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高校時代、長髪で調度「あしたのジョー」の力石徹を秋田顔、即ち細目の一重にしたようだと友達に言われたことがある。早い話が、ぜんぜん似ていないということ。目は口ほどにものを言い、なんて言われなくても分かっている。それでも、後ろ見には似ていたらしい。リングで血を吹いてノックアウトされた力石が、実はその「死に体」から蘇る。これからはタコ社長、目は細くてもそんな新しい仮想力石の人生を歩んでいきたい。会社では、私ほどスタッフに恵まれている者はないと思っている。自宅では、これまた言葉づかいはきついときはあるが、オランダ系の連れ合いほど私のことを心配してくれている者はない。もっとも、連れ合いを除くと、我が家には私になつかない老猫ルーシー130歳しかいないわけではあるが、それでもどんなときも連れ合いは味方でいてくれる。節目だらけの人生を歩んできている私だが、その節目を斜に見ながら適当に息抜きをしてやっていく。なんせ自分は一度といわず、リングに沈められてきているわけだから、そんなに粋がって生きられるわけでもない。因みに、タコ社長のカラオケの数限られた持ち歌の中に、このあしたのジョーの吹き替え、あおい輝彦さんの昭和51年のヒット曲「あなただけを」がある。先日、本当に久しぶりにブリスベンでカラオケに行ったが、メルボルンでもスタッフからカラオケの声がかかった。まずは、この歌からスタートを目論んでいる。
2007年02月28日
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16歳のビルは足のサイズが32センチだった。「明日の夜、ボーリングに行こう。」とそのビルが言うと、「私も行くわ。」シンディーも言った。こいつの履くシューズはあるのか、なんて心配しなくていい。ここはアメリカだ。シンディーはネブラスカ生まれの18歳、長いつやのある黒髪が腰まで素直に伸びている。白く体にフィットしたTシャツが眩しい。もしかしたら、インディアンの血が混じっているのかもしれない。舌足らずに話すそのエクゾチックな笑顔がたまらない。ワシントン州の州都シアトルから車で西に3時間ほど行った所にあるワナチにあったキャンプで2週間働いた。22歳の夏のことだった。ビル、ナタリー、シンディーそして私の4人でボーリングをしたが、私がビリだった。同じ投げるのでも砲丸は得意だったがボーリングはぜんぜんだった。でも、シンディーの底抜けに明るい甲高い笑い声が気になって仕方なかった。子供キャンプの仕事は、夜の食事の後片付けが終わると割りと暇になる。昼間の仕事は馬の世話とか干草の運搬など結構きつい。でもここで一番よかったのは晩御飯だ。テーブルの端から端までアメリカの味がぎっしりだ。盛り付けが派手で全ての食材の切り方が大きくお代わりも自由。こんな至福の日々を日本人を代表して私一人で味わってはもったいないと思いながらも毎日お代わり三昧だった。「ちょっと、星を見に行こう。」私は、そんな夕食のあとシンディーを誘った。まるで360度の夜空にこれでもかと星が瞬く。これほどの星を見たことがない。夏の干草が生暖かくにおってくる。キャンプ場の緩い光はもう私達には届いてこない。こんなとき、食いすぎのゲップが出ないようにするのは大変だ。どうも決まらない。二週間の滞在が終わろうとしている。「タコ、手紙出すわ。」これ私の住所。そう言ってシンディーが私に渡した紙切れには番地が書いていない。名前のあとに、Polk, Nebraska と書いてあるだけなのだ。東京の田舎実家の東村山でもちゃんと番地はある。これじゃ、まるで東京都東村山で終わっているようなもんだ。「こんなんでちゃんと着くなんて信じられない!」するとシンディーは、「ちゃんと問題なく着くのよ。」と自分の実家の田舎度を強調するようにちょっと怒って反発した。後で聞いたところ、人口はなんと400人だという。それで納得。私は、人口2億人の国のとんでもない田舎の娘と知り合ってしまったようだ。「これからずっとタコのことを神様にお祈りするわ。」それが別れの言葉だった。私は、自分が何を言ったか覚えていない。上気してしまっていた。そのときは、人口400人の字でも付きそうなそんな村で生活することなんて絶対に想像できなかった。しかし、齢を重ねてくると、アジア人は私一人ですなんて顔してそんな村で毎日芋でも掘っていてもいいように思えてくる。年は取りたいもんだ。ところで、シンディーが言ったように、ちゃんと手紙はあの住所で届いたようだった。
2007年02月27日
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坂本竜馬と自分を比べても何も始まらないが、なんとあの竜馬が社交ダンスを習っていたというのだ。私はロックンローラーだが社交ダンスはからっきしだめだ。実は、今月社交ダンスデビューを目論んでいたのだが、残念ながら出張でできなかった。オランダ系の連れ合いはけっこうできる。両親がこれまたすごい。竜馬が、長崎で有名な女傑で富豪だったお慶さんという人としこたま飲んでダンスになったという。ところが、五尺八寸の大男の竜馬が座敷で踊り始めたがどうもうまくいかない。お慶さんの体になんだか固いものが当たって踊れない。大男の竜馬だ。「この固いものは何?」お慶さんが聞いたという。「ピストルじゃ!」竜馬、ダンスなんかするときじゃなく、近江屋で中岡慎太郎と京都の見廻組襲われたときにこれが使われたらと悔やまれる。
2007年02月26日
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ブリスベンより戻り、爽やかな気候のめるボルン。ところが私がいない間、熱帯のような日々だったとか。
2007年02月24日
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「4月から、中国へ行ったり来たりの生活になります。」とケビンが、ブリスベンの名物レストランの鳥のから揚げ定食を食べながら言った。20年前にメルボルンで日本語教師をし始めたとき、ボックスヒルの市役所の会議室での教室に来たのがケビンだった。永住権を取得して、町のあっちこっちの公共団体から週に一度一部屋を借りて車で巡回日本語教師をしていた頃の話だ。ケビンは私と同じ年でベトナムからの移住者だった。奥さんは香港からでジャスティンという男の子が一人いた。中華レストランを経営していてあまりうまくいっておらず、当時大きなブームだった日本語を勉強して転職を図ろうとしていた。しかし、それも叶わず一念発起してクイーンズランドのゴールドコーストへ15年前に引っ越していた。「タコさん、私は去年は最悪の年でした。タコさんもだいぶ大変だったみたいだけど。でもね、今年は辰年の我々にはすごくいい年になりますよ。」英語と日本語のチャンポンでケビンは明るくそういった。占いではそう出ているらしい。人がよ過ぎるケビンは、こちらで回転寿司の店を2店舗開いて羽振りのいい時もあったらしいが、結局はそれらも全て売り払い中国との貿易の仕事に新たに乗り出すというのだ。大きな不安を打ち消すように口から泡を飛ばしてまくしたてるケビンに私は言った。「もう投資の見返りなんかで働かなくてもそこそこ生活できるのに、何も今から未知の、しかも海千山千の中国市場に乗り込むことはないのじゃない?」「いつまでもチャレンジしていたいんです。すっからかんになっても、オーストラリア市民だから年金でなんとかやっていけますよ。タコさん、お金がすべてじゃないでしょう。」とあまり笑顔のないケビンが苦笑いしながら言った。ケビンは、ビジネスをしっかりとやり儲けを出していくタイプの人間じゃない。でも、55歳になって、中国ビジネスは儲かる、なんて皆が言っていることに吸い込まれるように中国に向かう彼にもう私はいう言葉はなかった。「お互いに今年こそはいい年になるようやろう。辰年だからね。」そういってなかなか終わらない硬い握手でケビンと別れた。事業に何度も失敗して別れるところまでいったという奥さんも一緒に中国に行く、ということを聞いて私は少し安心した。
2007年02月20日
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出張中の週末、朝早く起きてウォーキングと決めた。3年前に歩いた川岸を行こうと軽快に安宿を出た。3年間でずいぶんと道も変わり迂回なども多くなっていた。前に歩いた道は、同じ道を戻ることなく一周できるもので1時間半くらいかかった。約1時間歩いて見慣れた景色に出会った。が、あのときは確かオランダ系の連れ合いと車で来た所だった。そして可也遠かった。「待てよ、もしかしたら道をまちがったかな?」待たなくてもしっかりと間違っていた。街からとんでもない所まで来てしまっていた。ということは、また最低でも1時間かけて戻らないとならない。こういうときの疲れは、落胆に大きく後押しされてしまって勢いを増す。しかし、あのままあと1時間も歩いていたら、と思うとぞっとした。ヒッチハイクでもしないと帰ってこられなかったかもしれない。結局、都合2時間半の早朝のウォーキングが、脱水と足のマメを伴ってどうやら終わった。こういう大きな運動をした後は、不思議とステーキ1キロくらい食ってもいいような寛容な心になるので嬉しい。因みに、ブリスベン出張中、安い焼肉韓国料理が続くことになっている。物忘れ、道忘れ、人忘れ、金忘れなどいろいろと忘れ力に軍配が上がり始めている。
2007年02月19日
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期待に反して、スタッフからたくさんもらったバレンタインのチョコレート昨夜は、取引先の代表の方と、むくつけき男同士のロマンチックなバレンタインディナーであった。おかげで少々飲みすぎた。昔、サラリーマン時代にクリスマスイブに一人残業して、父親みたいない年の部長に誘われ飲みに行った時を思い出した。こういう淡い思いでは決して忘れない。
2007年02月15日
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以前、会社のスタッフからもらっら類稀な義理チョコ。今年は何かな?
2007年02月14日
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よくわかんないオブジェ。運動会につかいたくなる。
2007年02月12日
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今日から仕事でブリスベンに行ってまいります。サイトへのアクセスもままならなくなります。ノニジュース、ざくろジュースも重いので持っていけませんが、健康管理に気をつけて赤ワイでやってまいります。
2007年02月11日
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今夜は秋刀魚。私が二匹。明日から2週間ブリスベン。
2007年02月10日
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坂本竜馬が薩長同盟を成し遂げる前に、鹿児島で西郷さんのぼろ宿に投宿した。寝静まったころ西郷さんの奥さんが西郷さんに、「ねえあなた、家の雨漏りがひどいので直してください。」「今は日本中が雨漏りしているんだ。」こんな感じの会話があったという。さすが、西郷さん。いい事をいうし格好良く決まっている。大事を成そうという人が家の雨漏り如ききに、といったところだろうか。奥さんはそのまま黙ったらしい。それにしても、薩摩藩を動かしている人の家が本当にひどい家で竜馬もびっくりしたらしい。所は変わってオーストラリア。私とオランダ系の連れ合いの仮定の会話。「ねえあなた、家の雨漏りがひどいので直してください。」「今はオーストラリア中が雨漏りしているんだ。」「何、馬鹿なこといって。自分の家のことが出来ない人に大きなことなんかできないでしょう。」連れ合いは、仮定の設定の中でもいつも正しいことをいう。しかし、西郷さんが大工仕事なんかに専念していたら、薩長同盟もならなかっただろうし、明治維新もずっと後になっただろう。怖い想像だが、もしかしたら西郷さん、ちゃんと家の雨漏りも直していたかも知れないが。
2007年02月09日
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石神井公園の三宝寺池はどっぷりと日が暮れて、蛍光灯の白い光が遠慮がちに辺りを照らしている。「おんぶして!」早苗が急にそう言い出した。「私ね、おんぶされるのがすごく好きなの。」変な人だな、などとは思わなかった。惚れた弱みっていうのとも違うだろうが。細身の足にジーンズがやけに似合う。空色のカーディガンがくっきりと浮かんでいる。早苗は立教大学の2年生だったが、そのときは休学中だった。私は、一浪してどうにか大学に入学、その入学式の前の日に、池袋の場末のトイレのにおいが逃げていかない地下の喫茶店でバイトをしていた彼女と意気投合して付き合い始めていた。運動会などとは違い、考えてみなくても年頃の女性をおんぶしたことはなかったが、ふわーっと一気におんぶした彼女を私の背中がしっかりと探っている。「そう?牧師さんになるの?」こんな状態で話す内容ではなかった。「まだ分からない。」私は、10メートルくらいおんぶして早苗を下ろしながらそういった。中学3年から教会に通っていた。好きになった人に理解してもらおうと話し始めていた。早苗は、大学の教授と恋仲になりトラブルを起こし休学しているようだった。そして、このときには婚約者がいた。私は、完全に弄ばれていたのだろうか。しかし、この婚約者とはどうもうまくいっていないようで、その人から逃げるようにバイトに没頭しているようにみえた。そして、私がそんな彼女の境遇の片棒担ぎに選ばれたのかもしれない。そんな彼女は、6月のある日突然家出して行方不明となった。あっけない幕切れだった。元気のあった背中を丸め膝を抱える日々が続いた。腹筋運動をしていたわけではない。切れ長の一重まぶたであれほど色気のある人を知らなかった。今は、ギックリ腰も心配だし、結構重い方々の多い国で生活しているので、抱っこはもとよりおんぶしたりはできなくなっている。若い、というのはそれだけでいろいろな可能性があっていいものだとつくづく思う。あの早苗も今年は56歳。「大学ノートの裏表紙」といってもこのブログでは分かる人もすくないかもしれないが、その裏表紙も、もうすっかり薄汚れてしまっている。
2007年02月08日
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崩れて嬉しいのは、他人が作った浜辺の砂山と二万円札くらいなもんで、写真移りが崩れ始めても面白くない。会社を訪れてくださるかたといつも写真を撮ることにしている。これは、ある方が毎日出会った人の写真を撮っているということをヒントにしてやっている。その人の特徴などを書いておく手もあるが、写真を見るとその場で話したことなども後で思い出すから結構いい。こう言ってはなんだが、本当に見てくれは、見てくれ!なんていうほど悪いのに、写真を撮るといつも素敵に写る人がいるもんだ。いわゆる、フォトジェニックといわれる人種の方々だが。しかし、一様にこう呼ばれる人たちは笑顔が抜群にいいようだ。お歯黒の話でもしてあげたくなるほど歯が白く、えくぼなんかもあったりして目が大いに笑っている。そして、作り笑いなんていう言葉はこの人たちの辞書にはないようだ。結婚式でも葬式でも笑って写ってはいけないのが日本の社会。幼稚園の時、東京の大泉にあった東映の撮影所で女優と一緒に撮った私の写真は、下痢が一週間も止まらないような顔になっている。笑うのには金もかからず健康にもいい。これからは、せめてワインを飲むときくらいは大いに笑ってのみたいものだ。
2007年02月06日
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よく、ゼンサイは忘れた頃にやってくる、といいますが、今回の場合は時間通り。パテのボリュームがあってパンに付けて食べているだけで結構お腹が張ってきました。メインはステーキなんですが、クリームの下に隠れてよく見えません。でもその上に更にプロンが載っていて味が贅沢でした。デザートは取れたてのイチゴ。ほとんどの食材がオーガニック。卵の色が本当に黄色なのでびっくり。ワインと一緒のおつまみ。秋刀魚の輪切りのように見えるのは、結構辛味のあるソーセージでした。来年は大きな誕生日を迎えるオランダ系の連れ合い。今年はパーティーはしたくないというので、二人でB&Bに一泊でいってきた。飲み食いに明け暮れた週末となった。
2007年02月04日
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例えば、卑近な例で申し訳ないが、看板に1000円と書いてあったので、思い切って個室ストリップ小屋に入ったとしよう。若気の至りっていうところだ。「おにいちゃんね、1000円じゃここまで。」って、ほとんど何も始まっていないうちに終わってしまって、やや低姿勢で文句を言ったとしよう。「ちゃんと看板に書いてあるでしょう。」「えっ?書いていませんでしたよ。」「出るときによく見てね。今度来るときはたくさんお金持ってくるのよ!」そしてすごすごと出るときに看板をまじまじと見ると、虫眼鏡でも見えないような字で1000円の後に「から」と書かれている。30年くらい前の話だとしても、当然1000円でいろいろ期待しているわけではない。それにしてもひどい、とすねてラーメンなんか食べて帰る。こんな経験はよくあることで、なんとなく分かっていても騙されてしまう。それは、入るときの心理状態が詳細チェックにはやや勢いが欠けてしっかりと確認できないことにあるのだろう。ストリップ小屋も心理学の世界。じゃ、今度はお金をたくさん用意して行こう、とか考えるわけではないが、敵も商売で単価を安く見せかけておくこの手の荒稼ぎに騙されるバカは多いのだろう。世の中、そうそう甘い話はない。
2007年02月03日
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年の功だろうか、聞くだけ何でも相談というのをやっている。こちらに来られる若い方々、特に女性の方々がいろいろな被害に遭われたとき、私が相談にのることがある。基本的にはその道のプロでもないので聞くだけに止めてはいるが。今日は、そんななかのお一人が来られた。名刺を渡して話が始まった。ところがこの女性、最初から私の名刺を折ったり丸めたりして手で遊びながらずっと話をしていたのだ。これは見事であった。以前にも、日本の大学生の女性にも同じことをされたことがあった。若い女性の間では、中高年のオジサンの名刺を丸めて遊ぶことが流行っているのだろうか。もしかしたら緊張の裏返しなのかもしれないが、十分笑える環境もできていての話であった。「このぼろぼろになった私の名刺、これから一体どんな運命になるのだろうか。」ということが非常に気になってしまった。この女性にはまったく悪気もないのだろうし、まったく気がついていないで、喫茶店のコースターをボロボロにするまでこするようなものだろう。現に私も、喫茶店で話しているときは必ずそうしているし。言ってみれば、たかが名刺だ。なんでもないのだろうが、どうしても名刺文化度の高い国で育ってきている私には、なんとも自分がクチャクチャに揉み込まれてしまったように感じてアイロンにでもかけて欲しいような気がしてならなかった。
2007年02月01日
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