話飲徒然草〜Tokyo Meanderings

話飲徒然草〜Tokyo Meanderings

2016年12月08日
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カテゴリ: エッセイ



マネはこの画を描くにあたって、何をキャンパスに描こうとしたのだろうか。
ある人は、この絵から、旧世代と新世代の対比を見出す。前向きの読書をする女性という構図は、古典的なものであり、その一方で少女は、近代文明の象徴である鉄道を見据えているからだという。
また、駅に象徴されるのは、別れであり、出会いでもある。人間関係の希薄な都会の住人同士、汽車が発着する様子を旺盛な好奇心を以って見つめている少女と、いつもと変わらぬ日常の中に身を浸す女性という対照的な住人同士が、たまたま接点を持った、その刹那的な時間をマネはキャンパスに封じ込めたかったのかもしれない。

この絵のモデルの名はヴィクトリーヌ・ルイーズ・ムーランという。
マネの傑作「草上の昼食」「オランピア」のモデルとなった女性であるといえば、「ああ、あの…」と合点が行く人も多いだろう。
絵画史上、有名なスキャンダルとなった「草上の昼食」は、ジョルジオーネの「田園の合奏」をモチーフにしたものだそうだ。

それまで、理想像としてしか描かれなかった裸婦の姿を日常の光景の中に、あるがままの姿で描いたマネの意欲作は、1863年にサロンに出品されると、当時の保守的なアカデミーから猛烈な非難を食らい、マスコミからも酷評を浴びることになった。画題の突飛さもさることながら、画法の面でも、ジャポニズムの影響の見られる明確な色調や明るい色彩の使用が伝統的な技法を無視しているとされたのだ。しかしその一方で、彼は、これを以って後に「近代絵画の父」と呼ばれることとなる。


そして画家はこの2年後に再び美術界に衝撃を巻き起こした。
「オランピア」。


ヴィクトリーヌ・ルイーズ・ムーランは当時21歳。職業は「オランピア」の画題のような娼婦ではなく、プロのモデルだった。(アマチュアだという書もある。)ギターが趣味の平凡な女性は、たまたまマネと裁判所で出会ったことが縁で、これらの絵のモデルを引き受けることになったという。
絵を見る限り、失礼ながら彼女はとりたてて美しいとはいえなかったようだ。
しかし、それはマネの意図したことでもあった。彼は、「理想化された美」でなく、「日常の裸婦をあるがままに」描こうとしたのだから。
マネの描いた2枚の絵画は、良くも悪くもパリ中の評判となった。当然、批判はモデルにも向けられる。
「みにくい黄色い腹」「個性的でない顔」「不自然なポーズ」…。
当のヴィクトリーヌは傷ついたことだろう。なんのかんの言っても若干21歳の女性である。
当然街を歩けば、後ろ指を差されることもあったろう。当時としては大胆すぎる絵柄を思えば、描かれている時点で、ヴィクトリーヌ自身、ある程度このような反応は予想していたかもしれない。しかしそのようなリスクまで侵しても、彼女がモデルを続けたのは、やはり天才マネのインスピレーションに強い共感を受けたからであるまいか。事実、この後、彼女は画家を志した。あるいは、もともと画家志望だったのかもしれないけれども。
いずれにせよ、「オランピア」に描かれたヴィクトリーヌの誇らしげな表情は、まさにマネの意図する芸術に賛同し、その一翼を担うということへの、自負心に満ち満ちているようにも見て取れる。

二人が再会し、「鉄道」が描かれることになったのは、「オランピア」から10年後のことである。
この2枚の絵が描かれる間の10年間はヴィクトリーヌにとって、どのような歳月だったのか。数少ない著述によれば、ヴィクトリーヌは結局、画家としては成功することはなく、酒に溺れて生涯を終えたそうだ。しかし、この時の彼女はまだ33歳である。当然老け込むような年ではない。
それでも、「鉄道」に描かれた彼女には、もはや「オランピア」に見られるような自信と誇りに満ちたまなざしは見られない。むしろ、実年齢以上に、幾星霜をかさねて、人生の悲哀を思い知らされたかのような、そんな姿だ。マネによって一躍「時の人」となった彼女だが、その後は自らの力で再び世間の注目を浴びることの難しさを実感することになったのかもしれない。

過去と未来。出会いと別れ。古きものへの愛惜と新しいものへの挑戦。ヴィクトリーヌの隣で汽車に見入る少女は、新たな時代の幕開けの象徴であり、40歳を越えてさらに道を切り開かんとするマネの心の投影であると同時に、かっての「同志」ヴィクトリーヌへのマネなりのエールなのしれない。


「オランピア」は、その後、印象派の絵画が人気を博していたアメリカに渡りかけたが、1890年に、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌなどが中心になって、この作品買取りのための基金集めをし、政府に寄贈されることとなった。絵は最初リュクサンブール美術館におさめられ、17年後の1907年、ルーヴルに移管された。(今はオルセー美術館に展示されている。)
かのモネが美術相あてに、この作品をルーヴルにいれてくれるようにと、切々に訴えた手紙が残されている。「オランピア」がいかに印象派の画家たちにとっていかにモニュメンタルな作品であったかを物語るエピソードだ。
後年、年老いたヴィクトリーヌが、自分自身が最も輝いていた瞬間の記録を、ルーヴル美術館で目にすることがあったのだろうか。興味のあるところだが、しかしそれを知るには、私の手元にあるヴィクトリーヌ・ルイーズ・ムーランに関する記述はあまりに乏しい。

<追記>

ヴィクトリーヌ・ムーラン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3

一部抜粋すると、
・マネは1870年代初めまでムーランをモデルとして使い続けたが、この頃ムーランが絵のレッスンを受け初め、マネが反発していたアカデミック美術に惹かれるようになったため、二人は疎遠になった。マネがムーランを描いた最後の作品が、しばしば「鉄道」と称される1873年の「サン・ラザール駅」である。
・1880年代までは、エッチングで最もよく知られるノルベール・グヌット(英語版)とアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックのためにモデルの仕事も続けた。
・ムーランはサロンで6回作品を展示している。
・1903年にムーランはシャルル・エルマン=レオンと創立者トニ・ロベール=フルリー(英語版)の後押しによりフランス芸術家協会(英語版)の会員となった。
・1906年までにはムーランはパリを離れてコロンブの郊外に移り、余生をマリー・デュフールという女性と過ごした。
・ムーランの作品で唯一残っているのが、2004年に発見された油絵 「枝の主日」("Le jour des rameaux")で、現在コロンブ歴史博物館に展示されている。

ということで、私の想像とは少し異なっていたようで、この作品を最後にマネと袂を分かったようですね。画家としてはサロンに数回入選するなど、現役時代はそこそこ成功していたようですが、現存しているのがたった一枚だけというあたり、この世界の厳しさを改めて知らされます。

ジオット ~ 小鳥に説教をする聖フランチェスコ(S'sArt拾遺集)
ラファエロ~草原の聖母 (S'sArt拾遺集)
モネ  「印象~日の出」(S'sArt拾遺集)
ゴヤ~「黒い絵」とボルドーのミルク売り娘(S’sArt拾遺集)
フラ・アンジェリコとフィリッポ・リッピ(S's Art拾遺集)
鉄道(サン・ラザール駅)〜マネ(S’sArt拾遺集)
ラファエロ~ガリテア (S’sArt拾遺集)
モディリアーニ  ~ 黄色いセーターのジャンヌ・エビュテルヌ(S’Art拾遺集)

「S 'Art」の記事は こちらのアーカイブ にもあります。
http://www.asahi-net.or.jp/~mh4k-sri/





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