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全国各地に出張にいきますが、回数的に一番多いのは大阪。 (ちなみに私は東京です)親しくしていただいている方も多いですし何といっても「ノリの良さ」がうれしいですね。宿泊するケースも多々あります。(最近は時間がタイトで日帰りも多い・・)その宿泊できる時に、泊まるホテルも決めています。 そのホテル、いろいろ素敵なところがあるのですが一番のお気に入りは「リフレクソロジー」台湾式で、ちょっと痛いは痛いですが(タイ式はもっとすごいらしい)そこの「リフレクソロジスト」の方とはすっかり顔見知りになっています。 先日は「運動不足」の話になりました。(その方、スポーツトレーナーでもあるそうです) 「再木さん、何か運動していますか?」 「自慢じゃないけど全然やってないです。 嫌いじゃないんですけどね(言い訳!)。 でも、自分でもよく歩くと思いますよ。 歩くのは全然苦にならないし、割と意識的に歩いています」 「歩く・・も、まあ何もやらないよりはいいですけどね~。 歩くって、膝の下の筋肉しか使わないないんですよね。 上の筋肉は使わないから ホラ、再木さん、膝が出っ張ってる感じでしょ? (へっ?膝って出っ張ってるんじゃないの?みんな) これ、とっても危険です。 年取ったら膝に負担が相当行ってしまって大変なことになりますよ。 (が~ん!が~ん!!) 自転車のるとか走るとか、もっと膝から上の筋肉を使うスポーツしないと!」 「そう急に言われても・・ いきなり、そういうことではなくて、もっと手軽にできるのを教えてください」 「いきなり~~~?!! (自転車や走ることが「いきなり」といわれる程の 激しいスポーツかい!←彼の話し方からの私の意訳・・) そうですか、じゃあ、スクワットなんかいいですよ。 手軽でお勧めです。」 「はぁ、スクワットね・・」 「いいですか、ちょこちょこと膝を曲げるだけでなくて~~」(正式なスクワットお作法を習いました) と、いった会話がありまして部屋に戻りやってみたんです。教わったように。 そしたら、出来ない!!キツイ!!足が痛い!!! 「もっとも手軽」と言われたことさえ出来ないすごくダメな私?!落ち込みから立ち直るのに数日かかりました。この間も、もちろん数回のスクワットもできていません・・・。
January 31, 2008
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自分の存在価値にアンテナが上がっているせいかもしれません。 最近、読んでいる本やたまに観るドラマでもこの「私を見つけて」という表現によく行き当たる気がします。(そうでもないですか?) 例えば「私を見出して」とかだと、ちょっと他力本願な?感じがしますし「私を発見して」も、発見する方も血眼?!(苦労して発見しなければ!)状態。且つ、心ではなくて、物理的なイメージ。そういう中で「私を見つけて」っていうのは、とても自然でもあり切実でもあり(あぁ、わかる!そうなのよね)と、すご~く私の中でも「落ち着く・落ちる」感じ。 昨日「人生は旅」という事を書きましたがそれに通じるところがありそうです。 その旅という人生の先々で(場面場面で)私たちは、人(相手)に自分に「私を見つけて」といつも思っているのかもしれませんね。 でも、人って、私も含めて(多いに含まれます!)ですがその「私を見つけて!」「私はここに存在しているのよ!」と言いたいときに、妙に自分を防衛してしまうというか素直に言えない(言ってたまるか!もあり?)というか裏返しの表現(言葉・態度)をしてしまう場合がとても多いように感じます。 そうして、また自分の心をより痛くしてしまう・・・ それは(私の防衛の型はこれって分かっていますよ!)(自己分析、バッチリですから~~!)(人間できてますからね!)という問題や理屈ではないところにありそう。 じゃあ、どうしようもないのかな?イエイエ、人間ってやっぱり素晴らしいですよ。 もがいても、苦しくても「私を見つけて、と感じている・言いたい自分がここにいる」という事を自分自身で「受け入れられたとき」にまた、前を向けそう。 それが一人でできるときもあるかも知れません。でも、一人じゃちょっとしんどそうかな、と思ったら支援者・気のおける友人・仲間に手伝ってもらってくださいね。
January 30, 2008
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本当にそうだなぁ、と最近、とみに思います。 計画した通りに順調にいくことばかりではない。すんなりと目的地に到着する場合もあるけれどどちらかと言えば、そうではないことが多いですね。思った時間に電車やバスが来なかったりタップリのアクシデントが待っていたり。行き着いてみたら(アレ?こんな感じなの?)と感じたり。(もっと、いい計画が立てられたのではないかな?)(予定通りにならないのは、一体何の(誰の)せいだ!あれか?これか?)が、常なのかも知れません。 このブログにも一部は書いていますが私はこの2年は「仕事」だけで突っ走ってきた自分を改めて振り返っています。そうしながら、自分を見つめなおしています。 走り続けた時、もちろん充実感がありました。(それも、相当に!)理念もミッションもあるように感じていました。そう、何かに突き動かされてもいたし、何かに支配されていた気も・・。そういう時って、「旅が、順調に滞りなくいけば、それだけでオーケー!!」という感覚かな。 計画したに寸分たがわず、行くところ(行きたいではない)は行って見るべき(こちらも「見たい」ではなく)ものは見て。 それは、旅行社がたててくれた、分単位の旅のプログラム(ツアー)が「滞りなく進んだ」といったような安心感である一方(これは旅?旅という仕事?!)とも思える感じ。(旅行関係者のみなさま、こんな表現ごめんなさい) まったく人それぞれですからその満足感、安心感のある方に「それでいいの?」という気持ちはまったく無いですが私自身はどうも「私にとっては、それは心地よくないのかも!」を振り返りの中で思っています。(ただし、自分も立てたツアー計画には責任を持ちたい、も大いにアリ!) 旅の最中に、自分をよくも悪くも「開放」したときこそ人の出会いの喜び・つながりとか暖かさを痛感する自分がいます。振り返ってみて、そういうことが一番になっている自分もいます。 それを改めて気づかせてくれたのも家族、親戚、旧知や新規の仲間達との「自分を解放できる時間」です。 今ここで、そういう空間を実際に持てる自分とそこから「大いに得るもの」をもてる自分もいとおしいというか。少しばかりは、誇ってもいいのじゃない!を実感。やはり旅を作るのも、実際に旅をするのも自分「自分だけの旅を、自分が自分らしさで適宜修正しながら歩む」が、一番なのかもしれないですね。
January 29, 2008
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我が家の家族になって11年の猫がいます。 りりしい顔をしているのですが、女の子(おばさん?)。 年も11なら、体重も11kgでかなり重いです。 知り合いに写真を見ていただく時につい言ってしまうのが「一見可愛いけど、かなり性格は悪い!のよ」 彼女に触ろうとすると、「猫パンチ!」か「がぶり!」の洗礼を受けることになります。それにもめげずに撫でると「ごろごろごろごろ」と喉をならすので(あら、気持ちいいのかな?)・・これが甘い!!今度は「がぶがぶ」とかまれること請け合い。 いつだったか、けっこう長く撫でさせてくれた時に夫と息子はすぐに時計を見て、時間を計った!私も内心ドキドキ(どこか具合でも悪いのかな?)と。それくらいになかなかスキンシップのとれないお嬢さま。 でも「立派な家族」なんです。 息子が子どものころ、極度に動物全般を怖がった時期がありました。外を歩いていて動物がいると、そこを避けようとしてぐう~、と大回りをするのですが怖い一心で周りをまったく見ずになので車や人にぶつかりそうになり、ひやひやしたことが何度も。 それが今は、家の愛猫の食事やトイレの世話をすべてやってくれるので猫の方も、一番息子が好きらしく、ちょっと甘えた声を出したりします(声だけ)。お皿に食事が無くなった時に、私だけだといきなり足をかんだりする!そこに息子が帰ってくると、ダッシュで玄関まで迎えにいったり。なので、息子もその猫を抱き上げる。(でも、やっぱりかむので、背中からこわごわの羽交い絞め?!)いつのまにか、動物への極度な緊張がなくなりました。 夫婦喧嘩のときも大活躍です。何時間も口もきかない時にどちらからともなく、この猫ちゃんを相手に渡す。そこから、会話が始まった経験が何度もあります。喧嘩の原因のところではない部分、というのがいいのでしょうね。 そして、やっぱり何だかんだ言っても話題の中心になることが多いです。「なんでこう性格悪いかね?」「寝ている姿も怖いよね!」「生まれてすぐにペットショップにつれていかれて 親の愛情を受けてないのじゃないかな」など、内容は惨憺たる?ものですが・・。こういうことも遠慮なしに言える。 そうした所も「家族の一員」だと思えるところです。
January 28, 2008
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昨日も(今日に突入したけれど?!)素晴らしい仲間との再会がありました。 数年ぶりだったりの方々ですが月日を経たという違和感はまったくなくていつも「そこに自分の居場所があった・ある」という感覚になります。 集合場所に向かうときにちょっとドキドキしている自分を発見。まるで恋人に会いにいくような・・(といってもこの感覚は既に実感を伴えない?!)仕事の都合で時間には遅れてしまったのですが偶然、お店の入っているビルのエレベーターの前で何人かの方とお会いしたら、もう涙があふれてくる。 飲むほどに、話すほどに自然と抱き合ってまた涙が・・(男性、女性はまったく関係ないですが、念のために女性です・・複数) ゲシュタルトセラピーを学んでいた時のカウンセラー仲間でそのワークや終わってからの飲み会を通して、ともに、よく笑い・よく泣き・よく学び。 その頃の私は、常に息子のことでそれこそ自分の存在価値を見出せずにもがいていて、心がいつも悲鳴をあげていました。そして、それぞれに彼女達も心の痛い何かを持っていました。 何と表現したらいいのかが悩ましいところなのですが「カウンセラーだから」とか「ゲシュタルトを学んでいる人同士」とかそういう役割を超えたところのつながりがあってそれが人の気持ちを揺り動かす、を再確認できた時間という感覚かもしれません。 カウンセリングのときでも(私はカウンセラーだから、習ったとおりに「鏡」にならなくちゃならない)(カウンセラーとしてあるまじき対応の仕方はしてはいけない)(こういうケースにはこう接する)などと、カウンセラーである「自分」に気がいっている時ってカウンセリングそのものも、クライエントさんにも何らかの変化が起こってこない。 カウンセラーはカウンセラーなのですがそれよりも、まず「一人の人間として」そのクライエントさんに「好意的な興味・関心」や「その人の存在そのものを大切にしたい」という気持ちで、向かい合っていくことが出来たときに何かが変わる。そんな気がしています。 昨日お会いできた方々も、そういった「ハート」を持ったメンバーばかり。その心からの関わり合いを「自分の心地よい居場所」と感じてあふれる涙になったのだと思います。
January 27, 2008
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「とても惹きつけられる男性」がいます。 たった一度だけ「おはようございます」と言ったことがあるだけなのですがもう数年、その方にどうしても目が行ってしまいます。時には、足を止めて見入ることも!(再木奈生、不倫か?ストーカーか?) 最寄り駅に行くまでにある幼稚園の保育士さん。(痛みに付き合うの時に書いた幼稚園児がいるところの先生です)年の頃は、30代後半から40代前半かなぁ。観察した?所によると、園長先生とかではないようです。 最初は(こんなところに幼稚園があるのか・・)という感じで自宅と駅の行き来をしていたのですがある時に、すごく元気な声で(大きい、とも言う)その先生が園児達に話をしているのに気づきました。(へぇ、今は男性の保育士さんも多いって聞くけど本当ね。 でも、若い訳じゃないし・・失礼!・・ 転職されたのかな)なぁ~んて、勝手に想像。 朝から晩まで変わらずに(さすがに一日中見ていたことはないですよ!)元気に、そして一生懸命に園児達に向かい合っています。園児達が帰ってからは、どうやらその幼稚園で水泳教室・サッカー教室・ピアノの個人レッスンなどをしているようでそれらの指導者としてもご活躍の模様です。(昨日の夜は、小学生らしい子ども達のサッカー指導をしていらっしゃいました) そういう指導をされているときの言葉などはけっこうキツイものがあり「それじゃダメだって、何回いったらわかるんだ!」とかおっしゃっているのですが何と言っても、子どもたちと関わる「現場」が好きで好きで仕方がない!!っていう感覚がビシビシと伝わってきます。 同時に「仕事に対する熱い想い」を感じて(あ~、いいなぁ・・。ホントに心を揺さぶられる・・)と。 そういう視点で振り返ってみるととてもありがたいことに私の周りには、そうした「熱い想い」を持って動いている方が大勢いらっしゃいます。(仕事という括りではなく「信念」という意味合いです。悩むことも、その人生を大切に考えているからこそですから、やっぱり「熱い想い」です。) 私自身もそうでありたいと思いますしこれからも、そういった方々と共に刺激し合っていきたいと感じてます。
January 26, 2008
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サンラータンメンと言えば 「あ~あ、きいたことあるよ、食べたこともある」と思われる方もいらっしゃるでしょうか。何年か前にけっこうはやりましたね。(えっ?私の中でだけ??) すっぱくて、辛くて、野菜もたくさん入っててとても好きな麺類の一つです。私は、一年を通して無性に食べたくなるのですが最近は「冬限定」として出しているお店が多い気がします。(確かに、暖まります!・・いつも汗だくでいただきます) 昨日のお昼にいただいたお店でも「冬限定」でした。いままで、メニューに無かったのに今日発見した時は感激の極み!!(外に出たら寒いし、風邪気味だから汗かくとマズイかな)とは思いながらも、口はしっかり「サンラータンメンお願いします!」と言っていました。 ところで、私は、東京近郊でこの酸辛湯麺を通年で置いているお店を一軒しか知りません。ですので、冬以外で食べたくなるとどうしてもその目的でそのお店にせっせと通います。「ここもいつもあるよ!」「ここの酸辛湯面は絶品!」がありましたら、教えていただけたら大変うれしいです。よろしくお願いします。(こういうことにブログを使ってもいいのでしょうか?!) 確かに汗をかくのですがこの麺をいただいたあとの汗って「いい汗」みたいな気がして仕方がありません。そう、岩盤浴とかでかく汗と同じでサラサラしている感じです。冬じゃなくても食べたくなります。 その冬の寒さも緩んだ頃の3月1日(土)に「ジョブカフェやまなし」様主催で講演を行います。詳細は私のHP・・http://www.takebythehand.netの「NEWS」からでも見ていただけますしhttp://www.pref.yamanashi.jp/pref/data_file/store_file/200701/file_1200377296458.pdfこちらから。(注意!!写真つき!) これまで私の講演会は来ていただける方に何らかの制限(何かの会員の方など限定)があってオープンにご案内できませんでしたが今回は、大丈夫そうですのでご紹介させていただきますね。 冬を越した頃に山梨のみなさまとお目にかかれる事もとても楽しみにしています!
January 25, 2008
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無我夢中で頑張っていた!という時、ありますか? きっと、おありだと思います。 私も、もちろんあります。何かに憑かれたように、その考えに夢中になっていたりわき目もふらずに行動を起こしていたりします。 そういう時って何が自分を突き動かしているのでしょうか? 我ながら変な質問の仕方ですね。それは、人さまざまという答えになるのかもしれません。 答えはさまざまかもしれないのですがそういう時って、一様に「リスクを恐れていない・考えていない自分がいる」という部分は共通しているのかもしれないなぁ、と感じています。 逆に考えてみると「リスクを考え始めたときや恐れはじめたとき」は「自分の中に大いなる迷いが出てきたり、保守的になったりする」と言えそうです。 ・ こんなことしてて何になるのだろう・ 上手くいくはずがない・ 儲けにならない・ 時間とエネルギーをかけるだけの価値がないのではないだろうか・ 後悔するんじゃないかなぁ・ どうして、こんなに嫌な気分になるのだろう などなど、たくさん出てきます(思いっきり経験者?!)。 何か物事や新しいことをはじめる時あるいは、この方向でいいのかを決断するときに(本当にこれでいいのだろうか、他にベストな方法はないか)と一時的に信念がグラつくということは良くありますがこれは「リスクを負うことを恐れる」という事とはちょっと異なりそう。 これは、他にベストな方法は?と前向きな発想が前提だからです。 誰でも好んでリスクを背負いたくはないと思うのですが(いや、好む方もいらっしゃるかも知れないですね)無我夢中でやっているときにはそもそも気にならないリスクにあまりにも気がいくようになったら・・・その感覚には素直に従ったほうがいいのかもしれません。 何かを決める、判断基準のひとつになりそうですね。
January 24, 2008
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みなさんは、人に何か(品物でも、いい言葉でも気持ちでもいいのですが)を プレゼントするのはお好きですか? 私は「とても好き!」です。 ただ、相手のあることなので(あ~、このタイミングで贈りたいな!)と思うのに、ついついそれを逃してしまうことがあります。そうなると(あ~あ、形に出来なかった・・)と逆に自分を責めることにもなってしまうので受け取っていただく相手の都合に合わせて、というのはあまり得意ではありません。 けれど、相手の受け取るタイミングにあまり左右されずこちらの都合で?用意できる「おみやげ」などは荷物が重くなるにも関わらずにお渡ししたくなりますね。 ところで、おみやげとかプレゼントを「妙にお渡ししたくなる方」っていらっしゃいますね。 そう、とても「受け取り上手」なんです。 妙に遠慮したりせずに、逆に大げさ?に喜んだりせずに「ありがとう」の気持ちを、本当に自然にだしてくださる。そうすると、こちらも「また」という気に自然となります。 言葉に対しても同じ。我が家は日中留守のことが多いので郵便物や宅急便で「再配達」をお願いすることが非常に多いです。 それをお願いする電話を入れる際など「何度も(いつも)お手数をおかけして申し訳ありません」と付け加えるようにしていますがスッと受けとめてくださる方とそうではない方といらっしゃいます。 「イエイエ、大丈夫ですよ。こちらこそご連絡をありがとうございます」と言ってくだされば、お互いいい気持ちになりますが文句は言わないまでもそうした言葉への反応はなく、とても事務的な対応をされるとちょっとこちらも「あら?!」という気になり(宅配ボックスに入れておいてくれればいいのに・・)とか思ってしまう。(人間的度量の狭さ爆発!?) どちらかというと、私達は(私も含めてです)良いこととか、いい言葉がけとかという「いい気持ち(OKストローク)の受け取り苦手」が多いような気がしますが、みなさんは、どう思われますか?
January 23, 2008
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昨日、遅いお昼を取るのに入った飲食店でTV放送をしていました。 トーク番組で、ゲストの一人が鏡リュウジさん(この字でいいのかな?)。占い師さんのようですね。 三人のゲストがお互いに「質問」をしてそれに答えるというコーナーでその鏡リュウジさんが他のゲストの方に対してしていた質問「生まれてからの最初の記憶は?」(言い回しは違っているかもしれません、うろ覚えです) どうやら、その記憶が「今の自分」につながっていることがあるらしいです。ムムッ、何だろうか?まるで自分に投げかけられたかのように考えてしまいました。 確かそれに答えられていた女性のゲストお二人は今の「芸能人」につながっているような素敵な記憶をご披露していたと思います。 私の記憶は・・・とっても悲しく、クラかった・・です。 2歳か3歳の頃ではないかと思うのですが初めて「保育園」に登園した日のようでした。保育園まで連れてきた母親が背中を向けて帰っていくの見て門の柱(棒?)をギュッ~と握り締めて大泣きしている私。(置いていかないで~~!!)という声すらしゃくり上げて泣いているので出ない。(でも、記憶だから「吹き出し」で見える??)その場面がくっきりと。 それが「今の自分につながっている?」う~ん、思わず持っていたお箸をおいてしまいました・・ そういえば(妙に素直に信じるところがあるでしょ?)人に背中を向けられるのも向けるのも苦手なところがありますね。それを想像するのも不安になります。(だからその想像はしません) その記憶がよみがえり「ズドーン」と気持ちが一回落ちたのですがすぐに「その後の幸せな記憶」も浮かんできました。 その保育園、多分あまりに泣いて手に負えなかったからか私がストライキを起こした?からかわからないのですが「一日でクビ」に~!!その後、小学校入学まで、唯一昼間家にいた祖母を独り占めして暮らしたのでした!!(チャンチャン!!) 「嫌なことはいや」とか「自分にとって気持ちが楽を一番に考える」とかも私らしい「種」なのかもしれません。この思考の変わり身の早さも! みなさんの「最初の記憶」はどのようなものですか?それにどんな「意味づけ」をなさいますか?
January 22, 2008
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先日、今年初めての出張でした。 相変わらずのバタバタ・バタバタ・バタバタ 午後の飛行機に乗る前に既に何件か寄るところがあってその日の最初の食事は、13時過ぎに、わずか12分間で!(我ながら細かい・・覚えているほどに時計と睨めっこで食べました ⇒乗り遅れてしまいそうだったので)羽田空港で食べたおにぎり一個とお味噌汁。 目的地についてからも打ち合わせがあって(当然食事なし・・)夕飯は結局、宿泊ホテル内で夜9時過ぎ。 例によってめまいがする程の空腹で(今日の夕飯はたくさん食べるわよ~)と勇んでいました。 が、やっぱり食べられない・・ 自分で注文したものが実際に目の前に並ぶとおでんの「大根」揚げだし豆腐たこ焼き(かわいい大きさと数) これにビールを頼んでなかったら(まるで離乳食だわ~)自分で笑ってしまいました! これ「ある種の緊張症」みたいですね。 私はセミナーや講演会をさせていただくことが多いのでそれをご存知の方に「再木さんは、緊張する、ってことなんてないんでしょうね」と言っていただくのですがとんでもなく緊張します。 当日の朝になると落ち着くのですが前日の晩がピークでこの時間が一人の食事だとしょっちゅう「離乳食」のお世話になりながら(無意識のうちに固形物が喉をとおる気がしない?)の翌日準備。自分でも(大丈夫かいな?!)と思うほど毎回とてもナーバスになりそして、ドッと食欲が落ちます。(お腹はすいているのに~!) そこで、流れるように入っていってくれる?!「お酒」はとっても「栄養補給」になる気が!!(うん、ちゃんと食べられてる!!これで栄養満点!!) えっ?「それは、単に酔っているだけ!」って?イエイエ、物は考えよう、ということにしておいてくださいね。
January 21, 2008
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昨日のリソース(資源)(あるもの・持っているもの・存在するもの)の続きになります。「リソース・私の場合」と名づけてしまおうかな?!著書「あなただからできること、あなたにしかできないこと」では意識して「リソース」という言葉は用いなかったのですが息子が発達障害を伴っていることを知りそれこそ、周りのすべてを妬んだり・うらんだりして心が閉塞感でいっぱい。そこを楽にしてくれた考え方の一つがこの「リソース」という捉え方でした。息子の「普通の発達をしていない」「していかない」「できない」が次々と見えてきて、私の心が悲鳴をあげていたとき私は、まったくその「ない」ばかりしか見えませんでした。「息子に発達障害がある」「普通であればできるこういうことができない障害である」をどうしても受け入れられない。(ちがう、そんな訳がない!というのではなくて 事実を受け止められずに、あがいてる感じです。)辛くて、悲しくて、切なくて・・・これから「どうなってしまうのだろう」と。徐々に変わってきたな(今振り返ってみるとになりますが)と思えるのは、その事実を自分の中に受け入れられたとき。(息子は発達障害を持っている) ↓(私はその息子の母親である)と、はっきりと受けとめたとき「もっている」「ある」というリソースに目が向き始めました。そうなると(リソースに意味づけできた、といえますね)不思議。その「私だけのリソース」「そのリソースのあるわたしだからできること、わたしにしかできないこと」がきっとある!!と考えていくことができるようになりました。「リソース」という言葉や考え方自体もカウンセリングの勉強をしていた「私だからこそ」早い段階で出会えた「私だけのリソース」とも。もちろん「息子のもっているリソース」にも事前に目が行くように! みなさんご自分の「リソース探し」も是非してみてくださいね。さて、ご案内です。私のHP(http://www.takebythehand)の「NEWS」でお知らせしていますが「診断と治療社」から発刊されている「チャイルドドヘルス」1月号で著書の紹介記事を載せていただいています。よろしかったらご覧になってくださいね。
January 20, 2008
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3日前(だったと思う、確か・・)にこのブログに書いた 「あるものに目を向ける」の「あるもの」をその人が「持っているもの」「存在するもの」ということで、リソース(資源)をいう言い方をしたりします。 このリソース探しは、私も大好きで日々この感覚を磨いていきたいな、強く思っています。(人のリソース探しは、自分も元気がもらえますよ!) 特にカウンセリングの場面でクライエントさん(相談をする方)は「無いもの」「失ったもの」「ダメな関係」などに目が向きがちでそちらばかりを追っていくのでそもそも存在しているもの「あるもの」・・リソース(資源)になかなか目がいかないことが良くあります。そこに支援者が一緒になって(例の鏡になってです)「無いもの」「できない」「やれない」「やらない」ばかりを見ていくと・・・共に、ニッチもサッチも行かなくなる。そんな場面を目のあたりにすることがあります。そうした中で、リソース(資源・あること)に目が向いた時に変化がおこってきます。(支援者はそこを全力で支援して欲しい!) 先日の例「私には家族があるを大切にしていきたい」に戻ると(再木さんは家族があるというけれど、私は一人暮らし!家族が「ない」)と、感じる方もいらしたかもしれませんね。「家族がない」・・・「ない」をみています。「一人である」・・・「ある」リソースをみています。ここに感覚の違いを感じていただけるでしょうか。 「家族がない」一人でなんでもやらなくてはならない、話相手がいない、などかな。(寂しい。。とかもっといっぱいありますますね)「一人である」自分の時間がたくさん持てる、自分のペースで何かができる、に変わってきそうですね。 「家族はいるけど、愛はないし、何をするにも応援してくれないし・・・」であればどうでしょうか。「愛はない」「応援してくれない」・・・「ない」ですね。リソース「ある」で考えていくとどうでしょうか。 そうですね。「同じ家の中に誰かがいる」という事もそうですし「家族がある」からこそ「家族らしいことをしたい(して欲しいと思っている)あなたがあります」「愛が欲しい」「応援して欲しい」と思っているあなたがあります。 そこをみていくだけでも、ずいぶんと感覚が変わってくるのではないでしょうか。
January 19, 2008
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昨日、旅行鞄のことを書きました。 そのつながりで(どういうつながり?!)今日は、財布のことを書かせてください。 みなさんはどういう財布を使っていますか?また、財布ってどういうタイミングで変えますか? 周りの方々に聞いたところ、ホントいろんな意見がありました。「あまり気に留めたことってないですね。 そういえばここ数年はこの財布かな」「ボロボロでみっともないから変えろ!って カミサンに言われて変えたところ。前の気にいってたんだよね」・・ご本人不満気。「両方、直感!あ~、これ飽きた!と思ったら次に。 選ぶのも売り場で「引き寄せられた」のを購入!」「いやぁ、毎日身に着けて使うものでしょ。 大事なお金を入れるものだし。けっこう慎重に選びますよ」などなどでした。 いろいろな「こだわり」があって面白いなぁ、と思いました。 生きていく上で不可欠な「お金」を入れる財布。でも、財布自体の値段は、それこそピンからキリまであって選ぼうと思えば自分の考え方一つ(懐ぐあい、っていうのもあるかな?)で選ぶことも出来る。 こういうのって、自分の「お金に対する感じ方・考え方」を示すかもしれませんね。えっ?私ですか?私はけっこうこだわりますね。年に一回(最長でも2年)は、意識して変えるようにしています。財布が色あせたり、破けたりしているのは「お金を大事にしていない」象徴みたいでどうも気になるんです。使い勝手が良いから「変えられない」ということのないように型もいつも同じ。(いわゆる長財布というのです) もう一つ財布の中が「ゴチャゴチャ」している!これも、ひじょ~に気になります。それでなくても財布の中はカード類をはじめとしていろいろ入っていますね。そこにレシートの類がごちゃごちゃと入りおまけに「硬貨」(硬貨大臣?!)でパンパン。財布が原型をとどめていない!は、感覚として「許しがたい!!」ものがあります。で、マメに財布の中は整理整頓?するようにしています。 着るものとか身につけるものには無頓着ですし他のことの整理整頓はあまり気にならないのに何故か財布だけは!! これも「こだわり」」というのかな、何か不思議ですよね。
January 18, 2008
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年末・年始と(ずいぶんと空間がある感じがするなぁ)と思っていた駅の人口も、すっかり平常どおりになってきましたね。私が利用している最寄り駅は「歩いている人の頭しか見えない」をいうほどの混雑ではありませんが都心?に向かう乗り換えの駅や利用する駅によっては大変込み合います。車内もそうだし、一度に多くの方が乗ったり降りたりして「人口密度がスゴイ!」を日常的に感じます。肩や身体をぶつけ合いながら前の人とくっつくようにして歩く。(とても歩きにくいですよね、これって)そうした中で私自身もよく躓いたりするし「ぎゃっ、痛い!!轢かれてしまった!!」と思うのが「キャスター付きの鞄」みなさん、轢かれたり・つまづいたりした経験はありませんか?私もけっこう出張が多いので季節や泊まる日数に応じたこの「キャスター突きの旅行鞄」はいくつか持っていて、大いに活用しているのですがすべて「4輪」(この言い方大げさ?)のものにしています。人の密集しているところでは、引っ張ることのないように取っ手を持って持ち上げたり(重いのですけれど)4つのキャスターをフル活動!して体のすぐ脇でひっぱるとかしています。(これもまた操作が難しいこともあるけど)もちろん、混んでいないところであれば十分にバーを延ばして(あ~、やっぱり楽だわ!)と思っていますが、混んでいるであればそれなりの気は使う。それは、「その日の自分の一部でもある荷物」に対しての自己責任でもあるように思うのです。(お~っ、再木さん、またリキが入っているじゃないか!)と、「にやっ」とされた方もいらっしゃるかと思います。そう、今日またつまづいて転びそうになっちゃたのです~~!ボーっとして、前をしっかり見てない私も悪いのですがまだまだ「転ぶ」にナーバスになってまして・・・みなさまも気をつけてくださいね。
January 17, 2008
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一昨日「ある意味の成人の日」を迎えた発達障害をもつ21歳の息子ですが(詳しくは、昨日のブログを読んでくださいね)なかなか「平穏な日」をもたらしてはくれません。ちょっと「落ち着いたかな、ひと段落かな」と思ったころにいろいろな問題を持ちこんできてくれます。(父母を年とらせない配慮でしょうか?!)もちろん、障害がゆえにということもありますので親としてできることはやっていっていますし障害があってもなくても、誰の人生もイロイロなのでそういうふうに考えてはいっています。でも、やっぱり「これこれこういう困ったことがありました、お母さんからも話してください」(あ~っ、こういうところやっぱり弱いよなぁ)と、言われたり、その行動を目の辺りにするとそれは、親として胸がとても痛みます。 悲しくなったり、腹が立ったり、ガックリしたり・・心がざわざわ・ざらざらです。そんな気持ちを押し殺して、息子が理解できるように努めて平静を装い、説教(になっちゃうんだこれが)?説得?説明?面白いなぁ、と思うのがこの「3つの説」が終わったころに必ず息子が言うのです。「大丈夫だからね」「心配ないからね」(すみません、君の事を話しているんですけど!!)と、思いつつもこの息子の言葉を聞くとなぁんだか、心の澱が溶けるっていうか(そうだね、ゆっくりいこうね)と思えるというか。今度こそは「その言葉の甘い響きにだまされないわよ!」と立ち向かいますが結果はいつも通りです。いつ、どこでこうした「甘い言い方」を覚えたのか分かりませんがフッと私の肩の力をおろしてくれています。相手にそうした気持ちになってもらえる言葉。私も息子に負けじ!とアンテナをあげているところです。(ということで昨日も「3つの説」をして、息子に「大丈夫だからね」と丸め込まれてしまいました~)
January 16, 2008
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昨日は「成人の日」でしたね。 あちこちでの式典の様子などもTVで中継されていました。 家の息子ですが、多分昨年が「成人式」だったと思うのですがどうも良くわかりません。(一昨年だったのかなぁ~?) そもそも、成人式の招待って住民票のある各市町村から来るもの?義務教育を終えた地域?ということも、イマイチ謎が解けていません。 どうしてかというと、息子のところには「成人式」の連絡が来なかったからです。 ここに引っ越してきてから数年経っているので市町村から通知がくるのであれば何かの行き違いがあったのかもしれないですね。(ちゃんと住民登録もしてるし、税金も払ってますよ) 引越しで小中学校を過ごした地域とは別のところに住んでいるしこちらに越してきてからは、地域で出来た同学年の友人も皆無なので「成人式」の通知をいただいても「出席」することはなかったとは思うのですが。 夫などはけっこう怒ってました。「障害があるから、とかだったら許さない!!」と。 「そんな事あるわけないじゃないの、そんなふうに考えるのって良くないよ」口では言っていた私もそれは、夫が先に怒りを表現したので何となく、なだめる?側にまわってしまっただけです。(ちょっとの出遅れがこういう時に響く・・) 夫が思わず言葉にしたこともそうですし問い合わせをしてみようか、とは思いながらも(息子の障害のことで、地域にお世話になっているし どうせ出席する予定もないのだったら 変に波風を立てたくもない)と思う私自身に対しても(その考えってちょっと変だよ・・正当な問い合わせじゃないの?)と腹が立つような、切ないような「悪感情」 これは、息子の障害と向き合ってから何度もなんども経験している親としてのいつものジレンマというのか、いや~な思い。未だに乗り越えられない部分でもあります。 結局、昨年は家族で(盛大にまではいかなかったですが!)お祝いをしました。 一年経ち、今日のこの日の息子はというと夫や私と過ごすのではなく朝から、前の会社の同僚と待ち合わせをして「遊び」に出かけました。(都内ブラブラらしい・・) そうした友達との交流はこれまでまったくなくて昨年の今日は本当に考えられなかった休日の過ごし方です。 一年遅れはしたけれど(これまで・これからを考えたら、一年遅れくらい何ともありません) 今日を息子の「成人式の日」と意味づけしたいと思います! おめでとう!!
January 15, 2008
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寒いですね~。東京は今日もとても寒いのですが昨日の寒さといったら無かったです。気温の低さもそうですが、北風が冷たいのなんの・・昨日の夕方、仕事を終えて自宅にたどり着き(すごい寒さで「やっと、たどり着いた」という感じ)家の中が暖かくなっていることと「お帰りなさい」と声をかけてくれる人がいることにホント、感謝しました。(夫と息子は休日)今年に入って、夕方(夜?)自宅に到着するのが家族の中で一番早い、という日が何日もありました。特に冬場は、寒い中家に戻り、自分で鍵を開け誰もいない家の中に向かって「ただいま」とつぶやくのは、もの悲しい時がありますね。一人暮らしのときは、それが当たり前だったのであまり感じることは無かったです。自分が「寂しい」と思うことは他の人もそう思う場合もあるのではないか・・自分が「ホッとする」と思うことは他の人に当てはめても同様のことがあるのではないか・・そう思っているので私より遅く帰宅した息子や夫にはせめて(あ~、家についた)という暖かみを感じてもらえたらいいなぁと思います。もちろん、帰宅が何時になるかわからない夫を寝ずに待っていたりはまったくしません。私に対しても夫も息子も同様です。(お互いに負担になることはやめようと思っています)ただ、帰ってきたときに「真っ暗」であるとか暖房も切ってしまって「家の中なのに寒い」といったことは無いように、気をつけているだけなのですが。こういうふうにも考えられますね。例えば家族間の関係(夫婦・親子・嫁姑など)がまったく上手くいってなかったとして「冷え切った家族」であるときに、私達はその「冷えてる」「上手くいっていない」を強調して見がちです。(経験上言っています・・はい)そうした時に、上手くいっていない・・「無い部分」を一旦置いておき「実際にある部分」・・一つの屋根の下に「一緒に住んでいる誰かがいる」をいう「あること」を見ていけると「無い部分」にも変化が起こってきそうですね。私も「私には家族がある(いる)」という事実を見失うことのないようにしたいと思っています。
January 14, 2008
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風邪は願ったとおりに「小康状態」です。市販の咳止めを飲みながらボチボチやっています。(どなたかもらってください・・今なら「お得!」軽いですよ~)皆さんの中には昨日から3連休という方もいらっしゃるかもしれませんね。私の仕事は、休日に稼動がメインになりますので今日もこれから仕事にでかけます。「仕事だから多少具合が悪くても頑張る」のかな?と思って考えていたら(これは、人それぞれなのかもしれませんが)私の場合は、どうもそうではないようでした。例えば、専業主婦で頑張っていたとき。もう、立てないくらいに具合が悪ければ別ですが多少の熱やしんどさだと何だかいつもに増して「やらなきゃ」になっていた気がします。(外で働いている夫に面倒かけてはいけない)(主婦なんだから)(母親なんだから、いつものように食事作って、お迎えにいって・・)そんな感じです。誰に強制されたわけでもないのに何となく・・いつもより「掃除をできないことが気になる」いつもより「食事の支度をできないことが気になる」いつもより「母親らしくできないことが気になる」(悲壮感、漂ってますね?!)仕事もそうかもしれません。物理的にもそうですし心理的にも人って「それが出来ない、やれない時」にその「取れない役割により目が向いてしまう」のかもしれないです。「主婦なのに主婦らしいことができない自分」「親なのに親らしいことができない自分」「一家の大黒柱なのに大黒柱になっていない自分」「働く年齢なのに働いていない自分」「学生なのに学校に行っていない自分」こういうのってやっぱり一番辛いのは「本人」なのでしょう。(本人の「役割への葛藤」なんですものね)
January 13, 2008
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どうも咳がひどくなってきました。(鼻水もツツー)熱とか関節の痛みやだるさは全然ないのですがむむっ・・風邪っぽい日常的に加湿器をどこででも使うようになってからか「大風邪」からは免れているので今回も、この状態くらいで終わってくれる事を願っているところです。ところで「風邪をひいたときにやること」、ってそれぞれのご家庭とか個人の単位でお作法ならぬジンクスならぬ何か特有なものってありますね。・ 何がなんでも「リンゴ」・・ジュースでもすりおろしでも・ 生姜湯とか卵酒など・熱が高いけれど食欲さえあれば、汗をたくさんかくような「熱い」ものを食べるなどなど。みなさんはどういったものをお持ちですか?我が家は、とにかく「着替え」をマメにです。夜、寝るときに「タオル・下着・パジャマ・飲み物セット」を何組が作って置いてすぐ手の届くところに。少しでも汗をかいたら「即着替え」朝になったシーツ類も取替えて。でも、こういうその人・その家庭のやり方を作っていく事ってけっこう時間を要しますね。家では、夫と私は交際期間3日くらいで結婚しています。(スゴイでしょ?)その一年後には息子が生まれていますので最初に息子が「風邪」をひいたときにはもう大変!!夫の育った家の「風邪のときの考え方」と私が家でしてもらってきた「風邪のときの対処の仕方」が全然違っていました。そして、お互いに一人暮らしの期間もけっこうあったのでオリジナル?のそれも持っています。それぞれ「相手」のことなら「好きにすれば!」で終わるのが、病人は「大事な息子」です。寝かせる場所から、熱を計るタイミングまで喧々諤々したのを今、懐かしく思い出しました。
January 12, 2008
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前々回「鳥」嫌いの話を書いていて思い出したことがあります。「夢」・・・そう、寝ている間に見る夢ですがみなさん、印象に残る夢ってありますか?(また同じ夢をみた・・)という「よく見る夢」というのもあるかもしれないですね。私は「鳥」が苦手なせいか、とにかく自分で「ストレスを溜めているかな」と思う時に、鳥類の中でも一番苦手な「にわとり」の夢をよく見ました。(それが、怖いのなんのって)(あ~、また登場されてしまった・・)というのが続くと「ちょっと疲れているのかな」と思い当たりました。気づいてくださった方もいらっしゃると思うのですが「過去形」です。すっかり見なくなった事におとといブログを書いてから気がついたのです。そういえば3~4年くらいは見てないですね。このこと、私にとっては「とっても大きな発見」です。なんでだろうか・・・その「にわとり」の夢をよく見ていた頃その恐怖心?にけっこうさいなまれていた気がします。(また、登場されちゃったら嫌だなぁ・・)(そろそろ疲れが溜まってきてるから危ないな!)その夢をみた日は(やっぱり・・。疲れてるサインってことですね)と、見なければみないで、見ればみたでその夢を見たことへの「良くない意味づけ」をしていたようです。ところが、この夢を見なくなった3~4年間はというと「にわとり」の夢にほとんど意識が向いていなくて「素晴らしい夢」の追っかけ・収集(?)をしていました。(あ~、なんていい夢だったのだろう)― これも「もう一度みたい」というのではなくて、本当に清々しいという感じ ―(この夢に出会えてよかった、というのみ)という夢をノートや手帳に書いて控えて。(3つもあります!!)また、それを何度も読み返しています。(何回読んでも、感動・・我ながら?!)「意味づけ」ということでいえばこの清々しい夢には「内容に対する意味づけ」(解釈といってもいいもしれません)を全然していないんですね。しいて意味づけをするとしたら、内容ではなくて「この夢のことを考えただけで晴れ晴れとした気になれる」かな。悪い(怖い?)夢にはその夢をみたこと、その夢がもたらすものへの「悪い意味づけ」がし易く清々しい夢には、その内容についての「特別な意味づけ」はしていない。「良くない意味づけ」は「問題視」していたということかな。そう考えると、「いつも自分の問題は自分自身が作っている」という事になるのかもしれませんね。
January 11, 2008
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昨日の「カラスと話すおばさん」は、特定の方でした。実はもう一つ不特定で気がついたら、ボーっと見とれてしまう場面があります。電車の中で器用にお化粧をしている女性!(失礼しました、男性でももちろんオーケー)道徳的に云々ということをいうつもりはまったくないのですがあの見事な手さばきと変身の様子に素直に目が離せなくなります。普段は車内では本に夢中ですから下を向いていますがふと何らかの拍子に目を上げたときお化粧を手早くされている方を見つけてしまうとあぁ、もうダメ・・・(心をすっかり奪われてしまう)いろいろな事を考えてしまうのです。(運よく座れたからいいようなものの座れなかったら立ってするつもりだったのかなぁ)(へぇぇ、あ~やって塗るのか)(なぁんかすごい!だんだん違う顔になるわ~)(バックが重いだろうな)などですが、一番思うのが「あの小さい鏡に写っている顔のパーツだけを見続ける気分てどういうのだろうか」という事です。もちろん私もお化粧はします。(多少でも見映えを?!)でも、洗面台の大きい鏡の前でしますから何ていうのか「目」とか「口」とか「肌」とかいうパーツ単位では自分の顔をあまり見ないという感覚かな。昨年末に顔にできた「プツリ」が気になり組織検査のためのオペを受けましたが、その時にその「プツリ」という顔のほんの、ほんの一部だけを特化して見てみると「やたら気になる!!」ところが、顔全体でみれば(そうでもないかな?!)と思えて、オペを受けるのに心が揺れました。「意外とそんなものかもしれないなぁ」と思う自分いるのでしょうね。悩みごとや辛い思いもそうかもしれません。その部分だけをみれば全体をみることがしにくくなる。車内でお化粧をする皆さん。「やめて」とはいいません。(楽しみが減る・・)でも「自分だけの、自分を創っている顔全体」もいつくしんでくださいね(やっぱり最後は「老婆心」でまとまってしまいました~)
January 10, 2008
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新年も2週目になり、すっかり「日常」の光景ですね。(お正月ボケが抜けない・・・という方もいらっしゃいますか?)その日常の光景として、私が(いけない、いけない。そんなに見ては!)と思いつつもどうしても目が離せない時には「ジッ~」と見とれてしまう光景があります。これまで数回見かけたのですが「仲良く話すおばさんとカラス」(私もおばさんなので、おばさんと呼んでいいですよね)私は「鳥」が嫌い(怖い)です。なので、歩く先にカラスや鳩がいると思わず足の向き先が微妙に変わってきます。その日、カラスは私が歩いている側にある道路上のゴミの集積所の高さ1m位の塀の上に止まっていました。で、怖いから道路の反対側に移ったのですがそうしたらその塀で見えなかったおばさんが現れたのです。腰をかがめて、なんと楽しそうに穏やかに集積所のゴミを整理されているのだろうと目を奪われたのですが・・・よくよく見たら「カラスに楽しそうに話しかけている~」最初はその事が信じられなくて最初はその事が信じられなくて(私の目の錯覚だろうか・・)(いやいや、やっぱり「話してる」よねぇ・・)カラスの方は見ないようにはしているもののどうも飛び立っていく様子もなく(まさか、おばさんの話にあいづちを打って聴いているわけじゃあるまい?!)なぁんだかすごく不思議な世界を見てしまった感じでとても印象的でした。それから、数回同じ場所で同じ光景に出会うのです。おばさんは間違いなく同じ女性。カラスはどうなのだろうか?その数回同じカラスなのだろうか・・(気になる~~!)今週、世の中も(?!)通常どおりに動き始めました。私の住む地域でもゴミの収集が日常になりました。先日(アッ、いたいたカラス!!)いつのも塀に止まってまんじりともしません。(しっかりは見られないけど)また、おばさんと話しているのだろうか(ちょっとワクワク?)体は反射的に道路の反対側に。ところが・・塀の向こうには誰もいませんでした。その朝は、時間にゆとりを持って自宅を出ていたので数分(カラスを直接の視野に入れないようにして)私も待ってみたのですがおばさんは現れず。そして、カラスは去っていく様子もなく(これが信じられない・・)おばさんと仲良く話しているカラスは同一人物(同一鳥物か・・)?そして、カラスはおばさんを「待って」いたのでしょうか?!?
January 9, 2008
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昨日からの続きです。 「カウンセラーが鏡となってクライエントさんの心を映し出す」という表現への疑問・・。(自分でも「疑問屋さん」とネーミングしたくなっちゃいます) カウンセラーの元に相談に来るクライエントさんのほとんどが苦しい心を抱えています。「幸せでしあわせでどうしようもないんです! この幸せを誰かに分かち合いたくて相談に来ました~~!!」は、あまりないですよね?! 特に最初の面談ではありえないと思います。 クライエントさんは「何だか、にっちもさっちも行きにくい」といった感じをお持ちでしょう。「自分の置かれた状況や心を持て余している」という表現もありかもしれませんね。 先が見えない・自分が見えないこれは、人の心をとても苦しく揺るがせる著書「あなただからできること、あなたにしかできないこと」にも書かせていただきましたが私自身の苦しかった体験からもそんなふうに感じています。 その「苦しい揺らぎ」をそのまま正直な「鏡」のように人に映しだされたら・・・ 少なくても私は嫌だなぁ・・。そうした「迷路に迷いこんでしまったかのような自分」を改めて見ることで「気づく」ことは確かにあるのかもしれないけれど・・。 昨日も書いた「より」になって、それこそ「より混乱・動転してしまう」「より深い迷路に入ってしまう」そんな気がしてなりません。 それって、やっぱり心が痛そうです。 自分の気持ちが落ち込んでいるときに見る自分を正直に映し出す鏡は時にとても残酷です。 鏡をみるのを避けるようになるかもしれない。鏡を壊したくなる衝動に駆られるかもしれない。 「ありのままを映し出す真正直な鏡」になる前に(真正直な鏡に向かい合ってみるのもいいのかな)と思っていただけるような支援者でありたいと思っています。
January 8, 2008
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みなさんは、一日に何回くらい「鏡」をじ~っと見ますか?私は、じ~っとでなければ数回です。(手を洗っているときに目の前にある鏡をチラッとみます)でも、「じ~っと」と言われたら間違いなく「一回」!!朝、顔を洗ってお化粧をした後だけです。外に出ていく仕事や用事の無い日はスッピンですのでお化粧をするのは「仕事に出かける自分」に対するいわゆる戦闘態勢・武装・気合でもあるような気がします。(お化粧そのものは、そんなに力を入れてしていません・・)お化粧をして「外向きの顔」になった自分の気持ちを鼓舞するために、口角を上げて数秒間「にっこり」するのが仕事に出る前の日課です。(想像しないでいただけるとうれしいです)なので、その時が「じ~っと鏡をみる」の一回。ただ、この一回は意識的に「自分を創っている」瞬間です。よくダイエットしている方や、ご自分のプロポーションを気にされる方はお風呂上りに全身を鏡に映して、と聞いたことがありますがそんな事は私には「とんでもないこと!」鏡は、まったくもって正直ですのでガッカリします・自信をなくします・寂しくなります。全身とまではいかなくても「顔」も同様。落ち込んでいるときや自分に自信がないときさらには「みじめな自分のとき」この時は、鏡に映った自分を見るのを避けたくなります。鏡に映った自分をみていると「より」という感じが強くなってしまう。より落ち込むより自信がなくなるよりみじめになるそんな経験はみなさんにはありませんか?ところがカウンセリングの学習の中でよく言われることに「クライエントさん(相談する方)の心を映す鏡のようになる」という表現が日常的に使われています。それって?????(恒例のような「明日に続くです」・・・すみません)
January 7, 2008
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父親が言った「暇は自分をみじめにする」という言葉が気になって仕方ありませんでした。そろそろ父のところをおいとましようとした時父がまた「自分がみじめになる」という言い回しをしました。かの昔、祖母が生きていた頃は父親のところに結婚した娘達(私もその一人!娘・・・うれしい語感が!)が集合して二十数名のとても賑やかなお正月だったこともありました。ただ、父が一人暮らしをするようになってからはそうした賑やかなお正月というのは無くてその変わり(といっては変ですが?!)になるべく我が家と一緒に旅行という機会を作ってきました。が、今年は父親も「歩くのに自信がないからせっかく誘ってもらっても年末年始の旅行は難しいかもしれないな」と言っていました。(それに私の父親の負担にならないような場所への予約が取れなかったという失態が重なり・・)結局、元旦のお祝いは私達家族が父親のところに押しかけて!になりました。帰り際「また来年はどこかに行けるといいね」と何気なく言ったところ父が「歩けなくて奈生たちに迷惑をかける自分がみじめなんだよ・・」と、ポツリ。そういえば、去年のはじめころから一緒に旅行に行ったり食事にいったりする度に「なぁんか、最近はご馳走になってばかりだなぁ。 たまにはお父さんがお金を出したいのだけど 受け取ってくれないだろうから、遠慮なくということにさせてもらうね」私(姉たちもそうだと思います)にしたら「それは当然!!」です!散々、父親には面倒や心配をかけてきて、やっと、やっとその何十分の一かの「お返し」ができるようになったのです。でも父親本人にしたらどうなのだろうか?「大人数家族の大黒柱」「4人の娘たちの元気で自慢の父親」「7人の孫たちの頼りになるおじいちゃん」(まだひ孫もあります)という「自分の持っていた役割」に心身ともに大きな変化が起こってきたことを実感して「みじめ」という言葉を使ったのかもしれません。なんだか自分で書きながら切なくなってきました・・「自分を支えていた人生の役割の変化」・・直面するととても心が痛いものです。(それは、きっと周りが思っている以上にこたえているのだと思います)皆さんもそうしたことがあったら人の支援を受けることも視野にいれていってくださいね。。
January 6, 2008
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昨年の年末休暇、夫は30日からでした。年明けて元旦、近所(歩くと30分くらいかかりますが)に住む父親のところに親子3人でお年始に行ったのですが(おせちとシャンパン持参・・けっこうな荷物でした~)夫がしきりと父親に(私の父ですので、夫とは義理になりますがとても仲がよく、有難いと思っています)「参りましたよ~、良く働かせもらってます。 最終日は大掃除と納め会だけではあったんですけどね」と、29日までが仕事であった事をボヤいていました。それを受けて父親が言ったのが「いいことじゃないか。 暇ほど自分をみじめにするものはないからね」ということ。なんだか、二人の会話を聞いていて(ほう、そうか・・ちょっと意外だなぁ)と思ったのです。父親は、以前このブログにも書いたことがありますが今年米寿のお祝いをします。(幹事の仕事、大詰め!!です・・思い出してしまった!)「歩くこと」に不安を抱えていますので休みやすみではありますがNOVAに通ったり家の中のあちこちに英語の本が置いてあるほどここ10年は英語の学習に燃えて?います。その他にもスポーツ観戦など多趣味の父。そして、見事に自炊もしています。(私の周りの男性陣はどうしてこうもスゴイのだろうか←自炊に反応です)働き盛りの頃は(父親の趣味は「仕事」に違いない!)なぁんて子ども心に思ったものです。それくらいに朝から晩まで良く働いていました。でも、その仕事も長女夫妻にお願いしてリタイアしたのは、もうずいぶんと前。だとすると、父親が言うみじめな気持ちになるほどの「暇」というのは何を指しているのだろう・・・「仕事」があるない、とかを言っている訳ではなさそうな気がしました。「目標」ということでもないような(NOVAで試験を受けてクラスがあがることは楽しみにしています)実は、父親から「自分がみじめ」という言葉を聞いたのは初めてでした。そして、この後の会話で思いあたった事がありました。明日また続きで書かせてくださいね。
January 5, 2008
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今日から仕事始めの方もいらっしゃるかもしれませんね。我が家でも夫と息子はいつも通りにでかけていきました。私の外に出る仕事始めはあさっての6日からになります。それまで研修・講演準備等家でできることをやっています。ところで、風邪のような症状が・・・喉が痛い・・・騒ぎ過ぎです。箱根駅伝やらで大騒ぎしました~ また、2日の夜は息子のたっての希望でカラオケにも筋肉痛・関節痛・・・三が日、良く歩きました! おせちを持って父親のところへ 初詣に行ったり、温泉(岩盤浴付き)へも行きました 手や肩は、興奮しての拍手とハイタッチのし過ぎ?!(多分) 多分それに力の入れすぎが加わりそう頭が重い・・・泣きすぎ(間違いなく?!) もちろんこれも箱根駅伝と昨日は映画を観に行きました (ALWAYS 新・三丁目の夕日) どちらも、ほぼ「大泣き」状態 と、考えると風邪でもなんでもないようで・・・?!平和なお正月だったとつくづく思います。それらの中で(ん~、疑問・・)があるのですが「カラオケ」のときのことです。発達障害を持つ息子は、あまり積極的には話をしないことを以前にもこのブログで書いたことがあります。が!!カラオケになると俄然張り切ります!!それも、親がまったく知らないような歌(はい!新しいという意味です!!)一体、どこで聞いて覚えるのだろうか・・・。(ものすごく不思議だし「スゴイ」と思ってしまいます)本人は「歌の番組」といいますが、そうそうTVをみている様子はない。(掃除洗濯で忙しいと思うし・・)CDを持っている訳でもないしカラオケを一緒に楽しむような友だちの存在も思い当たらず・・こうした障害を持っている方の中には特殊な才能を持っている方々が大勢いらっしゃいます。我が家の息子も「カレンダー少年」まではいきませんが特に思い出あるイベントなどは、数年前の日付を言っただけで曜日も間違いなく言えたりはします。(その記憶のよさを母にも分けてもらいたい)息子にとって「歌の歌詞」もその一つなのかもしれないですね。(曲とは言わないところがご愛嬌でしょ?)今年もこうした息子の特性もそうですが人の「素敵なところ探し!」の感覚を大いに磨いていきたいと思います。(カラオケ?もちろん歌ってきましたよ!「なつかしのメロディ?!」)
January 4, 2008
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すっかりお正月の風物詩になっている箱根駅伝。私も大好きです!!(釘付けといってもいい?)すべてに「ドラマ」を感じます。その大学全体のドラマとプライド箱根路というコースにもドラマその年ごとの天候といったコンディションも大いに影響される。何よりもやはり「選手個人のドラマ」(白バイで先導の方のミニドラマも紹介されますね・・これもまたイイ!)大学の4年間とギュッと凝縮された期間という事も大いなるドラマの演出になるのでしょうね。もちろん1年生から出場できるとは限らずに4年生で「思いがけず」選手に選ばれたという方もいてそうなると、俄然「背負うもの」が違ってくる。今日2区を走った山梨学院のモグス選手は昨年は不調で確か中継所で悔し涙にくれていました。それがバネにして今年は笑顔の区間新!アナウンサーの方が「自分に勝った!」とおっしゃっていましたが本当にそんな感じがします。裏方のスタッフの方々も含めて一人ひとりが「昨年の自分より成長した自分」を目指す。そこに「ドラマ」が生まれて人の感動をよぶのでしょう。このいろいろなドラマからパワーをいただいて「今年も自分自身のドラマを創っていこう!」という気持ちになりますね。
January 2, 2008
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今年もどうぞよろしくお願い致します。まったく気持ちのいいお天気ですね。(新春らしいという感じ!!)我が家からは富士山がはっきりと見えます。朝起きて、カーテンを開け(わぁ、なんてきれいなんだろう・・)思わずその富士山に手を合わせて頭を垂れたことが2008年に最初にした事!!そして、こうした気持ちで一年過ごしたいなぁと思いました。「こうした気持ち」 ・ ・素直に感動したり、感謝の気持ちを「形」にしていきたいです。 思えば、昨年もいい出会いやつながりを持てたのに私自身の心が固かったので何だかギクシャクとしたり感謝の気持ちを形にできなかったりもあった気がします。そういった所を変えていこう。心をいつも柔らかくしていこう。と、そういった事を思いました。みなさんはどんな気持ちで新春を迎えていらっしゃるでしょうか?幸多い年にしましょうね!
January 1, 2008
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