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宮崎駿さん「風の谷のナウシカ」川上未映子さん「あこがれ」山下澄人さん「しんせかい」「ナウシカ」推しですが、まあ、なんやね・・・・・、来年がんばろ・・・・・。
2020年12月31日
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アルゲリッチ デビュー・リサイタルデビュー・リサイタル [ マルタ・アルゲリッチ ]
2020年12月31日
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まず吉本は宗教的権威による統一が、国家による統一に移行するまでの中間に「規範」があると言います。倫理に注目すると、最初期の母権性の時代は「禁制」であり、父権優位の最終段階が「法」です。その間に「規範」の段階があります。「なかば<宗教>であり、なかば<法>だというような中間的な状態をいま<規範>とよべば、この<規範>にはさまざまな位相がかんがえられる」(「規範論」)。たとえば、国家成立以前の段階では、清祓の儀式と罰則行為の区分がまだ存在しません。前者は祓い清めをすることで、犯罪行為への罰が代行されるので、個人はその罪を負うことを免れます。一方後者は法で罰せられる対象はその人個人であり、体罰を蒙るなどして弁償することになります。この時代の「倫理」が個人道徳を意味しない以上、後者の罰則行為はあまり問題にされません。農耕共同体が抱く共同幻想からの違反は、個人の罪よりも共同体の秩序に異変が起きたことへの恐怖が問題となるため、前者の清祓の方が圧倒的に重視されるのです。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)」P88)
2020年12月30日
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バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番、3番、パルティータ第2番J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1&3番 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 [ 渡辺玲子 ]
2020年12月29日
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そして吉本もまた、日本の原始農耕民におなじ罪意識があると指摘します。祖先にたいする原罪を背負い、贖罪として祭儀行為をする。なかでも最初に原罪意識を自覚し、共同体繁栄の礎を築いてくれた犠牲者こそ、農耕神スサノオだったのです。スサノオは農耕社会の象徴であるにもかかわらず、父・イザナギから海原の統治を命じられてしまいます。これは漁撈採集社会を代表せよと言われているので、スサノオは自身の生き方との矛盾を感じざるを得ず、父の命を拒絶した結果「追放」されるのです。屈折と負い目、疚しさの感情がスサノオにも宿ります。スサノオを源流として、以後、原子農耕共同体にまで疚しさの共同幻想が継承された結果、感情の負債を支払うために祭儀行為が行われるのです。(中略)つまり、農耕民は負い目の意識に苦しみつつ、絶えず土地から収奪している。この無限のくり返し――負債を支払い続けること――こそ、労働なのではないか。吉本は国家が形づくられるに従い、次第に働くことの豊かさが奪われていくことを指摘したかったのかもしれません。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)」P83)
2020年12月29日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番、第27番【輸入盤】 ピアノ協奏曲第20番、第27番 内田光子、クリーヴランド管弦楽団 [ モーツァルト(1756-1791) ]
2020年12月28日
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辻堂ゆめさんの「十の輪をくぐる」を買書つんどく。「2021年へ!時代を貫く親子三代の物語。スミダスポーツで働く泰介は、認知症を患う80歳の母・万津子を自宅で介護しながら、妻と、バレーボール部でエースとして活躍する高校2年生の娘とともに暮らしている。あるとき、万津子がテレビのオリンピック特集を見て「私は・・・・・・東洋の魔女」「泰介には、秘密」と呟いた。泰介は、九州から東京へ出てきた母の過去を何も知らないことに気づく。51年前ーー。紡績工場で女工として働いていた万津子は、19歳で三井鉱山の職員と結婚。夫の暴力と子育ての難しさに悩んでいたが、幼い息子が起こしたある事件をきっかけに、家や近隣での居場所を失う。そんな彼女が、故郷を捨て、上京したのはなぜだったのか。 泰介は万津子の部屋で見つけた新聞記事を頼りに、母の「秘密」を探り始める。それは同時に、泰介が日頃感じている「生きづらさ」にもつながっていてーー。1964年と2020年、東京五輪の時代を生きる親子の姿を三代にわたって描いた感動作!前作『あの日の交換日記』が大好評!!いま最も注目を集める若手作家・辻堂ゆめの新境地となる圧巻の大河小説!!」(小学館の紹介)
2020年12月28日
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王谷晶さんの「ババヤガの夜」を買書つんどく。「暴力団会長の一人娘の護衛を任された新道依子。拳の咆哮轟くシスター・バイオレンスアクション!」(「BOOK」データベースより)
2020年12月27日
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それはタナトス(死)もまた、共同幻想にとって決定的な役割を演じているということです。私は今回、まずはエンゲルスの国家論を素描し、それとの比較で吉本の国家論を明らかにしようと試みました。エンゲルスの単線的で淀みない流れに対して、吉本が注目するのは、むしろ「断絶」です。吉本の文章には、「断絶」や「亀裂」や「異和」ということばがとても多くでてきます。国家につながっていく「共同幻想」の発生には、もちろん対幻想――家族という疑似性的関係――が関わっているのですが、家族からスムーズに国家へとつながっていくわけではありません。さまざまな形の断絶や亀裂や異和があって、しかしそれが最終的には国家になっていく。それが吉本の国家論の特徴なのです。その際、まずは『古事記』を参照し、エロス的関係と時間性というものが決定的に重要であると指摘しました。次に『遠野物語』の分析は、エロスと時間にくわえ、死が共同幻想の起源にはたす役割を教えてくれたのです。私はこれを「タナトス的関係」と名づけ、国家や原始宗教、さらには小さなサークル組織にいたる、あらゆる人間関係の基礎をなしていると主張したいと思います。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)」P70)
2020年12月27日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番、第19番Mozart モーツァルト / ピアノ協奏曲第18番、第19番 内田光子、クリーヴランド管弦楽団 輸入盤 【CD】
2020年12月26日
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では共同幻想の起源を考えるこの本で、『遠野物語』を題材とした前半部分はなんのためにあるのでしょうか。繰り返し述べてきたように、吉本の関心は国家をふくめた共同幻想全体の解明です。宗教や原始的信仰はもちろん、反体制的な組織や小さなサークルも射程に収め、私たちにとっての意味を問うています。現代の私たちがつながりをつくる際、なぜ全面的に組織の方針を「信じて」しまうのか。小さなサークルの内部論理に「侵入」され、個人幻想を見失うのか。第1回に「序文」を精読し、吉本が敗戦体験から「なぜ人はなにかを信じるのか」を考え抜いた思想家であることを確認しました。この問題を解くカギが『遠野物語』にあるのです。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)」P64)
2020年12月26日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番、第25番モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番 ピアノ協奏曲第25番 [ 内田光子 ]
2020年12月25日
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天皇の降伏。もう一度、声は出さずに言ってみる。たしかにその通りだけど、日本に十五年暮らしていて私は、これほど単刀直入な真実を聞いたことがなかった。私の国の大人は、真実を言わなかった。なぜかは知らない。あれだけの大勢の人がその点においてはほころびもなく沈黙を守っている。それは驚異的だった。ただし、それは外から見れば、まず最初にわかってしまう類の嘘なのだ。たしかに、天皇の降伏である。日本の戦争は、天皇が終わりというまで終わらなかった。天皇が終わりといって、すべての人がいっぺんに膝を折った。(中略)「朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通知セシメタリ」あれ?天皇が降伏したのでは、ない。他ならぬ、天皇自身が言っているのに。天皇は交戦国に対して降伏するとは言っていない。それはまわりくどい力学で、天皇が帝国政府(日本政府)に対し、宣言を受諾することを、アメリカ、イギリス、中国、ソ連に四国に伝えてくれと頼んだ、とか命じた、ということだ。(赤坂真理「東京プリズン」P171)
2020年12月25日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第8番、9番
2020年12月24日
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「マリ、聞いて。森の王を探してほしい。森の王を探して、話をしてほしい。森に大君と呼ばれる王がいる。王は・・・・・森番をしている」「王のくせに?」「いわゆる”王”というものとちがう。森と世界の摂理そのもの」「どうやってさがすのよ!」「強く思う」「はぁ?」「やる!」「そんな人いない。そんなの人じゃないし」「感じる。そうしたら王は現れる。王は、あなたの中にいる。世界の摂理そのものなのだから、、あなたの中にも」「意味わかんないよ。私の中にそんな人がいるとして、会って何になる?」私は黙った。今度は意図ではなく、本当に言葉に詰まった。どこからか情報が流れてくるあの感じも途切れた。私は私で、丸裸になってさらされた気分だった。「・・・・・・・・・・誰でも自分に帰る旅をしている。でも私は道に迷ってしまった。森の大君なら何かを知っているかもしれないけれど、私では会えない。お願い、あなたしか頼める人がいない」「ママ?」「それが」その後に出てきた言葉は、私自身を心底驚かせた。「それが私があなたをそこへ送った理由。あなたにしか頼めなかったから」(赤坂真理「東京プリズン」P167)私には今はっきりわかった。私がこの子を救わなければ。私しかこの子を救えないし、私を救えるのもまた、この子だけだ。しかしこの子は過去にいる。この子を救うには、過去を変えなくてはならない。どうやってかは、わからなくても、そしてもしこの子が動けば、否応なく私が変わってしまう。それでもいい。私とこの子は結合双生児、相似形の人間で、根っこが一緒で頭が二つ。一つは少女期に閉じ込められ、一つは老いゆく。(赤坂真理「東京プリズン」P170)
2020年12月24日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第5番・第6番モーツァルト:ピアノ協奏曲第5番・第6番 [ 内田光子 ]
2020年12月23日
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「大君はここにはいない」「いない?」「いないいないずっといない」「不在だから、意味があるのだよ」誰か二人が、ほぼ同時に言った。「空虚だからね」また誰かが。彼らは小さすぎて速すぎて、誰が発言しているのか追えない。”人々”というゆるいかたまりだと思うしかなさそうだ。「死にかけているということ?」「ちがう。もともと空虚」「この棺桶は何?あなた方は大君に仕えているの?なぜ彼が死ぬ用意をしているの?だったらあなた方の王なら、大君が死んだらあなた方も終わりじゃないの?」「終わりではない。大君はただのこの世の器であるから」「器?なんの?」「大君の霊」「・・・・・だったら、何にでも降ろせれば、それでいいんじゃない?」「そなたは勘がよい。でもやはり人形(ひとがた)がよい」(赤坂真理「東京プリズン」P142)
2020年12月23日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番・第27番【中古】 モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番・第27番 SUPER BEST 100 53 /内田光子(p),ジェフリー・テイト(cond),イギリス室内管弦楽団 【中古】afb
2020年12月22日
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ここで決定的なことが起こります。農耕社会の初期において、「対幻想」の時間制すなわち女性の妊娠期間と、「共同幻想」の時間性すなわち穀物収穫のサイクルとの差が自覚されるようになるのです。妊娠期間と一年間の四季の時間との差が、次のような重要な意味をもつと吉本は主張します。穀物の栽培の時間制と、女性が子を妊娠し、分娩し、男性の分担も加えて育て、成人させるという時間性がちがうのを意識したとき、人間は部族の共同幻想と男女の<対>幻想とのちがいを意識し、またこの差異を獲得していったのである。(略)それを人間は農耕祭儀として疎外するほかに矛盾を解消する方途はなくなったのである。農耕祭儀がかならず<性>的な行為の象徴をなかに含みながらも、ついに祭儀として人間の現実的な<対>幻想から疎遠になっていったのはそのためである。(「対幻想論」)対幻想から共同幻想に向かう際、必ず「差異」や「矛盾」が存在する。それを乗り越える手段として農耕祭儀が始まった、これが吉本の考えです。つまり母権制の共同体が国家という共同幻想にまで発展する過程――ここではまだ原子農耕段階の共同体です――で、エロス的関係と時間性が決定的な役割を演じることか分かってくる。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)」P62)
2020年12月22日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番、第23番【中古】 モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番、第23番 /内田光子 【中古】afb
2020年12月21日
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母権制は、水田耕作が定着する以前の原始的な共同体の特徴であり、それを『古事記』の神事から吉本は引きだして見せたのです。母権制という言葉から想像できるように、この時期の共同体は姉妹、つまり女性が神権を掌握して上位にたち、実際の統治は男性である兄弟が担っていました。女性と神権が深い関わりをもつのは、女性が「巫女」になるからに他なりません。『共同幻想論』前半部分の「巫女論」には、「巫女」とはなにかについて、「わたしのかんがえでは<巫女>は、共同幻想を自分の対なる幻想の対象にできるものを意味している」という吉本自身の定義があります。家族を越えた共同体のルールや規範を、宗教的祭儀をとおして行う際、巫女はそれを象徴する立場に憑依します。共同体のルールと巫女はエロス的関係をもっているのとおなじなのです。このように、本書後半の「母制論」から読み進めていくと、『共同幻想論』全体の問題意識をつかむことができるのです。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)」P59)
2020年12月21日
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アンナ・バーンズ「ミルクマン」を買書つんどく。「「ミルクマンはある日、私が『アイヴァンホー』を読みながら歩いているところへ、車を運転しながら近づいてきた」。1970年代終わりの北アイルランド・ベルファスト。本を読みながら歩くことが好きな18歳少女が、反体制派の大物から恋人としてつけ狙われる。政治、宗教、暴力、旧弊な思考に支配されるコミュニティで少女は次第に孤立していく。16歳になった時から結婚を迫る母、すべてをセックスと結びつける義兄その1、車の爆発で死んだ元彼を引きずる一番上の姉、狂ったようにケンカして運動する義兄その3、車マニアのメイビーボーイフレンド、社会問題系の女たちや毒盛りガール、原爆坊やといった奇人変人さんたち…。固有名を排した独特の語りで閉塞した社会に生きる少女の記憶を甦らせ、2018年ブッカー賞、20年国際ダブリン文学賞を受賞した傑作長篇。」(「BOOK」データベースより)
2020年12月20日
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私たちは、相手への好き嫌いにはじまって、嫉妬はもちろん、相手を敵か味方かに区別しがちです。感情的に押したり引いたりしながら、愚痴や悪口を言って生きています。否、生きるとは他人にまつわる愚痴や悪口、○的な興味を抱き、駆け引きを行う営みのことである。――個人はこれくらい、他人との関係性に侵食されているのです。実際の○行為をふくまない身上の伸縮する関わり、幻想上の○的関係を、私は「エロス的関係」と呼びたいと思います。そして最初の他人こそ家族であり兄弟姉妹なのであって、吉本は疑似○的関係を「対幻想」と名づけ、国家や宗教をふくめた「共同幻想」の端緒に位置付けました。他人に対する喜怒哀楽の激しく揺れ動く感情が目に見えないものでありながら、私たちの心の多くの部分を占めていることを思うとき、「人間とは幻想を抱く生き物だ」という吉本の主張は、極めて説得的に響いてくるのです。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)」P55)どうも「性」という字と「的」という字が続くと、わいせつな表現と認識されるらしい・・・・・。「エロス」は大丈夫。いとおかし・・・・・。
2020年12月20日
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神崎宣武さんの「旅する神々」を買書つんどく。「五つの名をもつ大国主神の変幻自在な旅、浦島太郎のモデルとなった山幸彦の海神の宮訪問、吉備津彦の温羅退治遠征、天照大御神の「永遠の宮処」を探し求める倭姫命の国覓ぎの旅、民俗行事にみえる仮面・仮装の神々の来訪ー神は常在せず、古来、人びとの延長線上にあった。『古事記』をはじめ神話や行事に息づく奔放で多情多様な「旅する神」の姿に、日本独自の神々と人びとの関係性をさぐり、原信仰を浮かび上がらせる。」(「BOOK」データベースより)
2020年12月19日
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「禁制論」からはじまる全十一章の構成は、五つのまとまりに分けることができます。人間の集団生活が原始的な共同体以来もち続ける「禁止」に意味を考察した「禁制論」。その禁止が、特定の人間に集約される過程を追いかけた「憑人論」「巫覡論」「巫女論」。以上の共同性の感覚が、宗教的な集団観念として具体化される過程を分析する「他界論」「祭儀論」。そして「対幻想」すなわち家族から、国家の誕生を明らかにした「母制論」「対幻想論」「罪責論」。最後に、国家すなわち法の成立と邪馬台国の誕生を見届ける「規範論」「起源論」。このように分けられるとされています。(中略)吉本の関心をすでに知っている私たちは、冒頭から読み進めるのではなく、書き下ろしの後半部分、「母制論」以降から読み始めるべきです。国家の誕生が鮮やかに描き出されているからです。具体的には、「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」のうち、対幻想からどのような過程で共同幻想が成立するかを第2回、第3回でつかむことにします。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)」P47)
2020年12月19日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番・第24番【中古】 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番・第24番 SUPER BEST 100 4 /内田光子(p),ジェフリー・テイト(cond),イギリス室内管弦楽団 【中古】afb
2020年12月18日
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西山厚さんの「仏像に会う 53の仏像の写真と物語」を買書つんどく。「◎仏像は見るものではなく、出会うもの2014年まで奈良国立博物館の学芸部長として、現在は仏教美術の名品を所蔵する半蔵門ミュージアムの館長として、多くの仏像・神像の展示に関わってきた著者。仏教美術史の専門家として、生きた言葉で仏像の魅力を語り続けています。本書は、著者がこれまでに出会ったたくさんの仏像の中から、特に心に深く刻まれた53体を選び、その美しさを見事に切り取った仏像写真と共に紹介する仏像ガイドです。仏像にはそれぞれ、作った人、守り伝えてきた人の願いが込められています。仏像一つ一つに込められた願いや、背景にある歴史物語を知ることで、仏像との本当の出会いが訪れることでしょう。また、仏像に魅せられた写真家たちの仏像愛あふれる写真でその素晴らしさを知ることができるのも、本書の魅力です。」( ウェッジの紹介)
2020年12月18日
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アメリカに行った年から十八年の間に私は高校を卒業し大学を卒業し結婚し離婚し物書きになった。離婚はともかく、経歴的には大した瑕はない。でもうわべをひたすらよくとりつくろう癖は、アメリカでは遺残したと思っている負い目からだろう。そんな間にバブルが列島を席巻し行くところまで行き、父が死に会社がつぶれて残った家族は都落ちをし、バブルは膨らみきって勝手に弾け、ざまあみろと言いたいところだが移った家の資産価値も暴落し、私たちに移動の自由はなくなった。今の状態のままで密閉されたかのような息苦しさに、言葉を与えることができない。私は、食えたり食えなかったりの物書きで、食えなければ実家に帰るということを繰り返し、誰かとつきあい、壊し、つきあい壊した。母親との間には一見、何もないかのようだった。お互いに、決して語り合おうとしない領域がある以外は。それがアメリカだった。(赤坂真理「東京プリズン」P110)「ねえママ」間。海鳴り。海猫。「なぜ私をアメリカに送ったの?」「・・・・・・・・・・だってあなたには他に行くところがなかった」(赤坂真理「東京プリズン」P114)
2020年12月18日
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ここで共同幻想というのはどんなけれん味も含んでいない。だから<共同幻想>をひとびとが、現代的に社会主義的な<国家>と解しても、反体制的な組織の共同体と解しても、小さなサークルの共同性と解してもまったく自由であり、自己幻想にたいして共同幻想が<逆立>するという原理はかわらない。(祭儀論)「個人幻想」「対幻想」「共同幻想」という最重要キーワードも、『遠野物語』と『古事記』、さらにはフロイトやエンゲルスの著作の引用も、すべては以上の問題関心に串刺しにされ、引用と分析の対象となっています。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)」P42)
2020年12月17日
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コルソン・ホワイトヘッド 「ニッケル・ボーイズ」を買書つんどく。「1960年代前半、フロリダ州。アフリカ系アメリカ人の真面目な高校生エルウッドは、大学進学を志していた。しかし、彼は無実の罪により、少年院ニッケル校に送られることになる。信じがたい暴力や虐待が蔓延するニッケル校で、エルウッドは皮肉屋の少年ターナーと友情をはぐくみ、なんとか日々をやりすごそうとするがー。実在した少年院をモデルに描かれた『地下鉄道』著者の最新長篇小説。ニューヨーク・タイムズ・ベストセラー。ピュリッツァー賞受賞。」(「BOOK」データベースより)
2020年12月16日
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戦後、戦前の国家体制を批判する知識人は山ほどいました。天皇制を批判することばも巷に溢れていたはずです。その中で吉本が、進歩的知識人と別次元の思想家になることができたのは、天皇制の問題を「人間にとって信じるとはなにか」という普遍的な問いにまで深めた点にあります。日本という国家の成り立ちを考えるうえで、日本の古典を使い、その本質に迫ると同時に、世界で通用する普遍的国家論の構築を目標としたように、天皇制についても吉本は、信仰問題へと問いを拡張しているのです。と同時に、吉本は戦後民主主義をまったく信用していません。「民主主義」を絶対に「正しい」価値、無謬の正義だと思い込み眼をキラキラさせている人もまた信仰に陥っているからです。天皇制と民主主義は反対の思想どころか、同じ独善なのだと言っているのです。(中略)自分が「正しい」と信じることが、本当に正しいのか。人間とは間違える存在なのではないか。世界と自分との関係をゼロ地点まで降りていき、一から善悪の価値観、世界観を組み立て直していく。私は吉本の「信じるとはなにか」を問い詰めてゆくその迫力に、完全に圧倒されました。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)」P33)
2020年12月16日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲 第18番、19番
2020年12月15日
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高浜寛さんのコミック「トゥー・エスプレッソ」を読みました。すれ違いで、はらはら、ちょっとしたどんでん返しはあるものの、出てくるのは、ほんとにいい人ばかり。そして、ユーモラスでセンスいいです。こんな本が絶版がなってしまっているなんて、もったいない。
2020年12月15日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第13番、14番【中古】 モーツァルト:ピアノ協奏曲第13&14番 /内田光子 【中古】afb
2020年12月14日
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そのために、今回は、二つのことを行います。まず第一に、徹底的に序文にこだわり、吉本思想の核心をつかみだします。具体的には文庫版に付されている三種の序文を中心に読むことで、問題意識をはっきりさせていきます。三つの序文とは、順に「角川文庫版のための序」、「全著作集のための序」、そして単行本刊行時の「序」です。第二に、吉本隆明の戦争体験を考察します。戦時中、すでに学生だった吉本は、読書に基づく徹底した思索の結果、戦争を肯定し国家のために死ぬことも覚悟していました。しかし敗戦により、自分が確信をもって抱いていた死生観は全否定されてしまったのです。この深刻な体験は、吉本のなかにことばにならない複雑な陰影を刻印しました。この影を一つひとつ文字に置きなおすことで、なんとか精神の均衡を保つことができた。よって、この『共同幻想論』にも戦争体験から導きだされた思索が、色濃く見てとれます。以上の二つの論点を押さえておけば、樹海の中でも方向感覚を失わず、吉本と共に思索の杜を楽しく散策できるはずです。(先崎彰容さん「吉本隆明『共同幻想論』 (100分 de 名著)P13」)
2020年12月14日
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モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番、20番【輸入盤】ピアノ協奏曲集(ブラームス、ラフマニノフ、ハイドン、グリーグ、シューマン、モーツァルト)、他 アンスネス(5CD) [ ピアノ作品集 ]
2020年12月13日
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「そっか、ねえ私、授業で課題があって戦争のこと調べてるんだけどさ」やっぱりこれが言いたかったんだ。母にも父にも訊いたことがなかったのは、話してくれないという直感があったからだ。祖母なら話してくれるかもしれない。「ママはね、東京裁判の通訳をしていたことがあるの」祖母は唐突に言った。え?何か尋常でないことを聞いたことだけはわかった。昭和二十年八月。日本が無条件降伏を受け入れると、日本の戦争責任者を裁く国際軍事裁判が開かれたことは、本で読んだことがある。たしか東京裁判の正式名称が、極東国際軍事裁判であったことくらいは、教科書にも出てた気がする。けれどもその裁判が東京のどこで、いつからいつまで開かれたのか、誰が裁かれたのか、私は何も知らなかった。しかもそんな教科書に載るような歴史的事件で私の母が通訳してただなんて、今まで聞いたこともなかった。「味方を裁くことだから、つらかったみたいよ」(赤坂真理「東京プリズン」P65)
2020年12月13日
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モーツァルト:交響曲第40番・第41番<ジュピター>【中古】 モーツァルト:交響曲第40番・第41番<ジュピター>(Blu−spec CD) /ヘルベルト・ブロムシュテット(cond),ドレスデン・シュターツカペレ 【中古】afb
2020年12月12日
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前田速夫さんの「海人族の古代史」を買書つんどく。「非常民の民俗学への懸け橋。古代、海人族は天皇家とも結びついて活躍、王権を支えた。しかし、応神朝頃から没落、歴史の表舞台から姿を消し、零細な漁民として卑賎視されるようにもなるのだが…。各地にダイナミックな足跡を残した異民たちの盛衰史。」(「BOOK」データベースより)
2020年12月12日
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「生まれた町は・・・・・生まれた町は東京の中のそんなに中心じゃなくて、シンジュクというターミナル駅から西に行ったちょっとした郊外で・・・・・そうね、電気の川の下にあったの」は?という顔をアンソニーがした。私自身、意外なことを言ったので自分でも驚いていた。「電気の川の下にあったのよ、本当に。ごちゃごちゃした町で、電気を通す前に、町ができちゃったんだと思う。戦争が終わって、とりあえず生活を始めちゃったのね」自分自身があたかも戦争経験者のように、こんな話をしだすとは思わなかった。私は続けた。「だから、後から人が住んでいる間を縫って、高圧線の大きな鉄塔を置いて、送電線をつないだ。私の家の近くにも、っていうか上にも、高圧線の鉄塔があった。高いところを走る鉄道からそれが、ずうっと先まで見えた。川のように」(赤坂真理「東京プリズン」P60)
2020年12月12日
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モーツァルト:交響曲第40番、アイネ・クライネ・ナハトムジークほか【中古】 モーツァルト:交響曲第40番・第41番「ジュピター」、アイネ・クライネ・ナハトムジーク /ブルーノ・ワルター(cond),コロンビア交響楽団 【中古】afb
2020年12月11日
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東京の公立中学校を出て、学校が始まる時期になってもしばらく何もせずぶらぶらしていた。ロス・アンジェルスに十歳上の従姉がいたので家にしばらく厄介になって、そこへ日本から来た叔父と、ロス近郊のディズニーランドへ行ったりした。(中略)九月にアメリカの格好の新学期が始まって、アメリカを西端から東端まで渡ってここへ来ると、これまた外国へ来たみたいだった。トランジットのボストンの空港からして、ロス・アンジェルスからしたら外国で、同じ白人にしても服装も表情も顔色も顔のつくりからして、ちがった。空港にクラシック音楽が低く流れているのが文化というものかと思った。ボストンから国内線でメイン州ポートランドへ。そこは、世界の果てだった。そんな小さな空港を見たことがなかった。だいたいがオレゴン州ポートランドと間違って発券されそうになったくらいだ。アメリカ人にとってさえ、そこは地の果てだ。(赤坂真理「東京プリズン」P24)
2020年12月11日
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モーツァルト:交響曲第40番・第41番《ジュピター》【中古】 モーツァルト:交響曲第40番・第41番《ジュピター》 /フランス・ブリュッヘン/18世紀オーケストラ 【中古】afb
2020年12月10日
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目覚めて私は泣いていた。あの場所にもう一度帰りたかった。もう戻れない家。一九八五年に端を発した円高誘導で、倒産した幾多の中小企業のうちの一経営者だった父が、借金の抵当に入れた家、失った故郷。あの場所のリアルな感触を、もう一度感じたかった。あの家は一九八七年、父とともに地上から消えた。会社が倒産し、父が死んだ、と連続した出来事をただ並べて人に言うと、よく自殺と誤解される。父は病死で死のタイミングは偶然だが、時代の価値とともに逝ってしまうような男は、たしかに存在する。有名だろうが無名だろうが、男だ。(赤坂真理「東京プリズン」P11)
2020年12月10日
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モーツァルト:交響曲 第39番、第40番、第41番「ジュピター」ベリー・ベスト・クラシック1000 51::モーツァルト:3大交響曲 第39番/第40番/第41番「ジュピター」 [ オトマール・スウィトナー ]
2020年12月09日
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わたしたちはナウシカのうえに、あえやかなる美しき小さなハタモノの系譜を継ぐ者のみが帯びる聖性の影を認める。ナウシカとはいわば、わたしたちの美意識の風土が繰りかえし分泌してきた<王>の原像である、といえるだろうか。むろん、中世の幼童天皇の姿を思い浮かべている。原像として美的・倫理的に見出された幼童天皇は、ひとつの理念化された結晶体であり、歴史のなかの現実であったとはいいがたい。そのかぎりで、幼童天皇は幻像の水準にとどまる。にもかかわらず、優しく猛々しい風にも似た少女ナウシカの物語に涙し、大いなる浄化(カタルシス)をつかの間生きてしまったわたしたちはだれしも、それとは気づかぬままに、秘めやかに、あたかも集合的な無意識として紡がれてきたきた幼童天皇のいる風景を愛でているのかもしれない。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P240)というわけで、赤坂憲雄さんの「王と天皇」を読みました。「ナウシカ考」を読んだ勢いで読んでしまえ!って感じで読み始めたものの、これは難物でした。この本は、1988年に出版されたもので、まだマンガ版「風の谷のナウシカ」は完結していませんでした。そのうえで、最後の「メモ」は「ナウシカ」のことに触れていますが、当時「ナウシカ」の核心的部分は作者である宮崎駿さんの頭の中にもなかったかもしれません。今の赤坂さんなら「天皇」と「ナウシカ」を重ねはしないのではないかと思いますが・・・・・。で、結局のところ、僕には「王」と「天皇」の違いはよくわかりませんでした。つながり方はともかく「天皇」は、稲を通じて日本人の「集合的な無意識」と接ぎ木されていて、そのつなぎ目もわからないくらい、巧妙に接ぎ木されているため、やっぱり闇の中にいるみたいでした。闇の中・・・・・。ま、いいか。ところで、昭和天皇が亡くなられた折、道々こうべを垂れたり、嘆き悲しむ人々を多く見かけることについて、浅田彰さんが「自分はなんという土人の国にいることか」みたいなことをどこぞかに書かれていて、それに対して吉本隆明さんが激怒した、という話を、これまたどこぞかで聞いて奇妙な思いをしたものですが、「天皇制」というものを手ごわい対象として究明しようとしていた吉本さんからすれば、単に「土人の国」というくくりをしてほしくはなかったんやろな、とか思いました。「天皇制」、手ごわい・・・・・。ような・・・・・。
2020年12月09日
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モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」、第39番【中古】 モーツァルト:交響曲第36番「リンツ」・第39番 /ブルーノ・ワルター,コロンビア交響楽団 【中古】afb
2020年12月08日
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(折口信夫の説の)注目すべき第一の点は、稲の起源が高天が原に設定され、アマテラスが降臨する皇孫に授けた稲種によって地上における稲作がはじまった、と語られていることだ。稲作が天皇一族とともに大陸から渡来した可能性は否定できないが、弥生の早期に日本(ヤマト)を統治する国家が存在したはずもなく、所詮、稲の起源など列島に点在する村々、国家の数ほどあるとみておいたほうが無難だ。ここでは、瑞穂の国を統べる<王>としての正当性が端的に、高天が原の斎庭の稲に発するものと語られていることに注意したい。数も知れぬ群小の起源は高天が原の稲に収斂され、稲をめぐる”一系の権威”の物語が産み落とされる。稲を作る村々の民俗の時間は、こうして天皇制の擬制神話の時間に呑みこまれてしまう。はじめに天皇と稲ありき。稲の元種を授けた皇祖神の神恩への感謝という主題が、新嘗祭に影を落とすことになる。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P215)
2020年12月08日
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モーツァルト:交響曲第25、29、39番【中古】 モーツァルト:交響曲第25&29番 /レナード・バーンスタイン,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団,ペーター・シュミードル 【中古】afb
2020年12月07日
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たとえば、異族の<王>であったかもしれぬ天皇は、大嘗祭に媒介されることで、農耕祭儀をつかさどる司祭=稲の<王>へとみずからを<作為>する。天皇制という<作為>を土俗的な<自然>の位相にズラしつつ組みかえる装置としての、天皇の世襲祭儀・大嘗祭――。吉本(隆明)がそこに見出しているのは、土着的な農耕社会の時間を天皇制の時間の内側に包摂する、<作為>された擬制の論理でありメカニズムである。しかも、<作為>はもはや<作為>の貌すらもたぬまでに徹底的な抽象化をほどこされ、天皇制の時間の深度において<自然>の仮象を装うにいたっている。これほど巧妙な土俗の時間の収奪法はかんがえられない。だから、土俗の時間を遡行し闇雲に掘りさぐる者たちはかならず、天皇制の時間の不可視の層にシャベルの尖端をぶちあてたところで、すごすごと引き返すほかはない。(赤坂憲雄さん「王と天皇」P204)
2020年12月07日
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