2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全12件 (12件中 1-12件目)
1
「ひどい話だよタコ社長。銀行に金借りにいったら、預金がないから貸さないっていうんだよ。だいたい、預金がないから借りに行っているのにな。どう思う?」最近、運動のために街中をよく歩く。すると、まったく同じ理由で街中を歩いている巻き寿司屋のSさんに会う確立が限りなく上がってよく会うことになる。Sさんは、母と同じ秋田の出身だから、あることないこといって人を笑わす名人だ。「だいたい、免許証があれば貸してくれるっていうから行ったんだけどよ。ちょっと回転資金が入用でね。金利も12.5%だっていうから。でも、結構うるさくてさ。保証人一人立てろっていうんだよ。」「お金以外のことは何でもします!」すかさず私はそう言った。ちょっと肩を落としてそういうSさん、実は事業に成功している方だから、次の店の資金なんかの調達なんだろうけど、人の哀れを誘うことに長けている話術にはちと注意が必要だ。「うまく借りられたら、その借り方を教えてくださいね。」昔から、自転車操業が板についているタコ社長、大きな声でそういってSさんと別れた。教えてもらうことがなければいいのだが。
2007年08月31日
コメント(2)
オランダ系の連れ合いが、9月に10日ばかり妹夫婦のいるシンガポールに休暇で行ってしまう。今までは、こういうときは、決して私に懐かないことで有名な我が家の老猫ルーシー130歳と二人で気安い毎日になるという設定であったが、今は20歳の日本人女子学生がホームステイをしている。「毎日とはいわないけど、何日かは早く帰ってきて晩御飯を作って一緒に食べてね。でも、一番心配なのはルーシーよ。」連れ合いは、私のことは全く心配しなくていいほど信頼してくれていて本当に嬉しい人生だ。ああ、せっかく痩せて減量に成功していて身が軽くなっているけど気持ちが重い。仕事の出掛けにルーシーがそそうをしたりしているのを見たらそのままにはできないだろう。晩は、ホームステイの女子学生に晩御飯を作って、ルーシーにエサをやって全てを片付け、洗濯にアイロンがけをして寝る。いっそのこと家事放棄で毎晩外食、なんて手もあるのだろうがバレたら必ず追い出されこと間違いない。しかし、見方をかえると将来のリタイヤの予行演習ともいえなくない。連れ合いを仕事に送り出して家事に専念。そう考えると俄然勇気もわいてくる。この連れ合いがいない間、ルーシー、間違っても極楽の蓮の池の飾り物なんかにならないことを祈るばかりだ。
2007年08月26日
コメント(2)
「パソコン、始めたんだって。」東村山の母がいう。昨年病に倒れて元気になった84歳になる父が、毎週土曜日にいくリハビリのセンターで、なんとパソコンを始めたというのだ。私は、電話口で思わず大声を出して笑ってしまった。父は機械物はビデオデッキまでで、ファックスとかもできない。携帯電話も孫が手配して買ったが一度くらいしか使ったことがない。その父がである。「パソコン始めたよ。今は絵のはめ込みとかだけど、面白いな。将棋なんかできるようになれたらいいんだけど。」父が代わって電話口で弾んだ声でそういった。「指先を使うのはボケ防止になるんだからどんどんやったらいいよ。」「そうだな。」来月で父が倒れてから1年になる。今は本当に元気になって自転車にも乗りたがっているらしいが、母が私が帰って来るまで待っているように言っているとのこと。「今度帰ってきたときには、お父さんにパソコン買ってやらないとね、中古でもいいから。」母の元気な声で、父とネット通信なんていうことも夢ではなくなったかななんてちょっとだけ思ったりもした。
2007年08月23日
コメント(8)
「済みません、済みません。」I校長先生、最後の日は一言も口がきけないままお別れしてしまった。言葉を発せられるような状態じゃなかった。岐阜県から毎年8月に来られている、小学校の先生達の英語研修旅行が終わった。初日にリーダーとして自己紹介されたI校長先生、歌舞伎市川団十郎の睨みにも負けないほどの大きな目をむいて怖いくらいに話す方だった。その英語研修旅行を手配しているタコ社長もやや身構えないとならなかった。この英語研修旅行は今年で7年目、いろいろな学校から先生が来られるのだが、いつもどこかの小学校の校長先生がリーダーとなっているが、いままでは温厚で静かな感じの校長先生がほとんどだった。宿泊はすべてホームステイ。一人で入る先生と二人の家があった。ところが突然、旅行に来る二日前に、よりによってこのI校長先生のホームステイが変わることになってしまった。ホームステイの手配会社に何度も頭を下げてすったもんだの挙句にやっと緊急に見つけてもらった。そんな背景があって、もしこの代替に決めたホームステイに問題があったらどうしようと心配していた。研修中には不具合の連絡もなく、先週の日曜日にお別れの日になりI校長先生とも再会した。ところが、先生はお会いしたときからずっと目を真っ赤にされ、最後の挨拶もできないままお別れとなった。本当に、すばらしいホームステイでそのホストの方とのお別れで感情が激昂されていたらしい。若い学生さんたちがホームステイに来られることが多いが、60歳近い方がこうして10日弱の滞在で感激されている姿をみて、私も手配ではいろいろと手間のかかったことを忘れじーんときてしまった。あの大きな目を真っ赤にして飛行場に向かったバスの中でI校長先生は一度大きく頭を下げられ顔を窓に向けてそのまま行ってしまわれた。いつもは、終わった、終わったとすぐに後片付けに部屋に戻るのに、今年は私も学校のスタッフもいつまでもバスを見送っていた。
2007年08月19日
コメント(6)
「タコ君、仕事ってものはね。忙しい人に、忙しい部署にどんどん流れて来るようになっているんだよ。それが仕事ってものなんだよ。『忙しいですか』って聞かれて『はい、忙しいです。』って答える人に仕事は回ってくるもんなんだよ。」サラリーマン時代の先輩Mさんがよく言っていた。これが、所謂Mさんの法則だったが、30歳そこそこの私は、仕事ってそういうもんなんだなと納得させられた。私は、優秀で優しい人柄だったMさんを尊敬して見習いたいと思っていた。因みにこのMさん、その後関係会社の社長にまで上り詰めたが、数年前肺がんを患い今は厳しい療養生活に入っている。ヘビースモーカーだったMさんだ。私が、当時通いつめていた赤坂の高級グランドキャバレー「ニューラテンクォーター」でパーラメントなどというタバコを吸って真似事をしていたら、「タコ君、今からタバコなんて覚えることないだろう!」とちょっときつい調子で諌めてくれた。このキャバレー、例のホテルニュージャパンの火事で閉鎖となってしまって本当に残念だったが、Mさんの忠告に従ってよかったと思っている。「これ、女房。」赤坂プリンスホテルに泊まっていた直属の課長に、奥さんが着替えを持って来られていた。私たちは、インドプロジェクトで何日も徹夜に近い状態で仕事をしていて、課長はホテルに泊まっていた。清楚な感じの奥様と二言三言、言葉を交わした。ホテルのロビーの奥にある喫茶店には、あっち系のいかつい坊主頭の人が数人話をしていた。独身の私には誰も着替えなど持ってきてくれる人はいなかったので、毎晩どんなに遅くなってもタクシーで帰っていた。盆踊りが似合う東村山なんぞという東京の片田舎に住んでいたので会社負担のタクシー代はちょっとしたビジネスホテルの宿泊費と変わらないくらいだった。日本にいてサラリーマンをやっていたときは、こんな生活が当たりまえで何の違和感もなかった。オーストラリアの生活が20年以上になってきているタコ社長。基本的には、仕事に対する考え方は、あの頃とあまり変わっていないが、東京の赤坂六本木とかじゃなく南半球の片田舎メルボルン。生活環境もまったく変わってしまっているし、よしんば徹夜なんかしても誰も着替えなんかはどこからも届かない。「タコさん、毎日終電で帰っています。忙しくて連絡もできませんでした。」日本に戻った前のスタッフから連絡が入った。日本は変わっていないようだ。人間は、環境の動物。否応なくその環境に適合していく。私だって、日本に帰れば同じだろう。ずっとこっちにいよう。今日も得意の赤ワインを煽って帰ろうか。
2007年08月17日
コメント(4)
日本在住の方々には本当に申し分けないが、メルボルン昨日、一昨日の朝などは2℃でした。早朝ウォーキングは指の先だけ空いている手袋でやっています。ちょっと壊れかけた冷凍庫の中で歩いているような感じでした。1975年の9月1日から就職活動解禁で多くの会社を回りましたが、あの年は9月20日頃まで暑さが続き、その中で買ったばかりのスーツを着て会社周りをした辛い思い出があります。日本の皆さんに追い討ちをかけるつもりは更々ございませんが、どうぞ気を確かにもってやっていってください。極寒のメルボルンより酷暑中お見舞い申し上げます。
2007年08月16日
コメント(6)
何と、この10年間で3.7倍に伸びたのだそうだ。タコ社長の会社の借金の額とかいう話しではない。オーストラリアの肥満の人の数の話しだ。メルボルンの硬派の新聞エイジ紙に記事が載っていた。現在の肥満の数が740万人だというのだ。人口2000万の国だから5人にほぼ2人は肥満ということになる。もっと増えたら不満に成る。不満といえば、この肥満で社会が機能しなくなってきている。まず、病院と救急車が体重350キロから500キロまでを想定して、それに対応できるように改造が始まっているらしい。全てが「小錦」対応になってきているのだそうだ。当然、世界に冠たるUSAはこういう対応では先頭ランナーだろうが、オーストラリアもしっかりと追従している。そこで、私の最も関心の高いトイレの話しだが、今までの便器の標準サイズ40センチから49センチ対応のものが出て来ている。尻の小さな日本人なら皆陥没してしまいそうな勢いだ。それこそ、腰を浮かして用を足すとかいった涙ぐましい努力も必要になってくる。何年か前に、大相撲のオーストラリア公演があったとき、力士達の飛行機のシートは二人分、そしてトイレは絶対に行けないという報道がされていて、その話題で何ヶ月かもったことがあった。しかし、現実には普通の人が二人分のシートを確保することがこの国で起こってきているらしい。因みにもと相撲取り的体格のタコ社長、オーストラリア国内線の格安チケットを取って乗るときには、必ずこのての方々の隣になるクセがついていて、本当にお互いに苦労し合ってている。極めつけは葬式だ。棺おけのサイズが拡大している。そして、基本的にはいつかドラキュラのように蘇ることを想定して土葬が主なこの国、墓地のサイズも大きくなってきている。タコ社長、死んでからも回りに迷惑をかけることのないよう、ゆめゆめこれ以上体型を拡大変させないように心しないといけない。その内、こちらでも火葬的国の議論が始まるやも知れぬ。介護マーケットの拡大とともに、肥満マーケットでの業務拡大を狙える事業が増えてくるのだろうか。タコ社長、昔「便器で元気!」とかいってウォシュレットを売っていたことを思い出し特大便器製造産業などに進出を目論んでみたい気になってきている。
2007年08月13日
コメント(4)
えも言われる匂いだった。昔、東京は練馬にあった米軍の家族の住宅地グラントハイツに不法に侵入して遊んでいたことがある。9歳のころの話しだ。全く英語もできないのに6歳のポールという子と友達になりキャッチボールなどをしていた。私を連れていってくれた鈴木のシゲさんという中学生が時々基本的な通訳をしてくれていた。あるとき、シゲさんなしでポールと遊んでいたとき、ポールのお母さんが家の中に入って遊びなさいと言った。少なくとも、そう理解して家に入った。怒られなかったからそうだったのだろう。残念ながら、このポールのお母さんの名前はとうとう最後まで未確認だったが、このお母さんの発するなんともいえないいい匂いに酔ってしまいそうだった。秋田生まれで百姓仕事が嫌で16歳で東京に出た母が、湯上りに使う「ももの花」なんかとはちょっと違った匂いだった。日本人は概して香水の匂いとタバコの匂いに弱いらしい。人妻とか、弱いものを上げたら本当にキリのない人生をおくっているタコ社長だが、こと香水にかけてはオリンピックの関東予選会にでも出られる程弱い。当然、自分も男性用化粧品とかは使わない。元々狂っている思考回路が、昔の夢の島送りになりかねないほど破壊される。このグラントハイツに一歩入り込むと暖かい日差しに煽られて蒸すような芝生の匂いに圧倒される。ポールの家に入った時にはお母さんの香水の匂いのほかにも、絨毯の匂い、家の中に漂うミルクのような匂いなど外国の匂いが遠慮なく迫ってくる。それは、調度日本の家の畳の匂いやヌカの匂いにあたるのだろう。してみると、私の外国体験はまずTVなどの視覚から入り、臭覚で拡張され、そして触覚に向かったように思えてくる。
2007年08月11日
コメント(0)
「聞いてくださいタコ社長。この間、日本での仕事でオージーの面接をしたんです。そのうちの一人の女性、面接が始まったらバックの中をごそごそしているので、何か書類でも出すのかと思ったら、いきなりみかんを取り出して食べ始めたんですよ。もう、ビックリしてしまって。」当然不採用になったが、カジュアルな国オーストラリアでもこの話しは私もたまげた。以前、塾のような日本語学校をやっているときのことだ。クラスは8人くらいだったがその中の一人の30代の女性が突然片足を机の上に投げ出して授業を受けだした。オーストラリに来て間もないころのことで、こういう状況ではどう対応したらいいの分からす、とうとう最後まで何も言わずに通してしまった。クラスの他の学生も何も言わなかったので、よくアメリカのTVドラマなんかで机に足を放り出して話したりする仕草を見ていたのでやっぱりここは、日本の三多摩の東村山あたりとは違うんだななんて思ったりした。しかし、この場合は後で彼女が足を怪我していてそうしていたことが分かり安心した。でも、たとえそうでなくても受け入れてしまっていただろうと思うと違った社会に住んでいるんだなと感じた。先にあげた面接の話しはこちらでも例外だろうが、オーストラリアは一事が万事カジュアルな国であるとは言えるだろう。のらりくらりのタコ社長にとってはそれが魅力的なことであるのは確かだが。間違って封建社会の先頭ランナー角界なんかに入って、得意の袋叩きになんてなっていなくて本当に良かったと思う。
2007年08月11日
コメント(2)
「えっ?7,000万!」新宿の伊勢丹の側にあったガラス張りで外からカウンターの人が見えるバーで、飲んでいたビールジョッキを落としそうになった。25年ほどまえに、高校時代片思いしていて教師になっていたMと久しぶりに会って話していたときのことだ。何でも、マンションを7,000万円で購入したとのことだった。サラリーマン時代、赤坂六本木でうつつを抜かし、下心を隠しに隠して高級レストランで女性におごることを得意技なんて思って生きてきて貯金は60万を超えたことがない私には、どうやったらそんな金が出てくるのか不思議でならなかった。因みにMはその時一緒に住んでいたご主人と別れたというからそのマンションは売ってしまったのだろうが。20年前、メルボルンでもちょっと郊外に行けば1,000万ちょっと出せばプール付きの家も買えた。20代でマイホームを持つことも可能でラッキーカントリーなんて呼ばれていた。日本はそれからバブルに突き進んだわけだから、この格差は益々大きく感じられた。ところが、この6,7年のオーストラリの土地の値上がりはすさまじいものがあった。その反動でシドニー、メルボルンは暫く落ち込んだがここへきてまた値上げに転じている。今、メルボルンの一戸建ての家の平均は4,200万となっている。平均がだ。Kewというところは、何とこの一年で60%アップして、平均価格が1億4000万円。名前が名前だけに急に上がったとか冗談を言っている場合じゃない。更に上には上があって、メルボルンの田園調布トゥーラックは平均価格が2億を超える。日豪が逆転してしまったようだ。もう、こうなったら日本に永住を求めるしかないような勢いだ。いったい、どうなってしまったのか。最後の楽園なんていわれた時期もあったが、そんなのはもう後楽園だ。給料もそれに合わせて上がるなら文句はないが、それは私に限っていうなら御伽噺。一つだけ自慢できることは、あのMの7,000円のマンションの話しの頃からそうなのだが、私には常にこういう話では完全に部外者でいられるという特技を持っていることだ。
2007年08月07日
コメント(4)
「タコさん、彼女いないの?結婚できない男は一人前じゃないんだからね。結婚して子供ができて初めて一人前だね。海外駐在もさせられないよ、独身じゃね。」「業務課のY課長ね、東大出で仕事はできるんだけど独身だろう。ちょっとね、、、。」タコサラリーマン時代に、皆を「さん」付けで呼ぶ慇懃無礼なA部長がそういった。結婚できない男は一人前じゃない。そんな発言に余計なお世話だといいたかった。結婚がしたくてできるものなら、それまでに94回くらいはできていた筈だ。3週間、我が家にホームステイしていた15歳のバレリーナKちゃんが今日日本に無事帰国した。ほとんどバレーに明け暮れる毎日で日曜日にしか一緒にゆっくりとできなかったが、バレーの学校が街にあったので車で送り迎えをすることが多かった。朝送る日は、今メシより好きになりかけている早朝ウォーキングができない。夜迎えに行くときは、昔からメシを忘れさせるほど好きな会社の仕事を打ち切って行った。子供がいるということは、自分のある部分を犠牲にするということなのだろう。それでなくても、この国は平日の夜も土日もスポーツなどで親が子供の送り迎えをすることが常識の国。子供の5人もあった日にゃ送迎が本職になってしまいそうな勢いもある。サラリーマン時代、A部長の言葉に大いに反発を感じた自分だが、海外で金髪なんかを追い回しては困るので独身社員は駐在には出せない、と言っていたのだろうと思っていた。そういうことも確かにあっただろうが、もっといろいろなことを含めてそう言っていたのだろうと思えるようになった。「私はこの家が大好きです。3週間という短い期間でしたが、すばらしい時間になりました。タコさんは、本当に父のようでした。」昨晩、バレリーナのKちゃんからもらったカードにそう書いてあった。子なしのタコ社長55歳、人生狂い咲きで今から血迷って二世を、なんて思った瞬間ではあった。
2007年08月04日
コメント(4)
今日から8月だ。ところで7月31日は好きな日だ。子供の頃、夏休みもあと一ヶ月もある、という嬉しい感覚があった。そこへいくと8月31日は気が重い。学校が始まる。夏の淡い思い出も消えかかる日。ダイアナの命日などもあり、負の勢いがつきまくる。新しい月を迎えると、新しいことがしたくなってくる。オランダ系の連れ合いと今月から社交ダンスの講習会に出ることになっている。6週間のコースだ。ロックンロールの方も続けたいが、これでは「踊る阿呆度」がつき過ぎて、そのうちフラダンスとかやり出しかねない。いずれにしても、これからは更に笑える毎日になりそうだ。
2007年08月01日
コメント(4)
全12件 (12件中 1-12件目)
1