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http://youtu.be/_yLB9xd3Od02014年ブラジルW杯が開幕してから、自分でもびっくりするほど頭の中がW杯一色で、思考が停止してしまいました。当ブログは、だいたい週一の更新を目指して書いていましたが、ついに何も思い浮かばなくなり先週は飛びました。なんせ空き時間はすべてサッカー見てましたから。昨日、日本代表の敗退が決まり、とりあえずテンションが落ち着きましたので何か書くことにし、ネタを整理していたら、積読(ツンドク)の棚(買っただけでまだ読んでない本の棚)に内田篤人の本を発見。僕はサッカーファンであり"鹿島アントラーズ"ファンです。サッカー好きと言っても、僕の中では アントラーズ > Jリーグ > 日本代表 > ワールドサッカー、というような優先順位があります。W杯期間中といえども、パソコンを開けばまずアントラーズの情報を見ます。W杯日本戦も、内田と大迫を応援してまして(伊野波も)、内田は一番頑張ったと思っています。http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/200812070000/ 内田篤人は鹿島アントラーズ初の高卒ルーキー開幕戦スタメンレギュラーだった選手で、その試合でも先制点となるPKを獲得し、4戦目では初得点を記録しました(当時のJリーグ最年少得点記録17歳11か月22日)。在籍時(2006~10年)は3連覇を含むアントラーズ黄金期で、自身も2年連続Jリーグベストイレブンに選出されるなど活躍しました。現在はドイツブンデスリーガの"シャルケ04"に所属し、ヨーロッパ最高峰の"UFFAチャンピオンズリーグ"でベストフォーまで進出を果たしています。と書き並べれば順風満帆のサッカー選手人生ですが、実は原因不明の嘔吐や肉離れなどの怪我に悩まされ、不遇の時代も経験しました。そして、4年前の"南アフリカW杯"では、それまで日本代表不動のレギュラーだったのが、本番で突如戦術変更になり、控えに回って出場ができないという屈辱に見舞われます。『僕は自分が見たことしか信じない』は、そんなサッカー人生の2012年までの自叙伝です。当然今回のブラジルW杯につては触れられていませんが、3戦勝ちなしの惨敗日本代表の中でひときわ頑張っていた理由がここに記されています。 アントラーズの中盤 鹿島の強さは中盤にある。これは自信を持って言い切れる。それだけすごい選手が中盤に集まっている。 まずはタクさん(野沢拓也)。とにかくうまい。僕が見てきた選手のなかで一番うまいかもしれない。トラップなんて、変態的にうまい。 そこにモトさんが加わる。一言で表すと、気遣いの選手。普段の生活でも、若い選手に気を遣ってくれるお母さんみたいな存在だけど、サッカーでもそう。ここに顔を出してくれれば、助かるという場面で、動いてくれる。そういうのは教えてもらってもなかなかできない。サッカーセンスがある証拠だと思う。 そして、パパみたいな満男さんがどっしりかまえている。満男さんは、パスを出そうとして、蹴る直前に方向を変えることができる。だからボールを失うことはほとんどない。本当の意味で技術のある選手。 しかも、3人全員が技術とセンスだけじゃなくて、勝ち方やゲームをコントロールする方法を知っている。例えば勝っている展開で急いで攻める必要がないとき、相手のカウンターを誘発しやすい危ないパスは出さない。出さないと意識したら絶対に出さない。シュートかパスかを選択するときも、時間帯と展開を見極めたうえで、適正な判断をする。頭で分かっていても、それを試合で実行できるかどうかは別問題なのだけれども、それができてしまう。これだけの選手がいて、強くなかったらウソだよね。 そんなアントラーズでも苦戦することがあった。2012年だ。リーグ戦では33試合目(全34試合)でJ1残留が決まった。心のどかかで「アントラーズだぜ、だいじょうぶだろ」とおもっていたけれど、終盤もつれたことで、僕はいてもたってもいられなくなった。 J2に落ちたらどうしようか、ということも考えた。現実離れしているかもしれないけど、もしJ2に落ちたら鹿島に戻ることも真剣に考えた。あれだけお世話になって、ここまで育ててもらったのに、鹿島が困っているときに自分だけドイツでプレーしているわけにはいかない。見過ごすことはできないと思った。〔鹿島アントラーズはチームとして選手とのつながりを大切にします。他チームに移籍した選手に対してもフォローしているし、引退後のケアもして、まさに家族なのです〕 鹿島への恩返し 海外移籍を意識するようになって、代理人のアッキー(秋山祐輔)に強く要望したことがある。 それは、海外に移籍する場合、鹿島にきちんとした移籍金を残すこと。残りの契約期間に応じてではあるけれど、1億円を超える移籍金が支払わなければ、移籍できないように契約書に明記してもらった。 1年目から鹿島で試合に出させてもらって、リーグ3連覇も経験させてもらった。それで「じゃあ、移籍するね」というのだから、僕の心情として、少なくとも億単位のお金を残さないと移籍できなかった。 最近、契約が切れるときに移籍する「0円移籍」が増えてきている。ひとつの手段、選手の権利として認められているけれど、僕にはそれはできなかった。 ほかのクラブの選手とは、クラブに対する愛情が違う。移籍金はいい換えれば、クラブが僕に注いでくれた愛情への対価。 たくさんの移籍金を残したい。 僕はそう思ったし、クラブがそう思わせた。それだけ鹿島は選手を大事にするクラブだった。 満男さん、浩二さん、ヤナギさん(柳沢敦)は海外に行っても、鹿島に戻ってきた。そういう姿を見てきた。 海外で経験を積んで、ゆくゆくは鹿島に帰ってきて、チームに経験を伝える。それが最高の恩返しになると思う。 〔内田のアントラーズ時代の背番号は「2」番。背番号固定制になってから、アントラーズの初代2番はブラジル代表ジョルジーニョ、2代目が日本代表奈良橋晃、そして3代目が内田篤人でした(20年で3人しかいないんです。ちなみに10番もレオナルド、ビスマルク、本山雅志の3人)。内田が退団した後は、なんと空き番になっています。空けているということは、いずれ帰ってくると信じてるからでしょう。〕 勝利の価値を纏う 鹿島アントラーズにいたころ、僕が先発しないとチームの勝率が4割くらい下がるという記事を読んだことがある。誰が見たって、僕が抜けるより(小笠原)満男さんやエースストライカーが抜けるほうが、チームにとっては大打撃でしょう。単なる偶然だと思っていたし、そのデータについて深く考えたことはなかった。 でも、ドイツに来てからも同じような記事を目にした。僕が出ている試合は右サイドの攻防で9割近い勝率があった。逆に出ていない時は大幅に下がると書いてあった。右サイドの前線には、世界屈指の選手ファルファンがいるから僕が何もしなくても、右サイドは勝つだろうとは思っていたけれど、僕が出ていない試合でもファルファンは出ていたので、そういうことでもないらしい。 岩政(大樹)さんは「それが選手の価値」と言っていた。チームを勝たせることができる選手が重要だと思う僕からしてみれば、素直にうれしい言葉だった。〔実際、内田が退団してからアントラーズはリーグ戦4位6位11位5位と優勝を逃しています。逆にシャルケ04は途中入団の14位から、3位4位3位と上位を確保するようになりました。サッカーは得点者やアシストばかりが注目されますが、戦術面や心理面を含めとても複雑なのです。〕 言い訳や文句は言うべきではない(小笠原)満男さんは試合に勝てなかったら、「悔しい。次は勝ちたい」としか言わない。言い訳も文句も聞いたことがない。鹿島アントラーズにはそういう選手が多かったし、男らしい背中をいっぱい見てきたから、自分も自然にそうなりたいと思うようになった。 最近、そのことを強く意識した出来事があった。日本代表のワールドカップアジア最終予選・オーストラリア戦(2012年6月12日・メルボルン)。そのつもりはなかったけれど、僕のファウルで相手にPKを与え、決められてしまう。 試合後、僕はあえて選手の先頭を切って取材エリアに出ていった。当然、多くの記者さんに囲まれ、僕は「主審がPKと言ったらPK」と答えた。そこで言い訳するのはカッコ悪いと思った。 満男さんだったら、鹿島の先輩だったら絶対しないと思ったから、ロッカーから出るとき、「言い訳はするもんか」、と心に決めていた。 結局、言い訳したって、文句を言ったって、ミスを取り返すことはできないし、うまくなるわけではない。悔しいことだけど、試合でしか挽回できないんだ。だから言い訳や文句は言わない。 〔今ブラジル大会初めに話題になったのが、西村雄一主審のPKの笛です。ちなみにサッカーのルールでは、相手選手を手で押さえるとホールディングという反則なので、あの場面は反則が適用され、誤審ではありません。ただ倒されたブラジルのフレジが、いかにも反則をもらいにきていたこともあり、主審によっては反則を取らない場合も考えられます(逆にフレジのシュミレーションを取る場合も)。それにしても、今回はボールに絡んだ動きの中でのことで、内田がとられたのはボールと関係ない所で、しかも相手が勝手に転んだのです。それでもコーナーキックの直前に相手の肩を手で触れていたということで笛を吹かれ、PKになり日本は勝ちゲームを引き分けにされてしまいました。僕もこの判定はミスジャッジだと思いました(一応4級審判でしたので)。それでも、ぐっと飲み込んで次のステージに向けて歩き出した内田は、確実にステップを一つ昇ったのでした。〕 人のせいにすると一生後悔します 今、僕はドイツにいます。ヨーロッパの人たちは、怒るとすぐに人のせいにしてきます。おもしろいもので、人のせいにする人は伸びないんです。常に反省がないから。僕のせいじゃないのでは? と疑問に思うことも多々あります。そういうときに僕は「はい、僕が悪かったです。その代り、今あなたが捨てた”伸びる”分を僕にください」って思うようにしています。
2014年06月27日
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画像はイギリスのドキュメンタリー番組『the Great Global Warming Swindle(地球温暖化詐欺)』です。2007年に公共放送「チャンネル4」で放送されました。2007年と言えば、アル・ゴア(2000年大統領選挙・民主党候補)とIPCC(気候変動に関する政府間パネル)がノーベル平和賞を受賞した年です。当時から「地球温暖化」の胡散臭さを指摘していた学者がいて、ジャーナリズムもちゃんとフォローしていたということでしょう。 「地球温暖化問題」は、1989年アメリカの上院の公聴会(科学・技術・宇宙の小委員会。議長はアル・ゴア)での、米航空宇宙局(NASA)ゴダード宇宙研究所のジェームズ・ハンセン博士の発言に始まります。「最近の異常気象、とりわけ暑い気象が地球温暖化と関係していることは99%正しい」というものでした。これを契機に地球温暖化が世界に発信され、1992年環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)が行われ、気候変動枠組み条約締約国会議(COP)の開催が規定されました。その際に温暖化の原因が、化石燃料(石炭・石油・天然ガス)消費による二酸化炭素の増加であるとされるのです。1997年、京都で「COP3」が開催され、「京都議定書」なるものが決定されます。温室効果ガス(主にCO2)を、先進国で削減(全体で5.2%)しようという取り決めです。この時に「排出量取引」などという、怪しげなものも生まれました。目標とするところは、限りある化石燃料を倹約し、自然破壊を防ごうということなので、全世界の良心を持つ人々に受け入れられました。が、経済事情などの具体的なこと、あるいは実際的な狙い(途上国への差別)を考えると、素直にいいことだとも言えないものでした。歴史的にみると1990年代というのは、冷戦が終結して世界の中に対立構造が無くなった、非常に稀有な時代でした。それで世界が一つになったと勘違いをした活動家が、地球環境を守ろうなどと思いをはせるわけです。それが21世紀になり、「9.11テロ事件」が勃発し、新たな敵対構造が鮮明になると、地球環境などと悠長なことは言っていられなくなります。さらに、途上国の人口爆発による、食糧危機、エネルギー不足が顕著な課題となり、さらに原発事故を迎えて世界に暗雲が立ち込めくるのでした。今この段階で、地球温暖化問題を振り帰ってみますと、誰か(あるいは組織)があの時点で問題となる将来を見据えて企んだことだと解ります。卓見ではありましたが、解決には向かっていませんでした。なぜなら、地球温暖化は嘘だったからです。 僕の住まいは、ほぼ東京の埼玉。年々暑くなっているのは体感としてわかります。子供の頃は、夏休み期間でも毎日30度を超えるということはありませんでした。まして体温を超えるなどということはあり得ませんでした。だからあの頃より暑くなっているのはわかるのですが、1960・70年代は寒冷期だったんだそうです。アル・ゴアの著書『不都合な真実』にもグラフが出ていて(出典:IPCC)、よく見ると1940年代後半から70年代前半までたしかに気温は下がっています。あの頃に比べたら今は暑いということと、都市のアスファルト化による地表温度の上昇ということが、暑くなった真相でしょう。地球全体としては、140年間(それくらいしか正確な記録がないので)気温は変わっていないんだそうです。地球温暖化説側の気象予報士・森田正光さんが、「100年で、0.7度も上昇している」と訴えていましたが、”も”なのですか? 年々暑くなっているという実感と、数字的には少ししか変わっていないというデータのはざまで、地球温暖化問題の主役がCO2であるということに、僕は疑問を持っています。CO2は空気の中に、体積で約0.04%含まれています。もし仮にこれが倍になったとしても、0.08%。わずか1%にも満たない量です。毒ガスならいざ知らず、自然界に存在している気体で、少々増えたところで有害になることはありません。のみならず、植物にとっては”光合成”を行う上で必要な物質であります。CO2がもっと多かった頃、恐竜のいた中生代ではCO2は約10倍でしたが、自然環境としてはもっと豊な時代でした。しかも人間が化石燃料の使用で増やしているCO2の量は、全体の100万分の1にしかなりません。CO2のほとんどは、地球上の生物の呼吸と火山で生まれているのです。だから、地球温暖化を防ぐために、化石燃料の制限をしろという理論は怪しいと考えるのが普通でしょう。つまり、発展途上国に化石燃料を使わせないという目的の、差別的理論だったのです。 自然愛好家が急増した90年代はブームとして認知されていましたが、今になってもまだ信じているのは、どうも日本人だけのようです。2009年に「クライメートゲート事件」という、地球温暖化のデータが一部の学者のでっち上げだったことが暴露された事件がありました。それ以来、まともな学者の意見が聞かれるようになり、CO2排出規制などという馬鹿げたことはどの国もしなくなりました。CO2の削減は、経済規模の削減に等しかったからです。ところが、真面目で自然が好きな日本人だけは、CO2規制に努力を続けています。というより、最近政府の指導で地球温暖化問題を強調している気配を感じます。ズバリそれは、「原発再稼働」の布石です。化石燃料輸入による貿易赤字とCO2排出削減は、原発再稼働へ向けての2本柱の理論となっています。NHKの会長が、政府べったりの籾井某になったのでますます地球温暖化キャンペーンは進むでしょう。冒頭のイギリスBBC放送とは大違いです。 2年前に、CO2のことは武田邦彦教授の『間違いだらけの環境問題』の項で取り上げました。http://plaza.rakuten.co.jp/sontiti/diary/201103190000/全くその通りです。
2014年06月12日
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このブログは、年末に1年のニュースをまとめて解説する事にしているので、同時刻での事件はあまり取り上げていません(基本「健康ブログ」ですので)。現在進行中の事件はニュースソースの偏りもあって、間違った情報で判断をして恥をかくことがあるからということもあります。(もちろん僕の知恵の浅さが根源ですが。)昨年も「パソコン遠隔操作事件」の片山被告を擁護して間違っていました。どうしても弱者の応援をしたくなる、判官贔屓的発想が原因かもしれませんがー。そうなると今回もそんな気がしますが、ここ数カ月の「小保方バッシング」に違和感があったので、現在の感想をあえて残します。バッシングが始まったころ、床屋でこの話題になり、「小保方さんは悪くないよ」と主張した覚えがあります。あれから3カ月以上たちましたが、僕の感想は変わりません。「小保方さんを利用して、金儲けを企んだ奴が混乱を招いた」というのが僕の見解です。 科学者の世界については、周りに存在する知り合いもないので、伝聞と想像になってしまいますが、真理を求めたいとか、人類の役に立ちたいという”普遍的な夢”に立脚する仕事でありながら、一方、有名になりたい、尊敬されたい、お金持ちになりたいという”欲望的な夢”に囚われることにもなりがちな職業です。もちろん他の職業にも夢はあるのですが、科学者の成功者の頂点は、ノーベル賞だったり、歴史に名を残す発明・発見だったりするので、対価報酬が桁外れなのです。しかし、それだけ達成も困難で、成功と呼べるのはごくわずかの人になります。目指すには困難以上の頭脳と精神力を備えた限られた人で、環境に恵まれるということも条件になるでしょう。小保方晴子さんもそんな一人でした。能力的にどの程度だったかは解りませんが、この道を目指したのですから条件は備えていたのでしょう。この事件に関わるバカンティ教授、若山教授、笹井教授もそれぞれ自分の夢のために研究をしていて、彼らは経験と実績を持っていました。小保方さんはSTAP理論を実証すべく、ハーバード大のバカンティ教授のもとで実験を繰り返していました。当初誰もその存在を信じなかったのですが、未知のものを追究するのが科学者の特性であり、理研の若山氏が自分の研究所に招き協力するようになります。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中教授に対抗してか、理研も万能細胞に力を注ぐ方針を取ります。そんな時にSTAP細胞発見の報告を受け、検証もないまま「STAP細胞プロジェクト」がスタートしました。そして、科学雑誌に論文を発表し、同時に特許を取得するという「スケジュール」が、理研によって組まれます。2012年に一度却下された論文が、京都大から招いた笹井教授の手で直すことによって、今度は見事に査読(学術誌に投稿された論文を専門家が読んで査定する)も通ります。この一連のタイムスケジュールが、「特殊法人の指定」に間に合わせたいという力が大きく働いていたことが最近分かりました。 周知のように、「ネイチャー」に発表された論文は、結果を急ぐあまり内容に不備があり(70枚のうち3枚の写真が間違っていた)、撤回を余儀なくされ計画は失敗に終わります。(この不備の発見があまりに早かったので、発見者には何かの意図があったと思われます。)しかし、その失敗の原因を小保方さん一人に負わせようとする動きが、僕には全く納得できませんでした。「一人の未熟な研究者が膨大なデータを集積し、極めてずさんな取り扱いをして、責任感に乏しかった」という、理研理事長(野依良治・ノーベル化学賞)の指摘は唖然としました。その未熟な研究者をリーダーに祭り上げたのは誰なんだ。小保方さんは、STAP理論を実証すべく、一途に実験を重ねていただけで、実験の適否は上司や共同研究者が行うべきことでした。出来てもない細胞が出来たというなら、共同で実験していた仲間にばれるわけで、複数で行う研究では観客をだますマジシャンのようなことはできないはずです。まだ20代で駆け出しの研究者であることは誰でもわかっていることですし、無給研究者の小保方さんがこのプロジェクトのリーダーになったのも、前記のスケジュールが作られた後なのです。実験はまだ完成ではなく、明らかに仮説でしかない段階でスケジュールが組まれ、結果を示す締切が設けられてしまったのです。これで間違いが3か所あったからと責められては立つ瀬がない。小保方さんの責任度は、理研が言うほどには高くないと僕は思います。人間だから、間違いもあるし、経験のなさで未熟なところがあっても当然です。それが許されないなら、若い研究者は育てられないでしょう。3人の教授も夢に向かって共同研究をしていただけで、研究のすべてに実績が伴わなければだめだというのなら、誰も未知の分野に挑戦しなくなります。 悪かったのは、研究を金儲けに役立てようと画策した理研上層部と、何も考えないでブームを作ろうとしたマスコミです。万能細胞の医療への貢献度は計り知れないものです。その完成の暁には莫大な利益と名誉が待っています。それだけに競争も激しく、一刻を争っていたのでしょう。理研の上層部が焦る気持ちもわからないではありませんが、失敗の責任を研究者一人に負わせるのは話が違います。小保方さんは金儲けの宣伝に使われただけです。ピンクの研究室もムーミンのぬいぐるみも理研で用意したことが解っています。マスコミはスキャンダルで儲けようとして、個人のプライバシーまでさらしものにしました。小保方さんの精神状態に異常が出てるのも解ります。完全に人間不信に陥っていることでしょう。 今回不本意ながらも小保方さんは論文撤回に同意し、この研究はなかったこととされてしまいました。まだ仮説段階を出ていなかったので、致し方ないとは思いますが。しかし、理研の出したSTAP細胞の特許申請はそのままなのです。論文の撤回は強制して、同じ内容の特許申請は取り下げない。小保方さんの研究は否定しても、金儲けの種は残しておこうという魂胆なのでしょうか。 補足:STAP細胞 とは、「刺激惹起性多能性獲得細胞」のことで、動物の細胞に外部から刺激を与えるだけで、細胞が初期化し万能細胞ができるという理論から生まれた細胞。小保方さんの論文では弱酸性の液に浸すことで作られるとあり、自らは200回以上成功していると証言しました。しかし、他の誰も成功していないので、何か錯覚か間違いがあるのですが、その後の検証ができないので不明です。それじゃあインチキだったのじゃないかと疑われるでしょうが、『ホンマでっかTV』を見てもわかるように、科学雑誌に出てるからと言ってすべてが真実とは思えません。科学の多くは”仮説”なのです。仮説の中からいくつかが、実際に世の中で役に立つだけなのです。また、仮説が間違いだったとしても、罪には当たらないでしょう。
2014年06月06日
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