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最近はジャパンライフが2000億円の負債を抱えて破産して幹部が詐欺で逮捕されたけれど、被害者につっこみどころが多すぎてあきれたので、投資と詐欺について考えることにした。・騙されるほうも悪い詐欺は騙すほうが悪いのは当然だけれど、投資は基本的に自己責任で怪しい会社には投資しないという選択肢もあったので、投資詐欺については騙される方も悪い。車を運転するのに運転免許が必要なのに対して、投資は免許がなくても誰でも投資できるからこそ自分で法律や会計やマーケティングや勉強しないといけない。勉強せずにいきなり大金を投資するのは自転車で高速道路をふらふら走るようなもので事故にあって当然である。1年半で全財産の約8000万円をジャパンライフに投じた神奈川県の女性(79)が「安倍晋三前首相や大臣が広告塔になっていたので信用してしまった。わずか1年半で老後の蓄えや孫の教育資金を奪われ、カモにされた」「歴史的な悪徳商法のせいで、踏んだり蹴ったりの生活になってしまった。山口元会長には命あるうちにお金を返し、罪を償ってほしい」と言っているけれど、この人は金を奪われたのではなくて、自分の判断で金を渡したのである。この人が言う信用は自分で商品や帳簿について調べようとせずに判断を丸投げする怠慢である。知識がなければ他人を疑うこともできないけれど、無知ゆえに他人を疑わないことを信用と呼んではいけない。一部上場企業で株主や社外取締役や監査法人が経営陣を監視しているにもかかわらず不祥事が起きるし、安全な投資先と言われていた東京電力で大損ぶっこいた人も大勢いるくらいだから、株主の監視がなくて経営実態が不透明な非上場企業や同族企業のコンプライアンスはいっそう信用できない。ジャパンライフやケフィア事業振興会が同族経営なのは家族で利益を独占する気が満々で、社長を諫められる幹部もいないということである。ましてや高利回りの投資は通常は高リスクなのに、「元本保証」のキーワードで疑うことをやめて、金を渡して寝てるだけで高利回りで楽に儲かるなんていうのは投資家の態度ではない。シェアハウスの30年の家賃保証をしたあげくに30年どころか3年で破綻した「かぼちゃの馬車」も同じで、保証した会社がつぶれてしまえば保証の意味がない。日本人はいわゆる不安遺伝子というS型のセロトニントランスポーターの遺伝子を受け継いでいる人の割合が高くて不安を感じやすいそうだけれど、不安を感じるがゆえに保証を出されると不安がなくなった気になって簡単に騙されてリスキーな投資をするあたりが日本人らしいといえる。資本主義社会で生きているにもかかわらず投資の勉強をしないのも社会の仕組みを知ろうとしない怠慢である。退職金でまとまった金が入って初めて投資をして失敗する老人が多いそうだけれど、ポートフォリオを組まずに高リスクの投資に老後の資金を全ツッパリするなんて成年後見人が必要なくらいおかしい投資の仕方で、少しでも投資の勉強をしていれば命金は残るだろうし、たとえ投資詐欺にあったとしても被害額はもっと少なくて済んだかもしれない。・経済犯罪の刑罰が軽すぎる犯罪はやり得になってはいけないし、そのために犯罪者に対して刑罰がある。強盗致死傷罪だと大金を奪ったところで指名手配されて逃亡中に金を使う暇がないし、いったん捕まったら死刑または無期懲役になって金を使えないので、強盗は割に合わないようになっている。しかし詐欺の場合は被害者が大勢出るまで表面化しなくて立件しにくくて、詐欺した金で豪遊したり外国に逃げたりできるし、捕まったところで法定刑は10年以下の懲役で済むので金を隠しておけば出所後に金を使えるので、10年の懲役と引き換えに数億円を稼げるなら詐欺をするほうが得になって、詐欺のインセンティブになる。詐欺師は再犯が多いとよく聞くので法務省の平成19年度版犯罪白書の〈第7編〉特集-再犯者の実態と対策を見てみたら、詐欺は再犯率が全体で19.7%あるうちの1犯目(詐欺)と同じ犯罪が11%ある。これに対して強盗は再犯率が全体で32.2%のうちで1犯目(強盗)と同じ犯罪が2%しかないので、金銭目的の犯罪としては強盗よりも詐欺のほうが圧倒的に同じ犯罪での再犯が多いといえる。つまりは再犯したくなるほど詐欺は成功しやすくて刑期が軽くてうまみがあるということである。経済犯罪に対しては被害額に応じて刑期を増やして億を超えるような詐欺は無期懲役くらいに刑を重くしないと、犯罪のやり得になって詐欺は減らないと思う。・ITで詐欺が容易になるITで生活が便利になるけれど、インターネットの仕組みを知らなくてもなんとなく使えるせいで一般人が騙されやすい。中国人が日本語の詐欺ショッピングサイトを作っていたり、アメリカのサーバーを使っていたりして国際的な捜査が必要なので、ITを使った詐欺は犯人を捕まえにくくい。インターネットがない頃は詐欺師は営業トークで相手を丸め込むために対面する必要があって顔が割れて通報されるリスクがあったけれど、インターネットを使えば顔を出さなくても詐欺ができるようになった。効果のない高額の健康食品や化粧品を通販で売る詐欺や、オークションで偽ブランド品を売る詐欺もある。クラウドファンディングで寄付扱いのものは金を出した人が投資家として保護されなくて、寄付金だけ集めて約束を履行しない詐欺が起きていて、例えば猫の治療費としてクラウドファンディングで寄付を集める詐欺がある。令和納豆の無料パスポート没収問題のように後からサービスが改悪されることもある。インターネットの新しいサービスに対しては法規制や警察官の理解が追い付かなくて取り締まりにはあまり期待できないので、個々人が疑い深くなって自衛するしかない。・投資家は社会の役に立つものに投資するべきそもそも事業というのは商品やサービスが社会の役に立つべきで、投資とはその事業の経営資金を出すということである。社会に必要とされていて健全に経営している優良企業の株を長期保有するバフェットのやり方は投資の王道である。エンジェル投資家としてベンチャー企業や若手経営者を支援する投資の仕方もある。あるいは数千万円の余剰資金があるなら、他人が考えたスキームに乗るよりも自分で事業を立ち上げるほうが利益を出しつつ社会の役に立てるかもしれない。しかし日本人の投資観はバブル時代の財テクのような自分さえ儲かればいいという考え方からあまり進歩していないようで、だからこそ巨額の詐欺事件が何度も起きる。社会の利益を考えずに自分が儲かることばかり考えて、商品の質や経営の実態を見ずにうわべの利回りだけ見て、詐欺で財産を失うのは自業自得である。コロワイドの会長がM資金詐欺で32億円だまし取られたそうだけれど、こんな投資ともいえない誰の役にも立たない金儲けをしようとして騙されたのでは誰も同情しないだろう。どうすればいい商品やサービスを開発して社会をよくできるのか熱心に考えている投資家や経営者なら詐欺に騙されるような金の使い方はしない。投資詐欺の被害者には高齢者が多いようだけれど、歳を取っても人生や社会で何が大切なのか、金をどう活かすべきなのか理解していないというのは情けない。高齢者が数千万円持っていれば老後の生活費としては十分だろうし、投資するよりも生前相続して子供や孫に資産運用を任せたほうがましだろうけれど、金に執着するあまりに家族よりも詐欺師を信用して騙されて金だけでなく家族の信用も失うはめになる。戦後の農地改革でもらった農地に線路ができて地価が上がって金持ちになった土地成金の老人や、親や夫の遺産を相続して金持ちになった専業主婦とかは自分で苦労して稼いだ金でないので失うのも早いものである。ビジネスに必要な人、物、金のなかで自分にとって何が大事なのかという人生観が投資で問われるもので、人が大事なら詐欺師のうさん臭さを見抜けたかもしれないし、物が大事なら商品の質の悪さを見抜けたかもしれないし、金が大事なら経営実態や不適切な会計を見抜けたかもしれないけれど、人生観がないとどれも見抜けないのである。詐欺師に渡った数千億円が社会の役に立つ事業に投資されていれば日本は今よりももっといい社会になっていたかもしれないと思うと残念である。詐欺師にお金をあげるくらいなら私にくれればいいのに。
2020.09.27
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最近はコロナ禍でタピオカミルクティー屋が次々に閉店しているそうな。そもそも砂糖とでんぷんを凝縮した糖分爆弾みたいな飲み物がなんであれほど女性にうけたのか気になったので、食べ物のブームについて考えてみることにした。・ブームになった食べ物食べ物の流行は何度も起きていて、ティラミス、ナタデココ、パンナコッタ、移動販売メロンパン、白いたい焼き、マカロン、生キャラメル、高級食パン、パンケーキ、堂島ロール、チーズタッカルビ、チーズハットグとかがブームになった。たいていは1000円以下の価格帯で、珍しさで一度食べてみようという人が行列を作って、マスコミが特集して客が押し寄せて行列を伸ばして、フランチャイズで儲けようとする人が出てきて地方都市にも店ができて、並ばなくても食べられるようになったり模倣した粗悪品が出回るようになったりしたら飽きられてブームが終わるサイクルになっている。店はブームに乗って儲けようとして出店が増えて競争過多になる一方で、客は数回食べて好奇心を満たしたらもう食べないので、リピーターがいなくて店がつぶれてブームが終わる。・甘味需要ブームになる食べ物には甘いものが多いようで、これはたぶん甘さはおいしさとしてはわかりやすい基準で万人受けするし、少量で満足感を得られるし、調理に高度な技術が必要なわけではなくてまずい甘味はあまりないし、値段が手ごろでおやつとして気軽に買えるし、流行に流されやすい若い女性は甘味が好きだから甘いものがブームになるのだろう。しかし糖分は栄養としてはあまり必要ないし、むしろ糖分の取りすぎに気を付けないといけない。甘いもの好きの人が甘味処に行って満足する甘さと、お茶うけとして満足する甘さでは、前者のほうは甘さがきつくなるので、習慣的に食べるならお茶うけの和菓子くらいに甘さを控えるほうがよい。高級食パンはバターや生クリームやはちみつを練り込んで甘さを出していて、高級食パンというよりは食パン型の高い菓子パンで、ありがたがって買うほどのものではないと思う。果物も品種改良でやたら甘くなっているけれど、私はハネジューメロンみたいに甘さ控えめのほうがデザートとしては食べやすくてちょうどよいと思う。・インスタ映え需要最近は食べ物を食べるためではなくて写真を撮る目的で買う人が多くて、タピオカミルクティーの中身が入った容器が路上に放置されたり、食べきれない大盛りの料理を頼んで残すのが問題になった。そもそも店がメニュー用に写真を用意しているなら客がわざわざ料理の写真を撮る必要はないし、食材を無駄にしてまで写真を撮る価値はない。インスタ映えを気にする人は流行に敏感でおしゃれな自分を自慢したいのだろうけれど、自分で何かを作らずに他人が作ったものの写真を撮って何かをやった気になるのはクリエイティブとは対極の創作の上澄みを掠め取る行為で、おしゃれなものにブンブンたかるインスタ蠅という害虫のようなものである。料理の写真を撮りたいなら自分で作った料理の写真を撮ればよい。・思い出作り需要タピオカミルクティーの行列に一時間も並ぶのは忙しい大人にとっては時間の無駄だけれど、暇な若者にとっては友人と一緒に行列に並ぶのが青春のようである。流行っているものは会話のネタになりやすいし、食べたことがないものを食べて日常に新しい刺激を取り入れるのはよいことである。しかし流行を追いかけて右往左往する人たちは、本当に自分が欲しい物ややりたいことをわかっていないのではないか。よくわからない食べ物の行列に並ぶよりも、好きな食べ物に金と時間を使うほうが思い出に残ると思う。・反社会的勢力のしのぎ需要やくざのフロント企業や半グレなどの反社会的勢力は儲け話に敏感だけれど、投資や経営のセンスがあるわけではないので、自分で商品開発をせずに儲かっている業種に便乗する形で楽して儲けようとする。マスクやゲーム機の転売なんかが典型的で、反社会的勢力は人を集めて金を出せばすぐに商売できるようなものが得意で、食べ物のブームが起きるとそれにも手を出す。タピオカミルクティー屋はパン屋とかの他の飲食店と違って厨房の設備投資が必要なくて調理担当の教育も必要なくて居ぬきの店舗ですぐに始められて材料を手に入れやすくて原価が低くて利益率が高いので、反社会的勢力向けのビジネスといえる。やくざのフロント企業が表面上で合法的にビジネスをしようが、その利益はやくざへの上納金になって何かしらの違法行為の資金源になって社会の害になるので、金髪のDQN店員が店番をしているような怪しい店には行かないほうがよい。・私の意見私は流行だからといって好きでもないものを割高で買うのはばかばかしいと思う。伝統行事でもないのに決まった日に決まったものを食べるのも変で、土用の丑の日の旬でない鰻とか、一年で一番質が落ちるクリスマスケーキとか、コンビニが流行らせようとした恵方巻とかは毎年大量に売れ残って食材が無駄になっている。ブームになる食べ物自体が悪いわけではないし、それなりにおいしいのだろうけれど、ブームに踊らされる人はもっと頭を使って賢く金を使うほうがよい。売る側にしても、外国の珍しい食べ物を売るときに単品として売るのでなく、食文化として根付くようにして売るべきだろう。タピオカを大量に仕入れて賞味期限までにさばけなくて大損している会社は自業自得で、ブームに便乗して短期間に儲けようとせずに食文化や食材の価値にちゃんと向き合っていれば、ファンがリピーターになって長期的に利益を出せたかもしれない。食べたことがないものや巷で話題のものがどんな味なのか食べてみたいという好奇心があるのは良いことだけれど、どうせなら知的好奇心を満たすほうが人生が充実すると思う。タピオカミルクティーを飲むだけでなく台湾の歴史や文化を勉強するとか、台湾料理の教室に行ってみるとかして、ただ消費するよりも何かを勉強したり作ったり参加したりするほうが刺激的で楽しいと思う。逆に言えば興味を持って勉強するほどでもないようなものにブームだからといってほいほい飛びつくのは無駄遣いである。
2020.09.24
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最近は俳優の三浦春馬や芦名星が自殺したのが巷で話題になっているようである。私はニュースや経済番組くらいしかテレビ番組を見ないし、ドラマやバラエティ番組に出ている芸能人やアイドルに興味はないし三浦春馬や芦名星も知らないのだけれど、興味がないものを考えないままにしておくのもいけないと思ったので、芸能人について考えることにした。●芸能人とは何か芸能人とは落語、歌舞伎、お笑い芸人、俳優、モデル、アイドル、歌手などの舞台やテレビで芸を披露する仕事をしている人の総称である。能や狂言などの伝統芸能よりも、芸能事務所に所属してテレビに出ている人が一般的には芸能人と呼ばれている。芸の良し悪しに関わらず外見が良いか知名度が高ければスポンサーがつくし、親が芸能人ならコネで仕事をもらえるので、実際は芸がなくてもテレビに出て芸能人として活動している人もいて、そういう人は芸NO人と呼ばれる。芸能事務所に所属しない作家や学者などはコメンテーターとしてテレビに出ていても芸能人ではなくて文化人と呼ばれる。アナウンサーやディレクターなどのテレビ局の番組制作側の人は有名でも芸能人とはみなされない。芸能人の収入は舞台や映画やCDなどの本業の売り上げ、写真集やカレンダーなどのファン向けのグッズ販売のマージン、作詞作曲の著作権使用料や出版の印税、CM出演などのスポンサーとの直接契約のギャラ、芸能事務所からもらう給料、パトロンから直接もらう小遣いがある。芸能事務所とタレントの上下関係や給料体系は誰が仕事を取ってくるかで違ってきて、事務所の営業力のおかげで仕事がもらえる若手お笑い芸人や新人アイドルなどは立場が低くて給料も安いので、人気になったら待遇に不満が出てしばしば事務所移籍騒動がおきている。芸能人同士の上下関係は師弟関係、芸歴の長さ、人気度によって決まるようである。たけし軍団や紳助ファミリーや和田アキ子軍団のように、ベテラン芸能人が後輩芸能人に仕事をあっせんしたり飲み会で仲よくなったりして取り巻きを作ることもある。●芸能人と芸能界の問題・キャリアの問題芸能人は事務所の営業力がないとオーディションでテレビ番組や演劇の仕事の奪い合いしなければならないので収入が不安定である。成功して有名になったらなったで、寝る間もないほど働きづめで休みがとれなくなったり、収入を増やすために個人事務所を設立して営業力がなくなって仕事がなくなったり、ギャラが高くなりすぎて仕事がなくなったりする。小説家やミュージシャンは自分で作品を作れるけれど、俳優は脚本が書けるわけでもないのでオーディションで選ばれないとやりたい役ができず、人気作の役のイメージが付きすぎて他の役がやれなくなる問題がある。古尾谷雅人はドラマの『金田一少年の事件簿』で堂本剛と共演して人気になったけれど、ギャラが高くなったのに加えてシリアスな役をやりたがったことで仕事が減ったのが自殺の原因になったようである。アイドルにしてもかっこいい曲ばかり歌わせてもらえるわけではなくて、変な歌やくだらないバラエティ番組でも事務所にやれと言われたらやらないといけない。演芸場よりもテレビの出演料で稼いでいるお笑い芸人はキャリアの頂点がテレビ番組の司会をすることだけれど、テレビ番組の数は限られていて大御所がなかなか引退しなくて司会者のポストが空かなくてキャリアの先が見えないという問題がある。・精神面の問題芸能人はたいてい上昇志向で自己顕示欲が強くて気が強いけれど、自分より技術が下手な人がコネや事務所のごり押しで仕事を取るのでプライドが傷ついてストレスから逃げるために酒やドラッグにはまりやすくなる。仕事を奪われる不安からベテランが若手をいじめたり、ぶさいくが美人をいじめたりすることもあるそうで、アイドルグループが表面上は仲良しを装っても実は仲が悪いこともあって、客に見えないところで足の引っ張り合いをしている。俳優はいろいろな役を演じて他人になりきるせいか、精神的な負担が大きいようである。自然な演技を追及してメソッド演技法で役柄の状況や感情を追体験しようとすると、殺人犯の役や自殺者の役などの精神的な負担がかかる役をやったときに仕事が終わってもその影響が残ったりする。・収入の問題コロナ禍で舞台やコンサートやテレビ番組のロケが中止になって芸能人の収入がなくなったように、娯楽は生活必需品でないので不況に弱い。広告費を収入源にしているテレビ番組は不況でスポンサーの経営が厳しくなると、CMの入札が減って広告費が減ったぶん番組の製作費が少なくなって出演者のギャラも減る。本業の収入が不安定な分を補おうとしてサイドビジネスとして飲食店経営や服の販売などをすることがあるけれど、素人の経営なので設備投資に無駄に金をかけすぎたり従業員の教育がおろそかになったりしてしてたいてい失敗している。・プライバシーの問題芸能人は週刊誌の記者に付きまとわれてプライバシーが守りにくくなるし、元恋人が週刊誌にネタを売ることもあるし、ファンが恋愛感情をこじらせてストーカーになってつきまとうこともあるし、SNSに粘着するアンチからの誹謗中傷や殺害予告もある。仕事が不安定でストレスが多いことから自殺者も多くて、韓国の芸能界ではネットの中傷が原因で芸能人が自殺することが問題になっている。・ハラスメントの問題売れないアイドルや女優は脱がされたり、性的接待要員にされたりしてセクハラされる。島田紳助が東京03を恫喝した事件があったように、若手お笑い芸人は先輩芸人に理不尽にパワハラされる。演劇や映画の業界は役者が監督に殴られたり暴言を言われたりするパワハラがある。師弟や先輩後輩の上下関係があるうえに、普通の会社のような外部の監査がなくて役職を内輪で固めて意識改革が乏しいので、業界がハラスメント体質になっている。・知名度を利用される問題芸能人が有名になって金持ちになると、一般常識がなくて金遣いが荒いところにつけこまれて詐欺師が寄ってきて、詐欺の広告塔として利用されたり、宗教やスピリチュアルなどにはまって洗脳されて金づるにされたり、投資詐欺のカモになったりする。貸した金が返してもらえないとか、知人の連帯保証人になって借金を肩代わりしたとかの金銭トラブルが芸能人には多い。・私生活の問題芸能人同士が結婚すると地方ロケやら全国コンサートツアーやらですれ違いの生活になって浮気したり、お互いに気が強くて譲らなくて喧嘩したりして離婚が多い。アメリカの人気俳優は結婚してもたいてい長続きしなくて巨額の慰謝料をめぐって泥沼の離婚訴訟をしている。芸能人が子供を作ったら忙しくて子供をほったらかして金だけ与えて甘やかして育てたせいで子供が不良になる場合がある。あるいはなかにし礼と兄のように金持ちの芸能人に親族が金をたかって揉める場合がある。・夜遊びと反社会的勢力の問題夜の街は反社会的勢力の資金源になっていて、夜遊びする芸能人と反社会的勢力との付き合いが問題になる。市川海老蔵と半グレの事件が問題になったように派手に遊ぶ芸能人はトラブルも多い。頭の悪い女性芸能人は不良のカモにされやすくて、坂口杏里はホストにはまって風俗嬢に転落したし、自殺した上原美優は関東連合と関係があったといわれている。クラブで知り合った人を通じて薬物に手を出す場合もある。・事務所の問題芸能界は仕事が不安定で転職もしにくくて普通の大卒は仕事としての芸能人を目指そうとしないので、ステージママに子供の頃から芸能人になるべく教育されて普通の勉強していないとか、シングルマザーに放置されて育った高卒の不良とかで学歴がなく社会人としての就職の経験もない人が芸能人には多い。そういう一般常識から外れた芸能人をバックアップするために芸能事務所があるのだけれど、芸能事務所はヤクザと交際があったり、あるいはフロント企業が芸能事務所をやっているのが問題になる。事務所がアイドルやモデルにあこがれる若い女性を食い物にして、脱退するときにイベントキャンセル料とかの損害賠償を吹っかけてポルノに出演させたりする。アイドルグループなどは事務所やプロデューサーが曲や歌詞や振りつけの権利を持っているので事務所の力が強くて、待遇が不満でグループを脱退したアイドルは一人では何もできなくてたいてい芸能界から消えている。あるいは不義理をして大手事務所を辞めた場合はテレビ局が芸能事務所に忖度して使わなくなるので仕事を干される。・テレビ離れの問題芸能人の収入はテレビ番組の出演料が大きくて、全国放送の番組に出ると知名度も上がる。しかしテレビ局は企画がマンネリ化してネタがなくなって、YouTubeの話題の動画を紹介して芸能人がリアクションしたり、トーク番組でお笑い芸人が内輪の話をしたりするようになった。音楽番組は人気があったものの、アイドルが出るようになってからは歌が下手で放送事故扱いされたり、口パクだったりしてわざわざ見るほどの番組でなくなった。リアリティー番組は芸ですらない私生活の切り売りである。つまりテレビは芸能人が専門の芸を披露する場所ではなくなって、視聴者にとって魅力がなくなった。芸能人のほうでもテレビを見限って自分のYouTubeチャンネルを開設して、テレビに出演して台本通りに脇役や汚れ役を演じるよりも主役になって好きなことや得意なことをやって稼ぐようになった。スマホや4Gが普及したことで作品がオンデマンドになってネットでいつでも見られるようになって、ドラマなどをテレビで決まった時間に見る必然性がなくなった。スマホを情報源にしている若者にとってはテレビに出演することがすごいことではなくなったので、テレビで活動する芸能人に興味を持たなくなって、芸能人でなくSNSで有名なインフルエンサーのファンになっている。テレビ業界は寡占なので素人芸でもそれなりに視聴率が取れているけれど、ネットの動画に量も質も種類も負けているので、このまま芸NO人が芸を磨かずにコネでやっつけ仕事をするのではいずれテレビを見る人もいなくなるだろう。視聴者のテレビ離れがテレビを収入源にしてきた芸能人のキャリアの不安定さにつながる。●芸の価値とは何かTVerでテレビ番組が無料で見れるにもかかわらず、私がテレビ番組を見なくて芸能人に興味がないのは、彼らが見るに値する芸をやっていないからである。伝統ある芸は技を習得して一人前になるのに何年もかかるので、芸を覚えるためにいい師匠についてみっちり稽古する。その洗練された技にプロの芸として見る価値があるし、無形文化財として残す価値があるわけで、大手芸能事務所に所属する芸能人だからといって価値があるわけではない。アイドルはアイドルなりに頑張っているのだろうけれど、事務所が若いうちに歌も踊りも演技もバラエティ番組のトークも全部やらせようとして、全部が中途半端になっている。おまけに歳をとって容姿が衰えたら引退するし、師弟関係がなくて技術が受け継がれるわけでもないので、芸の洗練もない。ファンにしてもアイドルが結婚したら裏切りだの金返せだのという人が多くて、恋愛対象として見ていて芸を見ていない。アイドルに元気をもらったという人を否定する気はないけれど、それは芸に感動したわけではなくて、好きな人が頑張ったり喜んだりしているところを見れてうれしいという愛情のような感情だろうし、ファンでなくて何の思い入れもない人にとっては知らない人の子供の運動会の録画のようなもので、金を払ってまで見るほどの価値がないものである。K-POPのアーティストは事務所が育成に金をかけていて歌や踊りや英語をみっちり練習させて曲を仕上げるのでアーティストが好きでない人にとってもそれなりに芸に見どころがある一方で、日本のアイドルや歌手は芸の価値で負けている。芸能人には若いうちに大金を持つせいか倫理観がない人が多くて、芸の肥やしという大義名分があるがゆえに女遊びや夜遊びが許容されているけれど、芸がないのに遊んでいたらただの不良である。歌舞伎役者やミュージシャンのように持ち芸があるなら問題を起こしても反省アピールして復帰できるけれど、テレビに出るような芸NO人はたいした芸がないのでいったん問題をおこしたら長期間謹慎したり引退したりする。広告代理店は芸の価値を評価しているのではなく芸能人の知名度を利用しているにすぎなくて、有名になって増長したヒューマンステージが低い人をCMに起用してスキャンダルで企業イメージが下がるような失敗を何度も繰り返している。テレビだと芸能ニュースとして芸能人が結婚しただの不倫しただの逮捕されただのの話をするけれど、そんなのは「芸能ニュース」ではなくて「芸能人ニュース」で、芸の話をしていない。業界人さえ興味を持たないような半端な芸をわざわざ見るほど視聴者は暇ではない。スポンサーはテレビに無駄金を使うのをやめて、才能がある人に直接投資するなりして芸や文化を育てるのに有意義に金を使うほうがよい。芸能界に憧れる若者は何かの芸をやりたいわけではなくて有名になってちやほやされて金持ちになりたいのだろうし、そんな動機の人がやる芸なんてたかが知れている。芸能人になることを目指すのではなく、一流の芸を身につけることを目指すべきである。『アメリカズ・ゴット・タレント』で芸を競う無名の素人のほうが芸能人よりもよほど芸を磨いている。見る価値がある芸なら披露するメディアがテレビだろうがYouTubeだろうがファンがつくだろうし、楽器演奏やダンスなどの言葉が関係ないパフォーマンスなら世界で活躍できるようになる。枕営業だのバーターだので芸能事務所に仕事をもらうのではなく、自分の芸で仕事を作ってこそ芸能人である。
2020.09.15
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最近は巷でヴィーガンが肉のうまさに目覚める「肉堕ち」が話題になっていて、ヴィーガンから肉屋に転身した人までいるそうな。というわけでヴィーガンについて考えることにした。・ヴィーガンとは何かヴィーガンとは動物に対する搾取と残虐行為をなくすために肉や魚や卵や乳製品を食べない人で、ベジタリアンよりも食べないものが多い。ヴィーガンの考え方は動物愛護やら環境保護やらダイエット目的やらいろいろあって一枚岩ではないようだけれど、動物が苦痛を感じるか否か、動物から搾取しているか否かで食べるものと食べないものを区別しているようである。例えば蜂蜜は蜂の労働力の搾取なので食べてはいけないそうな。二枚貝は中枢神経がないからホタテは植物なので食べてよいと主張するシーガンもいる。つまりヴィーガンの食事は動物か植物かという生物学的な分類に基づいているわけではなくて、主観的に区別をつけて何を食べるかを判断しているようである。・ヴィーガンの主張と行動の変なところヨーロッパの過激派ヴィーガンは動物から搾取しないという題目で牧場を襲撃して家畜を逃がそうとする。しかし人間が飼料を与えているからこそ生活できていた大量の家畜がいきなり野山に解放されたところで食料がなくて飢えることになるし、野生化した元家畜の害獣を駆除せずに野菜を育てることがいっそう難しくなる。野生動物は獣医が世話をする家畜と違って、餌がなくて痩せこけてダニや寄生虫やらに感染して始終外敵を警戒するストレスで寿命も短い。過激派ヴィーガンの牧場襲撃は家畜の幸福につながるわけでもなくて家畜を別の形の死に追いやるだけで、結果を見ずに何かをやった気になって自己満足している。動物の労働力の搾取というのも労働力の定義がよくわからない考え方である。そもそもエネルギー保存の法則や質量保存の法則があって無から有は作れないので、人間は動植物を利用して文明を作ってきた。動物から搾取しないというのは文明が成立する前提を否定するので、ヴィーガンの考え方では様々な物事のの整合性がとれなくなる。蜂蜜を食べるのは蜂の労働力の搾取だというけれど、それなら蜂が受粉させた果物を食べるのも蜂の労働力の間接的な搾取ではないのか。工業廃水や生活排水で川や海が汚れたのを貝を放流して浄化した場合は、ヴィーガンは動物からの搾取とみなしてその水は使わないのだろうか。ワクチンを作るのに動物や卵を使うけれど、ヴィーガンはワクチンを使わないのだろうか。ビル・ゲイツは貧困撲滅のために途上国に鶏を寄付しているけれど、ヴィーガンは途上国の人は肉や卵を食べずに貧困で栄養不足のままのほうがよいのだろうか。人間の幸福よりも動物の幸福を優先したところで、人間がよりよい社会を作れるどころか文明が退化するので、やる意味がない。人間が動物から搾取することよりも人間が人間から搾取することの方が資本主義社会が取り組むべき重大な問題だろう。・実践できるのかヴィーガンは生産をせずに消費だけしている点で説得力がない。アーミッシュやヤマギシ会などの他の人と違う思想の人たちは自分の理想の生活環境を整えるために自分で生活に必要なものを生産している。一方でヴィーガンはおしゃれなヴィーガン食をインスタに載せて意識高い系を自慢して、生産活動をしないで消費するだけである。ヴィーガンはヴィーガン食だけで栄養が取れるというけれど、生産から消費までを実践しないで他人が生産したものに頼るのでは机上の空論である。害獣駆除をせずに農業ができるのか、自然環境を破壊せずに快適な生活ができるのか、まずヴィーガン自身が実践してみるとよい。それにどんな主張があろうが、民主主義の国で生きている以上は選挙で議員を当選させて法律を変えるのが筋で、過激派ヴィーガンのように牧場や肉屋を襲撃して法律違反をしてはいけない。自分が正しいと主張して、民主主義の手続きを経ずに力づくで他人の権利を侵害するのは独裁やカルト宗教のテロと同じで、法治国家の原則を理解していない野蛮な行為というべきだろう。ヴィーガンは肉を食べる人を野蛮だというけれど、違法に牧場を襲撃する人が合法的に肉を食べている人を非難したところで自身の主張の根拠のなさを強調することになっている。国家はヴィーガンのためだけにあるわけではないし、ヴィーガンは他人の肉食を批判するよりもまず自分たちでヴィーガン自治区を樹立して理想の社会を作ってそこで平和に健康に暮らせばよいではないか。ヴィーガンになって貧血とかの健康に問題がでる人が少なからずいるにもかかわらず、ヴィーガンは自分ができないことを他人に押し付けようとするし、その主張の根拠が検証可能な科学ではなくてかわいそうだののスピリチュアルだのの精神論なので、私はヴィーガンの主張はまったく信用していない。・体型への影響ヴィーガンの親が乳幼児にもヴィーガン食を押し付けて栄養失調にして虐待したとして逮捕された人がいるように、ヴィーガン食ではたんぱく質やビタミンなどのを補えなくて成長期の子供には栄養不足の影響が大きい。ヴィーガンの個人が健康被害にあうのは自己責任だけれど、健康リスクがある食生活を他人に無責任に勧めてはいけない。日本は江戸時代はベジタリアンだったではないかという人もいるけれど、戦前の日本人は消費カロリーの6割を米からとっていて、魚は食べても肉は食べなかったので、たんぱく質不足で男性の平均身長が155cmくらいしかなかった。日本人の身長が伸びたのは太平洋戦争でアメリカ人との体格差を目の当たりにしてたんぱく質の重要性を理解して、戦後に畜産業を始めて魚以外からたんぱく質を取ったり、牛乳でカルシウムをとったりして栄養状態が改善されたからである。生乳生産量は1945年に189千トンだったのが、1960年には1187千トンになって、1990年には8189千トンになっている。食肉加工品の生産が本格化したのは1960年代からで、1960年の生産量が74200トンだったのが1990年には525306トンになっている。高齢者には小学生くらいに背が低い人がたくさんいるけれど、逆に今の小学生は大人くらいの身長がある子供がいるのは、日本人の遺伝子が変わったわけではなくて成長期の栄養状態が改善したのが原因である。よく日本の女性は高身長の男性を恋人にしたがるけれど、ヴィーガンが理想とする社会では栄養不足になって低身長だらけになるだろう。・自然環境は変わる畜産業が環境汚染を引き起こしているので畜産業をやめて農業に転向するべきだと主張する環境保護派のヴィーガンがいるけれど、今まで地球があらゆる天変地異を経て動植物が絶滅と進化を繰り返してきたように、現在の自然環境を永久に保持するという事は不可能で、人間の手が加わろうが、加わってなかろうが、いずれ自然環境は変わることになる。人間が文明を作ることは本質的に環境破壊で、破壊の程度を少なくしてサステナブルにすることはできるけれど、一切環境を破壊しないというのは無理である。中世の建築や造船の技術が発達して天然の林や森がなくなったように、自然の資源を使わずに生活を豊かにするのは不可能だからこそ、人間が使う分の木材は植林で補って森を手入れしながら利用する考え方は合理的である。同様に肉食も栄養の改善や料理の発達につながったし、人間が消費する分のたんぱく質は牧畜や養殖で育てて管理するという考え方も合理的である。人間にとって役に立つ動植物を繁殖させて利用する行為が文明の基盤である。畜産業には環境汚染のデメリット以上に人類にメリットがあるから産業として成立している。人類の時代がこれから先あと何百年続くか知らないけれど、結局数万年後にはイエローストーンとかの火山が大噴火したり巨大隕石が衝突したり氷河期になったりしてたいていの生物は絶滅する。数万年や数億年のスパンで地球の環境が劇的に変わる中で、現在の生物はたまたま間氷期に適応して繁栄したにすぎない。万物は流転するし、人間にはそれを止める力はない。畜産業をなくしたところで地球の自然環境が保護されるわけではない。・私の意見私は食料としての動物は人間が食べられない物をおいしいたんぱく質に変える装置のようなものと思っている。魚や甲殻類は人間が直接食べられないプランクトンやイソメを食べておいしい食料になるし、家畜は人間が食べてもまずい牧草や穀物をたくさん食べておいしい肉になる。バッタの大量発生で食料供給危機になったパキスタンではバッタを乾燥させて粉末にして養鶏の飼料にしようと試みている。私は動物の幸福よりも人間の幸福を優先するので、食材の動物が苦痛を感じるとしても私の同情の対象にはならない。私は釣りをするし、キスとかヒラメとかのおいしい魚が釣れるとうれしいし、魚を捌くのを残酷だとは思わない。私は狩猟は生物が生きるうえでの基本的活動だと思っているので、自分が食べる分の動物を殺すことに倫理的抵抗はない。人類は分業による効率化によって文明を築いてきたので、猟師や養殖業者が他人が食べる分の肉や魚を捕獲したり養殖したりして効率的に食料を確保するのも食文化などの文明を維持するためには必要である。食文化は人間の歴史と文化と幸福に密接に結びついているので、何を食べるかを他人が強制的に決めることではない。例えばイヌイットにアザラシを食べるなとかモンゴル人に羊を食べるなとか言うのは、先祖代々継承してきた歴史と文化を捨てろと言うようなものである。私は犬や猫を愛玩動物とみなして食べないけれど、それを食料とみなして食べる民族を批判しない。ケーキは栄養としては糖分が大半で健康には害のほうが大きいけれど、幸福度が高いので誕生日にケーキを食べることが文化として定着しているのと同様に、おいしくて栄養がある肉を食べて幸福になる人もいる。自由民主主義の社会では何を食べて何を食べないかは個人が法に基づいて自分の意思で自由に決定すればよいし、他人に強要するものではない。ヴィーガンはサプリメントだのの金をかけた手の込んだ食事をしないと十分な栄養を取れないので、自然界では存在できない人工的で不自然な生き方だといえるし、長期的に持続可能な生活スタイルかどうかも怪しい。本当にヴィーガンが幸福で健康な生活ができるのならヴィーガンになる人も増えるだろうけれど、実際は健康問題が起きてヴィーガンになった人が長続きせずに元の食生活に戻している。ヴィーガンは栄養が足りなくてイライラしているのを非ヴィーガンや肉堕ちした元ヴィーガンへの攻撃に転嫁してごまかさずに、まず自身の健康問題に向き合うほうがよい。
2020.09.10
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プロ作家になろうとしている人とプロ作家に対して、遺言として創作の極意と掟を書いた本。●まとめ・凄み小説を書く人は自分にしか表現できないものを持っているという自信があるけれど、自信が間違っているからこそ自信ある書き方に凄みが生まれる。考え方すべてに自信満々の人が書いたものには凄みがない。すぐに死や恐怖を書くのは安易。・色気色気は男女の愛欲に限らない。小説は情感を読者に伝えることが大事なので小説の文章に色気があるのは当然といえる。愛欲描写をやっただけではポルノであって、小説としての色気ではない。作家は自身が色気を持つべきで、色気を保つには常に誰かを恋し続けていなければならない。・揺蕩作家は自分が考えたことが本当に新しいのか、何の価値もないのか不安になるが、批評家が批評用語を使って文学的価値が高いとしている感覚や表現を作品の中へそのまま持ち込もうとすることは絶対にしてはならない。文学理論を学ぶと文学全体を見渡す視野を得てそこから新たな考え方を得ることも可能になる。小説に書こうとすると辻褄が合わないところが出てくるが、この揺蕩(アポリア)の出現を作家は恐れてはならない。矛盾は作品の破綻ではないのであまり気にしてはいけないが、わざと登場人物や語り手に揺蕩をさせてはいけない。・破綻作品の破綻にはストーリイの破綻、首尾結構の破綻、中断、結末の破綻、外的状況の破綻、作者自身の破綻がある。雑誌や新聞の連載で破綻が起こりやすくなるが、本来は連載か否かにかかわらず、書きだす前に作品全体の構成を固めておく必要がある。結末を考えずに書きだす作家がいるが、作家志望者がこの真似をしてはいけない。・濫觴濫觴とは小説の書き出しの事で、小説作法本は無視してよく、その作品に最も相応しい書き出しを考えるのが作家の作業。作者のメッセージである場合を除いて、読者を突き放すような難解きわまる書き出しは腰砕けになるのでやめた方がよい。・表題いいタイトルとは少し変わっていて、その作品にしかつけられないタイトルで、誰かが真似をすればその作家の品性が問われるほどの独自性を持っているタイトルで、名作のタイトルはあからさまなパロディでもない限り真似られることは滅多にない。タイトルの商標登録はされないので過去の作品と同じタイトルを使ってもかまわないが、先行作品に対する礼儀は存在する。・迫力あらゆる小説に迫力がなくてはならない。文章は作家の思考の過程をそのまま表現してしまうので、さほどの考えもなくルーティン・ワークとして小説を書いてしまうような作家の作品からは絶対に迫力が生まれることはない。プロ作家の中には売文業者と言われてもしかたのないような輩が存在するが、若手はそういう人たちを真似してはいけない。・展開ストーリイの進展だけで進むエンターテインメントであれば、たまに回想形式で過去へ戻ったりはするものの、概ね事件が起こった順に書いていけば問題はない。小説の良き展開として「序破急」や「起承転結」以外の技法はなく、通常の小説の場合はよほどの着想でない限りおかしな展開にはしないほうがよい。しかし文学作品において展開は作家の自由で、それがよい展開であるかどうかは読者の判断にゆだねられるのだから、自らがよいと思った通りに書くしかない。・会話描写や展開が面倒なのですべて会話で片付ける手抜きがエンタメ系の作家に多い。会話だと読みやすいので読者が喜ぶという作家の言い分もあるが、それでは読者が小説を真に楽しむことはできない。これと逆に会話文が下手糞な純文学系の作家もいて、戯曲やシナリオの勉強をしていなくて会話文の技術がなくて会話で人物の書き分けができない。対立、説得、交渉などが会話で迫力を生む。・語尾プロ作家でも「であった」「なのだ」などの語尾に悩むが、前後の文の語尾と何回もの重複を繰り返してさえいなければどれでもよい。・省略省略なくして小説は書けない。作家によっては自分の嫌いな場面や書くのが面倒な出来事を省いたりするが、小説としての結構に害を及ぼすことがあるから気をつけるべき。不得手なことを毎度省略してそのままにしておいてはいけない。・遅延「遅延」という創作の技法は別に「妨害」という言い方があり、読者に疑問を抱かせたうえで答えを送らせるなどの関心を惹きつけておこうとする手段である。エンタメ系の新人は読者を飽きさせまいとして過激な展開を重ねて、そうした展開に慣れてきた読者をかえって退屈させてしまう。だれ場でも遅延の効果を習っているのだなと読者に感じさせない面白さを持つ文章であるに越したことはない。・実験書いてみないとどんなものができるかわからないからこその実験なので、誰にも評価されなかったり、無残な失敗に終わったとしても、実験そのものには必ずや何らかの価値があるはず。・意識「意識の流れ」は今ではもうやや古臭い前衛的手法とされているが、エンターテインメントの世界ではまだ効果的に使うことができる。・異化作家は現実の慣例的で習慣的な描写から逸脱して、現実の物事を知識としてではなく感触として伝える。・薬物作家は煙草、アルコール、珈琲などで興奮したり精神を安定させたりして創作する。・逸脱逸脱とはリアリズム小説の約束事からはずれて、本筋から逸れたり、主人公が誰だかわからなくなったりすることで、これはリアリズムの小説をたくさん読んで文学を心得ている読者でなければ通じないのでエンタメ系の作品でやるのは考え物だが、決して文学的に無価値といえない。・品格小説を書くとはもはや無頼の世界に踏み込むことであり、良識を拒否することでもあるが、無頼であるが故の品格がある。作家が持つべき品格というのはないが、基本的には作家は正直でなくてはならない。・電話昔から電話小説があって電話による異化効果を求めた作品が多かったが、ケータイの登場によって複雑化した。・羅列ホセ・ドノソは「夜のみだらな鳥」で時間、映像、平面を混乱させてしまう技術を確立した。その一つが羅列。・形容文学者は新聞記事に散見される常套句を嫌う。筒井は形容よりも描写を重視していて、文学的な凝った形容を工夫するよりは、きちんと正確に描写するほうが大切。・細部フローベールが精密な描写をしたのは、現実の世界のように作り上げたひとつの環境を自ら生き、その環境をことばによって読者にも経験させようとした。・蘊蓄取材してきたことすべてを長々と紹介するだけやネットのコピペだけの情報小説は退屈で、こういうものは蘊蓄ではなく単なる情報なので、情報小説は非文学的で文学作品よりは下位のものと見做される。細部の蘊蓄で人を驚かせようとするならその道のプロにおっと思わせるようなものではなくてはならず、誰でも知ることができる情報ではなく特別な情報源によるものでなければならぬ。・連作連作は何か月かおきの断続的発表が可能で次回を構想する時間もできて、長篇の体裁で本にする事も出来て便利。・文体文体は作品内容に奉仕するものである。文学の最前線では何を書くかよりもどう書くかが重視されている。・人物小節内に人物が登場すれば、その人物を読者は前景化する。前景化とは肉付けして記憶にとどめようとすること。・視点通常は一人称か三人称かを決めてから書きだして、いったん決めた人称は作中でころころ変えてはいけない。人物についても同様で、語り手がころころ変わったのでは今誰が語っているのかわからなくなる。・妄想妄想は小説を書く者にとって一番大切。いったん考え抜いた妄想は心の底に残る。様々な妄想を蓄積させていなければ、何かの着想を得ようとしても何もない所から天啓のように閃くものではない。・諧謔諧謔には高度なセンスが必要で、笑いと無縁な作家が無理に諧謔を弄すると失敗し作品全体の価値を下落させてしまうことにもなるので注意が必要。シモネタを文章でやるときにはできるだけ上品に遠回しにやった方がいい。流行語はすぐ古くなるのであまり交えぬ方がよい。・反復筒井は『ダンシング・ヴァニティ』で他の芸術ジャンルに顕著な反復を小説で試して、象徴の反復、出来事の反復、空想の反復、失敗の反復、時間の反復、儀式の反復、日常の反復、演劇的反復、音楽的反復、行為の反復、回想の反復、映画の反復、ゲームの反復、人生の反復をした。・幸福もし不満を書くのなら小説家としての不満でなく、日ごろ誰でも抱いている一般人としての不満を書くのが無難。●感想ひとつのトピックにつき8ページ程度で解説していてさくさく読める。この本に書かれている技術は各トピックが短くて極意というほどのことは書かれてない。それでも創作をしている人なら何かしら参考になるところがあると思うし、技術の使用例の紹介や自作の解説やエッセイっぽい部分もあるので創作をしない人でもそれなりに面白いだろうし、筒井のファンならより楽しめる。筒井は小説としてはくだらないエログロや実験小説を書いていて私は筒井の小説はそれほど好きではないけれど、文学理論を勉強して古典を読んでエンタメや純文学や演劇を幅広くやっているので文学観は信用できる。「揺蕩」で批評家がほめていることを作品でやろうとしてはいけないというのは私も同感で、芸術家というのは規範から逸脱して反抗するもので、傾向と対策みたいなやり方で批評家にうけそうな作品を予習して書いたところで凄みは出ないだろう。そういうこぢんまりした作品は行儀がいい地方文学賞や文芸サークルなら高評価されるのだろうけれど、芸術としては力がなくなる。「破綻」については私は筒井と同じく書く前に構成を固めるべきだと思う。たぶん作家は毎月原稿料が欲しいとか締め切りに追われる人気作家を気取りたいとかの理由で書下ろしよりも連載をやりたがるのだろうけれど、連載小説は構成が甘くて後半がぐだぐだしたり中断したりするので、私は連載小説よりも書き下ろしのほうが好きである。漫画は何年も連載したりいきなり打ち切りになったりして小説以上に破綻している作品が多いように、締め切りがある連載は芸術としての完成度を下げる。「迫力」については他の芸術にも当てはまると思う。素人の漫画投稿サイトだと、投稿の常連でしばしば佳作になるけれど画力にも物語にもプロになるほどの突き抜けた魅力がないような人がいる。なまじ創作に慣れて何人かの読者にコメントやイイネをもらって満足しまうと、もっといい表現はないのかという試行錯誤や葛藤がなくなって、技術を極めて作品の完成度を高めようという気迫もなくなって、素人以上プロ未満のところで成長が止まってしまう。迫力のない芸術というのは技術について知らない素人の読者にも感覚的に伝わるもので、作者自身が感動していないなら読者に感動を伝えることはできない。「会話」の手抜きのくだりはラノベ作家やなろう作家には耳が痛いと思う。会話を多めにしてスカスカに書くのがテーマも文章も軽いライトノベルというジャンルの特徴なのだろうけれど、それは小説の魅力を捨てているようにみえる。「遅延」で興味を引くのは他の芸術にもあって、漫画の連載だと最後のページに思わせぶりな引きのコマを書いておけば次の号が出るまでの時間的な遅延になる。テレビのクイズ番組だと正解をCMの後で出すのが遅延になって、視聴者に考える時間を与えている。小説だと何もしないで空白にするわけにはいかないので何かしら書かないといけないけれど、読者の興味を引こうとして遅延した挙句につまらなくなって読者が興味をなくしてしまっては遅延する意味がないので、遅延の使いどころのセンスがいる。私はなかなか話が進まないとイライラして続きを読む気をなくすので、遅延をやりすぎないほうがよい。「羅列」は文学ならではの言葉の面白さを出せる技法で、映画のモンタージュのように断片的な言葉のイメージを積み重ねることができる。文章の調子を変えることができて、どのジャンルの作品でも使えるので、技法としては使い勝手がよい。「蘊蓄」は作家の大変なところで、インターネットの情報が充実するほど作家だけが知っている特別な情報というものがなくなって取材の難易度が高くなっているし、現代の読者は昔の読者よりも知識が豊富なので騙しにくくなっている。『美味しんぼ』の農薬批判が科学的に否定されたように、作者は知識のアップデートをして専門家なみに詳しくならないと創作ができなくなる。『半沢直樹』は大人の視聴者を対象にしている割に細部が詰められていなくて居酒屋でM&Aの話するのは守秘義務違反とかのツッコミだらけでリアリティがなくなっていて、経済考証をせずにリアリティを追及しないのは制作側の努力不足で、その甘えた姿勢が作品の価値を落としている。最近のフィクションで異世界ファンタジーが多いのは、作家が手間がかかる取材をしたくなくて想像で済ませられるのが原因だろう。「人物」の登場人物の前景化は創作の初心者がつまづきやすい所だと思う。読者がどの登場人物の名前や特徴をどれだけ覚えるべきなのか、作者側で描写量を調整して読者が登場人物を前景化する手助けをしないといけないけれど、話の長さや展開によって適切な描写量や描写をするタイミングが変わってきて一概にどう書いたらよいとは言えないので、作者の読書経験が豊富でないとちょうどいい具合に調整しにくい。本格ミステリだと登場人物の利き手や癖などのちょっとした描写が推理の手掛かりになっているので、本格ミステリを読むと人物の特徴の書き方の参考になるかもしれない。文学の最前線では何を書くかよりもどう書くかが重視されているといっても、読者がついてこない不毛の最前線を開拓して何の意味があるのか。超絶技巧を使ってうんこを飾り立ててもそびえ立つうんこでしかない。宝石の原石の大きさに合わせてカットの仕方を決めるように、何を書くかが重要で、それを面白くするためにどう書くかという技法が付随するべきである。作者が自分の人生を真摯に生きて人生観や文学観がしっかりしていることが色気や迫力につながると私は思うし、小手先のテクニックよりも創作にかける情熱のほうが大事だと思う。★★★★☆創作の極意と掟 (講談社文庫) [ 筒井 康隆 ]
2020.09.03
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