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シンプルだが暖かい味がする。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月31日
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「渚にて」という有名な映画がある。1959年にグレゴリー・ペック主演のものだが、2000年にもリメイクされている。核戦争が起こり、最後に南半球のオーストラリアが残ったというストーリーで原作の本からの映画化だ。そのオーストラリアも同じ運命を辿ることにはなるのだが。最後まで残る国ではあった。因みに、東村山の83歳になる母はグレゴリー・ペックのことを「鹿のおじさん」と呼んでいる。彼主演の「小鹿物語」からであろうか。今日のメルボルンを代表する2紙のトップページだ。ラッキーカントリーいまだ健在。今日は、日本の戦後における歴史的な日だ。少しはラッキーな国に戻ってくれるのだろうか。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月30日
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「腹が立ったら10まで数えろ。」アメリカの第三代大統領トーマス・ジェファーソンの言葉だ。それでも駄目なら100、更に駄目なら1000数えろとも言っている。なかなか、しつこい名言だ。余談だが、ジェファーソン大統領は、現在のFRB(連邦準備銀行)の元になる中央銀行の設立に反対した大統領だったようだ。FRBは、連邦といいながら全くの私立の銀行で監査がまったくなく政府も管理できない銀行だそうで、これがアメリカの悪の根源という人が増えてきているという。ジェファーソン大統領、1000数えた後でも怒りは収まらなかったのだろう。私は、自他共に認める短気だ。あまり自慢にはならないが。瞬間湯沸かし器とか、ヒューズが短いとか言われている。ジェファーソン大統領の言葉に従うなら、私は1日中数を数えていないとならなく、それが副業となり本業を脅かしかねない。数には強くなるだろうが、それも1000までが限度なら、そんなに大きな声で言えることでもない。とはいえ、あまり怒らない方がいいのは確かだろう。これからも、しっかりと数を数える日々を全うしていきたい。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月29日
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昔、「貧乏人はムギを喰え。」といった総理大臣がいた。今は、「貧乏人は結婚するな。」と総理大臣が言っている。ムギの方の方は、結婚発言の方のお爺さんとサンフランシスコ講和条約に臨んでいた。貧乏人は今も昔も虐げられている。こういう総理大臣を生んできて自由民主党が崩壊するといわれている。ベルリンの壁が崩れるのだろうか。オーストラリアでも注目されている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月27日
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会社も不況の波をかぶっている。外食を抑え社内で量を派手にして懇親会。今後は、この手のパーティーが増えそうだ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月26日
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9月の第一日曜日は「父の日」だ。アメリカや日本は6月のはず。どうして違っているのかは分からない。海外を移動すれば、年に二度もお祝いしてもらえるお父さんもいるかもしれない。今年はオーストラリアの「父の日」は9月の6日になる。こちらのお父さんへのアンケートで、父の日プレゼントのトップ3というのがラジオで発表されていた。1 大型画面TV2 フェラーリの試乗ここまでは何となく分かる。そして第三位。3 アンジェリーナ・ジョリーとデートこんなのが唐突として出てくる訳はないので、いくつかの候補の中からの選択方式なのだろう。もしそうでなかったら怖い。アンジェリーナとデートして何をしたいのだろうか。またこんなことも言っていた。年間のいろいろな行事の中で、「父の日」の経済効果、即ちプレゼント代などは、一番低いのだそうだ。「母の日」のそれには遠く及ばないらしい。もっとも、アンジェリーナとのデートなんていったら、とんでもなく高額になるだろうがこれはご愛嬌。今年のオランダ系の連れ合いの父へのプレゼントは、もらいもののスコッチウイスキーになっている。我が家も、統計に貢献すべく経済効果ゼロになっている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月26日
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医者に糖尿病と言われているのに甘党だ。一つにすればよかった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月25日
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「佐藤、高橋馬のクソって言ってね、本当に多いんだよ、秋田には。」その秋田生まれの母の弁だ。母親もご他聞に洩れず結婚前の姓は「佐藤」だった。もし母が「未婚の母」だったりしていたら私も「佐藤タコ」とか言われていたかもしれない。それにしても馬のクソとは。一昨年、その元佐藤姓の母と父の三人で草津温泉に行った時、有名な湯畑を囲む石の柵に草津を訪れた100名の有名人の名前が書かれていたのを見た。「日本武尊」さんとか、とんでもなく古い方もおられる由。「渥美清」さん、「石原裕次郎」さんなんかも絶対に外せずに接写。しばらく回っていて思わず凝視してしまったものがあった。「アーネスト・メイソン・サトウ」さんのものだった。明治10年に来られていたようだ。秋田の佐藤さんではなく、ロンドンのサトウさんだ。サトウさんとは、言わずと知れた明治維新のバックボーンで日本語を完璧に操る外交官だった。唯、一介の外交官ではなく、日本の歴史を大きく変えてしまったとんでもない立役者というのが実像だったようだ。この人と、長崎の大商人グラバーさん、そして、佐賀のフリベッキさん(オランダ人宣教師)さんあたりの働きが本当に大きかったときく。サトウさんと頻繁に会っていた志士とやらを調べてみたら。岩倉具視、西郷隆盛、坂本竜馬、高杉晋作、勝海舟、五代友厚、寺島宗則、陸奥宗光、後藤正二郎、吉井幸輔、森有礼、大隈重信らだという。明治維新は、日本の20代、30代の傑出した若者だけでは絶対に成せなかった。司馬遼太郎の明治維新は片方しか見ておらず、全体の絵を描いていないようだ。故意にそうしたのかは分からない。ただ、この3人は本当に日本を愛して日本の将来を憂いて動いた部分が大きかったと思ってはいる。そう思いたい。草津を訪れたロンドンのサトウさん、余計はお世話だけど一体誰と行ったのだろうか。明治維新から10年、まだ元武士たちの不穏な動きがあった頃だ。ゆっくりとできたのであろうか。10月の帰国には、秋田の元佐藤さんの母と父とまた草津を訪れたい。そして、古事記、明治維新、寅さん、銀座の恋の物語、なんかをキーワードに湯煙にむせながら昔を少しだけ偲んでみたいものだと思っている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月24日
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こんな絶品の小籠包、メルボルンで食べられるとは。いつもの場末の店では、熱くて口の中をヤケドしそうだが、ここのは食べごろになっている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月24日
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私は、日本で村役場主催の成人式には行かなかった。東村山には14歳のときに移り住み、それまでいた練馬ならともかく知った者もおらず、よその地という思いから抜け出せずにいた頃だったからだろう。こちらの成人のお祝いは20歳ではなく21歳。オランダ系の連れ合いの姪っ子、ブルックのお祝いが昨夜あった。100人近くの人を招いてレストランの二階を借り切ってのパーティーだった。日本のように身内だけということはなく、呼んだ人のパートナーとか全く知らない人も多く来る。もう慣れたとはいえ、この仰々しさにはやや閉口する。禁酒から解放されたので赤ワイン一杯だけ、は嬉しくはあった。それにしても、こんなに若くて目移りするような女性が集まる場には滅多にお邪魔できないのでキョロキョロし過ぎて首が痛くなった。しかし、8時に始まったパーティーが終わったのは午前1時、中高年にはちと厳しい長丁場の夜だった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月23日
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「何で、2ヶ月の禁酒なの?」オランダ系の連れ合いが訝しそうに言う。「赤ワイングラス一杯なら返って健康に良いって。それに、2ヶ月が終わってまた大酒になるなら、一生グラス一杯の方がずっと健康にいいし、その方がずっとずっと大変でしょう。」妙に説得力がある。二ヶ月の禁酒は厳しい選択かと思っていたら、一生グラス一杯の方がその何百倍も難しいことだと悟った。実は、二日前に飲みに行く機会があり、本当に楽しくない思いをしていた。周りが飲んでいるのに私はお茶のお代わり。お茶って、本当に何度も何度も注がないとならなく面倒くさいこともあるが、オイルがない車のようでタコ社長、借りてきた猫状態、エンジンがかからない。何のために仕事をしているのだろう、と拗ねてしまった。こんな伏線もあるにはあったが。という訳で、僅か10日にて禁酒、断酒は終えることになり、連れ合いと乾杯と相成った。僅か数本しかない当家のワインセラーから、2003年物の高級(?)シラーズを出してきてグラス一杯だけの宵となった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月22日
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少しずつ、すこしずつ、春の兆しが。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月21日
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「違うでしょう。『日はまた昇る』じゃないわよ。『沈まぬ太陽』でしょう。」東京は東村山の母に電話したときに、映画化される山崎豊子さんの小説の名前を、私は間違って83歳の母に直された。もうろくが始まっているのは私の方のようだ。ところで母は、「運命の人」全四巻を買って読んだという。沖縄返還協定の裏であった二国間の密約の話。可也込み入った内容でもある。「お母さんにはちょっと中味が難しいね。政治のことはちょっとね。だから随分と飛ばし読みしちゃったよ。飛ばしちゃったよ。」最後に両親と一緒に映画館で映画を見たのは1982年の「ガンジー」だった。というより、三人で映画を見たのは初めてだった。面白かったと言っていた割には二人ともよく寝ていた。ちょっと長すぎる映画だったから仕方ないと思った。今度の日本帰国は10月の終わりの予定だ。「沈まぬ太陽」のロードショーが10月24日からだという。また3人で見に行けるかな。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月19日
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のどかな田舎のひととき下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月18日
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「英雄色を好むっていうじゃないですか。」昔こちらの大学付属の成人学校で日本語を教えているとき、同僚のイアンさんがニタっと笑いながら切り出した。イアンさんは10年ほど日本に住んで、そこで日本人の女性と結婚オーストラリアに帰国して日本語教師になっていた。私が共に教えていたとき英語で話した覚えがない。いつも日本語で通していた。どうして日本に行ったか、などという会話をしているときに、イアンさんが英雄云々を持ち出したのだ。「タコ先生ね、いろいろ口では言えますがね、格好つけても仕方ないでしょう。私が日本にずっといたのはね、やっぱり女性でしょうね。私は英雄じゃないけど。」そして、こう続けた。「日本の女性は、何たって世界一でしょう。」少し前にブリスベン出張の際に乗ったインド系のタクシーの運転手が言っていた。「お前は何でオーストラリアなんかに来たんだ。日本の女性が世界一じゃないか。俺は少ししたら、日本に行って探して来るよ。」私にも、裏庭の物置が埋まるほどの大義名分を背負ってオーストラリアに来た。そして、イアンさんが言うように、格好つけても仕方のない理由も大きな声では言えないが多少といえずある。世界は、色の行き来が一番の交易なのだろうか。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月17日
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メルボルンの朝日新聞の一面だ。寝ぼけマナコが吹っ飛んだ。歯のホワイトニングが、歯科医以外で人気が出てきていることに歯科医が反発してきているという記事らしい。「お歯黒」文化の国から来ている私にはちと眩しい。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月16日
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ちょっと迷うことろではある。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月14日
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パティーは、窓際に備え付けの縁台に右側を向いて両足を投げ出して妖しく座っている。体にフィットした黒いタイツ、上は豹の模様のタンクトップで肩が大きく開いている。家の中は暗く古く荘厳な感じがする。窓から見える庭は緑に包まれて明るく輝いている。しかし、目はパティーに釘付けになってしまう。パティーとは、1980年8月に彼女が日本に研修に来ているときに出会った。シドニーで日本語教師をしている彼女との会話では、英語はまったく必要なく心地よかった。彼女は私と同じ年の28歳、ケントというご主人がおられる。タコ青年、惚れ易くて、捨てられ易い家系に育った真面目な性格。そんな人妻パティーに、これまた判り易く惚れてしまった。叶わぬ恋と知りながら。シドニーに戻ったパティーから私の手紙の返事がきた。それに、この一枚の写真が添えてあったのだ。彼女は実は非常にひょうきんでオチャメな人だった。しかし、この写真は全く別人のように麗しく私の心を掻きむしってくれる。「タコ、元気にしていますか。いつかオーストラリアに遊びに来てください。」おざなりな文言が続いた。手紙が宙に浮いてしまうほど現実味がない。前の年に会ったことが嘘のように思えてしまった。その頃は、「24時間働けます?」なんていう言葉に素直に「はい!」なんて手をあげてしまえるような企業戦士の頃。まさか、5年後に南の果てのオーストラリアに移住するなん、3日続けて寝たとしても夢にも出てこないだろう、そんな遠い話だった。しかし、こうして少しずつ少しずつ、いろいろな種が植え付けられていっていたようではある。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月14日
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豪快なチーズケーキ。糖尿病にはちと冗談が過ぎる。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月13日
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オーストラリアをバスで回った。走行距離約15,000km,一ヶ月のバスの旅だった。シドニーに戻り、キングスクロスの安宿でTVを見ていた。1985年8月13日。日本のお盆だったが、前の日に日本で大惨事が起こっていたのだ。そのニュースをTVで見た。あの日本航空墜落事故だ。亡くなられた520人の中に坂本九がいた。1963年にアメリカのビルボードのNO1になった「上を向いて歩こう」が思い出された。あれから今日で24年になる。こちらで日本語教師をやっているときに、日本の歌を学生と歌うことがあった。「バラが咲いた」、「四季の歌」そして「上を向いて歩こう」だった。もう10年以上前の話になってしまった。今、会社には車で行っている。ラジオを聴いたり、ipodで落語なんかを聴いたりもしているが音楽もある。駐車場に入るときはいつもこの坂本九の歌を聴く。気合を入れる、というのとは違うようなだが、何だかいつも上向きな気持ちにさせてくれる。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月12日
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3日続けて赤ワインボトル1本空け続けて反省、これから2ヶ月酒を断つことにした。3年前にも3ヶ月断ったことがあるが、体がアルコール漬けになっているようで、体調の再インストールといったところだろうか。元々飲まなくても飲んでいるようだ、と言われて久しい。また、飲まなくても「ちょいわるおやじ」は貫徹できる。友人の還暦のお祝いに行ってきた。病気の人も多い。自分にたがをはめる人生もそろそろ終わりにした方がいいと思える。人はいつ死ぬか分からない。「こうあらねばならない。」最近、自分はそういう生き方が身につき過ぎてきているようだ。24年前、会社を辞める人がそんなにいなかった時に辞め、オーストラリアに移住した。あの頃は「こうあらねばならない」なんて、端からなかった。若くもあったが、それは年に関係なくできる筈。私に、「いい子」は似合わない。そろそろ、「ちょいわるおやじ」から「ちょい」を取り除いてもいいのかもしれない。悪いことをして、全速力で逃げるなんてことがあっても、今の自分ではすぐこけて、「こけちゃいました。」なって苦笑いしそうだ。まっ、大して悪いことはできないのは分かっているのだが。ということで、逃げるのも進むのも健康第一。断酒2ヶ月やってみる。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月12日
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普通はもれるものだろう。私も将来お世話になるだろう年寄りのオムツとかの話じゃない。何回か書いた6月3日にイタリアで起こった例の13兆円の米国債事件のことだ。巷で言われているように、日本政府の差し金だったら、その担当者、担当者の同僚、周りの方々、知人友人他人、誰かが洩らさないものだろうか。あのときいくつかの情報がでて、実名でやった人を伝えるサイトもあったが、まったく動かない。すごい情報統制だ。日本もなかなか捨てたもんじゃないなんて関心している場合ではない。我々一般庶民の知る権利はまったく無視されている。2001年の9・11事件も、それぞれの飛行機自爆への非常に多くの疑問の回答が出ていないままだ。93便なんか、地面に激突したといわれているのに死体が一体も発見されていない。確率からいったら天文学的な数字になる。飛行機の残骸もない。この一つをとっても誰が考えてもおかしい。確か、日本人の男性が1人乗っていた筈だ。あんなに疑問の多い一連の事件もないもので、その後私の世の中の見方を全く変えてしまった。ケネディー暗殺もそうだろう。疑問があまりにあり過ぎる。私は、いろいろな疑問への回答が欲しいだけだ。回答が出ない、ということが更に疑問を生む。こういうことに何らかの陰謀があるとするならば、それを隠そうとして非常に多くの人が関係している筈だ。私なんかがもしそんな末端の1人だったら、言いたくて言いたくて仕方なくなるだろうし、赤ワインなんか飲んだ後に、ポロッと言ってしまうことだったありうる。更に金髪女性スパイとかに睨まれたらイチコロだ。これは声を大にして言える。だから、ポロポロと内部情報なんかが出てこないのだから、やっぱりこれらの事件は政府の公式発表が正しかったのだ、という意見に収まってしまう。それでも、ウォーターゲート事件のときは、ちょっと大きな声では言えないすごいあだ名の機密漏洩協力者がいた。ディープスロートと言った。そういう事例もないではないが。アメリカも、政府が転覆しかねないような機密までは事件発生から75年経っても公表はしないらしい。しかし、可也の部分は明らかになるだろう。2038年だ。私は、生きていれば調度今の父の年になる。86歳だ。なんとかかろうじて、といえなくもない。しかし、9・11の方は、124歳だから、ちょっと無理だろう。13兆に関しては、日本の政権が変わるとどこかから洩れだしてくるかもしれないが。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月11日
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1954年制作の「二十四の瞳」をDVDでみた。こちらの中国系のDVD屋で売っていた。高峰秀子が先生役の白黒の映画だ。随分前に見たことがあるが、内容を大分忘れていた。高峰演じる大石先生のダンナさんがえらくハンサムな人だ。調べてみたら「仮面ライダー」の「死神博士」だった今はなき天本英世だった。私は、「平成教育委員会」で知った人だった。戦前から戦後のドラマだが、子どもたちの元気がいい。よく歌う。本当に何かあるとよく歌う。それは大石先生の指導があったからだろうが、クラス全員がコーラス部のようで、ちょっとやり過ぎの感もあるが、歌うことの楽しさが伝わる。そして、何かあるとすぐに全速力で走る。本当に短い足で全速力だ。だから何人かは転ぶ。昔の人は、車も自転車も少なく、歩くことと走ることが当たり前だった。急ぐときは全速力だ。私たちが全速力で走ったのは、運動会のときと、柿泥棒をして逃げるときくらいだった。それにしても天本博士、格好いい。どこかで読んだことがあるが、撮影日程が変わり急なことでセリフが頭に入っておらず、大根役者のようになり二度と木下恵介監督からお呼びがかからなかったという。タコ社長、もう全速力で走ることはできないが、歌を歌うことはできる。映画を見ながら一緒に「故郷」を口ずさんでいた。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月10日
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「すみません、あの男の人私の椅子を蹴ったんです、訳もなく。」メルボルンで若い人の集まる日本語情報センターをやっている。ある日、インターネットを使っていたら隣にいた男が立っていきなり椅子を蹴ったのだという。早速その男性を部屋に呼んで話をした。「隣の人の椅子を蹴ったのですか。」「いや、ちょっと足が当たっただけですが。」結局、もうセンターには入っては困る旨伝えて帰ってもらった。それも問題ではあったが、もう一つこの大学生ちょっとおかしかった。話をしている30分間、ずっと鼻をほじっていたのだ。もしかしたら名前が、忍者ハットリくんじゃないが「花岡じった」ではなく「花尾ほじった」さんだったかもしれない。見かねたスタッフが、「どうでもいいけど、その鼻をほじるのは止めてもらえませんか。」と言ってくれた。人間の所作の中で不可解なもの10、という記事が新聞にあった。その中の一つに「鼻をほじる」があった。統計によると、若い男性は一日に4回はそうするのだそうだ。他の動物にはみられないらしい。してみると、あの青年、ちょっと度が過ぎただけだったのかもしれない。いやでも、目と目を見ながらずっとするのはやはり異常ではあった。その後、日本の大学に戻っただるが、今も元気にしているのだろうか。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月09日
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日本人の風呂好きは、こちらでもつとに有名だ。メルボルンの新聞の付録雑誌に記事が載っていた。日本では、サルは木に登らずに温泉に入る。それにしても、女湯の何と色っぽいこか。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月08日
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「おいタコ君、丸の内のベクテルにダンプの営業で行くぞ。一緒に来てくれ。」1979年9月から11月の3ヶ月、研修に3ヶ月出ている神山さんの代わりにダンプトラック販売担当の課に助っ人に出されていた。慣れない製品の扱いで日々ストレスも溜まってきていた。橋本課長と一緒にタクシーで初めて聞く会社に出向いた。タクシーの中で課長から聞いたところによると、何でもアメリカを代表するほど大きな建設会社だということだったが、一般には知られていない会社名だった。事務所に入ると、そこは日本の会社と違ってドアなども木造の荘厳な感じがして入りにくい敷居の高さを感じた。対応したのは日本人の担当だった。この方、いかにも我々を鼻であしらっている感じのする方だった。同じ日本人なのに何だこの態度は、と憤りさえ感じて帰ってきた。しかし、橋本課長はさほど驚いた様子もなかった。後で調べたら、売り上げが4兆円もあるような巨大な会社で、この会社のトップだった人がシュルツ国務長官とかワンバーガー国務長官とかで、実際にアメリカを牛耳っていたようなとんでもない会社だった。さらに驚いたことに株式を上場しておらず、わずか80名ほどの人が握っている個人会社だということだった。こんな得体の知れない会社に営業したり、分からないことが多くこの3ヶ月は仕事が終わるのはいつも夜の11時頃で、だいたい最後に課を出ていた。勿論、周りにもまだ人は結構残っていたが。「タコ君、じゃ飲みに行こうか。今日は久しぶりに六本木のマキシムあたりにしようかね。」どんなに遅くなっても飲みに行くと聞くとまず先に手を上げた。会社と家の間にワンクッション欲しいなんて言い訳しているような頃の話だ。昼間のストレスを一気に吐き出す、と言いたいところだが、大酒食らって二日酔いとかも続く。それでも翌日はちゃんと定時に出社する。あのエネルギーは一体どこからきていたのだろうか。でもある日、どうしても会社に行きたくなくて新宿の駅から会社に電話して休み、歌舞伎町の映画館で映画を2本見て登校拒否児童になった。週末には立って見ないとならないような映画館が、平日の午前中は何と空いているんだろう、なんて感心もした。ダンプトラック営業部の3ヶ月がやっと終わった。元のブルドーザー営業部に戻った。11月になっていた。その時、その年の年末から正月にかけてニュージーランドの友人の家に遊びに行こうと決めた。付き合っていた彼女との仲が冷え切っていて1人で決めてしまった。だから1980年の正月はニュージーランドで迎えた。全てを忘れて、夏の海に浮かんでいた。新しい年になり、何もなかったように仕事に就いた。その年、4年社内恋愛で付き合った彼女は私のもとから去っていき翌年結婚した。私は、昼はおとなしく、夜になると赤坂六本木を徘徊し、給料は増えないが体重だけは増え続ける年月をおくった。あの頃、将来をしっかりと見据えてはおらず、なんだか惰性のように生きていたような感じがする。その方が返って楽だった。飲み屋のツケはどんどん溜まりその処理に悩んだりはしていたが。その頃からだろうか、自分はいつかは会社を辞めて糸が切れた凧のようにどこかに飛んでいってしまうのだろうなと思い始めたのは。そして、それが4年後に現実になった。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月07日
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昼間は眠いし、午後は目がかすんできて見えなくなる。夜はいつもボーっとしている。更年期障害だろうか。シンガポールかタイ辺りに行って、もっとボーっとしていたい。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月06日
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両親が以前、体調を壊したこともあり1週間に1度は電話をしている。3年前に前立腺癌で3ヶ月入院していた父もおかげさまで元気にやっている。父は、昔から電話は用件だけをいうもので、ダラダラ話すことはないと長電話を嫌っていて、日本に電話するときはだいたい母と話す。でも先日の電話には、父が出た。「元気にやっているよ。薬は毎日飲んでるし、女性ホルモンの注射も3ヶ月に1度病院に行って打ってもらっているよ。問題ないからね。」3ヶ月の入院生活で足の筋肉が急激に衰えて歩行ができなくなった父もリハビリのお陰で今は歩けるようになっている。「でもね、ちょっと太ってきてね、特にオッパイが大きくなってきてるんだ。お母さんじゃなくてお父さんがね。」父はあまり冗談をいう人ではないがこう言った。「じゃ、今度帰国したらチェックしてあげるからね。」そういって私はいつもより大声で受話器に向かって笑った。父も笑っていた。これが本当の、「父肥える」だ、と電話を切ってから思った。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月06日
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「ねえ、聞いてよ。昨日の夜、父から電話があってね。」オランダ系の連れ合いが言い出した。連れ合いの両親は、まだキャラバン旅行中で北の方に行っている。毎晩、7時から8時の間、携帯電話は国内只というサービスがあるので、この時間帯によく電話がかかってくる。さすが、オランダ系は手堅い。父親は、どうして今日電話をかけてこないんだと連れ合いに言ったそうだ。8月4日は両親の結婚記念日だそうだ。長女としてかけてお祝いのメッセージを送るのが当然だろうということらしい。誕生日、父の日、結婚記念日、クリスマス、正月など本当に家族でお祝いすることが多い国だし、忘れていたら大変なことになる。「結婚記念日って、本当に個人的なことで、2人でお祝いすればいいのよ。いちいち電話したりすることないわ。」親の結婚記念日なんか、はなから記憶にない私もしっかりと同意した。久しぶりに、連れ合いと意見が合った。「ちゃんと、両親のことを思っていたわ。それで十分でしょう。でもね、8月3日だと思っていて、ちゃんと2人のことを思っていたわ、っていったら日にちを間違ったって、またがっかりされちゃってね。まったく。」連れ合いの両親は、まもなくメルボルンに戻ってくる。孫の1人が21歳の誕生日だからだ。この国は、20歳ではなく21歳の誕生日をものすごく盛大にお祝いする。飲食のできる場所を借り切って80人くらい招待して夜中までやるそうだ。私も赤ワインの力を借りて頑張る。お祝いだからいいことではあるが、なかなか家族の付き合いも大変な国ではある。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月05日
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映画「歩いても 歩いても」、DVDを15ドルで買ってオランダ系の連れ合いと一緒に見た。今回のメルボルン映画祭でも上映しているようだ。因みに、「実録連合赤軍」の映画は何人かの若い方々と見に行くことになった。「お母さんに似ているわね。」連れ合いがいう。樹木希林さんの演じる母親役を見ながらそういうのだ。容姿が似ているとかの話ではないのは分かる。料理上手なこと、時々出るきつい発言や嫌味をさして言っているらしい。私も、何度も母を思い出し大笑いしてしまった。映画の中で、「ブルーライトヨコハマ」のレコードを聴くシーンがある。思わず一緒に歌った。母親が、大事にとってあるドーナツ盤だ。これが、この映画の題名にも関係している。私の母の場合は、千昌夫さんの歌う「星影のワルツ」だ。東村山の実家のどこかにはこのドーナツ盤がある筈だ。レコードプレーヤーは廃棄しているので今は聴かれない。母の料理、歌そしてきつい言葉さえも、毎回の帰国の楽しみになっている。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月02日
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2009年08月02日
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2009年08月02日
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2009年08月02日
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メルボルンの朝日新聞The Age紙の土曜版にこんな統計が出ていた。新しい家を買うときの最終決定をするのは、女性が62%、男性が8%、両方が30%となっているそうだ。これは、オーストラリアの統計で、一生に8度も引越しをするこの国の人の数字ではあるが、「影の大蔵大臣」などと古い言葉だがいわれるのは古今東西変わらず女性のようだ。そういえば、我が家でも今住んでいる家は8年前に私が日本に一時帰国している間に、オランダ系の連れ合いが決めたもの。ネットで家の写真を送ってきたが、ネットで決められず筈もなく、唯OKを出すしかなかった。この統計、我が家においては正しくその通りであるといえる。我が家は安泰だ。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月02日
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昔、日本でサラリーマンをしていたときに、手の骨が折れるんじゃないかと思うほどきつく握り握手をするアメリカ人のお客さんが来た。どうしてそんなにきつく握るのか理解に苦しんだが、早速握力器を購入して日夜強化に励み、それ以降白人男性と握手をするときは親の敵に出会ったように容赦なくすることにしている。どうも、初めて会う男に対しては自分を誇示して甘く見られないためにそうしているようだ。握手は最初の対決のときのようだ。よく東南アジアの人などと握手するとき、グニャとする人がいたりすが、そういう方々からは、どうして、という顔をされる。かれらの中には握力器を購入する人もあるのだろうか。但し、女性に対しては手加減したほうがいい。中にはすごい人もいるにはいるが。総じて、白人男性の筋力にはなかなか叶わない。タコ社長も60歳を超える隣のクリスさんと1度穴掘りをして音を上げてしまったことがある。それから力仕事の誘いはない。そういえば、歴史的にオージー男は金堀り、穴掘り、塹壕堀りといろいろなものを堀まくってきた男達なのだ。大木を切り倒し居住として開拓してきた男達だ。ところで、オーストラリアの男性を称してDiggerと呼ぶことがある。自分達もそう呼び合う。来る日も来る日も金鉱山で穴掘りを続けていた人をGold Diggerといっていた。そんな言葉からきたものらしい。そして、第一次世界大戦に参戦して、今度は塹壕堀をした。そんなことも合わせてDiggerと呼ぶようになったようだ。昔の首相でThe little digger. という愛称で呼ばれていた人もいたらしい。但し、私たちアジア人がDiggerと呼ばれることはないし、この言葉も死後になりつつある。それに、私が掘れるのはせいぜいオカマとか墓穴くらいなものだろうから。下の箱をポチッとクリックお願いいたします
2009年08月01日
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