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「あなたのこと、すごくハンサムな人ねって、言ってた人がいるわ。」オランダ系の連れ合いと毎週行っているロックンロールダンスで、ある女性が連れ合いにそう言っていたというのだ。「えっ、本当?」私は、ちょっとにやけてしまった。50代、60代の男性が多くかなりガタがきているような人もいる中での話。こっちの60代、やけに老けている人も多い。母の田舎秋田の血を引くタコ社長、昔はこれでも肌ももち肌だった頃がある。ところで一体、誰がそう言っているのかなどと気にならなかったといえばややウソになるだろうか。「そんな訳ないでしょう!冗談よ!あなたって、本当に自意識過剰なんだから。やってられないわ。」英語では、「You are so vain.」だった。なんてこった。この連れ合いに連れ添って16年になる。彼女には本当に全てを見透かされているような心地良さを感じられ安心していられる。
2007年04月30日
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昨日は、ANZACデーでお休みだった。何しろ、国を挙げて第一次世界大戦からその戦いを思い、同士を思い、死傷者を悼む日だ。90年も前の犠牲者を偲ぶために、多くの人がその悲惨な戦場になったトルコのガリポリを訪れている。日本だったら、さしずめ日露戦争の203高地辺りといったところだろうか。危害を加えた方はそれを忘れ、加えられた方は忘れない。金を借りた方は忘れ、貸した方は忘れない。などという法則があるように思う。オーストラリア、ニュージーランド連合は、このガリポリの指揮を執ったイギリス軍の失態で大勢の死傷者を出した。わざわざ、連合国ということで遠い彼の地に赴き1万人以上が死んだ。第二次世界大戦では、この国は日本軍により多大な損害を受けている。戦勝国でありながら、敗戦国の日本から受けた被害を今も声高に語り継いでいる。そんなわけで、4月25日のANZACデーは一年で一番日本人の肩身が狭い日で、私も静かに過ごすことにした。
2007年04月26日
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世界一身勝手な歌、と私が思っている歌がある。メアリー・マクレガーという人が歌っている「Torn between tow lovers. 」という歌だ。二人の愛する人に引き裂かれ、とでもいうタイトルだろうか。サラリーマンになりたての頃はやった曲で、メロディーが妙に心に残り響いてくる歌だ。There's been another man that I've needed and I've lovedBut that doesn't mean I love you lessAnd he knows you can't possess me and he knows he never willThere's just this empty place inside of me that only he can fill二人の男性を好きになってしまったけど、二人ともわたしを自分のものにはできないの。I couldn't really blame you if you turned and walked awayBut with everything I feel inside, I'm asking you to stayあなたが出て行ってもしかたないけど、どうか行かないで、と心から願っているわ。こんな言い草はないだろう。こんな身勝手もないだろうと思えてしまう。それぞれしか満たせないものがあって、私は二人を好きになったけど、二人とも離したくない。せめてもの救いは、これが女性の心情の吐露ということくらいか。男が歌う男心だったらあまりに平凡な歌になってしまっていたことだろう。さて、坂本竜馬が同時に3人の女性を好きになったことがあるからといって、タコ社長もじゃこれから告白しようか、なんて話ではない。実は、この歌を聴くたびに、「好きな二人の人」じゃなくて、「好きな二つの祖国」に引き裂かれる自分のことを考えてしまうのだ。日本とオーストラリア、両国とも好きだけど両国からもいつも受け入れて欲しい、そんな気持ちが年々強くなるような気がする。贅沢な人生でもあり、身勝手なものでもある。5月の2日から日本に一時帰国する。昨年末、病に倒れ3ヶ月間入院していた父。元にはもどってはいないが元気にはなっている。そんな父と、面倒を見ている母に会うことが楽しみだった。ところが今度は、その母が胃の手術をするかもしれないと言って来た。どうやら、今度の帰国で両親二人の面倒をみることができるようだ。気持ちはもう日本だ。Torn between two countries. 最近は、体が3つくらいあったらと思う毎日だ。
2007年04月22日
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「ダンパ?」先日、会社のスタッフ達との会話でダンパの話になった。皆、私が何の話をしているのか分からないようだった。ナンパじゃない、ダンパだ。タコ社長、会社ではダントツの50代半ば。会社だけではなく、仕事の業界の中でも抜きん出ている。若作りがもう世間に追いつかなくなってきている。そんな私を律儀に追っている40代半ばの二人のスタッフに矛先を向けてみたが、この二人もキツネつままれ状態で反応なし。「ダンパ」。もう死語になっているのだろうか。これは、大学のクラブが資金集めなんかで開いていた「ダンスパーティー」のことだが、スタッフと話していて急に年の差を感じてしまった。因みに、「ダンパ」という言葉でネット検索してみたら、「コスプレダンパ」とかいう訳の分からないサイトが出てきた。こういう言葉は、スタッフ達は得意分野なのかもしれない。「おいタコ。ダンパ、行かないか?慶応の友人にダンパの券20枚押し付けられちゃったんだよ。」子供のときに小児麻痺を患い、軽い歩行障害と言語障害の残る藤田が私に言ってきた。彼は、それらの障害を乗り切ってアジアの言語を専攻していた。現役で入学してきていたから私よりは一つ年下だった。私と藤田は、大学の「聖書研究会」に属していて親しかった。藤田は、それでも20枚の割り当てノルマをこなして売りさばいたらしい。私は、体育の授業でダンスを取っていたが、それでも社交ダンスなんて踊れないに等しかった。でも、藤田と二人してこのダンパに行くことになった。彼はまったくダンスなんかに縁のない人間だったし、第一女っけもまったくなかった。私は、このパーティーに行くのに乗り気ではなかったが、券も買ったことだし出かけることにした。大学2年の秋だった。藤田と私は渋谷にあった会場に出かけた。ものすごく原色系で派手な格好をしている女性と、東北の山奥からそのままの出で立ちで出席してきたかのような女性が入り混じっている不思議な匂いのするパーティーだった。そんな中、ダンスをすることもなかなか叶わず、お互い以外は話すこともなく、赤い光線が行き交う会場で時間だけが過ぎていった。こういう所では、他の男達との会話はないに等しいし関心もない。でも、見回すと女性達は、知らない者同士でも結構気軽に話掛け合って甲高い声で笑いあったりしている。男という動物は、頭が高く可也度し難い動物だと思えた。私は藤田と離れてあたりを歩き始めた。藤田には悪いけど、こういう場に相応しくない彼と一緒にいても何も始まらないと思ったことも事実だ。好奇心に後押しされ、広い会場を歩き回りながら結構時間が経ってしまった。酒と化粧の匂いだろうか、やや目がくらんだ。やっと、跡見短大の2年生という女性とぎこちないダンスもどきができた。お互いに肩に力が入ってしまって、距離が縮まらない。ふと横を見ると、あの藤田が踊っている。しかも、なんだか楽しそうに話しながら、そして可也接近して踊っているんだ。相手は、清楚な感じを漂わせながらも、色気も持ち合わせているような女子学生だった。私は、結局この短大生と踊った切りだった。藤田は、この一人の女性と踊り続け、しかもその後私のことをぜんぜん気にしていないように、ずっと座ってお茶を飲みながら話し込んでいた。私は、やけに手持ち無沙汰だった。「タコ、彼女の住所と電話番号もらったよ。」帰りに渋谷の雑踏の中、ややどもりながら唾を飛ばて藤田はそういった。「良かったな。お前も結構やるじゃないか。」私にはあまり面白くない夜ではあったが、藤田のことを思うと少し嬉しくなった。結局、後にも先にも私のダンパ経験はこれ一回だった。もう、誰に頼まれても券を買うことはなかった。その後、藤田はその女性と何度か会ったようだったが、しばらくして話題には出なくなった。私は、サラリーマンになって教会から離れ、東京神学大学に入り直した藤田とは対極にあるような生活にどっぷりと浸り、彼とは疎遠になっていってしまった。かれはその後、牧師になって開拓伝道のようなことをしていたらしいが、7年ほど前に「大学便り」で急に病を患い他界したことをメルボルンで知って、何度もその記事を読み返して彼を想った。彼に、随分と違った人生をおくることになってしまった私のことを話す機会はもうなくなってしまった。
2007年04月22日
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こちらの成人のお祝いは21歳。この前の金曜日の夜8時からの怖いパーティーの写真。友人の息子のお祝いの夜だった。こちらのパーティーは本当に体力勝負だ。
2007年04月17日
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カレーの晩は食べ過ぎだった。母の作るカレーは大好物で大皿にお代わりで、カレーを食べた後は苦しくて横になるのを常としていた。「そんなに食べなくてもいいだろう。」父はいつもそう言って諌めたが、美味しいのだから仕方ない。手も足も髪も服もカレーの匂いで一杯だ。こういうクセはなかなか直らないもので、こちらでもカレーを作るといつも過食の宴となる。かといって私だけが母のカレーが好きだったのではなく家族がみな楽しみにしていた。言わせてもらえるならカレーの一族といえなくもない。というわけで、借りたDVD「華麗なる一族」を見ている。こちらもなかなか止められない。ついつい夜更かししてしまい、朝5時半に起きて1時間のウォーキングが辛い。しかし、このTVのドラマどうしてもいくつかのことが鼻に付く。昭和40年代初めのあの風景が、なんだか大正末期の頃のように見える。第一、サラリーマンがハットをかぶっているなんて昭和天皇じゃあるまいしどう考えても可笑しい。二夜連続ドラマ「東京タワー」の久留米炭鉱のセットを見たときも、昭和初期といった感じだった。当時を知らない者が作っているのか、わざとそうしているのか分からないが、真面目なドラマがマンガチクって見えてしまう。あの神戸の街中を歩くエキストラはどうみても日本人じゃない。経費削減だろうか。キムタクが東大工学部卒の大会社の専務っていうのもどうしても受け入れられない。「グッドラック」のパイロットまではよかったが。そういいながらも、袴で帯刀させたいくらい時代がかった北大路欣也の浮いた演技を楽しみながら毎晩遅い夜が続きそうだが。カレーなんか食べながら見たらそれこそ大変な夜になる。
2007年04月17日
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若い方々に囲まれて
2007年04月16日
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小学校6年生の時だったから、1964年のことだ。人生の中でも数える程しか見ていないミュージカルをその時見に行ったのだ。都内の小学校の6年生を招待してその年から始まったニッセイ名作劇場で、その年が記念すべき第一回で「裸の王様」だった。これは今でも作品は毎年違うけど続いているとのこと。1964年以降に6年生を経験している方々に、その年のミュージカルの題名を確かめてみたい。王様の役は日下武史さんだった。この人の通る腹にまで響いてくる声は今でも蘇ってくる。当時、TV番組で人気のあった、「アンタッチャブル」のエリオット・ネスの吹き替えがはまり役でもあった。3学年上の兄と私は、このFBIのネスにえらく惚れこまされてしまっていた。力道山かネス、といった感じだった。この年には東京オリンピックもあって、いろいろと刺激の強い年ではあったが、だからといってミュージカル歌手を目指したり、スポーツ選手に夢を託したりしたことはなかった。否、まったくなかったとは言えない。中学では砲丸投げでは私の右に出るものはいなかったし、音楽の時間では、若い白いブラウスの似合う肉体派の小林先生に魅せられて歌を頑張ったのも事実ではある。しかし、結果としてはカラオケで、「結構歌いますね。」なんてゴマをすられる形で終わってしまっている。6年生の時に見たこのミュージカルだが、「王様はハダカ~♪」と歌うメロディーだけは不思議と覚えている。だからといってこの歌を歌ったりしているわけではないが。その後の人生で、「あんたはハダカだ」と言われることに何度も出くわしてはいる。実際に物理的にハダカだったこともあった。また、タコの首に鈴をつけられたりする経験も経てきた。しかし、ハダカでどこが悪いと拗ねてみても、若い頃のように肉体美を披露することも叶わず、そこらにある薄手の布で身を隠して納得するしかないような年代にさしかかってしまってきている。裸一貫や、ハングリー精神が眩しく見えるのは20代、30代のこと。しかし、人生110年の時代だ。そうそう、生き恥を晒しているわけにも行かないし、第一長すぎる。「王様はハダカ~♪」。こうなったら開き直ってこの歌を逆手にとってやっていくのがいいのかもしれない。ある一定の年代の人が皆そうであるならば、これからは本当の意味で「ハダカの付き合い」が出来るかもしれない。
2007年04月12日
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カニが皿だった。
2007年04月12日
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座高に以前から興味がある。役に立つモノの本によると日本の学校で今の身体検査の元になる検査がスタートしたのは明治31年だという。そして、座高も含めて現在の形に近くなったのが昭和12年かららしい。学校身体検査の歴史は長いのだ。因みに、タコ社長、誰にも聞かれていなが座高とウエストが97センチ。胸囲は102センチ。当時、座高を測定することで、内臓がしっかりと発育していることを確認する要素があったようで、西洋人と比べて足が短く相撲や柔道に向いている体型であることを思い知らせるためではなかったようだ。じゃ、座高が短い人は内臓が発育していないのか、というとそうでもないのでこの説は全く根拠がないように思える。私のように顔がデカイ人の脳がより発育しているわけではない、ということに通じる。ところで、どうして今も学校で座高を測定しているのだろうか。座高計というキーワードで検索したら、とんでもなくモダンな器具の写真が出てきた。昔はもっと素朴なものだった。今も測定しているらしい。海外ではどうなのだろう。座高という単語が英語にないこともあって、オーストラリアでは座高なんて測定していなかったことは分かっている。「でも小学校では身体検査はやっていたでしょう?」「ぜんぜん」オランダ系の連れ合いが言う。座高どころか、学校で身体検査そのものをしたことがないという。それは、キョウイだ、なんて駄洒落をいうつもりはないが、ある日本の評論家が「日本の常識は世界の非常識」なんていうことを言っていたのを思い出した。じゃ、アメリカ、ドイツ、インドあたりはどうなのか、と次々に思いが巡る。学校で身体検査をしていないのだろうか。座高とか身体検査のことを考えたら「どうして」という疑問が解決できないで、寝られない日が続いてしまいそうだ。
2007年04月08日
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こういう時は、赤ん坊もいいなと思えてくる。昨日からブリスベン出張。今日はゴールドコースト。目が回る毎日だが、見るものはしっかりと見ています。
2007年04月04日
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気持ちも穏やかに4月がスタート。メルボルン、秋の趣き。
2007年04月01日
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