はホラーの定番である中世ヨーロッパでペストが蔓延して、しばしば絵画や音楽や小説で伝染病が恐ろしい死のモチーフとして書かれてきた。しかし現代は医療が発達してたいていの病気が治療できるようになって、伝染病はあまり恐ろしいものとは認識されなくなった。現実の脅威が少ないがゆえにフィクションとして伝染病の恐怖を楽しむ余裕が出てきて、感染を視覚的にわかりやすくゾンビが噛みつくという形にしたらヒットしてホラーの定番になった。ゾンビの怖さは単に感染して自我をなくすだけでなく、感染が広がって文明が崩壊するポストアポカリプス的な世界が訪れる点で、生き延びた人間も物資を奪い合って殺人をするようになって人間性をなくしていく。このようなホラーの不安や恐怖に慣れておけば、現実世界で過剰に不安になってパニックを起こして慌てて買いだめすることもなくなるかもしれない。用法用量を守ればフィクションは薬になるので、コロナウイルスへの感染を警戒して外出を控えて暇な人はたまには小説を読むとよいと思う。
2020.03.05
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