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楽天ブログも4年半、無事に終えることができて感謝の一語に尽きる。ホームページの日記から数えたら9年を過ぎ、来年で石の上にも、が3回転を越える。これも、皆さまのお励ましの賜物と感謝。大晦日、シンガポールの風景をお伝えして、今年最後の日記とします。来年もよろしくお願いいたします。19世紀にできた有名なラッフルズホテルかなり大きな味のあるホテルだこちらのトイレは概して低くて困る。ラッフルズでも然り。このホテルが発祥の地と言われている有名なシンガポールスリング大晦日のチャイナタウン一心素食という食道い入るそこで食べた昼ごはん毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2009年12月31日
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シンガポール二日目、シティーにバスで出た。道路工事、ビル建設などの労働者は圧倒的にインド人が多い。そして、メイドはフィリピン人だ。メイドの賃金は一日、日本円で1000円程度だという。投宿している妹の家では、ホリデーに行かせたり、結構いい環境で働いてもらっているようだ。メイドの仕事の中で大切なのは犬の散歩。一日2-4回犬を散歩に連れて行っている。お陰で飼い主は太ってくる。どうもこの国は階級社会のようで馴染めない。バスに乗り込んできた若い中国人のお母さんと娘。痩せたインドネシア人と思われるメイドが重い荷物をすべて持たされていた。因みに、メイドの世界にも階級があって、フィリピン人が一番でその下にインドネシア人がいるという。香港もシンガポールと同様メイドの世界。どうも、人種の違いが階級意識を呼んでいるようだ。「マリー、一緒に食べないか?」同じ家に住んでいる人が一緒に食事をしないのが気づまりでそうきいた。「いいえ、いいえ、旦那様。」と笑っていた。彼らにとって主人と一緒に食事をするのが気づまりなのだろう。泊まっている家の近所バスでチャイナタウンへ、朝からにぎやかだシティーのクリスマスデコレーションチョコレート会社のツリー。中身がチョコレートかは未確認シンガポールの銀座通り、オーチャードロード体格のよすぎるサンタの尻あんた、顔が汚れてるよ、と。毎日1回は、嫌でもこの緑の箱を、思いっきりクリックよろしくお願いいたします。
2009年12月30日
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昨夜、真夏のメルボルンから真夏のシンガポール入りした。蒸し暑さが違う。オランダ系の連れ合いの妹夫婦の家に、これからずっと泊まることになっている。年越しは、日本より1時間遅いこちらで迎える。携帯電話会社の重役の義弟、なんとも夢のような生活だ。妹夫婦と子供ないということで、のんびり使わせていただくことになっている。人が金持ちなのを褒めても仕方のないことだが、こんなことは滅多にないのでのんびりしたい。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2009年12月30日
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実は、年がいもなくオージーの35歳男性とクリスマスの日に相撲を取って怪我をしてしまった。女性と取っておけばよかったなどという話ではない。相撲がオリンピックの種目になったら、明治の初めに廃止になった女相撲が復活するのだろうか。老後の楽しみが増える。10月の帰国の前には肉離れ、今回のシンガポールの前には右親指脱臼。楽しいことにブレーキをかける力が働いているようだ。何かに呪われているのだろうか。包丁も持てなければ、料理の箸も使えない。特に、親指で押すこととかき回すことができない。胸はかきむしられているが。それでも、2日続けて晩御飯を作った。切ったナスがつながっていた。独身だったら当然だろうな、なんて思いながら甘やかしのない環境で作りあげた。シンガポールの家にはフィリピンのメイドさんがいるとのことで料理はまったくする必要がない。ただ、私が今回作った太巻きが結構よかったと、こちらに一カ月滞在する妹が、メイドさんに電話をいれた。私が、メイドさんに太巻きの作り方を教えるハメになっている。上出来だった太巻きが今は恨めしい。42度のショットドリンク一気連続飲み。可なりきいて相撲が取りたくなった。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2009年12月28日
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「じゃ、タコ君、元気でね。」会社の元上司、同僚に声をかけられてシンガポールの高級日本食レストラン「のがわ」で夕食をご馳走になった後、先輩の前川さんが、昔通りの甲高く通る声でそういった。1986年の9月18日のことだった。1年ちょっと住んだオーストラリアのメルボルン、永住権を申請して、その結果を日本で待つことになった。ちょうど、シンガポールに大学の友人がいたので、そこに2泊して日本に帰ることにした。たまたま出張で来ていた元上司とも再会できてよかった。その2年前に脱サラすると言い出したとき、いろいろとあったがすっきりと会うことができた。レストランを後にして、タクシーで帰ることになった。そのタクシーを前川さんや元上司が乗ったベンツの高級車が通り越した。彼らは私に気がつかなかった。同僚のころは、食事の後は必ず赤坂、六本木に繰り出してナイトクラブで豪快に飲んだ仲間だった。追い越していった車を眺めながら、永住権を申請しただけで果たしてその後どうなるのか全く先がみえない自分の行く先を思いタクシーの外を生温かく流れるシンガポールの夜景を眺めていた。明日から10日間、オランダ系の連れ合いとシンガポールに旅行にでる。年越しは23年振りのシンガポールで過ごす。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2009年12月28日
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一泊の飲み食いバトルから帰還した。今、やや虚脱状態でポテトチップスを食べながら反芻している。5時に起きて1年に一回のタコ風太巻きを作るオランダ系連れ合いの特性チョコレートケーキ姪っ子たちと寿司の次に人気のあった連れ合いのミートローフ七面鳥前菜妹の家の裏庭で。17人参加。ポークなどのメインディッシュオーストラリのパブロバ(メレンゲ)ケーキ自家製クリスマスプディングということで、今年もやっとクリスマスが終わった。42度もあるきついショットドリンクを飲み、赤ワインは1本で抑えた。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2009年12月26日
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今日はクリスマスイブ、急にテレサ・テンが聴きたくなって、「別れかの予感」なんか歌ったりして静かなイブだ。イブにはこういう歌が映える。オーストラリアはクリスマスデー、いわゆる25日が本番でイブは何もない。明日の、家族のパーティーに持っていく太巻き寿司の下ごしらえをしている。今年は、寿司酢の調合を間違えないようにしないと。今日、会社は御用納め。この大不況の中、会社が存続できたことを紙皿、ビニールカップでお祝した。ビール、赤、白ワインでもりあがり、タコ社長30年前に一世風靡した「なぜか埼玉」なんかを歌ったりしてしまった。因みに、参加していた10数名、誰もこの歌をしらなかった。「キンタの大冒険」という歌の話題が出たが、私はこの歌は知らなかった。2時から4時過ぎまで飲み続け、高速道路で一度、事故ったかなと冷っとした以外は無事帰宅。日本のようなイブのロマンチックさはまるでないが、こうして会社も無事終わることができて感謝の一日であった。さあ、明日は昼から夜まで飲み食いが続く地獄のバトルだ。毎回、嫌でもこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。
2009年12月24日
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来年2月27日に、日本人会がメルボルンで盆踊りを企画しているという。サラリーマン時代、勤めていた会社の常務がオーストラリアの鉄鉱山会社の重役とすき焼き鍋を囲んだ後、酔いも手伝って皆で「炭坑節」を踊った。いつも苦虫を食いつぶしたようなカミソリ常務だったが、満面の笑みで踊っていた。ここまでするか、と思わなかった訳ではないが、相手も鉱山の方で結構楽しんでおられた。横須賀の三浦海岸の少し前に伯母の住む津久井浜海岸があり、夏にはいつも盆踊りがあった。今、この海岸は埋め立てなどで潮の流れが変わりまったくなくなってしまっている。私の数多くの思いでが濃い緑色の海に沈んでしまった。小学校2年のとき、伯母さんの旦那さん方の親戚で30歳そこそこの伊沙子さんたちと盆踊りに行った。手をつないで見ていたり踊ったりして、小さな心臓が痛いくらいに鳴った。淡い思いが芽生えた。中学1年の時、胸躍る再会を果たした時、別人のような体型になっておられて伊沙子さん。その体型よりも大きかった思いが一瞬にして弾けた。実家の東村山は、言わずと知れた盆踊りのメッカ。ただ、私は14歳から移り住んだので、遠くの祭囃子なんかで足を動かす程度で終わった。はたして、メルボルンの盆踊り大会、とんな具合になるのだろう。私は行けないと思うが、もし行ったら今は手をつなぐ人は決められている落ち着いた人生だ。オーストラリア風、盆踊り? 外で踊るのもいい。
2009年12月23日
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会社は24日の2時までになっている。そして、新年は1月4日からだ。こちらはイブはなにもない。本番の25日に家族が集まり一日中飲み食いをする。必ずこの日は潰れる。当日は朝早く起きて巻き寿司を作る。1年に一回だから私も気合いが入る。クリスマスが終わって29日から10日ほど、オランダ系の連れ合いとシンガポールに行く。私にとっては23年振りのシンガポールだ。連れ合いの妹夫婦が住んでいて、彼らがメルボルンに里帰りするので、その家をまるまる使うことになっている。しかも、メード付きという。メードに土産を買っていく。ダジャレはよそう。還暦を迎えた親友が今年から5年の予定でシンガポール駐在になっている。ご夫婦に会えるのも楽しみだ。という訳で、正月は彼の地で過ごす。日本の正月は1998年以来行っていない。来年は、是非行くことにしたい。皆さま、メリークリスマス !
2009年12月22日
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2009年12月20日
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久しぶりに朝から目が回る週末となった。2年ほどメルボルンにおられたご家族との別れを、得意のギリシャ人の町オークレイとおこなった。朝ごはんを食べていたがブランチもした。今日は、クリスマス前の最後の土曜とあり、いつもより人が多く、町中がギリシャ人でむせかえっていた。帰ってから庭の掃除。途中から隣のクリスさんが、前庭の枯れかかっている我が家の木を切ってくれるというので、手伝うことになる。クリスさんの家ならともかく、私たちの家の木までやってくれるというので、手伝わない訳にはいかない。昔から、木を切ることを難なくこなしてきたような62歳のクリスさん、ノコを引く手が休まない。私も途中からやったがこれが大変で息切れがすごい。庭に切った木が山となった。終わってからクリスさんにビールを出す。話が延々と続いて6時になり、その内奥さんもきて、クリスさんの家で夕食をとることになった。オランダ系の連れ合いを入れて四人の酒豪の会。なんせ、這っても帰るお隣だ。終わって帰って12時。日記を書かずに寝るのは、シャワーに入らずに寝るようなもので、どうも座りが悪いので書いている。本当にまれにみる親切な人々い囲まれてやっている。ちょっと言わせてもらえるなら、もう少し短時間に終わらないものかと贅沢にも思ってしまったりもする。明日も、友人宅でパーティーがある。あと10日だ、元気に乗り切りたい。
2009年12月19日
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昔から言っていることだが、私は「恋愛4年説」を信奉しいる。駆け落ちするほど好きな人でも4年を過ぎると枯れてくる、というやつだ。その後は、お互いの努力がないと続かない。「お互いの」がポイントだ。数えるくらいしかない私の恋愛歴、すべて綺麗に4年以内で終わった。この説に従ったわけではないが、やはり「お互いの」努力がなかったのだろう。オランダ系の連れ合いとは18年になる、世界新記録が更新され続けている。連れ合いは今、一カ月の夏休み。普段、こういうことをする人ではないのだが、昨夜の料理ちょっと見てしまった。連れ合いも、努力しているのだろう。週末は、伸びきっている前庭の木々の枝伐採にはげもうか。
2009年12月18日
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オランダ系の連れ合いの元生徒、ベトナム人のトランが遊びに来た。3人で近くのベトナム料理の店に行った。はにかみ屋でまったく会話が成り立たなかった数年前に比べて、本当に大人になった。19歳だという。ベトナム人街のスプリングベールにはよく行って買い物をしたりしている。ベトナム移民は、難民受け入れ後本当に多くなっている。そして、今は留学生も増えている。国の力がついてくると私費留学生が増える。お母さんは離婚して、新しいベトナム人の再婚相手とアメリカに住んでいるという。トランは再来年には、このお母さんを頼ってカリフォルニアに移り住むという。彼女には二人の姉があり、姉たちはメルボルンに残る。家族がバラバラになる。戦後は終わっていない。
2009年12月17日
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今日31度、明日は39度と言われている。トラムの街メルボルン、アジア人の街メルボルン。
2009年12月15日
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今日からオランダ系の連れ合いは一カ月の夏休み。英語教師だから長い休みがある。休みなんだったら弁当を作ってくれてもよさそうなものだ、なんて贅沢をいっていたらこの国ではやっていけない。1人でサンドイッチを作って仕事に向かう。問題は、毎晩早く帰ってこいと言われていることで、このシーズンどうやって乗り切れるのかやや心配でもある。ということで、朝からKeep smiling !!!
2009年12月14日
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最近、食が細くなってきている。
2009年12月13日
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生まれて初めてトマトを栽培している。接近しないと見えないくらいのができてきている。可愛くて、毎日なでている。
2009年12月12日
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「タコ社長、珍しい人ですね。」あまり言われることがないので耳が立った。「いまどき、携帯電話を使わないってあまりいないんじゃないですか。」痛いとこを突く人だ。実は、私は携帯電話が大嫌いだった。PCに関してはこの年としては結構仕事で使ってきていて割と馴染みがあるが、携帯はSMSの打ち方も分からないし、メールもしたことはない。受け専門なんて感じでしかも電話も滅多に受けない。ほとんどが留守番電話だった。そして、チェックもしないので、1週間くらいしてから留守電を聞いたりしていたからその内誰もかけて来なくなった。ところがそんな世界に異変が起こっている。ことの始まりは今回の日本旅行。持ち込んだラップトップは完全破壊したことは既に書いたが、PCが壊れても安全な方法として特にメールをGmailに変えたのだ。これが重なったらジジーメールとか言いたくなるほど良くわからなかったが、それでもだんだんと使い勝手が良くなってきた。PCが壊れても大丈夫な仕事環境を作る、こんな本を買い求め普段使わない頭もやや使いながらいろいろと研究した。そうこうしていたら、世の中が知らない内に全く変わろうとしていることが分かった。なんでも「クラウドコンピューティング」なのだそうだ。ごくごく簡単にいうと、すべての情報を空高く雲の上に送っておくということらしい。即ち、データを自分のPCに保存しないで、外に保存するということ。(自分でもよく分からないで言っている部分があるが。)そして、この環境を最大限に利用するにはiPhoneだというのだ。これは、小型PCに電話がついたもの、という従来の考え方を根本から覆すものらしい。というわけで、携帯電話石器時代のタコ社長、いまいきなり21世紀のハイテク携帯を買ってしまった。大人のオモチャ、別な意味があるのだろうが、これはまさに大人の役に立つオモチャのようなのだ。但し、しっかりと理解すればの話だが。今日、このiPhoneにSMSが入った。返事の仕方がわからい。あ~、宝の持ち腐れ、蛇の生殺し。しばらく、奮闘が続きそうだ。
2009年12月12日
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― 退職後は、予定通り、上海に居を移し、上海で今後の人生を再開する予定です。今後の仕事は何も決まっておりませんが、食べて行く位は何とかなるだろうと居直っています。娘が来年4月に小学校に入学するので、この娘の面倒を見ることも楽しみの一つです。―私が25年前に辞めた会社に37年近く勤めておられた先輩のHさんから退職のお知らせが入った。大学の先輩でもあり中国語の専門家のHさんは中国駐在も長かった。若い中国人の方と結婚され子どもさんが来年小学校だという。還暦を迎えられ、新しい生活をスタートすべく上海に旅立たれる。サラリーマン時代は六本木のクラブなどを飲み歩いて一緒に悪さをしたHさん。そんなことしか覚えていない。場所は違うが、お互い終の棲家を求めての海外生活者になる。私には数少ない同士になっていただける方だ。
2009年12月11日
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「親父ね、悪いことや否定的なことを3つ言ったら1つは良いことを言った方がいいよ。その方が楽しくなるし笑った方が体にも絶対いい。」今回の日本帰国で、今年86歳になった元警察官の父に言った。33歳まで一緒に住んでいた私は、両親に対して結構ストレートな物言いをする。どの元警察官もそうではないだろうが、父にはあらゆることを批判する姿勢が染み付いている。こう言いながら、私自身もこの年になって変わるものはほとんどないだろうな、と諦めてはいる。だから、私が帰国した時は、できるだけ笑える話をするように努める。それでも、喧嘩になることもある。父は、3年前に前立腺の病を患い厳しい状況にあることには変わりはないが、内臓はなんでもないので良く食べる。だから元気ではある。温泉に行ったら、私より良く食べて驚かせた。「お前が帰って来ることを楽しみに、1年でも長生きしたいとお父さんが言ってたよ。」帰国して母に電話をかけると、そう返ってきた。胸が詰まってちょっと言葉がでなかった。
2009年12月09日
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クリスマス用にと注文していた赤ワインと白ワインが3本ずつ届いた。すべて、西オーストラリアのマーガレットリバー産だ。今月末までにどれくらい残るのか。
2009年12月08日
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12月第一日曜日は毎年二つのクリスマス会がかち合う。一つは、オランダ系の連れ合いの一族郎党の会で、10時から5時まで。今年は当番だったので9時前には予定の公園には着いて場所取りなど準備をスタート。今回は120人の参加。この会を途中で切り上げて、4時からスタートしている隣近所の会に合流した。12月のクリスマス会がいよいよスタートした。
2009年12月06日
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顔だかすげ変えて、「タコ社長!」とか言ってみたい気もしないでもないが、無毛地帯のタコ社長、ちと役不足。メルボルンの日刊ゲンダイ、ヘラルドサンに出た政治家の写真。この度、ドタバタの続いている野党自由党の党首になったトニー・アボット氏だ。日本でいうなら、自民党の谷垣党首といったところだろうか。こちらの政治家、結構水着姿で新聞に載ることが多い。健康体、健全のアピールだろうか。水着のことはSwim suit.とか言わずにSpeedosといっている。因みに、Skinny Dip というと、素っ裸で泳ぐことを意味するらしい。日本の新聞に、谷垣氏の同様の写真が出たりすることはないだろう。昔の政治家だったら赤フンとかになる。このヘラルドサンの記事では、こういう写真は女性票には返ってマイナスになるだろうと記されていた。そして、最後に Some things are better left to the imagination. (想像に任せた方がいいモノもある。)と結ばれていた。
2009年12月05日
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帰国して12月に入り商談などが目白押している。昨日昼は、近くの日本食レストラン、お客さんはこってりたんたん麺。私は、中高年に優しい野菜そば。夜は、オーストラリア人の接客。馴染みのギリシャ料理レストラン。山羊のチーズ焼きサガナキと、このタコは外せない、共食いの夜。このオージーご夫婦、日本に2年住んだことがあり、納豆と梅干しは大好きという日本通。銭湯、温泉も最初から全く問題なかったという。今度ご一緒したいくらいだ。因みに、どうしてもだめなのが羊羹だったという。あのての甘いものは外国人には苦手な人が多いようだ。因みついでに、オランダ系の連れ合いは、納豆、梅干し、羊羹がまったくだめ。今晩、連れ合いは同僚と食事会で不在。タコ社長、腕によりをかけて夕食を作った。納豆二パックに大根おろしを入れたもの。梅干し。ご飯は冷凍をチンしてゴマをまぶす。そして、芋焼酎のお湯わりですべてをスムースに流し込む。手が込んでいる。大きな声ではいえないが、実は私はこれからの残りの50年の人生、毎日この晩御飯でいい。
2009年12月02日
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「M専務のカバン持ちかなんかでチャラチャラ来やがって。」インドバンガロールの高級ホテル「アショカホテル」の中庭で、皆でビールを飲んでいたときに直属の上司N課長からそう吐き捨てるように言われた。1983年の3月のことだった。私は当時、勤めていた建設機械メーカー「オーマツ」のインド担当。N課長は大きなプロジェクトでインド出張中だった。たまたまオーマツの子会社のM専務をアテンドしていた私は、N課長とバンガロールでかち合うことになってしまった。M専務は業界の重鎮でインドにも詳しく、アショカホテルに到着したときにホテル側からVIP待遇で迎えられた。そして、そのお伴ということだけで、私も同じ待遇を受けた。眉間にビンディーという赤い印を付けられた。宗教的な意味があるという。N課長が手掛けていたプロジェクトは、当然担当であった私も一緒にやっていたのだが、この時はM専務のお伴だったので、あたかも全く関係ないような形になってしまっていて、私は居心地が悪かった。実はこの時、このプロジェクトが頓挫してしまいそうな大変な時期だったのだ。そんな時に、私が別件で来て楽しそうにしていたのでN課長が切れてしまった。私だって、好き好んでそんな立場に立った訳ではなかったのだが。私は、課長がこの一言を発して席を立った後、不覚にも泣いてしまった。M専務とはタイへ行ってからのインドだったので、偉い方のアテンドで緊張もあり疲れていたのだろうか。後で知ったのだが、課長はネゴがうまくいかずノイローゼ気味で、ホテルの部屋でも何をしでかすか心配なので、インド人の現地スタッフが付き添っていたくらいだったそうだ。私は、とんだところに出向いてしまったようだった。この時、サラリーマンの悲哀と不条理を嫌というほど体感してしまった。自分の中で糸がプツンと切れてしまったように思えた。それほど太い糸ではなかったのだろうが。その思いはその後増殖し続けた。という訳で、翌年私はサラリーマンを自ら降りて、本当に糸が切れた「たこ」のように赤道を越えてオーストラリアくんだりまで来てしまった。あの眉間のビンディーはそれからの人生の後押しになってくれたような気がする。タコ社長を漢字で書くと「凧社長」なのかも知れない。
2009年12月01日
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