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モーツァルト :ヴァイオリン協奏曲第1、2、5番【送料無料】 Mozart モーツァルト / ヴァイオリン協奏曲第1、2、5番 J.フィッシャー、クライツベルク&オランダ室内管 輸入盤 【SACD】
2020年11月30日
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天皇は不執政ですらなかった。天皇が不執政でありえたのは、朝廷で、誰かが天皇に代わって執政していたからである。ところがいまや、朝廷が制の対象を失っているのだ。朝廷から政治が消えてしまっているのである。天皇が執政か不執政かということは、およそ問題にもならない。朝廷が消滅したというのは、このような意味においてである。そこまで念を押しておくと、その近世徳川期に、天皇と朝廷とが存在していたことの異様さが、改めて重大なものとしてのしかかってくる。天皇は、不執政の伝統に従って生き続けているのではない。不執政ですらなくなっても、なお生きのびており、こともあろうに、廷臣たちを自分の周囲に配置しているのである。これはいったい何であるか。(松浦玲『日本人にとって天皇とは何であったか』)ここで松浦が投げかける問いは、普通一般に想像されるよりはるかに重い。大方の天皇不親政論は、この事実、この問いによって論理的に破産を宣告される。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P154)
2020年11月30日
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モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲集モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲集(第1番ー第5番) [ アルテュール・グリュミオー ]
2020年11月29日
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藤原無雨さんの「水と礫」を買書つんどく。「東京でのドブ浚いの仕事中の事故をきっかけに生まれ故郷へと戻ったクザーノは、弟分である甲一の後を追い、砂漠のむこうにあるという幻の町へ、ラクダのカサンドルを従え旅立った。父のラモン、祖父のホヨー、息子のコイーバ、孫のロメオ。何度でも回帰する灼熱の旅が、一族の目にしたすべての風景を映し出す。時を超え砂漠を越え、無限の魂の網の目が、いま、この瞬間に訪れる。第57回文藝賞受賞作。」(「BOOK」データベースより)
2020年11月29日
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後醍醐の敗北によって、専制的な<王>として国家を統べる途を最終的に絶たれた南北朝以降の天皇制は、現実的な権力から遠ざかることで逆に、理念としては純化された穢れなき司祭=天皇(その限界イメージである幼童天皇)として生き延びる方途を見出した。忘却され、路傍の石のように打ち捨てられながら、それでもなお、いや、それゆえにこそ、天皇はあえかにして美しく小さきハタモノの結晶体として生きながらえることになった、といってもよい。むろん、こうした日本人の美意識に映じる天皇制といった鵺のような代物を語ることの危うさは、それなりに承知している。しかし、昭和二十年の敗戦と同時に、さまざまな「天皇不親政」論が巷間を席巻し、いかなる経路をへてか新憲法に”日本国民統合の象徴”として天皇の性格規定がされるにいたる背景には、日本人の多くの心根をやわらかく緊縛する、あえかにして美しく小さき天皇(ハタモノ)にむけた、幾重にも屈折する美的・倫理的・宗教的感情が存在したようにおもわれるのだ。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P144)
2020年11月29日
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バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番、第2番【中古】 バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番&第2番 /五嶋みどり 【中古】afb
2020年11月28日
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こうした稚児の時代の背景として、松岡心平は中世天皇制の独特な構造を析出している。院政期にはいると、天皇(家)の絶対権力・神的権威は一時的に大きく恢復するが、同時に天皇はデスポットとしての院と、純粋権威として定立された天皇という二極に分解した。山折哲雄のいう、摂関期以来の”天皇の司祭者化”がいっそう促進される。このとき、天皇の権威・神聖性の純粋化のシンボルとして、必然的に生まれたのが幼童天皇である。政治から切り離され、密室への隔離化によって、幼童天皇の聖性が極限まで高められる。と同時に、神器の呪縛から解き放たれることで、院(上皇・法皇)の法制度を超越した専制的権力は肥大化した。この中世天皇制の構造が、その等価物として、聖なる形象の童子化、装身や芸能の領域における童子的なるものの盛行といった、社会文化的な現象を分泌したのではないか、と松岡は指摘している。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P132)
2020年11月28日
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モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジークほか【中古】 モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク /カール・ベーム 【中古】afb
2020年11月27日
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六波羅殿の禿とよばれた異形の童子をめぐる光景は、平氏一門と制外に逐われた被差別の民との、ある秘められた関係のなかからしか浮上することはない。武家の棟梁である平氏一門が、歴史の表層には顕れることのない不可視の回路をつうじて、現世/他界のはざまにひろがる闇を棲み処とする、異類異形の者たちと繋がっていたことは疑いない。伊勢平氏一族が代々、検非違使尉を歴任した家系であることに眼を向ける必要がある。丹生谷哲一によれば、十~十一世紀が非人身分形成の画期である、という。ケガレ=キヨメが国家的管理の対象となってきたとき、それを統轄したのが検非違使であった。この検非違使のもとで、実際に掃除・汚穢のキヨメにしたがったのは、獄因・放免・乞食・清目・河原法師らである。こうして検非違使制は、天皇制と非人という中世身分制の両極を媒介し、ケガレ=キヨメの構造と思想を推進する要の役割をになった、とされる。検非違使の尉を代々つとめる平氏一門が、被差別の民が集住する六波羅の地に広大な館をいとなみ、そこを拠点として非人や放免に繋がる禿童らが活躍した背景は、ここに鮮やかに窺えるといってよい。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P130)
2020年11月27日
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モーツァルト:2台のピアノのためのソナタほかモーツァルト:2台のピアノのためのソナタ 他 [ ペライア&ルプー ]モーツァルト:転調するプレリュード〜鍵盤楽器のための作品集Mozart モーツァルト / 転調するプレリュード〜鍵盤楽器のための作品集 アンドレアス・シュタイアー、クリスティーネ・ショルンスハイム(シュタイン社製ヴィザヴィ1777) 輸入盤 【CD】
2020年11月26日
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宮廷にはべる侏儒の神話的祖型とおもわれるものに、大己貴命とともに国作りをした少名毘古那神がいる。神代記や『伯耆国風土記』逸文では、少名毘古那神は粟茎に弾かれて常世の国に渡ったとされる。少名毘古那から少子部へとつらなる侏儒の系譜、しかしそれをたどることは不可能であろう。それにしても、すでに早く折口信夫がその『日本文学ノート』六十三「侏儒」の一節で、宮廷にはべる侏儒に触れて、こう語っていたことが想起される。――”これは欧州の皇室、中国の王室にみてもfoolという語であらわす人間が飼ってある。ところが日本にもこれがある。存外われわれはこの侏儒にたいする考えは非常に極限されているが、事実であって、日本紀、続日本紀をみると出てくる”、あるいは”ともかく日本の宮廷に、記録にはあったが、われわれの何でもなく見逃してきたものにfoolがあった”と。昭和六年か七年という時期に、日本的な道化foolの一型として侏儒の存在に目を留めていた折口は、やはり恐るべき慧眼の持ち主であったというほかない。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P116)
2020年11月26日
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モーツァルト:2台と四手のためのピアノ作品集モーツァルト:2台と四手のためのピアノ作品集 [ マルタ・アルゲリッチ ]
2020年11月25日
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わたしたちがこれまで謡曲『蝉丸』を起点に語ってきたのは、非農業的な生業につく中世の「職人」たちが持ちつたえた天皇伝説である。そこに覗けている天皇/賤民(装われた王子)の二項対立を基底にもつコスモロジーは、記紀のスサノヲやヤマトタケル伝説における天皇/皇子、それゆえ中心/周縁という王権の語りの磁場に搦めとられたコスモロジーとは、繰りかえすが似て非なるものである。と同時に、あきらかにそれを、日本の民衆の根っこに埋めこまれた天皇制の深層構造とみなすわけにもいかない。非農業民によって語り継がれて天皇伝説とは異なる、もうひとつの天皇伝説の系譜に目を凝らす必要がある。それは、多くは近世の初期から民俗社会にひろまった、流離する天皇(柳田国男のいう「流され王」)をめぐる伝承である。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P114)
2020年11月25日
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メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第2番、第6番【中古】 メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第2番&第6番 /カルミナ四重奏団,マティーアス・エンデルレ,スザンヌ・フランク,ウェンディー・チャンプニー,シュテファン・ゲ 【中古】afb
2020年11月24日
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吉田修一さんの「湖の女たち」を買書つんどく。「『悪人』『怒り』を超える愛の衝撃! 吉田修一史上「最悪の罪」と対峙せよ。琵琶湖近くの介護療養施設で、百歳の男が殺された。捜査で出会った男と女ー謎が広がり深まる中、刑事と容疑者だった二人は、離れられなくなっていく。一方、事件を取材する記者は、死亡した男の過去に興味を抱き旧満州を訪ねるが・・・・・。昭和から令和へ、日本人が心の底に堆積させた「原罪」を炙りだす、慟哭の長編ミステリ。 」(新潮社の紹介)
2020年11月24日
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アルカイックな<王>の両価的な貌――専制王/生け贄が、法制度的に、聖なる天皇(清浄)/穢れた賤民(不浄)の対比構造として振り分けられていることが、神野清一と石母田正の所論から浮き彫りになる。こうして穢れの形代として奴婢身分を法制度的に析出しえた古代天皇制が、みずから編集した記紀のなかに、「王殺し」のような古色蒼然とした記憶が幽かにしか見出されないとしても、当然といえるだろう。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P95)
2020年11月24日
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チャイコフスキー、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲チャイコフスキー&シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 [ ダヴィッド・オイストラフ ]
2020年11月23日
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ところで、そうした受難の王子(貴種)の主題は、いうまでもなく法制度の位相にはない。王権とはかぎらず、権力の争奪をめぐるありふれた風景のひと駒である。古代天皇制国家の王権としての新しさは実は、すでにこの時代、穢れの形代の役割を負う人々が、社会的な身分として設定されていたことにこそ鮮やかに窺われる。賤民という制度によって、王国に堆積する罪や穢れの浄化が果たされる構造が創出されていたのである。(中略)国家的祭祀としての大祓の前身は、諸国の国造らの支配層が執りおこなっていた祓神事であるが、その「国之大祓」で祓われるのは、共同体の秩序・禁忌を侵犯するツミの穢れであった。ツニを祓うために神に供されたのがハラヘツモノである。ハラヘツモノの本義は、ツミや災厄を惹きおこすと信じられてきた災気・ツミの穢れを付着させて棄てられるもの、であった。後世、撫物と呼ばれた人形や馬形などの形代は、人・馬の代理物であるから、天武十年紀の祓柱(ハラヘツモノ)とされた奴婢は、撫物のもっともプリミティブな形態といえる。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P93)
2020年11月23日
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ベルリオーズ:幻想交響曲【輸入盤】幻想交響曲 ロト&レ・シエクル(古楽器オーケストラ) [ ベルリオーズ(1803-1869) ]
2020年11月22日
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それにしても、七世紀に成立した古代天皇制はすでに、習俗としてであれ祭儀としてであれ、<王>がみずからの身体を供犠の庭に贖いとして捧げるといったアルカイックな役割とは無縁であった。「王殺し」といった古さびた記憶は斥けられ、そのまったき否定のうえに、<天皇霊>の継承にもとづく世襲的な王権が築かれていたといってもよい。王権の継承をめぐって演じられる悲劇の構図は、あきらかに「王殺し」型から「受難の王子」型へと転回を遂げている。記紀神話のなかで、受難の王子の神話的祖型ともいうべき位置を占めるのは、むろんヤマトタケルである。その荒々しい英雄的な力の顕現ゆえに、父である景行天皇に疎んじられ、東国への征伐の旅の果てに死んでいくヤマトタケル。あるいは、同母妹である軽太郎女との恋という禁忌を侵し、伊予に配流され太郎女とともに自害する允恭天皇の皇子・軽太子。また、次期の王位を争う皇子たちの構想のさなかに、反逆の汚名を着せられ悲劇の死へと追い込まれた大津皇子や有馬皇子。こうした受難や流離を宿命づけられた王子の悲劇という主題が、やがて柿本人麻呂、在原業平そして光源氏らの物語のなかに繰りかえし反復されることは、あらためて指摘するまでもあるまい。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P91)
2020年11月22日
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ベルリオーズ:幻想交響曲【中古】 ベルリオーズ:幻想交響曲 /クラウディオ・アバド,シカゴ交響楽団 【中古】afbmilet:eyeseyes [ milet ]
2020年11月21日
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山田広昭さんの「可能なるアナキズム─マルセル・モースと贈与のモラル」を買書つんどく。「孤立を求めて連帯を怖れず。権力なき共生はいかに可能か。マルセル・モースに端を発し、ポランニーを経由して、柄谷行人の交換様式論にいたる流れを追い、マルクス、ワルラスらの理論的探求、グレーバー、スコットらの実践的展望を援用しつつ、贈与のモラルを内包した交換様式の実現に来たるべき社会の構成原理を見出す、渾身の書下し。」(「BOOK」データベースより)
2020年11月21日
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日本的な王権である天皇制のうえに、専制主にして生け贄といった、アルカイックな<王>の面影は揺曳しているだろうか。端的に、天皇はその身体に「王殺し」の主題を負わされているか、といい換えても同じことだ。わたしたちはただちに、ほとんど条件反射のように、あらゆる罪と穢れを一身に背負って高天が原を逐われたスサノヲの姿を浮かべることができる。記紀のスサノヲ像は鮮やかなまでに、穢れの形式というアルカイックな<王>の位相において造型されている。アマテラスとスサノヲの関係は、宗教的な権威を体現する姉妹と政治的な権力を掌握する兄弟との対をなす、初源的な統治形態を象徴するとともに、初源の<王>の帯びる両価的な貌を暗示するようにおもわれる。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P84)
2020年11月21日
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メンデルスゾーン:無言歌集春の歌〜メンデルスゾーン:無言歌集 [ アンドラーシュ・シフ ]
2020年11月20日
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それにしても、王権の起源論にはふたつの定型があきらかに認められる。一方は、<王>の帯びる宗教的権威の源泉を掘る人々がひとしく、たぶん無意識に選択している、共同体の内なる祭司・呪術師・シャーマンらの内部上昇=転化説であり、他方は、主として政治的権力の発生に関心をもつ人々がほぼ例外なしにたつ、王権外部侵略説である。この鮮やかな対照的あり様の深部にこそ、あるいは<王>の起源にまつわる謎の本質的な一端が隠されているのかもしれない。すくなくとも、その裂け目に視線を凝らしてみることは、無駄な試みではない。共同体の内なる呪術宗教者は、どのようにして権力を獲得し、並びたつ者なき専制的な<王>として多数の共同体のうえに君臨するにいたるのか。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P72)
2020年11月20日
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メンデルスゾーン:劇音楽「真夏の夜の夢」【中古】 メンデルスゾーン:劇音楽「真夏の夜の夢」 /アンドレ・プレヴィン(cond),ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,エヴァ・リント(S),クリスティーヌ・ケ 【中古】afbメンデルスゾーン:序曲集【中古】 メンデルスゾーン:序曲集 /C.アバド/ロンドン交響楽団 【中古】afb
2020年11月19日
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三浦佑之さんの「古事記の神々 付古事記神名辞典」を買書つんどく。「古事記に登場する多くの神々は、それぞれどのような存在で、神話の中でどう位置づけられているのだろう?「アマテラスはもともと2つの別の神話が統合して生まれた」、「日本書紀には描かれなかった、ヤマトに介入される出雲の“奪われる側”の無念」-。通説を疑い、神話をていねいに読み解けば、今まで見えなかった古代日本の姿が立ち現れる!巻末には、神名を手軽に確認できる「古事記神名辞典」を全文書き下ろしで収載。」(「BOOK」データベースより)
2020年11月19日
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初源的には、「シャーマン=祭司=王」または「シャーマン=王」の段階があり、それが社会・文化の時代的変容に対応して分化を遂げ、「祭司=王」へと展開してゆく。集中化した権威・統治機構・司法制度などをそなえ、富・特権・地位などに関する不平等や階級的差別が存在する国家制度のもとで、<王>は<シャーマン>性を弱め<祭司>性を強めてゆく。<祭司>と<シャーマン>の分化は、聖なる価値の分節化にほかならないが、その過程で「祭司型文化」と「シャーマン型文化」が並存するようになる。そのとき、<王>はみずから<祭司>集団の頂点にたち、祭司王的な性格を濃厚に帯びるが、逆に、<シャーマン>集団は<祭司>の対極に位置づけられることが多い。<王>は<祭司>の軸と<シャーマン>の軸からなる宗教的文化を踏まえ、社会の上方にたつのである。(中略)王権が世俗性を強め聖性を希薄化しながらも、ついにたんなる政治的権力の保持者の座に収斂されることなく、、”現在でさえなお、一時代のヨーロッパに見られたような王と司祭の古い混同形態に再び戻ろうという傾向”と無縁でないのは、<王>という存在の秘められた基層をなす、「未開」的ないしアルカイックな構造的特異性のためであるにちがいない。とりわけ、今から遡ること半世紀にも満たぬ昭和二十年八月十五日まで「現人神」を演じつづけ、現在もなお、”日本国の象徴であり日本国民統合の象徴”としてある種の宗教的機能を果たすことをやめぬ天皇という名の、古さびた王権をいただくわたしたちにとっては、それは疑いもなく現在の問題である。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P70)
2020年11月19日
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メンデルスゾーン:交響曲第3番・第4番【中古】 メンデルスゾーン:交響曲第3番・第4番 /クルト・マズア,ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 【中古】afb
2020年11月18日
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世界の秩序と法の代弁者である<王>、神と人間を媒介する<王>、表象体系としての世界の中心に位置を占める<王>、・・・・・これらはひとしく、<王>の全体性・超越性について語っている。<王>とは世界の中心に鎮座し、神と人を媒介する、唯一絶対の力の保持者である、と定義してみようか。しかし、こうした抽象のレヴェルで語られる<王>の概念はいずれも、かぎりなく貧しい。<王>とは何か、という問いはどこかしら、神とは何か、という問いに似ている。<王>とはそのかぎりで、あらゆる言葉と認識の消失してゆく臨界点のひとつであるのかもしれない。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P50)
2020年11月18日
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メンデルスゾーン、ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲【中古】 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 /五嶋みどり(vn),マリス・ヤンソンス(指揮),ベルリン・フィルハーモニー管弦 【中古】afbメンデルスゾーン:歌曲集【中古】 歌の翼に〜メンデルスゾーン:歌曲集 /バーバラ・ボニー(S),ジェフリー・パーソンズ(p) 【中古】afb
2020年11月17日
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わたしが待ち望んでいるのは、実は冬の深まる日、冬にどっぷりと浸かれる日、冬を確信できる日だった。冬は、灼熱の夏を乗り越えた者へのご褒美だ。ひんやりうっとりと北極を夢見て、ゴシップを広める活字にまだ汚れていない真っ白な紙、ミルクのように甘く、栄養豊かな白と向かい合える日だ。(多和田葉子さん「雪の練習生」P253)というわけで、多和田葉子さんの「雪の練習生」を読みました。ソビエトから西ドイツ、そしてカナダへと亡命し作家となり「自伝」を書いたホッキョクグマの「わたし」(名前がわからない?)から、その子供でドイツのサーカスの花形となった「トスカ」、「トスカ」が育児放棄したことによって人の手で育てられた子孫の「クヌート」へ至る、ホッキョクグマの年代記です。第一章はホッキョクグマの「わたし」の観点から、第二章はホモ・サピエンスである調教師「ウルズラ」と末尾は「トスカ」の観点から、第三章は「クヌート」の観点から書かれています。この、「わたし」の「自伝」によって運命を定められてしまっている「トスカ」のことを、を「ウルズラ」の観点から描くことには、「トスカ」を「自伝」から救出するというあきらかな意図があります。内容は?・・・・・むつかしいですね。高度なんかな。僕はぼんやり読んでしまったので、なにが語られているのかよくわかりませんでした。何回か読めば腑に落ちるところがあるのかもしれません。
2020年11月17日
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メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲集
2020年11月16日
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「源氏物語 早蕨ー浮舟(八)」を買書つんどく。「まろは、いかで死なばや――。亡き大君を思うあまり妹の中君に思いを寄せる薫の前に、大君に瓜二つの異母妹浮舟が出現。浮舟を宇治に迎える薫、そこへ強引に割り込む匂宮。二人の間の板挟みに耐えかねた浮舟は、ついに入水を決意する。早蕨から浮舟の四帖を収録。」(「BOOK」データベースより)
2020年11月16日
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たとえば、”「王」という肩書きは、王権の政治的機能を寧ろ第二義のものとし、むしろ第一に魔術的、宗教的な機能をこそ与える或る信仰パターンから、その言葉の響きを汲んでいる”(『道化と笏杖』)という、ウィルフォードの言葉を想起してもよい。<王>に魔術的・宗教的権能をあたえる古い信仰パターン、それゆえにこそ、<王>をめぐる諸問題は、王権ないし権力に関する一般理論の水準にはけっして還元しえぬ質を内包し、呪術や魔術をも含めた宗教的威力の曖昧模糊とした領域に深く根を降ろしている、といえるのである。ここではもはや、「町長」は<王>の代理人の役をつとめることはできない。「町長」とは結局のところ、政治的権力の一般的レヴェルにおける表象物に過ぎない。<王>とはそれ以上のものである、それよりも深いものだといっても同じことだ。わたしたちが<王>という存在の根源に触れることを欲するならば、<王>の帯びる宗教的威力の源泉をこそ掘る作業へと赴かねばならない。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P45)
2020年11月16日
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メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ほか【中古】 メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲/他 /ヒラリー・ハーン(vn),ヒュー・ウルフ(cond),マレク・ヤノフスキ(cond),オスロ・フィルハーモニー 【中古】afb
2020年11月15日
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トスカの代わりにわたしを育ててくれたのが一人の男性だったこと。それが稀にみる奇跡だったということが、今になってやっと分かった。マティアスはいたずらに哺乳類を名乗るのではなく、本当に哺乳し続けたのだから、哺乳類の誇りだ。(中略)マティアスには同じ種族出身のきれいな奥さんと、遺伝子を分けた可愛らしい子供がいたというのに、朝から晩までわたしにかかりきりで世話をしてくれた。それはわたしが可愛かったという理由からだけではない。何億個の目が心配そうにわたしの小さな身体を見守っていた。もしわたしが死んだりしたら、その瞬間、頭上で排気ガスが固まって鍋の蓋になり、地上の気温と湿度はどんどん上がり、わたしたちはみんな蒸し焼きになる。北極の氷が一気に溶けてホッキョクグマは溺れ死に、人間の住んでいる町も次々海水に沈んでいく。もしも奇跡の人マティアスが指先からミルクを溢れさせてホッキョクグマの子を育てることができれば、その子は世界の哲学書と聖典を一気に読みくだし、氷の海を泳いで渡って北極を救う、というくらい桁外れの期待がかけられていたのだ。(多和田葉子さん「雪の練習生」P228)
2020年11月15日
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メトネル:ソナタ=エレジー、ソナタ=バラードほかCREST 1000 541::メトネル:ソナタ=エレジー ソナタ=バラード、他 [ イリーナ・メジューエワ ]
2020年11月14日
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残雪「突囲表演」を買書つんどく。「X女史の年齢は諸説紛々二十八通りあり、ピンは五十歳からキリは二十二歳まで。容姿は「皺だらけ」とも「性感」とも噂され、小さな煎り豆屋を営みながら、裏で五香街の住人たちを狂気へと誘う…。X女史をめぐり膨れ上がる無数の噂話。その敵意の包囲を、いま、突破する。天衣無縫の想像力でカフカやピンチョンと並び称される現代中国の鬼才による代表作。」(「BOOK」データベースより)
2020年11月14日
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クリステイアンが感心したようにマティアスに言った。「撮影されていると分かっていて、よく自然に振舞えるな。クヌートは本当に育つのかと何十万人という人たちが汗ばんだ手の平を握りしめて祈ってるのに、君は拾ってきた雑種の犬と散歩でもしているみたいに見えるよ。」「クヌートが拾ってきた雑種に犬だったらどんなにいいだろうと思うよ。」「でもね、スターも大切だよ。スターがキャンペーンをやれば、社会に影響を与えることができる。クヌートにはジャンヌ・ダルクになって、地球温暖化ストップの旗を揚げてデモの先頭に立ってほしいんだ。」(多和田葉子さん「雪の練習生」P212)
2020年11月14日
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メトネル:ピアノ作品集ー2CREST 1000 284::メトネル:ピアノ作品集ー2 [ イリーナ・メジューエワ ]
2020年11月13日
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マティアスは毛布の上でクヌートをそっと押し倒して、片手を押さえ、お腹を撫でた。クヌートはますます愉快になって、体をよじって起きあがり、マティアスの手にとびかかっていった。そんなことを何度も繰り返して、一度などは勢いがつきすぎて爪がひっかかり、マティアスの手の甲から少し血が出てしまったけれど、マティアスはいつもみたいに「痛い」と叫んだりしないで必死で遊び続けた。クヌートはヤンがスザンナに怪我をさせたために二人が別れなければならなくなった話を思い出して不安になったが、マティアスに身体を毛布でぐるぐる巻きにされると、それをふりほどくことに夢中になって不安などすぐに忘れてしまった。観客の中から、「わあ、ソーセージ入りのクロワッサンみたい」と叫ぶ声がした。ソーセージなんか、なってたまるか。敵は毛布、毛布の戦略なら研究済みだ。クヌートは毛布を足で蹴飛ばし、噛みついて、勇敢に戦った。しかしマティアスが毛布の味方をして、一度はぐったり疲れて降参しかけていた毛布の端を、また巻きつけたりするので、なかなか勝利をおさめることができなかった。クヌートはやっと毛布から身をふりほどいて走り出したところで、前足がもつれて転んで前に一回転してしまった。すると、これまでで一番大きな歓声があがった。ころころと転んだ瞬間に、外界がわっと一つになって笑ったのだ。その時クヌートの中で、ピエロ的な発見がきらめいた。あるいはそれは遺伝子の中で眠っていた知識かもしれなかった。(多和田葉子さん「雪の練習生」P201)
2020年11月13日
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メトネル作品集【中古】おとぎ話/忘れられた調べ〜メトネル作品集/メジューエワCDアルバム/クラッシック
2020年11月12日
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マティアスは薄目をあけて、自分の顔を探検しているクヌートをしばらく観察していたが、そのうちクヌートの目の中を覗き込んでしみじみと語った。「不思議だね。就職したての頃、熊の飼育係に選ばれて、勉強のために随分いろいろな探検家の書いた本を読んだ。ある探検家が旅行記の中に、ホッキョクグマと向かいあって目が遭った時は気絶してしまいそうなくらい恐ろしい気持ちがする、と書いていた。それは襲われるのが怖いんじゃなくて、熊の目が何の反応も見せないから怖いんだそうだ。狼の目には敵意、飼い犬の目には愛情が見えると信じている人間たちが、ホッキョクグマの眼差しと出遭って、そこに自分の姿が全く映っていないのを見て、愕然とするんだそうだ。からっぽの鏡。人間なんて存在しないに等しい、と言われたようで、それでショックを受ける。そんな眼差しに一度出遭ってみたいと思うこともあったよ。でも君はあきらかに人間を見ている。そのせいで君が不幸にならないといいんだけれど。」(多和田葉子さん「雪の練習生」P186)
2020年11月12日
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メシアン:世の終わりのための四重奏曲、黒つぐみミシェル・ベロフ/メシアン:世の終わりのための四重奏曲 黒つぐみ(フルートとピアノのための) 【CD】米津玄師:STRAY SHEEP【CD】STRAY SHEEP 米津玄師
2020年11月11日
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アザリーン・ヴァンデアフリートオルーミ「私はゼブラ」を買書つんどく。「独学・反権力・無神論の三つの柱を掲げ、「文学以外の何ものをも愛してはならない」を家訓とするホッセイニ一族。その末裔として生まれたゼブラは、5歳のとき、サダム・フセインが仕掛けた戦争で混乱したイランを脱出する。途中、母が不慮の死を遂げると、彼女は心に空洞を抱え、父はますます文学に沈潜し娘を文学で武装させようとする。トルコ、スペインと亡命を重ね、最後に渡った“新世界”アメリカでも父娘に居場所はない。22歳になったゼブラは父の死で天涯孤独となり、一大決心をするー亡命生活で分裂した自己を取り戻すため、亡命の旅路を逆からたどり直そう、と。アメリカでの唯一の師の力添えで、ゼブラは“亡命の大旅行”をスタートする。バルセロナで彼女を出迎えたのは、イタリアから亡命してきた若き文献学者のルード・ベンボ。二人はすぐに惹かれ合うが、愛に臆病なゼブラは文学の鎧ー過去の偉大な作家たちの言葉ーで身を固め、ドン・キホーテのごとく不条理な奮闘を続ける・・・・・。」(「BOOK」データベースより)
2020年11月11日
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動物園でラルスと恋仲になりクヌートきょうだいを出産した時期でさえ、わたしはウルズラの伝記を書く筆を休めなかった。わたしは猫ではないので、もともと子供を猫可愛がりする親の気持ちは分からない。クヌートの弟は虚弱体質で生まれてすぐに死んでしまったが、クヌートには狼に育てられてローマ帝国を建国した双子のような大物になってほしかったので、あえて別の動物のところに里子に出した。そしてわたしの思惑通りクヌートは、地球の環境を守るために世界的に活躍する立派な活動家に育った。それだけではない。芸を磨かなくても、人の関心を集め、人の心を動かし、愛情と賛嘆を呼び覚ますことができるということをクヌートはわたしたちみんなに教えてくれた。でもそれは彼の物語であって、わたしは資本主義保護区に棲息するホモサピエンスのように息子の物語を自分の手柄にするつもりはない。私の課題はあくまでクヌートの陰で忘れられがちなウルズラの物語を書き綴ることだと思っている。(多和田葉子さん「雪の練習生」P163)
2020年11月11日
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メシアン:トゥーランガリーラ交響曲、世の終わりのための四重奏曲
2020年11月10日
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ウルズラの中では六十年代に初めて接吻した熊とわたしが重なってしまっているようだ。無理もない。どちらも名前はトスカ。しかも1986年にやはりカナダで生まれてドイツ統一直前にベルリンに来たわたしは、あのトスカの生まれ変わりなのだから。顔も身体つきもそっくりで、何よりにおいが似ている。ドイツ統一の日が近づいているなどとは誰も気がついていなかったが、何か落ち着かない春の予感のようなものが空中できらきら光っていて、わたしは足の裏がかゆくて仕方なかった。もしも熊にお伺いを立てて共同体の未来を占う古代民族の知恵を党員たちが受け継いでいたら、わたしのところへ来て、わたしの「かゆい」と言う一言を有り難く受け止めて分析しただろう。そして、たとえ「統一」という言葉に思い至らなかったにしても、乗っ取りとか同居とか養子とか、何か二国間に起こったことにもっとふさわしい言葉を思いついていたかもしれない。(多和田葉子さん「雪の練習生」P161)
2020年11月10日
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ムソルグスキー:展覧会の絵ほか【中古】 ムソルグスキー:展覧会の絵、他(Blu−spec CD2) /エフゲニー・キーシン(p) 【中古】afb
2020年11月09日
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