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日本からの帰国早々、北のブリスベン出張で目を回している。ネットアクセスもままならず、なんだか鼻水をたらしながら駆け回っている。土曜の夜にメルボルン。ちょっと落ち着いた生活がしたいところだ。赤ワインの力を借りたい。
2009年02月27日
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「年金生活に入って後、2,3週間は自由な時間を楽しんでいたのですが、どうも妻の様子が何か変なので訊いてみると、午前中に私が家にいると落ち着かない、昼食を用意するのが煩わしい、できれば顔を合わせたくないということでした。これはいけないと、早速対策を講じました。先ず地下鉄の定期券を購入して朝の7時前には電車に乗って、車内で読書を楽しむようにしました。それから図書館に寄り、昼食を購入して帰宅するという生活パターンにして当初の課題をクリアしました。」何年かぶりに連絡を取らせていただいた、サラリーマン時代の先輩からのメールにこうあった。あまりに日本的なリタイヤ初心者のカップルの話。しかし、これが淡々と続く。悲壮感はまったくなく、ちょっと高めのハードルを一つ一つ越えていっているような感じだ。仲の悪いカップルでもなく、至って普通の日本のリタイヤ中高年。一体、オーストラリア人にはどう映るだろうか。ところで、そう遠くない私のオーストラリアでのリタイヤ生活はいったいどうなるのだろう。もっとも、家にいることの多いオーストラリアの亭主たちは、仕事をしていても日本人からみたらセミリタイヤのようなもので、完全にリタイヤしてもそんなに夫婦の生活で違いはないように思えるが。皆さんのお宅はどうだろうか。ランキングに参加しています。下の箱をクリックお願いいたします
2009年02月25日
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シドニーの6月は冬とは思えないほどの暖かさだった。私はショーツにTシャツで街に出た。永住権を求め、観光ビザでシドニー入りした。キングスクロスという新宿の歌舞伎町のような歓楽街に知らずに宿を取って一ヶ月ほど住んだ。1985年のことだった。来る日も来る日も同じ格好をして、デーパックを背負い街を歩きに歩いた。誰とも話さない日もあった。歩くことがこれほど楽しいことかと初めて知ったように「地球の歩き方」を手に毎日違った道を歩くことにつとめた。そんなある日、ハイドパークの横のエリザベスストリートを街に向けて歩いていて、サングラスをかけていても一目で日本人と分かる男性が反対側から歩いて来るのに気がついた。ワーホリだろうか、短髪に垢抜けた服装で軽やかに歩いてくる。33歳の私よりずっと若いだろう。でも、私も若作りでワーホリに見えたかもしれない。彼はすれ違うときに思い切り笑顔を作って見せた。ただ、それだけのことだった。でも、今でもあの笑顔を鮮明に覚えている。ワーホリのような格好をしていたが、私は脱サラの観光ビザ男。永住権を求める旅の第一歩、一皮剥けば不安しかないような時だった。彼の笑顔、残像がずっと消えなかった。「タコさん、聞いてよ酷いのよ。日本人のオヤジが寄ってきて、私に聞くの、100ドル?って。」同じくシドニーの街角で日本人の中年男から、あなたいくら?ときかれたとS子さんが憤慨していた。オーストラリアに長いS子さん、見知らぬ人にでも目が合えば微笑む。そういう習慣がない日本人に誤解を与えたのかもしれない。いずれにしても、微笑みにはものすごい力あるような気がする。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月23日
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もうすぐ、昼を食べて成田に向かいます。次回、はメルボルンからがんがんとアップいたします。いろいろと有難うございました。ランキングに参加しています。下の箱をクリックお願いいたします
2009年02月21日
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「タコ君の本は、下ネタばっかりで、、、。」私は、一瞬体が固まった。中学同級のT子さんの弁だった。15日の日曜日に、中学時代の恩師、学友が集まって「出版祝賀サイン会」が催された。約30人弱の人が集まった。この手の催しは、これが最初で最後だろう。サイン会なんてする柄でもなく辞退したが、もう1人本を出した同級生がいて合同の会ということで、私も出ることになった。司会をしてくれた、タコ社長のブログにも時々登場するK島氏が、既に読んでもらっていた人たちに感想を求めたときT子さんがこう言ったのだ。私にしてみると、極力下ネタは排除したつもりでいたのだが、世の中、どうも自分の思った通りには進まない。下ネタについての温度差は当然あるだろうが。「下ネタ多いの当然だよ。あの頃のあだ名『スケタコ』だった。」昔を知っている人たちの前では隠し事ができない裸タコ。こんな発言も飛び出して、楽しい会は二次会のカラオケへ流れた。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月19日
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やっと日本人らしく見えてきたと思ったら帰国になる。明日は、掃除、100円ショップでの買い物、荷造りなどになる。金曜日は父の病院検査に一日付き添い、土曜日は帰国だ。2009年2月、東村山の母親語録二匹目のどぜうはいないとんびは鷹を生まない秋田生まれの83歳の母の言は、裏ヨミが必要なときとそうじゃないときがある。その読解が私の人生の課題。よく間違える。さあて、ストレートで裏ヨミのあまり必要のないオーストラリア社会にもうすぐ復帰だ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月18日
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「お前が帰ると家も静かになるけど、寂しくなるね。」東村山の実家の母がそう言う。オーストラリアへの帰国が迫ってきた。会いたい人も沢山いるが、なかなか時間の調整もままならない。日本に帰る時も帰国、そして、オーストラリアに帰る時も帰国という。タコ社長、帰る国が二つある幸せ者。それぞれの国で待っていてくれる人がいる。少なくとも自分はそう思っている。二つの祖国、ある意味では二重生活、デュアルライフ。いいことばかりかというと、そうでもない。可也、厳しいこともある。今回は、それに直面してもう一刻も早くオーストラリアに帰りたいと思っている。私の体に異変が起きているのだ。英語でいうとHay fever. 日本語にすると花粉症だ。メルボルンは、今回上梓した本にも書いたが花粉症のメッカといわれているくらいの所。私も、大いにその威力に巻き込まれている。そして、春一番の吹いた日本。2日前からハンカチぐじゅぐじゅの日々がスタートし、目がしょぼしょぼ痒くてたまらない。あまり掻いたらウサギ目になってしまった。睡眠も浅く、短くなる。日本は今、くしゃみをすると周りが異常に反応する「くしゃみ反応過敏症候群」の国。どうして、マスクをしないのよ、といった鋭い視線を向けてくる人もいる。マスクがあるでしょう、マスクが!なのだ。というわけで、何の因果か二つの祖国を持ったが為に、1年に2回も花粉症で痛めつけられる人生になってしまった。二つの祖国も楽ではない。だが逆に、それぞれの花粉症の時期を反対の国で過ごせばこれから一生花粉症に接しなくてもいいことも可能。果たして、そんな贅沢が許される人生になるのか、毎年決まった時期に本でも出さない限り難しいだろう。あと数日を乗り切って無事帰国となることを願っている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月17日
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2009年02月14日
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「おいタコ、ひどいんだぜ、杉並なんていっても知らなくてさ、東村山っていったら皆知ってるんだよ。」新入社員研修で広島に営業研修に行ったとき、一緒に行った東京は杉並出身のKが言った。1976年の6月のことだったが、志村けんさんのおかげで既に東村山市は全国的に有名になっていた。今回のタコ本出版にあたり、この東村山市の市長さんに直接メールを出して献本を申し出たところ、快く受けてくださった。ということで、タコ社長、市庁舎にママチャリ自家用車で乗りつけた。日本に来ると、自転車が私の足になる。「絶望だ!」サラリーマンを辞めて、東村山図書館で日本語教師になるべく勉強をしていたとき、突然そう叫んで自習室を飛び出して行った男がいた。大学受験生だったのだろうか。私は、自分の好きなことをしようと勉強しているときで、まったく悲壮感もなく楽しくやっているときだったので、この叫びが鋭く耳をつんざいた。「そうですか、あの図書館は当時のままで古くなってきているのですが、何しろ予算が大変で建て直したいのですが、、、。」面談いただいた渡部市長さんがそう言われた。東村山市は、大きな企業もなく産業なども限られていて税収等は大変らしいが、そういうものに大幅に頼ってきた市町村は、今回の大不況で大変なめに遭っているようで、この市の落ち込みは逆に小さいとのこと。これからいろいろと市の発展に貢献したいと熱く語られていた。私も、もう30年以上看板になっている志村けんさんの後塵を拝しやっていくことにする。帰途、イトーヨーカ堂の食品売り場で、アジの開き、シャケの切り身などを購入、100円ショップに顔を出すことも忘れなかった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月14日
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日本に異変が起こっているのだろうか。いつも、口をへの字に曲げて得意の怒り顔を呈している人が跋扈しているこの国。それを称して私は「への字立憲君主国」と呼んでいる。ところが今回は、多いには多いのだが以前ほどでないように思える。この不況を乗り切る笑顔が増えているのだろうか、とよく観察してみるとさにあらず、答えはすぐに出た。マスクの人が多いのだ。口が見えない人が猛烈に増えている。そう、日本は今真冬、「マスク立憲君主国」に季節限定で様変わりしていたのだ。3人に1人は痔主がいる国といわれて久しいこの国で、5人に1人はマスクをしている。じゃ、マスクをしている人の中で痔の人の確率は、などと考える余裕も与えてくれないのが不思議な国ニッポンだ。何しろいろいろ目移りしてしまう。マスクをしていて帽子をかぶっている人なんか見ると、もう帽子とマスクだけがママチャリをこいでいるようにさえ見えてしまう。ニッポン、顔の見えない国、と言われて久しい。自分の気持ちをなかなか表に出さないということと、能面のように無表情が良しとされることなど、いろいろと原因も考えられる。これに、マスク、帽子、メガネで本当に顔の見えない国になってしまった。明日あたり、私も得意の100円ショップあたりでマスクを探しデカイ顔を覆ってみようか。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月11日
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直前の手配であったが、高校同期が15人も集まってくれた。高校時代の同期で海外は、私と後二人はアフリカ。海外住人が帰国する度に集まってくれる嬉しい会だ。高校は男子校で女子が三分の一ということもあって、在学中から割りと行動が別々になることがおおかった。その流れをくんで、同期会もいつもきれいに男女が分かれて座る。私はどうもそういうのが苦手な方で、人生は短いのだからと女性だけの席に割り込んで座って大笑いした。どういうわけか、昔の話をよく覚えていて最近の話は、10分前のことでも忘れるタコ社長。がんがんと昔の話に花を咲かせた。今回、出版の話で高校同期以外にいろいろご無沙汰している方々にご連絡をさしあげたところ、2人の方がお亡くなりになっていることを知り、長年の無礼を悔いた。高校同期にも、会えるときにもっと会いたいと思った。因みに、高校2年のときに、私は生徒心得改正委員長を自らかって出てやって、高校にミニスカートを導入することに尽力し成功した。考えてみると、当時のことで褒められるのはこれくらいしかない。タコ社長の人生、どうも傍流に流さ勝ちなのは、このころからのことらしい。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月10日
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新宿の紀伊国屋で、一生懸命探して探してやっと自分の本をみつけた。新刊コーナーを見たが、何度見てもそこにはなかった。「タコさん、知ってる?日本では年間7万冊以上、1日に200冊もの本が出るんですよ。あんな狭い新刊コーナーなんて、本当にベストセラー作家しか出ないんですよ。」もっともといえばもっともな話だ。でも、感心しても何も始まらない。紀伊国屋では、ほとんど人の行かない「男性エッセイコーナー」に平積みされていた。何ともいえない気分に浸った。書店内は押すな押すな状態だけど、このコーナーだけは真空地帯のように人おらず、私を待っていてくれた可愛い「タコ本」。嬉し涙に堪えた。ふと見ると、右隣には尊敬して止まない、綾小路きみまろさんの本があり、左には、尊敬したことがあったかどうか覚えていない東京都知事の本があった。これで満足しないでどうする!と天の声。池袋のLIBROブックスにいってみた。「海外旅行コーナー」だった。このコーナーでは絶対に人は手に取らない。「タコ本」は旅行案内書ではない。「地球の泳ぎ方」しかしらないタコ社長、場違いにイカの墨でも借りて撒きたい気分だった。とはいえ、毎年帰国時には必ず出向くこれら大手の本屋で、今年は自分の本が見られたのは何とも縁起がいい。今年は、きっといいことがありそうだ。「お前ね、二匹目のドジョウは絶対にいないからね。みんなそれで失敗するんだからね。」秋田生まれの東村山の母がいう。私は、黙って頷いた。しかし、ふと考えてみた。一匹めのドジョウさえもまだ手のなかでヌルヌルして捕まえ切っていないのではと。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月08日
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このソーセージ、立っている。どうやって食べたらいいのだろうか。オーストラリアワインが置いてなく、本当に久しぶりにフランチワインをいただく。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月07日
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「タコ君、明日会わない?」高校3年の2学期のある日、真里菜が電話をかけてきた。その1ヶ月前に、私は全く同じクラスになったこともなければ話したこともない彼女に手紙を書いて屋上で話した。小柄で色黒、目が大きくてチャーミング、髪も長めの目立つ学生だった。どうして、あんな大胆なことができたのか、火事場のバカ力ともやや違うような気もするが、思い切ったものだ。その後の人生を考えても、滅多になかった七不思議。私は、小声で思いを伝えたが、暖簾に腕押しといった感じの話で終始した。来てくれたことは、それはそれで嬉しくはあったが、ちょっと考えて良かったら付き合ってあげてもいい、とでもいうのだろうか、そんな態度がありありだった。当時、マゾっ気のあった私には、それでもワンステップは踏めたと自分に言い聞かせて納得はしていた。期待は薄かったが。高校2年間、しつこく片思いしていたMがいた。しかし、Mには学生運動の闘士の彼氏がいて、私の思いは絶対に通じなかった。そんなこともあって真里菜に手紙を出したのだろう。動機が不純というよりも、Mへの叶わぬ思いを他に向けないとやっていけない状態にあったのだと思う。なんて、自分の気持ちを客観的に分析してどうるす、てな感じもするが昔の話だから勘弁してもらおう。たまたま、ある日学校からの帰りに一緒にMと歩くことになった。学校は国立にあった。一橋大学のある大学通りは、両側の桜並木が名所となっているくらい素敵で広い歩道で、駅から15分くらい歩くと私たちの高校があった。Mと2人でだらだらと歩いていた。すると、反対側から真里菜が1人で歩いてきて、ゆっくりとすれ違った。軽く挨拶はしたが、何も話さずに行ってしまった。「タコ君、真里菜にラブレター出したんだって?どうなの?あなたには、あんな感じの可愛い子が似合うよ。可愛い子が。」Mは、2度そう繰り返した。どうして手紙を出したことを彼女は知っていたのだろうか。そうして、その晩、真里菜から初めての電話があったのだ。交際は、緩んだゴムひものようにだらんとしながら僅かに続いたが、彼女が青山学院にストレートで合格し、私が大塚にあった武蔵予備校の午前の試験にすら落ちた頃には、だんだんと疎遠になっていった。薄く伸びて枯れて自然に崩れたような恋が、本当に可哀そうに見えた。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月05日
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到着時の昼ごはんなんだか、1日が12時間くらいかと思える毎日で、ネットへのアクセスもままならない。朝のウォーキング開始、埼玉県所沢で恒例のキャバクラの看板に挨拶、お互いの無事を確認し合えた。何よりも、両親が元気でやっていてくれるのが嬉しい。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月03日
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その男の人は、吐きながら祈る姿勢を続けていた。飛行機の真ん中の4席の端に私は座った。彼は反対側の端にいた。1月1か月分の雨量が1月31日の1日で降ったという。成田は大雨強風だった。パイロットはようやく3度目のトライで着陸できた。予定より40分くらい遅れていた。2回目の着陸トライが駄目だった直後、飛行機は急上昇した。わたしにもそれがよく分かった。ジェットコースターが上昇するときのようだった。43度のメルボルンを後にして、成田に着いた。途中の池袋で僅かしかないオーストラリアの口座のお金を、シティーバンクのATMで下ろそうとしたら、何度やっても拒否される。いつもこれでやっていたのにどうしたことだ。天が私の帰国を嫌がっているのだろうか。やっとのことで、東村山の秋津にある実家に到着、元気な両親と再会できた。母は、1昨年胃癌の手術をしたときから7キロ増えたという。訊くと、やっと入れ歯を入れて沢山食べられるようになったからだという。痩せたのは胃癌のせいではなく入れ歯のためだったらしい。父は、前立腺の病で女性ホルモンを注射しているのぽっちゃり感が出て、やはり太ったという。元気そうな二人をみて安心した。「ほらタコ、見てごらん。金の成る木っていうんだよこれ。ずっとあるんだけど花が咲いたのは初めてなんだ。お前が帰ってきたら、きっとうちにも金が沢山成るよ。」私は、帰ってくる早々、金の成る木とかの横に荷物をおいて眺めさせられることになった。何はともあれ、実家では歓迎されているようなので安心した。これから3週間、厄介になる。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年02月01日
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