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「先輩、何してるんですか?」新人が後ろを振り返った。秋雄は後席の足元を見ながら、何かを転がしている。「掃除」「今ですか?」「今」「でも、さっき洗車したばっかりじゃないですか」「洗車したから汚れない、ってわけじゃないだろ」新人が覗き込んだ。「髪の毛?」「それと、細かいゴミ」「気になります?」「気づいたらな」秋雄はコロコロを何往復かさせた。「でも、これくらいなら掃除機出すほどでもないですよね」「だからこれなんだよ」「コロコロ?」「そう」「車用の特別なやつですか?」「いや、普通のやつ」新人が少し笑った。「普通のでいいんですね」「十分だよ」秋雄はカーペットの端をもう一度転がした。「営業中って、わざわざ洗車場に戻るほどじゃないけど、ちょっと気になる時あるだろ」「ありますね」「お客さんを降ろしたあととか」「はい」「次の仕事まで少し時間がある時とか」「はい」「そういう時に、サッとやる」新人は頷いた。「大掃除するんじゃなくて、気づいたところだけ?」「そういうこと」「それなら時間もかからないですね」「掃除って、溜めると面倒なんだよ」秋雄はコロコロを元に戻した。「気づいた時に少しやっておけば、それで済むことも多い」新人は後席を見た。「確かに、さっきよりきれいですね」「だろ」「先輩、そのコロコロどこで買ったんです?」「どこでも売ってるよ」「それじゃ記事にならないじゃないですか」秋雄が新人を見た。「お前、いつから編集者になったんだよ」新人はスマホを取り出した。「あ、ニトムズの公式楽天市場ありますよ」「あるんだ」「コロコロ、本家じゃないですか」「じゃあ、それでいいんじゃない?」新人が画面を見ながら笑った。「今回は迷わず楽天ですね」「別に俺が売ってるわけじゃないぞ」「分かってますって」今回、先輩の道具箱から出てきたのはこちら。ニトムズ公式楽天市場のコロコロ。【MAX20%OFFクーポン&全品PT2倍】★10%OFF★【公式】 ニトムズ コロコロ フロアクリン 本体 S | コロコロクリーナー カーペット フローリング ベッド ソファ 掃除 掃除グッズ ペット用品 インテリア 可愛い シンプル 髪の毛 ほこり 猫 犬 ねこ ペット 猫の毛取り価格:1,198円(税込、送料別) (2026/9/6時点)楽天で購入毎週土曜日はしばらくの間、先輩の仕事道具を紹介します。
2026年09月26日
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第5話 一度訊いた道は、次に残す「先輩、じゃあ最後です」新人が言った。「何が?」「最初の質問ですよ」「お客様に道を聞くのは、プロ失格ですか、ってやつ?」「そうです」秋雄は少し考えた。「訊くこと自体は、別に悪くないよ」「ですよね」「でもな」「はい」「“分からなければ訊けばいい”って、それだけで終わるのは違う」新人が秋雄を見た。「どういうことです?」「一度教えてもらった道なら、次は少しでも覚えておく」「全部?」「全部じゃなくていい」秋雄は言った。「大きい通りはどこだったか」「はい」「どこで曲がったか」「はい」「狭い道だったか」「はい」「一方通行があったか」新人が頷いた。「そういうのを少しずつ残していく」「なるほど」「前に教えてもらったお客さんを、また乗せることもあるだろ」「ありますね」「その時に、前と同じことを最初から訊いたらどう思う?」新人は少し考えた。「覚えてないんだな、って思われますね」「そう」「じゃあ、訊いちゃダメ?」「分からないなら訊くよ」「でも?」「一言くらいは必要だろ」「どんな?」秋雄は言った。「“前回教えていただいたのに、また訊いてしまって申し訳ございません”」新人が少し黙った。「そこまで言うんですね」「だって、前に教えてもらってるんだから」「なるほど」「訊くのが悪いんじゃない」「覚えてないこと?」「それもあるけど」秋雄は前を見た。「同じことを何度も訊いて、それでいいと思い始めるのが一番よくない」新人は頷いた。「“分からなければ訊けばいい”が」「成長しなくていい理由になったら終わりだよ」少し間があった。「じゃあ、プロって」新人が言った。「全部知ってる人じゃない」「そう」「でも、教えてもらったことは少しずつ自分の中に残していく」「そういうこと」新人はスマホを見た。「最初の質問の人にも、それを伝えたいですね」秋雄は笑った。「五話目だけ読んだ人には、たぶん半分しか伝わらないけどな」「じゃあ、どうします?」「一話目から読めばいいだろ」新人が笑った。「またそれですか」「だって、ここだけ読んで“訊けばいいけど覚えろ”で終わったら、途中の話が全部抜けるだろ」「確かに」秋雄は言った。「道を訊くことは、逃げじゃない」「はい」「でも、訊いたことを次に残さないのは、逃げになる」新人は頷いた。「それなら、プロ失格かどうかって話じゃなくなりますね」「そうだな」「成長する気があるかどうか」「そっちの方が大事だよ」第16章終わり次回は来週月曜日10:00に更新明日も『先輩の道具箱』やります
2026年09月25日
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第4話 入口まで確認して、しれっと走り出す「先輩、昨日の続きですけど」新人が言った。「入口の話?」「そうです」「Googleマップで店を見つけても、入口まで分かったことにはならないって」「ああ」新人はスマホを出した。「じゃあ、どうするんです?」「ストリートビューを見る」「ストリートビュー?」「施設名のところに画像が出るだろ」「これですか?」「そう。それを開く」新人が画面を触った。「道路の写真が出ました」「そこで入口を見る」「建物じゃなくて?」「建物の場所はもう分かってるだろ」「まあ、そうですね」「知りたいのは、車がどこから入れるか」新人は画面を動かした。「あ、正面玄関こっちですね」「そう」「こっちは裏口っぽい」「そういうのを先に見る」「病院とかホテルなら、車寄せも確認する?」「できればな」新人は少し考えた。「じゃあ、入口が分かったら?」「そこを見て、目的地のピンを設定する」「最初に出たピン、そのままじゃないんですか?」「そのまま使うこともあるよ」「でも?」「入口が違うなら、降ろしやすい位置に合わせる」新人が頷いた。「なるほど」秋雄は続けた。「建物の裏側に着いてから、“入口どこですかね”ってやるより」「先に確認しておく」「そう」「でも先輩、そこまでやってたら時間かかりません?」秋雄は笑った。「最初はかかるよ」「やっぱり」「でも慣れる」「どれくらい?」「施設名を検索する」秋雄は指を折った。「ストリートビューを開く」もう一本。「入口を見る」もう一本。「そこにピンを置く」新人が秋雄を見た。「それを全部?」「しれっと」「しれっと?」「お客さんから見たら、ちょっと確認してるくらいに見えるように」新人が笑った。「それ、結構難しくないですか?」「だから慣れるんだよ」「プロっぽいですね」秋雄は少し笑った。「全部の道を知ってることだけがプロじゃないよ」「じゃあ?」「知らない場所でも、必要なことを確認して、何事もなかったように走り出す」新人は頷いた。「それを一瞬で?」「できるだけな」「しれっと」「そう。しれっと」新人はスマホを見た。「なんか、最初の質問とだいぶ印象変わってきました」「何が?」「道を聞くのって、知らないから仕方なくやることだと思ってました」「うん」「でも、聞いたり、ナビ見たり、ストリートビュー見たり」「うん」「全部、ちゃんと目的地まで連れていくためにやってるんですね」秋雄は頷いた。「そこまで分かれば、最後の話だな」「まだ何かあるんですか?」「最初の質問に、ちゃんと答えないとな」つづく明日10:00に更新
2026年09月24日
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第3話 住所なら車載ナビ、店名ならGoogleマップ「先輩、昨日の最後の話ですけど」新人が言った。「目的地の入れ方?」「そうです」「住所が分からない時もありますよね」「あるな」「お客さんが店の名前しか知らないとか」「よくある」新人は少し考えた。「そういう時、どうしてます?」「住所を言ってくれたなら、車載ナビに入れる」「普通ですね」「普通でいいんだよ」秋雄は笑った。「車載ナビは、住所から目的地を探すなら使いやすい」「じゃあ、店の名前だけだったら?」「俺ならGoogleマップで探す」「スマホで?」「そう」「車載ナビじゃダメなんですか?」「ダメじゃないよ」秋雄は言った。「でも、施設名とか店名だったら、Googleマップの方が見つけやすいことが多い」「なるほど」「店の名前が少し曖昧でも出てくることあるしな」「ありますね」「場所が出たら、そこを見ながら目的地の位置を確認する」新人が頷いた。「じゃあ、そのままGoogleマップのナビで走る?」「必ずしもそうじゃない」「また“参考にする”ですか」「そういうこと」秋雄は笑った。「目的地を探す道具と、実際にどの道を走るか決める道具は、同じじゃなくてもいい」「どういうことです?」「Googleマップで店を見つける」「はい」「場所が分かったら、車載ナビに入れ直してもいい」「はい」「そのままGoogleマップを参考にしてもいい」「はい」「知ってる地域なら、自分で道を組み立ててもいい」新人は少し笑った。「結局、ひとつに決めなくていいんですね」「そう」「住所なら車載ナビ」「うん」「店名や施設名ならGoogleマップ」「まず探すならな」「で、走る道はまた別に考える」「そういうこと」新人は少し考えた。「でも先輩」「ん?」「Googleマップで店は見つかったけど、入口が反対側とか、細い道の奥とかありますよね」秋雄が頷いた。「あるね」「そこまでナビに任せて大丈夫なんですか?」秋雄は少し笑った。「そこから先が、また面倒なんだよ」「やっぱり?」「目的地が分かったことと、入口まで分かったことは別だからな」つづく明日10:00に更新
2026年09月23日
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第2話 ナビは「使う」んじゃなくて、「参考にする」「先輩、昨日の続きですけど」新人が言った。「お客さんも道を知らない時?」「そうです」「その時はナビを見る」「やっぱりナビですよね」「うん。ただし」秋雄は少し間を置いた。「俺は、“ナビを使います”とは言わない」新人が首をかしげた。「じゃあ、何て言うんです?」「“初めて行く場所ですので、ナビを参考にさせてください”」「参考に?」「そう」「そこ、そんなに違います?」「違うよ」秋雄はナビの画面を指した。「ナビが出した道が、必ず最短とは限らない」「はい」「必ず最速とも限らない」「はい」「走りやすい道とも限らない」新人は少し考えた。「じゃあ、ナビ通りに行かないこともある?」「あるよ」「知ってる道なら?」「道路の特徴が分かってるなら、こっちの方が早いなって思う道に変えることもある」「ショートカットしたり?」「そう」「じゃあ、ナビは信用しなくていい?」秋雄は首を振った。「それも違う」「また違うんですか」「ナビが遠回りに見える時でも、理由があることがある」「理由?」「一方通行」「ああ」「右左折できない道」「はい」「中央分離帯があって入れないとか」新人が頷いた。「見た目だけじゃ分からない道路条件もある」「そういうこと」秋雄は言った。「だから、自分が知ってる道は自分で判断する」「はい」「知らない細い道で、お客さんが分かるなら指示してもらう」「はい」「お客さんも分からないなら?」新人がナビを見た。「ナビを参考にする」「そう」新人は少し笑った。「なんか、ナビに任せるんじゃないんですね」「任せないよ」「でも、無視もしない」「そういうこと」秋雄は前を見た。「プロだから全部知ってる、じゃない」「じゃあ?」「分かるところは自分で判断して、分からないところは使える材料を使う」新人が頷いた。「それが“参考にする”ってことか」「そう」少しして、新人が言った。「でも先輩」「ん?」「目的地をナビに入れる時って、住所が分からないこともありますよね」秋雄は笑った。「そこも使い分けるんだよ」「まだあるんですか?」「あるよ」つづく明日10:00に更新
2026年09月22日
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第1話 初対面なんだから、分からなくて当たり前「先輩、僕らのやり取りを見た人から、また質問が来ましたよ」新人がスマホを見ながら言った。「今度は何だ?」「読みますね」新人は画面を見た。『タクシーを始めたばかりです。目的地は分かっていても、お客様から“その道じゃない”“いつもの道で行って”と言われることがあります。初めて乗せるお客様の、いつもの道なんて分かりません。お客様に道を聞くのは、プロ失格なんでしょうか?』読み終えると、新人が顔を上げた。「だそうです」秋雄は少し考えた。「プロ失格ねえ」「先輩も言われたことあります?」「あるよ」「やっぱり?」「“プロなのに道知らないの?”って」新人が苦笑した。「言われると結構へこみそうですね」「まあ、気分のいい言葉ではないな」「じゃあ、やっぱり聞かない方がいい?」「なんで?」新人が秋雄を見た。「だって、プロなんだから」「お前、そのお客さんと初対面だろ?」「はい」「向こうだって、お前とは初対面だろ?」「そうですね」「じゃあ、その人がいつもどの道を使ってるか、どうやって知るんだよ」新人が黙った。秋雄は続けた。「同じ目的地でも、人によって使いたい道は違う」「広い道がいい人もいれば」「裏道が好きな人もいる」「混む道を嫌う人もいますね」「そういうこと」新人は少し考えた。「じゃあ、どう聞くんです?」「俺なら、“いつも使っている道はありますか?”って聞くかな」「なるほど」「使い慣れてそうなお客さんなら、“ご希望のルートはありますか?”でもいい」「それで、“プロなのに知らないの?”って言われたら?」秋雄は笑った。「じゃあ、こっちから提案すればいい」「提案?」「“では、○○通りから△△方面へ向かうルートでよろしいですか?”って」新人が頷いた。「確認を取るんですね」「そう」「知らないから丸投げするんじゃなくて」「そういうこと」秋雄は前を見た。「そもそもタクシー運転手って、お客さんの代わりに運転する仕事だろ」「はい」「だったら、お客さんがどう行きたいか確認するのは、別におかしくない」新人は少し笑った。「聞くこと自体がプロ失格じゃない?」「聞き方の問題だよ」「じゃあ、道を知らない時は全部お客さんに聞けばいい?」秋雄は首を振った。「それも違う」「違うんですか?」「お客さんも道を知らない時があるからな」新人が首をかしげた。「じゃあ、その時は?」秋雄はナビを指した。「今度は、こいつの出番だよ」つづく明日10:00に更新
2026年09月21日
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「先輩、その手袋って何でしてるんですか?」新人が秋雄の手元を見ながら言った。「何でって?」「白い手袋。いつもしてるじゃないですか」「理由は三つあるかな」「三つも?」秋雄はハンドルを握ったまま言った。「まず、見た目」「見た目?」「接客の時、手元が整って見えるだろ」「まあ、確かに」「制服着てても、手元が雑だと締まらないんだよ」新人は自分の手を見た。「所作まで含めて接客ってことですか?」「そういうこと」「二つ目は?」「ハンドルを汚さない」「え?」「手油」新人が少し笑った。「そこですか」「乗り回しの車だと分かるぞ。前に乗った人の手油がハンドルに残ってると、結構イヤだろ」「ああ……それは分かります」「自分も次の人に残したくないしな」「なるほど」「で、三つ目」秋雄は前を見たまま、右手を少し上げた。「サインが見やすい」「サイン?」「対向車に右折を譲る時とか」「ああ、どうぞってやつ」「そう。白い手袋だと見えやすい」「確かに」「車線変更で入れてもらった時も、窓を開けて手を出してありがとうってやりやすい」新人が笑った。「そこまで考えて手袋してるんですね」「まあな」少し間があった。「あと」「まだあるんですか?」秋雄が笑った。「なんかハイヤーの運転手っぽくて、カッコいいだろ」新人が吹き出した。「最後それですか」「大事だぞ」「三つじゃなくて四つじゃないですか」「最後のは気分の問題だ」新人はスマホを取り出した。「先輩、こんな感じの物ですか?」「どれ?」新人が画面を見せる。「白手袋で、運転用。これカッコいいっすね!」秋雄が覗き込んだ。「そうそう。そんな感じ」新人が値段を見た。「……先輩、これ結構お高いっすね!」「そう?」「一双にすると、四百円ちょっとしますよ」「ああ、それなら俺が使ってるのとは違うな」「違うんですか?」「俺はカインズで買ってるよ」「カインズ?」「薄手の白手袋が何双かまとまって入ってるやつ」「じゃあ、それで十分?」「俺はそれで十分」新人はもう一度スマホを見た。「楽天にも似たのはあるけど、先輩が使ってるのはカインズなんですね」「そういうこと」「じゃあ、今日はポチらない?」「好きにしろよ」新人は少し考えた。「……とりあえずカインズ見てきます」秋雄が笑った。「その方がいいんじゃない?」「でも、先輩」「ん?」「ハイヤーの運転手っぽく見えるのは、どっちも同じですよね?」「そこ気に入ったのかよ」今回、先輩の道具箱から出てきたのは白手袋。楽天で見つけたカッコいいタイプはこちら。【楽天ランキング1位入賞】白手袋 ドライバー 運転 警備用 綿 無地 薄手 汗吸収 運転士 選挙 式典 作業 ホテルマン 滑り止め (ホワイト(5組10枚セット))価格:2,280円(税込、送料無料) (2026/9/6時点)楽天で購入先輩が実際に使っているのはこちら。カインズ マチなし薄手 スムス手袋 12双組 L | 作業着・作業服・安全靴 通販 | ホームセンターのカインズ
2026年09月19日
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第5話 覚えるのは、場所だけじゃない「先輩、昨日の最後の話ですけど」新人が言った。「どうやって覚えていくか?」「そうです」「待機場所の覚え方」「場所だけじゃないって言っただろ」「はい」新人は少し考えた。「時間も?」「時間も」「人の動きも?」「それも」「会社配車とかアプリとか?」「それもある」新人は笑った。「増えましたね」「だから、場所だけ覚えようとすると苦しくなるんだよ」「どういうことです?」秋雄は少し考えてから言った。「たとえば、ここで乗った」「はい」「じゃあ、その場所だけ覚える」「普通そうじゃないですか?」「でも本当は、その時何時だった?」新人が黙った。「曜日は?」「……」「雨だった?」「……」「近くに空車は何台いた?」「……」「電車は着いた直後だった?」「……」「病院なら診察が終わる頃だった?」新人が苦笑した。「そこまで覚えるんですか?」「全部を暗記しろって話じゃないよ」秋雄は言った。「でも、“ここで乗った”だけじゃ情報が足りない」新人は頷いた。「条件ごと覚える?」「そう」「場所と時間と、その日の動き」「うん」「それを何回も積んでいく」「そういうこと」新人は少し考えた。「じゃあ、自分の中に待機場所の地図を作る感じですか?」秋雄は笑った。「地図っていうより、記録だな」「記録?」「この時間帯は動きやすい」「はい」「雨の日は鳴りやすい」「はい」「この曜日は弱い」「はい」「この場所は乗り込みよりアプリが多い」新人は頷いた。「そういうのを少しずつ増やす?」「そう」「正解の場所を一個見つけるんじゃなくて」「うん」「自分なりの傾向を増やしていく」「それなら使える」新人は少し笑った。「最初のメールの人、正解の待機場所を知りたがってましたよね」「そうだったな」「結局、答えは?」秋雄は少し間を置いた。「一個だけの正解なんて、たぶんないよ」「やっぱり」「でも、自分の中で“ここならこういう時に仕事になることがある”って場所は増やせる」新人は頷いた。「それを増やしていけばいい」「そう」新人は少し考えてから言った。「じゃあ、五話目だけ読んだ人は」秋雄が笑った。「ここだけ持って帰っても、たぶん使いにくいだろうな」「ですよね」「場所だけじゃないって話をする前に、何を見て、いつ見切って、どこへ動くかって話をしてきたんだから」新人はスマホを見た。「じゃあ、ここから読んだ人には?」秋雄は笑った。「一話目からどうぞ、でいいだろ」「冷たいですね」「五話目だけで全部分かるようにしたら、最初の四話いらないだろ」新人は吹き出した。「それはそうですね」秋雄は窓の外を見た。「待機場所って、教えてもらうだけじゃ身につかないんだよ」「自分で試す」「外れる」「動く」「また試す」新人は頷いた。「それを繰り返して、自分の中に残していく」「そう」秋雄は言った。「待つ場所は、自分で決めるって、そういうことだよ」第15章終わり来週月曜日10:00の更新をお楽しみに明日も『先輩の道具箱』やります
2026年09月18日
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第4話 見切ったあと、どこへ行く? 「先輩、昨日の続きですけど」 新人が言った。 「外れた時の話?」 「そうです」 「待つ理由がなくなったら動く」 「そこまでは分かりました」 新人は少し間を置いた。 「で、どこへ行くんです?」 秋雄は笑った。 「そこだよな」 「駅?」 「行くこともある」 「病院?」 「時間が合えば」 「繁華街?」 「それもある」 新人が眉をひそめた。 「結局どこなんです?」 「次に人が動きそうなところ」 秋雄は言った。 「人がいるところじゃなくて?」 「そこ、大事」 「違うんですか?」 「人がいるだけじゃ、タクシーには乗らないだろ」 新人が黙った。 「駅前に人がたくさんいても、みんな電車待ちかもしれない」 「はい」 「病院に人がいても、まだ診察が終わらないかもしれない」 「はい」 「繁華街に人がいても、今から店に入る時間かもしれない」 新人は頷いた。 「人が出てくるところを見る?」 「そう」 「これから移動が始まりそうなところ」 「そういうこと」 新人は少し考えた。 「じゃあ、今いる場所を見切ったら」 「うん」 「次に人が動きそうな場所へ行く」 「まずはそれでいい」 「まずは?」 「だって、そこに行ったから乗れるとは限らないだろ」 「またですか」 「まただよ」 秋雄は笑った。 「営業なんだから」 新人も苦笑した。 「でも、今までよりは少し分かります」 「何が?」 「ただ空車で走り回るのとは違う」 「そうだな」 「人が動きそうな場所を考えて移動する」 「うん」 「それで外れたら?」 「また考える」 新人がため息をついた。 「ずっとそれですね」 「ずっとそれだよ」 秋雄は言った。 「待つのも営業」 「動くのも営業」 「そう」 「じゃあ結局、止まってても走ってても考える?」 「そこは変わらないな」 新人は少し笑った。 「なんか面倒な仕事ですね」 「今さら気づいたのか」 二人で笑った。 しばらくして、新人が言った。 「でも先輩」 「ん?」 「こういうのって、どうやって覚えていくんです?」 秋雄は少し考えた。 「そこが最後の話だな」 「待機場所の覚え方?」 「場所だけじゃない」 「また増えるんですか?」 秋雄は笑った。 「五話目だけ読みに来る奴には、少し面倒なくらいでちょうどいいだろ」 つづく 明日10:00に更新
2026年09月17日
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第3話 外れた時、いつまで待つ?「先輩、昨日の最後の話ですけど」新人が言った。「外れた時、いつまで待つか?」「そうです」「気になる?」「気になりますよ」新人は少し身を乗り出した。「だって、待ち始めたら迷うじゃないですか」「まあな」「もう少し待てば乗るかもしれない」「うん」「でも、このまま一時間何もないかもしれない」「うん」「どこで切ればいいんです?」秋雄は少し考えた。「時間で決めることもあるよ」「何分待ったら動く、みたいに?」「そういう決め方もある」「先輩は何分です?」秋雄は笑った。「また正解を一個欲しがるなあ」「だって新人ですから」「場所によるよ」「ですよね」「駅なら、次の電車まで待つこともある」「はい」「病院なら、診察が終わりそうな時間まで見ることもある」「はい」「店なら、客が出てくる時間を考える」新人は頷いた。「じゃあ、その場所で次に何が起きるかを見る?」「そういうこと」「乗り込みがなくても、アプリや会社配車が鳴ることもあるだろ」「あ、そっちも見るんですね」「待つ場所って、乗り込みだけを見る場所じゃないよ」「じゃあ、何も起きそうにないなら?」「そこに居続ける理由は薄くなる」新人は少し黙った。「でも、動いた直後に客が来たら悔しくないですか?」「悔しいよ」秋雄はあっさり答えた。「じゃあ、やっぱり待った方が」「それを言い出したら永遠に動けない」新人が笑った。「確かに」「タクシーってさ、待った結果が正解だったか、動いた結果が正解だったか、あとからしか分からないことが多いんだよ」「じゃあ、どうするんです?」「その時点で持ってる材料で決める」「材料?」秋雄は指を折った。「今の時間」一本。「その場所の動き」もう一本。「周りの空車」さらに一本。「次に人が動きそうな場所」新人が頷いた。「それを見て、まだ待つか決める?」「そう」「でも、昨日ここで乗ったから、今日ももう少し……」秋雄が笑った。「また昨日の話になってるぞ」「あ」「昨日の当たりは、今日の保証じゃない」新人は苦笑した。「分かってるんですけどね」「分かってても待ちたくなるんだよ」秋雄は言った。「一回当たった場所って、妙に信用したくなるから」「あります」「でも、待つ理由が『前に乗ったから』だけになってきたら、一回考え直した方がいい」新人は少し考えた。「今ここで待つ理由があるか」「そう」「なかったら動く」「それでいい」新人は窓の外を見た。「でも、動くって決めても、次どこへ行くか迷いますね」秋雄は頷いた。「そこが次の話だな」「今日はここじゃない、と思った時?」「そう」「その見切り方?」秋雄は笑った。「やっと話がつながってきたな」つづく明日10:00に更新
2026年09月16日
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第2話 同じ場所でも、時間が違えば別の場所「昨日のメールの話なんですけど」新人が言った。「待機場所?」「そうです」「まだ気になる?」「だって先輩、場所だけ見てたら半分しか見てないって言ったじゃないですか」「ああ」「じゃあ、残り半分は時間?」「まずはな」新人は首をかしげた。「同じ場所なのに、時間でそんなに違います?」「全然違うよ」秋雄は言った。「朝は動く場所でも、昼には静かになることがある」「はい」「昼に動く場所でも、夕方には客がいなくなることもある」「ありますね」「病院だって、ずっと同じように人が出てくるわけじゃないだろ」新人が頷いた。「診察が終わる時間がありますもんね」「駅だってそうだよ」「電車の時間?」「それもある」秋雄は続けた。「会社が終わる時間」「はい」「飲食店から人が出る時間」「はい」「ホテルならチェックアウトや宴会が終わる頃」新人が少し考えた。「人がいる場所じゃなくて、人が動く時間を見る?」「そういうこと」「でも、それを全部覚えるんですか?」「最初から全部なんて無理だよ」秋雄は笑った。「だから、自分で試す」「また試すんですね」「昨日、ここで待って仕事になった」「はい」「じゃあ次も同じ時間に行ってみる」「また乗れば当たり?」「一回じゃ分からない」「じゃあ何回?」「そんなの決まってないよ」新人が笑った。「また答えがない」「営業にそんなに都合のいい答えがあるかよ」秋雄も笑った。「何回かやってみて、この時間帯は動くことが多いな、って自分の中に残していく」「場所と時間をセットで覚える?」「そう」新人は少し考えた。「じゃあ、“あそこはいい待機場所だ”っていう言い方は雑なんですね」「かなり雑だと思う」「朝のあそこはいい」「そう」「夕方のあそこはいい」「そういう方がまだ使える」新人は頷いた。「でも、昨日その時間に乗ったなら、今日も同じところへ行きたくなりますよね」秋雄が笑った。「行きたくなるね」「行っちゃダメなんですか?」「ダメとは言ってない」「じゃあ?」秋雄は少し間を置いた。「昨日当たったから今日も当たる、と思い始めると危ない」「なんでです?」「昨日と今日は、同じ日じゃないからだよ」新人が黙った。「曜日も違う」「はい」「天気も違う」「はい」「街の動きも違う」秋雄は窓の外を見た。「待機場所って、覚えたら終わりじゃないんだよ」「じゃあ?」「今日もそこに構える理由があるか、毎回見る」新人は少し考えた。「場所と時間が合ってても?」「それでも外れる日はある」「難しいなあ」秋雄は笑った。「だから、次に覚えるのは外れた時だよ」「外れた時?」「いつまで待つか」つづく明日10:00に更新
2026年09月15日
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第1話 ここで待っていればいいんですか?「先輩、僕らのやり取りを見た人からメールが来ましたよ」新人がスマホを見ながら言った。「ん? お前、何を始めたんだよ」秋雄が顔を上げた。「僕じゃないですよ」「じゃあ誰だよ」「読んだ人です」「読んだ人?」「そうです。ちょっと相談みたいな感じで」秋雄は少し嫌そうな顔をした。「相談窓口になった覚えはないぞ」新人が笑った。「まあまあ。とりあえず聞いてくださいよ」「で、何て?」新人はスマホの画面を見ながら読み始めた。『タクシーを始めたばかりです。駅や病院の近くで待っていますが、全然仕事にならない日があります。先輩からは、待つ場所を考えろと言われました。でも、どこで待てばいいのか分かりません。正解の待機場所ってあるんでしょうか?』読み終えて、新人が顔を上げた。「だそうです」秋雄は少し考えた。「正解の待機場所ねえ」「あるんですか?」「あるなら俺も知りたいよ」「先輩でも分からない?」「分からない」秋雄はあっさり言った。新人が少し拍子抜けした顔をした。「じゃあ、どうやって待つ場所を決めてるんです?」「ここなら来るかもしれない、って場所に構える」「それだけ?」「それだけじゃないけど、最初はそこからだよ」新人は首をかしげた。秋雄は少し考えてから言った。「付け待ちってさ、アリ地獄みたいなもんだと思ってる」「アリ地獄?」「穴を掘って、アリが来るのを待つだろ」「まあ、そうですね」「タクシーも似てる。ここなら客が来るかもしれないって場所に構える」新人が笑った。「なんか嫌な例えですね」「でも、こっちはアリ地獄より便利だよ」「何がです?」「穴ごと動ける」新人が吹き出した。「穴ごと?」「今日はここじゃないな、って思ったら動けばいい」「なるほど」「店だったら、今日は立地が悪いからって建物ごと移動できないだろ」「できませんね」「でもタクシーは動ける」新人は少し考えた。「じゃあ、いい待機場所を一つ見つければいいわけじゃない?」「そんな簡単じゃないよ」「まだ何かあるんですか?」秋雄は時計を見た。「同じ場所でも、時間が違えば全然違うからな」「時間?」「場所だけ見てたら、半分しか見てないよ」新人はスマホに残ったメールをもう一度見た。「じゃあ、この人が探してる“正解の待機場所”って……」秋雄は笑った。「まず、その探し方から変えた方がいいかもな」つづく明日10:00に更新
2026年09月14日
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「先輩、その釣銭入れ、何ですか?」新人が秋雄の手元を見ながら言った。「これ?」「そうです。普通のケースじゃないですよね」「釣銭バッグ」「そんなのあるんですね」「タクシー用で売ってるよ」新人が少し覗き込んだ。「中、分かれてるんですね」「コインを種類ごとに入れられる」「なるほど。会計の時、探さなくて済む」「そういうこと」新人はバッグを眺めた。「でもこれ、釣銭入れには見えませんね」「そこがいいんだよ」「車内に置いてあっても、普通のバッグみたいですね」「車内になじむし、ぱっと見じゃ何が入ってるか分かりにくい」新人は今度は外側のポケットを指した。「このポケットも使ってるんですか?」「使ってる」「何に?」「タクシーチケット」「そこに入れるんですか?」「受け取ったら、ひとまずここに差しておける」「あ、それ便利ですね」「毎日使う物って、こういうちょっとしたところが大事なんだよ」新人はもう一度バッグを見た。「これ、どこで買ったんです?」「楽天にあるよ。アドレス送ったから」新人がスマホを取り出した。「あ、来た」画面を開く。「これですね」「それ」しばらくして。「……買いました」秋雄が新人を見た。「早いな」「こういう判断は早いんです」「営業でもその判断力を使えよ」「それはまた別の話です」今回、先輩の道具箱から出てきたのはこちら。釣銭入れバッグ タクシードライバー 小銭入れ バッグ コインケース 釣銭ケース価格:3,850円(税込、送料別) (2026/9/6時点)楽天で購入毎週土曜日はしばらくの間、先輩の仕事道具を紹介しますね。
2026年09月12日
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第5話 公立中学校みたいな場所「公立中学校って、どういう意味です?」新人が聞いた。「そのままだよ」秋雄は笑った。「いろんな人がいるだろ」「まあ、中学校はそうですけど」「勉強ができるやつもいる」「はい」「運動が得意なやつもいる」「はい」「やたら先生に反抗するやつもいる」新人が笑った。「いましたね」「妙なルールを作りたがるやつもいる」「いました」「でも、同じ学校にいる」新人は少し考えた。「タクシー会社も同じ?」「俺はそう思ってる」秋雄は営業所を見回した。「前にも話しただろ」「地理なら、この人」「そう」「接客なら、あの人」「そう」「真似しない方がいい人もいる」「そこまで言ってない」「言ってましたよ」秋雄は笑った。「まあ、そういうことだ」新人も営業所を見た。「でも、公立中学校って大変じゃないですか?」「人によるんじゃない?」「先輩は?」「俺は案外、居心地よかったよ」新人が意外そうな顔をした。「そうなんですか?」「普通にやってればいいからな」「普通に?」秋雄は指を折った。「遅刻しない」一本。「宿題を出す」もう一本。「先生の話を聞く」さらに一本。「挨拶する」「真面目ですね」「別に大したことしてないよ」秋雄は笑った。「でも、そういうのを普通に続けてると、先生も顔を覚えるだろ」「まあ、そうですね」「タクシー会社も似てるんだよ」新人が首をかしげた。「どこが?」「時間を守る」秋雄が指を折った。「予約をきちんとやる」もう一本。「分からなかったら確認する」さらに一本。「行き違ったら、必要なところは謝る」「はい」「車をきれいにしておく」「はい」「頼まれた仕事を、普通にやる」新人は少し黙った。「……普通ですね」「普通だよ」「そんなのでいいんですか?」「そんなのを毎回やるんだよ」新人は営業所の方を見た。「でも、みんなやってません?」秋雄は笑った。「そう思うだろ?」「違うんですか?」「毎回ちゃんとやる人って、案外少ないんだよ」新人が少し考えた。「じゃあ、真面目にやってれば評価される?」「そこまで都合よく考えるなよ」秋雄はすぐに言った。「真面目にやったからって、必ずいい仕事が来るわけじゃない」「ですよね」「売上が上がる保証もない」「はい」「誰かが褒めてくれる保証もない」「はい」「でも」秋雄は少し間を置いた。「何か頼むときに、『あいつなら大丈夫だろ』と思ってもらえる可能性は上がる」新人が頷いた。「信用ですか」「そういうことだな」「じゃあ、会社の中で一番になる必要はない?」「何の一番だよ」新人が笑った。「売上とか、人気とか」「なりたいならなればいいよ」秋雄も笑った。「でも、会社の中を歩くのに必要なのは、それだけじゃない」「じゃあ何です?」秋雄は営業所の中を見回した。地理に詳しい人がいる。面倒見のいい人がいる。癖の強い人もいる。近づかない方がいい場所もある。役職がなくても、誰かに相談される人がいる。そして、毎日変わらず仕事をしている人がいる。「誰から何を学ぶか」秋雄が言った。「誰の話を少し割り引いて聞くか」「はい」「どこには近づかないか」「はい」「自分は、どういう運転手でいるか」新人は少し笑った。「覚えること、多いですね」「道路と同じだよ」「また地図ですか?」「そう」秋雄は頷いた。「全部の道を通る必要はない」「でも、知っておいた方がいい」「そういうこと」新人は営業所の中をもう一度見た。入社したばかりの頃より、少しだけ見え方が変わっていた。タクシー会社には、いろんな人がいる。全部を好きになる必要はない。全部に馴染む必要もない。必要なものだけ拾って、持ち帰らなくていいものは置いていく。それも、この仕事を長く続けるための歩き方だ。第14章終わり来週月曜日10:00に更新明日はちょっと趣向を変えた企画をやります。土曜日10:00をお楽しみに。
2026年09月11日
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第4話 役職がなくても、相談される人がいる「先輩って、なんでみんな先輩に話すんですか?」新人が聞いた。「何の話?」「この前も、事故の話を聞いてたじゃないですか」秋雄は少し嫌そうな顔をした。「俺、班長でも管理者でもないんだけどな」「でも、みんな先輩に話しますよね」「知らないよ」新人が笑った。「いや、絶対なんかありますって」秋雄は少し考えた。「管理者に話したら、報告になるからじゃない?」「報告?」「事故とか、お客さんとの揉め事とか、配車室との行き違いとか」「はい」「正式に会社へ話すとなると、ちょっと構えるだろ」「まあ、そうですね」「だから、その前に誰かにちょっと話したくなることはある」新人は頷いた。「でも、誰でもいいわけじゃないですよね」「そりゃそうだろ」「説教する人には話したくない」「うん」「口が軽い人にも話したくない」「うん」「話を大きくする人にも」「それは嫌だな」秋雄が笑った。新人は少し考えた。「じゃあ、先輩は何するんです?」「何もしないよ」「え?」「聞くだけ」「アドバイスしないんですか?」「聞かれたらすることもあるけど」秋雄は言った。「最初から答えを出そうとはしない」「なんでです?」「本人だって、答えが欲しいとは限らないから」新人が黙った。「事故を起こした」「はい」「お客さんと揉めた」「はい」「配車室と行き違った」「はい」「そういうときって、まず誰かに話したいだけのこともある」「ありますね」「話してるうちに、自分で整理できることもあるし」新人は少し笑った。「先輩、相談係みたいですね」「だから、役職じゃないって」「でも、そういう役割になってる」秋雄は少し考えた。「会社の中って、役職表だけ見ても分からないんだよ」「どういうことです?」「地理に困ったら、この人」「はい」「営業なら、この人」「はい」「車のことなら、この人」「はい」「ちょっと話を聞いてほしいなら、この人」新人が秋雄を見た。「それが先輩?」「知らないって」秋雄は笑った。「でも、そうやって自然に役割ができていくことはある」「会社が決めたわけじゃなく?」「うん」「本人が立候補したわけでもなく?」「そんなものに立候補する奴いるか?」新人が吹き出した。少しして、秋雄が言った。「だから会社の中を見るとき、肩書きだけ見ない方がいい」「誰が何を知ってるか」「そう」「誰に何を話せるか」「そう」「誰の話は少し割り引いて聞くか」秋雄が笑った。「それも大事だな」新人は営業所の中を見回した。「なんか、だんだん人間関係の地図ができてきました」「そういうこと」「でも先輩」「ん?」「こんなにいろんな人がいる会社って、普通なんですか?」秋雄は少し考えた。「タクシー会社なんて、だいたいそんなもんじゃない?」「どんなもんです?」秋雄は笑った。「公立中学校みたいなもんだよ」新人が顔をしかめた。「……また変なこと言い始めた」つづく明日10:00に更新
2026年09月10日
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第3話 持ち帰らなくていいもの「先輩、昨日の続きですけど」新人が言った。「真似しない方がいいもの?」「そうです」秋雄は少し笑った。「いっぱいあるよ」「いっぱい?」「会社にはさ、昔からいる人しか知らないルールみたいなのがあるだろ」新人が頷いた。「ありますね」「ここではこうする」「はい」「新人はこうする」「はい」「昔からそうだから」新人が苦笑した。「よく聞きます」「でも、それが本当に会社の決まりなのかは分からない」「え?」「ただ、その人がそう思ってるだけかもしれない」新人は少し考えた。「ありますね、それ」「あるよ」秋雄は続けた。「先輩に言われたからって、全部そのまま覚えなくていい」「でも、新人だと断りにくくないですか?」「断らなくてもいいよ」「じゃあ?」「いったん聞く」「聞くだけ?」「うん」秋雄は笑った。「それで、本当に必要かどうかは後で考える」新人は首をかしげた。「例えば?」「『この乗り場では新人は後ろに並べ』とか」「はい」「『この仕事は俺たちのやり方に合わせろ』とか」「ありますね」「会社の正式な決まりなら従えばいい」「正式じゃなかったら?」「確認する」「誰に?」「そこが大事なんだよ」新人が秋雄を見る。「先輩じゃなくて?」「俺に聞いてもいいけど、俺の言うことだって鵜呑みにするなよ」新人が笑った。「そこまで言います?」「言うよ」秋雄は少し真面目な顔になった。「先輩だから正しいとは限らない」「でも、経験はありますよね」「経験があることと、全部正しいことは別だよ」新人は黙った。「癖の強い人ほど、自分のやり方を会社のルールみたいに話すこともある」「じゃあ、新人はどうすればいいんです?」「聞く相手を変えてみる」「別の先輩?」「そう」「配車室に聞くこともある?」「ある」「管理者に確認することも?」「あるよ」秋雄は言った。「一人の話だけで、会社全部を決めないことだな」新人は少し考えた。「地理は教わる。でも、その人のしきたりまで持ち帰らない」「そういうこと」「面倒見は真似する。でも、威圧するところは真似しない」「そう」新人が笑った。「やっぱり寄せ集めですね」「だから昨日からそう言ってるだろ」二人で笑った。少しして、新人が言った。「でも先輩」「ん?」「古株ばっかりで、変なルールが多い乗り場だったらどうするんです?」秋雄はあっさり答えた。「行かなきゃいいんじゃない?」新人が目を丸くした。「そんなのでいいんですか?」「そこでしか仕事できないわけじゃないだろ」「でも、逃げたみたいじゃないですか」「営業する場所を選んだだけだよ」新人は少し考えた。「前に行った乗り場で、なんか妙に空気悪かったんですよね」「誰かに何か言われた?」「いや。なんとなく」「じゃあ、お前に向けられたものとも限らないよ」「どういうことです?」秋雄は笑った。「あとで聞いたら、古株同士でずっと揉めてるだけだった、なんてこともある」新人が吹き出した。「俺、関係ないじゃないですか」「そういうこと」「じゃあ、無理に馴染まなくてもいい?」「いいよ」秋雄は言った。「会社の中の人間関係を、全部自分の問題にしなくていい」新人は頷いた。「巻き込まれない方がいい場所もある」「あるね」「そこを避けるのも、この会社の歩き方?」「そう」秋雄は少し間を置いた。「覚えるべき道だけじゃないんだよ」「え?」「通らなくていい道も、覚えておく」新人は営業所の中を見た。「会社の中って、道路より面倒ですね」秋雄は笑った。「だから地図がいるんだよ」つづく明日10:00に更新
2026年09月09日
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第2話 全部は真似しない「先輩、昨日の話なんですけど」新人が言った。「昨日?」「全部参考にすればいいって話です」「ああ」「やっぱり、よく分からないんですよ」秋雄は笑った。「何が?」「どこを参考にすればいいのか」「じゃあ、例えば地理は?」新人は少し考えた。「田中さん、詳しいですよね」「じゃあ、田中さんから地理を教わればいい」「でも田中さん、接客はちょっと……」秋雄は笑った。「そこまで真似しなくていいんだよ」「あ、そういうことか」「人を丸ごと評価しなくていいんだ」新人が首をかしげた。「丸ごと評価?」「この人は良い先輩、この人はダメな先輩って分ける必要ないだろ」秋雄は指を折った。「地理なら、この人」一本。「接客なら、あの人」もう一本。「営業の組み立てなら、別の人」さらに一本。「後輩への面倒見なら、また違う人」新人が笑った。「寄せ集めじゃないですか」「そうだよ」秋雄も笑った。「一人から全部もらおうとするから、おかしくなるんだ」「でも、すごく売ってる人がいたら、その人を真似したくなりません?」「なるだろうね」「それじゃダメなんですか?」秋雄は少し考えた。「その人が、なんで売れてるのか分かってるならいいよ」「なんで?」「同じ場所で待ってるからなのか」「はい」「客との話し方なのか」「はい」「時間の使い方なのか」「はい」「それとも、単に長時間働いてるだけなのか」新人が少し笑った。「最後のは真似したくないですね」「だろ?」秋雄は続けた。「数字だけ見て、その人の行動を全部真似しても、自分に合うとは限らない」「じゃあ、一個ずつ見る?」「そういうこと」「この人の、この部分は使えるって?」「うん」新人は営業所の方を見た。「なんか、人を見る目が必要ですね」「それも仕事してるうちに覚えるよ」「でも、いいところだけ見てればいいんですか?」秋雄は少し笑った。「いや」「違うんですか?」「真似しない方がいいものも、ちゃんと見ておいた方がいい」新人が秋雄を見る。「例えば?」秋雄は営業所の奥へ目をやった。「それは明日の話だな」つづく明日10:00に更新
2026年09月08日
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第1話 誰を参考にすればいいんですか?「先輩って、誰を参考にすればいいんですか?」新人が、待機所で唐突に聞いた。秋雄はスマホから顔を上げた。「誰って?」「この会社、いろんな先輩いるじゃないですか」「いるね」「営業が上手い人もいるし、地理に詳しい人もいるし、面倒見のいい人もいる」「うん」新人は少し声を落とした。「でも、正直……癖が強い人もいますよね」秋雄が笑った。「それもいるね」「だから、誰をお手本にすればいいのかなって」秋雄は少し考えてから言った。「全部参考にすればいいよ」新人が目を丸くした。「全部?」「うん」「いやいや、全部は危なくないですか?」「だから、全部真似しろとは言ってない」新人は首をかしげた。「じゃあ、どういう意味です?」秋雄は営業所の方へ目を向けた。何人かの運転手が、それぞれ好きなことを話している。「この会社にさ」秋雄が言った。「何から何まで真似したくなるような人、いる?」新人も営業所を見た。少し考えてから、「……いないですね」「だろ?」新人が笑った。「先輩、身も蓋もないですね」「でも、逆にさ」秋雄は続けた。「何も参考にならない人ばっかりか?」新人はまた少し考えた。「それも違いますね」「だろ?」「じゃあ……」新人が秋雄を見る。「どこを参考にして、どこを真似しないかってことですか?」秋雄は笑った。「そこから先が、この会社の歩き方だよ」「簡単に見分けられます?」「簡単だったら、みんな苦労しないよ」新人はもう一度、営業所の中を見た。さっきまでただの先輩だった人たちが、少し違って見えた。つづく明日10:00に更新
2026年09月07日
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第5話 会社の中にも、地図がある「会社の中にも、地図があるって何ですか?」新人が聞いた。秋雄は少し考えた。「そのままだよ」「道路地図みたいな?」「そこまで分かりやすくないけどな」新人は首をかしげた。秋雄は指を折った。「配車のことなら、この人」一本。「地理なら、この人」もう一本。「車のことなら、この人」さらに一本。「予約のことで迷ったら、この人に聞けば話が早い」新人が笑った。「いっぱいいますね」「一人で全部知ってる人なんて、そうそういないよ」「先輩に全部聞けばいいと思ってました」「やめてくれ」秋雄は笑った。「俺だって知らないことはいくらでもある」「じゃあ、知らないことがあったら?」「知ってそうな人に聞く」「その人も知らなかったら?」「また別の人に聞く」新人は少し考えた。「それが、会社の中の地図?」「そう」秋雄は頷いた。「道路なら、どこを曲がればどこへ出るか覚えるだろ?」「はい」「会社の中も同じだよ。誰に聞けば、どこへつながるかを覚えていく」新人は配車室の方を見た。「配車係だけじゃないんですね」「もちろん」「先輩運転手も?」「そうだよ」秋雄は言った。「だから、普段から挨拶しておくんだ」「あ、戻った」「戻るよ」新人が笑った。「必要になった時だけ突然話しかけるより、普段から顔が分かってる方が話しやすいだろ」「確かに」「行き違ったら、そのままにしない」「はい」「出勤したら、元気に挨拶する」「はい」「分からないことがあったら、一人で抱え込まずに聞く」新人が頷いた。「それが全部、社内営業?」「俺はそう思ってる」「でも、仕事をもらうためにやるわけじゃない」「そこ、大事な」秋雄は言った。「いい仕事をくれってお願いして回るのが社内営業じゃない」「じゃあ?」「仕事を任せてもらえる状態を、普段から作っておく」新人は少し黙った。「それで結果的に、仕事が来ることもある?」「あるだろうね」「来ないことも?」「もちろんある」「じゃあ、やっぱり保証はないんですね」秋雄は笑った。「営業なんだから、そんなものだよ」「外でも中でも?」「外でも中でも」少し間が空いた。新人が言った。「タクシーって、道路を覚えて、お客さん乗せてればいい仕事じゃないんですね」「十年やってても、それだけじゃ済まないよ」秋雄は営業所の中を見回した。配車係がいる。整備のことに詳しい人がいる。地理に強い人がいる。新人の面倒を見るのが好きな人もいる。癖の強い人だっている。「会社の中にも、いろんな道がある」秋雄が言った。「全部通る必要はないけどな」「じゃあ、どう歩けばいいんです?」秋雄は少し笑った。「それは、また別の話だな」第13章終わり来週月曜日10:00に更新
2026年09月04日
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第4話 元気に出社するのも仕事「先輩、挨拶ってそんなに大事ですか?」新人が聞いた。「大事だよ」「でも、毎日同じじゃないですか」「同じだからいいんだよ」新人が首をかしげた。秋雄は言った。「おはようございます。本日もよろしくお願いします」「それですよね」「それを毎回、ちゃんと元気に言う」「元気に?」「そう」新人は少し笑った。「なんか小学生みたいですね」「タクシー会社なんて、案外そんなもんだよ」秋雄も笑った。「でもな、挨拶って礼儀だけじゃないんだ」「じゃあ何です?」「今日の自分を見せるんだよ」「今日の自分?」「今日も普通に仕事できますよ、って」新人は少し考えた。秋雄は続けた。「毎回元気に挨拶してる運転手が、ある日だけ声が小さかったらどう思う?」「体調悪いのかな、って思います」「だろ?」「でも、それって気づいてもらった方がいいんじゃないですか?」「本当に体調が悪いならな」秋雄は頷いた。「でも、ただ寝不足でぼんやりしてるとか、機嫌が悪そうとか、そういう状態で出てきたらどう見える?」新人は黙った。「仕事を振る側からしたら、ちょっと心配になる」「仕事を振る側……」「配車係だって、誰に仕事を振るか考えることがあるだろ」「ありますね」「ちょっと大事な仕事がある。誰に任せようかって時に、朝から元気なく入ってきた運転手と、いつも通り元気に挨拶してきた運転手がいる」秋雄は新人を見た。「どっちに振りたくなる?」新人は苦笑した。「元気な方ですね」「そういうこと」「じゃあ、仕事をもらうために元気に挨拶するんですか?」「違うよ」秋雄はすぐに答えた。「仕事をもらうために元気なふりをするんじゃない」「はい」「仕事を任せても大丈夫な状態で出社するんだよ」新人は少し真面目な顔になった。「毎回?」「出勤するたびに」秋雄は言った。「運転手って、車に乗ってから仕事が始まると思いがちだけど、その前から見られてるんだよ」「見られてる……」「監視されてるって意味じゃないぞ」「分かってます」「普通に顔を合わせて、普通に挨拶する。その積み重ねで、『今日も大丈夫そうだな』って思ってもらえる」新人は配車室の方を見た。「逆に、今日はやめとこうって思われることもある?」「あるだろうね」「本人には分からないですよね」「そこが怖いところだよ」秋雄は笑った。「『最近いい仕事が来ないな』って思ってても、そもそも候補から外されてるかもしれない」「そんなの分からないじゃないですか」「分からないよ」「じゃあ怖いなあ」「だから、変な小細工をするんじゃなくて、毎回ちゃんと出社するんだよ」新人は頷いた。「元気に挨拶する」「そう」「今日も任せて大丈夫だと思ってもらう」「そういうこと」秋雄は少し間を置いた。「社内営業って、気に入られることじゃないんだよ」「信用を積む?」「それに近いな」「でも、目には見えない」「売上みたいに数字では出ないからな」新人は笑った。「面倒ですね、社内営業」秋雄も笑った。「でも、道路だけ覚えてれば済む仕事でもないんだよ」新人が顔を上げた。「まだあるんですか?」「あるよ」「何がです?」秋雄は配車室の方を見た。「会社の中にも、地図がある」つづく明日10:00に更新
2026年09月03日
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第3話 行き違ったら、自分から行く「先輩、配車室とちょっと揉めちゃったんですよ」待機所で、新人が言った。「揉めた?」「揉めたっていうほどじゃないですけど」「じゃあ何?」「配車のことで、ちょっと言い方が悪かったみたいで」秋雄は新人を見た。「向こうが?」「いや……俺がです」「じゃあ謝ってきたら?」新人が少し困った顔をした。「でも、向こうにも原因ありますよ」「あるんだろうね」「だったら、俺だけ謝るのも違いません?」秋雄は少し笑った。「また始まったな」「何がです?」「どっちが悪いか決めないと謝れないやつ」新人は黙った。「別に、全部こっちが悪かったって言いに行くんじゃないよ」「じゃあ何て言うんです?」「さっきは言い方悪くてすみません、でいいじゃん」「それだけ?」「それだけ」新人は配車室の方を見た。「なんか負けた感じしません?」「何に勝とうとしてるんだよ」秋雄が笑った。「配車室と勝負してどうするの」「いや、そういうつもりじゃ……」「明日も明後日も仕事するんだろ?」「しますよ」「だったら、今日の行き違いを明日まで持っていく方が面倒だよ」新人は少し考えた。「向こうが悪かったところは?」「それは向こうが考えればいい」「こっちは?」「自分の言い方が悪かったと思うなら、そこだけ謝る」新人が頷いた。「全部背負わなくていいんですね」「そういうこと」秋雄は少し間を置いた。「会社の中ってさ、道路みたいに一回通って終わりじゃないんだよ」「また会いますもんね」「毎日会うよ」新人が苦笑した。「確かに」「配車室だって人間だからな。行き違うことくらいある」「先輩もあります?」「あるよ」「そのたびに謝りに行くんですか?」「俺が悪かったと思ったところがあればね」「向こうから来るのを待たない?」「待ってる時間がもったいないだろ」新人は少し笑った。「先輩、そういうところ妙にあっさりしてますね」「仕事だからね」秋雄は配車室の方を見た。「仲良しになる必要はないよ」「はい」「でも、次に何かあった時に普通に話せる関係には戻しておく」新人も同じ方向を見た。「それも社内営業ですか?」「俺はそう思ってる」会社の中では、ちょっとした行き違いは起きる。そのたびに、どちらが悪いかを決めていたら、仕事より人間関係の方が面倒になる。自分に悪かったところがあるなら、そこだけ謝る。そして、次の日も普通に話せる状態に戻しておく。社内営業は、誰かに気に入られるためのものではない。仕事の話を、仕事の話として続けられる関係を作ることだ。つづく明日10:00に更新
2026年09月02日
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第2話 配車室に聞けばいい新人が、少し困った顔で言った。「先輩、配車が入ったんですけど、このあと予約があるんですよ」秋雄は時計を見た。「何時?」「九時です」「今の配車、行って戻って間に合いそうか?」「たぶん……」新人の声が小さくなった。秋雄は笑った。「その“たぶん”が一番危ないんだよ」「でも、配車を断ったら怒られませんか?」「断るかどうかを、自分一人で決めなくていい」新人が首をかしげた。「じゃあ、どうするんですか?」「配車室に聞けばいい」「聞く?」「この配車を取って、九時の予約に間に合いますかって」新人は少し考えた。「そんなこと、いちいち聞いていいんですか?」「いいんだよ。むしろ、予約を持ってるなら確認した方がいい」秋雄は続けた。「配車室だって、こっちの予定を全部頭に入れているわけじゃない。運転手側で気づいたなら、伝えればいい」「でも、行けるかもしれないですよね」「かもしれない、で予約を賭けるなよ」新人は黙った。「通常の配車なら、別の車へ振れることもある。でも予約は、その時間にその車が行く前提で組まれている」「予約の方を優先する?」「それを決めるのも、配車室と相談すればいい」秋雄は少し間を置いた。「大事なのは、自分だけで抱え込まないことだ」「抱え込む?」「配車を取ったら遅れそう。でも断ったら怒られそう。だから、とりあえず行ってみる」新人が苦笑した。「やりそうです」「それで渋滞に捕まって、予約に遅れる。そうなると一番面倒だろ」「確かに……」「だから、微妙だと思った時点で聞く」秋雄は指を一本立てた。「『この仕事を取って大丈夫ですか』」もう一本。「『予約を優先した方がいいですよね』」「それだけですか?」「それだけ」新人は少し拍子抜けした顔をした。秋雄は笑った。「社内営業って、何でも自分で解決することじゃないんだよ」「相談するのも、社内営業?」「相談できる関係を作っておく。それも仕事だ」新人は配車室の方を見た。「でも、普段ほとんど話したことないんですよね」秋雄は頷いた。「だから次の話になる」「次?」「相談したい時だけ話しかけても、話しにくいだろ」新人は、少し納得した顔をした。「普段から、ですか」「そういうこと」秋雄は立ち上がった。「まずは挨拶からでいいよ」つづく明日10:00に更新
2026年09月01日
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第1話 まず、顔を見て挨拶する「新人のうちは、社内営業も大事だぞ」出庫前、秋雄が新人に言った。「車内営業?」「違う違う」秋雄が笑った。「社内。会社の中」「会社の中で営業するんですか?」「そう」「誰に?」「まずは配車室かな」新人が少し警戒した顔をした。「仕事を回してもらうためですか?」「そういう意味じゃないよ」「じゃあ、何するんです?」秋雄は配車室の方を見た。「まず挨拶」「挨拶?」「そう」秋雄は配車室に顔を向けた。「おはようございます。本日もよろしくお願いします」配車係が秋雄を見て、「はい、おはよう。今日もよろしくね」と返した。秋雄は新人を見た。「まずはこれ」新人が少し拍子抜けした顔をした。「それ、社内営業なんですか?」「俺はそう思ってるよ」「普通の挨拶じゃないですか」「普通の挨拶だよ」 二人は車へ向かった。「でもな」秋雄が言った。「毎回ちゃんと顔を見て挨拶してれば、向こうも顔を覚えるだろ」「まあ、そうですね」「こっちも、誰が配車してるのか分かるようになる」「はい」「そのうち声だけでも分かるようになる」新人が笑った。「そこまで?」「毎日やってれば分かるよ」 新人は少し考えた。「でも、顔を覚えてもらうと何か違うんですか?」「違うと思うよ」「仕事を多く回してくれる?」「だから、そっちじゃないって」秋雄が笑った。「顔が分からない相手って、どうしても雑になりやすいんだよ」「雑?」「配車室から見れば、俺たちは何号車っていう一台になる」「はい」「こっちから見れば、向こうはただの配車室になる」「まあ、そうですね」「そうなると、『なんでこんな配車よこすんだよ』って思ったりする」新人が笑った。「あります」「向こうだって、『なんでこの車は行かないんだ』って思うかもしれない」「ありそうですね」「お互い顔が見えないと、相手じゃなくて仕事だけ見るようになるんだよ」新人が少し考えた。「でも、顔が分かってれば?」「少なくとも、誰と話してるのかは分かる」「秋雄さんに頼んでる、みたいな?」「そう。こっちも、誰から頼まれてるのか分かる」 新人は配車室の方を振り返った。「それだけでも違うものですかね」「俺は違うと思うよ」「先輩、配車係の人みんな知ってます?」「だいたいはね」「仲いいんですか?」「別に全員と仲良しじゃないよ」新人が笑った。「じゃあ、社内営業失敗じゃないですか」「仲良しになるのが目的じゃないから」「じゃあ、何が目的なんです?」秋雄は少し考えた。「仕事をしやすくすることかな」「仕事をしやすく?」「うん」 秋雄は車のドアを開けた。「仕事してれば、そのうち行き違うこともあるよ」「配車室と?」「あるよ。こっちはこういうつもりだった。向こうは違うつもりだった」「揉めたりします?」「することもある」「そういう時はどうするんです?」「こっちにも悪いところがあったなと思ったら、俺は謝りに行くよ」「先輩から?」「うん」「向こうが悪くても?」「どっちが何割悪いかなんて数えてもしょうがないだろ」新人が黙った。「明日も同じ会社で仕事するんだから」「……なるほど」「『さっきはすみませんでした。こっちも言い方が悪かったです』で済むなら、その方が楽だよ」「それも社内営業?」「俺はそう思ってる」 新人は少し考えてから笑った。「思ってた営業と全然違いますね」「何を想像してたんだよ」「もっとこう、偉い人に顔を売ったり」「そんな器用なことできないよ」「仕事を回してもらったり」「それやったら別の話になっちゃうだろ」二人で笑った。 社内営業といっても、特別なことをするわけではない。 顔を見て、「おはようございます。本日もよろしくお願いします」と言う。 仕事で行き違ったら、必要なら自分から話しに行く。 それを繰り返していれば、配車室にとって自分は、ただの「何号車」ではなくなっていく。 こちらにとっても、相手はただの「配車室」ではなくなっていく。 まずは、お互いの顔が分かるところから。 社内営業は、そこから始まる。 明日10:00に更新
2026年08月31日
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第5話 暇な日に、仕事を追いかけるな「先輩、今日は本当に暇ですね」待機所で、新人が秋雄に声をかけた。「暇だな」「さっきから全然動かない」「そうだね」新人は前に並んでいる車を見た。「こういう日って、やっぱり焦ります」「売上?」「はい」「俺も気になるよ」「あといくら足りないとか、考えません?」「考える」「このままで大丈夫かな、とか」「考えるよ」新人が笑った。「先輩でも同じなんですね」「そりゃそうだよ」 新人は少し黙った。「でも、前だったらもう動いてたと思います」「どこへ?」「それが分からないから、とりあえず走る」「やってたな」「はい」「今日は動かないの?」「今のところは」「なんで?」新人は周りを見た。「ここにいる理由が、まだあるからです」「へえ」「この時間なら、もう少し人が動くかもしれない」「うん」「前にも、このくらいの時間に仕事が出たことがある」「うん」「だから、もう少しだけ待ってみます」秋雄が頷いた。「いいんじゃない?」「でも、外すかもしれませんけどね」「外したら?」「覚えておきます」秋雄が笑った。「ずいぶん変わったな」「先輩が何回も言うからですよ」 少しして、新人が聞いた。「でも先輩」「何?」「結局、暇な日に売上を作る方法ってないんですか?」秋雄は笑った。「急に身も蓋もないこと聞くな」「だって、そこが一番知りたいじゃないですか」「そりゃそうだな」「どこへ行けば仕事があるとか」「分かったら俺も行くよ」「ですよね」「街が暇でも、仕事を取ってる車はいるよ」「じゃあ、その車は何が違うんです?」「判断が良かったのかもしれない」「はい」「たまたまかもしれない」「はい」「いつものお客さんから呼ばれたのかもしれない」「それもありますね」「外から見ただけじゃ分からないよ」新人は頷いた。 「だから俺は、暇な日に他の車を追いかけないようにしてる」 「他の車?」「誰かが仕事を取ったのを見て、あそこが正解だったって思ったり」「ああ」「長い仕事をやったって聞いて、俺もそっちへ行けばよかったって思ったり」「ありますね」「でも、それって結果を見てるだけだろ?」新人が少し考えた。「その人が、なんでそこにいたかは分からない」「そう」「偶然かもしれない」「そういうこと」 新人は前を見た。「じゃあ、自分の判断を積み重ねるしかない?」「俺はそうしてきたよ」「待つ理由を考えて」「うん」「動く理由も考えて」「うん」「外したら覚えておく」「うん」「当たっても、一回で正解にしない」「そうだな」新人は苦笑した。「地味ですね」「タクシーって、そんなもんじゃない?」 新人は少し考えた。「でも、それを続けていけば」「うん」「ここはもう薄いな、とか」「うん」「この時間なら、もう少し待ってみよう、とか」「うん」「少しずつ分かるようになる?」「なると思うよ」「先輩みたいに?」秋雄は笑った。「俺だって今日外すかもしれないぞ」「十年やってても?」「十年やってても」新人も笑った。 「じゃあ、暇な日はどうすればいいんです?」秋雄は少し考えた。 「暇な日に、仕事を追いかけすぎないことかな」 「追いかけすぎない?」「需要が薄いのに、不安だからって走り回っても、お客さんが増えるわけじゃないだろ」「そうですね」「待つ理由があるなら待つ」「はい」「動く理由があるなら動く」「はい」「どっちもなければ?」新人は少し考えた。「休む?」「それもありだな」 「暇な日は、暇じゃない日の走り方をしない」 新人が秋雄を見た。「それ、覚えておきます」「外すかもしれないけどな」「そこまでセットですか」「そこまでセット」二人で笑った。 仕事を探すことと、仕事を追いかけることは、少し違う。 待つ。動く。休む。 どれを選んでも、必ず仕事につながるわけではない。 だから、外したことも覚えておく。当たったことも、一度で正解にはしない。 そうやって少しずつ、自分なりの判断材料を増やしていく。 街が暇な日に、焦って仕事を追いかけすぎない。 暇な日は、暇な日の走り方をすればいい。 第12章終わり 来週月曜日10:00に更新
2026年08月28日
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第4話 動くにも理由がいる「先輩、そろそろ動こうと思うんですけど」待機所で、新人が秋雄に声をかけた。「いいんじゃない?」「止めないんですか?」「なんで俺が止めるんだよ」「いや、この前から待つ理由の話してたじゃないですか」「してたね」「だから、もう少し待てって言われるかと思って」秋雄は新人の車の前を見た。「なんで動こうと思ったの?」「全然仕事がないからですよ」「それだけ?」「それだけじゃダメですか?」「ダメとは言ってないよ」「じゃあ、動きます」「どこ行くの?」新人が黙った。「……それは、まだ決めてないです」秋雄が笑った。「それで走り出すの?」「だって、ここにいても出ないじゃないですか」「そうかもしれないな」「だったら動いた方がいいかなって」「どこへ?」「だから、それは走りながら……」 秋雄は少し考えた。「それ、仕事を探してるのか?」 「そうですよ」「それとも、ここにいるのが不安なだけ?」新人が黙った。「……ちょっと、それもあります」「俺もあるよ」「先輩も?」「ある。全然仕事がないところに止まってると、何かしなきゃって思う」「ですよね」「走ってる方が仕事してる気もするし」「そうなんですよ」新人が頷いた。「止まってると、サボってるみたいな気がして」「でも、空車で走ったら売上になる?」「なりません」「燃料は?」「使います」「事故の可能性は?」「走れば増えますね」「疲れる?」「まあ……疲れます」秋雄が笑った。「結構使うな」「何も売れてないのに」「そういうこと」 新人は少し考えた。「じゃあ、動かない方がいいんですか?」「そういう話でもないよ」「またですか」「まただよ」二人で笑った。 「待つのに理由がいるなら、動くのにも理由があっていいんじゃない?」 「たとえば?」「もう人の動きがなくなった」「はい」「狙ってた時間が終わった」「はい」「次に人が動きそうな場所がある」「なるほど」「飯を食いに行くでもいい」新人が笑った。「それも理由ですか?」「立派な理由だろ」「営業じゃないですよ」「暇なんだろ?」「暇です」「だったら暇な時間に飯食って、動きそうな時間に戻ればいいじゃん」新人は少し考えた。「そういう動き方もあるのか」「俺はするよ」 新人は前の道路を見た。「じゃあ、ここがダメだから動く、じゃなくて」「うん」「次に行く理由があるから動く?」「そう考えた方が、俺は楽かな」「仕事があるかどうかは?」「分からないよ」「やっぱり」「分かったら苦労しないって」新人が笑った。 「でも、それなら外しても分かりやすいですね」「何が?」「次はここだと思って動いた。でも何もなかった」「うん」「だったら、それも覚えておけばいい」「そうだな」「何も考えず走り回って、今日はダメだった、よりは残るものがある」秋雄が頷いた。「俺はそう思ってるよ」 新人は少し考えてから言った。「じゃあ、俺、飯食ってきます」「急だな」「だって暇なんでしょ?」「そうだけど」「暇な時間に飯食って、動きそうな時間に戻ってきます」秋雄が笑った。「それなら理由はあるな」「でしょ?」 仕事がない。ここにいても不安になる。だから、とりあえず走る。 それも一つの判断かもしれない。でも、走る前に一つだけ考えてみる。 次に行く理由はあるか。 なければ、飯を食うのもいい。休憩するのもいい。 暇な時間まで、無理に営業に変えなくてもいい。 明日10:00に更新
2026年08月27日
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第3話 そこにいる理由はあるか「先輩、今日はここで待つんですか?」新人が秋雄の車の横に止まった。「しばらくね」「ここ、そんなに出るんですか?」「どうだろう」「どうだろうって……」新人が苦笑した。「先輩がいるから、何かあるのかと思いました」「何かあるかもしれないよ」「なんですか、それ」秋雄が笑った。「さっき近くでお客さん降ろしたんだよ」「はい」「それで、すぐ元の待機場所に戻るほどでもないかなと思って」「だからここに?」「うん」「ここで次のお客さんが出ると思ってるんですか?」「出たらいいな、くらい」新人が首をかしげた。「それって、勘ですか?」「勘もあるだろうな」「やっぱり」「でも、勘だけでもないよ」「というと?」 秋雄は周りを見た。「この辺、店もあるし、人も動いてるだろ」「はい」「時間も、まだ人が動きそうな時間だ」「そうですね」「だったら少し様子を見てもいいかなって」「それだけ?」「それだけ」新人は少し考えた。「ここから絶対に仕事が出る、じゃないんですね」「そんなの分からないよ」「でも、ここにいる理由はある」「一応ね」 新人は前の道路を見た。「俺、この前ずっと駅で待ってたんですよ」「うん」「全然動かなかったんですけど」「なんでそこにいたの?」新人が黙った。「駅だから……ですかね」「それも理由ではあるよ」「でも、弱い?」「弱いかどうかは俺には分からない」「じゃあ、どう考えるんです?」秋雄は少し考えた。「自分に聞いてみればいいんじゃない?」「何を?」 「俺、なんでここにいるんだろうって」 新人が笑った。「なんか急に哲学みたいですね」「乗ってくれるお客さん待ってるだけだよ」「ですよね」二人で笑った。 「でも、本当にそれくらいでいいと思うよ」秋雄は続けた。「駅に着く電車があるから」「はい」「病院が終わる時間だから」「はい」「近くで降ろしたから、少し様子を見る」「はい」「前にこの曜日、この時間に仕事が出たことがあるから」新人が頷いた。「そういう理由を一個持つ?」「最初はそれでいいんじゃない?」「外れたら?」「外れたなって覚えておく」「またそれですか」「またそれだよ」新人が笑った。 「じゃあ、理由があればずっと待ってていいんですか?」「そこが難しいんだよな」「ほら、また難しくなった」「だって、最初は理由があっても、時間が経てば条件が変わるだろ」「電車が着いても誰も来なかったとか?」「そう」「病院から人が出てこなかったとか」「そう」「人通りがなくなったとか」「そういうのもある」新人は少し考えた。「じゃあ、待ち始めた時の理由がなくなったら?」「俺なら、もう一回考えるかな」「動くかどうか?」「うん」「すぐ動きます?」「それも、その時による」新人が顔をしかめた。「またそれだ」秋雄が笑った。「しょうがないだろ。正解表がないんだから」 新人は少し黙ってから言った。「でも、前よりは分かる気がします」「何が?」「今までは『ここで待ってれば出るかな』しか考えてなかったんですよ」「うん」「これからは『なんで俺はここで待ってるんだろう』も考える」「それでいいんじゃない?」新人は頷いた。「理由が間違ってても?」「最初から全部当てようとするなよ」「外したら、また材料にする」「そういうこと」 仕事が出る場所を、最初から知っている新人はいない。 だから最初は、小さな理由でいい。 この時間だから。人が動いているから。近くで降ろしたから。前に仕事が出たことがあるから。 そして、待ちながら見る。その理由は、まだ残っているか。 正解を探すより、自分がそこにいる理由を一つ持ってみる。 明日10:00に更新
2026年08月26日
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第2話 場所だけ覚えても足りない「先輩、この前の話なんですけど」待機所で、新人が秋雄に声をかけた。「暇な日に走り回った話?」「そうです」「今日は走り回ってない?」「まだ大丈夫です」「まだ、なんだ」新人が笑った。「それで、ちょっと考えたんですよ」「何を?」「外したことも覚えておけば、次の判断材料になるって言ってたじゃないですか」「言ったね」「だったら、仕事がなかった場所を覚えておけばいいんですよね?」秋雄は少し考えた。「それだけだと、ちょっと足りないかな」「また難しくする」「俺のせいじゃないよ」「じゃあ、何が足りないんです?」 「場所だけ覚えてもしょうがないんだよ」 新人が首をかしげた。「どういうことです?」「たとえば、駅で一時間待って何もなかったとするだろ」「はい」「それで『あの駅はダメだ』って覚える?」「まあ……覚えそうですね」「でも、それ何曜日?」新人が少し考えた。「曜日?」「何時?」「時間も?」「天気は?」「そこまで見るんですか?」「ほかにもあるよ」秋雄は指を折った。「電車が着く時間だったのか。ほかの空車は何台いたのか。人は歩いてたのか」「結構ありますね」「病院なら診察が終わる頃なのか。店なら開店前なのか閉店後なのか」新人が苦笑した。「そんなの全部覚えられませんよ」「全部覚えなくていいよ」「いいんですか?」「俺だって全部は覚えてない」「じゃあ、何を見るんです?」秋雄は少し考えた。「最初は一個でいいんじゃない?」「一個?」「今日は月曜日の昼だった、とか」「それだけ?」「うん。次に同じような時間に来た時に、『前も暇だったな』って思い出せればいい」新人が頷いた。「それを何回か繰り返す?」「そう」「そうすると、月曜日の昼は薄いかもしれないって分かってくる」「かもしれない、な」「言い切らないんですね」「だって来週は忙しいかもしれないだろ」「確かに」 新人は少し考えた。「じゃあ、逆もあります?」「逆?」「ここで仕事を取れたから、次も来る」「あるある」「俺、やります」「俺もやったよ」「やっぱり」「一回いい仕事を取ると、その場所が急に良く見えるんだよ」新人が笑った。「ありますね」「でも、次に行ったら何もない」「あります」「それでも『前は出たから』って待つ」「……あります」秋雄が笑った。「ずいぶん心当たりあるな」「ありますよ」 「だから、仕事が出た場所も、出なかった場所も同じなんだよ」 「同じ?」「一回だけで決めない」新人が頷いた。「当たったから正解でもない」「うん」「外したから不正解でもない」「そう」「その時の条件も一緒に見る」「俺はそうしてるよ」 新人は少し黙ってから言った。「なんか、地図を覚えるのとは違いますね」「何が?」「営業を覚えるってことです」「どう違う?」「地図なら、道を覚えれば次も同じじゃないですか」「まあな」「でも営業は、同じ場所でも答えが変わる」秋雄が頷いた。「そうだな」「だから難しいのか」「その代わり、少しずつ分かるようにはなるよ」「十年かかります?」「そんなに待ってたら新人じゃなくなるだろ」新人が笑った。 場所だけでは、仕事は決まらない。同じ駅でも、曜日が違う。時間が違う。天気が違う。人の動きが違う。 一度当たった場所を、正解にしない。一度外した場所を、不正解にしない。 その時、何が違ったのか。一つずつ覚えていけばいい。 明日10:00に更新
2026年08月25日
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第1話 今日は、街が暇なんだ「先輩、今日ダメです」待機所で、新人が秋雄に声をかけた。「何が?」「売上ですよ。全然できてません」「何件やった?」「それも少ないです」「そっか」新人は少し不満そうな顔をした。「朝からいろいろ動いたんですよ」「どこ行ったの?」「最初の待機場所が全然動かなかったから、別のところへ行って」「うん」「そこもダメだったから、今度は駅に行って」「うん」「駅も車が多かったから、また移動して」秋雄が笑った。「ずいぶん走ったな」「走りましたよ。でも全然ダメです」「忙しかったじゃん」「空車でですよ」「それは忙しいな」「笑い事じゃないですよ」新人も少し笑った。 「で、先輩ならどこに行きます?」 秋雄は少し考えた。「今日は、あんまり行くところないんじゃない?」「え?」「街が暇だもん」新人が秋雄を見た。「でも、どこかにはお客さんいますよね?」「いるだろうな」「だったら、その場所を探した方がよくないですか?」「探して見つかるならね」「先輩は探さないんですか?」「動くことはあるよ」「じゃあ、どこへ?」「それは、その時によるな」新人が苦笑した。「一番困る答えですよ、それ」「そう?」「だって俺、それが分からないんですよ」 秋雄は新人を見た。「何が?」「どこで待てばいいのか。いつ動けばいいのか」「うん」「先輩は『ここはもう薄いな』とか、『ここなら少し待ってみよう』とか言うじゃないですか」「言うね」「その見極めが分からないんです」新人は少し考えて続けた。「だから仕事がないと、とりあえず動いちゃうんですよ」「ここじゃないかもしれないって?」「そうです」「で、移動した先でも仕事がない」「はい」「また動く」「はい」秋雄が笑った。「今日はそれを繰り返したわけだ」「そうですよ」新人はため息をついた。 「先輩は、どうやって分かるようになったんです?」 秋雄は少し考えた。「最初から分かってたわけじゃないよ」「じゃあ、どうしたんです?」「外したんだよ」「外した?」「ここなら仕事あるかなって待って、何もなかった」「はい」「こっちへ動いた方がいいかなって動いて、何もなかった」「それ、今日の俺じゃないですか」「そうだよ」新人が秋雄を見た。「じゃあ、今日の俺も間違ってない?」「間違ってたかどうかは、まだ分からないな」「どういうことです?」「今日走り回って、『全然ダメだった』だけで終わったら、もったいないだろ」「じゃあ?」 「外したことも、覚えておけばいいんだよ」 新人は少し黙った。「失敗を?」「失敗かどうかも分からないよ」「でも、仕事なかったですよ」「今日、この時間、この条件ではな」新人が少し考えた。「今日、この時間、この条件……」「曜日が違えばどうなるか。時間が違えばどうなるか。天気が違えばどうなるか」「同じ場所でも違う?」「違うことはあるだろ」「じゃあ、一回ダメだっただけで『ここはダメ』とも言えない」「俺はそう思うよ」新人は自分の車を見た。「なんか、面倒ですね」「面倒だよ」「もっと簡単に分かる方法ないんですか?」「あるなら俺も知りたいよ」新人が笑った。 「じゃあ先輩も、今でも外すんですか?」「外すよ」「十年やってても?」「十年やったら未来が見えるようになると思ってる?」「ちょっとくらい見えてるのかと思ってました」「見えないよ」二人で笑った。 仕事がないと、不安になる。ここじゃない。あっちなら。もっと動けば。どこかにお客さんがいるはずだ。 でも、街そのものが暇な日もある。そして、どこへ行けばいいのか最初から分かる人はいない。 外したなら、その一回も次の判断材料にすればいい。 明日10:00に更新
2026年08月24日
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第5話 売上より先に、無事に帰れ「先輩、最近ずっと休む話してません?」待機所で、新人が秋雄に声をかけた。「そうだっけ?」「小さいミスが続いたら休む」「うん」「疲れてたら、出庫したばかりでも寝る」「うん」「なんとなく調子が悪かったら、いったん車から降りる」「うん」「それでも戻らなかったら、早めに帰る」「そうだな」新人は少し笑った。「なんか、こうやって並べると仕事しない人みたいですね」秋雄が笑った。「確かにな」「でも、そういう話じゃないですよね?」「どういうこと?」「売上なんかどうでもいいから、疲れたら休めって話じゃないですよね」秋雄は頷いた。「俺はそんなつもりで話してないよ」「ですよね」「売上は欲しいよ」「俺も欲しいです」「できれば毎日ちゃんと作りたい」「俺もです」「だったら話は早いじゃん」新人が笑った。「そこは意見が合いますね」 秋雄は少し考えた。「数字を作ろうとするから、無理するんだよ」「あと一本やりたくなりますからね」「仕事が続けば休みたくない」「配車が入ったら取りたくなります」「売上が足りなければ取り返したくなる」「ありますね」「それ自体は悪いことじゃないと思うよ」新人が頷いた。「じゃあ、どこで止めるかですね」「俺はそこが難しいと思ってる」 新人は少し考えた。「先輩は、何を基準にしてるんです?」「決まった基準なんてないよ」「ないんですか?」「眠いなら寝る。小さいミスが続いたら一回止まる。なんか変だと思ったら車から降りる」「それでもダメなら?」「帰ることもある」「結局、自分で気付くしかない?」「そうだな」新人は苦笑した。「難しいですね」「難しいよ」「数字みたいに、ここまで来たら休憩って出れば楽なのに」「車に疲労メーターでも付いてればな」「赤くなったら強制休憩」「誰か作ってくれないかな」二人で笑った。 しばらくして、新人が言った。「でも、売上は数字で見えるんですよね」「うん」「あといくら足りないとか、今日は何件やったとか」「見えるな」「疲れは見えない」秋雄は頷いた。「そうだな」「だから売上の方を優先しちゃうのかな」「あるかもしれないな」新人は少し黙った。 「でも、事故をやったら売上どころじゃないですよね」 秋雄は新人を見た。「そうなんだよ」「車も止まるかもしれない」「うん」「仕事もできなくなるかもしれない」「そうだな」「相手がいたら、もっと大変ですし」秋雄は頷いた。 「だから俺は、売上を作ることと安全に帰ることを別々には考えてないよ」 「別々じゃない?」「無事に帰るところまでが、その日の営業だと思ってる」新人が少し考えた。「売上を作って、最後に安全運転するんじゃなくて?」「最初から最後まで全部込み」「なるほど」「どれだけ売れても、帰れなかったら困るだろ」「それはそうですね」 新人は自分の日報を見た。「この前、日報は次の乗務の作戦表だって言ってましたよね」「言ったな」「だったら、次の乗務ができる状態で帰ってこないと意味がない」秋雄が笑った。「そういうことだな」 新人は少し考えてから言った。「売上より先に、無事に帰れ」「なんだよ、急に」「いや、今の話をまとめると」「ずいぶん偉そうになったな」「先輩に教わったんですよ」二人で笑った。 売上は大事だ。件数も欲しい。あと一本できるなら、やりたい。 だからこそ、小さなミスに気付く。必要なら休む。一度、車から降りる。そして時には、あと一本をやめる。 仕事から逃げるためではない。明日もまた、ちゃんと仕事をするために。 売上より先に、無事に帰れ。 第11章終わり 来週月曜日10:00に更新
2026年08月21日
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第4話 あと一本をやめる「先輩、今日はもう上がるんですか?」営業所へ戻ってきた秋雄に、新人が声をかけた。「うん。今日はもういいかな」「でも、まだ少し早いですよね?」「ちょっと体調が良くなくてね」新人は時計を見た。「あと一本くらい、できそうじゃないですか?」「できるかもしれないな」「だったら、もったいなくないですか?」秋雄は笑った。「俺もそう思うよ」「じゃあ、なんで帰るんです?」「今日は、その一本をやめることにした」「あと一本を?」「うん」新人は少し不思議そうな顔をした。「先輩でも、売上は気になりますよね?」「そりゃ気になるよ」「あと少しで目標に届く日だったら?」「もっと気になる」「じゃあ、やりたくなりません?」「なるよ」新人は笑った。「全部なるじゃないですか」「なるから困るんだよ」秋雄も笑った。「あと一本って、不思議なんだよな」「何がです?」「一本だけって思ってても、どこへ行くか分からないだろ」「ああ……確かに」「近くで終わるかもしれない。遠くへ行くかもしれない」「それは分からないですね」「降ろしたところで配車が入るかもしれない」「そうなると、もう一本やりたくなるかもしれません」「だろ?」「一本だけのつもりが、二本、三本になる」「そういうこともある」新人は少し考えた。「でも、そこでやめればいいんじゃないですか?」「もちろん断れるよ」「だったら、あと一本くらい……」秋雄は少し黙った。「その一本で何もなければ、やってよかったって思うだろ?」「はい」「売上も増えますし」「そうだな」秋雄は新人を見た。 「でも、その一本でぶつけたら?」 新人の表情が変わった。「事故……ですか」「別に大きな事故じゃなくてもいい。ちょっと擦ったとか、何か見落としたとか」「はい」「その時、どう思う?」新人は答えなかった。「今日は調子が良くないって、自分で気付いてたんだぞ」「……ああ」「小さいミスも続いてた。休んでも、なんとなく戻らない。それでも『あと一本くらい』って走った」新人は黙って聞いていた。 「俺、それが一番嫌なんだよ」 「事故そのものより?」「事故はもちろん嫌だよ」秋雄は少し考えた。「でも、自分で気付いてたのに無視したってなったら、俺はたぶん後悔する」「走らなければよかったって?」「思うだろうな」新人は時計を見た。「あと一本やれば、売上は増えるかもしれない」「うん」「何も起きないかもしれない」「たぶんな」「でも、何か起きるかもしれない」「それはいつ走ってても同じだよ」「じゃあ……」新人は言葉を探した。「今日は、その可能性がいつもより気になる?」秋雄が頷いた。「俺はそう思ったから帰る」 新人は少し考えた。「でも、体調が悪いって言って早く帰るの、言いにくくないですか?」「最初はね」「会社になんて言うんです?」「そのままだよ」秋雄は笑った。「『あんまり体調が良くないので、今日は早めに上がります』って」「それだけですか?」「それだけ」「売上が足りなかったら?」「足りない日は足りないよ」「割り切れます?」秋雄は少し考えた。「毎回きれいには割り切れないよ」「ですよね」「帰りながら、あと一本できたかなって思う日もある」「やっぱり」「でも、帰るって決めた自分までひっくり返さないようにはしてる」「どうしてです?」 「調子が悪いって気付いたのも、自分だからな」 新人が秋雄を見た。「走りたい自分と、今日はやめた方がいいと思った自分がいる?」「そういうこと」「どっちを信用するか、ですか」「俺は、やめた方がいいって思った自分を無視しないようにしてる」新人は少し考えてから言った。「あと一本できるか、じゃないんですね」「うん?」「今の自分で、その一本をやるかどうか」秋雄は頷いた。「俺はそっちを考えるかな」 終業まで、まだ時間がある。あと一本くらいなら、できるかもしれない。その一本で何も起きなければ、売上は増える。 でも、今日は少しおかしい。そう自分で気付いていたのに走って、何かあったら。 あと一本をやらなかったことは、日報には残らない。売上にもならない。 それでも、その一本をやらずに帰るという選択もある。 明日10:00に更新
2026年08月20日
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第3話 一度、営業のリズムを切る「先輩、疲れてたら寝るっていうのは分かりました」待機所で、新人が秋雄に声をかけた。「うん」「でも、寝るほどじゃない時ってありません?」「あるよ」「眠くはない。体もそんなに重くない。でも、なんとなく調子が悪い」「あるな」「そういう時はどうするんです?」秋雄は少し考えた。「俺なら、いったん車を止めるかな」「休憩ですか?」「まあ、そうなんだけど。寝るほどじゃないなら、コーヒー飲んだり、トイレ行ったり」「それだけですか?」「それだけ」新人は少し拍子抜けした顔をした。「何か特別なことするのかと思いました」「何を期待してるんだよ」「いや、ベテランだけが知ってる疲労回復法とか」「そんなものがあったら、俺が教えてほしいよ」新人が笑った。「じゃあ、コーヒー飲んで終わりですか?」「コーヒーが大事なんじゃないんだよ」「というと?」 「一回、営業を切るんだよ」 新人が首をかしげた。「営業を切る?」「そう。車からいったん降りる」「車から?」「うん」「それが大事なんですか?」「俺は大事だと思ってる」秋雄は続けた。「車の中にいると、休んでるつもりでも仕事から離れられないんだよ」「どういうことです?」「空車が通れば見るだろ。お客さんが歩いてれば気になる。配車が入るかもしれないって思う」新人が頷いた。「確かに」「仕事が続いてる時なんて、頭の中もずっと次の仕事を探してる」「降ろしたら次はどこへ行く。配車が入るか。あそこに空車が何台いる。もう一本できるか」「そう。それがずっと続く」新人は少し考えた。「だから、車から降りる?」「うん。コンビニに入ってもいい。コーヒー買って外で飲んでもいい。トイレに行ってもいい」「とにかく一回、運転席から離れる」「俺はそうしてるよ」 新人が頷いた。「売れてる日は特に、車から降りたくないですよね」「そうなんだよ」「仕事が続いてるから、止まりたくない」「次があるかもしれないって思うからな」「でも、そういう時ほど自分が雑になってるのに気付かないこともある」「あるね」新人は少し考えた。「調子がいいから走れてるのか、止まれなくなってるだけなのか、分からなくなる?」「そういう時もあるな」 「でも、車から降りてる間に配車が入ったら、もったいなくないですか?」「もったいないと思うよ」「やっぱり」「でも、それを気にしてたら休めないだろ」「確かに」「一本逃したからって、その日の営業が終わるわけじゃない」新人は少し黙った。「でも、売上が足りない日は焦りますよ」「俺も焦るよ」「先輩でも?」「当たり前だろ」秋雄は笑った。「だから休まなくていい、にはならないけどな」新人は頷いた。「売上が悪いと、取り返そうとして動き回るじゃないですか」「あるな」「でも、それで余計にリズムを崩すこともある」「あるね」新人は少し考えた。「だったら一回車から降りて、仕切り直す」秋雄が頷いた。「俺はそうしてるよ」 新人は少し考えてから笑った。「なんか、休憩も営業の一部みたいですね」「そうかもな」 走る。乗せる。降ろす。また次を探す。それを繰り返していると、自分がどんな状態なのか分からなくなることがある。 そんな時は、車を止める。そして、いったん運転席から降りる。コーヒーでも飲んで、仕事の流れから少し離れる。 また走るかどうかは、そのあと決めればいい。 明日10:00に更新
2026年08月19日
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第2話 出庫したばかりでも寝る「先輩、この前の話なんですけど」待機所で、新人が秋雄に声をかけた。「小さいミスが続いたら、一回休むって話?」「そうです」「休んだ?」「休みましたよ」「寝た?」「いや、コーヒー飲んで少しぼーっとしてました」「それで?」「そのあとは普通に戻りました」「なら、よかったじゃん」新人は頷いた。「でも、ちょっと気になったんですよ」「何が?」「先輩、出庫したばかりでも休むって言ってたじゃないですか」「言ったな」「どのくらい早く休んだことあります?」秋雄は少し考えた。「出庫して、そんなに経ってないのに寝たことあるよ」「寝たんですか?」「寝た」新人が笑った。「早すぎません?」「そう?」「だって、仕事始めたばっかりですよ」「でも疲れてたんだよ」「出庫したばかりなのに?」秋雄は笑った。「またそこに戻るの?」「だって気になりますよ」 秋雄は少し考えてから聞いた。「お前、出庫する時って体力満タンなの?」 「いや……毎回ってわけじゃないです」「だろ?」「前の日にあまり寝られなかった日もありますし」「休みでも結構動いちゃったりな」「ありますね」「仕事が終わったら、疲れが全部消えるわけでもない」新人が頷いた。「そう考えると、出庫した時点で疲れてる日もありますね」「あるよ」「でも、仕事始めたばっかりだと休みにくくないですか?」「なんで?」「なんとなくですよ。まだ何もしてないのに休むのかって」「誰に言われるの?」「誰って……」新人は言葉に詰まった。「自分ですかね」「たぶんな」二人で笑った。 「俺も昔は、休むのがもったいないと思ってたよ」 「売上が止まりますもんね」「そう。休んでる間はメーター上がらないから」「だったら走りたくなりますよ」「でも、疲れてるのに走って、小さいミスを重ねたら?」新人の表情が少し変わった。「この前の俺みたいになりますね」「そういうこと」「それでも無理して走ったら……」秋雄は答えなかった。新人もその先は言わなかった。 しばらくして、新人が聞いた。「先輩は、そういう時どうするんです?」「疲れが溜まってるなと思ったら寝る」「どのくらい?」「時間を決めるより、いったん営業をやめる」「出庫したばかりでも?」「出庫したばかりでも」「お客さん探さない?」「探さない」「配車も?」「休むって決めたなら取らない」新人は少し驚いた。「そこまで切るんですね」「中途半端に休んでも、頭が仕事のままだからな」 新人は少し考えた。「休む時間も、自分で決めるってことですか」「そうだな」「売上が遅れてても?」「あとで取り返せるかもしれないだろ」「取り返せなかったら?」秋雄は笑った。「そういう日もあるよ」 新人も笑った。「先輩、そこはあっさりしてますね」「毎日全部うまくいくなら苦労しないって」 出庫した時刻は、仕事の始まりを示している。でも、自分の疲れまでそこから始まるわけではない。 まだ走り始めたばかりだから。まだ売上ができていないから。そんな理由で、自分の疲れを後回しにしない。 休む必要があるなら、出庫したばかりでも休めばいい。 明日10:00に更新
2026年08月18日
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第1話 小さいミスが続いたら「先輩、今日なんかダメなんですよ」待機所で、新人が秋雄に声をかけた。「売れてないの?」「いや、売上じゃなくて」「じゃあ何?」新人は少し考えた。「さっき曲がるところを通り過ぎたんです」「お客さん乗せて?」「はい。でも、すぐ気付いて謝って戻りました」「それは災難だったな」「それだけじゃないんですよ」新人は指を折りながら話し始めた。「その前は配車場所を一回勘違いして」「うん」「コンビニに入れようとしたら、駐車枠に一発で入らなくて」「うん」「さっきはお客さんに言われた行き先を、一回聞き返しました」秋雄が新人を見た。「珍しいな」「ですよね」「で、このあとどうする?」「どうするって……」新人は前に並んでいるタクシーを見た。「順番が来たら乗せますよ。せっかくここまで並んだんですから」「まあ、そうだよな」「売上だって、まだ全然できてませんし」秋雄は頷いた。「今日、何回ミスした?」新人がさっきの話を思い出した。「四つ……ですかね」「普段からそれくらいする?」「しませんよ」「じゃあ、なんで今日はするんだろうな」新人は少し考えた。「疲れてるんですかね」「かもしれないな」「でも、眠くないですよ」「眠くなければ疲れてないの?」新人は答えなかった。秋雄は続けた。「俺もあるよ」「先輩も?」「ある。道を一本間違えたり、いつもなら迷わないところで一瞬迷ったり」「はい」「車庫入れが妙に決まらなかったり」新人が笑った。「それ、今日の俺じゃないですか」「だから気になるんだよ」「一個なら、そんな日もある。二個目も、まあある」秋雄は少し間を置いた。「でも三つ、四つって続いたら、俺はちょっと疑う」「何をですか?」 「自分を」 新人が秋雄を見た。「自分?」「今日はいつもの俺じゃないかもしれない、って」「そんなこと考えるんですか?」「考えるよ」「まだ出庫したばかりでも?」「出庫したら、昨日までの疲れが全部消えるのか?」新人は少し考えた。「……消えないですね」「だろ?」前のタクシーが一台、客を乗せて待機所を出ていった。列が少し前へ進んだ。「じゃあ、先輩ならどうします?」「俺なら、この一本やったら休むかな」「今すぐじゃないんですか?」「せっかくここまで並んだんだろ?」「はい」「なら、順番が来たら一本やる。ただし、そのあと続けて走らない」新人は頷いた。「一本やって、いったん休憩」「そう」「まだ出庫したばかりでも?」 「疲れに出庫時刻なんて関係ないだろ」 新人は少し笑った。「確かに」また一台、前のタクシーが出ていった。新人は自分の車を少し前へ進めた。「じゃあ、この一本やったら休みます」「そうすれば?」「売上、遅れますけどね」「それは休んでから考えればいい」新人は頷いた。 大きな事故は起きていない。今日も普通に走れている。ただ、いつもならしない小さなミスが続いている。それも、自分から出ているサインなのかもしれない。 明日10:00に更新
2026年08月17日
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「先輩」「何?」「この連載、5話目だけ読めばいいんじゃないですか?」秋雄が新人を見た。「なんで?」「だって、最後にだいたい答えが出るじゃないですか」「まあ、出ることもあるな」「だったら最初から5話目を読めば早いですよね」「いいんじゃない?」新人が少し驚いた。「いいんですか?」「読む順番なんて、俺が決めることじゃないだろ」「ですよね」「5話目だけ読んで分かるなら、それでいいよ」新人は少し得意そうな顔をした。「やっぱりそうですよね」「うん」秋雄は頷いた。「で、明日それ使える?」新人の顔が止まった。「……え?」「読んだ答え。明日、自分で使える?」「それは……」「今日と同じ条件なら使えるかもしれないな」「はい」「でも、時間が違ったら?」「変わるかもしれません」「曜日が違ったら?」「それも」「天気が違ったら?」「……変わりますね」「じゃあ、どうする?」新人は黙った。 秋雄が笑った。「答えを先に知るのが悪いって言ってるんじゃないよ」「はい」「俺だって、分からない漢字があったら読み方だけ教えてほしいし」「僕もです」「パソコンの操作が分からなかったら?」「やり方だけ早く教えてほしいです」「だろ?」「はい」「答えだけで済むこともあるんだよ」 新人は少し考えた。「でも、この仕事は違う?」「違うことが多いかな」「なんでです?」「同じ場面が、あんまりないから」「なるほど」「昨日うまくいったことが、今日もうまくいくとは限らない」「はい」「俺がうまくいったことを、お前がそのままやってうまくいくとも限らない」新人が秋雄を見た。「じゃあ、先輩の話を聞いても意味ないじゃないですか」「そうなる?」「だって、同じようにやってもダメかもしれないんでしょ?」「同じことをするために聞くならな」「じゃあ、何を聞くんです?」秋雄は少し考えた。「なんで、そうしたのか」 新人が黙った。 「どこへ行ったかじゃなくて、なんでそこへ行ったのか」「はい」「待ったか、動いたかじゃなくて、なんでそう決めたのか」「はい」「それなら条件が変わっても、自分で考える材料にはなるだろ?」新人は頷いた。「なるほど」「だから5話目だけ読んで、そこまで分かるなら」「分かるなら?」「俺は何も言わないよ」新人が苦笑した。「なんか言い方がずるいなあ」「そう?」「最初から読めって言われた方が、まだ素直に読めますよ」「じゃあ、最初から読め」「急に言うんですか」二人で笑った。 答えだけ知りたい時はある。 読み方の分からない漢字。パソコンの計算式。スマートフォンの操作。 そんな時まで、最初から全部勉強し直す必要はない。 でも、判断の仕方まで知りたいなら、最後に出てきた答えだけでは足りないことがある。 何を見たのか。何を考えたのか。どこで迷ったのか。なぜ、その答えになったのか。 たぶん、持って帰ってほしいのは、そちらの方だ。 だから、5話目から読んでも構わない。 ただし。 途中に何か落ちていても、こちらは拾って届けませんので。 番外編 おわり
2026年08月16日
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第5話 次の乗務で一つだけ変える「先輩、昨日の日報、見直してみました」新人が言った。秋雄は振り返った。「へえ。珍しい」「珍しいって何ですか」「いや、ちゃんと続いてるなと思って」「一応、言われたことはやってますよ」「一応ね」新人は少し笑って、日報を広げた。「売上だけじゃなくて、件数と、仕事のつながりと、空白時間も見ました」「うん」「配車でつながったところと、自分で動いたところと、たまたま長かったところも分けてみました」秋雄は頷いた。「で?」新人は少し考えた。 「直したいところが、いっぱい出てきました」 「だろうな」「ここは戻らなくてもよかったかもしれないし」新人が一か所を指した。「ここは待ちすぎた気がするし」別のところを指した。「この辺は休憩を入れた方がよかったかもしれません」「うん」「あと、こっちは……」秋雄が手を上げた。「ちょっと待て」「はい?」「全部やる気か?」「ダメですか?」「明日の乗務で?」「せっかく気付いたんだから、直した方がいいでしょう?」秋雄は笑った。 「一つでいいよ」 「一つ?」「うん」「でも、他にも直すところありますよ」「あるだろうな」「だったら……」「全部いっぺんに変えたら、何が良かったのか分からなくなるだろ」新人が黙った。「それに、そんなに考えながら運転してたら疲れるぞ」「ああ……」「タクシーは試験じゃないんだから」 新人は日報を見た。「じゃあ、一つだけ選ぶんですか?」「俺ならそうする」「どれがいいですか?」「それも自分で決めろよ」「またそれですか」新人は苦笑した。秋雄も笑った。「明日の自分が一番変えやすそうなところでいいんじゃないか」新人はしばらく日報を眺めた。「じゃあ……」一か所を指した。「一本終わるたびに、同じ乗り場へ戻るのをやめてみます」「やめる?」「いや、必ず戻らないって意味じゃなくて」「うん」「降ろした場所で、まず次の仕事がないか考えてみる」秋雄は頷いた。「それならいいんじゃないか」 「で、次の日報で確認する?」 「はい」「うまくいったら?」「続ける」「ダメだったら?」「戻すか、また考える」「それでいい」新人は少し嬉しそうに日報を閉じた。 しばらくして、また開いた。「先輩」「なんだ?」「日報って、反省するためのものだと思ってました」「違うの?」「いや、反省もするんですけど」新人は言葉を探した。「なんていうか……次にどうするか考えるためのものなんですね」秋雄は少し笑った。「そうだな」 「今日の点数表じゃない」 新人が顔を上げた。秋雄は日報を指した。 「次の乗務の作戦表だ」 新人はその言葉を少し考えてから頷いた。「じゃあ、売上が低かった日も?」「材料になる」「売上が高かった日も?」「もちろん」「配車で売れた日も?」「見る」「当たりを引いた日も?」「ありがたく喜んでから見る」新人が笑った。 「結局、全部見るんですね」「せっかく一日走ったんだからな」 新人は日報をしまった。「じゃあ明日は、一つだけ試してみます」「うん」「ちゃんと休憩も入れながら」秋雄は頷いた。「それが一番大事かもしれないな」「売上より?」秋雄は少し考えた。 「無事に帰ってこないと、次の日報はないからな」 新人は一瞬黙ってから、「それ、先に言ってくださいよ」と笑った。秋雄も笑った。 日報は、その日の終わりに書く。でも、そこに残っているのは、終わった仕事だけではない。 次の乗務で試せることも残っている。 第10章終わり来週月曜日10:00に更新
2026年08月14日
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第4話 当たった判断が正しいとは限らない「先輩、今日は売れましたよ」新人が少し得意そうに日報を見せた。秋雄は一番下の金額を見た。「お、いいじゃん」「ですよね」「今日は何が良かった?」新人の顔が止まった。「何がって……売れたことじゃないですか?」「それはそうなんだけど」秋雄は日報を上から追った。「この長いの、結構いったな」「当たりでした」「いいなあ」「今日は運が良かったです」秋雄は頷いた。 「じゃあ、この一本がなかったら?」 新人は日報を見た。しばらく計算してから苦笑した。「だいぶ違いますね」「だろ?」「でも、長いのを引いたのも今日の売上ですよね?」「もちろん」「じゃあ、喜んでいいんですよね?」「喜べばいいじゃん」「なんだ。てっきり怒られるのかと思いました」二人で笑った。 新人はもう一度、日報を見た。「でも……」「うん?」「この売上って、全部同じ『売れた』なんですかね」秋雄は新人を見た。「どういうこと?」新人は一行を指した。「これは長いのをたまたま引いた」別のところを指した。「こっちは配車が続いた」さらに別の行を見る。「ここは、降ろしたあとに自分で場所を変えて乗せた」「うん」「なんか、同じ売上でも中身が違いますね」 秋雄は少し笑った。「そう見える?」「はい」 新人は日報を上からたどっていった。「ここは配車ですね」「そうだな」「一本終わったら、また次の配車が入ってる」「うん」「この辺は、ほとんど自分で考えずに走ってますね」秋雄は首を振った。「でも、配車には協力したんだろ?」「はい」「なら、それで仕事がつながった日だな」新人は頷いた。「じゃあ、配車で売れたのも悪くないんですね」「悪くないよ」「タクシーが少なくて、配車がどんどん入るなら、その方が効率いいこともありますよね?」「そういう地域もあるな」「配車係を意識して走っていれば、仕事をつないでもらえる」「うん」「それで十分売れるなら、無理に自分で探さなくてもいい」「そういうこと」 新人は少し考えた。「でも、車が増えて配車が減ったら?」秋雄は何も言わなかった。新人は日報を見たまま続けた。「自分でも仕事をつながないと、売上が作りにくくなる」「かもしれないな」 新人は今度は別の一行を指した。「ここは、降ろしたあとに自分で動いたところです」「なんで動いた?」「その時間なら、元の乗り場へ戻るより、こっちの方が仕事になるかなと思って」「で?」「乗りました」「じゃあ、それは?」新人は少し考えた。「自分の判断がうまくいったところ、ですかね」秋雄が頷いた。「そうだな」 新人は指で日報を追った。「長いのは、ありがたい当たり」「そうだな」「配車が続いたところは、配車に協力して仕事がつながった」「うん」新人はもう一つの行を指した。「で、自分で動いて乗せたところは、自分の判断がうまく働いた」「そういう見方でいいんじゃないか」 新人は日報を眺めながら笑った。「こうやって見ると、今日の売上って一種類じゃないんですね」「そうだな」「先輩、最初から分かってたでしょう?」秋雄は笑った。「さあな」「絶対分かってましたよね」「自分で気付いた方が忘れないだろ」 新人は日報をもう一度見た。売上の数字は一つ。でも、その数字の中には、配車でつながった仕事も、自分で考えて動いた仕事も、偶然の当たりも入っている。 どれか一つだけが正しいわけではない。その日の売上が、何からできていたのか。ただ分けて見てみる。 「日報って、思ったより色々書いてありますね」秋雄が笑った。「数字しか書いてないけどな」 明日10:00に更新
2026年08月13日
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第3話 空白時間を見ろ「先輩、昨日言ってた『間』って、ここですか?」新人が日報の時刻を指さした。前の仕事を終えてから、次のお客さんを乗せるまで。四十分ほど空いている。「そう。そこ」「四十分も空いてますね」「何してた?」「駅で待ってました」「ずっと?」「はい」秋雄は日報を見た。「じゃあ、こっちの三十分は?」「昼飯です」「こっちは?」「トイレ行って、コーヒー飲んでました」新人が苦笑した。「空白だらけですね」 「全部、一緒にするなよ」 「え?」「同じ三十分でも、中身が違うだろ」秋雄は最初の空白を指した。「これは待ってた三十分」次を指した。「これは飯を食ってた三十分」さらにその次。「これは休憩してた三十分」「でも、売上は全部ゼロですよ」「売上だけ見ればな」新人が日報を眺めた。「じゃあ、空白時間は短い方がいいってわけじゃないんですか?」「もちろん短い方が仕事はつながってる」「ですよね」「でも、ゼロにしようとするな」 新人が顔を上げた。「ゼロじゃダメなんですか?」「いつ飯食うんだよ」「あ」「トイレは?」「行きます」「疲れたら?」「休みます」「だろ?」 秋雄は椅子の背にもたれた。「いい日報ってな、ずっと実車が並んでる日報じゃないんだよ」「違うんですか?」「仕事と仕事の間が短くて、その中に待機と休憩がちゃんと入ってる」「休憩も?」「入ってた方がいい」新人は少し意外そうな顔をした。 「休憩まで削って売上作って、事故ったら何にもならないだろ」 新人が黙った。「タクシーって、仕事が続くと止まりづらいんだよ」「分かります」「売れてる日は特にな」「もう一本、もう一本ってなります」「そう。それが怖い」秋雄は日報を指で叩いた。「だから、空白を見る時は『何分空いてる』だけじゃなくて、『その時間を何に使ったか』を見る」「待機なのか」「うん」「移動なのか」「うん」「休憩なのか」「そう」新人は少し考えた。「何となく時間が過ぎてた、っていうのもありますね」「それもある」 「一番見るべきなのは、そこかもしれないな」 「何となく過ぎた時間?」「そう」「待つと決めて待ったなら、自分の判断だ」「はい」「休むと決めて休んだなら、それも自分の判断」「はい」「でも、どうしようかなって考えてるうちに四十分経ってたら?」新人が笑った。「……ありますね」「俺もあるよ」「先輩も?」「あるに決まってるだろ」二人で笑った。 秋雄は日報を新人に返した。「空白時間を見るって、自分を責めるためじゃない」「じゃあ?」「自分で使った時間だったか、何となく消えた時間だったかを見るんだよ」 新人は日報の時刻を、もう一度追い始めた。仕事をした時間だけではない。待った時間。動いた時間。休んだ時間。そして、何となく過ぎてしまった時間。 日報には、売上にならなかった時間まで残っていた。 明日10:00に更新
2026年08月12日
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第2話 何件乗せた? 「先輩、昨日の続きなんですけど」 「うん」 「売上だけじゃ、その日の営業が良かったか悪かったか分からないって話」 「そうだな」 新人は日報を広げた。 「で、先輩は最初に『何件乗せた?』って聞きましたよね」 「聞いた」 「なんで件数なんですか?」 秋雄は少し考えてから言った。 「売上を分解するためだよ」 「分解?」 「たとえば同じ三万円でも、三件で三万円と、十五件で三万円じゃ中身が全然違うだろ」 「ああ」 「一本一万円級が三本なら、かなり偏ってる」 「確かに」 「逆に十五件なら、短いのも混じってるだろうけど、それなりに仕事が続いてる」 新人は日報を見た。 「じゃあ、件数が多い方がいいんですか?」 「そうとも限らない」 「またですか」 「タクシーは、すぐ○か×かにしたがるな」 「分かりやすい方がいいじゃないですか」 「分かりやすいけど、雑になる」 秋雄は新人の日報の一行を指した。 「ここ。一本やってるな」 「はい」 「で、このあと?」 「また同じ乗り場に戻りました」 「次も?」 「戻りました」 「その次も?」 新人は黙って日報を見た。 「……戻ってますね」 秋雄は笑った。 「お前、今日ずっとその乗り場に飼われてたのか?」 「飼われてたって……」 「だって、一本終わるたびに帰ってるじゃん」 「そこなら乗ると思ったんですよ」 「それで乗れたなら、その判断自体は間違いじゃない」 「じゃあ、いいじゃないですか」 「でも、それしかやってないなら話は別だ」 新人が首をかしげた。 「どういうことです?」 「降ろした先で次の仕事につながる日ってあるだろ」 「あります」 「乗り込みでも、配車でもいい。降ろして、少し動いたら次が入る。また降ろした先で次が出る」 「ありますね」 「そういう日は、売上がそこまで高くなくても、俺は悪くないと思う」 「なんでです?」 「仕事が流れてるからだよ」 新人はもう一度、日報を上から見直した。 「じゃあ、件数を見るっていうのは、何本やったかだけじゃないんですね」 「そう」 「どうつながったかも見る」 「そういうこと」 秋雄は続けた。 「一本終わるたびに、長い空車で元の場所へ戻ってるのか」 「はい」 「それとも、降ろした場所を次の営業のスタート地点にできてるのか」 「はい」 「同じ十件でも、ずいぶん違うだろ」 新人は少し笑った。 「日報って、数字ばっかり見てました」 「普通はそうなる」 「売上と件数だけ」 「でも、件数もただ数えればいいわけじゃない」 秋雄は日報を閉じた。 「何件乗せたかより、どう仕事がつながったか」 「そこを見るんですね」 「うん」 「じゃあ次は?」 秋雄は時計を見た。 「次は、その間だな」 「間?」 「一本終わってから、次の一本まで何してたか」 新人は日報を見た。 数字と数字の間にある時間が、急に気になり始めた。 明日10:00に更新
2026年08月11日
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第1話 今日はダメでした「先輩、今日はダメでした」営業所に戻ってきた新人が、日報を見ながらため息をついた。秋雄は自分の片付けをしながら聞いた。「いくらだった?」新人が今日の売上を答える。「なるほど」「やっぱりダメですよね」 「いや。まだ分からん」 「え?」秋雄は新人の日報を指さした。「何件乗せた?」「件数ですか?」「そう」新人は日報を上から数え始めた。「一、二、三……」「先輩、売上聞いたじゃないですか」「聞いたよ」「じゃあ、だいたい分かるでしょう?」 秋雄は首を振った。「売上だけじゃ、その日の営業が良かったか悪かったか分からないんだよ」 「でも、給料は売上で決まりますよね?」「決まる」「だったら売上が低ければ、ダメな日じゃないですか」「会社から見ればな」新人が少し困った顔をした。「自分から見たら違うんですか?」「違う」 秋雄は新人の日報をもう一度見た。「売上が低くても、悪くない営業をした日はある」「逆に売上が高くても、あんまり参考にならない日もある」 「売上が高いのに?」「たまたま長いのを一本引いたとか」「ああ……」「配車が一日中つながって、配車係に使われるまま走ってたら売上ができたとか」「それ、いい日じゃないんですか?」「いい日だよ。売上的にはな」「じゃあ、何がダメなんです?」「ダメとは言ってない」秋雄は笑った。 「明日も同じことができるかって話だよ」 新人が黙った。「たまたま引いた長い仕事を、明日も引く方法なんてないだろ?」「……ないですね」「配車だって、明日も同じだけ入るとは限らない」「はい」「だから日報を見る時は、売上の数字だけ見て一喜一憂しない」秋雄は日報の一か所を指でなぞった。「どこで乗せて、どこで降ろしたか」その次を指した。「降ろしてから、次のお客さんまで何をしてたか」さらにその次。「それがどうつながって、一日の売上になったか」新人も日報をのぞき込んだ。「そんなところまで見るんですか?」「見る」 「日報は売上表じゃないからな」 「じゃあ、何なんです?」秋雄は答えず、新人に日報を返した。「まず自分で見てみろ」「何をです?」「今日、お前がどうやって仕事してたのか」 新人はもう一度、自分の日報を開いた。さっきまで一番下の売上金額しか見ていなかった紙に、乗車時刻と降車時刻が並んでいる。 同じ一日の記録なのに、少し違って見えた。 明日10:00に更新
2026年08月10日
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第5話 タクシーは、そんなに難しくない 新人が一件の仕事を終えて、営業所へ戻ってきた。 「先輩、さっきのお客さんに、安心して乗れましたって言われました」 「よかったな」 「でも、特別なことは何もしてないんです」 「何をした?」 「最初に挨拶して、走り出す前に道を確認しました」 「それから?」 「急ブレーキをかけないようにして、目的地まで普通に走りました」 「ほかには?」 「降りる時に、ありがとうございましたって言いました」 「十分じゃないか」 新人は、拍子抜けしたような顔をした。 「そんなことでいいんですか?」 「そんなことでいいんだよ」 秋雄は、自分の車のボンネットに落ちていた小さなゴミを拾った。 「タクシーなんて、そんなに難しい仕事じゃない」 「でも、道も覚えないといけないし、売上も考えないといけませんよね?」 「もちろん、それも必要だよ」 「やっぱり難しいじゃないですか」 「難しく考えることと、やるべきことを雑にするのは別だ」 新人は、少し考えた。 秋雄は、指を折りながら続けた。 「車をきれいにする」 「はい」 「臭いに気をつける」 「はい」 「挨拶して、感じよく接する」 「はい」 「安全に目的地まで送る」 「はい」 「まずは、それを毎回やる」 新人は、そこで黙った。 「一回なら、僕にもできます」 「一回できたなら、次もやればいい」 「毎回ですか?」 「毎回だよ」 秋雄は、拾ったゴミを捨てた。 「普通のことを普通にやる。 それだけで選ばれることがあるのが、この仕事だよ」 新人は、自分の車を振り返った。 「難しく考えすぎなくていい。 でも、普通のことを雑にしちゃいけない」 「そういうこと」 秋雄は運転席のドアを開けた。 「じゃあ、次の一件も感じよく行ってこい」 「心の底からじゃなくても?」 「お客さんが乗っている間でいいよ」 第9章終わり 来週月曜日10:00に更新
2026年08月07日
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第4話 難しい営業論の前にやること 新人は、休憩室でノートを広げていた。 駅の到着時刻。 病院の診察終了時間。 配車が入りやすかった場所。 待機した時間と、乗せた件数。 秋雄が、横からノートをのぞいた。 「ずいぶん勉強してるな」 「どこで待てば売上が上がるか、整理してるんです」 「悪くないな」 「ほかに覚えた方がいいこと、ありますか?」 「あるよ」 「何ですか?」 「後ろの窓を拭け」 新人は顔を上げた。 「窓ですか?」 「手の跡がついてる」 二人で駐車場へ出ると、新人の車の後ろの窓には、薄く指の跡が残っていた。 「こんなの、お客さんは気にしますかね?」 「気にしない人もいる」 「じゃあ……」 「気にする人もいる」 秋雄は、後部座席の足元を見た。 「マットにも砂が残ってるな」 「売上に関係あります?」 「直接いくら増えるかは、俺にも分からないよ」 新人は、少し安心したような、困ったような顔をした。 「ただ、難しい営業論を覚える前に、減らせる不快感は減らしておけ」 「新しい車じゃないとダメですか?」 「そんなことはない」 秋雄は、自分の車を指した。 「俺の車だって新しくはない。 でも、古い車と汚れた車は同じじゃないだろ」 新人は布を持ってきて、窓を拭き始めた。 「車をきれいにして、臭いに気をつけて、挨拶をする」 「それから、感じよく安全に送る」 「そんなことで、選ばれるんですか?」 「選ばれることはあるよ」 秋雄は、新人が拭いた窓を確認した。 「普通のことを普通にやる運転手なら、この人に頼んでも大丈夫そうだと思ってもらえるからな」 新人はノートを閉じた。 「今日は営業分析より、掃除ですね」 「窓を拭きながら考えればいいよ」 明日10:00に更新
2026年08月06日
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第3話 感じよくやれば、それでいい 休憩中、新人が缶コーヒーを飲みながら言った。 「毎回、感じよく接するのって難しくないですか?」 「難しい日もあるな」 「先輩でも、機嫌が悪い日はあります?」 「あるよ。 人間だからな」 「でも、お客さんには見せないんですよね?」 「なるべくな」 新人は、少し納得できない顔をした。 「それって、無理に愛想よくしてるだけじゃないですか?」 「それでいいんだよ」 「表面的でもいいんですか?」 「いいよ」 秋雄は、残っていたコーヒーを飲み干した。 「心の底から感じのいい人になる必要はない。 お客さんが乗っている間、感じよくやればいい」 「なんだか、嘘をついてるみたいです」 「お客さんに、自分の内面を披露する仕事じゃないからな」 「内面を披露する仕事じゃない……」 「疲れていても、最初に挨拶する。 聞かれたことには穏やかに答える。 乱暴な運転をしない。 降りる時まで態度を崩さない」 「それが接客ですか?」 「接客だよ」 秋雄は、空になった缶をゴミ箱へ入れた。 「お客さんだって、運転手に心から好かれたいわけじゃない」 「そうなんですか?」 「嫌な思いをせず、安全に目的地へ着きたいんだよ」 新人は、自分の缶コーヒーを見つめた。 「じゃあ、無理に面白い話をしなくてもいい?」 「頼まれてもいない自分語りもしなくていい」 「黙っていてもいい?」 「感じよく黙っていればな」 新人が笑った。 「それなら、僕にもできそうです」 「機嫌は自分の荷物だ。
2026年08月05日
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第2話 お客さんは乗る前に実力を知らない 新人は、秋雄が運転するワゴン車を見ながら言った。 「僕も地理を覚えたら、予約を任せてもらえますかね?」 「それは会社に聞かないと分からないな」 「じゃあ、接客を磨けばいいんですか?」 「それも大事だよ」 「やっぱり、選ばれる運転手になるには、いろいろ必要なんですね」 秋雄は、ワゴン車の窓を拭きながら聞いた。 「お客さんは、乗る前にお前の実力を知ってるか?」 「知りません」 「道を知ってるかどうかは?」 「分かりません」 「運転がうまいかどうかは?」 「それも、乗ってみないと分かりません」 「じゃあ、お客さんは何を見て、この車なら大丈夫そうだと判断する?」 新人は、しばらく考えた。 「車ですか?」 「そうだな」 「ほかには……運転手の見た目?」 「車が汚れていないか。変な臭いがしないか。 ドアが開いた時に、ちゃんと挨拶するか」 秋雄は、拭き終えた窓を外から確認した。 「表情や声の調子も見られてる」 「そんな短い時間でですか?」 「短い時間だからこそだよ」 「でも、本当の実力とは関係ないですよね?」 「関係ないようで、関係ある」 秋雄は布を畳んだ。 「実力は、乗ってからじゃないと分からない。 でも、感じの悪さは、乗る前に伝わることがある」 新人は、自分の車の方を振り返った。 「乗ってもらってからが接客だと思ってました」 「ドアが開く前から始まってるよ」 「最初の数秒で、大丈夫そうか見られてるんですね」 「そういうこと」 秋雄は、もう一度ワゴン車を眺めた。 「お客さんは、運転手の経歴書を読んで乗るわけじゃない。 目の前にある車と、最初の挨拶で判断するしかないんだよ」 明日10:00に更新
2026年08月04日
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第1話 どうして先輩に予約が入るんですか 営業所へ戻ると、秋雄は配車係からワゴン車の鍵を渡された。 新人が、不思議そうにその様子を見ていた。 「先輩、今日はいつもの車じゃないんですか?」 「予約が入ってるんだよ」 「また予約ですか」 新人は、少し考えてから聞いた。 「先輩って、どうして予約の仕事を任されるんですか?」 「どうしてって?」 「道をよく知ってるとか、接客がうまいとか。何か特別な理由があるんですよね?」 秋雄は、受け取った鍵を見ながら答えた。 「タバコを吸わないから、ってこともあるよ」 「えっ、それだけですか?」 「それだけ、とは言えないな」 秋雄はワゴン車のドアを開けた。 「車の中は、逃げ場がないからな」 「逃げ場?」 「電車なら席を移れる。店なら外へ出ることもできる。 でも、タクシーは目的地に着くまで降りにくいだろ」 新人は、後部座席をのぞき込んだ。 「タバコを吸わないことも、接客になるんですか?」 「吸わないことが偉いわけじゃない。 臭いがしない車を用意してほしい、という予約もあるってことだよ」 「もっと特別な技術が必要なのかと思ってました」 「俺が特別に優秀だから選ばれたと思った?」 「少しだけ」 「期待させて悪かったな」 新人は笑った。 秋雄は、車内の臭いを確かめるように息を吸った。 「でもな、こういう単純な条件で仕事が決まることはある」 「単純な条件……」 「難しい営業論を考える前に、まず、お客さんが安心して乗れる車にしておくことだよ」 明日10:00に更新
2026年08月03日
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第5話 謝るだけでは、自分が削れる「じゃあ、新人のうちは謝り続けるしかないんですね」新人が言った。「そんな訳あるか」秋雄は、すぐに否定した。「謝るだけでは、自分が削れていく」道を間違えるたびに謝る。お客様の希望と違う道を走り、そのたびに謝る。分からない場所へ向かい、同じような失敗を繰り返す。それでは、仕事をすること自体が嫌になってしまう。「だから、地理を覚えるんだ」秋雄は言った。「一度教わった店を覚える。目印を覚える。いつも使われる道を覚える」「接客対応も必要ですか?」「走り出す前に希望を聞けば、食い違いを防げる。説明の仕方を覚えれば、お客様を不安にさせずに確認できる」地理を覚えて、間違いを減らす。接客対応を磨いて、食い違いを防ぐ。それでも起きた失敗は、きちんと謝って立て直す。「ベテランになれば、謝らなくて済みますか?」「ベテランだって謝るよ」秋雄は答えた。「ただし、同じ準備不足で何度も謝らないようにする」「謝る回数を減らすんですね」「そうだ」秋雄は新人を見た。「謝るのは、新人が通る道だ。そこに住みつくな」そして、もう一度言った。「謝り方を覚えるのが最初の仕事なら、謝らなくて済む自分を作るのが、その次の仕事だ」第8章終わり来週月曜日10:00に更新
2026年07月31日
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第4話 謝ったら死ぬ病「でも、先に謝ったら、僕が全部悪いみたいになりませんか?」新人が言った。秋雄は、少しだけ首を傾けた。「世の中には、謝ったら死ぬ病に罹っている人が結構いる」「そんな病気があるんですか?」「医学書には載ってない。しかも、患者本人には自覚がない」新人は困った顔をした。「道を間違えても謝らない。ナビが悪い。お客様の説明が悪い。会社が教えなかった。自分以外の何かを悪者にしないと気が済まない」秋雄は、新人の顔を見た。「キミはそうなのか?」「違いますよ」「なら、自分の確認が足りなかった時は謝れ。道を間違えた時も謝れ」「謝れば済むんですか?」「謝るだけじゃ済まない」まず、自分の確認不足を認める。それから、正しい目的地とルートを確認する。どのように戻るのか、お客様へ伝える。「申し訳ありません、だけではダメなんですね」「当たり前だ」秋雄は言った。「すみませんを何回並べても、車は目的地に着かないからな」謝ることは、話を終わらせるためではない。お客様と運転手が、もう一度同じ目的地へ向かうために必要なことだった。明日10:00に更新
2026年07月30日
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第3話 道を知っているふりをするな「知らない場所を言われた時は、どうすればいいんですか?」新人が尋ねた。「確認すればいい」「でも、運転手なのに知らないと思われますよ」「知ったふりをして、反対方向へ走るよりいいだろ」新人は返事をしなかった。行き先の名前を聞いたことはある。しかし、正確な場所までは分からない。そんな時、新人は黙ってナビを操作してしまう。「何も言わずに画面を触り始めたら、お客様は不安になる」「分かりません、と言えばいいんですか?」「言い方がある」秋雄は、お客様へ話すように言った。「申し訳ありません。場所を正確に確認させてください」続けて、ナビを操作するしぐさをした。「こちらの施設で間違いないでしょうか」「それなら、知らないとは言っていませんね」「知らないことをごまかしてもいない」目的地を正確に確認する。ナビで場所を見る。必要なら、お客様へ目印を聞く。分からないまま発車するより、その場で確認した方がいい。「確認するのは、恥ずかしいことじゃないんですね」「確認しないで走る方が恥ずかしい」秋雄は言った。「道を知らないことより、知らない道を知っているふりして走る方が危ないんだよ」明日10:00に更新
2026年07月29日
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第2話 希望を聞くのと、丸投げは違う翌日。新人は、お客様へ希望の道を聞いた。教わった通りに実践したはずだった。ところが、お客様から少し嫌な顔をされたという。「何て聞いたんだ?」秋雄が尋ねた。「どの道を通ればいいですか、と聞きました」「それは、道案内を丸投げしただけだ」「希望を聞けと言ったじゃないですか」「希望を聞けとは言った。お客様に運転手をやらせろとは言ってない」新人は黙った。「ご希望のルートはありますか、と聞くんだ」「同じことじゃないんですか?」「違う」お客様に希望があれば、その道を確認する。特に希望がなければ、運転手が道を考える。「お任せしますと言われたら、どうするんですか?」「では、大通りを経由してまいります。そう伝えればいい」「ナビ通りで行きます、ではダメですか?」「ナビを参考にして決めるのはいい。だが、お客様へ説明するのは運転手だ」お客様に希望を聞くのは、責任から逃げるためではない。どの道を使うか、走り出す前に認識を合わせるためだ。「希望を聞いて、最後は自分で決めるんですね」「そうだ」秋雄は言った。「希望を聞くのと、道案内を丸投げするのは違う。運転するのは、お前なんだからな」明日10:00に更新
2026年07月28日
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第1話 走り出す前に聞け「先輩。お客様に、いつもの道と違うと言われました」営業所へ戻ってきた新人が言った。「いつ言われたんだ?」「大きな交差点を曲がったあとです」「それじゃ遅い」「でも、行き先はちゃんと聞きましたよ」「行き先と、そこまでの道は別だ」同じ目的地へ向かうにも、道は一つではない。距離の短い道。混雑を避ける道。お客様が普段から使っている道。「お客様から希望を言ってくれればいいのに」「言わない人もいる。運転手なら、いつもの道で行ってくれると思っている人もいるからな」「じゃあ、どう聞けばいいんですか?」秋雄は答えた。「ご希望のルートはありますか」「いつも使っている道はありますか」「この二つを、走り出す前に聞くんだ」「ナビを設定してからですか?」「目的地を確認して、ナビで場所とルートを見る。その上で、お客様の希望を聞けばいい」「特に希望がないと言われたら?」「自分が使う道を伝えてから走り出す」新人は、小さくうなずいた。「道を間違えないために聞くんですね」「それだけじゃない」秋雄は言った。「お客様と運転手が、同じ道を考えているか確認するために聞くんだ」車が走り出してからでは、戻るにも距離と料金がかかる。「ルートの食い違いは、走り出す前なら防げる」秋雄は新人を見た。「だから、走り出す前に聞け」明日10:00に更新
2026年07月27日
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第5話 お力になれれば「じゃあ、新人のうちは駅へ行かない方がいいんですね」「基本はな」秋雄は答えた。「地理を覚えないまま、駅のタクシープールへ並び続けるのは勧めない」「やっぱり、駅は禁止ですか?」「禁止とは言ってない」秋雄は続けた。「タクシープールに空車が一台もいなくて、お客様が並んでいる時は行け」「そこが試験会場なんですよね?」「試験のために、お客様を使うな」新人は、少し黙った。「空車がなくて、お客様が困っている。だから応援に入るんだ。その仕事が、結果として自分の地理の試験にもなる」「知らない行き先を言われたら、どうするんですか?」「事情を正直に伝えて、丁寧に確認する」秋雄は、お客様へ話すような口調で言った。「普段、この辺りでは営業していないのですが、駅に空車がなかったので、少しでもお力になれればと思いまして」それから、続けた。「ご希望のルートはありますか。いつも使っている道はありますか」「それなら、多少は教えてもらえますかね」「お客様へ道案内を丸投げするんじゃないぞ。ナビで目的地を確認して、お客様の希望を聞いて、自分でルートを考えるんだ」配車で地理を覚える。空車がいない駅で、自分の地理を試す。分からなかった場所は、次に覚える。その繰り返しで、営業できる地域は少しずつ広がっていく。「先輩」「何だ」「ナビがあれば、道を知らなくても仕事を始められますか?」「始めることはできる」新人の表情が、少し明るくなった。秋雄は続けた。「でも、道を知らないままで続けられる仕事じゃない」第7章終わり次の章は来週月曜日10:00更新
2026年07月24日
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