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心中や浮気や復讐などをテーマにした時代小説6作の短編集。新潮社の『夢からの手紙』という文庫本と内容は同じ。「川に沈む夕日」染屋治兵衛が島原の小春に惚れて身請けしようとして店の金を使い込んで妻子が家を出て行ったうえに嫌いな太兵衛が小春を請け出すというのでやけになって小春と心中しようとする話。いかにも江戸時代の駄目男という感じの駄目っぷりと心中という緊迫感が出ていてよい。「菊人形異聞」町奉行の平岡兵吉は菊を育てる名人で、素性が知れないまきと結婚したらまきが急に消えてしまい、菊人形づくりをして再婚したらまきに似た歌比丘尼を見つける話。まきが消えた理由を謎のままにしてオチにつなげる構成。兵吉の視点よりもまきの視点の話にするほうが面白いかもしれない。「おとし穴」糸賀彦四郎が病気で奉行所配下の天満組同心をやめたら金がなくなって、妻の兄から十両もらったので番傘十人に見せびらかそうとしたら一両なくなったり一両増えたりする話。元ネタは『西鶴諸国ばなし』で、こないだ読んだ池宮彰一郎「清貧の福」と同じネタだけれど、「清貧の福」は一両足した人が不明なままなのに対して「おとし穴」のほうは一両足した人もわかるしオチもあるのでこっちのほうが面白い。「もん女とはずがたり」荘内藩の加藤大弐に奉公しているもんという女が、加藤の息子の多士美と腹違いの妹のせつが不倫をしたと多士美の妻の高瀬が訴えた事件の真相を語る話。「とはずがたり」は鎌倉時代の後深草院二条という女性が実体験を綴ったという形式で書かれた日記文学だそうで、この小説はもんが一人称で自分の半生と事件を誰かに語る形式になっている。オチのcoup de grace(とどめの一撃)が効いている。「夢からの手紙」片岡孝介の妻から夫が仮面を被って怪しい儀式に参加する夢を見たという手紙が来る話。元ネタはシュニッツラーの「夢奇譚」。誰が何の目的で儀式をしているのかあやふやなままなのは元ネタ通りだけれど、そこは時代小説ならではの工夫が何かほしいところ。「有馬」近畿温泉旅館組合女将講が大阪の天神祭りの船渡御に参加して、有馬の温泉旅館の女将で未亡人の良恵が昔惚れた菱屋長兵衛の店に寄ってツケで高い着物を買ったので、長兵衛の妻が浮気を警戒して長兵衛が手代の青木と有馬まで集金に行くのを丁稚の捨松に見張らせる話。いつの時代の話なのか明示されていないものの、船賃が「拾円二十銭」で時代を仄めかすやり方で、景色を見ようとして電車の窓から頭を出して電柱にぶつけるとかのなにげない旅行風景も現代と違って風情がある。捨松がトリックスター的に動いていて、性欲増強剤と睡眠薬のすり替えとかのミステリ的な仕掛けがオチの面白さにつながっている。人が死んでいる傍らで浮気に夢中になっているあたりが人間臭くてよい。●全体の感想こないだ読んだ『歴史小説の世紀 地の巻』は古い小説が多いせいか内容が面白いつまらないという以前に技術的に下手なのが気になったのだけれど、この小説はベテラン純文学作家が書いたエンタメというだけあって技術的な欠点がなくてストレスなく楽しく読める。会話に精彩があって江戸時代の人の喜怒哀楽が生き生きと描かれていて、現代のエンタメとしてオチもあるという点でこの小説は成功していて、作者の狙い通りのことができている。元ネタがある作品が多いけれど、辻原登はパスティーシュが得意な作家なので単なる古典の翻案にならずに作者の持ち味を出せていてよい。からくり長屋というタイトルのようにミステリ的なからくりがある構成で短編ならではの物語の面白さが十分に引き出せていて、時代小説としても恋愛小説としても見どころがある。『夢からの手紙』と中身が同じだと気づかずに買ってしまって13年ぶりに再読することになったのだけれど、既に内容を忘れていたので初めて読むように面白く読めた。自分なら同じ元ネタをどう仕上げるか考えるのは小説の構成や技術の訓練になるので、著作権が切れた古典は翻案しても著作権侵害にならないのでパスティーシュの練習材料としてちょうどよい。漫画はコミケの二次創作の同人が黙認されていて、小説でもpixivや魔法のiらんどの二次創作のショートストーリーが黙認されているけれど、そういうファンアートは設定を丸ごと借りているのでいちから創作する訓練にならない。古典を元ネタにする方が教養を得られるし使いまわしできる持ちネタが増えるし法的な問題もないので、上手くなりたい人は二次創作をやるよりも古典をパスティーシュするほうがよいと思う。★★★★☆恋情からくり長屋(新潮文庫)【電子書籍】[ 辻原登 ]
2020.12.26
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ヘミングウェイが芸術家は孤独でなければならないというようなことを言っていたような気がするけれど、芸術家でない普通の人は孤独になると病んでしまうし、芸術家も孤独に生きて大成するのは大変で自殺する芸術家も多い。日本は未婚化や少子化が進んでいて地方の過疎化も起きるしこれから孤独になる人が増えると思うので、孤独のメリットとデメリットを知ってうまく対処しなければ孤独の毒にやられてしまう。というわけで孤独について考えることにした。・長期間孤独だと創造力が向上する「孤独は脳に「創造力を向上させる影響」があると判明!」という記事によると、カナダのマギル大学医学部医用生体工学科に所属する神経学者Danilo Bzdokの研究チームが4万人の脳を研究して一般的な人の脳と孤独な人の脳を比較して、孤独な人々の脳は空想、回想、創造などの作業を行う脳領域の接続性が向上していると発表して、孤独な脳は孤独ではない脳に比べて、灰白質のボリュームが大きく、白質の構造がはっきりとしていて、想像やシミュレーションなどのタスクに特化した脳領域「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」の接続性が増加したそうな。ただしこの研究はtrait loneliness(実際の孤独に過ごした時間や社会的接触の頻度とは別の概念で、自分を孤独として認識していること)として一時的な孤独よりも長期間孤独だと自己認識して過ごした人に焦点を当てていて、研究対象が平均50代である。2019年の別の研究では孤独な若年成人のDMNが低下したそうで、長年孤独でないとDMN領域は活発にならないようである。脳のシナプスは可塑性があって筋トレみたいに使えば使うほどシナプスが強化されて、使われない部分は淘汰されるので、脳の形が変わるほど脳を鍛えて創造性を得るには長期間の孤独が必要で、一時的に孤独になったからといってただちに創造性が向上するわけではない。これは中年以上の芸術家にとっては孤独であることの正当化ができるという点で朗報だけれど、若い孤独な人はすぐに創造性向上の恩恵を受けられるわけではなくて就職しにくくなったりするデメリットのほうがが大きいという点では残念である。・集団と個人の芸術の違い日本の芸能界はジャニーズやAKBなどのグループで活動するアイドルが人気だけれど、彼らは他の人に作詞作曲や振付を用意してもらって舞台で演じるパフォーマーであって、自分で創作するクリエイターではない。そのクリエイターでない人たちが本業のアイドルだけやるならまだしも事務所の力で映画や声優や小説にも進出してくるのが問題である。美男美女のアイドルの集団は若くて孤独で貧乏でぶさいくなクリエイターの仕事を奪う一方で、アイドルが歳をとってベテランになってもたいした仕事をしないので、クリエイティブでないアイドルに仕事を奪われた分は業界の衰退につながる。アイドルの学芸会になったテレビ番組や映画は衰退が顕著である。アイドルがグループを卒業したり事務所と揉めて独立したりしても、孤独になったら活躍できずに消える人が多い。群れを作るのは社会を作るうえで有利になるけれど、人数が多くなると作業を効率よくできるようにはなっても、「船頭多くして船山に上る」ということわざがあるように創作にとっては必ずしもプラスにならない。映画は集団で作る芸術だけれど、たいていの映画は監督は一人だけである。一人で取捨選択する決断を積み重ねていかないと芸術の良し悪しを判断する審美眼は鍛えられない。特に自分の生死にかかわる哲学は自分で考えて納得しないと意味がない。それゆえ芸術家は孤独でなければならない。・孤独だと生活に困窮する経団連の「2017年度 新卒採用に関するアンケート調査」の結果だと82%の企業が新卒求職者に求める能力としてコミュニケーション能力を挙げたそうで、10年間この傾向は変わっていないそうな。日本はクリエイティブでなくて組織に同調できる元気で従順な人が評価されて、クリエイティブでもコミュ力がないと評価されない社会である。日本の企業が革新的な製品やサービスを作れないのは単にITに疎いだけではなくて基本姿勢として創造性を軽視して組織の維持を重視しているからだろう。都会出身で親のコネがあるクリエイターは仕事を見つけやすいけれど、金もコネもない地方出身の孤独で貧乏なクリエイターは条件のいい仕事は見つけにくいし、そうなると薄給の長時間労働で創作のための時間がとれなくなってますます才能を発揮しにくくなる。芸術家なら泣き言を言わずに作品で自分の価値を示せばよいのだけれど、リーマンショックやら東日本大震災やらコロナやらの恐慌が数年おきに頻発する状況では孤独な人にとってハードモードすぎる。私はただでさえ貧乏なのにコロナ禍でフリーランスの仕事の単価を23%減らされたので2割多く働かないと収入を維持できなくなってしまって家賃を払えるかさえ危なくなってきたので創作どころではなくなった。・創造力を発揮するには技術がいる長期間孤独にひきこもっている人がクリエーターとして活躍するわけでもないように、単に空想がすごいというだけではあまり社会の役に立たなくて、空想を作品に仕上げるには技術が必要である。孤独だと技術を習得する機会が乏しくなるのが問題だけれど、ネットがあればその問題も解決しやすい。日本ではアマチュアの小説の作品数が自体は多いにもかかわらず技術がないのが質が上がらないボトルネックになっているので、私はアマチュア作家の技術水準が上がれば文芸復興はありうると思って小説の書き方講座として小説の技術の使い方の動画をアップロードしている。最近は8050問題で中年の長期引きこもりが問題視されているけれど、ひきこもりを社会復帰と称して家から引きずり出して向いていない仕事に無理やり従事させるよりも、せっかく長期間孤独だったのだから凡人以上の空想を形にする技術を教えるほうが才能を活かして社会の役に立つかもしれない。あるいは技術がなくても孤独な人の創作や発明のアイデアを買い取るビジネスやサンプルのレビューに金を払うビジネスとかで技術がある人の役に立てるやり方があるかもしれない。・孤独は悪いことではない孤独はメンタルヘルスが悪化してアルツハイマー型認知症や自殺のリスクが高まるとして一般的にネガティブにとらえられている。しかし孤独でないことが必ずしもよいわけではなくて、共産主義で強制的に家族を作らされたり集団で仕事をさせられたりしても人間は幸福になれなかったし、見合いや終身雇用で人間関係を固められた老人たちは熟年離婚したり定年退職後に居場所がなくなったりしている。自由民主主義の社会でも孤独になる時間がなくて周囲の意見や用事に束縛されるのでは自由であることのメリットを活かせないので、自由と孤独はセットでないといけない。最近はテレワークのための環境も整いつつあるし、ITなどの一部の業種では田舎でもメールやビデオ通話で最低限のコミュニケーションをとりつつ都会と同等の仕事ができるようになった。ビデオ通話で医者が患者の様子を訪ねることもできるようになったので、過疎地の一人暮らしの老人でも孤立しにくくなった。孤独を社会性がなくてけしからんこととして見なすのではなく、孤独のデメリットを少なくしてメリットを活かすようにするのが今後の社会の課題になる。しばしば芸術家は創作に集中するために静かな田舎を拠点にしたりするけれど、芸術家以外の人も田舎で仕事や創作をするようになれば地方の活性化になる。例えばインドア派が多い北欧だと家具や布のデザインや雑貨や音楽が優れていて、孤独な感性がビジネスの成功につながっている。いずれ機械やAIが単純作業をするようになればクリエイティブでない労働者は必要なくなる。一つの会社に皆で集まって大声で社訓を唱えて仕事が終わったら飲み会に行って集団の結束を高める日本的な働き方が今後は非クリエイティブで時代遅れなものとして見直されるかもしれないし、孤独と創造から遠い位置にいる日本のサラリーマンや公務員が孤独に思索にふける時間が増えて創造的になればもっと社会がよくなるかもしれない。日本企業はディフェンダーしかいなくてパス回しだけやって誰もシュートしなくて点をとれないサッカーチームのようなもので、創造力がない分を長時間労働で補おうとしても人間の体力は有限で長期的な競争での負けが確定していて現状維持すらできなくなるので、現状を打破して未来を作るには失敗するリスクをとって物やサービスを創造することが必要である。企業はもっと孤独な人の創造力を活用するべきだし、孤独で貧乏なクリエイターが仕事を見つけやすくなれば、日本はもっとよい社会になるかもしれない。そういえば私はすごくクリエイティブで文章も書けて絵も描けて作曲もできて動画の編集もできて英語もできるてユーモアもあるので、クリエイティブな人材がほしい企業は私を雇うとよいと思う。・孤独でも孤立しないためには人生の目的が大事最近はコロナ禍で子供の自殺が大幅に増えているようで、4月から11月の期間では329人自殺して去年から三割増加しているそうな。休校が長引いて友達ができなかったり、収入が減ったりテレワークしたりしている親の家庭内暴力が原因のようで、学校にも家庭にも居場所がない孤立感から自分が無価値のように感じて自殺に至るようである。専門的な訓練を積んだ芸術家でさえ自分の価値を作品で示せるようになるのは長い時間がかかるし、芸術家が代表作を残すのはたいてい中年以降だし、生きている間に世間に価値を認められなくて死んでから価値を認められる芸術家もいる。谷崎潤一郎は小説家になるのにちょうどいい年齢は40歳くらいで、それより若いと未熟だというようなことを言っていたけれど、それだけ長い間孤独に創作してようやく人並み以上のものが作れるようになる。まだ社会に出ていない子供が自分の価値を考えたところでたいしたことができなくて当然なのだから、自分の価値のなさを理由に死ぬのはもったいない。大人になってから何ができるようになるのかは大人になってみないとわからないし、学校を卒業してそれで勉強が終わりでなくて、その後も自分の意志で知識と技術を積み重ねていかないといけない。学校なんて人生の一時期にたまたま同じ地域にいた人が集まる程度のもので、人間関係を後生大事にするようなものではない。進学や就職したら学校の友人とは疎遠になるし、転勤や転職したら会社の同僚とは疎遠になるし、引越ししたら近所の人とは疎遠になるし、夫婦だって別れることがあるし、人間関係なんてそんなもんである。友人はいたらいたでそれなりに面白いし役に立つこともあるけれど、いなければいないで自分のやりたいことが邪魔されなくて済むし、友人がいてもいなくてもどっちでもよい。寂しさを紛らわせるためのその場限りの話し相手の友人を作るよりも、人生の目的を見つけて自分の人生を生きることが大事である。私は会ったことがある人も、会ったことがない人も、ネットでしか知らない人も、既に死んでしまった人も、同じ目的を持つ人は年齢も性別も人種も関係なく仲間だと思っている。特に文学や哲学は死んだ人の言葉だらけである。目的が同じ仲間がいれば、物理的には孤独でも精神的には孤独でない。自分の価値を問うのではなくて、自分が価値があると思うものの価値を高めたり価値を継承したりするために生きればよい。たとえ道半ばで死んだとしても、他の誰かが価値を継承するなら無駄死にではない。その生き方は孤高であって孤立ではないので、孤独でも寂しさや虚しさは感じないものである。
2020.12.24
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小説家の丸山健二が12月1日に「少年期を過ぎたならば、アニメやゲームという非現実の世界からは完全に手を引かなければならず、さもなければ、自立や自律とはいっさい無縁な、不気味極まりない子ども大人として異様にして異常な人生を送るだけならまだしも、社会全体と国家全体を尋常ではない集団に仕立て上げ、暴力の狂気を迎える。」とツイートして、アニメやゲームのファンから批判が殺到しているそうな。といってもTwitterは360コメントくらいしかなくて炎上というほどでもないけれど、5ちゃんねるの芸スポ速報+では5スレッドまで伸びていて反論したい人が多いようである。というわけでこれについて考えることにした。・丸山健二のツイートの流れ丸山健二のTwitterを見ると国家権力への批判のツイートをしていて、香港やタイの若者が国家権力におとなしく従わないのに対して、日本人はアニメの英雄だの超人だのという幼稚な願望から生まれた憧れの存在にうつつを抜かしていて、それが右傾化になると批判している。この文脈から見ると、アニメやゲームという表現手法を批判しているというよりは、英雄が活躍するような内容のフィクションの悪影響を危惧しているようで、そういうのがアニメやゲームに多いからアニメやゲームを卒業しろと言いたいのだろう。しかしTwitterの短文なので言葉足らずで、アニメやゲームが全部悪いというようにとらえられてしまうところが批判される原因になっているようである。そもそも言葉の定義を共有しないと議論が成り立たないけれど、丸山がいう「非現実の世界」が何を指すのかが不明で、それゆえ小説も非現実の世界じゃないかというツッコミが多いようである。「非現実の世界」は非リアリズム的なフィクションのことを指していて、小説や実写映画とかのリアリズムのフィクションは非現実ではないというのが丸山の認識なのだろうか。・英雄や超人は幼稚な願望なのか英雄や超人のフィクションというと、私は日本のアニメやゲームよりもアメリカのマーベルとかのアクション映画を連想する。じゃあそのアメリカはどんな社会かというと、トランプ支持者なんかが典型的でマッチョ思想で銃が好きで反知性主義で強いリーダーを求めて右傾化している。現実社会は敵を力づくで倒して問題解決するわけにはいかなくて超人的な武力よりも知性のほうが問題を解決するために必要になるので、英雄や超人が幼稚な願望という点では私は丸山健二に同意する。中世の社会では国をまとめるために英雄のカリスマが必要とされたので国王が自ら戦場に行って武勲を上げたり討ち死にしたりしたけれど、現代では英雄は必要とされていない。英雄や超人が力づくで悪者を退治するのはアンパンマンと同じ構図で、細部の設定は違ってもどれも似たような展開である。アンパンマンは子供向けの幼稚な物語だけれど、主人公をスーパーマンとかシュワルツェネッガーとかの大人にすれば大人向けの幼稚な物語になる。娯楽としてのフィクションはたいていわかりやすくて単純な幼稚なもので、大人向けだからといって知的な芸術作品というわけではない。・アニメやゲームは幼稚なのかTwitterでアニメのアイコンを使う人はダメな人としばしば言われるように、アニメはしばしば幼稚なものとして侮蔑の対象になる。アニメやゲームでは現実世界の醜いものを除外して人物や風景を過度に美化していて、登場人物はたいてい美男美女だし、鼻の穴やニキビや円形脱毛症をちゃんと描いているアニメはあまりなくて非リアリズムである。綺麗で単純なものは良さがわかりやすいけれど、それゆえに芸術としては凡庸である。『君の名は』は映像が綺麗だと評判だったけれど、もしヒロインが体重140キロのぽっちゃり系女子だったら名前を知りたいと思わないままタイトルを回収しないで終わって作品として成立しないだろう。アニメファンが綺麗な幻想だけを見て現実を見ようとしない姿勢が精神的に幼稚だとして批判される。しかしリアリズムでないからといって必ずしも幼稚だとは言えなくて、幼稚でないアニメやゲームもある。例えばSF小説が原作の1973年のアニメ映画『ファンタスティック・プラネット』はリアルではないけれど幼稚でないし子供向けでもないし、カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞して芸術的アニメとして高評価されている。ゲームはファミコンの頃ならデータ容量の都合で映像もストーリーもしょぼかったので子供だましの幼稚なものといわれても仕方がないかもしれないけれど、現代の3DCGのゲームは何十億もかけて開発されるだけあって映像は作り込まれているしストーリーもよく練られている。『GTA5』は開発に250億円かけたそうだし、内容は犯罪絡みの大人向けのシリアスな物語で子供は遊ぶのを禁止されている。幼稚か否かは各作品の内容次第で、アニメやゲームという表現手法自体は批判される筋合いのものではない。・大人とは何なのか丸山は「少年期を過ぎたら」という条件をつけているけれど、少年と大人は何が違うのか。私が大人を定義するとしたら、文明の建設に参加するのが大人が果たすべき責任だろう。大人が文明の建設に参加しないフリーライダーだらけになったら文明は衰退してしまう。子供は知識や体力といった能力が不足しているので、文明の建設に参加しなくても許されている。昔は働くことや兵役に参加することがわかりやすい文明の建設への参加方法で、10代で元服したら大人扱いされて戦に加わったけれど、現代は機械化して仕事が減ったし戦争も少なくなったので、代わりに娯楽に寄与することが文化の発展に貢献することにつながる。プロゲーマーやYouTuberは老人から見ればくだらないように見えるのだろうけれど、遊んでないで働けと批判されながら新しい文化を作っている最中で、これは小説や映画も通ってきた道である。丸山が若い頃はまだ飲む打つ買うの大人像があったので、少年期を過ぎたら〇〇すべきというような物言いになるのだろう。しかしバブル崩壊後には終身雇用制度が崩壊して大学を卒業したら実家を出て就職して何歳までに結婚して子供を作って飲む打つ買うの道楽を嗜む大人像もなくなって、もはや大人だから何をするべきという規範がない。規範がないからこそ個々の人間の思想や生き方が問われるのが現代の大人である。子供は物事を知らないという言い訳が通用するけれど、言い訳ができないのが大人である。自由民主主義の社会ではどう生きてもよいし、大人が無知なまま生きて愚かな行為にふける自由もあるけれど、愚か者として蔑まれるのも自己責任である。楽しい酒の飲み方を知らずに危険なテキーラ一気飲みゲームをやる大人もいるし、お金の使い方を知らずにTwitterでお金配りをしている大人もいるし、多目的トイレの使い方を知らずに逢引に使う大人もいる。そうした残念な大人に対して、いい歳をした大人が何やってんのという批判はあって当然だけれど、大人なんだから〇〇すべきという価値観の押し付けは余計なお世話である。・少年期を過ぎたら非現実の世界から手を引かないといけないのか芸術家がよい作品を作るためには政治経済や社会問題を理解する現実的な教養が必要だけれど、芸術家の理想は自分の人生や作品で体現するべきもので他人に要求するものではないし、会ったこともない他人にこういうふうに生きるべきだと説教したところで他人の生き方を変えることができるわけでもない。消費者が好きなものを自由に消費するからこそクリエイターも自由に創作できてそれが商売になるので、嗜好を制限するのはクリエイターにとってもよくない。くだらないポルノでも幼稚ななろう小説でもどれを消費するかは個人の自由であるべきである。人間は家族や友人や職場などの状況に応じてペルソナを使い分けているので、プライベートではぷいきゅあがんばえーと言っている人が会社では立派な大人として振舞うこともありうるし、漫画の『ローゼンメイデン』を読む麻生太郎もいる。幼稚なフィクションに耽ったところで、酒を飲んで一時的に酔っぱらっても時間がたてば醒めるようなもので、人生の中で幼稚になる時間が多少あるという程度に過ぎなくて、丸山が言うような異常な人生を送るわけではない。どんなものにでも何かしらのメリットとデメリットがあるのだから、メリットとデメリットを把握したうえでうまく付き合う方法を考えるのが現実的である。幼稚なフィクションは人格形成の役に立たないかあるいは害があるとしても、娯楽としてストレス解消になるなら違う形で役に立っているといえる。というわけで、英雄や超人のアニメやゲームは幼稚だけれど、かといって少年期を過ぎたらそういう非現実の世界から手を引かないといけないというわけでもないと私は思う。
2020.12.18
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歴史小説、時代小説の短編27作のアンソロジー。杉浦明平「秘事法門」自分の苗字の杉浦のルーツをたどって、堕落した蓮如派とそれを悪魔として討伐しようとする日蓮派の門徒たちの対立を書いた話。エッセイから小説に移行するような独特の形式。露悪的にどちらの宗派にも正義がないことを書いているあたりがよい。船山馨「刺客の娘」田中光顕のところに渡辺きみが訪ねてきて、坂本龍馬を仕留めたのは今井信郎とされているけれどそれは間違いで父親の渡辺吉太郎が殺したので、記録を訂正してほしいと訴える話。真実を訴えたというだけで終わって山場がない。柴田錬三郎「無想正宗」豊臣秀頼の愛刀の無想正宗を受け継いだ眠り狂四郎が蝋人形の首をめぐってむささび喜平太と対決する話。眠り狂四郎シリーズが人気になって剣豪小説ブームになったそうだけれど、女と暴力の漫画っぽいエンタメという感じ。中村真一郎「砕かれた夢」徳川家康の六男の忠輝は伊達政宗の娘と結婚して一旗揚げようとしたものの、秀忠に監禁されて正宗にも見放された話。小説というよりは歴史解説。水上勉「天正の橋」岩倉合戦で岩倉軍に加わって信長に睨まれた不運な堀尾方泰の息子の堀尾金助が秀吉の小田原攻めに加わって戦果を上げようとして初陣で死んで、金助を弔う橋が建てられた話。橋の由来を掘り下げて物語形式にした感じ。阿川弘之「野藤」野藤という鷹を飼う徳川家の鷹匠の小林正之丞は腕はいいものの、宿で女郎買いをしていた奥坊主に喧嘩を売ったら素行不良で解雇された話。元ネタは「幕末百話」。鷹狩の鷹の育て方について詳しく書いてあるのがよいけれど、「公儀御鷹匠の役目を笠に着て無体をする事にかけては相当あくどくて、其の事の為に後にお役御免になった」と序盤でオチをネタバレしているのはよくない。五味康祐「喪神」瀬名波幻雲斎信伴が武芸奉納で比村源左衛門を倒して豊臣秀次の剣の師匠になるものの多武峯に隠居して、決闘に来た青年松前哲郎太重春にとどめをささずに弟子にする話。この小説で芥川賞を受賞して、その後柳生一族の小説を書いて剣豪小説ブームになったそうな。山田風太郎「みささぎ盗賊」火串の猪七という悪党が神功皇后陵で財宝を見つけて神罰を受けた話。翁のおじゃる口調の一人称。時代劇風インディー・ジョーンズみたいな感じだけれど、おじゃる口調のせいで描写がわかりにくくてエンタメとしては読みにくい。この作家は「伊賀忍法帖」が人気になって忍法ブームを作ったそうな。瀬戸内寂聴「妲妃のお百」祇園の芸達者なお百が桑名屋徳兵衛に根引きされるものの浮気して追い出されて、昔の客につきまとわれたので殺す話。殺人を書いておいて、最後にやっぱり殺してなかった説を付け加えるあたりは蛇足。池波正太郎「看板」盗賊の夜兎の角右衛門は殺傷しない掟を守っていたものの、手下が掟を破ったせいで乞食にって死んだ女がいたと知って自首して、盗賊の捜査に協力して殺される話。心情を語らずに省略して淡々と書くハードボイルドの文体と内容が合っていてよい。盗賊なりのけじめのつけ方に外国のピカレスクとは違う日本らしさがある。遠藤周作「最後の殉教者」きりしたん信仰がある長崎の中野郷で浦上四番崩れという迫害が起きて、臆病な喜助はすぐに転宗するものの、神の声を聴いたのでみなの後を追ってまた拷問された話。なぜゼススは助けてくれないのかという疑問を掘り下げずに苦難を美化して奇跡で正当化するあたりがいかにもキリスト教文学という感じで私は嫌いである。池宮彰一郎「清貧の福」貧乏な普請方の三杉が家老から10両もらったので同僚が困ったときに使うように取っておくことにしたら、1両減ったり増えたりして揉める話。結局誰が1両足したのか不明なまま終わるので、ミステリとしては物足りない。司馬遼太郎「侠客万助珍談」幕末の大阪の鍵屋万助という侠客が攘夷浪士の強盗対策のために一柳家に雇われて士分になると博打で警備費用を稼いで好き勝手やって、倒幕後もうまく立ち回って金儲けする話。侠客らしい武士とは違う渡世の仕方が面白い。隆慶一郎「柳枝の剣」柳生十兵衛に酷く稽古されて育った左門は剣に夢中になるあまりに女嫌いになって家光と衆道の仲になるものの、家光が左門を厚遇するのが周囲に嫉妬されて柳生一門の危機になったので十兵衛が左門を殺しに来る話。9歳、15歳、22歳、26歳、27歳のそれぞれのエピソードを書く形式。伏線がオチにつながっていてよい。綱淵謙錠「鬼」配膳を変えたせいで姫が毒殺されてしまう話。一人称。語り手の名前が明らかになるのが2章で、情報を出すのが遅い。誰が誰に対して何をなぜ語っているのかというナラトロジー的な始末ができていないので背景情報が不明なせいで物語が頭に入ってこない。昭和の作家なので文学理論を知らないのは仕方ないとはいえ、技術的に下手なのではつまらない。一人称で書く必然性がないなら三人称で書くほうがまし。三島由紀夫「志賀寺上人の恋」老いた上人が来世の浄土を捨てて女性に恋する話。前置きを書いてから本編に入る形式は読者に対して親切でわかりやすい。永井路子「右京局小夜がたり」乳母の右京が鎌倉時代の右大臣の殺害を語る話。右京が誰かと会話している形式で、何度も「え?」と相手の会話をオウム返しするのがうざったいし、綱淵謙錠の「鬼」と同様にナラトロジー的な始末ができていないので物語が頭に入ってこない。三浦朱門「冥府山水図」私が友人の鄭から絵をやめるきっかけになったという絵の師匠の衡山居士の先生の白石翁が若い頃の逸話を聞く話。私の一人称の枠小説の構図。伝聞のさらに伝聞という婉曲さに加えていつの時代の話なのかよくわからないので時代小説としてあまり面白くない。吉村昭「コロリ」明治初期の西洋医学の医師の沼野玄昌が死体を掘りだして骨格標本を作ったので村人に気味悪がられてコレラの原因扱いされてリンチされる話。三人称。冒頭でネタバレしていてそのままの展開なので工夫がないので物語としてはあまり面白くないけれど、現代のコロナ過の医者いじめに通じるものがあるし逸話として残しておく価値がある。藤沢周平「驟り雨」泥棒が盗みに入る前に雨宿りしていたら、訳ありの人たちが3組雨宿りしに来たので盗み聞きする話。三人称。遅延を3回繰り返して主人公の感情の変化をオチにするというテクニカルな構成で、話はそれほど面白くないけれど技術の使い方としては手本になるようなきれいな仕上がり。澁澤龍彦「儒艮」親王が天竺を目指して東南アジアを船で旅していたら、捕まえたジュゴンが喋り出す話。三人称。マジックリアリズムをやろうとしたのかもしれないけれど下手な夢オチみたいになっているし、ポストモダン的なことをやってみただけのような感じで時代小説でやる必然性がないので面白くない。三浦哲郎「贋お上人略伝」侍を殺して仏門に入った鉄門海上人が即身仏になったので弟分の月海が死体を乾かす話。三人称。オチは月海のその後をほのめかすだけでインパクトが乏しいけれど、即身仏の作り方とか修験の道に背いた者を穴に入れて小石を投げ込む石子詰めの刑罰とかの文化的な部分のうんちくは面白い。平岩弓枝「ちっちゃなかみさん」料理屋の一人娘が縁談を断って豆腐売りの男と結婚したいというので既婚者かどうか調べてみたら、姪と甥を育てるまで結婚しないというので引き取る話。三人称。健気な子供を大人が庇護するオーソドックスな人情話。筒井康隆「ヤマザキ」信長が死んだので秀吉が毛利と講和して急いで新幹線で返る話。三人称。序盤はまじめに時代小説を書いているふりをして、終盤はいつものスラップスティックだった。古井由吉「厠の静まり」死に際に些細なことが気になる僧侶や厠で蒸発する僧侶についてのエッセイ。ころころ主題が変わって誰の何の話をしたいのかわからないし、労力をかけて精読してまで理解したい話でもない。宮城谷昌光「指」疾が衛の君主の霊公の妻の愛人の子朝の娘と結婚させられて前の妻を捨てたら、宰相の孔圉が子朝を追放して娘と結婚しろというのでまた妻を捨てて結婚するものの、元妻を愛妾としていたのが妻にばれて孔圉に命を狙われる話。三人称。疾について年齢や地位や子朝との関係といった基本的な背景情報がなくて説明不足で、なんで子朝や孔圉が疾と娘を結婚させたがるのかわからない。こういうのは編集者が書き直しさせないとだめだろう。中上健次「月と不死」死に損ねて放浪している頑丈な被慈利が茶屋で魔界と噂されているところに行ってみたら住民に襲撃される話。三人称。何のテーマを書きたいのかわからない。●全体の感想古い小説から最近の小説までいろいろな作風があって、有名な作家がそろっているので、歴史小説・時代小説のアンソロジーとしては読みごたえがあってよい。800ページくらいあってたくさん文章が読めてコスパもよいので、好きな作家は特にいないけれど適当にいろいろな作風の時代小説を読みたい人は買って損はないと思う。時代小説の面白さは書き方よりも元ネタ次第のところがあって、元ネタの面白さを妨げない書き方をしている池波正太郎の「看板」は私好みだった。本格的な時代小説を読みたい人にとっては澁澤龍彦や筒井康隆は期待外れで面白くないかもしれない。昭和は剣豪が出てくる時代劇や歴史小説が流行ったのだろうけれど、現代はアクション系の物語はファンタジーに取って代わったように見える。剣だけで戦うチャンバラは地味だけれど、魔法とかの特殊能力で戦うファンタジーのほうが漫画やアニメで見栄えがいいのでエンタメの主流になった。漫画の『NARUTO』は忍者をテーマにしているけれど、忍術というより魔法である。あるいは『ONE PIECE』のワノ国編のようにファンタジー世界で時代劇をやるようになった。これは歴史小説は取材に手間がかかるし、有名どころの武将ネタや剣豪ネタがやりつくされて目新しいものがなくなったのに加えて、現代人の感性が変わってジャニーズやK-POPの気取った優男が若い男女の憧れになって勝新太郎のようなむさくるしい髭面のおっさんをもはやかっこいいと思わなくなって歴史小説の人気がなくなったのかもしれない。NHKの大河ドラマの平均視聴率は87年の「独眼竜政宗」の39.7%がピークで、2010年代は10%台にまで落ちているようである。昭和はまだ戦争の名残があってテロとかの暴力的な事件も起きていたので死が生活の延長線上にあったのに対して、現代では死や戦闘は日常生活とは切り離したゲーム的なフィクションの出来事としてとらえられているようである。歴史小説は実在した人物の現代とは違う生き方を書くのに対して、異世界転生では現代人の感覚のまま現代とは違う世界を生きようとするので、中世で剣で戦う物語でも内容はまったく異なる。歴史小説は戦争や天災や飢饉が頻発する過酷な中世を生きた人たちを書くからこそ平和に生活できる現代を相対化する視点になるし、現代人が見習う点がある。現代人はレジリエンスがなくてストレス過多で問題解決のために戦わずに自殺してしまう一方で、中世に活躍した人たちは傑物というにふさわしい胆力や行動力を備えて困難に立ち向かっていて、人間はそんなふうに生きられるのだという実存の可能性を示すことが現代人が生きる気力を取り戻すきっかけになるかもしれない。時代小説や歴史小説には現代がいずれ過去の時代になるということを認識させる役割もある。漢代の法家の書物『管子』には「一年之計、莫如樹穀。十年之計、莫如樹木。終身之計、莫如樹人」というのがあって、一年の計画を立てるなら五穀を植えるのがよい、十年の計画を立てるのなら木を植えるのがよい、百年の計画を立てるのなら人を育てるのがよいというような意味である。江戸時代の日本は子供を大事にして地域ぐるみで育てていたようで寺子屋や若者組という教育制度があったし日本各地で立派な人が育って明治維新後の近代化と日本の発展につながったけれど、現代の日本は学校が乱立する一方で人が蔑ろにされていて、企業も人を育てるのをやめて非正規雇用で搾取したあげくに未婚化と少子化になって、その少ない子供も大事にされずに虐待されたり自殺したりしているので、百年後に人を育てなかったツケがまわってくるだろう。今は百年前の大正時代を舞台にした『鬼滅の刃』が人気だけれど、百年後の時代小説には21世紀の世界はどう書かれるのだろうかと想像するのも楽しいかもしれない。衰退した未来の日本よりも現代の日本のほうが先進国でいられた良い時代として美化されるのかもしれないし、札束の呼吸で無双する前澤友作やテキーラの呼吸で無双する光本勇介の物語が資本主義時代のチャンバラとして格好よく書かれるのかもしれない。『破滅の札束』というタイトルで百年後に出版したら売れると思う。★★★☆☆【中古】歴史小説の世紀−地の巻− / 新潮社
2020.12.13
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こないだ20年かけて独自のギターの演奏スタイルにたどり着いて、だいぶ時間がかかったけれど個人的には満足している。現代は時間をかけないことが効率がよいものとしてもてはやされていて、これではいかんと思うのでもう少し時間について考えることにした。●休むことは悪なのか私は毎日学校に行くことを称える皆勤賞はばかばかしいと思っている。だらだら作業して長時間残業して飲み会に顔を出す人が働き者と評価されて、きびきび作業して定時に帰る人がやる気がないとみなされて評価が下がるような前時代的な日本企業の評価制度も非効率的である。目的を達成することを評価するゲゼルシャフトでなく、組織に参加することを評価するゲマインシャフトとして学校や企業が存在しているので、目的を達成しようとする方向に努力しなくなって学力は低下して企業の生産性も落ちる。そして仕事や学校を休む人を怠け者のフリーライダーのように邪険に扱って、組織に所属していないニートやひきこもりを社会的落伍者と決めつけるのがゲマインシャフトの悪い所である。農業だと輪作で数種類の農作物を数年置きに生産して土中の特定の養分だけが欠乏しないようにしたり、休耕して養分を回復したりする。人間もインプットをする時間がないままアウトプットを続けていれば当然知識が枯渇する。インプットのための時間を作らないと新しい技術に無知なままで時代の変化に対応できなくなるし、考える時間がなければクリエイティブな発想は出てこない。いくら将棋の天才でも棋譜の研究をしないまま持ち時間なしで将棋を指していたら才能は発揮できないだろう。ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットが読書するのもインプットを増やすことの重要性を知っているからである。ユダヤ教やキリスト教には教義として何もしてならない安息日があるので休むことを悪いこととは思っていないし、むしろ労働をエデンの園を追い出された人間の罰として考える。休むことを悪とみなしてやたらと働いて利益を最大化しようとするのは宗教がない拝金主義的な価値観といえる。●創造には無駄に見える時間があるかつては日本は製造業で大量の物を生産して経済成長したけれど、創造性や持続可能な開発目標が必要になった時代には長時間労働で大量生産して人と物を使い捨てるやりかたが通用しなくなった。しかし学校も企業も未だに製造業を主体にして設計されているせいで、人と同じことを指示されたとおりにやることが評価されて、クリエイティブであることが評価されないどころか、むしろ生意気で反抗的だとみなされて評価が下がる。ファッションセンスがある人が制服を着崩したり髪を染めたりすると校則違反になるのが典型的で、芸術は規範から逸脱するものなので管理教育では評価できない。知識を詰め込んで与えられたルールを守ることだけ教えて自分で考えて物や仕組みを作ることを教えなかった反省からゆとり教育が導入されたけれど、これも学力の低下を招いてわがままで打たれ弱いと不評でうまくいかなかった。人が生きるために必要な知識や技術を教えるのでなく、個人の意思や個性を無視して社会に都合のいい人間を育てようとするので結局失敗する。最近は経団連が「活躍できる人材を育成するためには、学校教育や教員も変わるべき」という提言をして批判されているけれど、これもその時代ごとに自社に都合がいい労働者が欲しいだけで人を育てようという気がないので、経団連の言う通りのデジタルを活用する教育をしたところで未だにFAXと判子と手書き履歴書にしがみついている老害上司がいるようではうまくいかないだろう。そもそも生きることはそれ自体がクリエイティブで、人と違う人生だからこそ様々な問題を解決するために人と違う発想ができるようになって、新しい技術や知識を身に着けて、新しい場所に行って新しい人と会って議論して、新しい物やサービスが作れるようになる。自分で問題を解決しようという姿勢があるから物を作ったり起業したりしてクリエイティブになれるので、誰かにクリエイティブになれと言われてなれるものではないし、マニュアル片手に不自由なく育った人には自分で問題を解決しようする能力が伸びない。芸能人の二世があまり活躍しないのは親が金持ちであるがゆえに苦労していなくてハングリー精神もないからで、親に知識や技術を教えてもらってある程度の水準までは効率よく成長して親のコネで早くデビューできてもそのぶん自分で創意工夫しなくて自分に足りないものを見つめる時間がないので、親を超えられない劣化コピー止まりで大成せずに終わる。職歴に空白期間があったり転職が多いと評価が下がるというのも日本的な不合理でばかばかしい考え方である。工場の規格品じゃないのだからそれぞれの人間が体格も性格も思想も生い立ちも違う人生を生きているし、誰でも何かしら問題を持っている。病気で休養する人もいるし、大学が合わなくて中退する人もいるし、不景気で希望の仕事につけない人もいるし、育児や介護で退職する人もいるし、起業に挑戦して失敗する人もいる。前例がないユニークな人生には効率の良いマニュアルなんかないので、無駄な遠回りも失敗もあるし手探りで試行錯誤して生きるのに時間がかかる。iPS細胞の山中教授も整形外科医の頃は不器用でジャマナカと呼ばれる落ちこぼれだったけれど研究者に転身してから成果がでたし、J・K・ローリングはシングルマザーで生活保護を受けながら創作した『ハリー・ポッター』シリーズがヒットして人気作家になったように、何がうまく行くのかはやってみないとわからないものである。サイボウズが『カンブリア宮殿』で特集されていて、ITベンチャー特有の長時間労働のブラック企業で離職者が多かったのが見直されてブランクがある人が働けて副業も歓迎する柔軟な雇用形態になっていたけれど、これからの時代に残るのはこういう変化に対応できて多様な経験や才能を持った人を集められる合理的な会社だろう。派遣でもアドホックに才能を集められるけれど、契約が終わったらノウハウが外部に流出して社内に蓄積されないので長期的な競争の優位性を保てなくなる。●長期的視野をなくすと駄目になる人間は認知バイアスで未来の事よりも現在の出来事を重要視するけれど、この無意識のバイアスを自覚していないと人生を左右する選択に迫られたときに悪影響がある。最近はコロナ過で自殺が増えているようだけれど、若いのに仕事がなくてキャリアを積み損ねたから歳をとったらもうどうしようもない、というように現在の状態を過大に不安視すると未来が見えなくなって自殺につながる。中学生や高校生のいじめ自殺とかは3年待って進学すればクラスメートが入れ替わって人間関係がリセットできるので死ぬほどのことではないのに、子供は現在の心配事で手いっぱいになって未来の事を考えられなくなって自殺してしまう。新卒での就職活動に失敗して「僕は就職無理なんや!」と暴れる引きこもりが若者教育支援センターに引き取られた話が最近話題になったけれど、現在無理だからといって未来まで諦めると何もできなくなる。「朽木は雕るべからず、糞土の牆はぬるべからず」という論語のことわざがあるように、やる気がなくて腐っている人には教育しようがない。どういう人生を生きたいのかという長期的な目標がないまま行動すると、一時的な失敗で挫折してしまいかねない。企業でも四半期決算のせいで短期の利益を追及して駄目になった話はよく目にする。研究開発して成果を出すよりもリストラのほうが手っ取り早く帳簿上での業績はよくなるので、ゲマインシャフトの悪習を壊してリストラを敢行して赤字を減らすカルロス・ゴーンのような外国人経営者や原田泳幸のような渡りのプロ経営者が株主にもてはやされてきたけれど、リストラが一時的な延命にはなっても長期的な競争力がなくなっている。集中と選択として技術や工場を外国の企業に売って、冷遇してきた技術者や研究者はアメリカや中国に好待遇で引き抜かれて、設計や施工を下請けに丸投げして自社開発のノウハウがなくなって、ベテランの日本人作業員が賃金が安い外国人に置き換わって現場の技術継承がされなくなって、先が見えず昇給もない派遣の従業員のモチベーションもなくて、もはや日本製だからといって高品質とも言えなくなって強みがなくなってしまう。シャープはホンハイの子会社になって、三洋電機はハイアールに白物家電事業の子会社を売却して、東芝は不正会計にチャレンジして、1兆円かけた三菱スペースジェットは型式証明がとれないうちに三菱重工の本業が儲からなくなって事業が凍結されて、日本のものづくりはあまり展望がないし、大学の理系は就職に強いにもかかわらず人気がなくなっている。製造業の中でも任天堂は最近Nintendo Switchが好評だけれど、これはWii Uや3DSが不振で業績が悪いときも研究開発費を減らさず、ガチャのような安易に儲かる方法に頼らず、長期的な経営計画がぶれていないがゆえの成功といえる。国家も長期的な視野をなくすと国が傾く。一時的な安い労働力を求めて移民を受け入れてきた欧米諸国は短期的には金儲けできたけれど、アルジェリアから移民を受け入れたフランスやトルコから移民を受け入れたドイツではイスラム系移民が2世になってもなじまなくて多文化共生に失敗したし、アメリカはBLM運動のような分断が始まっている。日本は不況をしのぐために新卒採用を絞って非正規雇用を増やしたせいで結婚できない人が増えて少子化対策に失敗して、あらゆる分野で専門的な人材が不足して最先端の研究にもついていけなくなって長期的な衰退が決定的になった。国は企業よりも長期的に物事を考えないといけないけれど、首相や議員の任期が限られているので権力を持っている間に自分の利益を最大化しようとするし、辞めた後に失敗のしりぬぐいをするわけでもないので、失敗が積み重なっていっていずれデフォルトや内戦やクーデターという形で破綻する時が来る。権力者が腐敗して内戦が頻発して武装勢力が跋扈しているアフリカ諸国はもう破綻しているといえる。地球環境も長期的視野で考えないと公害や食糧難で人間が住めない環境になるので、世界各国がSDGsに取り組む必要がある。オゾンホールは1980年代に問題視されてモントリオール議定書でフロンガスを輩出しないようにしたけれど、1980年レベルの大きさに戻るのは2070年になるようで、回復にかなり時間がかかるので数十年の単位で長期間取り組まないといけない。ゴミの問題は目に見えてわかりやすいけれど、二酸化炭素などの目に見えなくてすぐに影響があるわけでもないものはないがしろにされやすい。環境が悪化した部分のツケは子孫が払うことになる。●人類が労働から解放されたら時間が余る竹中平蔵が年金と生活保護をなくす代わりに月7万円のベーシックインカムを支給する政策を提案して巷で是非が議論されているけれど、私は今すぐは無理でもいずれ仕事がなくなってベーシックインカムを採用せざるを得なくなると思う。少子化が進んで日本の人口が減れば市町村合併が進んで過疎地が消滅してインフラ維持のための労働も少なくなるし、AIが窓口業務や事務処理を自動化すればクリエイティブでない雑用をする必要がなくなるし、雇用を維持するために分業を進めれば一人当たりの労働時間は少なくなる。Amazonの倉庫が無人化して自動運転車やドローンでの配達が研究されているように、いずれクリエイティブでない作業は機械に置き換えられることになって、安定した雇用がなくなって職にあぶれたり短期の仕事を転々とする人が大勢出て、その時には生活保護では対応しきれなくなってベーシックインカムが採用されるかもしれない。最近はコロナ過で仕事が少なくなったり、会社が倒産したりして暇ができた人が多いと思うけれど、研究や創作のための時間がとれると考えれば必ずしも悪いことばかりではない。社会が成熟すると新しい発明や創作はなかなかできなくなるけれど、労働時間が短くなった分の空いた時間を研究や創作に費やすようになれば生産性が上がるかもしれないし、長時間労働や過労死の解消にもなる。天変地異が起きるのはしょうがないし、休むことが次の成長につながるし、ピンチの時にこそチャンスがあるものである。●芸術は時間を相対化する数十億年の宇宙の歴史の中では100年に満たない個人の人生なんて塵のようなものだし、好きな人と結婚して子供を作ったところでいずれ子孫は途絶えるし、数万年後には人類の文明も滅びるし、数億年後には太陽が爆発して地球も滅亡する。あまりに長期的に物事をとらえると何をやっても無駄だという虚無主義になってしまう危険があるけれど、かといって長期的に物事を見る視点をなくすと今さえよければ後がどうなってもいいと刹那的になって後先考えずに衝動的に快楽に溺れて犯罪をしたり、今が不幸だからといって未来の事を考えずに短絡的に自殺したりする危険がある。働いて金を稼ぐだけではどうせ死ぬのだということに気づいてしまって虚無主義へは対抗できないけれど、芸術は虚無主義への対抗策となる。昔の神社や城が修繕されて現代まで残っていたり、名作が美術館に保管されたりするように、芸術にはその時代ごとの人間の生き方や考え方が残っていて後世にまで伝えられる。芸術作品を通じて過去と比べることで現代のあり方や人間の生き方をとらえなおすことができて、少し先の未来へ希望をつなげることができるようになる。というわけで私は芸術こそが人間に必要なものだと確信している。小説は時間を相対化するのにちょうどよい芸術で、過去から現在に至るまでの人間の愚かさや失敗がたくさん詰まっているので、暇な人は小説を読んだり創作したりしてみるとよいよ。
2020.12.09
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最近はNIKEのCMが炎上しているようで、これとSDGsが関係しているようなのでこれについて考えることにした。・SDGsとは何かSDGsとはSustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略称で、国連加盟の193か国が2016-2030年に達成するために掲げた17個の目標である。この目標を達成するために各自治体や企業が取り組んでいる。1.貧困をなくそう2.飢餓をゼロに3.すべての人に健康と福祉を4.質の高い教育をみんなに5.ジェンダー平等を実現しよう6.安全な水とトイレを世界中に7.エネルギーをみんなに そしてクリーンに8.働きがいも経済成長も9.産業と技術革新の基盤をつくろう10.人や国の不平等をなくそう11.住み続けられるまちづくりを12.つくる責任 つかう責任13.気候変動に具体的な対策を14.海の豊かさを守ろう15.陸の豊かさも守ろう16.平和と公正をすべての人に17.パートナーシップで目標を達成しよう・NIKEのCM炎上事件と中国の問題NIKEの「動かしつづける。自分を。未来を。 The Future Isn’t Waiting.」というCMはいじめやら疎外感やらで悩んでいる3人のサッカー少女たちが社会が変わるのを待っていられないからサッカーをやるという商品の宣伝というより思想が強い内容で、コメント欄が炎上している。可哀そうな女性、子供、動物を出して感情に訴えて特定の思想を肯定させようとするのはプロパガンダによくある手口で、これに疑問を持ったり反論したりする人は人でなしのレッテルを貼られて建設的な議論にならずに罵り合いになって炎上しやすい。NIKEはSDGsに取り組んでいて、目標10「人や国の不平等をなくそう」でイメージアップをしようとしてCMを作ったようで、NIKEは人種差別への抗議のために国歌斉唱時の起立を拒否してNFLを追放されたコリン・キャパニックをCMに起用して保守層に批判されても他の人に支持されて売上が増えて成功したので、炎上マーケティングに味をしめて日本でも同じことをやろうとしたのだろう。私が気になったのは動画の内容よりも、これをSDGsへの取り組みと言えるのかという点である。差別に反対してアスリートを応援するCMを作るNIKEはよい企業なのかというとそうでもない。1997年には東南アジアの委託工場の児童労働が批判されたし、2011年には渋谷の宮下公園の命名権を取得してホームレスを強制排除したとしてホームレス支援団体から批判された。最近はNIKEの従業員が社内の黒人差別をBlack at NikeというInstagramアカウントで告発した。欧州議会議員のラファエル・グリュックスマン氏が強制労働に関連づけられた工場との関係を断つようブランドに求めるキャンペーンを立ち上げて、NIKEなどの世界的ファッション大手のサプライチェーンが強制労働から直接的・間接的に利益を得ているとして批判されている。中国政府のスタンスを支持しない海外ブランドは中国国内でのビジネス展開でペナルティをうけるので、企業は中国でウイグル人が弾圧されている問題を知りつつ利益を出すために黙認しているわけである。そのNIKEが自身は人や国の不平等に加担していることは黙認しておいて日本の差別をCMにするのは何がやりたいのかよくわからない。日本の個人間のいじめも問題には違いないけれど、SDGsの目標達成という観点で見るなら中国の国家主導の少数民族の弾圧を黙認してSDGsをやってるふりをしても意味ないだろう。中国を黙認しつつ差別を批判すると言うのは日本人から見れば矛盾しているように見えるけれど、共産主義者にとっては矛盾していない。ANTIFA(反ファシズム、反資本主義の団体)は共産主義以外はファシズムとみなして中国共産党を支持していて、中国共産党の少数民族弾圧は良い差別として肯定して、資本主義の人種差別や性差別は悪い差別として否定するわけで、リベラルと中国が結びついている。アメリカのBLM運動で暴動が起きた時に中国がBLM側に武器を密輸しようとしたように中国の資本主義国家への工作活動が行われていて、中国国内でビジネスをしようとする外資系企業にもハニートラップや産業スパイとかの工作活動が行われて親中派として取り込もうとしている。グローバル企業がSDGsに取り組むなら製造拠点かつ巨大市場である中国への対処は避けて通れないので、中国を批判できるか否かがSDGsをやるつもりがあるか、やったふりをしているだけなのかの分かれ目になる。ディズニーの実写版『ムーラン』は中国市場にすり寄ったものの、ロケ地に新疆ウイグル自治区が含まれていたり、主役の女優が香港の反政府デモで香港警察を支持したりしたことでボイコット運動に発展して失敗した。企業がいくらうわっつらのメッセージを発信しても、信念がなくて利益を優先するので結局は消費者に反発される。先進国では生活必需品はすでに溢れているので、もはや単にデザインや機能性で物を売る時代ではなく思想がついた物を売る時代になった。アバクロンビー&フィッチが店員に白人男性を優遇して人種差別ブランドとしてみなされたり、ドルチェ&ガッバーナがアジア人蔑視で中国で炎上したりしたように、ブランドを着ることがその企業の思想を支持していると見なされるので、製品自体には問題がなくても経営者の思想に問題があると消費者の不買運動につながる。・企業は消費と売上を減らす覚悟はあるのかSDGsの目標を達成するには消費を減らすのが手っ取り早い。消費を減らせば使われる資源が減って海や陸の豊かさを守ることになる。例えばコロナ過で服が売れなくなったように、テレワークで自宅中心に生活をするだけならたいして物は必要ない。他人にどう見えるのかを気にして服を何着も買っていた分は本来は必要なかった無駄な消費と言えるし、毎年流行に合わせて服を買い替えてまだ着れる服を捨てるのは資源の無駄である。日本は歴史的に何度か飢饉があったし戦争での物不足も経験したので物を大事にする文化がある。フォーエバー21やザラなどの外国発のファストファッションも安さと珍しさで一度は流行したものの、デザインがよくても縫製が悪い服を使い捨てにするやり方が日本人の気質には合わなくてフォーエバー21は日本から撤退している。百貨店とかにあるアパレルはブランドの価値を維持するために売れ残りを値下げせずに裁断処分しているけれど、それも資源と労力の無駄である。仕事用の作業着と違っておしゃれ用の服なんて店頭で見かけてすぐ着る必要があるわけでもないし、見込み生産で大量に在庫を抱えずにセミオーダーの受注生産でほしい人だけが買えるようにすれば無駄が出ない。スニーカーは限定モデルの少量生産のものがコレクターの投機対象になって転売ヤーが発売日に買い占めて高値をつけているけれど、受注生産なら欲しい人が定価で買えるようになる。消費者が衝動買いをしなくなって消費を減らした分は価格を増せば利益を出せるけれど、付加価値がないまま高くしても消費者は買わないので、素材や縫製がよくて長く着れるとかリサイクルできるとかの品質の価値が問われることになる。ユニクロがダウンジャケットのリサイクルをはじめたように古着を資源として再利用するのが作る側の責任で、服を作りっぱなしで余った在庫は処分して後は知らないという従来のアパレルのやり方は見直すほうがよい。・SDGsをやったふりで満足して終わってはいけないSDGsの問題点は意識高い系のパフォーマンスとして問題解決に取り組んでいる姿勢を見せるだけで満足してしまって、実際に問題が解決しないまま放置されることである。NIKEのCMの問題点もそこで、いじめや差別を乗り越えたアスリートがいるならそのアスリートが頑張ったのであってNIKEが頑張ったわけではないし、NIKEが差別やいじめなどの問題解決のために具体的に支援をするわけでもないのに、NIKEを支持している人はSNSでイイネして満足してそれで終わっている。NIKEを支持している人たちが製品を買って売り上げに貢献したところで世界の人種差別が解消されるわけでもないし、NIKEの売上が増えるほど中国で強制労働させられているかわいそうなウイグル人少女の労働時間が増えるかもしれない。アパレルがSDGsに取り組むなら差別よりも企業が直接関与している下請けの労働者の待遇改善を優先して取り組むべきだろう。外国人技能実習生が縫製工場で薄給の長時間労働させられていることが『ガイアの夜明け』で報道されてセシルマクビーが批判されたし、NIKEのような自社工場をもたないファブレス企業は高収益なのに下請けに還元しなくて労働者の待遇改善をやらないのが問題である。11月5日の『カンブリア宮殿』でマザーハウスを特集していて、発展途上国の自社工場の従業員の待遇をよくしたり、古いバッグのリサイクルをしたりしていて、これは良い企業だと私は思った。NIKEも見習って、下請けの中国の工場で強制労働させられているウイグル人の待遇改善に取り組むべきである。・ついでに文学のSDGsも考えるこのブログは主に文学について考えているので、ついでに文学のSDGsも考えてみる。出版社は情報や思想を広める役割を持っているので、目標4「質の高い教育をみんなに」や目標5「ジェンダー平等を実現しよう」や目標10「人や国の不平等をなくそう」に関連していて社会的責任が大きい。しかし出版社がなんかイニシアチブをとっているわけでもなくてあまり存在感がないのでもっと頑張ってほしい。本を大量に印刷して店頭に短期間だけ置いて売れなかったからといって返品して処分するやり方は非効率で資源と輸送費の無駄である。そのうえ再販がないようなマイナーな本は絶版になって買えなくなったりする。一方で電子書籍は売り切れがないのがよい。印刷と電子書籍のどっちが環境に良いのかはわからないけれど、たぶん電子書籍のほうが輸送費がかからないので環境によいと思うし、クリーンエネルギーの技術が進歩したら電子書籍が主流になって本屋の役割は終わるかもしれない。出版社は本を出版しないと売り上げが増えないので粗製乱造するけれど、それも資源の無駄である。総務省の統計によると1年間の総出版数は70000冊くらいでそのうち文学は13000冊くらいだけれど、こんなに多いのでは編集者でも読み切れないだろう。読者の時間も小遣いも限られているので、コンテンツビジネスは量より質で勝負してほしいものである。
2020.12.03
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